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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2009年3月

日本語 / English / Français
最終更新: 2009年3月31日
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■多磨霊園での花見 (2009/03/31)
■勝手に作った「○条の会」 (2009/03/29)
■手話で手話言語学を議論する (2009/03/28)
■原稿のB面 (2009/03/27)
■若田さんの宇宙ブログ (2009/03/23)
■箕浦康子先生の古希祝い (2009/03/20)
■本が人を呼び、人が本を呼ぶ (2009/03/18)
■森の中で遊んでいました… (2009/03/16)
■A・G・ベルと耳の日 (2009/03/03)


2009年3月31日 (火)

■多磨霊園での花見

多磨霊園の夜桜 2008年度末、仕事の上での「おおみそか」。言語研修などの激務が続いた今年度を、静かに振り返っています。

さて、年度末の私の最後のミッションとは、離任する同僚の送別会の幹事だった。仕事が立て込むこの時期、キャンセル、飛び入り、出欠保留がとびかう企画をまとめるのはなかなか難しいが、とにかく計画の範囲内にうまく落とし込むのが幹事の務め。

今回のメインイベントは、多磨霊園での夜桜鑑賞だった。多磨霊園は、三島由紀夫岡本太郎など、著名人も多く眠る都立の墓地で、勤務先の大学から徒歩で10分くらいの近所にある。

実は、ここは桜の隠れた名所でもある。とはいえ、場所が場所だけに、ござを敷いて宴会というわけにはいかない。咲き乱れる桜花を見上げつつ、静かに園内を散策する。

日暮れ時、無数の墓石に囲まれ、懐中電灯で樹上を照らしながらの夜桜鑑賞。季節外れの肝だめし大会のような企画だったけれども、宴会気分をまじえずに凛と咲きほこる桜に向き合うのも、なかなかいいものだ。

明日から新年度、がんばるぞ。年度末に気を引き締める空気にも適した、ちょっと珍しい花見の会だった。


2009年3月29日 (日)

■勝手に作った「○条の会」

「九条の会」というのが、全国津々浦々にたくさんできている。

それならば、ほかの条文の会もいろいろできてよいのでは、とへそ曲がり人類学者は考える。そこで、勝手に作ってみた「○条の会」。

・「二十三条の会」学問の自由を守るぞ。仕事柄、これは譲れないね。
・「二十一条の会」言論、表現の自由。アホな日記書きとはいえど、これもやはり譲れない。
・「十九条の会」思想及び良心の自由。前のふたつと、かけもちで入りたいところです。
・「二十五条の会」健康で文化的な最低限度の生活を。福祉関係者で結成してはどうでしょうか。
・「九十六条の会」改憲手続き。もしや「九条の会」とはライバル関係?
・「百条の会」憲法公布から6か月で施行するぞ。けっこうですが、何の会なんでしょう。
・「百二条の会」最初に参議院ができたとき、任期3年の議員たちがいた。その存在を忘れまい。
・「前文の会」われらは国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ。私も、さう思ひます。

みなさんも、たまには日本国憲法を見たりして、自分の好きな「○条の会」をつくってみませんか。


2009年3月28日 (土)

■手話で手話言語学を議論する

ろう者たちで集まっている手話言語学の研究会で、発表することがあった。たっぷり4時間、たいへん勉強になりました。

ろう者が主催するので、もちろん手話のみで進められる場である。私も、音声日本語のことを気にすることなく手話だけで発表し、ろう者たちとつっこんだ議論ができたよい機会だった。アフリカ以外の地域の手話言語との比較で、新しい発見もあったし。こういうことは、やはり研究会ならではの醍醐味である。

使用言語が音声でないという点を除けば、一見、どこの大学院にでもありそうな、ふつうのゼミや研究会の風景だ。しかし、このように日本手話で自由闊達な議論ができる場というのは非常に限られていて、しかも大学などでの公的な認知を受けにくい。そのことが、手話言語学の進展を妨げている大きな障壁となっていると思う。

手話で行われている地道な研究活動に敬意を表するとともに、こうした学術活動がもっと正当に評価され、制度的に振興されねば、という思いを強くして帰ってきた。

(大学は、何をしているのか)ということばを自分に問いかけつつ。微力ながら、将来にわたって日本手話を学術の使用言語として用い、それを推奨し、社会に示し続ける研究者のひとりでありたいと思います。

よい機会をありがとうございました。


2009年3月27日 (金)

■原稿のB面

あくせくと、文章をつづる日々が続く。本と本の合間に、エッセイひとつと論文の書き直し、などなど。乾いたぞうきんをしぼってしずくを待つように、無い知恵をしぼって文字列をひねりだす。

さて。私の原稿には、たいてい「B面」がある。

文章を書き進めるなかで、「このネタは今回は使えない」「ここは重複するからカット」「字数が多すぎるから削ろう」など、理由はさまざまだが、文章の一部をバッサリと削ることがある。

そのまま捨ててしまってもいいのだが、もしかして復活させることがあるかもしれないと、いちおう横に別のファイルを作って、テキストとして取っておく。これが「B面」。つまり、原稿として日の目を見ないネタの数かずである。

ごくまれに、B面のネタを探し出して本文に戻すことがある。しかし、ほとんどの場合は、そのままお蔵入りになることが多い。(あ、これは要らんな)と直感して本文から外した時の感性は、だいたいまちがっていないからだ。

ひとつ原稿が完成することは、同時に、お蔵入りになるB面がひとつできること。やがてそれはフォルダの奥にしまわれ、化石のように遠い眠りにつく。

老後にでも、掘り出してみたら、おもしろいかもしれません。


2009年3月23日 (月)

■若田さんの宇宙ブログ

日本人として初めて宇宙ステーションに長期滞在する若田さんが、宇宙からブログを書いている。

「若田光一 宇宙ブログ」

「国際宇宙ステーションに長期滞在している若田光一が日常を語る」と、さらっと書いてあるが、これがどれほどすごいことか。

いやー、これはやられたな、と思う。

文化人類学者は、いろんな所に出かけては、旅先で手紙を書く。私も以前からアフリカ各地で絵はがきをよく書いて出してきたし、最近ではメールを送ったり、ウェブに日記を載せたりもする。

「旅先で必ず手紙を書け」と、人類学の先輩たちからよく言われた。自分がフィールドで一番おもしろいと思ったことをだれかに文字で伝えるというのは、一級の民族誌的発見を報告すること。このように、現場の感覚を一度ことばにしてみることは、やがて帰国して論文や本をまとめる上でも役立つ貴重な経験となるのだ。

今回は宇宙でしょう。人類学者がどんなにかけずり回ったところで、地球の表面を抜け出して手紙を書くことはできない。これは完璧に負けですな(勝ち負けではないけれどね)。

ほら、「宇宙ステーションに着きました」とか、さらりと書いています。まさにそのフィールドにいる人しか書けない日記、一風変わった民族誌。これからも楽しみに、時どき読んでみたいと思います。


2009年3月20日 (金)

■箕浦康子先生の古希祝い

今日、文化人類学者である箕浦康子先生の古希(70歳)のお祝い会が開かれた。

おもに岡山大、東大、お茶の水女子大などでの教え子が集まってのお祝いに、どういうわけか、私のような直接教えを受けていない者もお声がけいただいて、参加する機会をいただいた。ホテルニューオータニの豪勢な宴会場に、場違いな人類学者がひとり迷い込む。

実は、この集いは『フィールドワークの技法と実際 II』(箕浦康子編, 2009, ミネルヴァ書房) という、新しい書籍の刊行記念パーティを兼ねていた。私は、ご縁があってその本に1章を寄稿する機会をいただいたために、執筆者のひとりとしてお祝いに駆けつけることとなったのだ(ちなみに、このパーティでの新刊書配布にぜったいに間に合わせるために、執筆者たちに「〆切厳守」の厳命が下っていたことは、いうまでもない)。

ぶじに刊行された新刊書を手に取りながらの、祝賀会。主賓(箕浦先生)を含めて36人の出席者のうち、男性は2人で、圧倒的なマイノリティだった。箕浦先生以外の34人の方がたとはいずれも初対面だったが、話をしていると、だいたいは「異文化」「フィールドワーク」「開発」などの文脈で必ず共通の知人が見つかり、研究者業界のせまさを実感した。

箕浦先生の最後のあいさつが忘れられない。

「私は結婚せず、子どもはいないのですが、みなさんが私の子どものように思えます」

箕浦先生が大学在職中、私は講義や論文指導を受けたことはない。しかし、停年退職後の本書の編集の中で、エンピツ書きの徹底的な添削をいただき、ずいぶんと勉強になった。「教え子」を名のるのはおこがましいけれども、その仕事ぶりから学び、先ざきまで引き継ぐ者のひとりでありたいと思う。

古希のお誕生日、おめでとうございます。そして、ご編著への参加の機会をいただき、ありがとうございました。この本の販売促進に励むことで、微力ながらご恩に報いたいと思います。

[付記]本の内容については、書店に並び始めた頃にあらためて紹介します。


2009年3月18日 (水)

■本が人を呼び、人が本を呼ぶ

今日、日本福祉大学でワークショップ「フィールドワークから人々とつながる」を開催した。昨秋からお付き合いが深まったこの大学で、大がかりな行事のお手伝いをするのは、今回が初めて。

去年の3月、関西学院大学COEで、若手フィールドワーカーの仲間たちと1冊の本を刊行した。その本に目をとめてくださった日本福祉大の方がたのお申し出がきっかけとなって、紹介を受け、小研究会をし、一日ゲスト講義をし、会議を重ね、そして大きな学術集会を共に企画するまでになった。

思えば、始まりは1冊の本である。

「本が人を呼び、人が本を呼ぶ」。そう、研究書と研究者の関わりは、いつもこうでありたいと思う。どちらも欠かせないプロセスであるし、これらが循環していくことが何よりも楽しくてしかたない。

え、今回の集まりが、ふたたび本になるか、ですって? ええ、そうありたいものですね。そのために奮闘努力するのが、呼びかけた私どもの責務だと思っています。

若手研究者たちに何かやらせてみようと決断してくださった、日本福祉大学アジア福祉社会開発研究センター各位に、厚くお礼を申し上げます。そして、会場にお運びくださいました参加者のみなさま、ありがとうございました。


2009年3月16日 (月)

■森の中で遊んでいました…

最近、めっきり日記を書いていない。サイトの更新もしていない。メールの返事も遅れがち。いったい「ジンルイ日記」の主は、何をしているんでしょう。

実は、しばらく森の中で遊んでいたのです。

もう少し正確に言うと。アフリカの熱帯雨林で、子どもたちを対象とした人類学的参与観察調査をしていたことがある。その時の記録と記憶の中をさまよいながら、黙々と原稿を仕上げにかかっていた。

一日中パソコンに向かいっぱなし。完全な夜型。目は疲れ、腰は痛く、指先はキーボードを打ちすぎてこわばっている。しかも、私の悪い癖で、仕事に没頭すると飲まず食わずになる。コーヒーで強制覚醒して、はてしなく文章を打ち続ける孤独な日々。

それでも、心だけは、熱帯の子どもたちとともに、密林の小道を縦横無尽に駆けめぐっていたのです。

22万字強、544KBの Word ファイル(※図表、写真含まず)を、ポチッとクリックして送信。ふう…。

近日中に『森の小さな〈ハンター〉たち』という本になります。

連絡を怠りがちで、ご迷惑をおかけいたしました。>関係各位


2009年3月3日 (火)

■A・G・ベルと耳の日

3月3日は「耳の日」。

日本耳鼻咽喉科学会が提唱し、1956年にできたこの記念日。ふたつの「3」が耳の形をしているから、「ミ・ミ」という語呂合わせで、という説もあるが、もうひとつ「電話の発明者ベルの誕生日だから」という説がある。

アメリカで活躍した発明家、アレクサンダー・グラハム・ベルは、1847年3月3日にスコットランドで生まれた。電話の発明者であると同時に、ろう教育における口話法の唱道者としても知られる。手話を話すろう者の間では、「世界でもっとも有名な手話弾圧者」として悪名を残している。

3月上旬、全国各地で、耳の日を記念するろう者団体のイベントが開かれる。手話で進められる大会が、よりによって手話弾圧者の誕生日にこぞって開かれるとはね。何とも皮肉な事態である。

今年、広島県耳の日記念大会にご招待をいただいた機会に、いろいろと考えた。え、私? もちろん、日本手話で講演しましたよ。だって、ろう者の大会ですから。「耳」のことは、あまり考えませんでした。

耳の日大会が、ろう者の歴史の重なりの中でいつしか「手話の祭典」となったことを、手話話者のみなさんとともに喜びたいと思います。お招きをありがとうございました。>関係各位

※なお、5月5日を「手話の日」、6月6日を「補聴器の日」とすることを提唱している人たちがいるという[出典]



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