AACoRE > Laboratories > Kamei's Lab > Index in Japanese
ILCAA
亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2009年4月

日本語 / English / Français
最終更新: 2009年4月30日
[←前の日記へ][今月の日記へ] [テーマ別目次へ] [月別目次へ][次の日記へ→]

■藤子SFマンガの衝動買い (2009/04/30)
■文化相対主義から身体相対主義へ (2009/04/29)
■思い立ってルベーグ積分 (2009/04/28)
■酔いつぶれても韓国語の草彅君 (2009/04/27)
■ウィキペディアとアンサイクロペディア (2009/04/26)
■ゲラゲラゲラ… (2009/04/25)
■3日に1本のハードな連載 (2009/04/24)
■愛機 iBook G4 のバーンアウト (2009/04/23)
■岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』脱稿! (2009/04/22)
■藤子不二雄 SF 名作との「共演」という幸せ (2009/04/16)
■拝復、鈴木さま (2009/04/15)
■「やさしく書く」という試練 (2009/04/13)
■「ろう者を類推で理解しない」という原則 (2009/04/12)
■科研費・若手研究 (A) の採択にあたって (2009/04/11)
■私に十指を与えたもうたご先祖へ (2009/04/09)
■検索エンジンに教えてもらう「自分らしさ」 (2009/04/07)
■花冷えの頭痛で原稿を妄想す (2009/04/05)
■逆オオカミ少年の悲劇 (2009/04/03)
■「印刷中」というバロメータ (2009/04/02)


2009年4月30日 (木)

■藤子SFマンガの衝動買い

藤子・F・不二雄 SF短編 PERFECT版 きたきた。ズシリと重たいゆうパックが到着。

『藤子・F・不二雄 SF短編 PERFECT版』(1)〜(8) (小学館, 2000-2001) を、セットで買ってしまいました。

なぜ? 直接のきっかけは、「流血鬼」をはじめとする名作を読み直したいと思ったから。その思いに火がついたのは、私の異文化理解の原点にどうやら藤子マンガがあるらしいということを、ある論文で思い知らされたから(「■藤子不二雄 SF 名作との「共演」という幸せ」 (2009/04/16)

「カンビュセスの籤(くじ)」、「みどりの守り神」など、いろんな価値観をぐにゃぐにゃに相対化してくれた藤子SFマンガは、まちがいなく、文化人類学をなりわいとする私の一部分を作っている。この何日か気になり始め、ネット上でセット出品している古本屋を見つけ、3分後にはクリックで契約を終えていた。われながら、こんな衝動買いは珍しい。

永井均『マンガは哲学する』(岩波現代文庫, 2009) でも、「流血鬼」を含む藤子マンガがきっちりと紹介され、論じられていた。そう、これはすでに古典の部類に加わったのである。

楽しみに、少しずつ読もうと思います。


2009年4月29日 (水)

■文化相対主義から身体相対主義へ

今日の昼頃、「身体相対主義」ということばを思いついた。非常勤先の大学の授業に向かう途中の山手線、新宿と池袋の間の車内でのことである。

「文化相対主義」という重要な概念がある。異文化に接したとき、その文化要素を断片的に取り出して価値判断してはならず、相手の文化全体の中に位置づけて理解しなければならないとする姿勢のこと。異文化理解の鉄則、文化人類学の憲法である。

さて、そこで「身体」。文化相対主義は、残念ながら身体の違いをうまく受け止めることができない。文化人類学者が、身体条件の違いにあまりまじめに向き合ってこなかったからである。「あらゆる事象を、相手の身体とその環境の中に位置づけて理解しなければならない」という、新しい他者理解の原則を提唱してみるのはどうだろう。

そんなことをぼんやりと考えながら、「手話と人権を考える」という講義の教室に向かった。そう、これは研究上の概念だけでなく、「学生たちに何を教えるか」に直接的に関わっているのです。

「文化相対主義」をその一部として含み込む、拡張概念としての「身体相対主義」。さて、うまくいくかな。


2009年4月28日 (火)

■思い立ってルベーグ積分

今日、思い立ちまして、「ルベーグ積分」の勉強をすることにしました。いきなり。

る、るべーぐせきぶん。何ですか、それは。煮て食うのと焼いて食うのと、どっちがいいのでしょうか。しろうとなりに想像しますに、おそらく、煮ても焼いても食えません。笑

それは、ひとことでいうと何でしょうか。それを知りたいから勉強するのですが、勘でいうと「すべてのものを測りたい、測れないようなわけの分からないものでも、とにかく測ってみたいぞ」という人間の執念が生み出した、ひとつの方法だと思います。

それは、今の文化人類学やアフリカ研究の仕事で、どんな役に立つのでしょうか。たぶん、まったく役に立ちません。役に立たない「純粋な知的遊戯」として、このるべなんたらを勉強したくなったのです。

どうして、そんなものが気になったのでしょうか。安い古本があったからです。

ほら、よくあるでしょう。思い立ってイタリア語とか、社交ダンスとか、そば打ちとか。そういうのと同じです。

かつて高校生のころにもっていた「趣味として数学をあそぶ」という生活習慣を、部分的に復活させてみました。無理をせず、少しずつ読んでみようと思います。


2009年4月27日 (月)

■酔いつぶれても韓国語の草彅君

SMAPの草なぎ剛が泥酔して公園で服を脱ぎ、「公然わいせつ罪」で逮捕されたのが、先週の木曜日、23日の未明だった。私はパソコンのバーンアウトの後始末で、てんてこまいの一日だったけれど。後で報道をいくつか眺めていて、ひとつ興味を引いたことがある。

報道された目撃証言によれば、彼は泥酔して、公園のベンチで「韓国語の歌を歌っていた」のだという。

確かに、韓国語通として知られる芸能人ではあるけれど。自分が大スターであることも、莫大な広告契約料がフイになることも、すべて忘れて酔いつぶれていたにもかかわらず、韓国語だけは忘れなかったとは。その没頭のしかたは、たいしたもんだと思う。

黒田龍之助という言語学者は、へべれけになってロシア語でくだをまいていたというし(『世界の言語入門』講談社現代新書, 2008)、私は酔っぱらって日本手話で何やらつぶやいていた場面を目撃されたことがある(後で聞かされた)。

自戒を込めつつ、酔っぱらいは見苦しいと思う。ただ、我を忘れても「母語でない言語でくだをまく」姿には、その人の生き方が垣間見えているのかもしれない。

草なぎ君は、謹慎が解けたら、韓国語での芸能活動も再開するでしょう。韓国にも、復帰を待望するファンたちがいるのだとか。「酔いつぶれても韓国語」のエピソードは、復帰のためのささやかな励みになるのではと思っている。もちろん、近隣の方には迷惑だっただろうから、その点は差し引くとしてもね。


2009年4月26日 (日)

■ウィキペディアとアンサイクロペディア

科学界にノーベル賞あればイグノーベル賞あり、映画界にアカデミー賞あればラジー賞(ゴールデン・ラズベリー賞)あり。優秀さと良識を誇る権威には、必ずそれに対抗して笑いを追求する企てが生まれる。

さて、ネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」に対抗して、パロディーの百科事典「アンサイクロペディア」というのができていることを最近知った。

もともとは、ウィキペディアのなかの「削除された悪ふざけとナンセンス」というページから始まったものらしい。やがてそれが独立し、そっくりの形式を保ちながらウィキペディアに対抗心を燃やし、項目を増やして、一大「裏百科事典」ができるにいたった。

ウィキペディアのことを「頭の堅い百科事典」「専門家気取りたち」「ユーモア欠落症患者」と呼ぶなど、本家の禁欲的な運営や執筆のスタイルをからかい、ひたすら笑いに突き進むのが基本精神。いやはや、手間ひまかけてばかばかしいことを営々と積み重ねてきた、多くの人びとの努力に舌を巻きます。それも、世界中の言語でやってるから、半端ではありません。

私のお気に入りは、「鉛筆の取り扱い説明書」「大学入試センター試験」「要出典」「繰り下がりのある引き算の10未返却事件」などでしょうか。読み始めるときりがないので、ご注意ください。

なお、どちらの事典も、自己定義と相手の定義の項目を置いています。お互いにエールを送り合って、案外仲がよさそう。どちらも競って充実していくことを、いちユーザーとして楽しみにしています。

■ウィキペディアの中の項目
「ウィキペディア」
「アンサイクロペディア」

■アンサイクロペディアの中の項目
「アンサイクロペディア」
「ウィキペディア」


2009年4月25日 (土)

■ゲラゲラゲラ…

なぞなぞです。次のことばに共通することはなあに?

「ゲラ」「火」「薬」「母」「九九」「屁」「下駄」「麩」「愚父」「歯」「殻」「区」「ヒヒ」「楠」「帆」「毛」

答えは、「繰り返すと笑い声になることば」。ためしにつぶやいてみたら、分かります。

さて、本のゲラがどんどん届いています。

木曜日に、1冊分。
金曜日に、1冊分。
土曜日に、1冊分。

まじですか、このペース(汗)。うーん…、3冊分のゲラを積み重ねて、どうしようというのでしょうか。いや、言うまでもなく、読んでチェックして返送しなさいということです。

ゲラゲラゲラ…などと、文字通り、笑っている場合ではないのです。


2009年4月24日 (金)

■3日に1本のハードな連載

岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』の執筆が済んで、ちょっと一息。

今回初めて、新書を書き下ろすという仕事をした。ざっと10万字。

1,000字のエッセイが短距離走、2万字の論文が中距離走、20万字の学術書がフルマラソンだとすれば、10万字の新書はいわばハーフマラソン。初めてこの分量の書き下ろしに挑戦するにあたり、仕事のペース作りの工夫が必要だと思った。

「できた章から、順番に送ってください。連載だと思って、いち読者として楽しみにしています」

編集者のことばにのせられた。猛然と書いては区切れ目で提出、一息入れてまた執筆というパターンを繰り返す日々が始まった。ひとつ届けたら、必ず次の配信予定日を伝えて自分を縛り、「遅れたらやましさを感じる」状況をむりやり作った。それで、これが執筆日記。

20090403朝: 本格着手(※注)
20090403: 「はじめに」と1章入稿
20090409: 2章入稿
20090413: 3章入稿
20090418: コラム6篇入稿
20090419: 4章入稿
20090421: 5章入稿
20090422朝: 6章と「おわりに」入稿=あがり

(※注)本格着手とは「すでにたまっていたネタを成文化していく」ことを始めた日のこと。ネタ集めは1年間かけてしていたので、短期間にすべてのアイディアが浮かんだわけではありません。

丸19日で完走。おもな6章分で計算すれば、平均3日で1章(各回、2万字弱)。この間に、会議や授業、事務作業などがこまごまと入るので、実態としては1章を2日くらいでこなしていたでしょうか。最近、どうも疲れるなあと思っていたけれど、疲れるはずだよね。

ひとつ入稿するたびに、編集者から「読者のはげましのおたより」をいただいた。たったひとりの読者のための連載。お世辞でも、励みになりました。

そうか、この方法があったか。私は書き手であると同時に、編者として原稿を集め、時には催促する側になることもある。こんど、試してみようと思います(ふふふ…)。


2009年4月23日 (木)

■愛機 iBook G4 のバーンアウト

昨日、大きな原稿を脱稿した。その夕方、わが愛機 iBook G4 が起動しにくくなった。そして、今朝、ついに目を覚ましてくれなくなった。

連日連夜、打ちっぱなしの書きっぱなし。私も、十指がこわばって動かなくなるほど、自分の手を酷使していたけれど。どうやら、それ以上に愛機のほうが無理を重ねていたらしく、脱稿と同時にバーンアウトしてしまった。それにしても、よくぞ書き終わるまでがんばってくれたと思う。

「リンゴの聖地」というものがあるならば、そこで安らかに眠ってください。Apple 社のリンゴマークは、いつもちょっと欠けてるからね。もしかしたら、アダムとイブがかじった果実の樹が生えている、あの有名な「楽園」に旅立ったのかもしれません。

岩波ジュニア新書は、完成とともにそんなできごとも伴った、忘れがたい1冊になりそうです。


2009年4月22日 (水)

■岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』脱稿!

「カチッ」とクリック。「送信されました」。ふぅ…と深呼吸ひとつ。

岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』を入稿しました。6月に刊行されます。

岩波書店とは、『アフリカのいまを知ろう』(岩波ジュニア新書, 山田肖子編, 2008) の1章「ろう者と手話」をお手伝いしたときからのおつきあいである。その本をご担当くださった編集者の方から、

「次は、新書1冊を書きませんか。異文化理解の発想で、手話の本を作りましょう!」

とお声がけをいただき、フィールドワーカーがろう者と手話の世界を訪ねて学ぶというスタイルの本を手がけることとなった。

私自身、中高生の頃から、このシリーズには読者としてお世話になってきた。今回、書き手の側としてお手伝いするという得がたいご縁をいただいて、はりきって書きましたよ。

「耳が聞こえる人たちは、ろう者と手話について、どういうふうに理解を進めたらいいでしょうか」

ひとりの文化人類学者が、専門知識と経験を総動員して、この難題に取り組みました。中学生に分かることばで、手のひらに乗る新書のサイズで、しかもお手頃なお値段で。ジュニア向けにかみくだいて語っていますが、レベルは下げていません。かつてジュニアだったおとなのみなさんにも、お勧めしたい本です。

書きたいことは、全部書きました。ポケットに入るほどちっぽけな、私の代表作のひとつになると思います。刊行されたら、またお知らせいたします。

(疲れたので、ちょっと休憩…)


2009年4月16日 (木)

■藤子不二雄 SF 名作との「共演」という幸せ

ネットをうろうろしていて、思いがけず、うれしい発見をした。

Web評論誌『コーラ』7号, シリーズ〈倫理の現在形〉第7回 (2009/04/15, 大阪: 窓月書房)
永野潤「吸血鬼はフランツ・ファノンの夢を見るか?: 「怪物」のユートピアと「人間」のナルシシズム」

哲学者が、拙著『手話でいこう: ろう者の言い分 聴者のホンネ』を丁寧に読み、それを引用した論文を発表してくださったのだ。手話を話すろう者が、音声言語中心の社会で感じることがある不快感や違和感を、「もしも音声言語話者が、テレパシー中心の世界で暮らしたら?」という設定で想像してみようという、一種の疑似体験ワークショップの話である。

私が感動したのは、拙著を引用してくださったからだけではない。なんと、あの藤子・F・不二雄の名作 SF 短編「流血鬼」(1978年)とセットで論じてくれていたのである。この奇遇には、目がくらむような思いがした。

「流血鬼」は、ウィルスの感染によって、人類のほとんどが吸血鬼になってしまった世界を描く。すっかりマイノリティとなり、追いつめられた人間(まだ吸血鬼になっていない者)たちは、あくまで吸血鬼たちを「他者」として遠ざけて敵対するのか、それとも「向こうの世界」の誘いに応じて吸血鬼の仲間となる道を選ぶのか、究極の選択を迫られる。そして…(上記の論文の中に、ネタばれストーリーが記されています、ご注意を)。

私は中学生の時にこの短編を読んで、衝撃を受けた。やがて、文化人類学を仕事とするようになってからも、「他者と出会い、異文化を書くこと」「異文化の側からの見方(emic な視点)を学ぶこと」「それによって自文化をとらえ直すこと」といった問題群を考えるとき、ひそかにこの作品の記憶を反芻していた。あのあざやかな短編を超える民族誌を、私は書けるのだろうかと思ったこともある。20年以上経った今も、最終コマのセリフを克明に覚えているのだから、この作品は私の異文化理解の姿勢の一部を形づくったと言っていい。

この忘れがたい巨匠の名作と、私の駄文を、並べて論じていただける日がこようとは。「共演」の幸せをかみしめるとともに、書いた本人がそうとは知らずに示していたらしい類似点を、しかと見抜いて指摘してくれた哲学者の慧眼に、敬服いたします。

ありがとうございました。


2009年4月15日 (水)

■拝復、鈴木さま

不思議な偶然もあったもの。

今日の午後、お互いに関係がない「鈴木さん」という4人の別べつの方から、別べつの用件で、ほぼ同時にメールをいただいた。

返事を書こうとしていて、(ん?なんかさっきから似たような文字列を打っているなあ…)と思ったのが、気付いたきっかけ。あらためて見てみれば、わ、今日はなぜか鈴木さんばっかり…と、目をむいた。

結局、「拝復 鈴木様」という返事を、4通続けて書きました。もちろん、用件はそれぞれ別ですし、取り違えたりはしておりません。

いえ、それだけの話ですが。アイスクリームのおまけが当たったような、日常のなかのささやかな偶然のおもしろさ。


2009年4月13日 (月)

■「やさしく書く」という試練

いま、中高生向けの本を書いています。

「中学生に読める学術書を」。これほど難しい宿題はありません。

学術の専門用語とは、カンヅメのようなものだと思う。そのことばを知っている人には、開けずにそのままほいっと渡せばいい。しかし、それが通用しない読者に向けて差し出すためには、カンヅメをちゃんと開けて中身を取り出し、丁寧に料理して盛りつけをしないと、見向きもしてもらえない。お客様にそっぽを向かれたら、シェフは「負け」なのだ。

「専門用語を使い回す」というのは、実は、その概念と向き合うことを後回しにする、知的怠慢なのかもしれないと気付いた。難しいことばをたくさん知っているえらい先生がた、一度、中学生向けの授業案を書いてみたらどうでしょうか。

かくして、テーマ、概念、理論のレベルはいっさい下げず、それでいて業界の専門用語をちりばめない、ですます調の文章を、日夜書きつづっている。

「やさしく書く」という試練、もう少し続きます。


2009年4月12日 (日)

■「ろう者を類推で理解しない」という原則

この4月に採択された科研費のねらいです。

くわしくは、公式サイトの「■研究目的」を見ていただきたいと思いますが、私がもっとも力こぶを入れて書いたのは、ここです。

本研究は「ろう者における人間開発」というこれまでにない新しい課題に、文化人類学、とりわけ人間社会と言語の動態に関心を寄せる言語人類学の観点から挑戦するものである。ろう者に関する開発理論・実践は「ほかの障害者の研究」や「ほかの言語集団の研究」からの類推によって導くことはできないという原則に立ち、手話によるフィールドワークを通してこそ明らかになるろう者の特性に根ざした、独自の開発理論と実践モデルを提唱することをねらいとしている。
とくに下線部、何度でも強調したいと思います。障害研究側も、言語研究側も、そのあたりを類推で済ませていませんか?ということを、声を大にして、かつ、手話を大にして、訴えたいと思うのです。

これまでの私のおもな研究歴のあらかたが、この計画の中に活きています。京大での人類学・アフリカ研究、関学COEでの社会調査論、アジ研での国際開発研究、東京外大での手話辞典制作プロジェクト、そして、世界中のろう者との出会いと対話の数かず。私がもっているあらゆる知恵と経験を注ぎ込んで考えた研究計画です。

育てていただいた各位、諸機関への感謝を申し上げつつ。必ずや、具体的な成果でご恩返しをいたします。


2009年4月11日 (土)

■科研費・若手研究 (A) の採択にあたって

日本学術振興会科学研究費補助金(科研費)若手研究 (A)「ろう者の人間開発に資する応用言語人類学的研究: アフリカ諸国の手話言語と社会の比較」の採択の報がまいこんだ。チャンスをくださった匿名の審査員の先生方、ありがとうございます。

2008年度の1年間は、このようなお財布、つまり自分の科研費をもっていなかった。その間は、ほかのプロジェクトの支援をいただくなどして、なんとか食いつないでいた。各位、諸機関のお力添えに、あらためてお礼もうしあげます。4年分のガソリンを積み込んで再出発、という気分です。

さて、まず何から手を付けようか。私は、さっそくこの科研費の公式サイトを開設した。

公費を使って行う事業だから、進捗の報告をするべきでしょうし、どんな成果が上がったかも紹介したい。また、「いつもだれかの目にさらされている」という感覚をもつことで、自分をさぼらせない効果もあるだろう(←これが大きい)。

手話という少数言語に関わる研究であるということも、ちょっと念頭にある。

(耳が聞こえる研究者が、手話をネタにして何を始めたんだろう…)

そういうろう者たちの疑問にいつでも答えることが、手話に関わる研究者の責務だろうと思う。

4年間といえば、大学生が入学し、ひと学問修めて卒業するほどの年月にあたる。この機会を活かし、むだ使いをせず、新しい研究分野をひとつ作り上げる覚悟で、仕事にはげむことを誓います。

以上、研究代表者(=たった1人の研究メンバー)拝。

科研費・若手研究 (A) 公式サイト


2009年4月9日 (木)

■私に十指を与えたもうたご先祖へ

毎日、毎日、キーボードを打ってばかり。ここのところの原稿書きのモードは、われながら「暴走」の域に達していると思う。原稿のなかみが「暴走」していないことを祈るのみ。

両手の10本の指が、軽く曲がったままこわばっている。タイプするのに不便はないが、ほかの役に立たない。こちこちになった指をほぐしながら、ふと指の由来に思いをはせる。

『手は何のためにあるか』(山田宗睦ほか, 1990, 東京: 風人社) という本があったけれど、今の私の1日の指の使い方とは。8割がたの時間は、キーボードを打っている。1割で手話を話し、残りの1割で包丁を握る。うん、ご飯はちゃんと食べないとね。

この器用闊達な指をくれたのはだれだろう。究極的には神様かもしれないが、直接的に自然界で指を獲得し、育んでくれたのは、たぶん霊長目へとつながる最初のメンバーたち、つまり白亜紀末期のプレシアダピスとそれに続く樹上生活者たちだろう。木の上で枝や果実を握るのに適していた指が、末裔によってまさかこんな過酷な使われ方をするようになろうとは、想像もしていなかったにちがいない。

私に十指を与えたもうたご先祖様たる、初期霊長類のみなさま。不肖の末裔ヒトたちによる、指の勝手な転用をお許しください。

でも、おかげで手話も話せるようになったのだよね。道具に言語、文字に金。指の転用の物語は、人類史を覆いつくす広がりをもつかもしれないと想像する。

『指骨』(川渕依子, 1967, 東京: 新小説社) という本があった。これは、口話教育の潮流に抗して手話を守り抜いた、ろう学校の校長の話。これも、指が生んだひとつのドラマ。

気分転換に「指のプチ哲学」でした。さて、原稿、原稿。


2009年4月7日 (火)

■検索エンジンに教えてもらう「自分らしさ」

「あのひと検索 SPYSEE [スパイシー]」をご存じですか。

「ひとに関する情報をウェブから取り出し、まとめて見せる次世代検索エンジン」。つまり、ウェブ上の膨大な情報の中から、人名に着目して情報を自動的に集め、人物ごとに整理しているサイトである。

ある人物がだれとつながっているか、どのようなキーワードをもっているか、どんな場所と関わりが深いか。これを見ていると、ウェブ上での「その人らしさ」が一目で分かる。

「あのひと検索 SPYSEE: 亀井伸孝」

むむむ…、なるほど。私とつながりがあるとされている人は、みな本の共著者たち。私のウェブ上のプレゼンスはほとんどが出版関係だから、これは自然な結果でしょうね。

私と関わりの深いキーワードは。

【地名】カメルーン/ナイジェリア/アフリカ/西宮市/京都市/アジア/京都/兵庫県/京都府/大阪府/東京都

【その他】秋山なみ/手話言語/ろう教育/関学coe/狩猟採集民/貿易振興機構アジア/聴者/ろう者/幸福日記/フランス語圏/フィールドワーク/人類学/関西学院大学/アジア経済/フォスター/手話/マイノリティ/アンドリュー/途上国/社会福祉/障害者/ワークショップ/言語/共和国/人類/こども/障害/研究所/調査/学会/開発/メールマガジン/研究/社会/文化/教育/幸福 (20090407検索)

確かに、確かに。私は、こういう場所やことばとともに、長らく仕事をしてきた。まるで、自分の好みや傾向を教えてくれる「鏡」のようである。おもしろいような、ずばり指摘されてくやしいような。

みなさんも、検索ロボットに「自分らしさ」を描かせてみるのはいかがでしょうか。
トップページの窓に名前を入力して「検索」すれば、自動的に作業してくれます)


2009年4月5日 (日)

■花冷えの頭痛で原稿を妄想す

春爛漫、桜の季節です。とはいうものの、小雨が降ったり風が吹いたり、急に冷え込んだり、天候がどうも不順気味である。そのせいか、今日は一日頭痛で臥せっていた。

せっかくの日曜、花見でもと思ったけれど、それもかなわず。ヤフーのお花見サイトで全国からの投稿者の写真を見て、おーなかなかの咲きっぷりやんけ、などと「在宅花見」をする。

眠くもないが、調子もよくないので、昼間から床につく。ああ、原稿、原稿…。お世話になっている編集者のお顔が浮かぶ。

頭痛薬でまどろみながら、妄想の中で原稿の整理が続く。あの章のこのくだりはこっちに回そうか、だとするとこのネタを加筆した方がいいな、結語はこうして次章につなごう、こんな言い回しも捨てがたい…。

そうか、それでまとまるな! がばっと跳ね起きて、パソコンを開ける。3分たったらきっと忘れてしまうこのアイディア。猛然とキーワードと要点だけ打ち込み、パタンと閉じて、また寝床へ。

今日は、それを20回くらい繰り返していた。しまいには机まで行き来するのがめんどうくさくなり、ノートパソコンを枕元に置いて、開けたり閉じたり。

はたして静養になったのかどうか定かではないけれど。体と脳をしばし休ませたおかげで、かえってネタは増えたみたいだ。案外、じっと机に向かっているよりも進んだかもしれない。これからも、原稿が書けないときは寝ることにしよう(おい)。

あとは、とっ散らかったネタの数かずを筋の通ったストーリーに仕立て上げ、美しく「盛りつける」仕事が残っている。復活したら、すぐに取りかかろうと思います。


2009年4月3日 (金)

■逆オオカミ少年の悲劇

畏友 I さんとの間に起こったできごと。提出予定だという原稿を、メールで受け取った。

I「この完成稿で提出しますので、よろしく」

はーい、と何気なく見てみたところ、原稿の一部が欠落しているように見えた。

(あれ?ミスかな。いやいや、周到な性格の彼に限って、そんなミスをするはずがない。たぶん、ほかに図表か何かがあるんだろう)

適当に合点し、流し読みして、そのまま忘れてしまった。

数日後、あわてた I さんから連絡。

I「パソコンの不具合で、原稿の一部が保存されていなかった!
 一部が欠落した原稿が届いていたでしょう。だれか指摘してよ」

あ、やっぱりミスだったのか。いつも几帳面に仕事をする人が、まれにミスをしても、(いや、勘違いだろう)と周囲は見過ごしてしまうのだ。先入観とはおそろしい。

ふつうは逆ですよね。ミスばかり、ウソばかりを繰り返す人が、たまにまともなことをしても、信用してもらえない(オオカミ少年)。今回は、ふだんが立派すぎるので、かえってミスに気がつかない「逆オオカミ少年」だった。

私は、完璧すぎる人になる心配はなさそうだけれど。せめて、オオカミ少年の方にならないよう気をつけながら、ミスを遠慮なく指摘してくれる知人たちに恵まれたいと願っています。

いつも周到な I さん、申し訳ない。次からは、遠慮なくつっこむことにしますね。


2009年4月2日 (木)

■「印刷中」というバロメータ

いんさつ-ちゅう【印刷中】(英 in press;日本手話 /印刷/中/)
(1) 印刷していること。
(2) すでに原稿は完成したがまだ刊行されていない著書や論文などを、研究者が業績として対外的に示す時に用いることば。「山田一郎編 (――)『〆切遵守のすすめ』東京: 自戒社. 」
原稿を書き上げて出版社などに届けてから、実際に活字になって世に出るまで、ふつう2-3か月かかる。刊行されてこそ最終的な実績となるが、著者としては、刊行が確定した時点で実績として世に示してよいという慣行がある。

かくして、猛然と書いている時は「印刷中」の作品が多く、あまり書いていない時は「印刷中」が少ない。つまり、研究者の最近の生産性の程度を測るバロメータになる。

年度の始めにあたって、「研究業績一覧」の整理をしていた。4月1日現在、私が抱える「印刷中」は10件。まあ、この何か月か、原稿ばっかり書いていたからなあ。しかし、春は本がいっせいに仕上がるシーズンなので、そのうちのいくつかは、何日かすれば順次刊行されていく。

「印刷中」が増えたといって気を緩めていたら、あっという間に出版社が本を仕上げてしまって蓄えが尽きるので、さらにせっせと書いて「印刷中」をためこむようにする。そう、研究者という一種の物書き稼業をしているかぎり、これは永遠の追いかけっこである。

「印刷中」が途絶える時とは、断筆か絶筆、つまり物書きとしての「死」にほかならない。私は、生きているかぎり「印刷中」とともにある、アクティブな表現者でありたいと願っている。もちろん、それを刊行してくださる方がたとの出会いに感謝しながら。



矢印このページのトップへ    亀井伸孝日本語の目次へ

All Rights Reserved. (C) 2003-2013 KAMEI Nobutaka
このウェブサイトの著作権は亀井伸孝に属します。