亀井伸孝の研究室 |
ジンルイ日記つれづれなるままに、ジンルイのことを |
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最終更新: 2005年12月30日 |
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■初詣2005の採点表 (2005/12/30)
■カニを食べると性格が分かる (2005/12/29)
■アフリカ重大ニュース2005 (2005/12/26)
■人類学的に気になるキーワード2005 (2005/12/25)
■冬休みの宿題 (2005/12/21)
■レディコミは男の教科書か (2005/12/20)
■ヨーちゃんの冬休み (2005/12/14)
■冬が嫌いな理由 (2005/12/08)
■脱医療化するフライト・アテンダント (2005/12/06)
■アメリカ日記2005 (7) 出国時の疑念 (2005/12/04)
■アメリカ日記2005 (6) マーケットとしての学会 (2005/12/03)
■アメリカ日記2005 (5) 巨大学会の歩き方 (2005/12/02)
■アメリカ日記2005 (4) 言語的マイノリティ、学会発表をする (2005/12/01)
2005年12月30日 (金)
■初詣2005の採点表
一年を終えるにあたって。今年の初詣で願掛けした三つの目標について、採点しました。結果=達成1/なかば達成1/未達成1。
一勝一敗一分。まあこんなもんかな、という感じで一年を終えていきます。
今年はずいぶんたくさん文字を書きました。また、いろんなところでよくしゃべりました。こういう日々の手作業の積み重ねが、来年のための土台になっていくのだなという手応えを感じています。
拙著をお手にとってくださいました全国の読者各位、ありがとうございました。また、ジンルイ日記の感想などいろいろメールを頂いておきながら、一つずつお返事できていないこともあります。おわびかたがた、この場を借りてお礼申し上げます。
来年も出会いに恵まれますよう祈りつつ。みなさま、よいお年を。
2005年12月29日 (木)
■カニを食べると性格が分かる
「60分カニ食べ放題」というのに行った。ゆでたカニを好きなだけ食べていいのだが、そうぱくぱくと食べられるものではない。殻を割るのに時間がかかるからだ。私は、あれこれ考えながら食べていた。「所要時間の大部分は殻を割ることにさかれている。一番効率よく身を取るためには、どこを割ったらよいものか」。結局、3杯のカニを食べることができた。
私のつれ合いは、あまり考えないようにしているようだった。「少しこびりついていても、だいたい取れたら次の脚にいくの」。猛然と解体作業をこなし、4杯のカニを食べることに成功。
近くの席にいた人は、「私、ちょっとでも身が残ってると気になっちゃうのよね」。小指を立てて殻をあつかっていたこの女性は、1杯半終えたところで時間切れ。
カニを食べると、人の性格が出ますね。たとえば、人事の面接でカニを食べさせてみたらどうだろう。その人の仕事ぶりがよく分かると思います。どんな仕事に適しているか、ということも。
2005年12月26日 (月)
■アフリカ重大ニュース2005
これまで私見で「アフリカ重大ニュース」を選び、掲載してきましたが(2003年、2004年)、今年は初めてアフリカを学ぶ学生のみなさんの協力を得て、一緒に選んでみました。学生と選んだ「アフリカ重大ニュース2005」をお届けします。
(1) 国連改革でAUの動向に注目 安保理常任理事国入りを目指すG4(日、独、インド、ブラジル)と、国連加盟国52票をもちやはり複数の常任ポストをねらうAU(アフリカ連合)が、国連改革をめぐってはげしく外交活動を展開(7月)。日本政府は、かつての「敵国」とかつての「植民地」で連帯して旧体制を変えようとアフリカにラブコールを送る。しかし、拒否権について条件闘争に入ったG4と、あくまで対等な拒否権を求める(または拒否権の一律撤廃を求める)AUは折り合わず、両者の共闘は不成立。改革は先延ばしとなった。(2) リベリアでアフリカ初の女性大統領 リベリア大統領選挙の決選投票で、統一党(UP)のエレン・ジョンソン・サーリーフ候補(元世界銀行職員、国連開発計画アフリカ局長)が当選(11月)。アフリカで初めての女性大統領となる。泥沼の内戦を抜け出して民主化のプロセスを歩み始めたリベリアは、「アメリカも認める民主主義国」となった(12月)。(3) AA会議50年ぶりに開催 1955年の「第1回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)」の50周年記念式典とアジア・アフリカ首脳会議(共同議長:ユドヨノ・インドネシア大統領とムベキ・南ア大統領)が、当時と同じインドネシアのバンドンおよび首都ジャカルタで開かれた(4月)。冷戦下における非同盟諸国の連帯をうたい上げた政治性の強い前回会議とは異なり、今回は貧困の解決のための経済開発が主なテーマに。急成長をとげたアジアと、貧困の度合いをいっそう増しているアフリカとの間のあまりの格差に、この半世紀の重みが痛いほど感じられる。(4) 英サミットでアフリカ問題が焦点に イギリスのグレンイーグルズで開かれた主要国首脳会議で、「気候変動」と並んで「アフリカ」が最重要議題の一つとなる(7月)。昨年からブレア首相みずからが旗ふり役となって「アフリカ委員会」を組織するなど、イギリス政府のアフリカに対する理解を示そうとする舞台でもあった。最終的に、アフリカ向けODA増額や債務免除などについて合意。日本政府は、2008年のサミット主催+東京アフリカ開発会議IV開催にむけて、アフリカを得意分野とするべく戦略を練る。(5) スーダン南北和平なるも暗雲 スーダン政府(北部)と反政府勢力スーダン人民解放軍(SPLA、南部)の間で、南北包括和平合意が成立、署名された(1月)。1983年の政府による南部へのイスラム法導入をめぐる混乱をきっかけとし、21年間にもおよんだ内戦に終止符が打たれる。ところが、南側のカリスマ的リーダーであったジョン・ギャラン第一副大統領がヘリ墜落事故で死亡(7月)。謀殺説も流れ、親ギャラン派による暴動が発生。南部の分離独立をめぐる動きもあわせて、予断を許さない状況が続く。(6) ケニア、改憲をめぐって政局混乱 2002年に就任したキバキ大統領の公約である憲法改正をめぐって、国民投票が実施された(11月)。賛成派(シンボル:バナナ)と反対派(オレンジ)の両派に分かれてはげしい運動が展開されたが、大統領の権限強化や特定民族への権限集中などが懸念され、改正案は否決された。大統領は全閣僚を解任し、反対派を排除した組閣を行う(12月)。昨年ノーベル平和賞を受賞したマータイ副環境大臣(中立)は再任。(7) エジプトで初の大統領直接選挙、ムバラク5選 エジプトで初めて大統領直接選挙が行われ、ムバラク大統領が5選を果たす(9月)。現政権が信任された形だが、24年におよぶ長期政権に対する不満の声も。エジプトが単一候補の信任投票から複数候補による直接選挙に切り替えた背景には、イラク戦争を含むアメリカの「中東民主化」の圧力があるとされる。(8) トーゴ大統領エヤデマ死去、世襲に非難 38年間権力の座にあったアフリカの最長在位大統領、トーゴのエヤデマ大統領が、治療のためフランスに向かう機中で死去(2月)。即日、息子のフォール・ニャシンベ設備・鉱山・郵政大臣が大統領を代行すると発表された。本来、大統領を代行すべき国会議長は、国境封鎖のため外遊先から帰国できないという事態も仕組まれていた。この「大統領世襲」に対しては、アフリカ連合や近隣諸国などからの非難が集中。仕切り直しの選挙で、フォール・ニャシンベ氏はあらためて大統領に選出された(4月)。(9) ジンバブエで都市貧困層への弾圧続く ジンバブエのムガベ政権が、「クリーンアップ作戦」と称して都市スラムの家屋を破壊し、露天商の一斉検挙を行うなど、貧困層への弾圧をくり返す(5月-)。70万人(国連発表)もの人々が住居などを失う事態に。議会選挙では与党ZANUが勝利したが(3月)、この「作戦」は大統領による野党支持層への弾圧という意味がある。「反米の同志」イランとの友好関係をアピールしたり(1月)、国内でウラン鉱脈が発見されたと発表したり(11月)、何かと国際秩序に不安をもたらす言動が続く。(10) 南アで同性婚容認へ 南アフリカの憲法裁判所で、同性愛者どうしの結婚を認めない法は憲法違反だとする判決が出される(12月)。議会は、同性婚を認める法改正を命じられた。もし改正が行われれば、アフリカでは初めての同性婚容認国となる。アパルトヘイト撤廃後の1996年につくられた、世界で最も民主的と言われる南ア憲法には、「国が性的指向を理由に差別してはならない」と明記されている。来年も、アフリカと世界のすべての人々に幸せが訪れますように。
(協力:大阪外国語大学でアフリカを学ぶ学生のみなさん)
2005年12月25日 (日)
■人類学的に気になるキーワード2005
2005年の流行語大賞は「小泉劇場」。無難なところですね。しかし、人類学者は別の角度からこの一年をながめます。ジンルイ日記が選ぶ「人類学的に気になるキーワード2005」。
(第1位) 「ピアノマン」
受賞者:アンドレアス・グラッスル氏(元・ピアノマン)イギリスの海岸を放浪していた氏名・経歴不詳の青年が保護された(4月)。記憶はないがピアノをうまく弾きこなすというこの人物をめぐって世界中が身元探しに躍起になったが、実はドイツ人のアンドレアス・グラッスルという青年で、「すべては医師をかつぐための芝居だった」と白状(8月)。人類63億人すべての身元が分かっていなければならないという脅迫観念はすごいものです。ちなみに、父親は農業に忙しくて、息子が世界的に話題になっていたとは知らなかったらしい。(第2位) 「多元主義/同化主義」
受賞者:イギリスとフランスイギリスの首都ロンドンで爆弾テロ(7月)。フランスの諸都市で同時多発的な暴動(11月)。いずれも、旧植民地からの移民やその二世・三世らの不満が背景にあったとされる。文化多元主義のイギリスと文化的同化を求めるフランスはしばしば対比的に描かれるが、どちらにせよマイノリティに資源が配分されていなければ、結局不満は同じようにたまるのである。共存のための知恵が、いま試されている。人類学に何ができるか、ということも。(第3位) 「女性・女系」
受賞者:皇室典範に関する有識者会議(座長・吉川弘之氏)皇室の少子化を受けて、皇室典範に関する有識者会議が、女性・女系天皇を容認する最終報告を出した(11月)。「天皇家が一夫多妻をやめたので子どもが減った」という事実を指摘する、人類学的には明解な報告書である。こういう会議の動向を受けて、外野の論壇でも議論がかまびすしい。父→息子→孫息子…と受け継がれるY染色体と、母→娘→孫娘…と受け継がれるミトコンドリアと、天皇制にとってどちらがより本質的かという議論もあるらしい。遺伝学は天皇制を救うことができるか。(特別賞)「干からびたチーズ」
受賞者:森喜朗氏(前首相)衆院解散を阻止するべく小泉首相を説得しに行った森前首相が、帰り際に「干からびたチーズしか出なかった」と怒る(8月)。しかし、実はフランスの高級チーズのミモレットだったことが判明。森氏無知説、森氏お茶目説、すべて芝居説などが飛びかったが、とりあえずミモレットはやたら売れたらしい。交渉決裂で得をしたのはチーズ業界と小泉政権。損をしたのは離党させられた議員たちと、それから…?来年も、言葉との出会いが楽しみです。
2005年12月21日 (水)
■冬休みの宿題
年末の仕事片付けいろいろ。「これ、年明けでいいんですけど、お願いできますか?」
「はい、じゃあ冬休みにやっておきます」すべての用事を、ドラえもんのポケットのように吸い込んでくれる「冬休み」。今日、はじめて棚おろしをしました。「冬休みにやりたい/やらなければ」という仕事を数え上げたら、12項目も並んでしまった。
がーん。冬休みが1年くらいほしいなあ…などとアホなことを考えていた。
今回の休みは、マニフェストを掲げないことにしました。できる自信が、ちょっと…。
2005年12月20日 (火)
■レディコミは男の教科書か
レディース・コミックを借りて読んだ。女性による女性のためのマンガ。自分では買わないので、これまでほとんど読むことがなかった。すごいですねえ。不倫、サラ金、ばくちに暴力、男尊女卑に親まかせ。「女を不幸にする男どもの愚かな挙動」がずらりと並ぶ百科事典のようだ。いやー、こわいこわい。読んでいると、教科書で勉強しているような気分になります。
私? えーと、実は当てはまったのが「ワーカホリック」。働きすぎて休日をつぶし続け、妻の信頼を失うアホな男というのも登場するのである(汗)。
…でも、うちの場合は夫婦ともども働きすぎていますから。これはおたがいさま。
2005年12月14日 (水)
■ヨーちゃんの冬休み
ヨーちゃんの近況。ちょっと元気ないんです。ヨーちゃんとは、うちで飼っている「カスピ海ヨーグルト」の菌の集合体のこと。牛乳を注いでおけば、翌朝にはヨーグルトになっている。このサイクルをくり返していれば、いつまでもヨーグルトにはことかかない、はずであった。
ところが、最近は寒さのあまり生産量が落ちている。一日たっても牛乳のまま。おい、生命反応あるんかいな?と思うくらい、液状のままである。やがて薄氷が張るようにヨーグルト化し始め、二日くらい放置しておくと、じんわりと固形化してくる。これでようやく一口食べられる。
まあ、これもヨーちゃんの冬休みかな。しばらくは冬眠してもらって、春からまたフル回転してもらうことにしよう。^^
2005年12月8日 (木)
■冬が嫌いな理由
私は冬が苦手である。暑さと寒さとどちらがいいかといえば、暑さの方がマシ。冬は体が動かなくて仕事がはかどらないし、何をやるにも億劫だ。調査地を熱帯にしておいて本当によかったと思っている。
もう一つ、冬がめんどうくさい理由がある。
厚着をする→ポケットが多くなる→いろんな所に物をしまう→どこにしまったか忘れてしまう。私はメモ帳とボールペンを肌身離さず持ち歩く癖があるが(=職業病)、とっさにメモをとりたいとき、ペンがどこにあるのか分からない。スーツなのか、ズボンなのか、コートの内ポケットなのか、外なのか、それとも…。探すだけでもうたいへん。
やっぱり夏の軽装が一番です。そう、人類は熱帯アフリカ原産の動物なんですから。
2005年12月6日 (火)
■脱医療化するフライト・アテンダント
世界で初めて飛行機にフライト・アテンダント(スチュワーデス)を乗せたのは、ユナイテッド航空(同社のパンフレットより)。記念すべき最初のスタッフたちは、みな看護師の免許を持つ人だったそうである。つまり、医療スタッフだったのだ。それがいつしか、スマイルで食事と免税品を運ぶスタッフになった。飛行機の性能もよくなったのだろうが、客が求めるものもだんだんとずれていったのだろう。
フライト・アテンダントは脱医療化をとげ、笑顔を搾取される感情労働になったというわけだ。
2005年12月4日 (日)
■アメリカ日記2005 (7) 出国時の疑念
あっという間に一週間の滞在は終わり。出国の日が来た。入国であれほど細かくチェックされたのだから、出る時はいったいどんな…と思っていたら、出国はあっけないほど簡単だった。だいいち係官がいない。航空会社の社員がチェックを代行するが、パスポートも見ないで出国カードを受け取るだけ。
こっちはせっかく指紋取りに協力したんだから、出る時もちゃんと照合しろよ!などと思う、屈折した当事者意識。
はて、入国時のあの厳重な管理体制は、何だったんだろう。「もしや、指紋を集めたいだけなのでは?」という疑念がよぎったが、もう手遅れである。
ああ、機内にぶらさがり健康器が一台ほしいなあ、などと思いつつ、太平洋を越える12時間の旅を終えて、帰国しました。
→ [アメリカ日記2005・終]
2005年12月3日 (土)
■アメリカ日記2005 (6) マーケットとしての学会
アメリカ人類学会には、もう一つ別の機能がある。大きなマーケットだということ。地下の大ホールに、アメリカ中の大学出版会や出版社がブースを並べ、学術書や教科書のバーゲンをやる。本屋どうしで客の取り合いだ。本の割引販売をする。試供本を無料で配る。サイン会を開く。ウェブにつないでデモ映像を流す。手提げカバンを配る。クッキーを出す。おい、本屋が食べ物で客をつっていいのかい。つられる客も客だけど。
隣の部屋では「人買い」もやっている。ずらりと並ぶ掲示板に、大学が求人広告を出す。求職者たちは、興味がある大学に履歴書を出す。お互い脈が合えば、待ち合わせして即面接。カーテンで仕切られたブースの中で、何やらぼそぼそと密談をしている。
こういう公的なマーケット以外にも、個別に出会った研究者どうしが、カフェやバーでさかんにビジネスミーティングをやって出版企画などをまとめ、また全米各地に散っていく。
うーん。営業のセンスがないと、この世界はなかなか乗り切れませんね。私も名刺を一束もってきて、ほとんど全部配ってしまった。実りがありますように。
→ [つづく]
2005年12月2日 (木)
■アメリカ日記2005 (5) 巨大学会の歩き方
私の発表は終わり、残りの日程は他の人の発表を聞いて回る。といっても、これまた大変な仕事なのである。アメリカ人類学会は、発表者だけで3,000人という巨大学会だ。5日間にわたって朝から晩まで、20会場くらいで同時に発表が進む。プログラムだけで『地球の歩き方』よりも分厚い本になり、順に読んでいたら日が暮れてしまう。どの部屋で何をやっているのかよく分からない<迷宮>だ。
私はコーヒーを片手に、ひたすら「さくいん」をながめていた。ページ指示が多い項目は、今はやりの話題なんだろう。ちなみに今年の最多賞は「globalization」と「identity」が同着一位で、それぞれ24個の分科会がテーマにしていた(この群がりようもすごい…)。
「言語」「アフリカ」、、、いくつかのキーワードでひっかかるページにフセンを貼ると、だいたい一日の予定が決まる。さくいんはありがたい。迷宮に一筋の光をさす「アリアドネの糸」である。
部屋から部屋へと移動していたら、昨日同じ分科会で発表したろう者の院生が、手話通訳者二人を引き連れて駆け回っているところに出会った。「ハロー、次はどこ?」「私はあっち!」。通訳者もおつかれさまです。
→ [つづく]
2005年12月1日 (水)
■アメリカ日記2005 (4) 言語的マイノリティ、学会発表をする
アメリカ人類学会での発表の日。今回の出張の最大の仕事である。いつの頃からか、こういう場で緊張することがまったくなくなってしまった。緊張感なさすぎて、うっかりミスがないか心配になるくらい。それほど(まー、舞台に立てば何とかなるやろう)という気分。
実際、何とかなってしまった。というか、まちがえても動じないだけがとりえの英語。以前から知っているアメリカ人の研究者に言われましたよ。
「前より英語がうまくなりましたねー」(^^)
「サンキュー」(…ってアンタ、こっちは合わせてるんだってば)この日の分科会の使用言語は、アメリカ手話と英語の二言語だった。ここでは同時通訳が完璧に用意されていて、ろう者たちはこの場所ではマイノリティではなく、学会の主役だった。英語とアメリカ手話のどちらも中途半端な私だけ、マイノリティだったのだ。
→ [つづく]
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