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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2008年1月

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最終更新: 2008年1月31日
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■分別盛りのこのごろに (2008/01/31)
■深夜の業務メール (2008/01/28)
■議事録を作るまでが会議です! (2008/01/27)
■小さな空欄からのぞむ大きな世界 (2008/01/25)
■愛の反対は無関心 (2008/01/23)
■日がな一日郵便受けの前で (2008/01/21)
■アフリカ・エッセイコンテスト (2008/01/19)
■ミカンの無人販売で学ぶ引用のルール (2008/01/14)
■大きな分厚い名刺 (2008/01/09)
■「イタリア語で注文しよう」キャンペーンの落とし穴 (2008/01/05)
■「1カ月前ルール」の発足 (2008/01/01)


2008年1月31日 (木)

■分別盛りのこのごろに

「分別盛り(ふんべつざかり)」ということばがある。物事をわきまえてふるまえるはずの年頃のことだ。「分別盛りのくせに…」などと、歳のわりに行動が伴わない人に対する悪口になることもある。

さて。最近の「分別」といえば、どちらかというとゴミの分別(ぶんべつ)の方がメジャーになってしまったようだ。燃えるゴミと燃えないゴミ、さらには資源ゴミの場合分け、(a)、(b)、(c)、…

まさに今の世は「分別盛り(ぶんべつざかり)」。年をとってやがてそなわる分別(ふんべつ)よりも、マニュアルを見て覚える分別(ぶんべつ)の方が大事であるかのようだ。

横浜市では、ゴミの分別(ぶんべつ)をしない市民から、罰金2,000円を徴収することになったという。かくして、分別(ぶんべつ)は公権力をもって社会の隅々にまで押し広げられていく。

ちなみに、分別(ふんべつ)の方はまだ権力に統制されていないから、だいじょうぶ。各自、好きなように分別しましょう。


2008年1月28日 (月)

■深夜の業務メール

「夜分失礼いたします。××の件につきご検討ください」

深夜に業務メールがまいこむ。21時、22時、23時。ときには0時近いことも。

研究者の間では、さほど珍しくないことだ。もとより定時で働く職種ではないし、深夜に原稿を書く宵っぱりの大学人は多いからである。

ところが最近気付くのは、研究職でない人たち、たとえば大学の事務員、出版社の編集者、企業の営業の人などから、頻繁に深夜メールが届くことである。正規雇用でない人もおり、いったい残業手当はどうなっているのだろうと気になってしかたない。真夜中に職場にいるとは考えにくいから、自宅で持ち帰り仕事をしているのだろう。

かつて私が幼かった頃、子ども向けの科学雑誌や新聞などに、明るい未来像が描かれていた。

「今に通信技術が発達して、みんなが会社に行かなくても自宅で仕事ができるようになります」

インターネットの普及で、それはかなり実現したのだろう。しかし、深夜におよぶ長時間労働の疲弊感までは、あの記事は伝えてくれなかった。結局、職場にも通い、自宅でも深夜労働するはめになるとはね。

当時の小さな読者たちが、今、インターネットという利器によって、深夜まで働かされる労働者層になっている。「責任を取れ」とは言わないけれど、そういうことを覚えている読者がいるのだということは記しておきたいと思う。


2008年1月27日 (日)

■議事録を作るまでが会議です!

出張で、会議に出る。

議題についてひととおり話した。いろいろな方針が決まった。懸案も解決した。次回日程も決めた。懇親会もした。電車に乗り、家に帰った。それで会議は終わりでしょうか? いいえ、違います。

記憶が鮮明なうちに会議の記録を作り、関係者にメールで回覧しなければ。出張関係書類にもハンコを押し、報告書を付けて出さないと。それらをすべて済ませるまでが、会議なのです。

「遠足はこれで終わりではありません。家にぶじに帰って『ただいま』と言うまでが遠足です」

小学校のときの、校長先生の決めぜりふがあった。

「会議はこれで終わりではありません。議事録を作って報告を終えるまでが会議です」

…そんなことをつぶやきながら、深夜にキーボードを打っている。早く会議を終えてしまいたい、その一心で。


2008年1月25日 (金)

■小さな空欄からのぞむ大きな世界

来年度の学会発表の〆切が、次々とまいこむ。
□□学会大会が、××大学で開かれます。発表希望者は○日必着で申し込んでください。
演題[           ]
小指ひとつくらいの小さな空欄を前に、しばし考える。学会の性格、聴衆の層、今の自分のもちネタ、研究の動向。そして、発表時にはきっとできているはずの成果。

パッと大きな世界が広がるような、粋なタイトルを付けたい。その小さな空欄が、自分の成果を世に示す窓口となるのだから。

「企画書は一行」の精神が試されるひと時である。


2008年1月23日 (水)

■愛の反対は無関心

「愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。憎む対象にすらならない無関心なのです」[引用元]

かつてこう述べたのはマザー・テレサだが、これは研究者の心境そのものでもある。

研究者という一種の物書き稼業をしていて、もっともうれしいこととは、自分の作品がほかの人の文章に引用されること。あ、こんなことでも少しは役に立ったのかな、と充実感を覚えるひと時である。

もちろん、批判よりも讃辞の方がうれしいけれども、批判や注文だって時間をつかって読んでくれたことの証しだし、紙幅を費やして私の作品を紹介してくれているのだから、やはりありがたいこと。

いちばん悲しいこととは? だれにも何にも引用してもらえないことである。マザー・テレサ風に言えば「批判の対象にすらならない無関心」。これほど研究者がこたえることはない。

自分の力不足は百も承知。私の作品群をささやかな踏み石にして、どうか続きを書いていってください。そんな思いで、今日も一行ずつ原稿を書きつづる。


2008年1月21日 (月)

■日がな一日郵便受けの前で

ネットのつなぎっぱなしで仕事をしている。

いろんなメールがまいこむから、メールで返事をする。そんなことをしていると、今日もあっというまに日が暮れていく。

まったくもう…と人や状況のせいにしがちだが、実はそういう環境に身を置いている自分こそが、問題の根源なのである。

メールをいつも受信できるようにしていることとは、日がな一日郵便受けの前で、郵便物の到着を待ちかまえているようなもの。それでいて「時間がない、郵便物や新聞やチラシばかり届く。ああ忙しい」とグチをこぼしている人がいたら? ひとこと言ってやりましょう。「郵便なんて、1日に2、3回チェックすれば十分だ!」と。

そのことばをメールに置き換えて、自分への教訓としたいと思います。


2008年1月19日 (土)

■アフリカ・エッセイコンテスト

今年2008年の日本はアフリカブームの年!…って、どういうことかお分かりでしょうか。

5年に1回、日本でアフリカ開発会議(TICAD)が開かれる。アフリカ中の大統領など首脳たちが一同に集まる、大がかりな国際会議だ。その第4回目が、今年5月に横浜で開催される。

アフリカでの医学や医療に貢献した人を顕彰する野口英世アフリカ賞の第1回受賞者も、この会議で表彰されるという。賞金はなんと1億円(!)。

ちょうど、日本でのG8サミット開催も重なる今年は、アフリカと国際開発をじっくり考えるよいチャンスになりそうです。

さて、この機会にあわせてアフリカ・エッセイコンテストが行われている。小学生部門、中学生部門、一般部門があり、それぞれで字数とテーマが違います。

まあ、こちらは1億円とはいきませんが、受賞者にはアフリカ旅行や食事ご招待など、いろいろなごほうびがあるらしい。なにより、アフリカについて調べて考えてみるという、またとない学びのひと時を得ることができるでしょう。

〆切は3月14日。みなさん、チャレンジしてみませんか?

「アフリカ・エッセイコンテスト」詳細はこちら


2008年1月14日 (月)

■ミカンの無人販売で学ぶ引用のルール

「無断で引用やリンクをしてよいかどうか」をめぐって、理解不足にもとづく混乱がまだ見られるようだ。
ARG「無断引用は存在せず、それは盗用に過ぎない」
亀井「論文無断引用をめぐる奇妙な論調」

私は「公開されている文章を引用すること」とは「無人販売所でミカンを買うこと」のようなものだと考えている。

(1) 客は自発的にお金を払う。
(2) それさえ守れば、許可なく自由に買ってよい。

そういうルールで農作物などを売っている場所である。

客はわざわざ農家を探し出して、「あなたの無人販売所のミカンを買ってもよろしいでしょうか」などと許可を求めたりはしない。そんなことをしていたら、忙しい農家のじゃまになるだけである。そういう手間を省くために無人の台に置いているのだから、断りなく勝手に買いましょう。ただしルールは守ること。

逆に「うちの無人販売所のミカンを、許可なく買うとは何事か!」と怒る農家がいるだろうか。そういうことが気になる人は、はじめから無人の所にミカンなど置かない方がいい。鍵のかかった倉庫の中で、こっそりとお得意さんだけに売ればいいことだ。無人のお店を出す以上は、客の自由に対して寛容でありましょう。

もしもミカンを丸ごと盗まれたら(=文章を丸ごと剽窃されたら)? そういう時は告訴すれば、相手は法により罰せられます。お店(=著者)の権利は法律で守られているのです。

「著者に無断で引用/リンクしないでほしい」というのは、無人販売所を開いておきながらミカンを買う前に一言断るべきだと言っているようなもの。理屈と行動が一致していないのです。ルール(出所の明示など)さえ守ってあとはご勝手に、という自由の原則で、きゅうくつでないおもしろい言論の場を築いていきたいものです。


2008年1月9日 (水)

■大きな分厚い名刺

私のような駆け出しの研究者にも、ご著書をくださる先生方がいらっしゃる。まことにもったいないお心遣い、本当にありがとうございます。

中には「はじめまして、よろしくお願いします」という手紙とともにくださる方も。そ、そうか。著書というのは「大きな分厚い名刺」なのだ、と思う瞬間である。仕上げるのに何年もかかる、価値のある、重たくて文字の多い名刺。

私ははがきでお礼を書く。どんなに多忙であっても、こういうときは手書きのはがきでお礼を言うにかぎる、と私は自分に課している。本を1冊書き上げた先方の労力に比べれば、はがき1枚の労力などふいて飛ぶような軽さではないか。こんなお礼しか書けないことに身が縮む。

研究者をしばらくやっていると、だんだん時間がなくなり、仕事が増え、献本や論文謹呈などの社交も増えてくる。それでも、本をいただいたらがんこにはがき。これは続けるつもりだ。

感謝の初心を忘れないために、ここに書いておこうと思います。


2008年1月5日 (土)

■「イタリア語で注文しよう」キャンペーンの落とし穴

日本のある町のイタリアンファストフードのお店で、粋なサービスを見かけた。
イタリア語で「パニーニ・ペルファボーレ(パニーニをください)!」
と元気よく注文した人は20円割引!
おもしろいですね。子どもからお年寄りまで、いろんな人がイタリア語で注文にチャレンジする姿が目に浮かびます。

さて、クイズです。このお店には、バリアフリーの観点から言ってひとつ問題があります。それは何でしょうか。

答えは「音声言語を使わない/使えないお客さんの存在を忘れていること」です。

手話を話すろう者がこれにチャレンジしたい時はどうするの? あくまで「声を出せ」と言うんでしょうか。それとも、はじめからサービスの対象外? 筆談や指文字で「ペルファボーレ」と表現したら、受け入れてくれるのでしょうか。

もっと言えば、イタリア手話で<ペルファボーレ!>と注文する粋なろう者も来るかもしれません。せっかくですから、どんどん受け入れましょう。

[改善例]
イタリア語で「パニーニ・ペルファボーレ(パニーニをください)!」
と元気よく注文した人は20円割引!
(※筆談、指文字、イタリア手話でもOKです)


2008年1月1日 (火)

■「1カ月前ルール」の発足

2008年。新年明けましておめでとうございます。

日頃、〆切ともっとうまくつき合いたいと思っている私は、新年の抱負として「1カ月前ルール」を発足させることにしました。つまり、〆切のちょうど1カ月前の日に、だいたいその仕事をまとめてしまおうというものです。

そんな超人的なことができるのか!?とわれながら思いますが、とにかくスケジュール手帳をそういうふうに作ってみることから始めてみよう。できるかなあ。完璧な遵守じゃなくても、1カ月前に強烈なリマインドをしておけば、何か効果が現れてくるにちがいないという淡い期待あり。

そんな感じで、今年もいろいろとものを書いたり、みなさまの前でお話ししたりする仕事に、丹精込めて取り組んでまいりたく存じます。各位のご指導をたまわりたく、どうぞよろしくお願いいたします。



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