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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2006年8月

日本語 / English / Français
最終更新: 2006年8月31日
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■ナイジェリア日記2006 (9) Later, later (2006/08/31)
■ナイジェリア日記2006 (8) 村の調査と町の調査 (2006/08/30)
■ナイジェリア日記2006 (7) 円とナイラ (2006/08/29)
■ナイジェリア日記2006 (6) 土地に描かれるろう者の夢 (2006/08/28)
■ナイジェリア日記2006 (5) ナイジェリアの先生たち (2006/08/27)
■ナイジェリア日記2006 (4) 日本とあべこべ (2006/08/26)
■ナイジェリア日記2006 (3) カメイ参上 (2006/08/25)
■ナイジェリア日記2006 (2) ろう者のミッション (2006/08/24)
■ナイジェリア日記2006 (1) 初めてのナイジェリア (2006/08/23)
■ナイジェリアに行ってきます (2006/08/21)
■がんばれフランス語 (2006/08/14)
■もしウルトラマンが3分で帰らなかったら (2006/08/07)
■領土をもたない援助大国 (2006/08/05)
■渡航目的、冒険 (2006/08/02)


2006年8月31日 (木)

■ナイジェリア日記2006 (9) Later, later

「村の調査」は、ふだんの暮らしでいろんな発見ができる利点があるが、欠点が一つある。いつでも会えると思うから、用事を後回しにする癖がつくことだ。

たとえば写真。「町の調査」だったら、訪問を終えて帰り際に「じゃあ記念に」と写真を撮るタイミングになりやすい。しかし、のべつ顔をつき合わせて暮らしていると、「さあ、今から写真を撮ろうぞ」というきっかけもないもので、つい延び延びになる。

こういう癖が付くのは、自分だけでなく相手も同じこと。

私「この前言っていた本を貸して」
A「うん。Later, later」

そこで私は、laterの範囲を決めることにした。

私「じゃあ今日の午後ね」
A「OK, later」

もちろん、それで解決するかどうかは定かではない。村の調査の宿命である。

[つづく]


2006年8月30日 (水)

■ナイジェリア日記2006 (8) 村の調査と町の調査

人類学のフィールドワークには、「村の調査」と「町の調査」の二つのタイプがあると、経験から思う。

村の調査は「住み込み型」。仕事をする場所に自分も暮らしている。生活まるごとが仕事場なので、プライバシーはない。私が調査していてもたいして気にされない、空気のようになるのが理想。

町の調査は「訪問型」。毎日アポを取り、たくさんの人に会いに行って仕事をする。晩は自分の宿に帰るので、プライバシーはある。この場合は空気ではなく、「この人なら会ってもよい」と思ってもらうための努力を続けないといけない。

今回は、イバダンというナイジェリア屈指の大都会にいる。でも「町の調査」ではない。ろう者のミッションという手話で完結した世界で暮らしながら、その中で仕事をしている。完全に「村の調査」だ。ここは、ろう者ばかりが暮らす村なのである。

[つづく]


2006年8月29日 (火)

■ナイジェリア日記2006 (7) 円とナイラ

ナイジェリアの通貨は「ナイラ」。だいたい1ドル=130ナイラだから、ほぼ円に近い。物価はずいぶん違うけれど、貨幣の換算は楽である。

T「日本円は、ドルで言うとどのくらい?」
私「120円くらい。だいたい1円=1ナイラと思ったらいいよ」
T「へー。日本って経済大国だと思ってたけど、あんがい弱いな」

いや、そうじゃないんだけどな(苦笑)。でも貨幣の単位だけ見れば、レートがほぼ1:1なのは事実だし、むきになって反論するほど私はナショナリストでもない。

私「あはは、日本なんて弱い弱い。いずれナイジェリアに負けるわ」
T「そんなことないでしょ(笑)」

と適当に流す。

体面が気になるなら、貨幣の単位を100倍くらいにしておくことです。
>日銀のみなさん

[つづく]


2006年8月28日 (月)

■ナイジェリア日記2006 (6) 土地に描かれるろう者の夢

ろう学校の校舎建設予定地という所を見に行った。ろう者のミッションが運営する私立学校が手ぜまなので、ここに移転する予定だという。

ほとんど草ぼうぼうの土地だけれど、一部は整地されていて、一部はトウモロコシ畑になっていた。校舎が建つまでの間、とりあえず耕しておくという感じだろうか。

ん、この光景、どこかで見たことがあるぞ。広い土地、建設現場、眺めわたすろう者たち…

そうだ。カメルーンで、ベナンで、ガボンで、同じようにろう者の団体が土地を手に入れ、学校や施設の建設を進めたり、そのための資金獲得に駆け回ったりしていた。

土地が安く家が高いアフリカでは、ろう者たちが広い土地を手に入れ、そこに大きな夢を描く。気持ちのいい話だ。後は、予定通り夢がかないますように。

[つづく]


2006年8月27日 (日)

■ナイジェリア日記2006 (5) ナイジェリアの先生たち

ナイジェリアは、すごい。とやはり思わされた。ろう者の教育者たちの風格である。

「私は○○州でろう学校の校長をしています。よろしく」
「私の設立した学校を見に来なさい。今は休暇中で生徒はいないが」

文句なしに、ろう教育の一角を占めている要人。そういう感じなのである。

もちろん世界中にろう者の先生はいて、どこでもろう教育の重要な一角を占めていることに変わりはない。

それにしても、ナイジェリアのろう者たちの堂々たるさま。この国では、手話によるろう教育と大学のろう教育専攻コースの両方をろう者たちが創始し、弟子たちがそれを受けついできた歴史がある。それゆえか、「ろう教育は自分たちが背負う業界」という誇りが感じられるのだ。

[つづく]


2006年8月26日 (土)

■ナイジェリア日記2006 (4) 日本とあべこべ

「日本のろう者はどんな仕事をしているんですか?」

調査しているとよく聞かれる。日本のことは専門家じゃないけど、と断りつつ、おおざっぱなことを答える。

私「いろいろですよ。工場に勤める人、事務職の人、建築やデザインなども。
  ただ、政府の方針もあって、教員になるろう者は限られます」
A「あれま。ナイジェリアとあべこべだ」
B「うちの国はね、ろう者といえば教師、教師ばっかり。
  事務職や工場労働者がいないんだよ」

ろう者が教育を担当することにまだまだ壁が高い日本にとっては、うらやましい限り。でも、それ以外の職に就けないとなれば、それはそれで問題だ。どちらがよいという話ではないですね。「ろう者は○○をしていればよろしい」と、社会が選択肢をせばめてしまうことこそが問題なのだから。

それにしても「教師ばっかり」と嘆いているとは。すごいもんです。

[つづく]


2006年8月25日 (金)

■ナイジェリア日記2006 (3) カメイ参上

私のサインネーム(手話でのニックネーム)は、指文字Kの中指の腹で口ひげをなぞる。カメルーンのろう学校のこどもたちがくれたあだ名で、「ヒゲのKさん」といったところか。今も大事にしていて、各地に行ったときには自己紹介で使う。

私「名前はKAMEI、サインネームは(ヒゲのK)です」
A「おおー!」
私「え、何が」
A「ナイジェリアでは、KID(ガキ)という手話に似てるんだよ」
B「手の形をRに変えたら、ROBBER(強盗)になるね」
C「ガキ、強盗、カメイ」
D「きゃはは」

もう勝手にやってくれという感じ。でも、こうやってネタにされるのは、信頼関係構築の第一歩と心得る。いきなりナイジェリア手話で盛り上がられた歓迎でした。

[つづく]


2006年8月24日 (木)

■ナイジェリア日記2006 (2) ろう者のミッション

今回お世話になっているのは、あるプロテスタント系のキリスト教ミッションのセンター。牧師がいて、教会と学校があり、スタッフが共同生活をしながら信仰と労働の日々を送る。その点では、アフリカに何百、何千とあるミッションと変わりない。

ただし、一つだけ特徴的なのは、運営責任者の牧師も含めてここのスタッフのほとんど全員がろう者で、すべての業務と生活が手話で進められていること。

二階の部屋を借していただいた。足音、鍋を洗う音、ドアを開ける音。窓から眼下を見ると、にぎやかな手話。ここはろう者の国。しばらくここに居候させていただくことになった。

このセンターには、歴史がある。あるアメリカ人ろう者牧師が、約30年前にこのセンターを開設した。アフリカ中の若いろう者たちがここに集まって勉強し、各地に帰って教師や牧師となった。アフリカ大陸の半分くらいのろう教育と手話言語が、このミッションの事業の影響を受けた。

アフリカ大陸に広く分布する手話のルーツの地についに来たぞ!と、ミーハーな私は、まずカメラを取り出して記念撮影をしたのだった。

[つづく]


2006年8月23日 (水)

■ナイジェリア日記2006 (1) 初めてのナイジェリア

ナイジェリアに着いた。

治安や政情の面で要注意と言われることもあって、今回はかなり周到に準備した。現地の団体と連絡を重ね、単独行動しなくてすむように用意してもらった。

いったいどんな国やら…と思って車窓から外を見る。渋滞、赤土、露天商。いつも見るなじみのアフリカの街角があった。うーん。これのどこが要注意地域なのかな、と、今ひとつ実感がわかない。近隣の国々では、私は何年間もこのような風景の中にとけこんで仕事をしてきたからだ。

もっとも、見かけだけでは分からないし、不測の事態が起こってもつまらない。何より時間のムダになる。

そういうわけで、今回は町の雑踏はパス。直接、調査地となるキリスト教ミッションに直行し、もっぱらそこで住み込み調査をすることにした。

ろう者たちが運営するキリスト教団体にお世話になって仕事をした日々を、シリーズでご紹介します。

[つづく]


2006年8月21日 (月)

■ナイジェリアに行ってきます

出張で、西アフリカのナイジェリアに出かけます。

ナイジェリアは「アフリカの巨人」。アフリカ最大の人口をもつ国で、すでに日本の人口をこえたと言われている。人口大国、経済大国、産油大国、軍事大国。国連安保理の新常任理事国の筆頭の候補ともささやかれている。

今回は、世界最大級のろう教育事業を展開した、ろう者団体の拠点を訪れます。ろう者の世界でも「台風の目」となった大国なのです。

「ナイジェリア日記」をお楽しみに。しばしごきげんよう。


2006年8月14日 (月)

■がんばれフランス語

最近の語学スクールのポスターを見て思ったこと。

「英・中・韓・仏・伊・西・独」

へえ。英語の次は中、韓ときますか。

かつては「英・仏・独」という外国語御三家はゆるがないように見えたけれど。ヨーロッパ言語の地位は、少なくとも日本の語学ビジネスの中では凋落ぎみの模様です。

でも、忘れてはいけないのは「フランス語=フランス」ではないということ。よいか悪いかは別として、フランス語は何十もの国の公用語になっていて、国連の二つの作業言語(英・仏)のひとつでもある。

日本人の間でフランスへの興味がなくなっていくまきぞえをくって、世界の広大なフランス語圏が一緒に忘れ去られてしまうとしたら、ちょっと困るなあ。英語で文通できない世界は、けっこう広いんですよ。

英語というメガネでは見えてこない、いくつもの国際社会がある。カメルーン、ガボン、ベナン、お世話になった友人たちの姿を思い出しつつ一言。「がんばれフランス語!」


2006年8月7日 (月)

■もしウルトラマンが3分で帰らなかったら

イラクにいるアメリカ軍。いつまでいるのかな。

思い起こせば、ウルトラマンはいつも3分で戦いを終えて帰っていった。

(1) 人道的な危機を傍観しない
(2) しかし、居座って権力を行使したりはしない

という、人道支援の鏡のような関わり方だった。

もしウルトラマンが何年も居座って、地上で掃討作戦を続けていたら? 疑心暗鬼やミスが重なって、虐待や誤射をたびたび起こしていたら? 怪獣撃退の恩義を感じていた地球の住民だって、だんだん嫌気がさして、反ウルトラのゲリラに共感を寄せる人が現れないともかぎりませんよ。

ブッシュ大統領、いちどウルトラマンを見てごらん。正義と人道の味方は、去りぎわもかっこいいのですよ。


2006年8月5日 (土)

■領土をもたない援助大国

アメリカの大富豪バフェット氏が、これまた大富豪であるゲイツ夫妻の財団に、370億ドル(約4兆3000億円)の資産を寄贈すると発表。ニュースになった。

民間の財団に寄贈した理由が、容赦ないのである。

「税金を払って財務省に任せるより、夫妻の財団はお金の効用を最大化してくれる」

税を取りそこねたアメリカ政府は、完全にコケにされてしまった。ただし「政府もいくつかあるプレーヤーのひとつにすぎない」という認識は正しいのかもしれない。カネを知りつくした人の卓見である。

ゲイツ財団は、途上国の国家予算を優に上回る運用益を手にすることになった。これから世界各地での医療や教育に使うというのだから、いわば「領土をもたない開発援助大国」がひとつ出現したと言ってもいいのだろう。

「援助するから、代わりに国連で一票くれ」みたいなケチな外交をしていたら、国家は負けますよ。さあ、どうする? これからが見物です。


2006年8月2日 (水)

■渡航目的、冒険

黄熱の予防接種の有効期間が切れたので、10年ぶりに検疫所に注射を受けに行った。

注射の前に、問診票を書く。

これは大切なことなので正しく記入してください。
渡航目的 □仕事 □観光 □冒険 □その他(   )
厚生労働省は、なぜか「冒険」に興味があるようです。

もしここで「冒険」にチェックしたらどうなるのかな。「危ないことはするもんじゃない」などと説教されるのだろうか。それとも「冒険家のための健康ハンドブック」でもくれるのかな。

ちょっと迷ったけれど、正直に「仕事」と書きました。



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