亀井伸孝の研究室 |
ジンルイ日記つれづれなるままに、ジンルイのことを |
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最終更新: 2006年1月31日 |
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■10年ぶりのパスポート更新 (2006/01/31)
■暴騰も暴落もない世界で (2006/01/29)
■日本資本主義は労働価値説がお好き (2006/01/25)
■本を買うときに払うものは? (2006/01/15)
■中曽根さんのキモチ (2006/01/13)
■今日も、東京ですか (2006/01/12)
■磁石な人々 (2006/01/11)
■難聴の神様 (2006/01/10)
■商売繁盛の研究者!? (2006/01/09)
■世界に一つだけ、でいいのかな (2006/01/01)
2006年1月31日 (火)
■10年ぶりのパスポート更新
10年パスポートが切れそうになったため、更新した。前回パスポートを取ったのは、初めてアフリカ調査に出かける直前のことだった。つまり、今年で私のアフリカ歴が10周年を迎えたということになる。私も年をくうけれど、アフリカの友人たちも同じだけ年を取ったことになりますね。
熱帯地域で仕事をしている人にはおなじみと思うが、10年というのは黄熱病の予防接種証明書(イエローカード)が切れる年でもある。10年間、本当に早いものですね。
新しいパスポートを持って、明日からガーナへ。しばし、ごぶさたいたします。
2006年1月29日 (日)
■暴騰も暴落もない世界で
ライブドア捜査をめぐって、株式市場が大騒ぎした今月。私はニュースを横目に見ながら、黙々と依頼原稿を書いていた。何千億円という資産が一瞬にして消えてしまう世界がある。一方、その一億分の一くらいの単位で、ぼつぼつと仕事が回っていく世界がある。私は後者の方にいて、一行ずつ原稿を書いている。
「大学の研究者ほど世情にうといものはない」と言われるかもしれない。同じように、原稿料というものもかなり世情と関わりが薄いのかもしれない。400字あたりいくらというのはだいたい一定で、暴騰もないかわりに暴落もない。だからこそ、落ち着いて書いてもいられるというものだ。
もしも毎日原稿料が変動する世界だったら? こわいですねえ。とてもじゃないがゆっくり文章を練っている場合ではないだろう。
編集者のみなさま、どうもお待たせいたしました。
2006年1月25日 (水)
■日本資本主義は労働価値説がお好き
ライブドア強制捜査に端を発する騒ぎの中で、私は奇妙なことに気づいた。事件をきっかけに「額に汗してまじめに働く人々が報われる社会を」という見解が各界から噴き出したことである。このことに思いを寄せるのは、労働組合だけではない。企業経営者、政治家、官僚、メディア、そして司法当局までもがそれに共鳴しているようだ。そうか、日本資本主義は、かくもそろって労働価値説が好きだったんだな。
マルクスが墓場の下から叫んでいるだろうか。「万国の労働者と資本家と国家権力、日本資本主義のように団結せよ!」と。
2006年1月15日 (日)
■本を買うときに払うものは?
クイズ:「本を買うときに払うものは何でしょうか?」私は新幹線に乗る前、いつも誘惑に駆られる。ちょっと本屋に寄ろうかな…と。今から車内に3時間、肩のこらない雑誌でも読もうかなあ。活字中毒の私はそう思う。
一方で、〆切の迫る原稿が脳裏に浮かぶ。編集者のみなさんの顔も浮かぶ。ごめんなさい、私は関係ない雑誌にたましいを売り渡そうとしていました。3時間は、仕事に使わせていただきます。
くやしいことに、新幹線のターミナルには必ず本屋があって、人々で混み合っている。私はぐっとこらえて本屋の前を通り過ぎる。
本を買うときに払うものは何か。答えは「お金と時間」。本を買うとは、自分のこれからの何時間かを本屋に差し出していることでもあるのです。
人生は有限、本は無限。本好きにとっての苦悩は、簡単に解けそうにありません。
2006年1月13日 (金)
■中曽根さんのキモチ
昨年の秋、自民党が新憲法草案を発表したとき、ちょっとした事件があった。憲法前文の担当は中曽根元首相。改憲を宿願としていた氏は、そこに思いのたけをこめて美文を書いたという。
「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴としていただき、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化をつくり伝え、多くの試練を乗り越えてきた…」
それが、若い世代の幹部にばっさりと全面削除された。発表された草案は、原文とは似ても似つかないシロモノになっていた。中曽根氏は激怒したそうだが、それもちょっとしたエピソードという扱いだった。
50年前から「憲法改正の歌」を作って歌っていた氏のことである。(いつかこんな憲法を書いてみたいなあ…)などと、ひそかに気に入った文言を温めたり、つぶやいてみたりしてたんだろうね。
草案の中身は別として、「ばっさりと削除された著者の悲しみ」というところだけは、妙に共感を覚えてしまったのだった。
2006年1月12日 (木)
■今日も、東京ですか
何年前だったか、近畿のある新幹線駅にこんな看板が出ていた。「今日も、東京ですか」
広告主は、近畿に首都移転を!という運動をしている団体だったと思う。私はこのコピーにあまり心地よい気がしなかった。「ええ、そうですよ。ほっといてください」そう看板につぶやいてやった。
こちらは、組織の末端で貧乏暇なくかけ回っている賃金労働者。首都がどこにあろうが関係なく、仕事であれば黙って行くんです。せめて新幹線の中で原稿一本書けるかな、などと、ちまちました喜びを見いだすので精一杯。そんなことは、もっと余裕をもって権限をふるうことのできる人たちに言ってほしいよね。
残念ながら、この問いかけは、近畿の労働者の心をつかみそこねていたと思う。
「今日も、東京ですか?」
ええ、仕事ですから。それが何か?
2006年1月11日 (水)
■磁石な人々
満員電車での時間のつぶし方を見つけた。車内はぎっしり詰まっていて、身動きがとれない。しかし停車駅が近づくと、人々の頭だけが動き始め、一斉にドアの方を向くのだ。そう、砂鉄に磁石を近づけたら、一斉に向きがそろってそちらに吸い寄せられていく、あの光景に似ている。
もちろん、その駅で降りない人の頭は反応しない。てんでバラバラの方を向いている。磁石に寄せられない砂粒もまざっているというわけだ。
一人一人が尊厳ある主体であるはずなのに、ヒトはどうしてこんなに分かりやすいのだろう。見ていて飽きない。
首の動きを見て、「この人は降りる」「降りない」と当ててみるのもまた一興。だいたい当たります。
2006年1月10日 (火)
■難聴の神様
今年初めてお参りしたえびすさんで、不思議なことを聞いた。「えびすさんは難聴の神様だ」というのである。七福神たちが手話で話しているという話は聞いたことがないから、耳が遠いというくらいのことかもしれないけれど。とにかく聞こえない神様なんだそうです。
商売繁盛の祈願で大にぎわいを見せる、大阪の今宮戎さん。事情を知るなじみの参拝者は、本殿の正面からでなく裏側に回り、コンコンと壁を叩いてお参りするんだとか。
耳が聞こえない人を呼ぶ時は、後ろから軽く肩を叩くのがマナー。同じように、耳の聞こえない神様にお参りする時は、後ろから壁を叩くのが作法。なるほど、補聴器のなかった時代の自然な暮らしの知恵だったのかもしれません。正月からいい話を聞きました。
2006年1月9日 (月)
■商売繁盛の研究者!?
この一月は、毎年恒例の天神さん(学問の神様)だけでなく、縁あってえびすさん(商売繁盛の神様)にお参りすることになった。研究者は自分の学問の道を究めればそれでいい、という時代でもないですし。研究費の獲得も職探しも、競争がはげしくなる一方だ。もうけ主義に走るつもりはないけれど、学問の発展と自分の生活を両立させるためには、研究費の確保も重要な仕事。営業のセンスは、今後ますます研究者に求められる素養になってくるように思う。
…などといいわけしながら、しっかりとえびすさんに頼んできました。今年もよい資源と機会にめぐまれ、いっそう研究に邁進できますように、と。
少子化の時代、大学どうしの学生争奪戦もはげしくなってきた。そのうち、大学の入試課に商売繁盛のえびすさんの笹が飾られる日が来るかもしれません。
2006年1月1日 (日)
■世界で一つだけ、でいいのかな
「みんな違ってみんないい」(金子みすず)
「世界で一つだけの花」(SMAP)人はそれぞれ違ってていいじゃない、というフレーズがはやっている。NHKの人気投票(スキウタ)第一位は「世界で一つだけの花」。紅白歌合戦でも、勝ち負けをこえて出場者全員が一緒に歌った。
(でも、本当にそれでいいのかな…)とへそ曲がり人類学者は考える。他でもない、格差や能力主義がいきわたり始めた日本の社会でのことだ。
「給料違ってみんないい」
「世界で一つだけの給与明細」君は特別なonly oneだよ、などと言いなしつつも、一方では「下流」「負け組」などと呼んでいるのである。これは由々しきことではないか?
人はそれぞれ違う、というのは当たり前。それぞれが自己肯定する権利だってある。しかし「与えられた境遇で自己肯定しろ」と迫られる義務はないように思う。何らかの基準に照らして同等であろうとする権利を、だれも否定できないはずでは?
今年は、これが私の思索の底を流れるテーマになりそうな気がする。
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