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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2008年9月

日本語 / English / Français
最終更新: 2008年9月30日
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■辞書の仕事、メールの仕事 (2008/09/30)
■そしてまた1人の手話話者となり (2008/09/19)
■ようやく訪れた夏休み (2008/09/17)
■日本手話学会での招待講演 (2008/09/15)
The Daily Yomiuri に言語研修の記事掲載 (2008/09/11)
■手話言語研修・週末日記 (5) 終わりよければすべてよし (2008/09/06)


2008年9月30日 (火)

■辞書の仕事、メールの仕事

最近の私は、極端に異なるふたつのタイプの仕事の間を行き来していた。

ひとつは、辞書作り。フランス語圏アフリカ手話のDVD動画辞典を作るため、動画をひとつずつ見てフランス語と日本語で訳と注を作り、誤字があればひとつずつ直していく。雑念を払ってひとりで黙々と行わなければならない、静かで孤独な仕事である。

もうひとつは、いろいろなコーディネート業務。授業や行事の準備、講師依頼、通訳手配、研究計画準備など。事務職員や同僚、学生、他の研究者たちと会って相談し、メールし、電話しながら進める。つねに人とつながっていなければできない仕事である。

このふたつの種類の仕事は、絶対に同時にはできないと思う。辞書を作っている時にメールがどんどん飛び込んできたら気が散ってしかたない。だから、いっさいの連絡を遮断して机に向かう。逆に、急いでプロジェクトをまとめないといけないときは、メールや電話の待機態勢にあるから、辞書のデータを広げて見ている場合ではない。

そうか、言語研修の準備が大変だったのは、「辞書の仕事」と「メールの仕事」を同時にこなさなければいけなかったからなのだ。

この半年あまり、急に連絡不通になったことがいく度となくあったと思います。おそらく、手話辞典の編集作業に没頭していたときでしょう。ごめんどうをおかけしました。仕事柄、そうせざるをえなかったのだと思います。


2008年9月19日 (金)

■そしてまた1人の手話話者となり

1人 → 2人 → 12人 → 15人 → 40人 → 15人 → 12人 → 2人 → 1人

さて、これは何の数でしょう。答えは「わがAA研(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)における手話話者の人口」である。

昨年9月1日、亀井がAA研に着任。プロジェクトは1人から始まった。

今年7月2日、言語研修の相棒講師であるろう者エブナが、カメルーンから来日。手話話者が2人になり、研究所でいっきに手話が顕在化。

8月4日、言語研修が開講。10人の受講生を迎え、12人の手話言語集団が出現する。

毎週金曜に外部講師を招いた時は、いつもの12人に講師1人+手話通訳者2人を加えた、15人の態勢で講演会。

8月22日、ケニア人ろう者の講師に来てもらった時は、外部の一般参加者やASL通訳者を含めて、40人もの手話の空間が出現。

そして、また15人での文化講演や12人の通常授業をへて、9月5日に言語研修が閉講。10人の受講生は、それぞれの日常生活へと帰っていった。

閉講後の12日間、エブナと2人で残務処理をこなし、9月17日に成田空港からの帰国を見送った。

そして、研究所の手話話者は、また私1人になった。

この夏は、AA研にとって「手話の季節」だった。ふと振り向けば、いつもそこにろう者たちがおり、手話の会話が見えた。これほど日常的に手話がある風景は、研究所創設以来初めてのことであったろう。

/ボンジュール/
/OK/OK/
教職員の間に残存する、フランス語圏アフリカ手話のあいさつ。

「ろう者を呼ぶ時は、声かけではなく肩たたきで」
「手話が分からないときは、筆談しよう」
ろう者と聴者の適切な共存のマナーを身につけた、研究所の人たち。

一大プロジェクトが終わり、潮が引くように手話話者は減っていった。しかし「元の木阿弥」ではないはずで、AA研の「手話の季節」は確かに何かを残してくれた。

ひとり残された手話話者として、私は次なる跳躍を考える。いつの日か、手話話者が絶えることのない大学、研究所となることを夢見ながら。


2008年9月17日 (水)

■ようやく訪れた夏休み

言語研修「フランス語圏アフリカ手話」の外国人講師エブナが、今日の晩のエールフランス機で離日した。

名残惜しさを感じている間もないほどの、激務の連続。精算、書類、鍵、物の貸し借り、データ整理にお土産に掃除に荷物整理にあいさつ…。すべてを終えて空港リムジンバスに乗り込んだとき、ようやくこの滞在を振り返る話をする時間ができた。

彼が7月2日に到着してから今日までの、78日間(2カ月半)。教材準備と言語研修授業と国際交流に明け暮れた日々だった。その滞在の中でもっともうれしかったことは、研修生たちの手話の上達と、多くの出会いに恵まれたことだった、と言っていた。いちばん驚いたことは、日本の夏がカメルーンより暑いと知ったこと、そして、地震をたびたび体験したことだそうである。また、カメルーンに帰ったら、まずキャッサバの葉の料理(パプ)を食べたい、と言っていた。

私: /bon/voyage/!(よい旅を)
エ: /à bientôt/!(また近いうちにね)

成田空港出国ゲートのガラス窓ごしに短いあいさつを交わし、相棒は去っていった。別れはあっけない。

ふう。一抹のさびしさと同時に、解放感が訪れる。この1年間、1日も休みのなかった私に、ようやく夏休みが訪れた。気付いたら、すっかり秋の気配が訪れていた。


2008年9月15日 (月)

■日本手話学会での招待講演

20080915, JASL meeting 今日、神戸で開催された、日本手話学会第34回大会における基調講演に招待されるという名誉ある機会をたまわった。実行委員会ならびにご来場の各位に、あらためて厚くお礼申し上げます。

[プログラム詳細]

私の日本手話学会との関わりは長い。手話研究の場がまるでないという状況にとまどっていた大学院生の頃、1998年、1999年と立て続けに2回の発表の機会をいただいた。

「世界的にも、アフリカのろう者・手話研究はきわめて少ないのです」
「アフリカの特性をふまえて、きちんと現地調査をしなければなりません」

ほとんど調査計画だけのような発表をし、その後はすっかりアフリカのろう者コミュニティにのめりこんでしまって、学会にはなかなか参加できないまま年月が過ぎた。長いわりには、薄い関わりであった。

ほぼ10年ぶりの大会参加を、来日したアフリカのろう者エブナとともに、アフリカの手話をテーマとした講演を、ほかならぬアフリカの手話言語で行うというかたちで果たすことができた。このことは、個人的な研究の道のりとしても、また、アフリカの手話と日本の手話研究の接近という観点からも、たいへん感慨深いものがあった。しつこくガンコにやっていてよかった、そんなことも考えた。

今後とも、かつての私のような(?)行き場はないけれども興味ひとつでこの学界に飛び込みたいと思う若手研究者たちの受け皿となることを祈りつつ、学会各位へのお礼のことばとしたい。


2008年9月11日 (木)

The Daily Yomiuri に言語研修の記事掲載

20080911, The Daily Yomiuri 英字新聞 The Daily Yomiuri に、私たちの言語研修「フランス語圏アフリカ手話 (LSAF)」の記事が大きく掲載された。ご担当の記者ならびに新聞社関係各位、まことにありがとうございます。

Sign language from Africa
The Daily Yomiuri (September 11, 2008)
[記事の全文を見る]

記者は手話を話さない聴者であるが、記述は丁寧で、正確だ。

たとえば、"Deaf" の頭文字を大文字にすることの意味、LSAFがフランス語とは異なる独自の文法をそなえていること、フランス手話とは異なる言語であること、口型が重要な要素であることなども盛り込まれている。このために本を何冊も読み、LSAFのDVDの動画を閲覧した上で書き上げられた記事であるという。その勉強量は、なみたいていのものではない。

手話に関する正しい理解に基づいて、アフリカの手話とそれを学ぶ受講生・講師陣の奮闘ぶりをポジティブな筆致でご紹介くださったことに、あらためてお礼もうしあげます。


2008年9月6日 (土)

■手話言語研修・週末日記 (5) 終わりよければすべてよし

言語研修「フランス語圏アフリカ手話」の週末日記、第5回目(最終回)です。どうかご笑覧ください。

■ある言語的マイノリティ
授業のビデオ撮影スタッフとして、研究所のSさんが半日教室に同席した。その日は、通訳をつけずにフランス語圏アフリカ手話(LSAF)だけで2時間の講義をする日であった。

S「みんなすごいですね、1カ月で大学の講義が分かるレベルに達するとは」
私「ほんとにね。受講生たちのこの熱意と上達ぶり」
S「手話が分からないのは私だけでしょう。すっかり言語的マイノリティですね(笑)」

Sさんも、エブナが来日したその日から片言の手話を覚え、日々いろいろと所内で相手をしてくれてきた人である。そのSさんですら、受講生たちがあっという間に高度な語学力を身につけたことに驚いた様子。

受「フランス語での講義よりも、手話での講義の方がいいですね」

そんな受講生も現れる。フランス語の素養はあったものの、1カ月前には手話であいさつもできなかった人である。

今週は、日本語や日本手話での解説を極力省き、ほとんどの授業を目標言語であるLSAFだけで進めた。それゆえ、むしろ中身が盛りだくさんになる忙しい週でもあった。

講師2人は、文化講演を1回ずつ担当。10人の受講生は5人ずつの2グループに分かれ、最終日の卒業制作演劇の練習に励む。「言語を教える-学ぶ」の関係を超えて、講師も受講生も同じように汗をかき、LSAFという言語での表現を創作する。あ、共通言語をもつというのはこういうことなのかと思う。

■2008/09/01月: 第17課 副詞、CL
副詞、副詞句などの勉強。といっても、手話においては S+V+adverbe というような音声言語のごとき味気ない副詞の使い方よりも、状態や程度を手話特有のルールに従って視覚的に表現する方がよっぽども重要である。「うじゃうじゃとアリが行列をつくっている」「見渡すかぎり子どもたちがいっぱい」「こんなに分厚い札束」といった写真を見ながら、視覚的表現を工夫する。カメルーンのろう者が「鎌倉の大仏」をどのように表現したか。なかなかの見物だった。手話銀行のテーマは「副詞、宗教」。

■2008/09/02火: 第18課 関係代名詞/文化講演「西・中部アフリカろう文化紀行」
「私が働いている学校」「ろう児をもつ親たち」など、形容詞節と関係代名詞の機能をもつ指さしについて学ぶ。手話にはそういう複雑な構文がないはずだと信じているのは、おそらく手話の初学者である。実際にろう者の会話を見ていれば、こういう形容詞節はふんだんに用いられている。今日は特別企画があるため、手話銀行はお休み。

午後は受講生のリクエストにお応えして、講師のひとりである私、亀井伸孝が「Les voyages dans les cultures des sourds en Afrique Centrale et Occidentale : Cameroun, Gabon, Bénin, Ghana et Nigeria(西・中部アフリカろう文化紀行: カメルーン、ガボン、ベナン、ガーナ、ナイジェリア)」というテーマで、2時間の講演をした。緑色のナイジェリアの衣装に着替えて、受講生サービス。講演言語はLSAFのみで通訳なし、パワーポイントは日英仏3言語の混成スライド。私の手話語りを見つめてふんふんとうなずいている受講生の反応は、確かなものであった。講演をぶじに終えられたこともよかったが、受講生の読解力が大学の講義レベルに達していることに感激した。

■2008/09/03水: 第19課 節/新聞の取材
昨日は時間切れで質疑応答ができなかったため、朝から引き続き講演への質問のコーナー。西・中部アフリカのろう文化についてのみならず、私が調査者としてどんな姿勢で各地のろう者の集まりの中に入っていったのかという、異文化へのアプローチの方法についての質疑が多く、盛り上がった。

今日の文法は「…が…するならば」「…が…するとき」といった副詞節の使い方。手話銀行のテーマは「前置詞、さまざまな表現、場所」。「写真で学ぶアフリカ」のコーナーは、私のカメルーンでの写真コレクション紹介。教材のDVDの手話モデルとして活躍しながら昨年11月に急逝したろう者フィリップ君の最後の写真をお見せした。彼のこれまでの貢献を手話での講義の中で紹介することは、私の秘めた願いでもあった。

午後から、毎日新聞の記者お二方が来所し、授業の取材をされた。3週間前に読売新聞の記者の方が来られた時は、まだ日本語を多くまじえて授業をしていた。今やほとんど日本語を使う場面がなくなってしまったため、私が記者のためのウィスパリング(ささやき)通訳をした。ウェブで動画発信もするという意欲的な取材で、掲載が楽しみである。

4時間目に、卒業制作演劇の打ち合わせ・練習時間をとる。放課後も各班はシナリオ作りと役作りに没頭し、だれも帰らない。講師の私たちの方が驚いてしまうほどの熱心さであった。

■2008/09/04木: 第20課 話法
「彼女は『私は忙しい』と私に言う」「彼女は彼女自身が忙しいと私に言う」というふうに、他人の発言を直接話法と間接話法の2通りで表現する方法を学ぶ。文法編の到達点はここまで。手話銀行のテーマは「交通、家、衣服、台所、その他」。「写真で学ぶアフリカ」のコーナーは、私がカメルーンで撮りためた相棒エブナ講師のスナップのコレクション。エブナの食事風景、勉強の様子、彼女とのツーショット写真などを見ながら、みんなでエブナを質問攻めにしようという趣向で、とくに恋愛関係は異様な盛り上がりを見せる。4時間目は、昨日と同様の卒業制作演劇の練習時間。

■2008/09/05金: 最終テスト/文化講演「わが国カメルーン」/卒業制作発表会
ついに言語研修最終日を迎えた。午前は、最終テスト。手話の読解試験と、別室での面接形式による手話の表出試験。昼休み、ケニアのウガリを持参した受講生がみんなに昼ご飯をふるまい、私たち講師もご相伴にあずかった。

午後は、講師の一人であるろう者エブナ・エトゥンディ・アンリによる文化講演。「Mon pays du Cameroun et la communaté des sourds(わが国カメルーンとろう者コミュニティ)」というテーマで、2時間の講演が行われた。エブナは、黄色のガーナの衣装をまとって登場。講演言語はLSAFのみで、亀井は通訳や解説を行わないというルールで始まった。閉講日の諸業務の忙しさもあったため、私はいっさい講演に介入せず、完全放任でさまざまな仕事をしていた。予定の2時間を30分すぎてもなおLSAFでの講義と質疑応答が続き、終わる気配がないため、さすがに時間管理の必要から講演の終了を促したほどだった。

研修100時間目、最後の時間は卒業制作演劇の発表会。グループAは「3匹の子ブタ」、グループBは「桃太郎」。しっかりとフランス語口型を伴った、日本人たちの流暢なLSAFで、随所にアフリカの食文化などが織り込まれた、異文化混淆の不思議な物語が繰り広げられた。毎日の自由会話練習でもギャグを仕込まずにはおれなかった受講生たちの力量と魅力が、もっとも光り輝いた瞬間であった。

■「手話を話せる国際人たれ」
演劇発表会の後は、記念品贈呈。午前中の最終テストの採点結果、昨日までに出そろった教科書のミスを整理した「正誤表」、授業で使ったパワーポイントのデータなどを収めたCDとあわせ、私たち講師陣からの贈ることばを記した色紙を一人ずつ手渡した。

エブナの贈ったことばは:
"Je tiens à te transmettre mes sincères félicitations et encouragements sincèrement à toi!"
(あなたに心からのお祝いと励ましのことばを贈りたいと思います)

私の贈ったことばは:
"Soyez le(la) citoyen(ne) international(e) qui sais communiquer en plusieurs langues des signes! Toujours avec les sourds africains!"
(いくつもの手話を話せる国際人たれ つねにアフリカのろう者とともに)

さっさと配布して終えるつもりが、1人ずつ授与のシーンの記念写真を撮りたがり、大幅に時間超過。「あのー、隣のモンゴル語は終わりましたけど」と、事務員から閉講式の催促がきてしまうほどだった。

■閉講式で見たふたつの文化集団
最終講義の終了後、モンゴル語とLSAFの2クラスの合同閉講式。私は、司会者たちの日本語をLSAFにする手話通訳者となった。

修了証授与のため、一人ずつ名前が呼ばれていった。モンゴル語の受講生は「ザー!」と大きな声で返事をし、LSAFの人たちは /oui/merci/ などと手話で答えている。

一人ずつの修了証授与とともに会場から拍手がわき起こったが、モンゴル語の人たちはパチパチと拍手しているし、LSAFの人たちは全員が両手ひらひらの /Félicitations!/ というろう者の拍手をしている。

合同開講式では見られなかった風景だ。おー、みごとにふたつの言語・文化集団に分かれたな、という印象である。5週間のぶっ続け研修のすごさである。

LSAFの受講者10人全員が、そろって修了証を授与された。修了証を手に記念撮影。心の中はうれしいことこの上なかったが、デジカメで撮られた写真を見てみると、私の顔はこわばり、頬がこけていた。楽な道のりではなかった。

■池袋でンドレを食べる
これまで、毎日の授業で文法を学ぶ時に教科書で使っていた例文は、

「カメルーン人はンドレを食べます」
「あなたはなぜプランテンバナナを食べないのですか?」

など、ほとんどアフリカの食文化の語彙などで作られていた。ンドレもプランテンバナナも食べたことがない受講生たちは、「いったいどんな食べ物?」「いちど食べてみたい!」という思いをつのらせていたようである。

閉講式の後、みんなで池袋にあるカメルーンレストランに移動、バイキングで懇親会をした。講師に内緒で用意されていた受講生たちの寄せ書きとプレゼントを手渡され、熱いものがこみ上げた。

食事が始まれば、/ndolé//plantain//gombo/などなど、食文化の語彙の復習。そして、怒濤のおしゃべりと宴会に。酒を一滴も飲まないエブナが、雰囲気だけで酔いしれて踊り始めたのには驚いた。そして、池袋駅から各方面の改札へ、お別れ、お別れ、お別れ。/merci/à bientôt/!

■総合格闘技としての言語研修
事前準備と授業をあわせた、この1年の苦闘。そのさなか、私は「言語研修とは○○である」という言い回しをいくつ考えついたことだろう。

言語研修とは「社会貢献である」「研究成果発信である」「広報である」「一般啓発である」「苦行である」「人生である」「実績である」「自己鍛錬である」「経験である」「運命である」…。毎晩、終電まで根つめて仕事をし、帰りに夜空を見上げながら「言語研修とは…何だろう」とつぶやくのが習わしになっていた。

振り返って、今の私であれば「言語研修とは総合格闘技である」と答えたいと思う。

「講師」と言っても、そこにはどれほど多様な業務が含まれていることか。少なくとも、授業担当講師のほか、言語調査者、ビデオ編集者、辞典編者、教科書著者、手話通訳者、翻訳者、イベントコーディネータ、通訳コーディネータ、広報担当者、外国人講師お世話係を業務として兼ねている。時には、受講生の要望や行事運営の状況に応じて、カメラマン、進路相談員、宴会幹事、会場設営者、司会、基調報告者、印刷屋さん、清掃員を兼ねることもあった。

およそ大学の知的活動に関わるすべての業務が凝縮されており、そのすべてを長期間にわたりフルパワーでこなす必要がある。まさしく「総合格闘技」の名にふさわしい。

私は、いったい何と闘ってきたのだろう。仮想敵はおそらく「言語をめぐる無理解や怠慢を含む社会常識」である。どの地域・集団の言語もひとしく尊重される社会であれば、言語研修など必要ないはずである。現実には日本で学べる言語の種類は限られ、手話を含む世界の多くの言語が、学ばれる機会のないままにその存在を忘れられている。そうあってなるものか。ある言語にほれこんで長い付きあいを続けてきた研究者が、自らの存在証明をかけて言語研修という総合格闘技に身を投じるのである。

幸い、LSAFはのべ4回の記者取材を受け、新聞やメルマガなどを含めて15件の記事として世に紹介された(掲載予定を含む)。

「え、アフリカの手話? なぜまたそんなことを(笑)」

そんな好奇のまなざしをはねのけるような堂々たる扱いをいただき、日本の語学教育の歴史に新しいページを加えたはずである。10人の受講生以外の一般社会に及ぼした影響も、少なからずあったのではと考えている。格闘のしがいは、確かにあった。

■来たるべき手話言語研修のために
「ところで、来年は何手話の研修ですか」
「次は中国手話を」
「アフリカの他の手話は開講されないのですか」
「ケニア手話かハウサ手話をやろう」
「2011年に、世界ろう者会議が南アフリカで開かれますよね」

いくつものリクエストがまいこんでいる。あいにく、2009年度の3言語はいずれも音声言語となる見込みで、次にアジアやアフリカの手話の言語研修がいつ行われるかは分からない。

しかし、その素地はできたと信じている。手話言語調査票作りから始まり、手話撮影、動画辞典編集、教科書執筆、多くの手話言語での授業運営、手話通訳コーディネート、聞こえない受講生の迎え方、開講の心がけにいたるまで、大学に本格的に外国の手話言語を導入するにあたってのノウハウは、今回の研修でかなり蓄積されたはずである。このリソースを利用して奮闘したいという手話言語研究者は現れないだろうか。来たるべき第二の手話言語研修のために、私は協力を惜しまないつもりでいる。

そして、私がひとつ心に決めていることがある。次にAA研で手話の言語研修が開かれることがあったら、今度は私が一受講生となって新しい手話言語の勉強に挑戦したいと思っている。

■終わりよければすべてよし
2人コンビの100時間のティームティーチングは、楽なことばかりではなかった。

基本的には主任講師である私が大まかなデザインを描き、外国人ネイティブ講師がコンテンツ原案を作り、受講する側の日本の文化を考慮して私が細部の詰めを行う。そんな役割分担でやってきた。

まあ、楽屋裏ではいろいろとしんどいこともありましたけれども(苦笑)。

「名コンビの先生から学べたことは大変幸運でした」

そんな寄せ書きを最後にいただいたことで、まあよかったんだろうと感じている。

終わりよければすべてよし。日本社会、アフリカ社会、そして世界に対して誇るべき、前例のない言語研修「フランス語圏アフリカ手話」の成功を、共同講師エブナと修了生のみなさんとともに喜びたいと思う。

最後に、AA研所長の大塚和夫先生、研修専門委員会委員長の稗田乃先生をはじめとする教員各位、DVD共同制作者である青木悠一さん、事務の滝澤未希子さん、高坂香さんほか職員各位に、厚くお礼を申し上げたい。そして、昨年11月に天に召されたわが友ンヴェ・フィリップ君の魂に、この成功を報告したいと思う。

/merci/beaucoup/!

(おわり)



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