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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2004年2月

日本語 / English / Français
最終更新: 2004年2月29日
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■ハムスターの車輪 (2004/02/29)
■注文の多い喫茶店 (2004/02/28)
■牛丼人類学 (9) 付記 (2004/02/21)
■牛丼人類学 (8) 章末問題 (2004/02/20)
■牛丼人類学 (7) 考察: 一般仮説へ (2004/02/19)
■牛丼人類学 (6) 批判的人類学 (2004/02/18)
■牛丼人類学 (5) 象徴人類学 (2004/02/17)
■牛丼人類学 (4) 構造主義 (2004/02/16)
■牛丼人類学 (3) 構造機能主義 (2004/02/15)
■牛丼人類学 (2) 機能主義 (2004/02/14)
■牛丼人類学 (1) 問題提起 (2004/02/13)
■たかが牛丼、されど (2004/02/12)
■ヒュー・グラント (2004/02/11)
■幸福の青い書庫 (2004/02/10)
■寝台列車に揺られて (2004/02/09)
■期日前投票 (2004/02/07)
■恵方は東北東 (2004/02/04)
■太巻きの断面 (2004/02/03)
■牛歩公聴会 (2004/02/02)
■ある新兵の悩み (2004/02/01)


2004年2月29日 (日)

■ハムスターの車輪

脱稿【だっこう】
(1) 原稿を完成させること。(2) 原稿を提出した直後の脱力状態のこと。

最近の私の執筆スタイルでは、アイディアのメモからほぼ完成にいたるまで、紙を使わずに画面の中で済ますことが多い。

ところが、脱稿の直前だけは、どうしても大量の紙がいる。原稿を紙に刷ってみて、文章の映え具合を眺めてみる。流れるように読めればよし。視線がつっかえるようであればアウト。

こうしてエンドレスの推敲作業が始まる。刷って、見て、字句を直す。また刷って、見て、直す。この循環である。赤ペンを握りしめながら、プリンタとPCの間をうろうろと行き来する。ちょうどハムスターが車輪の中をいつまでもくるくると回っているように。どこまでいっても解脱できない無限地獄。反故紙ばかりがむなしく積み上がる。

脱稿とは、あきらめの別名なのだろう。車輪から降りることを自ら選んだとき、どこか割り切れない解放がおとずれる。

今月の脱稿、3件。もう次の車輪が回り始めている。


2004年2月28日 (土)

■注文の多い喫茶店

「こちらでは勉強はしていただけませんが、よろしかったでしょうかぁー

ある日曜の昼下がり、カフェでコーヒーを頼んだら、こんなふうに言われた。

「はい?」
「勉強はしていただけませんが、よろしかったでしょうかぁー

つまり、日曜は店が混むから、長時間居座るのはやめてくれ、ということか。

それにしたって、同じセリフで何度も繰り返し聞くかねえ。「同意しなければコーヒーは出てきません」という感じである。

こういう硬直した接客については、一種の自動販売機だと思うことにしているから、私はもちろん「ええ、かまいません」と答えた。そうしたら、コーヒーが出てきた。

とは言え、もともと本を読もうと思って入った店である。長居したことは言うまでもない。だいいち店はガラガラだったのだ。かのバイト君も、別に何も言いに来なかった。やっぱり自動販売機だったのだ。


2004年2月21日 (土)

■牛丼人類学 (9) 付記

職業柄(^^;)、いちおう以下の点だけ付記します。

【牛丼人類学: 使用上の注意】
  • これは仮説群であり、実証されていません。事実として引用しないでください。
  • とくに、レポートなどに安易に引き写してはいけません。>学生諸君
  • 自由研究をしたいなら、ちゃんと「牛丼狂想曲」現象を定義し、実地調査するように。

【謝辞】

全国の牛丼屋に押し寄せたみなさま。ネタをありがとう。
経団連の奥田さんも。ネタをありがとう(笑)。
読んでくださった方々、専門家としてコメントくださった各位にも。

さて、そろそろ牛丼が食べたくなってきましたね。自分で作るとしましょうか。

[牛丼人類学・終]


2004年2月20日 (金)

■牛丼人類学 (8) 章末問題

復習のための章末問題。各自でどうぞ(賞品はありません^^;)。

【牛丼人類学: 章末問題】関係の深い事項どうしを線で結びなさい。
  
機能主義・・なじみの店・・「最後の牛丼、撮る?」
構造機能主義・・あと一日限り!・・「どうだ、うまいだろ。な?」
構造主義・・感動の見納め・・「マスコミって騒ぎすぎ」
象徴人類学・・家族サービス・・「安い、うまい、早い」
批判的人類学・・一杯660kcal・・「今さらマクドなんか。なあ」
[つづく]


2004年2月19日 (木)

■牛丼人類学 (7) 考察: 一般仮説へ

まとめよう。「牛丼狂騒曲」現象に認められた要素に基づいて、ここに一般仮説を提示する。

【牛丼人類学の一般仮説】「『牛丼狂騒曲』には少なくとも三種類の異なる客層がいた」
  • 牛丼会社とマスメディアが「牛丼終了劇」の全体的な絵を描いた (6)
  • 少なくとも三種類の客層があり、それぞれ異なる動機を持っていた
     (1) 常連客は、アイデンティティを確かめるために訪れた (4)
     (2) ミーハーな客(私のような)は「最後の一杯」の祝祭性を追いかけた (5)
     (3) 家族などの小集団は、その非日常性を社会構造の維持に利用した (3)
  • どの人も牛丼の機能性を認め、それを直接的な動機とした (2)

    [(カッコ) はそれについて触れた節]

後は、実証するだけです。大規模な聞き取り調査をすれば分かること。
(どなたか、卒論でやりませんか?)

ところで、シリーズ冒頭に紹介した「単純な国民=日本人」(1) などというのは、どこにもいなかった。大がかりに起こった現象でも、現場には思慮深く行動する人々がいる。しかも、どの要素も日本特有ではなく、人間社会であればどこでも起こりうることだ。

例の財界の人には、「人類学」レポートの再提出を命じることにしよう。

[つづく]


2004年2月18日 (水)

■牛丼人類学 (6) 批判的人類学

【批判的人類学仮説】「『牛丼狂騒曲』はつくられた」

[キーワード]批判的人類学、報道、扇動、操作、偏向、ねつ造

[気持ちを一言で]「何か、裏があるんちゃうか?」

「『牛丼狂騒曲』には人為的な操作が含まれていた」系の諸説

マスメディアが大きく報道し、人々の消費行動をあおった(消費扇動説)。牛丼屋が休日に合わせて販売を停止した(停止日操作説)。単につられて並んだ人々を「最後を惜しむ牛丼ファン」として報道した(情報操作説)。

「『牛丼狂騒曲』は存在しなかった」系の諸説

いつも混んでいる店のピーク時だけを取材して、大きく流した(偏向取材説)。行列は、報道のやらせか、社員のサクラだった(ねつ造説)。

【長所】この諸説の長所は、用心深いこと。さまざまな要素をあまさず検討することができる。

実際、マスメディアや牛丼会社が社会現象を計算に入れ、うまく演出した側面も多少はあったでしょうね。販売停止日のことは、メディアも大きく取り上げたし。各社の停止日も、2/11祝(吉野家)、2/15日(松屋=のちに前倒し)と、休日に客を動員しようとした苦心の跡がうかがえる。

【短所】一方、この諸説の短所は、すぐに悪者探しをすること。どの説にも、どこか巨悪の陰謀のにおいが漂っていて、ふつうに「牛丼食いたいなー」と思って並んだ人々の気持ちや存在を吹き飛ばしてしまう。だから、ここでは、ほどほどにしておきましょう。

[つづく]


2004年2月17日 (火)

■牛丼人類学 (5) 象徴人類学

【象徴人類学仮説】「人々は『最後の一杯』という象徴に込められた意味を求めていた」

[キーワード]象徴人類学、意味、歴史意識、祝祭性、経験の身体化、歴史の目撃者

[気持ちを一言で]「こうやって食べられるのも、この一杯で最後だね…」

人々は牛丼ではなく<意味>を食べに来た。最後の一杯とは「牛丼時代の終焉」の象徴だ。それを食べることで、各々の牛丼時代の経験を体に刻み込もうとした(象徴人類学=経験の身体化説)。または、終焉の象徴を食べることで、歴史の転換点に立ち会う目撃者であろうとした(象徴人類学=歴史の目撃者説)。

【長所】この説の長所は「最後だから格別!」という心境をうまく説明できること。いつもと同じマニュアル牛丼が、なぜ今日だけは格別なのか。そこに「牛丼時代の終焉/歴史の転換」という特別の意味=祝祭性=が付与されているからだ。

客たちは、「最後の牛丼」体験を後でうれしげに人に語るだろう。満たされたのは胃袋ではなく、意味を求める人々の歴史意識なのだった。「吉野家の次は松屋へ」と、あくまで牛丼の終焉を求め続けた人々の行動は、これで理解できる。

【短所】一方、短所は。なぜこれほど多くの人々が、牛丼の最後を実感したがったのかを説明できないこと。もともと消費者が多かったのは事実だとしても、たかだか一個のメニューが、歴史の転換点みたいな巨大な<意味>にふくれあがってしまったのはなぜなのか。

[つづく]


2004年2月16日 (月)

■牛丼人類学 (4) 構造主義

【構造主義仮説】「多くの人が牛丼屋に帰属意識を持っていた」

[キーワード]構造主義、帰属意識、関係、トーテム、アイデンティティ

[気持ちを一言で]「いつもの店の、あの大盛とともに歩んできた私の人生…」

客たちが求めていたものは、味でもなければ友だち関係の強化でもない。毎日牛丼と280円を交換し、なか卯や松屋との差異を意識する中でつちかわれた<関係>であり、あのオレンジ色の店への強い帰属意識であった(構造主義=吉野家トーテム説)。吉野家最後の日に店を訪れたサラリーマンたちは、自らのアイデンティティの危機を、最後の牛肉とともにかみしめていたのだ。

【長所】この説の長所は、一人常連客の行動をうまく説明できること。「無くなってさびしい」「いつも来てたのに…明日からどうしよう」とつぶやく固定ファンたちの心境を、的確に言い当てている。販売中止後も、交通費をかけて競馬場の650円の牛丼を食べにいく「吉野家ファン」たちの行動は、構造主義においてこそ理解することができる。

【短所】一方、短所は「吉野家終了後、人々が松屋に殺到した」という現象を説明できないことだ。店への帰属意識が大事だったら、対立トーテムの松屋に流れてはいけないはずである。

それとも、店に関わらず牛丼そのものへの帰属意識をもつ「牛丼一般アイデンティティ」派が多かったのだろうか(構造主義=牛丼一般トーテム説)。

[つづく]


2004年2月15日 (日)

■牛丼人類学 (3) 構造機能主義

【構造機能主義仮説】「『最後の牛丼』は小集団の社会構造維持に役立った」

[キーワード]構造機能主義、小集団、社会構造、非日常性、社会統合、威信獲得

[気持ちを一言で]「な、最後だし、ちょっと行ってみるか。おごるよ」

職場の同僚、学校の友人、カップルらが連れだって行き、非日常的なできごとに一緒に立ち会うことで、メンバー間の親和性を高めることができた(構造機能主義=社会統合説)。また、たとえば家族連れの父親や母親がこどもたちに牛丼をふるまうことで、家庭内における威信を獲得した(構造機能主義=威信獲得説)。

【長所】この説の長所は、小集団のノリをよく反映していること。何せ、ニュースでもちきりの身近な話題だし、しかも、こんなことはそうめったには起こらない。「なあ、最後だし行かへんか」「おごるよ」「よし、今日だけは特別に、大盛に卵も付けていいぞ」などと、非日常性を利用して、何らかの社会的効果を引き出そうとした人は多かっただろう。実際、そのように盛り上がる家族らは、ニュースのネタになっていた。

【短所】一方、短所は、一人客の行動を説明できないこと。「いつもの大盛と漬物」を一人静かに食べ終え、看板をしげしげと見上げながら帰っていった男性 (50) の行動は、このような集団のノリとは無縁である。

[つづく]


2004年2月14日 (土)

■牛丼人類学 (2) 機能主義

【機能主義仮説】「人々は牛丼そのものに何らかの機能を求めていた」

[キーワード]機能主義、牛丼の機能、栄養、味覚、価格

[気持ちを一言で]「やっぱ、牛丼はいいよね、安くてうまいし」

牛丼は栄養価が高いので、人々がこぞって求めた(機能主義=牛丼栄養説)。あるいは、牛丼がうまいので、みな駆けつけて味わった(機能主義=牛丼味覚説)。また、牛丼は安いので好まれた(機能主義=牛丼価格説)。

【長所】この説の長所は、個人の直接的動機をよく表していること。客にインタビューすれば、だいたいこんな答えが返ってくるはず。「昼はいつも牛丼で元気付けます」「おいしいから」「安くてよかったのに」。少なくとも、牛丼が嫌いな人は店に行かないでしょう。

【短所】一方、短所は、それでは説明が付かない現象が多すぎること。牛丼以外にも、栄養価の高い食品はいくらでもある。どうしても牛丼が好きならば、自分で作る方法だってある。むしろその方が安いかも知れない。

もちろん牛丼の機能は重要だ。しかし、多くの人が同じ日にぞろぞろと牛丼屋に向かった理由としては、弱い。

[つづく]


2004年2月13日 (金)

■牛丼人類学 (1) 問題提起

「人々はなぜ牛丼屋に並んだのか」

全国で同時多発した「牛丼狂騒曲」(河北新報社による命名)。牛肉在庫切れのため、牛丼屋各社が牛丼販売を停止する直前、人々が「食べ納め」のために牛丼屋に殺到した。

これについて、財界のある偉いさんは、皮肉ってこう述べたそうである。

「(牛丼がなくても)死ぬわけでない。
 日本人は右から左へ早くふれやすい、単純な国民だと感じた」

はて。本当に「単純な国民」だから牛丼屋に並んだのだろうか。

いや、現場ではもっといろんなことが起こり、人々の胸にはいろんな思いが去来していたはずだ。こんなことを言い放つ人の発想こそ、あまりに単純ではないか。

発憤した人類学者は、さまざまな仮説を立てながら、この「牛丼狂想曲」現象を分析してみることにしました。

シリーズ「牛丼人類学:人々はなぜ牛丼屋に並んだのか」。まずは機能主義仮説から見てまいりましょう。

[つづく]


2004年2月12日 (木)

■たかが牛丼、されど

吉野家が全国で一斉に牛丼販売を停止。ついにこの日が来た。

昨日一日、最後の牛丼をめぐっていろんなことが起こったようです。「最後の一杯」を求めて30m行列ができたり、牛丼を食べられないことに腹を立てた客が暴力事件を起こしたり(今朝の各紙)。いやはや、熱烈な支持層に囲まれて、吉野家は幸せ者だ。

新聞記者は、各地で「ラストの一品」を手に入れた客の喜びの声と、すんでの所で逃した客の無念の声を、両方キャッチして記事にした。さすがは取材のプロ。こういうネタさばきは鮮やかです。

人類学者も、ちょっと現地調査に行ってまいります。>昼ごはん


2004年2月11日 (水)

■ヒュー・グラント

「亀井さんて、ヒュー・グラントに似てますね」

ある知人の方からそう言われた。イギリスの俳優。はて、似てるのかねえ。自分では分からないから、つれ合いに写真を見せてみた。→[ヒュー・グラントの顔]

私「ヒュー・グラント。似てる?」
妻「似てる!」
私「どこが」
妻「顔が細い。あごが長い。目がたれ目。でも鼻だけは違う」
私「どうせ低いわい(怒)」

彼主演の映画を見た。情けない首相の役だった。自分に似た人だと思って見ているから、ドジなことをしないかとハラハラする。こんな映画の見方は初めてだ。

実は行動もちょっと似ているらしいのです。もし見た方がいたら、ぜひご感想を。

「ラブ・アクチュアリー」


2004年2月10日 (火)

■幸福の青い書庫

東京のとある大学図書館に、蔵書のことで問い合わせた。電話で司書さんと話。

私「アフリカ関係の蔵書は、いろいろあるのでしょうか」
司「ええ、ありますよ」
私「閲覧できますか」
司「はい。でも、たぶん京大の方が多いと思います」
私「え?」
司「私どもも、アフリカセンターからときどきお借りしてますから」

本当の幸せは、実はすぐ近くにあったのですね(^^;


2004年2月9日 (月)

■寝台列車に揺られて

先日、東京出張で、何年ぶりかに夜行の寝台列車に乗った。これはよかった。

がったん、と大きく一揺れして出発。ガタンゴトンという音と振動の中、寝台に寝そべっていると、「巨大な機械に乗って遠い所へ向かっている」ということを、体が思い出す。

最近の新幹線は、どんどんスマートになっていく。振動は減り、時間は短縮され、車内販売から何からサービス満載で、小ぎれいだ。「仕事の合間にカフェで一休み」に近い感覚で過ごせるので、「移動すること」のダイナミズムを忘れていく。いや、むしろ忘れられるようにデザインされているのだろう。

自分の体の小ささを思い出すためにも、たまには一晩時間をとって、寝台列車でガタゴトと行くのもいいもんです。

え、帰り? 帰りは新幹線に乗りました。貧乏、暇ないんです。


2004年2月7日 (土)

■期日前投票

「期日前投票」に行ってきた。つまり「不在者投票」のことだが、今回から呼び名が変わったらしい。違いは何だろう。

【不在者投票】
 =「本当は当日にいないおまえが悪いのだぞ。ま、便宜をはかってやらないでもないが」

【期日前投票】
 =「前でもいいですよ、どうぞ好きなときにおこしください」

たかが言い換えだが、雰囲気が変わるから不思議なものだ。

役所に行ったら、実は手続きも簡単になっていた。二重封筒に入れたりしなくていい。書類一枚出して、あとはふつうに投票箱に入れるだけ。わがままな有権者を、何とか投票行動につなぎ止めようという一つの工夫なのでしょう。

だったらさ。はじめから「投票期間は2週間」と宣伝すればいいんじゃない? そうしたら心理的な負担はゼロになる。

選挙運動の戦略も変わるだろうね。「気が変わらないうちに早く投票させた者勝ち」ルールになるから、序盤戦が命。候補者が役所までの送迎サービスを始めたりして。うん、スピード感が増しておもしろくなるかもしれません。


2004年2月4日 (水)

■恵方は東北東

節分の太巻き。恵方(えほう=その年のよい方角)を向きながら、丸々一本を食べれば、運がめぐってくるという。今年の恵方は東北東だった。

太巻きは、無言で食べ終わらないといけない。うちでは? もちろん「手話禁止」で食べました。

金魚にも節分のおすそわけ。水槽の東北東の角から、ごちそうの赤虫を入れてやった。こら、ばしゃばしゃ騒がずに、黙って食べなさい。


2004年2月3日 (火)

■太巻きの断面

今日は節分。というわけで、太巻きを買いに行った。

節分の長い太巻きがずらっと並んでいるが、気になるのが中身。どんな具がどのくらい入っているのか、横から見ていてもなかなか分からない。

ところが、今日行ったお店で見たのが「太巻きの断面みほん」。見本として太巻きを一本切り、断面が見えるように置いてあった。

みんなが知りたがっていることを、説明なしに一目で表現、あざやかに疑問を解消。うん、プレゼン技術としては秀逸だった。


2004年2月2日 (月)

■牛歩公聴会

年度末のこの時期、大学院では論文公聴会や発表会が相次いで開かれる。

実りある議論だったらいいけれど、抽象的なコメントが長々と続くのは、聞いてて疲れますね。国会質疑じゃないんだからさ。

発表者の方も、いっそ国会にならって、コメント封鎖のための牛歩戦術をやったらどうだろう。

「はじめに…」

(10分経過)

「本発表の目的を…述べます」

(5分経過)

 ちーん♪(鉦)

…時間終了で退場か。やっぱりやめよう。


2004年2月1日 (日)

■ある新兵の悩み

昨晩、夢を見た。私は、一人の新兵として戦場にいた。

私の任務は「爆撃機でチョコレートをばらまくこと」だった。私の上官が、実は反戦思想の持ち主。爆弾をチョコレートにすり替えることで、一つの意思表示をするのだと言う。

私の同僚は憤っていた。
「何が意思表示だ。何を落とすのも勝手に決めていて、気が変わればまた爆弾に戻すんだろう。そんなのはナンセンスだ」

私はぼんやり聞いていた。彼の主張は正しい。でも、同じ落とすなら爆弾よりチョコレートの方がはるかにマシだよな。戦場にそういうことがあってもいいんじゃないかなあ…などと思いながら。

そのへんで、目が覚めた。



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