亀井伸孝の研究室 |
ジンルイ日記つれづれなるままに、ジンルイのことを |
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最終更新: 2004年1月29日 |
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■語られない交易品 (2004/01/29)
■消えたアフリカ (2004/01/28)
■はみがきさん (2004/01/27)
■指輪の紛失・翌日編 (2004/01/26)
■指輪の紛失 (2004/01/25)
■歩案彼 (2004/01/23)
■いつの日か、言語権 (2004/01/22)
■龍馬、享年32 (2004/01/19)
■新選組がやってきた (2004/01/18)
■水槽にお正月 (2004/01/17)
■ドアを閉めます (2004/01/16)
■本の体積 (2004/01/14)
■リンゴの聖地へ (2004/01/13)
■祈願の責任割合 (2004/01/08)
■初詣 (2004/01/07)
■初仕事 (2004/01/05)
2004年1月29日 (木)
■語られない交易品
少し前の新聞で、16世紀以降のイギリスの繁栄ぶりが紹介されていた。「欧州の織物、東方の胡椒、メキシコの銀」。交易でイギリスは富を集め、オランダから世界金融の中心の座を奪った、などと(『朝日新聞』2004年1月10日)。
この記事には、一番重要な交易品が書かれていなかった。
「大西洋航路の黒い積み荷」=黒人奴隷。織物、胡椒、銀…と繁栄をロマンチックに語るのもけっこうですけど。イギリス商人が何世紀にも渡って国外で人間を売りさばき、ぼろもうけしてきたのは事実なんだから。
これは単なる「無視されたアフリカ研究者のひがみ」ではないはずだ、と思っている。
2004年1月28日 (水)
■消えたアフリカ
あるカフェにて。フロアに巨大な地球儀が置かれている。ちょうど地球儀のアフリカの前の席が空いていたので「やった、アフリカ席いただき!」とそこに座った。
しばらくしたら、アフリカが消えていて、目の前に南米があった。あれ…? 実は巨大地球儀はゆっくり回っていたのだった。
太平洋の広さをやたらじっくりと見せつけられた後、視界は徐々に東アジアへ、インドへ。
そして14分後にアフリカがふたたび帰ってきた。コーヒーはもう飲み終わっていた。
2004年1月27日 (火)
■はみがきさん
京都市長選挙が始まった。候補者の一人で、ポスターでいつもニッと歯を見せてほほえんでいる人がいる。うちでのこの人のサインネーム(手話でのニックネーム)は、/はみがき/さんと決まった。→[写真]
ちなみに、現職候補の方は/着物/さん。→[写真]
2004年1月26日 (月)
■指輪の紛失・翌日編
「指輪のこと、そんなに気にしないで。ほら、プレゼント!」
妻からの贈り物は「ガスレンジ用洗浄キューブ: 徹底汚れ落とし」。
「これにこりず、台所磨きよろしくね(笑)」
…この人は、長生きすると思う。
2004年1月25日 (日)
■指輪の紛失
今日、家の中で指輪をなくしてしまった。ふだん自分で外す習慣はないから、何かの時にスルッと抜けてしまったことになる。はて、いつだろう。
金魚の水槽掃除で、水をざぶざぶ使っていたときかな。おあげの油抜きで手がぬるついた時かな。洗濯物の取り入れの時か、はたまたゴミ捨ての時か…考えてみれば、今日は一日家事ばかりしていたからなぁ。
以前、海外で路上強盗にあったときも、盗られずに逃げおおせた指輪である。それを自分のうちでなくしてしまうというのは、何とも情けない。
妻には陳謝。逆に「じゃあ、このさい買い換えよう!」と喜ばれて、ちょっと複雑である。
2004年1月23日 (金)
■歩案彼
必要があって、フランスの大数学者ポアンカレの名前をメールで打つことがあった。変換で出てきたのが「歩案彼」。思わず、19世紀パリの街路を歩きながら思索にふける数学者の姿がまぶたに浮かんだ。
とっさの誤変換にしては、なかなか気が利いた字を当てたもんだね>ATOK君。
2004年1月22日 (木)
■いつの日か、言語権
「ろう者が話す手話は、固有の文法を備えた自然言語である」
「ろう者たちは独自の慣習や価値観などの文化をもっている」こうした事実は、最近少しずつ知られるようになった。
「ろう者の手話を国家の公用語として憲法で規定しよう」
「ろう者が手話で教育・研究を行う総合大学、大学院、学会が必要だ」これらの主張も、すでにいくつかの国で実現している。
でも、そうした指摘も主張も、大多数のマジョリティ聴者にはちっとも届いていない。そのことを思い知らされた事件。→[朝日投書事件のてんまつ]
「ろう者は慈善の対象として軽く扱うもの」そういう大多数の思い込みが、今なお身の回りにふつうに漂っている感じがする。でもね、ろう者はボランティアの付属品じゃないんだからさ。
言語的少数者として尊重される権利を。生活のあらゆる場面で手話を行使する権利を。ろう者は自らの「言語権」を明快に主張し始めている。
「ろう者の言語権および人権の侵害に対決することを決議する」
(世界ろう者会議大会決議、モントリオール、2003年)「ねえ、昔は手話は言語だと思われてなかったの?」
「ろう者に言語権がなかったの? どうして?」新しい世代からそう言われるようになる時代は、きっと来るだろう。
2004年1月19日 (月)
■龍馬、享年32
最近本屋でやたら平積みになっている幕末本を立ち読み。坂本龍馬が殺された時、32歳だったと知った。え。32歳=今の私だよ(汗)
「英雄が若くして偉業を成し遂げた」という話はよくあるし、だいたいは「人生のペースなんて、人によりけりやろー^^」などと適当に聞き流す。
でも、この歳で人生終了? 龍馬の32年の濃さに比べ、私の32年はちょっと薄すぎやしないか、という気もしないではない。
今後、年を食うごとに、そういうのがどんどん増えていくのかもしれません。
2004年1月18日 (日)
■新選組がやってきた
京都の街中に新選組があふれている。京都駅では新選組の企画写真展に「新選組ゆかりの地」パンフレット。本屋には関連本がずらり。香取クンのポスターもあちこちに。商店街は「誠」の旗を林立させ、お土産屋さんの最前列は「近藤・土方グッズ」に占領された。京都市長も菊川玲らを招いて一イベント打ったみたい。もちろん、すべては大河ドラマ「新選組!」に連動した現象である。
「新選組は京都にあるもの」というのは、半分は合っているが、半分は幻想だ。こういうことのきっかけは、むしろ京都の外からやってくる。
こうやって外から価値を与えられて生き延びてきた都市なんでしょう、京都というのは。
2004年1月17日 (土)
■水槽にお正月
研究室で金魚を2尾飼っている。名前は金(キム)兄弟。エサのやりすぎでぷくぷくと肥えてしまい、今やほとんど「赤いフナ」である。
連日の〆切などが一段落つき、時間ができたので、久しぶりに水槽の大掃除をしてやった。水槽にもようやくお正月が来ました。
2004年1月16日 (金)
■ドアを閉めます
非常勤の大学に出かけるため、電車に乗ったときのこと。駅のアナウンスにちょっと驚いた。「ご注意ください。ドアを閉めます」へえ。つい最近までは「ドアが閉まりまーす」と、どこか他人まかせの自動詞だったのに。「閉めます」とは、またえらく強気に宣告するもんだね。駆け込み乗車をやめない乗客どもに、JRもついにキレてしまったんでしょうか。
日本手話に翻訳すると、もっとはっきりする。
「ドアが閉まります」=/閉まる/+ドアを指さす
「ドアを閉めます」 =/閉まる/+自分を指さすおお、こっちの言語だと、一人称がはっきり出ますね。
(ろう者の方や手話をご存じの方は、ご自分でやってみてください)
2004年1月14日 (水)
■本の体積
本を買うときに何を見て決めるか。まず内容、次に値段。そして最近もう一つ考えるのが、本の体積。おもしろそうで値段が手頃でも、やたら分厚い本の場合は、買うのをためらってしまうことがある。研究室の場所は一種の資源だ。分厚い本をぎゅうぎゅう詰め込んだら、本棚が死んでしまって、結局効率が悪くなるから。
東京出張ついでに神田の本の町へ行ったけれど、今回はかなり控えました。
2004年1月13日 (火)
■リンゴの聖地へ
連休に所用で東京へ行っていた。ついでに寄って来ました、Apple Store, Ginza。日本で唯一のApple社直営店である。私は8年前に初めてPCのキーボードに触れて以来、一貫してマックユーザー。考えて選んだというよりも、出会いがそれだったし、そのままなじんで抜けられない。どこか言語と似てますね。
お店のスタイルは、銀色の外壁といい透明なエレベータといい、一言で言えば「巨大なパワーブックの中に入り込んだような感じ」。Apple社らしい凝りようである。休日、多くのファンやファンでない人たちがつめかけていた。店員も接客に忙しい。
店員A「実は私も、数ヶ月前までWindowsユーザーだったんです」
客 「ふむ…」
店員A「でもMacに変えてみたら、やっぱりぜんぜん違うんですよね!」まるで宗教の勧誘みたいだね。似たような境遇にいた人の話に、人はつられやすいから。今やリンゴの聖地に仕える身、すっかり解脱の境地なんでしょうか。
傍らで聞いてて笑っていたら、別の店員に見つかった。
店員B「おや、ニコニコと。楽しんでいただいてますか?(スマイル)」
私 「ええ、いろいろと(笑)」物もインテリアもおもしろいけれど、やっぱり一番おもしろいのは人間だった。
2004年1月8日 (木)
■祈願の責任割合
初詣での祈願。はて、うまくいったらそれでいいが、失敗したときはどっちの責任になるのだろう。自分の努力不足? それとも神様の力不足?そんなことを思ったきっかけは、お札。こちらは、お賽銭入れて後は任せたつもりだったが、もらった札には「勧学札」と書いてあった。あれ、逆に学を勧められてしまったよ。学問の神様は「万事OK」とは言ってくれないわけか。
…と、実に責任割合のはっきりしない契約ですが、だからこそ、こっちも適当な高望みをすることができるのでしょう。そうでなかったら、ただの年間計画表になってしまって、おもしろくも何ともないだろうし。
2004年1月7日 (水)
■初詣
元旦の初詣は、天満宮に行った。今年はずばり「就職祈願」。大学に採用されたいのだから、商売繁盛のえべっさんよりは、たぶん学問の神様の管轄になるんでしょう。今年はさっそく「ロースクール合格祈願」という絵馬も登場した。神様もいろいろ業務が増えて大変なことだ。まあ、少子化の時代ですしね。サービス多様化も大事でしょう。
というわけで、就職斡旋の方も、どうかよろしゅおたのもうします>菅原道真殿
2004年1月5日 (月)
■初仕事
新年明けましておめでとうございます。…とのんびり正月気分にひたる間もなく、正月はうちでひたすら仕事ばかりしていた。
今年の初仕事は、夕方の時間ギリギリに自転車をすっ飛ばし、郵便局に滑り込むこと。何とか〆切を二つ処理した。明日もこんな〆切が続く模様。まさしく貧乏ひまなし。まったく、初日からこんなことでは、これからの一年が思いやられます。
ともあれ、こんな感じで始動しました。本年もどうかよろしくお願いいたします。
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