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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2005年2月

日本語 / English / Français
最終更新: 2005年2月13日
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■カメルーンへ行ってきます (2005/02/13)
■手話での講義 (4) 広島の手話 (2005/02/12)
■手話での講義 (3) 照明がほしい言語 (2005/02/11)
■手話での講義 (2) 意見を受けとめやすい言語 (2005/02/10)
■手話での講義 (1) 手話でアフリカを学ぶ (2005/02/09)
■編集天国 (2005/02/08)
■『手話でいこう』重版決定! (2005/02/07)
■『手話でいこう』京都新聞に掲載! (2005/02/04)
■『手話でいこう』いくお〜るに掲載! (2005/02/03)
■雪の日の足跡 (2005/02/02)


2005年2月13日 (日)

■カメルーンへ行ってきます

仕事で、カメルーンへ行ってまいります。

2年ぶりの再訪。ずいぶん町の雰囲気も変わっているかも知れません。

しばらくサイトの更新はお休みいたします。3月に帰ったら花粉の季節まっさかりでしょうね。それを思うと今から憂鬱です。では。


2005年2月12日 (土)

■手話での講義 (4) 広島の手話

講演が終わったら、懇親会(=飲み会)。

広島のろう者の方々とゆっくり話すのは、今回が初めて。手話の広島方言をいくつか覚えてきた。

「カキ」「紅葉まんじゅう」「お好み焼き」
…食べ物の手話ばかり(汗)。

やっぱり、文化の基本は食にあると思う。とてもいいおみやげになりました。

[手話での講義・終]


2005年2月11日 (金)

■手話での講義 (3) 照明がほしい言語

もう一つ思ったこと。

ビデオの上映中に解説をしたいと思ったとき、そのつどビデオを止めて照明を付け、壇に上って説明した。ビデオを流しながらマイクで声でぺらぺら、というわけにはいかない。

手話は明るくないと伝わらない言語。今回はスタッフが照明係をしてくれたので助かったが、ろう者のための大学を作るなら、教壇で照明操作できる設備は必需品でしょうね。

手話を使用言語とする大学が、日本にも一つあったらいいなあ(※)。「アフリカ入門講義」、ぜひ担当させてください。

(※)アメリカには、そういう大学+大学院がある。

[つづく]


2005年2月10日 (木)

■手話での講義 (2) 意見を受けとめやすい言語

手話での本格的な講義をするのは、初めて。参加者およそ60人を前に話していて、気付いたことがある。

「○○って知ってますか?」
「××、どう思います?」
と会場のみなさんに聞きたいとき。

参加者は席に座ったまま、思い思いに手話で答える。壇上にいる私は、それらを一瞬で見渡すことができる。これはいい!と思った。

いつもの大学だったら? 学生の意見を聞きたいとき、私はマイクを持って教室をうろうろと歩き回らないといけない。

目で見る言語である手話は、講師が参加者の意見を受けとめやすい言語だな、と思った。けっこう民主的な授業運営ができるかも。

[つづく]


2005年2月9日 (水)

■手話での講義 (1) 手話でアフリカを学ぶ

広島のろう者団体のお招きをいただき、「手話で学ぶアフリカ入門」という講演をした。

「アフリカの手話を勉強するの?」

いいえ。ふだん大学で日本語を使って学生に教えていることを、ろう者を相手に、日本手話という言語で講義したんです。

「え、手話で、大学の講義なんてできるんですか?」

できます。

「奴隷貿易と産業革命の深いつながり」…
「ベルリン会議が世界史においてもつ意味」…
「コンゴの熱帯雨林地域における過酷な搾取」…

いろんなことをお話ししてきました。手話で。

[つづく]


2005年2月8日 (火)

■編集天国

私の勤務するCOEプログラムで、新しい学術誌が創刊されることになった。編集事務局の私は、何日も校正作業に没頭していた。

350ページ、およそ30万字の論文の束を、数日間ですべて読み通す。ミスを見つけたらフセンをはり、赤ペンで修正を書き入れる。その膨大な作業に明け暮れた。

一日目。本当につらかった。
二日目。だんだん慣れてきた。
三日目。ミスを見つけるのが快感になってきた。
四日目。「自分の脳にフセンをはっている」夢を見た。(!)
五日目。ほぼ読み終え、次の原稿がほしくなった。

ミスを探す楽しさ? そう、林の中でドングリを探すような気分です。

およそ250ヶ所のミスを発見して、「収穫作業」は終わり。ちょっとさびしくなりました。


2005年2月7日 (月)

■『手話でいこう』重版決定!(2005/02/07)

編集部からメール。

『手話でいこう』の重版が決まりました。明日、印刷会社に1,000部発注します」

やった!

「1,000部増刷」というのはどういう感覚なんだろう。100万部売れた『バカの壁』に比べたら、吹けば飛ぶような数である。一方、「学術専門書の場合、重版はせいぜい500部ですよ」とは、ある先生の弁。

出版界の感覚は分からないけれど、1,000人の新しい読者と出会えるならば、それで万歳!
…と、ねこと、かめと、チャッピー(うちのインコ)は喜んでいます。

お買い求めくださったみなさま。あらためてお礼申し上げます。
そして、どうかよろしくお願いします>未来の読者さま。


2005年2月4日 (金)

■『手話でいこう』京都新聞に掲載!

『手話でいこう』が、京都新聞2004年2月4日 (金) 夕刊の社会面 (10面) で紹介されました。カラー写真入りの大きなあつかいです。> [記事と写真を見る]

写っている手話は、 左:ねこ=「よい」 右:かめ=「かまわない」

ねこ「この本、いいよ!」
かめ「ま、こんなんでええんちゃう?」

…と会話しているようにも見えます。

本当は、たしか晩ご飯のおかずの話をしていたはずだが。結局「自著を語る」という写真になっていました。


2005年2月3日 (木)

■『手話でいこう』いくお〜るに掲載!

聴覚障害者が編集・発行する雑誌『いくお〜る』59号 (2005年2月) で、『手話でいこう』が紹介されました。> [記事を見る]

「ものわかりが良すぎる」とお叱りをいただくのは、これがはじめて(苦笑)。

でも、私も9年前までは、手話を一つも知らないフツーの聞こえる人だった。分からず屋のくせに手話を覚えたいと言い始めて。周りのろう者にはずいぶんと迷惑かけてきたなぁ…。

私が少しだけろう者の世界になじめたとするならば、それは、ろう者たちによる教育の力なのだろうと感じています。多謝。


2005年2月2日 (水)

■雪の日の足跡

寒波到来。朝起きたら、窓の外は大雪だった。

駅まで雪を踏みしめて歩いた。雪道は、無数の人間たちの足跡で満たされていた。それを見て、私は戦慄を覚えた。この道を歩く人って、こんなにも多かったのか…。

ふだん、道路なんて自分の物だと思って歩いている。しかし、実は多くの人たちが踏み固めた道を歩かせてもらっているだけだと、こういうときに知ることになる。

真実を知らないからこそ、人は自由でいられるのかもしれない。多くの人々の存在を刻み込んだ雪道を踏みながら、駅へと向かった。



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