亀井伸孝の研究室 |
ジンルイ日記つれづれなるままに、ジンルイのことを |
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最終更新: 2008年6月15日 |
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■不良調査者としてのインディ・ジョーンズ (2008/06/15)
■忙殺で謀殺 (2008/06/13)
■「ワーキングプア島耕作」ってのはどうでしょう (2008/06/10)
■18年ぶりに訪れたキャンパス (2008/06/07)
■なんくとなにく (2008/06/06)
■ピクトたち、学会で大いに踊る (2008/06/05)
■文化人類学会「アクションというフィールド」大成功! (2008/06/04)
2008年6月15日 (日)
■不良調査者としてのインディ・ジョーンズ
19年ぶりのシリーズ新作で話題の『インディ・ジョーンズ』。賢さ、強さ、かっこよさ。いろいろな意味で魅力ある人なのだろうが、フィールドワーカーとして見た場合、彼はきっと最低の部類に入る調査者でしょうね。
なぜって? 調査地で侵入、破壊、殺傷、略奪のかぎりを尽くし、「宝物をライバルに渡さない」以外の成果をひとつも上げず、現地に還元もせず、自己満足して帰っていくのだから。現地の人たちとのラポール(信頼関係)のもとに調査をしよう、というようなフィールドワークのいろはも実践していない。
今どき、これでは科研費も取れませんよ。彼の論文の「謝辞」の欄には、いったい調査協力者に対するどんなことばが並んでいるんだろうと、素朴な疑問がわく。
21世紀のインディ・ジョーンズは、もう少し調査地への成果還元に努力を、と忠告したい。毒矢で襲ってくる現地の人たちとも胸襟を開いて話し合い、共同研究者として育成し、現地に博物館と国立公園を設置して、研究成果を分かちあうための国際シンポジウムを開くくらいのことはしなければね。
【レポート課題】
『インディ・ジョーンズ』シリーズ(全4作)のどれかひとつを見て、彼の調査の方法上または倫理上の問題点を3点指摘し、それぞれの改善方法を提言しなさい。「フィールドワーク入門」の授業で、こんな宿題はどうでしょう。いつかやってみたいと思います。
【参考日記】(映画で学ぶ調査倫理)
■『キング・コング』 (2005/12/23)
■『エリン・ブロコビッチ』(2003/12/07)
2008年6月13日 (金)
■忙殺で謀殺
メールがまいこみ、用事がまいこむ。ごめんなさい、今は手がつけられないので、ちょっとご猶予を。あわただしくそんなお返事を打つ。
○月までは○○関係の業務で謀殺されていますので、あわわ、あやうくこのまま送信するところだった。
日程調整のご配慮をよろしくお願いいたします。どんなに忙しくなっても耐えますが、どうか謀殺はしないでください。>各位(どなた?)
2008年6月10日 (火)
■「ワーキングプア島耕作」ってのはどうでしょう
「島耕作がついに社長になった」というニュースがかけめぐった。もちろん、マンガの世界での話。彼は1983年の連載開始時に課長としてデビューし、25年かかってついに社のトップに上りつめたという。おめでとうございます。
ただし…『蟹工船』がベストセラーになるこの時代。こういうトントン拍子の出世物語って時流に合うのかな、という思いもちらり。「趣味は仕事です」と言い切る島耕作は、なるほどかっこいい。でも、もし明日解雇されるかもしれないかつかつの不安定な立場だったら、そうも言っていられないのでは? やっぱりこれは安定雇用時代の物語だった、というと言いすぎだろうか。
島耕作が世に出てから四半世紀、当然社会も変わり、労働も変わった。社長に祭り上げてすごろくの「あがり」にしてしまうよりも、「ワーキングプア島耕作」あたりから再出発するのはどうだろう。
彼ほどの人なら、きっとどんな環境にあっても、働くことのかっこよさを示してくれるにちがいない。うん、これは楽しみです。
2008年6月7日 (土)
■18年ぶりに訪れたキャンパス
国際開発学会春季大会に参加するため、「大岡山」駅前にある東京工業大学のキャンパスを訪れた。記憶にまちがいがなければ、このキャンパスに来るのは今回が2度目である。18年前、私が大学入試センター試験を受けたのが、このキャンパスだったはずだからだ。
東急線を乗り継いで、この駅前の大学に来たことをおぼろげに覚えている。ただし、まだ駅は地下化する前だったから、電車を降りたときの光景はずいぶんと違ったものに感じられた。
そういう私の方も、ずいぶんと変わりはてた立場と所属になった。なにせ当時は、大学に入学する入口の、さらに手前だったのだから。研究者になりたいとは思っていたが、アフリカに関わることになろうとは想像していなかった。
もうひとつ、ギョッとしたことがある。今、このキャンパスを闊歩している東工大の1年生たちとは、「私がここでセンター試験を受けていた頃に生まれた人たちだ」という事実である。まあ、それも時代というものです。
2008年6月6日 (金)
■なんくとなにく
「何区」。さて、どう読みますか。「なにく」と読んだ方、あなたは地理がお好きでしょうか。横浜市鶴見区、京都市中京区。区名を固有名詞で答えてほしい質問のときは「何区(なにく)」と読む。
「なんく」と読んだ方、あなたは政治がお好きでしょうか。千葉1区、大阪3区。区名を番号で答えてほしい質問のときは「何区(なんく)」と読む。
読みまちがえたら、変な誤解が起こる。「あなたの家は、なんくですか」などと聞かれたら、まるで選挙区を調べられているようだ。もしや、ある候補に投票してくれと頼まれたりするのでは、と思わず身構えてしまう。
このなにげない、しかし大きな違いといったら。ことばはこれだからおもしろい。
「何」を「なん」と読むか「なに」と読むかだけで意味の違いが生じる例、探したらほかにもあるかもしれませんね。
2008年6月5日 (木)
■ピクトたち、学会で大いに踊る
今年の文化人類学会の発表に登場し、大活躍したピクトさんたちです。
昨年の12月に誕生したこのピクトたちは、『アクション別フィールドワーク入門』の各章の扉を飾り、ついに学会の分科会で主役をはるまでになりました。偉くなったもんです。
いったいどんな活躍を? 学会発表のパワーポイントを、こちらのサイトでごらんください。
[文化人類学会の分科会報告] ※ [趣旨説明] をクリック!
2008年6月4日 (水)
■文化人類学会「アクションというフィールド」大成功!
6月1日、京都で開かれた文化人類学会で、『アクション別フィールドワーク入門』の共著者たちが集まって分科会「アクションというフィールド」を開催、実りある議論とともに終了した。長年の宿題を果たした「卒業式」という気分である。関西学院大学のCOE「『人類の幸福に資する社会調査』の研究」に研究員として雇われた2004年の春、応用/実践系のフィールドワークをテーマとした研究会の開催を思い立った。それは、実は採用面接の場で明言した公約でもあったのだ。
企画書第一案を書いて会議に出したのが、2004年4月21日。ナマイキにも当初から「本を作り」「学会分科会を行う」と書いていた。
その思いつきが、4年におよぶ連続ワークショップ「多文化と幸せ」の開催につながり、本が完成し、それを学会の分科会でご披露することができた。これで、4年ごしの宿願達成。もちろん学会の場で、関学COEに対する謝辞を申し上げたのはいうまでもない。
本の発行元である世界思想社が、本書をブースに平積みにし、奮闘して販売攻勢をかけてくださった。おかげで、上々の売り上げ冊数を記録したと聞いた。これも、資源とチャンスをくださった関係諸機関、各位へのささやかなご恩返しになっていればと願っている。
分科会の成立にご助力をいただきました大学、出版社、共著者のみなさま、コメンテータの方、ご来場の一般参加者各位、みなさまにお礼申し上げます。
[文化人類学会の分科会報告]
※世界思想社ブースの「看板」になった本書の写真も見ていただけます。
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