亀井伸孝の研究室 |
ジンルイ日記つれづれなるままに、ジンルイのことを |
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最終更新: 2006年3月23日 |
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■ある雑誌へのオマージュ (2006/03/23)
■デトロイト日記2006 (4) ナニワ航空 (2006/03/21)
■デトロイト日記2006 (3) 自動車、黒人、ろう者 (2006/03/20)
■デトロイト日記2006 (2) クルマ社会のろう者 (2006/03/19)
■デトロイト日記2006 (1) 殻のないヤドカリ (2006/03/18)
■夢に切手を (2006/03/15)
■紙の上のフィールドワーク (2006/03/11)
■5寸釘の教え (2006/03/09)
■ティーバッグの中の神様 (2006/03/07)
■日本で食べたガーナチョコ (2006/03/03)
2006年3月23日 (木)
■ある雑誌へのオマージュ
『手話コミュニケーション研究』という雑誌がある。手話とろう者をめぐる論考を手堅くまとめ、年4回出されてきた雑誌である。縁あってこの雑誌に「アフリカのろう者」という連載を書く話をいただいたのが、2002年の春頃だった。大学院を終えたばかりの私にとっては実に重い仕事だったが、アフリカのろう者から教わった驚くべき事実に背中を押されるように書き続けてきた。
4回くらいで終わるかも…と思っていた連載が12回にもおよび、結局4年近いおつきあいとなった。私はカメルーン、ガボン、ベナン、ガーナ、、、と海外調査をくり返してきたが、どんな国に行っても必ず原稿の催促がきた。駆け出しの研究者という時期に、ずいぶんこれできたえられた。
発行元の改組にしたがって、この雑誌は3月を最後に休刊することとなった。最後の号まで書きたいという希望を受け入れてくださったことも含めて、これまでの恩に対し、この雑誌にオマージュ(讃辞)を捧げます。
2006年3月21日 (火)
■デトロイト日記2006 (4) ナニワ航空
今回の出張で使ったのはノースウェスト航空。ロゴの略称は "nwa"。いつ見ても(ナニワ…)と読めてしまうので、かってながら愛称「ナニワ航空」と名付けた。
ところで、ご存じでしたか。ノースウェストの国際線では、アルコールが有料です。1合ていどの小さなワインボトルでも、1本5ドル取るんですよ。これは、高い。
これまでいろんな会社に乗ったけれど、国際線で酒に金を取るところは初めて。さすがは破産・再建中の企業だ、などと妙な感心をした。
まあ、たまにはオレンジジュースでフライトを楽しむことがあってもいいんだけれどね。ぶつぶつ言いながら、ナニワ航空で大阪へ帰り着きました。
→ [デトロイト日記2006・終わり]
2006年3月20日 (月)
■デトロイト日記2006 (3) 自動車、黒人、ろう者
自動車の都デトロイトは、一面で「黒人の町」という顔を持つ。奴隷から解放された黒人たちが、南部の農場から北部の工業地帯に移住した。労働者の流入によって、自動車産業が興隆。今では人口の8割をアフリカ系が占めていると言われ、市長もアフリカ系だ。市の中心部には、巨大なアフリカ系アメリカ人歴史博物館が建っている。
「どうしてアフリカ研究のためにデトロイトに?」
この北部に出現した黒人コミュニティの中から、一人のろう者が大学に行き、やがてアフリカに渡ってろう学校事業をする。デトロイトには、その事業を資金面で支えてきた拠点がある。
つまり、西アフリカの手話のルーツをたどっていくと、ここにたどり着く。それは「黒人の歴史」という線でもつながっている。この巨大な歴史のうねり、とても短期調査ではつかみきれず、今回も時間切れで帰国です。
→ [つづく]
2006年3月19日 (日)
■デトロイト日記2006 (2) クルマ社会のろう者
「聴覚障害は、見て気づかれにくい障害」とよく言われる。外見的に目立った特徴がないので、たとえば駅や街角でいきなり声で話しかけられ、気づかないので誤解が起きる、などという話になる。ただし、ろう者が二人以上いる場合は、手話で話すので見て分かる、という話もある。
さて、デトロイトで暮らすろう者はこう言った。
「町中に人が歩いていた頃は、手話で話しているのが見えたから分かったけれど」
「今はみんな自動車だから道を歩かないでしょう。『ろう者だ』と気づかれにくいのよね」世界には、こういう悩み方をする人がいるのか、と思った。
→ [つづく]
2006年3月18日 (土)
■デトロイト日記2006 (1) 殻のないヤドカリ
仕事でデトロイトに来ました。言わずと知れた、自動車の都。ここに来るのは二度目だが、短期滞在していて気づくことがある。「町に歩行者がいない」のだ。道路には無数の自動車が走り、ばんばんととばしていく。でも、ほんとうに見渡す限り、歩いている人がゼロに近い町なのである。てくてくと地上を歩いている私は、ここではマイノリティ。
火星あたりから人類学者が来てこの町に降り立ったら、まちがいなく自動車のことを生物だと思うだろうね。「鉄の殻を持った生物多数あり。内部はタンパク質でできている」などと書くだろう。
鉄の殻をもたずに生身のまま歩いている私は、急に「殻のないヤドカリ」になったような気がした。
→ [つづく]
2006年3月15日 (水)
■夢に切手を
夢を抱いている人たちへ。夢に切手をはりましょう。(こんな自分になりたいな…)(あんなことができたらいいな…)
形の定まらない夢があるときは、星に願いをつぶやくよりも、夢に切手をはってさっさと出してしまうことです。そうしたら、自分が忘れたころに夢は目的地に届いています。
切手をはるためには、夢の重さや寸法をはからないといけません。目的地の住所や宛名を探して、書き込まないといけません。切手の値段と郵便局の開局時間も調べないといけません。送り方も、普通か書留か、速達か翌朝10時か、自分で決めないといけません。あわてないように、前の晩に包装もしておかないと。箱と包装紙とセロテープの準備を。なければ100円ショップに行けばいいことです。
こうして、切手をはることだけを考えているうちに、夢はいつしか小包になっています。後は、送ってしまえばいいのです。
夢に切手を。そうすれば、夢は運ばれていくのです。自分の知らない多くの人たちに手を貸してもらいながら。
2006年3月11日 (土)
■紙の上のフィールドワーク
去年、ある英文機関誌50年分をすべて読み通すという作業をした。200冊、ざっと1,000ページ。1週間人に会わず、ひげをそらず、禁酒までして、その世界にはまっていた。読んでいると、大河ドラマを見ているような気になる。人が消息をたつと心配になり、連絡があるとほっとする。会ったこともない人となじみになったような気になり、「おー、あんた元気にしてたかー」などとつぶやいたり。いろんな人生にとっくりつき合うという意味では、これも一種のフィールドワークなのかも。
現実のフィールドワークと一つだけ違うのは、私だけ未来を知っていることだ。
(あ、あなたはね、旅先で死ぬんだよ!)
本人に教えてあげたいのに、伝えようがない。そして次号に訃報が載る。これだけはどうにもつらかった。
2006年3月9日 (木)
■5寸釘の教え
「1寸釘5本ではなく、5寸釘を1本打ち込みなはれ」「経営の神様」松下幸之助氏の警句。行政改革のコツとして、首相にこう直言したという。(『毎日新聞』2005年1月23日)
うーん。研究者にとっては、かなり痛いせりふですね。
はっきり言って、論文の「数」がものをいう世情です。(研究の集大成1本よりも、短い文章5本のほうが…)という打算はどうしたって働いてしまう。そうこうしているうちに年月が過ぎていく。
大きな5寸釘を、ひとつガツンと。打ち込みたいですね。
2006年3月7日 (火)
■ティーバッグの中の神様
ある二日酔いの朝。緑茶を入れようとティーバッグをふっていた時のことだった。なんと。小さなティーバッグの中に、小さな小さな茶柱が立っていたのです。
神は細部に宿りたもう。小さきよっぱらいに幸いあらんことを。
2006年3月3日 (金)
■日本で食べたガーナチョコ
熱帯のガーナから、寒い日本に帰国しました。カカオの本場ガーナ産のチョコレートを日本に持って帰ってみたところ、ひとつ発見があった。
「か、かたい…」
熱帯で適度な柔らかさを保っているチョコレートは、高緯度地域にもってくるとまるで石の板のようになる。それぞれの気候に合わせたチョコレートのつくり方があるんだね。これも、環境に適応して暮らそうとする人類の知恵というものだろう。
…ということは? 地球上には、熱帯から寒冷地にかけて、かたいチョコから柔らかいチョコまで、帯状のチョコレート分布があるのかなあ。どなたか調べてみませんか。
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