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亀井伸孝の研究室: ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2006年11月

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■ろう学校での一日授業 (2006/11/27)
■わが友、宇宙人ジョーンズ (2006/11/19)
■日記と〆切 (2006/11/15)
■「受験生救済」の光と影 (2006/11/07)


2006年11月27日 (月)

■ろう学校での一日授業

ろう学校に招いていただき、中学生のみなさんを相手に授業をした。「総合学習」の一環で、アフリカの文化について学ぼうというものだ。もちろん、手話での授業。

1時間半という長丁場。声での授業とは違って、手話の場合はよそ見をされたらコミュニケーションが切れてしまうから、あきさせまいぞ!とこっちも真剣勝負。生徒たちの目を釘付けにしようと、がんばって手をぶんぶんとふり回す。

生徒たちも、目の使い方は慣れたもの。ちょろっとよそ見をするようでも、実はちらりちらりとこちらに目を配っている。さすがはろう者、「目使い」の達人だね。

全身をつかって熱演の大サービス。おかげで、アフリカに行ったことのないろうの生徒たちに「へー、おもしろかった」「アフリカに行ってみたい!」と言ってもらえる楽しい時間となった。

聞こえない子どもたちのことばは、やっぱり手話ですね。口話だの手話だの、育ち方はいろいろであっても、全員が私の手話をじっと見てニコニコしていた。

子どもたちが自然なことばで学ぶことの大切さ、相手によく分かることばで教えることの楽しさ。その両方を学ぶことができて、私もいい勉強になりました。ろう学校の生徒のみなさん、招いてくださった先生方、ありがとうございました。


2006年11月19日 (日)

■わが友、宇宙人ジョーンズ

ボスコーヒーのCMシリーズ「宇宙人ジョーンズ」。

「この惑星の駐車禁止は、厳しい」
「この惑星の住人は、イチキュッパに弱い」
「『微糖』の『微』はなにかに似ている。そうだ。『ちょいワル』の『ちょい』だ」
(いずれもサントリーのCMより)

地球の人々を観察しながら、変なひとりごとをつぶやく宇宙人ジョーンズ。どれも外れてはいないが、どこかずれている。本人がまじめなだけに、笑える。悪意も実害もないから、そのへんにいてくれたらいい。次は何を言い出すか楽しみだ…。

そう、これはフィ−ルドでの文化人類学者そのものだ。人類学者は、彼のようにまじめにずれながら、せいぜい笑ってもらい、無害な他者として近くにいさせてもらうことをなりわいとしている。「これは私の姿なのだ」と思って見ている。

宇宙人ジョーンズさん。最近、君ほど親近感をおぼえたキャラはいないよ。どうです、文化人類学会に入りませんか。

(CMのあらましはサントリーのサイトで読めます)


2006年11月15日 (水)

■日記と〆切

「近ごろ、日記が少ないですよー」

ある知人の方に言われた。ええ、すみません。この秋は日記をさぼって、原稿書きに没頭していました。

実際に日記を書いている暇がなかった、というのが一つ。それに、編集者の方に無理いって待ってもらっているとき、日記ばかり書いているのも変でしょう。「そんな暇あったら、一行でも原稿書けよ」と思われるにちがいないから。

もっとも、私の原稿を待っている編集者が、このサイトを見ているかどうかは分からない。だから、これは私の想像の産物にすぎない。

(どこかでだれかが見ているにちがいない、だから自粛を…)

勝手に想像して、勝手に服従する。たしかフーコーもそんなこと言っていましたね。

おお、次の〆切が迫ってきました。透明になりゆくネット社会の中で、貧乏物書きは息をひそめています。日記の解放はいつ訪れるのでしょうか。


2006年11月7日 (火)

■「受験生救済」の光と影

全国の高校で発覚した「必修科目の履修もれ」問題。私が驚いたのは、あっというまに政府から補習時間数削減などの救済策が出されたことだ。

「受験前の高校生たちに、補習のための過大な負担をさせてはならない」

授業を受ける側の高校生たちに過失はないから、こういう措置があってもいいとは思うけれど。ただ、それを言うならね、と私は文句の一つも言ってみたい。

かつて、朝鮮学校や韓国学園など、特定の学校の高校生たちに「国立大学の受験資格を与えない」とする政府の方針があった。高校生たちはそれこそ過大な負担を抱え、大検を受けたりダブルスクールをしたりして、制度のハードルを越えるために苦闘していた。

2003年に省令で基準が弾力化され、全国の国立大学が受験資格を認めるようになるまでの半世紀もの間、政府はこの高校生たちの負担を文字通りほったらかしにしてきたのだ。たった一週間で救済された今回のいきさつを見るにつけても、その落差が何を意味しているのかが気になる。

「受験生救済」の論理は美しくひびく。マジョリティの高校生がそれを享受してもいいだろう。しかし、マイノリティの高校生がそれを受けられなかった歴史を忘れてはならない。論理を示すなら万人に適用するというのが、フェアな政策というものではありませんか。



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