亀井伸孝の研究室 |
ジンルイ日記つれづれなるままに、ジンルイのことを |
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最終更新: 2007年10月31日 |
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■カメルーン日記2007 (8) 手話通訳者のW君 (2007/10/31)
■カメルーン日記2007 (7) 日課を守る日々 (2007/10/29)
■カメルーン日記2007 (6) ヒーホンだけなら許せるが (2007/10/28)
■カメルーン日記2007 (5) 待ちぼうけ (2007/10/24)
■カメルーン日記2007 (4) ろう者の教会 (2007/10/21)
■カメルーン日記2007 (3) 悲しきシベール (2007/10/20)
■カメルーン日記2007 (2) 2年半ぶりのフランス語圏 (2007/10/18)
■カメルーン日記2007 (1) 新しいフィールドノート (2007/10/17)
■2年半ぶりのカメルーンへ (2007/10/16)
■黒いしずく (2007/10/13)
■自動改札機のスト (2007/10/12)
■著者が最初に見るところ (2007/10/11)
■かいひむ (2007/10/08)
■通勤電車にカウンター車両はいかが (2007/10/06)
■燃やすゴミ、燃やさないゴミ (2007/10/05)
2007年10月31日 (水)
■カメルーン日記2007 (8) 手話通訳者のW君
この国でほとんど唯一の、いたとしてもせいぜい数人のうちの1人と言っていい、有能な手話通訳者のW君。アメリカ留学から戻ったとのことで、5年ぶりの再会を果たした。久しぶりに見た彼の手話は、なるほど、ちょっとアメリカくさい単語が混じっていた。でも、カメルーンの文脈に戻ると、やっぱりフランス語をベースとしたアフリカの手話になるのである。
彼のアメリカでの交友関係は、ケニアや日本やナイジェリアやカメルーンの知人たちを介して、私ともつながっていた。なんとも広くてせまい世界。
私も、日本ではいちおう手話通訳者のはしくれですから、ちょっと親近感もある。すぐにではないにせよ、お互い学んだり学ばれたり、手伝ったり手伝ってもらったり、いろいろできたらおもしろいかもなあなどと想像する。
ろう者1人と聴者2人(W君と私)。3人で手話の花が咲く。カメルーンの名物料理ンドレの皿を囲みながら、夜は更けていく。
→ [つづく]
2007年10月29日 (月)
■カメルーン日記2007 (7) 日課を守る日々
熱帯の暮らしが板についてきた。つまり、いちいち頭で考えなくても必要なことが日課になることである。・朝起きたら、蚊帳をたたむ
・外出する時は防虫スプレーを手足にひとかけ
・出発前に帽子と靴ひもを確認
・いちおうの目標として、日没が門限
・日が暮れたら蚊取り線香をたく
・水浴びのついでに洗濯
・寝る前に蚊帳をつるす
だいたい (1) 防犯 (2) マラリアよけ/日射よけ (3) 電気の不完備への対処、に分類できるだろうか。慣れてしまえば、前からそんなふうに暮らしていたように感じるから不思議なものだ。
日本にいるときは、日課なんて何のその。書きたい原稿や迫った仕事をこなすために、電気も体力も時間も使いたい放題でばく進する。ある意味でわがままな暮らしをしている。
無理がきかない、環境が無理を許さないこの地では、日課をひとつずつ静かにこなすのが一番。それでこそ、健康と安全を保つことができる。奇妙なほど、おとなしく暮らす私になる。
→ [つづく]
2007年10月28日 (日)
■カメルーン日記2007 (6) ヒーホンだけなら許せるが
「ヒーホン」「ヒーホン」町を歩く私を、カメルーンのガキどもが笑ってはやしたてる。中国語の「ニーハオ」が変になまって、「ヒーホン」と聞こえる。こういうのは、相手にせず放っておく。肌の色が違う東洋人はそれだけで目立つし、いちいち腹を立てるほどひまでもない。
あるとき、うっとおしいガキがいた。
カメルーンのろう者と手話で話している私を見て、こちらもろう者だと思ったのだろう。つんつんと私を突っついて、手をごちゃごちゃと振り回す手話のまねごとをして笑った。
「セクワァァァー(何やこらぁ)!!」
思わず大声をあげた。よりによって手話を愚弄するとはなにごとか。ガキはびっくりして逃げていった。
外国人の人類学者はここではおじゃま虫だから、からかわれるのも織り込み済み。でも、手話は同じカメルーンの社会で共存している言語なのだよ。からかっていいことと悪いことがある。そういうことは、だれかがきちんと教えなければ。
本来なら、カメルーンのろう者がきちんと叱るべきところなのだろう。今日は、勝手ながら私が叱りました。
→ [つづく]
2007年10月24日 (水)
■カメルーン日記2007 (5) 待ちぼうけ
まちぼうけ まちぼうけ♪そんな童謡があったかなあ、と思う瞬間。
「会議がすぐ終わるからちょっと待ってて」
そんな感じで、かれこれ何時間の待ちぼうけ。ろう学校の生徒たちが話し相手になってくれたから、時間つぶしになってよかった。
生徒たちの手話は、実は私にはちょっと分かりづらい。ろう学校が、ろう者コミュニティで話されているのとは違う手話を教えているからだ。両方できるろうの生徒が、私のために手話を切り替えてくれる。同じ町のなかの手話の多言語状況を観察するのも仕事かな。私もがんばって、子どもたちの手話に合わせる。
「セ・フィニ!(=終わったよ!)」
やれやれ。じゃあゆっくりと大人どうしで、いつもの手話に戻って、ビールでも飲みに行きましょうか。
→ [つづく]
2007年10月21日 (日)
■カメルーン日記2007 (4) ろう者の教会
日曜日、ろう者の教会を訪れた。私の場合は日曜日は休息日でなく、重要な仕事の日になる。キリスト教文化を核としてできたろう者のコミュニティについての調査を続けているため、日曜の礼拝は欠かせない行事。
私の再訪に驚いたみなさん。びっくりさせてすみません。出世していたりパパになっていたり、ちょっと太ったりぜんぜん変わっていなかったり。「連続ドラマを久しぶりに見た」ような感じがする。
手話の礼拝の時間が終わると、入れ替わりで聞こえる人たちの教会になる。手話の集団はぞろぞろと部屋を出て、庭でエンドレスのおしゃべりタイムが始まった。
日曜日も人でごった返す、大きな市場の中の教会。ぷんと鼻を突くにおいに懐かしさを思いつつ、おしゃべりにおつきあいする。
→ [つづく]
2007年10月20日 (土)
■カメルーン日記2007 (3) 悲しきシベール
シベール(Cyber)。英語風にいえばサイバー。つまりネットカフェである。飛び込みで使ってみたシベールでは、日本語を読める設定にすることができなかった。解読できない文字は、すべて□になる。
□□□□□AA□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□3□□□□□□□□
□□□□□COE□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□ !
□□□□□□□□□□□□□ ^^;
届いたメールは万事こんな感じで、やる気が失せることこの上ない。しかたない、日本語が読める設定ができるマシンに出会うまでちょっと先延ばし、ということになる。
メールがとびこまないことは、これほども人間に自由をもたらすものか。とりあえず、今日はネットのない自由を謳歌することにした。
→ [つづく]
2007年10月18日 (木)
■カメルーン日記2007 (2) 2年半ぶりのフランス語圏
空港に出迎えに来てくれたのは、10年来の親友。彼はろう者である。荷物を受け取る前に、出口の人ごみを見やったところ、遠方で(ボンジュール!)という大きな手話が見えた。あ、彼だ。
(メルシーボク! 待ってな、荷物を取るから)
大きな手話で返事をし、旅行カバンの受け取りに向かう。
空港から宿に向かうタクシーの中で、再会を喜んだ。うん、なつかしいフランス語圏アフリカの手話だ。
調査の都合で、去年は英語圏の国ぐにばかり訪れており(ガーナ、ナイジェリア)、私はそっちの手話にずいぶんと染まってしまった。でも、「フランス語訛り」のカメルーンのこの手話は、私がアフリカで最初に覚えた原点なのだ。
1カ月お世話になる間、この手話の世界に復帰しよう。夜ふけまで延々としゃべりながら、そんなことを考えた。
→ [つづく]
2007年10月17日 (水)
■カメルーン日記2007 (1) 新しいフィールドノート
出発の日。エールフランス機に乗り込んで、さっそく新しいノートを1冊取り出した。ふだん日本で使っている、こまごまとスケジュールが書き込まれた手帳は、とりあえず横に置いといて。
まっさらの白紙のノートに、さっそく現地スケジュールの欄をつくる。これからカメルーンで会う予定の人たち、するつもりの仕事、果たすべき目的、連絡先などを書き込んでいく。
生活時間の切り替えの快感を味わえる、1冊目の白紙ページへの書き込み。これは、やはりフィールドにふみだしていくときならではの醍醐味だと思う。
もちろん、行ったら行ったで、こまごまと忙しくなったり、用事がつめ込まれたり、人との約束であたふたしたり。日本とたいして変わらないあくせくした日々になることは分かっているのだけれども。それでもこのリセットする感じはいいものだ。
→ [つづく]
2007年10月16日 (火)
■2年半ぶりのカメルーンへ
2年半ぶりに、カメルーンへ仕事でまいります。今回は、新しい職場である東京外大アジア・アフリカ言語文化研究所の特命を受けての調査です。とある事業の準備のため。久しぶりの調査地に向かう時にいつも思うことは、「こちらも年を食うけれど、現地の人も同じだけ年を食っている」という事実。おたがい若かりし頃(?)からの友人たちは、さて、どうなっていることでしょう。
すっかり寒くなっているだろう11月頃、日本に戻ります。みなさま、ごきげんよう。
(帰国後にカメルーン日記を掲載します)
2007年10月13日 (土)
■黒いしずく
最近、公共の場所の天井に「半球形の黒い物体」が数多くしつらえてあるのをご存じだろうか。駅、オフィスビル、エレベータ、マンションのエントランスなど。これは「監視カメラ」、やわらかく言い換えれば「防犯カメラ」というものである。
これまではビデオカメラの形をしたものが天井からぶらさがっていたが、いかにも「人を撮るぞ」然とした威圧的な形に抵抗があるためか、最近はソフトな半球形のカメラも増えている。
あるオフィスビルの喫茶店でコーヒーを飲みながら、天井の黒い半球形の物体をしげしげと眺めていた。天井から黒い巨大なしずくが一滴、ぽたりとたれてくるような光景に見えた。
世界中の天井という天井から、ぽたぽたと無数の「黒いしずく」がたれてくる風景を想像した。いったい社会に何を降らせようとしているのだろう。
2007年10月12日 (金)
■自動改札機のスト
新幹線で、電光掲示板を流れるニュースをぼんやり見つめていた。「首都圏で駅の自動改札機がスト」
えー、すごい時代になったもんやなあ。かつての国労も真っ青やな。
「…ップ」
なーんだ。
2007年10月11日 (木)
■著者が最初に見るところ
自分の原稿が載った刷りたての新しい雑誌が届いた! 研究者という一種の物書き稼業をしていて、もっともうれしいひと時だ。届いた刊行物を手にしたとき、著者が最初に見るのはどこでしょうか。目次? 本文? イラスト? いえいえ。実は掲載ページ番号です。
「印刷中」という形で保留になっていた自分の業績が、「何ページから何ページまでに掲載」という情報を得て、ようやく完成品となる。つまり、すごろくの「あがり」。原稿が一人前の作品となることであり、未来永劫改変することができない固定されたものとなることでもある。
その責任の重大さをひしひしと感じながら、私は自分の業績リストにページ番号入れをする。卒業を迎えた生徒たちを送り出す教師のように、巣立っていく原稿たちに最後のはなむけの儀式をしてあげるのだ。どうか多くの読者に恵まれますように、と祈りながら。
2007年10月8日 (月)
■かいひむ
千葉に「海浜幕張(かいひんまくはり)」というJRの駅がある。幕張メッセの最寄り駅だ。ホームの表示では、駅名のローマ字表記が「Kaihimmakuhari」となっている。なんと、「海浜」が「かいひむ」です。
もちろん、日本語の音韻がどうとか言い始めたら、そういう議論はありなんですが、字づらとしてなんとも不思議な味わいがある。
幕張メッセに行く人は、駅でぜひ見てください、「かいひむ」。
2007年10月6日 (土)
■通勤電車にカウンター車両はいかが
電車通勤する研究者の望みです。「カウンター車両」というのを作るのはいかがでしょうか。大学に通う電車の中で、とつぜんすばらしいアイディアがひらめき、とっさにノートPCを開いて原稿を書きまくりたくなることがある。席に座っていたらひざの上で作業するが、立っていたらそうはいかない。執筆欲を、じっとがまんする。
そんなとき、席はいらないからPCを置くテーブルだけでもあったらいいのに、と思うのだ。
イメージは、立ち食いそば屋のカウンターのようなもの。それが電車の両側の壁にずうっと長くしつらえてある。うん、コンセントがあるとなおいいですね。
そんなことしたら、いっそう仕事漬けになってしまうではないか、という見方もできる。まあ、確かにそうなんですが、オプションとしてそういう車両がひとつくらいあると便利だろうなあと思う。もしできたら、愛用しようと思います。
2007年10月5日 (金)
■燃やすゴミ、燃やさないゴミ
勤務先の大学のキャンパスで、ちょっと目を引くゴミ箱があった。「燃やすゴミ」
「燃やさないゴミ」
自らの意思で決然とゴミを分類することを、私たちに求めています。
ふつうは「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」と表記されるところ。私たちは分類をゴミの側にまかせてきたが、それを分けているのはほかならぬ人間の側なのだという当たり前のことを、短いことばで思い出させてくれた。
うん。なかなか骨のあるゴミ箱ですね。
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