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亀井伸孝の研究室: ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2004年3月

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■帝大カイタイの日に (2004/03/31)
■最強の車いす使用者、暗殺さる (2004/03/27)
■「白い巨塔」の構造分析 (2004/03/26)
■大学教授が偉かったころ (2004/03/25)
■手話を学ぶ聴者俳優たちに思う (2004/03/24)
■障害者モノはなぜ流行る (2004/03/23)
■人類学者、目覚まし時計に向き合う (2004/03/20)
■フィールドワーカーたちの40年 (2004/03/19)
■エンパワメント (2004/03/18)
■バーチャル・ドッペルゲンガー (2004/03/17)
■待つ身はつらい (2004/03/16)
■イギリス人の英語学者 (2004/03/15)
■「援助慣れ」の虚実 (2004/03/13)
■夢で会ったフォスター (2004/03/12)
■「誠」の看板 (2004/03/11)
■宿敵の酒 (2004/03/10)
■年度末の道路工事 (2004/03/09)
■韓国日記2004 (3) 板門店ツアー (2004/03/08)
■韓国日記2004 (2) ソウルの地下鉄 (2004/03/07)
■韓国日記2004 (1) ろう者たちの韓国 (2004/03/06)


2004年3月31日 (水)

■帝大カイタイの日に

「帝大解体」というスローガンが、大昔の学生運動の中で叫ばれていた。私が学部学生だった1990年代初頭には、そんな落書きもまだ時々学内で見かけたように思う。

さて、国立大学も今日で終わり。近ごろパトロンの文科省がつれないもんだから、大学はこぞって有力企業に群がり始めた。財界の方も知識・技術・人材を求めて大学に押し寄せてくる。かくして、帝大が解体されないまま、資本に切り売りされていく時代が到来した。これがほんとの「帝大買いたい」。

…などとくだらないことを言っている間に、私は京都大学を去ることになりました。法人化された大学を観察して日記を書くことができないのが、少し残念。

新しい所属先の大学で、ジンルイとアフリカについてさらに学び、まったりと考えていきたいと思います。模様替えしたサイトで日記を再開する日まで、しばしの間ごきげんよう。さようなら。


2004年3月27日 (土)

■最強の車いす使用者、暗殺さる

パレスチナのイスラム組織ハマスの指導者、アハメド・ヤシン師。3月22日、イスラエル軍によるミサイル攻撃で爆殺された。彼は車いす使用者だった。車いすだからどうこう言うというのも変かもしれないが、何となくそのことを記憶にとどめておきたい気がした。

イスラエル占領下のパレスチナにおいて、彼の車いすの両輪は、一体どんな地獄の道を駆け抜けてきたのだろうか。移動に常に介助を必要とする身体で、幾度も謀略の危機をすり抜け、重武装国家イスラエルの心胆を寒からしめる抵抗組織をいかに作り上げてきたのだろう。

テレビ局も、お涙ちょうだい系の半端な障害者ドラマなど作っている暇があったら、ヤシン師の生涯を徹底的に追いかけるドキュメンタリーでも作ってみたらどうだろうか。

殺害現場には、ミサイルで破壊された車いすの車輪が残されていた。彼の両輪の軌跡はここで終わった。車いす使用者の生を「愛と感動」の物語に仕立てることを許さない、ぎらついた生と死の光景がそこにあった。


2004年3月26日 (金)

■「白い巨塔」の構造分析

主役である二人の医師(財前と里見)には、いろんな二項対立が重ねられている。思いつく限り書き出してみた。
【財前五郎】
【里見脩二】
(専門)
外科
内科
(医療観)
手術
対話
(患者観)
3,000の症例
個々の人生
(志向)
権力と名声
正義と人道
(進路)
大学教授
民間病院
(裁判)
大学側
遺族側
(タバコ)
喫煙
非喫煙
(姓)
音読み
訓読み
(氏名)
濁音多い
濁音少ない
(頭文字)
「財」
「里」
(顔)
つり目 (唐沢)
たれ目 (江口)
(髪型)
てかてか
ぼっさり

縦に見ていけば、お互い脈絡のない事項ばかり。
・外科=権力=大学教授=音読み=てかてか=…
・内科=正義=民間病院=訓読み=ぼっさり=…
などと、論理的につながっているわけでは全然ない。

でも、いろんな対立を無造作に重ね合わせると、全体として
【ゴリッとした財前】:【ホンワカした里見】
という一大対立があるような気がしてくるから面白い。

私たち見る側が思考停止しやすい作りになっているな、と思った。悪い意味ではない。ドラマを見るときくらいは、思考停止してのんびりと楽しみたいものだから。


2004年3月25日 (木)

■大学教授が偉かったころ

ドラマ「白い巨塔」。シリーズ中は見ていなかったので、短く編集された「特別編」だけ見た。思ったのは「昔の国立大学の教授って偉かったんだなぁ」ということ。

そんな国立大学もこの春で法人化され、大学病院も自力で経営しなければならなくなる。アカデミズムと権威から、サービスと利潤へ。教授個人の権力よりも外部の財界の方が、大学経営に強く関わるようになる時代がくることだろう。

そのうち「白い巨塔」が、一種の時代劇としてリメイクされる日が来るかもしれません。


2004年3月24日 (水)

■手話を学ぶ聴者俳優たちに思う

春から始まる手話ドラマのために、いま俳優たちが手話の練習をしているんだそうだ。それを聞いただけで、まあムリだろうな、と思う。

手話会話が、ちょっとの訓練でできるようになるとは思えない。手話は日本語とは別の言語だし、視線、表情、身のこなし、ひとつひとつに手話話者のやり方がある。日本語の方言指導とはわけが違うのである。こういう時、なぜろう者の俳優を起用しないんだろう。ろう者のプロの役者は何人もいるんだから。

昔々のアメリカ映画での話。白人の俳優が肌を黒塗りにして、黒人の役をしていた時代があったという。今ふり返れば笑いものだ。「手話を知らない聴者がろう者役をやる」というのは、それと同じくらい滑稽な姿に見えるのである。

将来、笑いものにされる覚悟はできていますか?>テレビ局各位

「テレビ: 妻夫木聡、手話を特訓中--TBS『オレンジデイズ』 (『毎日新聞』2004年3月23日)


2004年3月23日 (火)

■障害者モノはなぜ流行る

この春、障害者をテーマにしたドラマが続出するらしい。聴覚障害・手話モノも含まれている。ああ、またか…。

なぜ多くの人々が、こういうものを好んで見るのかなあ。ろう者と一緒に暮らしている私には理解できない。

「弱い人ががんばっている姿を見て、自分もがんばれそうな気がします」ですって? 一体この人たちのどこが弱いんでしょうか。教えてほしいよ(苦笑)。

がんばりたいなら、それぞれが自分の目標を持ってがんばったらよいことだ。他人への誤解を踏み台にして勇気づけられたり、勝手に癒されたりするような風潮は、もうそろそろやめませんか。

「春の連ドラ ハンデと向き合う主人公」 (『読売新聞』2004年3月23日)


2004年3月20日 (土)

■人類学者、目覚まし時計に向き合う

朝、目覚まし時計が鳴っても、すぐ止めて寝てしまうという悪癖がある。

ある朝、いつものように時計を止めようと手を伸ばした時、寝ぼけた頭の中を、ひとつの直感がよぎった。

(今朝も、目覚まし時計を無視するのか)
(時計の主張に対して、見ないふりをするつもりか)
(当事者に向き合いもせず、お前はそれでも人類学者か)

人類学者としての良心が、やおら私を責め始めたのである。

そうだな、じゃあ、ちょっと時計さんの話を聞いてみるか…。ぐっとがまんして音を聞き、身を震わせて意思表示する(=振動している)時計さんの主張を受け止めてみた。

そうしたら、起きることができた。


2004年3月19日 (金)

■フィールドワーカーたちの40年

私の身近な部局で、人類学に関わる3人の教授が定年退官を迎えた。最終講義を聞いていて痛感したのは、この40年という時間の重さだ。

霊長類の文化に興味を持ってこの世界に入った研究者は、類人猿保護を訴える国際的な活動家となって退官した。

世界各地の霊長類の社会と生態を調査してきた研究者は、森林減少と生物種の絶滅に関するコメントで講義を終えた。

アフリカ狩猟採集民と共に暮らし、学び続けてきた研究者は、かつての狩猟採集民たちが強制移住先で年金と配給に頼って暮らしている様子をスライドで映した。

三者三様でありながら、彼らがこの道に入門してから退官を迎えるまでの40年とは、生物種や森林生態系、伝統的生活様式など、フィールドワークの対象そのものが次々と消失していく過程だった。盛大な記念行事でありながらも、どこか一抹のさびしさを伴った最終講義だった。

私が同じ年になるまで30年。はたして、その時代の人類学者は、何を訴えて退官していくのだろう。


2004年3月18日 (木)

■エンパワメント

「エンパワメント empowerment」という言葉がある。

力を付けること/付けさせること。最近、国際開発・援助の世界でも「物を与えるよりも育てることへ」という雰囲気があって、よく使われているキーワード。日本語の定訳はまだないようで(※)「エンパワメント」と外来語のまま使われている。

私のパソコンは、この外来語を知らなかった。がんばって変換してくれたのが「煙波輪面と」。忍者でも育成するのか、という雰囲気が漂います。

ちなみに、アメリカ手話では「エンパワメント」を【腕の力こぶを相手に渡す】と表す。日本手話では、よい訳語ができるだろうか。

(※)調べてみたら、国立国語研究所が「能力開化」「権限付与」という訳語を提唱していました。
[説明を見る]


2004年3月17日 (水)

■バーチャル・ドッペルゲンガー

今朝、携帯に、自分のアドレスからメールが届いた。

中身は大したことない、よくあるH系の広告だった。こういうクズメールは、ふだんから届くことがあるし、即刻消して忘れてしまえばいいだけのことなんだが。

今回は「発信人=私自身」になっているからなあ。バーチャル空間に、自分のドッペルゲンガーがいるような感じがして、異様に後味が悪かった。


2004年3月16日 (火)

■待つ身はつらい

受験シーズンもそろそろ終わり。受験生のみなさん、おつかれさま。

まだ結果を待っている人も多いことでしょう。進路の決定を待つのは、気をもみますよね。就職活動をしている私も、同感です。

ただ、いつも驚くのは、入試というのが「大学にしてはおそろしく早く結果を出すシステム」だということ。受験して2-3週間で結果が届くというのは、実はすごいことです。

私が大学の研究・教育職に応募すると、結果が届くまで、だいたい3-4ヶ月。長いときは、半年待ったこともある。半年前の自分のことについて「不採用」とか言われても、(あはは、あの時点の私じゃ無理だよね)なんて、妙に納得してしまったり。大学行政というのは、かようにのんびりしています。

受験生のみなさんは、2週間くらい旅行にでも出かけて、ぱっと気を散らしたらいいでしょう。よくも悪くも、それで次の一歩が決まるんですから。私? 3ヶ月も4ヶ月も気を散らしていたら、何もできなくなってしまう。いつも自分の進路を保留にしながら暮らす、ということに慣れました。


2004年3月15日 (月)

■イギリス人の英語学者

とあるイギリス人の英語学者が、アフリカの言語についてこんなことを言っていたそうな。

「イギリスがアフリカに英語を与えたおかげで、アフリカの多民族が一つの国にまとまることができているんです」

支配した側がよく言うよ、まったく…

そういえば、ヨーロッパ連合は、多言語主義をとっているために、翻訳や通訳の作業にかなりの労力を費やしているんだそうですね。

いいアイディアがある。共通言語として、ヨーロッパにスワヒリ語をもたらしてあげましょう。スワヒリ語のみを公用語にして、英語やフランス語などでバラバラにやってきた非効率的な教育、出版、政治活動などを、すべて停止に追い込んであげよう。

ヨーロッパがスワヒリ語で一つにまとまれたら、君たちにとってさぞかし幸せなことでしょう。アフリカの人たちも、きっと祝辞を述べてくれるでしょうね、スワヒリ語で。


2004年3月13日 (土)

■「援助慣れ」の虚実

「援助慣れ」という言葉がある。

「アフリカ(※)の人たちは、すぐあれをくれ、これをくれって言うよね」
「援助されることに慣れてるからね。自立しないと」

 (※)は、他の地域も代入可能。

はて、本当にそうなのかなあ…というのが、私の素朴な疑問。

考えてもごらんなさい。日々ぼちぼちと暮らしているところへ、とつぜん札束を持った大金持ちが車で乗り付けて、「君らを支援してやってもいいし、しなくてもいいんだが、さて、どうしたものか」などと言い始めたら?

ダメもとで、とりあえずいろいろな要求を言ってみるのが、自然な態度ではなかろうか。もちろん、車が走り去ったら、ふだんの暮らしに戻るだけのこと。「援助慣れ」というよりは、「チャンスをうまく使おうとする人たち」と言った方がいい。

逆に「私は貧乏でケチです。みなさんに何もしてやれません」という姿勢で、村に入ってみたらいい。だれも何も期待しないし、逆に食べ物を恵んでくれるようになる(経験者は語る)。「援助慣れ」というのは、多分に、札束を持って押しかける側が作り出した虚像なのではないか、と私は見ている。

私たちだって、ダメもとで宝くじを買ったり、スーパーの抽選会に並んだりするではないか。それって「援助慣れ」? 同じようなものですよ、きっと。


2004年3月12日 (金)

■夢で会ったフォスター

夢で<あの人>に会った。

アンドリュー・フォスター。アフリカ系アメリカ人のろう者で、アフリカでろう教育を普及させた功労者。私が研究対象としている歴史上の人物である。私は、これまで彼の写真を何十枚と見たが、生きて動いている姿を見たことはない。彼は17年前に航空機事故で亡くなっているからである。

そのフォスターが、夢に現れた。アフリカのこどもたちと一緒に教室にいたのだ。もちろん私は感激した。その様子を取材し、写真を撮り、そして話しかけた。

「後の世で、あなたは偉人として称えられているんですよ。ほら、本も出ているんです」
フォスターの偉人伝をめくって見せてやった。

彼は自分で本を手に取り、末尾のページを開けた。そこには、彼自身がやがて航空機墜落事故で世を去るくだりが記されていた。

(あ、しまった…)

静かにページを見つめるフォスター。軽はずみな人類学者は後悔したが、もう遅かった。

そのへんで、目が覚めた。


2004年3月11日 (木)

■「誠」の看板

「誠」の一文字は、新選組のシンボル。

今京都に来ると、あちこちにこの漢字があふれています。「誠」の旗一色に染まってしまった商店街もある。こんなに「誠」があふれてしまったら、誠意も無くなるわな、などと、風景につっこんでみたりする。

ところで、私は、このブームとはまったく関係ない「誠」という名前のお店を知っている。

それは、大学の近くの定食屋さん。以前、立ち退きをめぐるトラブルに巻き込まれたが、頑として抵抗し、「闘う定食屋」として学生界隈で有名になった。「誠(まこと)」とは、亡くなった元店長さんの名前だったと記憶している。

そういう歴史とこだわりのある「誠」の看板が、このブームに埋もれて、新選組の便乗商法のように見られたら気の毒だなあ。黒縁メガネの無口な元店長さんと、豆腐ステーキ定食を思い出しながら、そんなことを考えた。


2004年3月10日 (水)

■宿敵の酒

大河ドラマのおかげで、京都は「新選組年」という感じ。

うちの近くに、新選組をテーマにした居酒屋までできた。期間限定の割引企画があったので、行ってみた。こちらはただの近所の住民なのだが、観光ブームに便乗すると、ちょっと得することもある。

ところで、この居酒屋には、黒伊佐錦(鹿児島)、土佐鶴(高知)など、敵側の酒ばかり置いてあった。うーん、それでいいのだろうか…

まあ、このあたりに、新選組の心の広さを感じました。


2004年3月9日 (火)

■年度末の道路工事

年度末、あちこちで道路工事を見かける。行政が予算を消化したいのでしょう。

「税金の無駄遣い」「必要のない工事」「じゃま」などと批判されることもある。まあ、それはそれでよく分かる。

ただし…と私は思う。道路工事に当てた予算を、ちゃんとその通りに使うというのは、行政の優秀さの証拠ではないか。

なけなしの予算をすべて地雷と弾薬につぎ込み、誘拐した少年少女に銃を持たせ、殺戮と略奪を繰り返す。そんな権力は世界にいくつもあるのだ。

道路工事は、確かに凡庸な風景だ。しかし、権力はこれくらい凡庸な方がありがたい。中途半端に夢を語り出す権力ほど、恐ろしいものはないからである。

世界中のすべての権力が、年度末に黙々と道路工事をするような退屈な権力であってほしい。私はむしろそう願っている。


2004年3月8日 (月)

■韓国日記2004 (3) 板門店ツアー

一日使って、板門店のツアーに参加した。ソウルから日帰りのバス旅行で、南北の軍事境界線を間近に見ることができる。

韓国兵士の随伴で、板門店の共同警備区域のある建物の中に入ったところ、「みなさんは、すでに北側に一歩入っています」と言われた。え…? 自分でも知らない内に、軍事境界線を歩いて越えていたのだった。

もちろん、それは公認の見学ルート。ただ、もしここでだれかが全速力で走り出せば、亡命と見られ、射殺の対象ともなるのだろう。そのあまりの容易さに、背筋がぞっとした。

「北側をもっともよく見渡せる」という展望台に案内された。金日成をたたえる巨大看板や、世界一高いという朝鮮の国旗掲揚台が遠くに見えたが、人の動きはまったくなかった。それは韓国側も同じことである。南北の境界線を示す杭が点々と立っているだけで、人々の暮らしの匂いがまったくしない、荒涼たる草原がどこまでも続いていた。

ふつう、国家という枠組みは、人々の暮らしと共にある。暮らしの中からわき起こったり、逆に暮らしに忍び込んだりしながら形を成すもので、だいたいはないまぜの現実があるものだ。

ここには人々がおらず、暮らしがない。凍り付いた風景の中に、むき出しの国家だけがあった。

[韓国日記2004・終]


2004年3月7日 (日)

■韓国日記2004 (2) ソウルの地下鉄

今回、もっとも異文化を強く実感したのは、朝の地下鉄でのこと。

通勤ラッシュの地下鉄に乗り込んだら、湿気と暖気でめがねが真っ白にくもるのと同時に、強い匂いがモワッと鼻を襲った。そう、キムチの匂い。朝、みんなが家で何を食べて来たのかがよく分かる。

めがねのくもりは次第に晴れたが、匂いの方はすぐには慣れなかった。鼻が慣れて気にならなくなるまでに、4駅ほどかかってしまった。

[つづく]


2004年3月6日 (土)

■韓国日記2004 (1) ろう者たちの韓国

ちょっと早めの春休みをもらうことにして、韓国に行った。妻の卒業旅行である。

韓国は今回で4度目。これだけのリピーターなのだから、少しは韓国語ができるようになってもよさそうだが、ちっともできるようにならない。現地で韓国語を話す機会がないのである。私たちの韓国人の知人のほとんどが、ろう者だから。

韓国語は覚えていないが、韓国手話は多少覚えた。そもそも、韓国手話のルーツの一つは日本手話だから、見ていてある程度内容が分かる。それに、日本手話にない単語を教わるのも楽しい。

「ビビンバ」「マンドゥ(饅頭)」「サムゲタン」「ネンミョン(冷麺)」「ムッ(ドングリの豆腐)」「餅」「ホットク(焼き饅頭)」「マッコリ(どぶろく)」「ジンロ(焼酎)」…

…気付けば、食べ物の名前の手話ばかり覚えている。

ソウルでは、たいへんな大雪に見舞われた。繁華街で飲んでいてつい夜更かしし、帰り道にタクシーが拾えず困ったが、ホテルまで何とか連れて行ってくれたのは、数年来のつきあいのあるろう者Yさんだった。

こんな風に、今回も短い滞在の間、韓国手話の会話に浸かっていた。またも韓国語を覚えずに帰ってきてしまった。

[つづく]


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