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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2008年3月

日本語 / English / Français
最終更新: 2008年3月31日
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■「人類の幸福」プログラムへのオマージュ (2008/03/31)
■〆切前に歌ってはいけない歌 (2008/03/30)
■一増一減、減らない仕事 (2008/03/28)
■『アフリカのいまを知ろう』刊行 (2008/03/26)
■ガンダムと子ども兵 (2008/03/23)
■『アクション別フィールドワーク入門』刊行! (2008/03/17)
■稿を草した (2008/03/16)
■カメルーン日記2008 (14) 私はいつもここにいるから (2008/03/15)
■カメルーン日記2008 (13) フィールドにいることの不思議 (2008/03/14)
■カメルーン日記2008 (12) 100セーファの高い敷居 (2008/03/13)
■カメルーン日記2008 (11) 語学のテキストを作る (2008/03/12)
■カメルーン日記2008 (10) 児童書作りに学ぶ (2008/03/11)
■カメルーン日記2008 (9) フィリップのいないヤウンデ (2008/03/10)
■カメルーン日記2008 (8) マラリアの新薬 (2008/03/09)
■カメルーン日記2008 (7) 援助担当者の嗅覚 (2008/03/08)
■カメルーン日記2008 (6) 噴き出した民衆のエネルギー (2008/03/07)
■カメルーン日記2008 (5) 水を求めて歩く (2008/03/06)
■カメルーン日記2008 (4) 江口先生とホテルに籠城 (2008/03/05)
■カメルーン日記2008 (3) ついに銃声 (2008/03/04)
■カメルーン日記2008 (2) ガソリンスタンドの異様な光景 (2008/03/03)
■カメルーン日記2008 (1) ある朝の異変 (2008/03/02)
■エールフランス乗務員とマック乗客の対話 (2008/03/01)


2008年3月31日 (月)

■「人類の幸福」プログラムへのオマージュ

関西学院大学21世紀COEプログラム「『人類の幸福に資する社会調査』の研究: 文化的多様性を尊重する社会の構築」は、本日をもってその5カ年計画を終え、幕を閉じた。

私は2004年4月からCOEの研究員/特任教員となり、さらに学外の研究協力者としての関わりが続き、結局まるまる4年間の長いおつきあいとなった。いただいた機会は決してむだにするまいぞと心に決め、もくもくと仕事に励んだ。この4年間で、著書15件ほか。中身の質はさておき、量としてはずいぶんと成果を積み上げた(詳細)

お金がすべてだとは思わない。ただ、文部科学省が「COE」という名前の大きなお金のかたまりをいくつかの大学に置き、さらに大学が若手研究者に投資してくれたおかげで、私のような者が知的生産にいそしむことができたのは事実である。お金を置く側にしたら、私たちのように移動を繰り返す研究者は「角砂糖に群がるクロアリ」のように見えるのかもしれないけれど。それでも、知的労働を支える下部構造(カネとモノ)はけっして軽視できないのだ。

お金に支えられながらも、お金に替えがたい成果を生み出すことができていればよいが、と願っている。「人類の幸福」という類例のない壮大なテーマを掲げ、若手研究者に自由な裁量をもって研究に従事する機会をくださった関西学院大学のCOEに対し、心よりオマージュ(讃辞)を捧げます。


2008年3月30日 (日)

■〆切前に歌ってはいけない歌

Que Sera, Sera(ケ・セラ・セラ)
Whatever will be, will be(なるようになるー)
The future's not ours to see(未来はみえないー)
Que Sera, Sera(おたのしみ)

だめだめ! 〆切前に、この歌だけはぜったいに歌ってはいけません。

原稿を出し終えたら、晴れやかに歌いたいと思います。


2008年3月28日 (金)

■一増一減、減らない仕事

最近、仕事をしてもしても、仕事が減らない感じがする。そんな理不尽な話があるものか。なぜだろうと胸に手を当てて考える。

会議が一つ終わる。私の仕事上の鉄則とは、「必ずその場で次の会議日を決めること」だ。会議が一つ終わったときに次の会議の予定を一つ入れるから、マイナス1とプラス1で、全体として参加すべき会議の数は変わらない。なるほど、これでは仕事が減るはずがない。

原稿執筆が一つ終わる。ありがたいことに、担当編集者から「次はこんな原稿を書きませんか?」という打診をいただくことがある。私はうれしくなって、お受けする。原稿が一つ終わったときに次の原稿の約束を一つ入れるから、これまたマイナス1とプラス1で、全体として抱えている原稿の数は変わらない。なるほど、これではやはり仕事が減るはずがない。

仕事が減らない原因は、ほかならぬ私自身の行動の選び方にあった。そのことを棚に上げてグチをこぼしたりするのは、やめることにしよう。


2008年3月26日 (水)

■『アフリカのいまを知ろう』刊行

岩波ジュニア新書『アフリカのいまを知ろう』が刊行されました。

アフリカ研究者11人に対するインタビューを中心とした、アフリカ理解促進の本。私も「ろう者と手話」という一節を寄稿する機会をいただきました。

実はこの本、去年の暮れにお受けした政策研究大学院大学の「アフリカの森・研究者インタビュー」が本になったものです。

11月にインタビュー。12月にウェブサイト掲載。1月に修正稿作成。2月に校正。で、3月の刊行です。この編者の仕事の早さといったら! 見習いたいものです。

「どうしてアフリカに行くようになったの?」
「なぜ、アフリカのろう者と手話の研究はおもしろいの?」
「文化人類学者の役割って何?」

素朴な疑問に、素朴に答えました。どうかお手に取っていただきましたら幸いです。

亀井伸孝. 2008.
「ろう者と手話 (アフリカ研究者にきいてみよう: インタビューで読むアフリカのいま)」
山田肖子編『アフリカのいまを知ろう』(岩波ジュニア新書 588)
東京: 岩波書店. 135-152.
価格: 本体780円+税


2008年3月23日 (日)

■ガンダムと子ども兵

「機動戦士ガンダム」の公式サイトを見た。小学生のころにテレビシリーズを見て以来の、久しぶりの「復習」である。

正規兵が不足したどさくさで、少年少女たちが戦争にまきこまれる。戦力としての期待を一身に受け、慣れない巨大兵器を操るはめになり、自分らしさの証しを戦闘行為に求めるよりほかに道がなくなってしまう。

そうか、アムロ(戦闘開始時点で満15歳)たちは、まちがいなく子ども兵(child soldiers)なのだ。

幼い身体に不つりあいなカラシニコフ自動小銃を抱え、殺戮部隊の最前列に並ばされてきた、シエラレオネの、ウガンダの、リベリアの、子ども兵たちの姿を思い起こした。そして、その少年少女たちの心と体に刻み込まれた傷の数かずを。

ガンダムよ、「燃え上がっている場合ではない」。

「子どもの権利条約」および「武力紛争への子どもの関与に関する選択議定書」の名において、地球連邦とジオン公国の双方に対し、すみやかな停戦合意と子ども兵の解放・保護を要求したいと思います。

[資料]武力紛争への子どもの関与に関する子どもの権利条約の選択議定書
国連総会決議 A/RES/54/263, 2000年5月25日

第1条: 締約国は、自国の軍隊の18歳に満たない構成員が敵対行為に直接参加しないことを確保するためにあらゆる実行可能な措置をとる。
第2条: 締約国は、18歳に満たない者が自国の軍隊に義務的に徴募されないことを確保する。
第4条1: 国の軍隊とは異なる武装集団は、いかなる状況においても、18歳未満の者を徴募しまたは敵対行為において使用してはならない。


2008年3月17日 (月)

■『アクション別フィールドワーク入門』刊行!

シンポジウム20080317 『アクション別フィールドワーク入門』(武田丈/亀井伸孝編、世界思想社、2008年3月)が、ついに刊行されました。

先月の日記でご紹介した通り、18人の若手研究者たちが集まって実質9カ月で仕上げた、フィールドワークへの誘いの本です。

「多文化の間を行ったり来たりしながら、みんなの幸せを考えるためには、どんな調査をすればいいのだろう」

そういう発想で4年間集まり続けた研究会シリーズは、「転んでもただでは起きない、多芸でしぶといフィールドワーカーたちの実像を描いた本」として結実しました。

今日、大阪でこの本の刊行記念シンポジウムを開きました。

本ができた喜び。執筆と編集に汗を流した人たちどうしのねぎらい。そして最後まで論戦をやめることのない熱い同僚たちの活力。そういったいろいろの要素を織り込んだ節目の行事は、刊行なった原色の派手な表紙の本を手に手に取った参加者たちの1枚の記念写真となりました。

今日の日を迎えるまでお世話になりましたすべてのみなさまに感謝を捧げつつ、刊行をご報告いたします。
以上、編者拝。


2008年3月16日 (日)

■稿を草した

「…が功を奏した」という慣用表現がある。それを、わが愛機は「稿を草した」と変換してくれた。

なぜなんだ? たぶん、最近、出版社の編集者との間で「草稿」とか「○稿」だとか、そんなメールのやりとりばかりしていたことが影響しているのかもしれない。

それにしても、説教くさいパソコンである。

〆切前であわてている私は、「言われなくてもわかっとるわい、書いてますがな!」と、思わずPCに向かって反論した。


2008年3月15日 (土)

■カメルーン日記2008 (14) 私はいつもここにいるから

カメルーンを発つ日。お世話になったホームステイ先のおばあさんが、別れ際に私にくれたことば。

「さようなら。またおいで、私はいつもここにいるから」

私はいつもここにいる。調査と移動と情報発信で、常に落ち着きのないフィールドワーカーの心に、このことばは実に重く深いものとして染み入った。

調査の結果や考察がどうであろうが、論文の評価がどうなろうが関係なく、「私はいつもここにいる」。このような、人びとの暮らしの証し以上のリアリティというものが、いったいあるだろうか。

これは完敗だ、と直感した。いつもそこにいるという生活者の尊厳の前に、フィールドワーカーはもうひれ伏しながら、今日もちょこまかと移動する仕事を続けている。

→ [おわり]


2008年3月14日 (金)

■カメルーン日記2008 (13) フィールドにいることの不思議

フィールドにいるということは、調査対象となる人たちのすぐ近くに身を置くことである。そのただ中にいて、ある種の不思議な感覚に襲われることがある。

(1)「今、質問をしようと思えば、実に簡単にできる。相手は私のすぐそばにいるのだから」
(2)「来週、質問をしようと思っても、できない。私は地球の裏側に帰ってしまうから」

「すぐそばにいて、いつでも何でも聞ける」という状況を作るためにフィールドに調査に来ているのだから、これは当たり前と言えば当たり前。ただ、あまりに前者が容易すぎるので、かえって(まあ、質問は今日でなくても明日でいいか…)みたいに、適当にやりすごしてしまい、時間とチャンスをムダづかいしていることが多いように思う。

帰国まぎわになって、(1) の境遇の貴重さが切迫して感じられる。そして、帰国後に (2) の境遇となり、(1) のありがたさを身にしみて思い出す。しかし、そのときはもはや遅いのである。

近くにいるときに、すべて聞いておこう。これはフィールドワークの鉄則だと思う。

[つづく]


2008年3月13日 (木)

■カメルーン日記2008 (12) 100セーファの高い敷居

首都ヤウンデの中心地に、新しい公園ができた。仕事が一段落付いたとき、気分転換に散策に行ってみる。

かつては草ぼうぼうのさら地だったが、きれいに整備されて公園になっていた。中には小ぎれいなレストランもあり、ランチバイキングを楽しめる。

公園のすぐ外は、人びとや自動車がしきりに行き交う雑踏である。しかし、一歩敷地に入ると、中はまことに静かなたたずまい。中にいるのは、欧米外国人や現地のお金持ちばかり。なんだろう、この違いは。

おそらく、この違いを生んでいる要因は、「公園の入園料=100セーファ」というところにある。100セーファとは日本円25円くらいで、法外に高い料金というわけでもない。タクシー初乗り200セーファの半分くらいだから、庶民がふつうにもっている小銭であると言える。

しかし「たかが散策や休息のために、公園に100セーファ払う気があるかどうか」というところで、人びとの意識の違いが浮き彫りになるようだ。それをふつうに払う人たちと、そうでない人たちがいるということで、結果的にこのことが大きな敷居となっている模様である。

100セーファというたかが小銭が作る敷居の高さは、額面ほど低くはないということを思い知らされた。

[つづく]


2008年3月12日 (水)

■カメルーン日記2008 (11) 語学のテキストを作る

今回の調査渡航の目的は、「手話の語学テキストを作ること」。2008年度に予定されている、ある事業のための教材作りなのです。

ある言語の語学テキストを作るというのは、これが初めてである。まず、初学者の学習進度を考えながら、学ぶべき文法事項をやさしい方から難しい方へと順番に並べていく。それとともに、覚えたい語彙や、紹介したい現地の文化・慣習を、やはり並べてみる。

最終的には、それら並べた項目を組み合わせて、一連の物語を作っていく。仮想の登場人物たちに登場してもらって、各課の会話のスキットを作っていくのだ。

スキットを作っていると、仮想の人物たちが私の頭の中で勝手にしゃべり始める。こらこら、脱線しないように! まだ出てきていない難しい文法や表現を使わないように! 登場人物たちをコントロールしながら、なんとか教材の中に収めていく。なんともおもしろく、難しい仕事である。

大変だったけれども、何とかできあがった。現地のろう者の手話映像として記録したこの教材は、近いうちにお披露目になることでしょう。

[つづく]


2008年3月11日 (火)

■カメルーン日記2008 (10) 児童書作りに学ぶ

今回の滞在では、児童書出版のポプラ社のライターさんとご一緒している。

ポプラ社では『体験取材!世界の国ぐに』というシリーズで、国別の写真図鑑を刊行している。縁あって、その「カメルーン編」作りのお手伝いをすることになった。その執筆を担当するライターさんと、ちょうど同時期にカメルーンで仕事をすることになったのである。

児童書作りのお手伝いは、今回が初めて。ライターさんが、徹底して読者である子どもたちの視線で作っていることに、感銘を受けた。その視線で本を作るということは、そのまなざしではじめから取材をすることでもある。

そのほかにも、目次・構成の作り方、写真の整理法、撮影対象となった人たちへのお礼のしかた、バックアップのしかたなどなど、いろいろな仕事術を学ぶことができました。ありがとうございました。

[付記]『体験取材!世界の国ぐに: カメルーン』(ポプラ社) は、2009年3月に刊行される予定です。

[つづく]


2008年3月10日 (月)

■カメルーン日記2008 (9) フィリップのいないヤウンデ

今回も、ろう者と手話言語に関する調査。短期なので、あれもこれもはできない。共同作業をする人の数をしぼりこみ、集めるべきデータを決めて、一気に作業をする。

でもなあ。今回も一緒に仕事をしようと思っていた、この国のキーパーソンのろう者であるフィリップが、昨年11月に急に亡くなってしまったのだ

フィリップの死亡事故から葬儀にいたるまでの詳細を、友人のろう者たちから繰り返し聞かされた。ありがたいけれど、正直言ってあまり聞きたくなかった。どんなに聞いても、彼が帰ってくるわけではないのだから。

ご遺族とお会いした。私は、彼に手話動画のテープ起こし(手話から書記フランス語への翻訳)の仕事を頼んでいた。亡くなる11/25の前日の昼まで部屋で作業をしていたという、彼が遺したノートを見た。ノートには几帳面な字でびっしりとフランス語がつづられており、途中でぷつりと切れていた。お礼を言って、彼の絶筆となったノートを受け取った。

首都ヤウンデの街角で、大柄な体格の黒人男性を見かけると、ギクリとする。思わず、フィリップの面影をそこに見てしまうからだ。この風景の中にいつもいた彼と会うことは、もうできないのだ。

[つづく]


2008年3月9日 (日)

■カメルーン日記2008 (8) マラリアの新薬

コアルテム(Coartem)。中国で開発された新しいマラリアの治療薬だ。

新しいといっても、発売されてから数年は経っているから、すでにおなじみの方も多いかもしれない。ヨモギを原料にしているということで、副作用が少ないのが長所とされている。

今から10年ほど前、コアルテムがなかった時代のことである。私は村でマラリアを疑う高熱を出し、当時の新薬であったラリアム(Lariam)を飲んだ。熱は下がったものの、吐き気とめまいと難聴というすさまじい副作用に苦しんだ。死ぬことはなかったから文句は言えないけれど、あの薬はできれば飲みたくないと思ったものだ。

今回の滞在で、初めてコアルテムを購入。一箱で4,005 FCFA(約1,000円)。もちろん使わずに済むのが一番ではあるけれど、飲んだらどんな気分かなあという好奇心がわいたのも正直なところである。

[つづく]


2008年3月8日 (土)

■カメルーン日記2008 (7) 援助担当者の嗅覚

こちらで、ある開発援助の仕事をしている日本の方とお話しする機会があった。現地の団体から数多く寄せられる助成案件を審査する立場の方である。

「だいたい会うと分かるんですよ、ちゃんと実施する団体かどうか」

すごい眼力。あたかも、銀行員が融資相手の状況を一瞬にして嗅ぎ分けるようである。

もちろん、開発はあまねくすべての人に。でも、砂地に水をまくような金のむだづかいは許されない。そこで、あるていどは選考することになる。

選考に当たっては、もちろん客観的な基準があるのだろうが、最後は現場の担当者の職人芸的な眼力/嗅覚に頼る側面もあるらしい。その仕事術の一部をかいま見る機会でもあった。

[つづく]


2008年3月7日 (金)

■カメルーン日記2008 (6) 噴き出した民衆のエネルギー

日が経つにつれて店は開き始め、市場にも人びとが戻り、タクシーも流れ始めて、一見もとの穏やかな、活気のあるカメルーンの風景に戻っていった。

今回の急激な治安悪化の原因は、いくつかあるらしい。ガソリン代の値上がり、運転手組合のスト、物流のストップ、ガソリン不足、市場と店舗の閉鎖、物価上昇、政策への不満など。この国が抱えるいろんな要素が重なって、労働組合や政治活動家の行動もきっかけとなり、さらには職にあぶれた一般の若者たちが合流して、一連の騒動になったという。警官隊の強硬な鎮圧姿勢も、民衆の反発をあおってしまったのかもしれない。

よく言えば、アフリカ社会の民衆のエネルギー。悪く言えば、道行く人がまきこまれて死傷する可能性もある怖さである。

いつもは笑顔で「モナミー(友だち)!」と声をかけてきて、時には「ヒーホン!」とアジア人をからかう陽気なカメルーンの人びと。しかし、怒りと不満がいつどんなきっかけで噴き出すか分からない。そんな怖さもあわせて知った。

今回は、日本大使館を中心とした各位の配慮と情報交換のおかげで、かすり傷ひとつなく滞在できたことに感謝したいと思う。また、私たちのことを心配して、たえず忠告や支援をしてくれたカメルーンの友人たちにも、ことばにならないほど感謝している。

さて。以下では、ふつうのカメルーン日記に戻ります。

[つづく]


2008年3月6日 (木)

■カメルーン日記2008 (5) 水を求めて歩く

事態を受けて、大統領が緊急テレビ演説をしたという。それが効を奏したのだろうか、やがて銃声は聞こえなくなった。

翌日、車をもつ知人に頼んで乗せてもらい、おそるおそる外に出てみる。

店は軒並み閉まっていた。ふだんならどこでも買えるミネラルウォーターを探して、店を何軒も訪ね歩いた。そうか、危機というのは、直接まきこまれる死傷の危険だけでなく、いつでもあると思っているありふれた物が手に入らなくなってしまうことでもあるのだと悟った。

こわくなって、かろうじて開いていた店を見つけ、これでもかというくらい水をまとめ買いした。

「ダダダダダダ…」

ギクリと振り返る。民家の女性が踏んでいるミシンの音が、機関銃に聞こえた。

大げさな話ではない。市内中心部には、自動小銃をもった兵士たちが、10メートルおきくらいに厳戒態勢で立っていた。まだ危機は去っていないと感じさせられた。

[つづく]


2008年3月5日 (水)

■カメルーン日記2008 (4) 江口先生とホテルに籠城

外出をやめて、ホテルで待機する。同じ宿に泊まり合わせた民博の名誉教授、江口一久先生と、さて、どうしましょうかと顔を見合わせる。

江「亀井君。こういうときはな、ビール飲んで静かにしとくにかぎる」
私「はい」
江「さあ。飲もか」
私「は、はい(汗)」

ちょうど取材に来られているポプラ社のライターさんもまじえ、緊迫の中の奇妙な酒宴が始まる。

顔なじみの日本大使館員が、ホテルにいる私たち日本人の様子を見に現れた。防弾チョッキを身にまとい、無線通信機を片手にしたその姿が、事態を物語っていた。

「緊急避難のときはFMラジオを聞いてください、そして、決してホテルを出ないように」。

(ラジオもっていないんだけどな…)。次の調査からは、安全のためにラジオをもって来よう、と心に決めた。

時おり銃声が聞こえるほかは、ホテルの中はいたって静かである。少数民族がホテルの中でかくまわれて虐殺の難を逃れたという映画『ホテル・ルワンダ』を思い出した。

こんな時でもホテルのインターネットは使えたので、日本の関係者にメールで連絡をする。安否の報告でもあり、時間つぶしでもあり。

夜更けまで、大通りをうめた群衆が歌を歌い、行進する様子がホテルから見えた。時おり「パン、パン」と銃声。死者が出たなんていうニュースにならないようにと祈る。

[つづく]


2008年3月4日 (火)

■カメルーン日記2008 (3) ついに銃声

さらに翌日。事態は改善しただろうか。

「おい、外に出るな!」

ホテルから外出しようとした私を、近所の旧知のカメルーン人が止めた。

「ぼくの店も閉めたんだ。ホテルにいなさい」

街頭で、群衆と警官隊が衝突した。銃、刀、投石での乱闘が発生。市場で警察が発砲。市中でタイヤが燃やされて煙が上がっている。店はすべて閉まってしまった。暴動にまきこまれたら、たいへんなことになる。そんな話が次つぎとまいこんだ。

パン、パン、パパパパパパン

ホテルにいた私の耳に、乾いた鋭い音が耳に響いた。すぐ近くでの銃声だ。

カメルーンに初めて来てから12年。こんな表情をしたカメルーンを見たのは、今回が初めてだった。

[つづく]


2008年3月3日 (月)

■カメルーン日記2008 (2) ガソリンスタンドの異様な光景

翌日も、町にタクシーは戻ってこない。車をもっている知人に乗せてもらい、町の様子を見た。

「首都にガソリンが入ってこないんですよ。ほら、この風景」

ガソリンスタンドに自家用車が殺到していた。それは実に異様な光景だった。車列が道にあふれ出して長蛇の列を作り、周辺の道路に渋滞を引き起こしている。ガソリン不足におそれをなした人たちが、車でスタンドに押しかけていたのである。

運転手組合のストが続き、国内の物流がストップした。内陸にある首都にガソリンが届かない。町のスタンドは次つぎと看板を下ろし、ガソリンの販売を止めた。

[つづく]


2008年3月2日 (日)

■カメルーン日記2008 (1) ある朝の異変

2月下旬から短期調査でカメルーンを訪れている。到着直後、異変にまきこまれる。

ある朝、町の風景を見て奇妙な感じを覚えた。おかしいな、カメルーン名物の黄色いタクシーが一台も走っていない。公共交通があまり整備されていないこの国で、民衆の足はタクシー。それが一台も見当たらないとは、どういうことだろう。

「タクシー運転手の労働組合がストライキに入った」
「ガソリンの値上げへの反発だ」
「政府と交渉に入るらしい」

ちらほらと情報が入るが、実態はよく分からない。

不便だがしかたない、遠方の用事はキャンセルし、歩いて行ける範囲で用事を済ませることにする。

[つづく]


2008年3月1日 (土)

■エールフランス乗務員とマック乗客の対話

エールフランスの機中で、パソコンを開けて仕事をしていた。Macintosh iBook G4。年季の入った仕事の友である。

乗務員に声をかけられた。

乗「Macintosh!?」(Mac ですね!?)
私「Oui, c'est iBook G4.」(ええ、iBook G4です)
車「Moi aussi.」(実は私も)
私「Ah bon!」(そうなんですか!)

ん?どこかで交わしたような会話だ。そう、日本の新幹線の車掌との対話である。

まさか、国際線でフランス人スタッフと同じような会話をするとはねえ(笑)。Mac の世界はせまいようで広い。Windows ユーザーには決して味わえない、ちょっと笑える光景。



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