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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2008年11月

日本語 / English / Français
最終更新: 2008年11月28日
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■祝・レヴィ=ストロース100歳 (2008/11/28)
■さまよう卒論を救おう (2008/11/22)
■日本手話訳・源氏物語 (2008/11/20)
■ピッとタッチして新幹線 (2008/11/17)
■イディ・アミンとウガンダのろう者 (2008/11/16)
■楷書で書こう (2008/11/14)
■ろう学生たちとの対話 (3) 夢の大学を作ろう (2008/11/11)
■ろう学生たちとの対話 (2) emic と etic とろう文化 (2008/11/10)
■ろう学生たちとの対話 (1) 日本手話ぶっ通しの4時間 (2008/11/09)


2008年11月28日 (金)

■祝・レヴィ=ストロース100歳

フランスの人類学の泰斗、クロード・レヴィ=ストロースの、今日は100歳の誕生日。長生きしましたね。おめでとうございます。

50代の頃からブレークし始めた、比較的遅咲きの大学者。ユダヤ系である彼が第二次世界大戦のときにヨーロッパを避け、アメリカに渡ってヤコブソンの言語学に出会ったことが、のちの構造主義の源流をかたち作ったとされる。

なにがすごいかといって、彼を乗り越えたはずの後輩たち、つまり「ポスト構造主義」の論客たちが軒並み他界してしまった今、構造主義の御大がひとりおごそかに100歳の誕生日を迎えていることである。

「構造主義は死なず」

ええ、私もそう思います。どうかいつまでもお元気で。


2008年11月22日 (土)

■さまよう卒論を救おう

「卒論で手話をとりあげたいのですが、身近に詳しい先生がいないので、アドバイスをください」

知らない他大学の学生から、いきなり連絡をいただくことがある。時には「ウチの学生をよろしく」と、指導教員から「里子」をいただくことも。

手話が人間の言語のひとつ(数かず)だということを、自然に受けいれる学生が増えてきた。しかし、その関心を受け止めてサポートできる教員の層が、圧倒的に足りない。それで、私のような者にまで相談がまいこむのだ。

心が痛むのは、進路の相談。「手話言語の専門的な研究ができる大学院は?」「ありません。二足のわらじでがんばろう」と答えるしかないのだから。

論文についてはボランティアで個別助言をすることになるが、こういう「さまよう学部生や院生の意欲」を受けとめて成果につなげていくいい方法はないものか、と考えていた。

類例がないわけではない。今の職場であるアジア・アフリカ言語文化研究所では、全国に散在する中東・イスラーム研究志望の学生たちを一カ所に集めてしごく研究セミナー教育セミナーを開催している。学生は専門的助言を得ることができ、お世話役の研究所は人材発掘と人脈作りができる。

そうか、大学の垣根を越えたこういう実践例が身近にあるではないか。そのノウハウを学んでみようかなと思う今日この頃です。


2008年11月20日 (木)

■日本手話訳・源氏物語

紫式部が小説を書いていることを初めて日記に記して、今年でちょうど1,000年。「源氏物語千年紀」として、ちょっとしたブームなのだそうだ。

報道によれば、これまでに25もの言語に翻訳されてきたとか(アラビア語、イタリア語、英語、オランダ語、クロアチア語、スウェーデン語、スペイン語、セルビア語、チェコ語、中国語、朝鮮語、ドイツ語、トルコ語、ハンガリー語、フィンランド語、フランス語、ロシア語、タミル語、テルグ語、ヒンディー語、ウクライナ語、エスペラント、タイ語、ミャンマー語、モンゴル語。『朝日新聞』2008/11/20 朝刊: 27面、翻訳進行中を含む、日本語を含まない)。

おや、手話言語がひとつもないな、と思う。

『手話生活』というDVDで、源氏物語の手話訳に挑戦しているという。私もいちど見てみたいと思うけれど。文化庁も、こういう古典文学の日本手話訳の事業にお金を使ってはどうかなあ。日本手話は、ほかならぬ日本の言語なんですから。

(いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり…)

日本手話による『完訳・源氏物語』が完成し、DVDが全国の図書館の文学コーナーに配架される日はくるでしょうか。


2008年11月17日 (月)

■ピッとタッチして新幹線

最近の出張で初めて、JR東海の EX-IC(エクスプレス予約 IC サービス)を使った。

これは、切符なしで新幹線に乗れるサービスである。インターネットで指定席を予約しておけば、当日は専用 IC カードで「ピッ」と改札機をタッチするだけで乗ることができる。

うん、これは便利。なぜって? 新幹線に乗る前は、何かと用事が多いものだ。おみやげをいくつか買わなきゃ、弁当と飲み物に、そうそう雑誌もほしい、などとあわてふためいて、時間ギリギリに改札に駆け込むこともしばしば。そのようなときに、「ピッ」ですべてが済むのだから。

ますます往生際が悪くなりそうだけれど。私のように、発車前にあわてふためきがちな人におすすめです。

※利用するためには、事前の会員登録やクレジットカード申込みが必要です。


2008年11月16日 (日)

■イディ・アミンとウガンダのろう者

ウガンダのろう者に出会い、地名や人名などの固有名詞の手話語彙を教えてもらうことがあった。

「イディ・アミン」という元大統領のサインネーム(手話での名前)を表現したときの、彼の苦々しい表情が忘れられない。血なまぐさい独裁政治で知られ、アフリカにおけるヒトラーのようにもたとえられるこの人物の名前は、やはり口にするのも(手にするのも)はばかられるような苦い記憶とともにあるようだ。

これまでも、アフリカの現代史を語るろう者たちに出会ってきた。ビアフラ戦争下の少年期を回想する東部ナイジェリアのイボ人のろう者。この数年の内戦と窮状を語るコートジボワールのろう者。そして、かつての独裁者の手話名に顔をしかめるウガンダのろう者。

各地各様の手話で語られる「もうひとつのアフリカ史」がかいま見えてくる。しかし、その全貌はまだ見えていない。


2008年11月14日 (金)

■楷書で書こう

最近のマイブームは、「楷書」。文字を楷書で書こう!というのが、今の私の心をとらえている。

自己流で文字を崩し書きするようになって、何年になるだろう。気付いたら、封筒もハガキも書類も板書も、ぜんぶ崩し字でいいかげんに書く癖がついてしまった。(めんどうくさい)(時間がかかる)というのを言い訳にして、かっこ悪い文字を社会のなかにまき散らしてきたのだ。

崩して適当に書きたいというところを、ぐっとガマンする。とめ、はね、はらい、完璧に几帳面な文字を書いてみる。おお、やればできるではないか。だんだんと快感になってくる。

忙しく疲れているときこそ、「ちょっとガマンして、ここは丁寧に」。いろんな仕事ぶりにも、効果が現れてくるかもしれません。


2008年11月11日 (火)

■ろう学生たちとの対話 (3) 夢の大学を作ろう

「大学生活と手話」を主題とした今回の講演・討論企画で、ろうの学生たちに最後にこんなテーマで議論してもらった。

「もしもあなたが大学をひとつつくってよいとしたら、どんな大学をつくる?」

予算はいくら使ってもよいという条件で、夢の大学を提言してもらった。

「私がつくる大学では、手話を必修にします」
「手話が話せる教員を雇う」
「学長を、ろう者と聴者の2人制にしよう」
「ろう文化学部や手話通訳専攻コースを作ろう」

それはそれは、楽しい大学作りの話になった。

ひるがえって考えたら、現実のろう学生たちは、もっぱら音声言語が支配する大学のなかで、手話を話さない教職員や学生に囲まれて過ごしている。手話が教育言語と認知されない場で、ともすると「ことばに不自由な人」のような、事実とは異なるレッテルを貼られもするだろう。日曜日のこの講演企画が終われば、翌月曜日は、現実のキャンパスに一人一人戻っていくのである。

アイディアが生き生きとしておもしろかった反面、現実との落差に、いち大学人として恥ずかしさを覚えた。

いま20歳前後のみなさんが、社会を背負って立つようになる10年後、20年後。本気になって取り組めば、これらが夢ではなく現実になっているかもしれない。夢を夢で終わらせないために、今からそのための種をまき続けることが、手話に関わっている大学人の務めなのだろうと思う。

→ [おわり]


2008年11月10日 (月)

■ろう学生たちとの対話 (2) emic と etic とろう文化

講演の中で、手話言語と音声言語がいかに対等に共存できるか、一緒に考えようという討論をやった。そのために、文化人類学の素養を少し伝授する。

私は、emic(イーミック)とetic(エティック)の対立概念について解説した。文化人類学の古典的なキーワードであり、私が思うに、一般社会で手話とろう文化についての啓発を進めていく上で、たいへん便利なツールだと思っている。

・ろう者の気持ちをいくら伝えても、なぜ聴者たちに理解されないんだろう?
・「障害模擬体験」が、逆に偏見を助長してしまうのはなぜだろう?
・手話話者のホンネを共感してもらうための、いい方法はないだろうか?

emic と etic で、ろう者と聴者の間の異文化摩擦を整理する。そして、文化人類学のお家芸たるフィールドワークが、それとどう関わり合っているかを例示する。進化主義人類学を乗り越えた文化人類学の1世紀前の革命は、そのまま、今日のろう者の一般啓発戦略に応用できるのである。

私がこのテーマを日本手話で講義するのは、今回が初めてだった。ろう学生のみなさんは、うんうんそうだよなあ、と深くうなずいていたし、講演後の懇親会まで、emic と etic で盛り上がっていた。

よく分かって、実践的で、明日からでも使える異文化理解のツールを提供する。うん。文化人類学教育というのは、こうでありたいと思う。

[つづく]


2008年11月9日 (日)

■ろう学生たちとの対話 (1) 日本手話ぶっ通しの4時間

関東のろうの学生団体の企画に呼ばれて、お話をする機会があった。主催者(ろう者)と打ち合わせる。

私「日本手話でバンバン話しますよ、ろう学生の会なら」
主「はい、ろう学生はOKです。ただ、手話がすべては分からない聴者の学生が来るかもしれません」
私「じゃあ、声がちょっとだけ付く日本手話でいきましょうか(笑)」

ろう者が多数をしめている場所で、音声日本語メインの講演はしたくない。だから、私は日本手話でいく。ただ、日本手話の文法のさまたげにならないていどに、声をちょっとだけ出してもいい

「アフリカ、…、…、理解、…、方法、…、…、必要、意味」

「日本語対応手話」ならぬ「日本手話対応日本語」というのだろうか。まるで伏字だらけの文章を読んでいるみたい。それでも、少数派である聞こえる学生たちは、こんな日本語の断片と文字資料を合わせて、がんばって私の手話についてきた。その心意気や、よし。

日本手話だけで、たっぷりと授業ができる。意見交換も質疑応答も、ぜんぶ手話でできる。なんとも心地よい4時間だった。こんな大学が日本にひとつでもないかなあ、そこで教えることができたらいいだろうなあ。そんなことを考えた。

[つづく]


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