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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2006年10月

日本語 / English / Français
最終更新: 2006年10月30日
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■いまどきの日本語 (2006/10/30)
■入稿の日 (2006/10/23)
■ビジネス書を読もう (2006/10/21)
■「拝観停止」見物の想い出 (2006/10/18)
■千葉県が集めた差別の数々 (2006/10/11)
■袋はいりません (2006/10/03)
■大学教員が選ばれる季節 (2006/10/02)


2006年10月30日 (月)

■いまどきの日本語

原稿のチェックをしていて、「へー、最近の日本語ってそうなんや」と学ぶこといろいろ。日本語のプロ(出版社の担当編集者)に最近教わったことを、備忘録風に。

[その1]滅びゆく「々」

反復の「々」は、今や使われない傾向にあるという。

「人々」「島々」「国々」>「人びと」「島じま」「国ぐに」がよい、と。

「々」は、それ自体が読み方を持たない奇妙な漢字として愛らしくもあるけれど、あと10年もしたら消滅しているかもしれませんね。

[その2]漢字は頭だけ

複合動詞で漢字表記するのは先頭の文字だけ、とする傾向があるという。

「成り立つ」「結び付く」「立ち直る」>「成りたつ」「結びつく」「立ちなおる」がよい、と。

うーん。理由は分かりません。そういう時代なんだそうです。


2006年10月23日 (月)

■入稿の日

入稿の日が来ました。

今朝、メールで「送信」をぽちっと押し、文字部分だけでも500KBというかなりの分量のワード文書を、出版社の担当の方に送りました。ひとつ階段をのぼった瞬間。

『アフリカのろう者と手話の歴史』という本が、これで完成しました。近いうちに出版されます。

未完成の原稿を抱えて暮らすというのは、たとえて言えば「体の弱い子どもを抱えているような感じ」だろうか。

いつもいつも気がかりで、電車の中でも食事中でも、ついそのことで考えにふけったり、心配になって様子を見たりする。いろいろと手をかけてみて、少しずつよくなってくるとほっとする。手がかかるからこそかわいいという感情もわいてくる。もっとも、子どもを持ったことはないから安易に比べるのも失礼かもしれないけれど、どこか通じるものもあるような気がする。

今日、その原稿はひとり立ちして、出版社の手に渡りました。あとは見守るだけ。「手をかけて育てる苦労と楽しみ」というのがなくなった著者の私は、ちょっとさびしくなりました。


2006年10月21日 (土)

■ビジネス書を読もう

私が大型書店に行ったとき、よく立ち寄る棚はどこでしょうか。「文化人類学」「アフリカ」「社会学」「手話」「社会福祉」…まあそれもあるけれど、実は「ビジネス書」。

『時間管理術』『書斎整理マニュアル』『手帳の極意』『ビジネスメールこの一冊』などなど。私はそういう本がけっこう好きなのです。

「大学の研究者が、どうしてビジネス書を読むんですか?」

理由は簡単。研究はビジネスですから(きっぱり)。

手持ちのネタに付加価値を付けて、納期までにお客様にお届けする。営業もすれば、マーケット調査も顧客サービスもする。そういう意味では、研究会も論文も授業も依頼原稿も、みなビジネスです。

「より早く、より分かりやすく、よりおもしろく」。ビジネス書は驚くほどのノウハウの宝庫だ。

「ビジネス書なんて…」と思っている院生や若手研究者のみなさん。だまされたと思って、プロの仕事術に学んでみよう。自分の力を何倍にも発揮して、社会を何倍にもおもしろくするために。


2006年10月18日 (水)

■「拝観停止」見物の想い出

秋が深まると思い出すのが、1980年代に起こった京都の寺院の「拝観停止」騒動。

京都市が財政赤字をうめるために考えた「古都保存協力税」。参拝者の多い寺社から、1人あたり50円の税を取ろうと思いつく。市議会で条例は可決した。

仏教界は猛反発。たかだか100年の京都市の分際で、1500年の歴史をもつ仏教寺院に徴税の下うけをさせるつもりか。要因はいろいろだろうが、そういうプライドもかかった全面的な闘争になり、寺側の実力行使が始まった。

私が中学の修学旅行で秋の京都に行ったとき、有名寺院は軒並み閉まっており、定番の金閣寺、銀閣寺、広隆寺、一つも入れなかった。もちろん有名寺院だけが京都ではないから、ガイドさんたちは小寺院の散策コースなどを考えてくれた。このプロの対応は、今考えても大したものだと思う。

もっとも、中学生のガキである。寺の門前で「拝観停止」の看板を見つけては大騒ぎ。「おれたちが歴史の証人だ」とばかりに、そこで記念写真を撮った。ふつうに寺に入れるよりも、入れずに門前ではしゃいでいた方がおもしろかったのかもしれない。

「拝観停止」は京都観光に打撃を与えた不幸な事件とされている。でも「拝観停止」だからこそ京都を楽しめたという人も中にはいたのだ。これは、そういう手記。


2006年10月11日 (水)

■千葉県が集めた差別の数々

今日、千葉県で障害者条例(障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例)が可決、成立した。国が障害者差別禁止法をつくらない(国連に注意されてもつくらない)がゆえの、自治体先行の新しい取り組みだ。

実際の運用のしかたなど、賛否も論じられているらしいが、「現に差別がある」と認めたうえで解決策を模索しようとするのはよいことだと思う。

私がすごいと思わされたのは、県庁による差別調査。健康福祉部障害福祉課が「障害者差別に当たると思われる事例」を約800件集め、公開している。

その事例の数の多さ、そして生々しさ。調査に応じて体験をつづった県民の思い、ひたすら事例を集めて公開し続けた障害福祉課の執念にも、圧倒されるものがある。立場や信条は別として、いちど見てみてください。

もしかして(いったいどこまでが差別なの?)(こんなことも差別になっちゃうの?)という疑問も浮かぶかもしれない。「差別」に当たるかどうかを決めるのは主観だろうか、それとも客観だろうか。

そういうこともすべて含めて、いろいろ考えさせてくれるレポートです。教材にもなるかもしれませんね。


2006年10月3日 (火)

■袋はいりません

コンビニで弁当を買ったときのこと。いつものようにレジ袋をことわった。

私 「袋はいりません。そのままで」
店員「ハイ、ありがとうございまーす!」

元気のいい返事とともに、しっかりとレジ袋に入った弁当を渡された。この店員、まったく話を聞いていないのである。こういうとき、どうします?

(a)「いらんと言ったらいらん!」と、怒って袋を外させる
(b)「ほんとはいらなかったんですけどね」と念を押して、こちらの言い分を認めさせる
(c)「…」袋に入ったものはしかたないので、黙って受け取る

(c) はあまりにくやしすぎる。申し出た自分がアホみたいだ。(a) も考えたが、怒って捨てさせるのも「単に袋が嫌いな人」みたいで大人げない。それで、半端だけれど (b) にした。

私 「袋はいらなかったんですけどね」
店員「あ、すいません。外しますか」
私 「もういいです。それで」

私が得たものは何だろう。「資源節約とゴミ減量の良識を保っているぞ」というプライド。私が失ったものは何だろう。「それを実行に移した」という満足感。レジ袋をなぜことわるのか自分で考えたこともなかったが、こんな薄っぺらな自己満足のためだったとはね。

さて、もらうつもりのなかったレジ袋。このまま捨てるのも、負けを認めるみたいでしゃくだなあ。どうしようか。


2006年10月2日 (月)

■大学教員が選ばれる季節

秋。大学で授業が始まり、講義選びや登録であわただしいシーズンだ。

講義の第一日目。講義室前のろうかで、携帯を握る男子学生。
「おい、今どこ? こっち『人類学』。来るんか? どうする?」
相談もいいけど、早めに決めてや。授業始めるからね。

第一日目の終了後、講義室の一角に集まる女子学生たち。
A「ねー、どーする?」
B「とる? やめる?」
C「んーとねー。○○はどうする?」
悔いのないように、自己決定で頼むよ。

大学の講義の多くは選択制だから、教員たちは徹底的に比べられて選ばれる。逆に、教員は学生を選べない。それが仕事だから別にいいけれど、全部こっちに聞こえてくるんだよね。笑うしかありません。

[教訓]情報交換は小声でしよう。



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