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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2007年5月

日本語 / English / Français
最終更新: 2007年5月29日
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■『いくお〜る』の覆面書評 (2007/05/29)
■長崎日記2007 (4) 長崎とアフリカをつなぐ細い線 (2007/05/28)
■長崎日記2007 (3) めんくい、ちゃんぽんを求め歩く (2007/05/27)
■長崎日記2007 (2) ちんちん電車の方程式 (2007/05/26)
■長崎日記2007 (1) 犬猫さま (2007/05/25)
■だれにとっての快適な車内 (2007/05/24)
■さようなら、ムッシュー・ドタキャン (2007/05/18)
■『アフリカのろう者と手話の歴史』が『月刊言語』の書評で紹介 (2007/05/17)
■CO2を気にする出張 (2007/05/15)
■聴者のモラル (2007/05/14)
■ミイラ取りがミイラ (2007/05/13)
■様式A-2-3 (2007/05/11)
■子どもの日に見た映画 (2007/05/05)
■「幸福日記」1周年 (2007/05/02)
■自販機の衣替え (2007/05/01)


2007年5月29日 (火)

■『いくお〜る』の覆面書評

うっかりと気づかなかったのですが。

雑誌『いくお〜る』62号 (2005年8月) が、拙著『手話でいこう』の書評を大きく掲載してくださっていた。最近そのことを知り、図書館で閲覧した。

「覆面書評」という企画がそれだ。「覆面ろう者」「覆面難聴者」「覆面聴者」の3人が、それぞれの立場から匿名で1冊の本を批評する。

つまり、聞こえと言語のさまざまな評者たちに囲まれ、著者はいわば三方から集中砲火をあびるわけです。いやぁ、これはなかなか緊張しますね(汗)。こんなユニークな構成の書評は見たことがなく、そういう意味でもたいへん楽しめたし、勉強になりました。

拙著へのコメントと激励をたまわり、ありがとうございました。たいへん遅ればせながら、あつくお礼申し上げます。>評者、編集部各位

「覆面書評 vol.10『手話でいこう: ろう者の言い分 聴者のホンネ』」
『いくお〜る』(ベターコミュニケーション研究会) 62号 (2005年8月): 46-47ページ.

※書評の一部はこちらのページで紹介しています。


2007年5月28日 (月)

■長崎日記2007 (4) 長崎とアフリカをつなぐ細い線

長崎原爆爆心地 広島と長崎に落とされた原爆は、おもにアフリカのコンゴ産のウランで作られていた。

「アフリカの資源が、どうして日本の市民を殺す原爆になったんだろう?」

この細い因果関係をつないだのが、ベルギー、イギリス、アメリカである。ヨーロッパを支配していたナチスドイツの手をすり抜けるように、ウランはアフリカのベルギー領植民地から在ロンドンのベルギー亡命政府を経由して、アメリカへと渡る。やがて物理学者たちがそれを原爆に仕立て上げ、米大統領の指令で広島・長崎へと運ばれた。

ベルギー領コンゴのウラン鉱山で働かされていた黒人労働者は、よもやそれが遠い日本の市民を殺傷する核兵器の原料になるとは想像もしなかったにちがいない。アフリカと日本をつなぐ細い線。そして、それはあまりにも不幸な線である。

今年、長崎で「日本アフリカ学会」の学術大会が開催されたことの意味を深くかみしめながら、被爆都市長崎を後にした。

→ [長崎日記2007・終わり]


2007年5月27日 (日)

■長崎日記2007 (3) めんくい、ちゃんぽんを求め歩く

長崎ちゃんぽん 日頃から、麺類をこよなく愛する私である。

長崎に出張で来たからには、ちゃんぽんと皿うどんは欠かせない!と心に誓っていた。

ただ、学会は基本的にオフの時間がほとんどない。朝はホテルでパンをかじって会場にかけつけ、昼は館内で弁当、晩は学会主催の懇親会。土日の2日間、会場にかんづめになってアフリカの勉強づくしになるというのが仕事なのだから、当たり前なのだが。

日曜の晩。やっとちゃんぽんのお店に行くことができた。紙幅の、私服の、いや、至福のひととき。明日は帰りぎわに皿うどんを、とめんくいの執念は続く。

[つづく]


2007年5月26日 (土)

■長崎日記2007 (2) ちんちん電車の方程式

長崎名物、ちんちん電車に乗る。本数も多いし、便利で安い。仕事の行き来でも毎日これに乗った。

さて、不思議なのはここの料金体系だ。

大人=100円/小児=50円

(a) 大人+幼児+幼児=150円
(b) 大人+幼児+乳児=100円
(c) 小児+幼児=50円
(d) 幼児+幼児=100円

大人=12歳以上
小児=6歳以上、12歳未満
幼児=1歳以上、6歳未満

とくに難しいのは (c) と (d)。幼児どうし2人で乗る方が、ちょっとお兄ちゃん/お姉ちゃんと一緒に乗るときより高いんだって。いったいなぜ? 幼児のめんどうをみるお兄ちゃん/お姉ちゃんを、割引でねぎらっているのでしょうか。

どなたか、この連立方程式にあざやかな解を与えてくださいませんか。

[つづく]


2007年5月25日 (金)

■長崎日記2007 (1) 犬猫さま

日本アフリカ学会の大会への出張で、長崎を訪れた。

市内のバスセンターで、味なはり紙を発見。

立小便はお断りします
犬猫はこれに限らず

むむむ…これはいろんな読み方ができますな。

(1) [愛護説] 犬猫を愛護し、その「小便権」を保障しようとしている。

(2) [偏見説]「立ち小便するような人は犬猫並みですよ」と、他種への偏見を利用してヒトに警告している。

(3) [特権説] 実はこのバスセンターは犬猫が支配しており、ヒトに人権がない。

まさか (3) では?と、バスセンターの周囲を見渡してしまった。

たった2行で人類学者の心をぎゅっとつかむ文章を記した、このはり紙の作者に敬服。

[つづく]


2007年5月24日 (木)

■だれにとっての快適な車内

「快適な車内環境づくりにご協力をお願いします…」

電車でよく聞こえてくる決まり文句。乗客のマナー向上を呼びかける車内放送だ。

タバコを控えよう、ケータイの使用を控えよう、女性専用車両には男性は乗らないように、必要としている方に席を譲ろう…。

ええ、いずれも「だれか特定の受益者にとっての快適な環境づくり」にはちがいない。ただし、万人にとって快適な条件だとはかぎらないでしょう。中心にいったいだれがいるのか、車内放送ではその姿をかき消してしまっているようだ。

私は、上のようないろいろな制度があっていいと思うし、基本的にはそれに協力している。ただ、中心にいる受益者の姿がかき消され、「快適な環境」だけが一人歩きすることには、気味の悪さを覚えなくもない。「だれか」がいないところに「環境」がありえようはずがないのだから。

「快適な車内環境づくりにご協力をお願いします…」
(だれにとっての?)

心の中でつっこみを入れながら、毎朝職場へと向かっている。


2007年5月18日 (土)

■さようなら、ムッシュー・ドタキャン

5月16日、ジャック・シラク仏大統領(在任 1995-2007)が退任した。

保守派、核実験、親日派、相撲ファン、反イラク戦争、EU統合…。いろいろな顔が伝えられるけれども、私には忘れられないひとつのできごとがある。それは「来日のドタキャン」だ。

2003年の春、シラク大統領が京都を訪れ、大学に講演に来ることになっていた。私も講演の席を予約していたのだが、米英のイラク侵攻が迫る緊迫した国際情勢の中、来日はキャンセル。この大統領を見る機会をのがしてしまった。

さようなら、ムッシュー・ドタキャン。暇になったら、また京都に遊びに来たらいいと思います。日本相撲協会もきっと歓待してくれるでしょう。


2007年5月17日 (木)

■『アフリカのろう者と手話の歴史』が『月刊言語』の書評で紹介

拙著『アフリカのろう者と手話の歴史』が、大修館書店『月刊言語』(2007年6月号)の書評欄で紹介されました。評者と編集部各位にあつくお礼申し上げます。

『月刊言語』と言えば、言語の研究に関する老舗の雑誌だ。けっこう難解な言語学の話題を、分かりやすい文体でかみくだいて毎号紹介してくれる。

さらに、この雑誌は巻末付録がすごいと私は思う。ことばに関わる毎月の新聞記事のダイジェストや、新刊・行事・新語や流行語の情報が満載。私が学部生の頃から親しんできた、お付き合いの長い雑誌である。

その雑誌で、アフリカの手話に関する拙著を紹介していただいたことは、一愛読者としてたいへん光栄なこと。また、こういう機会を通じて、少しずつアフリカを含む世界各地の手話言語への認識が広まることがあれば、と願ってやみません。

書評の一部はこちらをご参照ください


2007年5月15日 (火)

■CO2を気にする出張

NAVITIMEという交通検索サイトがある。

このシステムを使っていておもしろいのは「その移動で二酸化炭素がどのくらい排出されるのか」をいちいち表示することだ。

たとえば、「大阪→長崎」の検索をしてみると。

(航空機の場合)
3時間2分 ¥24,820円 乗換回数: 3回 CO2排出量: 約63167g (概算)

(新幹線の場合)
5時間17分 ¥17,340円 乗換回数: 2回 CO2排出量: 約14040g (概算)

さあどっちにしますか、というわけだ。概算なので正確な排出量とはかぎらないものの、いやでもCO2を意識することになる。

今の公費での出張は、ふつう「期間/金額/目的」を管理することで完結しているが、そのうち「期間/金額/目的/CO2」というようなことになるんだろうか。

「出張のたびに、排出したCO2量を報告書に記入すること」
「年間予定CO2排出量を超えて出張を行った場合には、理由書を添付すること」
「CO2排出枠は、次年度に繰り越して用いることはできない」

…なんてね。第二の予算なみの重要指標になる日は、くるのでしょうか。


2007年5月14日 (月)

■聴者のモラル

映画「バベル」をめぐる聴者の言説とモラルについて、この日記に短いコメントを記したところ、いろいろな反響があった。ご参照くださりありがとうございます。

女優の「使えるものはどんどん使おうと思った」という発言(毎日新聞2007/01/25, 紙面では「どんどん」が省かれている)については、「手話のことを指しているのではない、亀井の誤読ではないか」という趣旨のご指摘もいただいた。

元の記事を読み返してみると、うーん、微妙ですね。手話を含んでいるように私には読めますが、そう明示されていない以上、この言葉じりをとらえる批判はひかえようと思います。

とはいえ、先日のコメントにこめた私の思いは基本的に変わらない。女優が生活の中でろう者のふりをして仕事に使ったこと、そのことを取材で披露していること、記者がサクセスストーリーの一部として書いたこと、そのまま全国的に報道されたこと…。その全体が、いわば失礼の連鎖になっているのです。

聞こえないふりをしてろう者の現実に近づいたと思い込むような、思い違いの聴者たちが続出することを防ぐためにも。私はこのような風潮全体に対し、はっきりと「否」を唱えます。

かつて、拙著で「聴者がしてはいけないこと」という小文を記した(『手話でいこう: ろう者の言い分 聴者のホンネ』最終節)。私がなぜこの問題にこだわるのか、関心のある方はぜひご一読いただきたいと思う。

聞こえる人はろう者にはなれない。せめてろう者のよき隣人でありたい。手話を学びろう者に関わろうとするすべての聴者の方々に、あらためてこの「当たり前の謙虚さ」のモラルを呼びかけたいと思います。


2007年5月13日 (日)

■ミイラ取りがミイラ

ある日、糸ようじを使っていたら、糸が切れて奥歯につまってしまった。

「ミイラ取りがミイラになる」というのは、こういうことを言うのだろう。


2007年5月11日 (金)

■様式A-2-3

「科研費の交付申請」。文部科学省から科学研究費(科研費)の交付を受ける全国の研究者が、この時期いっせいに年間計画の書類を出す。

この春、新しい提出書類がひとつ加わった。「様式A-2-3」というのがそれである。

様式A-2-3
科学研究費補助金の使用にあたっての確認書

私[(自筆署名)]は、平成19年度の科学研究費補助金により研究を遂行
するにあたり、補助条件を理解しこれを遵守いたします。また、科学研究費
補助金が、国民の貴重な税金で賄われていることを十分認識し、科学研究費
補助金を公正かつ効率的に使用するとともに、研究において不正行為を行わ
ないことを約束いたします。
つまり「不正な使い込みはいたしません」という誓約書である。これを提出しなければ研究費は出ませんよ、というわけだ。

「国民の貴重な税金で賄われていることを十分認識し」なんて、小学校の時の反省会みたいだね。くり返し唱えさせることで研究者にマナーを教えようという、文科省の温かい配慮といらだちとが感じられます(ただし「納税者=国民」というのは誤りですね、納税する外国籍の人はたくさんいますから)。

さらに文科省は「備品の検収を行う」という方針を示しています。つまり、研究者の持ち物検査。大学の研究者は、公金使い込みのハイリスク集団と見なされつつあるかのようです。

いくつかの事件があって、こういう制度が次々とできている。私たち研究者は、もっとプライドをもって憤るべきなのでしょうか。それとも、やっぱりそうだよね…と静かに見守るべきなのでしょうか。


2007年5月5日 (土)

■子どもの日に見た映画

たまたま時間ができた休日、『ブラッド・ダイヤモンド』という映画を見た。

詳しくはこちらのページの映画評を見ていただきたいが、アフリカの凄惨な内戦とダイヤモンド利権の問題を描いた作品である。

この映画のテーマの一つが、「子ども兵」の問題だ。武装集団によって拉致され、兵として戦争に動員される多くの少年たちの姿が描かれている。

昨日までは学校に通う生徒だったのに、今日からは銃を握って人を殺さなければならない。そうしなければ、自分も生きていけないからだ。子ども兵は、現在地球上に20万人いる、とこの作品は伝える。

そうか、5月5日は子どもの日。偶然とはいえ、この日にこの映画にめぐりあったことの意味を考えた。

一人でも多くの人がこの作品にふれ、世界中の子どもたちが平穏に暮らせることの大切さについて思いをめぐらせてもらえれば、と願っている。


2007年5月2日 (水)

■「幸福日記」1周年

勤務先の大学で、メルマガの編集の仕事をしている。

「幸福日記」というのは、その巻頭エッセイのシリーズの名前である。おかげさまで、この連載が始まってはや1周年をむかえた。

去年の4月、大学の広報活動の強化を命ぜられた私は、「じゃあメルマガで、研究者回り持ちのリレーエッセイでもやりましょうか。『幸福日記』とかいって」と思いつきを述べた。それが始まりだった。

やるからにはぜったいにさぼるまいぞ、と、通し番号をふった。原稿が少ない時は自分でかぶって書いた。つねに「幸福手帳」を持ち歩き、思いついたネタをのがさず書きとめた。

世の中をおもしろくするためには、苦労をすることがある。なかには、自ら買ってでもやりたい「おもしろい苦労」というのがある。毎月3回の「幸福日記」の編集は、そういう仕事だと感じてきた。

これからもご愛顧のほどよろしくお願いもうしあげます。以上、編集長拝。

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※亀井が担当した回のエッセイ・書評のリンクはこちらをご参照ください。


2007年5月1日 (火)

■自販機の衣替え

みなさんは、季節のうつろいをどのようなときに感じますか。

いつもなじみの駅の自動販売機が、いっせいに「ホット」の飲み物を撤去して「コールド」にした。自販機の衣替えだ。そうか、もうそんな季節なんだなと思う。

夏の盛りでもホットコーヒーを飲むことが多い、かなり頑固な「ブラック&ホットコーヒー派」としては、熱い缶コーヒーの撤去はさびしいことでもある。まあ、それが季節なのかなと適当に受け入れ、冷たいやつを飲んでみたり、ほしいときは自分で熱いのを入れて飲んだりする。変化に逆らわないというのが、季節の基本なのだろう。

「自販機の衣替え」。季語にしてもいいかもしれませんね。



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