亀井伸孝の研究室: ジンルイ日記
2008年4月
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■勝手に作った「国境なき○○団」 (2008/04/26)
■pity な研究 (2008/04/23)
■懸案の山に訪れた春の息吹 (2008/04/18)
■テラバイトディスクに負けそうな研究者 (2008/04/14)
■フィールドワーカーは裁判員を辞退できるか (2008/04/12)
■アフリカ・エッセイコンテスト受賞作を読もう (2008/04/08)
■早くするにこしたことはないもの (2008/04/07)
■車掌のキモチ/編者のキモチ (2008/04/05)
■よき出会いのたまもの (2008/04/02)
2008年4月26日 (土)
■勝手に作った「国境なき○○団」
「国境なき○○団」というのがいろいろある。オリジナルは、ノーベル平和賞(1999年)も受賞した「国境なき医師団」だろう。そのほかにも、最近チベット関連の活動などで知られる「国境なき記者団」や、「国境なき技師団」、「国境なき合唱団」、「国境なき奉仕団」、「国境なき芸能団」などなど。いまや「国境のある職能集団」は恥ずかしいくらいの勢いだ。
そうなると、自分でも「国境なき○○団」を作りたくなるね。はて、私にはどんな団体が作れるだろう。
「国境なき文化人類学者団」
ていうか、文化人類学者にはもともとあんまり国境がないんですけれども。「国境なき大学講師団」
世界中どこの大学にでもおもむき、あざやかに集中講義を行い、レポートを集めて単位を与えて去って行く。これは美しい!「国境なき手話通訳団」
うわ、これはハードルが高そう。音声言語をいくつも、手話言語をいくつも覚えないと務まりそうにない。これができるのは、夢のようだけれどね。「国境なき料理人団」
包丁一本で世界をまたにかけ、飢餓地域、難民キャンプ、戦闘地でも腕をふるって民衆のために晩ごはんを作る。かっこいいね。そういう者に私はなりたい。「国境なき愛飲家団」
まったく生産的でも活動的でもないけれど。「国境なき乾杯」こそ、世界の平和の証しにほかならない。私もさっそく志願したいと思います。
2008年4月23日 (水)
■pity な研究
「あなたの作品が日本語なので、私は pity(残念)です」ある海外の方から、最近いただいたメッセージ。それを見て、私もいっしょに残念な気持ちになった。日本の読者/学界/読書界にはそこそこ貢献していると思うけれど、海外から見たら「無いのと同じ」。残念とむなしさのまざった、なんとも複雑な気持ちになる。
じゃあ、英語で書けばええやんか、という話である。ええ、現状での最適解はそれ以外にない。
ちなみに、私は日本手話での講演はけっこう一生懸命やっている。ナイジェリア手話やガーナ手話でもやっている。言語の違いを越えた成果の分かちあいは、私なりに実践してきた。その努力がマイノリティに向かうのか、世界のマジョリティに向かうのかの違いである。
もしも、日本のろう者からこう言われる状況を想像したら?
「あなたの講演が音声日本語なので、私は pity(残念)です」
いやいや、ろう者の研究に取り組む者として、それはあってはならないでしょう。そのへんはさぼらずにやってきたと思っている。
さて、やっぱり英語をもっと書くことにしますか。
2008年4月18日 (金)
■懸案の山に訪れた春の息吹
新年度。仕事関係の大掃除をしている。人に頼んだまま、あやふやになっていること。
人に頼まれたまま、あやふやになっていること。
だれかとの間で宙ぶらりんになっていること。
話が止まってしまっていること。
などなど。流れが悪くなっている懸案の仕事を、すべてリストアップする。かたっぱしから確認、催促、問い合わせをして、一気にしきり直した(心の中では「不良債権処理」と呼んでいます)。
もちろん、人に求めるばかりではない。多くの場合、自分の怠慢や不注意にもメスを入れることになるから、痛みが伴う。でも、生まれ変わりのためには必要な痛みなのだ。信頼関係を築き直し、仕事の流れを再生させるためにも。
思い切って古いホコリを払ったら、いくつかの「凍土」に水の流れる音がし始めた。ああ、よかった。懸案の山に、これでようやく春の息吹が訪れたのだ。
2008年4月14日 (月)
■テラバイトディスクに負けそうな研究者
テラ(Tera=「1兆倍」を意味する単位の記号)。仕事上必要あって、1TB(テラバイト)の外付けハードディスクを買った。「テラ」という単位のお世話になるのはこれが初めて。
はて。1TBというのは、いったいどのくらいの大きさなんだろう。ためしに、これまで私が執筆した作品のサイズと比べてみた(いずれもWordファイルのデータサイズ、文字部分のみで図表を含まない)。
(1) あくせくと書き上げた標準サイズの論文1本、だいたい100KB。1TBとは、その1000万倍である。
(2) 渾身の力をふりしぼって仕上げた学術書1冊、だいたい500KB。1TBとは、その200万倍である。
…やめよう、なんだかむなしくなってきた。一生かかって本を100冊書いたって、このディスクの1万分の1にもならないのだ。1TBディスクを前に、研究者人生というものを考える。
動画を直接あつかいたいと思うから、大容量が必要になる。一方、森羅万象を文字に凝縮してご提供するのが、研究者の仕事。だから、データサイズの小ささとは、むしろ誇るべき長所である。「小さなデータに大きな宇宙」。うん、これでいこう。
そう考えてみると、文字というのはとてつもない圧縮ツールなんですね。これは、ちょっと新鮮な再発見。
2008年4月12日 (土)
■フィールドワーカーは裁判員を辞退できるか
2009年5月に、裁判員制度が始まる。スタートまで、あと1年あまり。ひとごとのように思っていても、ある日いきなり郵便で「呼出状」が来るかもしれない。それに「正当な理由もなく裁判所に来られない場合には、10万円以下の過料に処せられる」[引用元]ことがあるから、これはたいへんだ。ぼんやりもしていられない。
私は、今から気がかりでしかたないことがある。「この時期、どうしてもアフリカにフィールドワークに行かなければならない。だから辞退を」。この言い分は、はたして認められるのだろうか。
新聞報道では、辞退できる例として
・インフルエンザ流行時や花粉症の時期の繁忙な医師
・片時も離れられない仕込み時期の杜氏(とうじ)
・種付け時期が1日でもずれると翌年の仕事がだめになるカキ養殖業者
・降雪・積雪で裁判開催都市への移動が困難な北海道の遠隔地の住民
・代わりが見つからなければ記者会見への出席が必須な新聞記者
などを最高裁判所が示したそうだ(毎日新聞, 2008/04/12)。ええ。文化人類学者は、フィールドで重要な行事や儀礼や季節性の生業活動(狩猟や農耕など)があるときは、「繁忙で」「片時も離れられない」「1日もずらせない」「遠隔地での」「代わりが見つからない」調査という労働に従事している。そのネタを逃したら、精神上・経済上の重大な不利益が生じるのですよ。
日本の大学にいるときならば、義務は大いに果たしましょう。でも、得がたい貴重な海外調査の時期だけは、どうか辞退か延期を認めてほしい。仕事柄、私はそれを切に願っている。
全国の文化人類学者ならびにフィールドワークをなりわいとする研究者のみなさん。フィールドワーカーという立場の特性を裁判所に理解してもらうために、それぞれの立場でできる発言を行っていきませんか。
2008年4月8日 (火)
■アフリカ・エッセイコンテスト受賞作を読もう
先日の日記でご紹介した、アフリカ・エッセイコンテスト。受賞作が発表されました。いや。いいですね。感動しています。日本も、捨てたもんじゃない。
「アフリカ大陸は野口英世の顔の形にそっくりだ」(近藤, 2008)
なんてすごい指摘も。私もつい財布から1000円札を取り出して、しげしげと見てしまいました(確かに似ています)。「アフリカ地域研究を専門としています」などと称して、大学で授業などをしてきた私が恥じ入りたいくらいの、名論文が並んでいます。アフリカに学ぼうとしている小中学生のみなさんを、「一日名誉アフリカ学会会長」にしてさしあげたいくらい。
5月のアフリカ開発会議(横浜で開催)に向けて、アフリカの話題が増えてくる季節です。みなさん、ぜひご一読を!
2008年4月7日 (月)
■早くするにこしたことはないもの
大学にいる研究者として、「早くするにこしたことはないもの」をいくつか。支払い。研究者生活をしていると、○○学会などの会費の請求書がよく届く。いくつかの人脈に属し続けたいと思うかぎり、それなりの出費があるのはしかたない。先延ばししても得になることはなく、うっかりと払い忘れて除名になったら恥ずかしい。請求があれば、即日、銀行や郵便局で支払いをしてしまう。
ハンコ。「○○についてご承諾ください」の類の書類がよく届く。そのほとんどはOKに決まっていることだから、長く熟考しても意味がない。即日ハンコを押して返却。
返事。問い合わせ、依頼、打診など、いろいろが舞い込む。お引き受けすることもあれば、お断りすることもある。返事が遅くなればなるほど、こちらの負担感は増すばかり。逆に、投げ返しが早ければすぐに相手側の宿題となり、こっちは模様眺めを決め込むことができる。早く返事することとは、余裕をかます時間をそっくりいただいてしまうこと。
スケジュール調整。「いつ会議をしましょうか…」。スケジュール帳の突き合わせだけのために、何日も手間と労力をかけるのはまったく愚かしい。そんなことはあっという間に決めてしまい、むしろ議論の中身のことで悩みたいと思う。
お礼のことば。本をいただき、論文をいただく。いただいた本などを郵便受けで手に取ったら、その場でぐっと読み込み、机に座ったらもうハガキを手に取ってお礼を書き始めている。最近の私は、「お礼ハガキを書いて届けないかぎりは、本をいただいた気になれない」。
入稿。原稿を〆切前に入れること。これはもう、言うまでもありません。がんばります。
2008年4月5日 (土)
■車掌のキモチ/編者のキモチ
「発車まぎわの駆け込み乗車は、たいへん危険です」
「むりなご乗車はなさらないよう、ご協力をお願いします」
「危険です、おやめくださいっ!!」
電車を定刻通りに発車させることを仕事とする車掌や駅員は、それを乱す乗客たちのコントロールに気をもむ。お客さんだから丁重にあつかいたいのはやまやまだが、駆け込み乗車は後をたたないから、いら立ちもするだろう。
多くの人の原稿を集めて刊行へと進めていく、本の編者という仕事は、実は車掌とよく似ている。私も最近、車掌たちの気持ちがよく分かるようになった。
「〆切まぎわの駆け込み執筆は、たいへん危険です」
「むりなご執筆はなさらないよう、ご協力をお願いします」
「危険です、おやめくださいっ!!」
いやはや。とりわけ、刊行が1日でも遅れたら出版助成金がフイになってしまうような仕事の場合、気をもむことこの上ない。
『アクション別フィールドワーク入門』では、願いかなって、ただ1人の乗り遅れも出すことなく、定刻通り終着駅にたどりついた。
「またのご乗車をお待ちしております!」
2008年4月2日 (水)
■よき出会いのたまもの
京都の出版社、世界思想社は、自社で刊行した本の著者たちの個人サイトのリンク集を設けている。このたび、世界思想社で編著書『アクション別フィールドワーク入門』を出していただいたご縁で、私のこのへなちょこサイトも末席に加えていただいた。まことに栄誉なこと、ありがとうございます。
さて、本というのは、著者と出版社がおたがいに結びついてできるもの。だとすれば、「出版社が著者リンク集を作る」のと同じように、「著者が出版社リンク集を作る」ことがあってもいいのでは?
そんな思いつきで、私がこれまで原稿をお届けする機会をいただいた出版社などのリンク集のページを作ってみた。
眺めていると、それぞれの原稿でお世話になった編集担当者のみなさまのお顔やお名前が、ひとつずつ浮かんでくる。原稿が刊行物として日の目を見るということは、まさしく「よき出会いのたまもの」にほかならないことを痛感する。
「研究の成果は私ひとりの手になるものだ」などという思い上がった考えを、将来にわたって持たないためにも。時どきこのリストを眺めては、感謝の念を想い起こすことにしたいと思います。
以上、浅学非才執筆者拝。
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