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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2004年7月

日本語 / English / Français
最終更新: 2004年7月31日
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■ベナンへ行ってきます (2004/07/31)
■クローズドキャンパス (4) だれのための手話 (2004/07/25)
■クローズドキャンパス (3) 手話通訳を付ける大学は? (2004/07/24)
■クローズドキャンパス (2) 高校生のつぶやき (2004/07/23)
■クローズドキャンパス (1) 手話のないオープンキャンパス (2004/07/22)
■近くで見た祇園祭 (7) 100万人のヒトビト (2004/07/20)
■近くで見た祇園祭 (6) 祭り明けて (2004/07/19)
■近くで見た祇園祭 (5) ヒトと金魚 (2004/07/18)
■近くで見た祇園祭 (4) 通勤者の悲哀 (2004/07/17)
■近くで見た祇園祭 (3) コンチキショウ (2004/07/16)
■近くで見た祇園祭 (2) 巨大な公園現る (2004/07/15)
■近くで見た祇園祭 (1) 浴衣の人々 (2004/07/14)
■サラリーマン製造工場 (2004/07/13)
■字幕が付くまで300年 (2004/07/12)
■COEとCEO (2004/07/02)
■関西学院大学へ (2004/07/01)


2004年7月31日 (土)

■ベナンへ行ってきます

この夏休みは、西アフリカのベナン共和国へ行ってきます。→ [地図を見る]

「ベナン Benin」。英語風に読めばベニン。日本では全般的にアフリカの国名の知名度は低いけれど、その中でもとりわけ知られていない国。

チケットを買おうと思った旅行会社でも、国名を何度も聞き返された。
「え?」「ベ…??」
本当に行けるのかどうか心配になってきました(汗)。

人口600万そこそこの小国だが、アフリカの中ではなかなか存在感を示す国だ。フランス植民地支配下では多くの黒人エリートを輩出し、「アフリカのカルチェラタン」とも呼ばれたという。

とりわけ、ろう者の世界ではかなり存在感のある国である。広大なフランス語圏西アフリカで、唯一の(と思われる)手話辞典を編纂したのが、この国のろう者たちだった。その辞典は近隣諸国のろう者たちの間にも流通している。

そんなパワフルなベナンのろう者たちに会ってきます。では、また。


2004年7月25日 (日)

■クローズドキャンパス (4) だれのための手話

これは副産物の発見。オープンキャンパスで「手話を体験してみよう!」というような企画をやっている大学がいくつもあった。

※これも興味がある方は Google で調べてみてください。キーワードは「オープンキャンパス、手話、体験」など(インターネットは便利ですね)。

「手話通訳」よりも「手話体験企画」を宣伝している大学の方が、何倍も多かった。その事実に私は目を疑ってしまった。

あのー。聞こえる高校生を集めて手話で遊ばせたりする暇があったら、まずは手話を自らの言語とするろう者の高校生を迎え入れるのが先ではないんですか。いったい、だれのための手話なんでしょう?

手話は「体験学習の素材」? いいえ、手話はろう者の言語。大学でろう者が学び、教え、働くための使用言語に手話を位置づけていくという発想の切り替えが求められている。その発想があってはじめて、ろう者にオープンなキャンパス作りが始まるのです。

[クローズドキャンパス・終]


2004年7月24日 (土)

■クローズドキャンパス (3) 手話通訳を付ける大学は?

調べちゃいました。

今年度のオープンキャンパスの広報で、手話通訳について明示している大学は、分かった範囲で全国で2つだけだった。

※検索エンジン Google により「オープンキャンパス、手話通訳」の両方の語句を含むウェブサイト109件をすべて閲覧して調査(調査日: 2004年7月20日)。

※もっとも、ネットに公開していない、またはこの検索方法にかかりにくいなどの理由で、それ以外の大学が手話通訳を用意している可能性はあります。ねんのため。

※興味のある方は、同じ方法で調べてくださいね。

しかし、たった2つですか。はー。

「もちろんウチの大学だって、問い合わせてくれれば準備しようと思ってました」
それが多くの大学の本心かもしれない。

でもね。「はじめから明示する気があるかどうか」そこが大事なんですよ。

[つづく]


2004年7月23日 (金)

■クローズドキャンパス (2) 高校生のつぶやき

ある高校生と話したことがある。彼は耳が聞こえないろう者。

高「オープンキャンパスに行ったんです」
私「手話通訳は?」
高「…ありませんでした」

要求しなかった当人が悪いのだろうか。いや、周りがそう決めつけるのは酷だろう。まだ大学に入る前の、ほんの見学の段階なのである。

(どこに通訳を求めたらいいんだろう)
(大学は取り合ってくれるだろうか)
(拒否されないだろうか)
(無理を言うやつだ、と悪印象をもたれないだろうか)

…権利を主張できる環境がまったくない状況に、ろうの高校生たちが放置されているのが実態だ。そもそも、電話番号しか書いていないポスターそのものが、大学の敷居の高さを象徴しているではないか。

[つづく]


2004年7月22日 (木)

■クローズドキャンパス (1) 手話のないオープンキャンパス

夏休み。多くの大学や短大が「オープンキャンパス」を企画している。高校生らを対象に大学の公開見学会や模擬授業を開き、将来の学生たちに大学をアピールしようとするのだ。

しかし、私はオープンキャンパスのポスターに「手話通訳の用意があります」と書いてある大学を、一度も見たことがない。

日本の大学は、足並みをそろえて、もう一つの言語集団であるろう者たちを、かたくかたくキャンパスから閉め出している。この夏も、あちこちのポスターがそのことを物語っていた。

[つづく]


2004年7月20日 (月)

■近くで見た祇園祭 (7) 100万人のヒトビト

たかだか1平方キロメートルのエリアに数日間で100万人を動員する、その現象自体のすごさを、率直にすごいと思いたい。私たちはそんなことを平気でやってのける動物なのである。

…と人類学者のイマジネーションは、「貞観11年(西暦869年)、疫病退散祈願のための祇園御霊会に発し…」というような祇園祭の能書きをあっさりとこえ、ヒトそのものの奇異さに向かっていくのだった。

来年も観察しよう。祇園祭ではなく、それに集うジンルイたちの姿を。

[近くで見た祇園祭・終]


2004年7月19日 (月)

■近くで見た祇園祭 (6) 祭り明けて

あぁ、いま祭りの期間なんだな、と実感するのは、たいてい翌朝だ。道にやたらゴミが散乱しているのである。露店の食べかすや空き缶のほか、行政や団体がまくパンフレット、チラシ、うちわなども。朝の陽の光に照らされる分、よけいにその存在がきわだって目に映る。

夜空に浮かぶ山鉾の薄暗い提灯は、祭りの雰囲気作りに役に立つ。さらに、人々がゴミを直視しなくてよいという意味でも、大いに役に立っている。多くの見物客は、夜の祭りのムードを胸にしまって家路につくだろう。翌朝、あからさまに実態を目にするのは、仕事に出かける近所の私たちである。

マナーをどうこう言って片づくような問題でもないだろう。経済効果100億などとも言われる大イベントだ。物と金と人が動けば、ゴミも出る。それが祇園祭である。

[つづく]


2004年7月18日 (日)

■近くで見た祇園祭 (5) ヒトと金魚

つれあいと一緒にぶらぶら見物に出かけた。

うちから歩いてものの五分で、山鉾の立ち並ぶ通りに出る。見渡すかぎり大通りをうめつくす人々を見て、金魚すくいの水槽を連想した[写真を見る]。こんな個体群をつくる動物というのも、めずらしかろう。

ところで、露店を見ていて気になったのは、金魚すくいの金魚が「ナマ」ではなく「作り物」になっている傾向があったこと。プラスチックの金魚を水槽に浮かべ、こどもたちがそれをすくって持ち帰るのだ。

お店としては、エサも要らないし来年も使えるし、楽なんでしょうけれど。客の方も「飼わなきゃいけない」という制約がなくて気楽なのかも。

金魚すくいも、今どき手間の割りには流行らない、きびしい業種なんでしょうか。

[つづく]


2004年7月17日 (土)

■近くで見た祇園祭 (4) 通勤者の悲哀

職場からの帰り道、地下鉄の回数券が切れていたことに気付いた。買い足さなければ…と券売機へ向かった。ああ、その一帯は、はたして長蛇の列をなす浴衣の群衆に占拠されていたのだった。

ほろ酔いの見物客のみなさんはいいけれども。早くうちに帰ってほろ酔いたい、ただの勤め人の立場は?

浴衣の人たちの中に混ざって、ただ一人ネクタイ姿、私は黙って券売機の列に並んだのだった。

[つづく]


2004年7月16日 (金)

■近くで見た祇園祭 (3) コンチキショウ

祭りの近くであくせく暮らしていると、実は不便なこともある。

今日中にクリーニング屋からスーツを受け取らなければ…と自転車を走らせていた。途中から交通規制エリアに入ったので、浴衣の人混みをかき分けて自転車を押していった。たどりついた店には張り紙が一枚。

「本日は祇園祭のため5時で閉店しました」

ああ、スーツが必要な時に何たること…。コンチキチン♪と祇園囃子が流れ、涼やかな浴衣姿が行きかう横で、ひとり「コンチキショウ…」とつぶやいていた。

[つづく]


2004年7月15日 (木)

■近くで見た祇園祭 (2) 巨大な公園現る

祇園祭は京都の中心部一帯で行われる。いつもの街路にある日いっせいに山鉾が建ち、屋台が並び始めて、それがそのまま祭りの会場になるのだ。このエリアに、数日間で京都市の全人口と同じくらいの人々がつめかける。

この時期は、京都の中心部一帯が歩行者天国になる[地図を見る]。長さ2.5キロ、最大幅1.2キロ。何のことはない、京都そのものが一個の巨大な公園になってしまうのである。

私は去年まで、京都市内の大学に自転車で通っていた。ちょうど自宅と大学の間にこの巨大な「公園」が出現し、自転車で突っ切ることができなくなる。このシーズンはいつも延々と迂回して家に帰ることになった。

長い長い「公園」を外側から眺めながら自転車をこいでいると、祇園祭の大きさを足で実感することができる。

[つづく]


2004年7月14日 (水)

■近くで見た祇園祭 (1) 浴衣の人々

東京出張を終えて、新幹線で京都駅に帰ってきたら、やたら浴衣の人々がいる。

あ、そうか、祇園祭。留守にしているうちに、自宅の周囲は一気に祇園祭のただ中に突入していたのだった。

観光客に教えてもらう地域の祭り。何とも他人まかせな京都の住民である。

近くの住民が見た祇園祭の姿を、シリーズでお届けします。

[つづく]


2004年7月13日 (火)

■サラリーマン製造工場

東京に出張したとき、東京駅のサウナに行った。駅の地下2階にある風呂屋である。

朝7時。20代から50代とさまざまな年齢層の男性たちが、湯船でぼんやりとくつろぎ、ガウン姿のまま休憩室でごろごろと寝そべっている。

やがてスピードクリーニングでアイロンが当たったばかりのワイシャツを着込み、化粧室で整髪料を塗ってネクタイをしめれば、サラリーマンが一人完成。階段を上れば、そこはすでにせわしない通勤風景の東京駅だ。

男性たちを企業戦士に仕立てて地上に次々と送り出す、ここは「サラリーマン製造工場」。ターミナルの地下に裸の男性たちが貯蔵されていて、次のサラリーマンになるのを待っている。

「日本の楽屋」を見たような思いがした。


2004年7月12日 (月)

■字幕が付くまで300年

つれ合いとテレビを見ていた。彼女は耳が聞こえない。テレビは、いつも聴覚障害者向け字幕付きの番組を選んで見ている。

選挙後の政局についての党幹部討論会。この重要な報道番組に、テレビ局は字幕を付けていなかった。

「字幕ないな」
「つまらんな。やめよ」

チャンネルを切り替えたら『水戸黄門』。こちらにはしっかりと字幕が付けられていた。親子がもめたとか、だれがだれに惚れたとか、すべての情報が落ちることなく伝わってくる。

リアルタイムの報道には字幕がなく、江戸時代のゴシップ話には字幕が付いている。そうか、この国では番組に字幕が付くまで300年かかるんですね。


2004年7月2日 (金)

■COEとCEO

関学で「COE専任研究員」という職種についた。

「COE」とは文部科学省が指定する「卓越した拠点 Center of Excellence」のこと。私はCOEプログラムというこの大学の研究プロジェクトのスタッフとして採用された。

ちなみに、最近よくある企業のCEO(最高経営責任者 Chief Executive Officer)とはまったく関係がない。

先日、さっそくやってしまった。メールを送信した後に読み返したら「CEO専任研究員」と書いていたのだ。

わ、そんなえらい人じゃないっすよ、日産のゴーン社長じゃあるまいし。と、ヒラの研究員は一人あわてている。


2004年7月1日 (木)

■関西学院大学へ

手話「関学」

ごあいさつが遅れましたが、4月より関西学院大学(かんせいがくいんだいがく)、通称「関学(かんがく)」に着任しました。

ちなみに手話で「関西学院大学」と表すときは、額に三日月を描きます。→図

お気づきの方もいるでしょうが、「仙台」とまったく同じ単語。つまり、日本手話における「同音異義語」です。語源は、たぶん関学のシンボルマークの三日月を表しているのでしょうね。

というわけで、この大学の一員となりました。よろしくお願いします。



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