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ジンルイ日記つれづれなるままに、ジンルイのことを |
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最終更新: 2005年11月30日 |
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■アメリカ日記2005 (3) 黒人ろう者の銅像 (2005/11/30)
■アメリカ日記2005 (2) アフリカろう者コミュニティ in DC (2005/11/29)
■アメリカ日記2005 (1) いきなり指紋と顔写真 (2005/11/28)
■マニフェスト達成! (2005/11/16)
■客員教授KONISHIKI先生 (2005/11/11)
■琴阿弗利加、参上 (2005/11/10)
■シンポ講師、姿を消す (2005/11/03)
■論文タイトルが結んだ縁 (2005/11/02)
2005年11月30日 (水)
■アメリカ日記2005 (3) 黒人ろう者の銅像
ギャローデット大学に、アンドリュー・フォスター博士の銅像ができたと知り、見に行った。フォスターはアメリカ南部生まれの黒人ろう者。黒人として初めてこの大学を卒業した人で、後にアフリカ諸国に31校のろう学校を作り、「アフリカろう教育の父」と呼ばれている。とにかくでかい仕事をした人である。
「ギャローデット大学には黒人の銅像がない」
「やっぱり肌の色なんだ」
2年前に訪れたときには、黒人ろう者たちの間でこんなことがささやかれていた。このたび、全米黒人ろう者協会(NBDA)からの寄贈の申し出を大学が受け入れ、おそらく世界で初めての黒人ろう者の銅像が誕生した。
人種主義は、人々の心のひだにまだくすぶっている。でも、実績を残した人であれば、まっすぐに讃える。アメリカ流の「フェアな実力主義」を見るようにも思う。
フォスターは、大学創立者エドワード・マイナー・ギャローデットの銅像を真横から見る位置に立っている。人種主義の監視役として、大学を見守り続けるかのように。
→ [つづく]
2005年11月29日 (火)
■アメリカ日記2005 (2) アフリカろう者コミュニティ in DC
ワシントンDCにあるろう者の大学、ギャローデット大学を訪れた。以前、客員研究員としてお世話になって以来、2年ぶりの再訪である。ナイジェリア出身の国際局長と喜びの再会。世間話をしていたら、「何、なに?」と通りかかったアフリカ人のろう者学生たちが集まってきた。その数、10人。ナイジェリア、チャド、カメルーン、ガボン、ケニア、タンザニア、ボツワナ、…。アフリカ大陸の地図がつくれそうな顔ぶれだ。
国別に見ると、最大派閥はやはりナイジェリア。後は、英語圏からの留学生がほとんど。フランス語圏アフリカは少ないなあ。書き言葉の違いが壁なのかも。
初めての国の人とは、お互いの自己紹介。私が行った国の人とは「共通の知人探し」というマニアックな話。アメリカの首都の大学に一瞬出現したアフリカろう者コミュニティで、午後のひと時を楽しみました。
→ [つづく]
2005年11月28日 (月)
■アメリカ日記2005 (1) いきなり指紋と顔写真
学会参加のためにアメリカへ。2年ぶりのワシントンDC行きである。シカゴの空港で入国する時、指紋をとられた。話には聞いていたけれども、入国者に対してものすごく防衛的な国になっている。
まず、小さな箱のような装置に左手の人差し指の先を置く。指先がスキャンされるらしく、むこうはパソコンの画面をのぞき込んでむむむ…。どうも映りが悪かったらしく、水っぽいノリのようなものを指先に塗らされ、再度撮られた。次に、右手も同じように。
最後に、顔の前にウェブカメラをぐいと向けられ、パシャ。かくして、12時間飛行機にゆられて寝不足・無精ひげの顔が、データベースに保存された。眠そうな顔の写真ばかり累々と蓄積されていると思うと、なんか笑えるね。
どうせ撮影を拒めないのならせめて美しく、と思う方は、機内で顔の手入れをしておくとよいと思います。
→ [つづく]
2005年11月16日 (水)
■マニフェスト達成!
完成しました。「夏休みのマニフェスト」で宣言した原稿。1,600字×139ページの、ずしりと重たい原稿の束が姿を現しました。ふぅ…。
夏休みはとっくに過ぎ去り、気づけばもみじもすっかり色づいていますが。まあ年を越さなかったのでよしとしましょう。
この原稿がいつ日の目を見るか。さあ…。きっと学問の神様のみがご存じなのでしょうね。
2005年11月11日 (金)
■客員教授KONISHIKI先生
あるとき、私は大学に客員教授を招く交渉をしていた。会議の結果、KONISHIKI氏(元大関小錦関)を客員教授として招くことに決まった。電話で頼んだら「うん、いいよ」とか。気さくな方です。担当科目は「英語」。そうか、彼はアメリカ人だったのだ。
ここで、目が覚めた。
ん? 最近の日記は夢ネタが多いな。現実がしんどいから? そんなことはないけれどねえ(苦笑)
2005年11月10日 (木)
■琴阿弗利加、参上
夢に「ナイジェリア出身の力士」というのが出てきた。彼のしこ名は、「琴阿弗利加」(ことあふりか)。いかにも「琴欧州」のおとうと弟子という感じだが、名前のおさまりは悪くない。
筋骨隆々の<褐色の弾丸>。角界史上初の黒人力士は大人気で、連日スポーツ新聞の一面トップを飾っている。
唯一の悩みは、髪がちりちりのカールなので「まげが結えない」ことだそうである。
…ここで目が覚めた。
2005年11月3日 (木)
■シンポ講師、姿を消す
ある日、私はシンポジウムのスタッフをしていた。テーマは「暴力」。午前中は大学の先生が基調講演。昼休みをはさんで、午後は暴力を体験した当事者の方に講師として登壇してもらう、という流れで進んでいたところで、大問題が発生した。なんと、午後の講師がいきなり姿を消してしまったのだ。
私たちはおおあわて。電話をかけても、連絡がとれない。自宅に行ってみたが、本人はいない。話としては、午前中の講演を聞いて当事者が心的なショックを受け、登壇する気をなくしてしまったとか。うーん、分からないでもないが、それも不確実な伝聞にすぎない。
講師を探しながらも、急きょ代理を立てることを考える。会場の聴衆を前に、ぽっかりあいた時間をどううめるか。だれが出て、何を話すか。楽屋裏はスタッフ総出で大騒ぎ…。
…というところで目が覚めた。夢だった。う…ん、最近なぜか仕事の夢ばかり見る。
2005年11月2日 (水)
■論文タイトルが結んだ縁
研究会で、古い知人と再会した。何年ぶりで会った彼は、私の最新の論文のことを知っていた。どうして?と聞いたら「キーワードで検索していて見つけたのが、君の論文やった」と言う。こういう再会は、何ともうれしいものだ。
彼は続けた。「もっとすごい出会いもあるんやで」。名付けて「Google婚」。
ある人が、調べ物でGoogle検索をした。すると、興味あるキーワードがぴたりそろった論文タイトルが見つかった。さっそく著者に連絡を取り、会いに行き、親しくなり、そして結婚した、と。
ははは。そんなことってあるんだなあ。ヒトの社会はやっぱり面白い。
[教訓]論文のタイトルは、大事です。
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