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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2009年7月

日本語 / English / Français
最終更新: 2009年7月31日
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■見慣れたお店を裏方から見る (2009/07/31)
■選挙予想の平和な感じ (2009/07/28)
■兵庫のバス停で日食を仰ぐ (2009/07/25)
■大塚和夫先生のことば (4) 見つけちゃうんだよね (2009/07/23)
■大塚和夫先生のことば (3) 手話に早く取り組むべきだった (2009/07/22)
■大塚和夫先生のことば (2) 3倍活躍してもらうよ (2009/07/21)
■大塚和夫先生のことば (1) ダブルブッキングしてしまった! (2009/07/20)
■私は千手観音になりたい (2009/07/17)
■知識が重たすぎるヨーロッパ (2009/07/16)
■手話が大学の語学科目になりにくい理由 (2009/07/15)
■世界がもし○人の村だったら (2009/07/14)
■交通検索の奴隷は考える (2009/07/13)
■『遊びの人類学ことはじめ』発売! (2009/07/11)
■あわせて買いたい『通訳者のしごと』 (2009/07/10)
■みるみるやせる!文化人類学 (2009/07/05)
■日本福祉大でのゲスト講義@200907 (2009/07/03)


2009年7月31日 (金)

■見慣れたお店を裏方から見る

みなさん、こんな経験はありませんか?

スーパーでもデパートでもいいけれど、よく知っているお店に行く。いつも見慣れた、明るい売り場の風景である。

ところが、今日だけは必要あって(トイレを借りるためでも、忘れた傘を引き取るためでも、理由は何でもよい)、ふだん客として立ち入ることがない、従業員専用の裏方のスペースに足を踏み入れる。

(うわ、私の知らなかったスペースが、奥にこんなに広がっているとは!)

そんな驚きがある。予想外に暗かったり、段ボール箱が積んであったり、ショックも大きいでしょう。

用事が終わって、いつも見慣れた明るい売り場のスペースに戻ったとき、二度目のショックがある。

(うわ、これまで「すべて」だと思っていた風景が、実は、お店全体のほんの一部にすぎなかったとは!)

井の中の蛙がちらりと外界を見て、自分の小ささを実感する瞬間である。

これって、「プチ文化人類学体験」だと思います。私は、いつもこんな体験をしながら、本や論文を書いているのです。


2009年7月28日 (火)

■選挙予想の平和な感じ

麻生政権が成立して10カ月。ずいぶんとじらしたあげくに、先週ようやく衆議院解散(7/21)。なかなか解散しないなあと政局を横目で眺めながら、黙々と原稿書きの仕事をしていたら、本が何冊かできてしまいました。

「解散するぞ、するぞ」「しないぞ」
「今度こそ、ぜったいにするぞ」「やっぱりしないぞ」

これで1年間引っ張った麻生さんも忍耐強いけれども、そのネタで1年間、新聞や雑誌を売りさばき、あるいは視聴率を稼いだマスメディアも、たいしたもの。まとめて「解散産業」(またの名を「オオカミ少年」)と呼んであげましょう。

さて、解散したらしたで、今度は「どの党が何議席で圧勝」だの「どの党は惨敗」だの、メディアはいっせいに予想屋になった。

選挙の行く末は、立候補者や党の執行部にとってはまさに死活問題。でも、この選挙予想の報道を見ていて、なんとも平和な感じがした。だれもが「選挙がその日にきちんと行われ、正確に開票され、その結果に従って政権が決まる」と信じているのだから。

・野党の党首が、行方不明になるかもしれない
・投票が、その日に行われないかもしれない
・投票所が襲撃され、投票箱が強奪されるかもしれない
・与党が選挙で負けても、結果を無視して政権に居座るかもしれない

こういう、世界のあちこちで起こっていることを、この国ではだれも心配していない。

「政界激変! ○党が△議席!」という選挙予想は、革命的な変化を予期しているようでいて、やっぱり、とことん平和な感じがするのです。


2009年7月25日 (土)

■兵庫のバス停で日食を仰ぐ

7月22日、日本の各地で日食が観察された。皆既日食が見られたのは南西諸島の一部だけだったが、全国各地で部分日食を見ることができた。

「その瞬間」、私は兵庫県加東市にいた。中国自動車道の社(やしろ)パーキングエリアで、大阪方面行きの高速バスをぼんやりと待ちながら、曇り空を見上げていた。

真昼だというのに、不思議な薄暗さ。たれ込めた雲のすきまに、細長く欠けた太陽がうっすらと姿を見せた。三日月ならぬ「三日日」だ。分厚い雲のおかげで、遮光フィルターを持っていなくても観察できたのが幸いだった。

私は、なぜそんなところにいたのだろうか。この日、1日ゲスト授業の仕事で、兵庫教育大学を訪れていた。ろう教育と手話の研究で知られた研究室があるこの大学で、大学院生向けの「特別支援教育開発論」という授業のひとこまをお手伝いした。朝一番の授業を終え、大阪に引き上げる途中の午前11時頃、バス停についたところで、次第に暗くなり始めたというわけ。

最近、ろう教育関係の大学院で国際開発を講義したり、社会福祉の大学で異文化理解を講義したり。「学問分野の相互乗り入れ」がどんどん進んでいて、おもしろい授業の試みがいろいろとある。私のようなフットワーク軽めのフィールドワーカーにとっては、ますます活躍しやすい時代になっていると直感した。

次に、日本で皆既日食が見られるのは、2035年9月2日だという(国立天文台「日本でこれから見られる日食」)。なんと、26年後です。その瞬間、私はどこで何をしているのかな。備忘録として、今回の「瞬間」のことをここに書きとめておきます。


2009年7月23日 (木)

■大塚和夫先生のことば (4) 見つけちゃうんだよね

言語研修の激務から解放された私は、去年の10月にコートジボワールに短期調査に出かけた。そのさなかに、大塚先生が入院されたとの報を受けた。そして、6カ月の闘病を経て、4月に逝去された。

奥様の大塚美保子様が、お別れの会で述べられたことばが、忘れられない。

「大塚が手抜きをすることができる人だったら、もっと長生きしたかもしれません」

でも、仕事を引き受けたら、つい誤りや不備を「見つけちゃうんだよね」と自ら語り、完璧主義ですべてを引き受け、こなしていたという。

いつぞや、所長室で懇談していたときのことである。たばこをふかし、書類にせっせと印鑑を押しながら、つぶやいた。

大「おーい、こんなになっちゃったら、終わりだぞおー。若いうちに、ちゃんと仕事しとけよー」

「何をおっしゃいますか」と、私はてきとうにつっこんで笑って流したが、偽らざる本心だったのかもしれない。

生前、「もしものことがあれば、散骨してほしい」と望んでいたという。ご遺骨はご家族の手によって、エジプトのナイル川と、タンザニアのザンジバルの2カ所にまかれる予定だそうだ。大学行政のいっさいの雑務から解放され、アフリカ大陸とその周辺で、永遠のフィールドワークを楽しまれることを心より祈りたいと思う。

ご恩返しができなかったもうしわけなさをバネに、今後ともがんばりたいと思います。「3倍活躍しなさい、ただしムリはすんなよ」のことばを、くり返し肝に銘じながら。

→ [おわり]


2009年7月22日 (水)

■大塚和夫先生のことば (3) 手話に早く取り組むべきだった

言語研修開講式 大塚先生のもうひとつの顔とは、手話研究を擁護する人類学者だったことである。

先生の教え子のひとりが手話通訳士になったこともあって、ご自身は手話は話せないものの、手話が諸自然言語であること、研究の課題として重要であることをよく理解していた。そして、手話にこだわり続けるヒラ研究員である私を、励まし続けた。

2008年度、AA研としてはもちろん、日本でも世界でも類例がない、アフリカの手話の言語研修(5週間の語学集中講義)の企画がスタートしたときも、時間割、人員配置、予算面も含めて、いろいろと相談に乗ってくださり、ご助言とご配慮をくださった。

言語研修の開講式の前夜、私は準備万端整えて家路につく京王線の車内で、大塚先生とばったり会った。

大「明日の開講式は、ネクタイ要るかな?」
私「そうですねえ、私はいちおうつけますけど」
大「そうか、じゃあ、するか」

翌朝の開講式は、「猛暑に負けず、がんばってください」という大塚所長のスピーチで始まった。私の100時間講習の講師の業務は、その所長あいさつの手話通訳をすることから始まった。

手話言語研修が成功裏に終わったとき、「AA研で、手話にもっと早く取り組むべきだった」ということばを残してくださった。

2008年9月、言語研修のカメルーン人ろう者手話講師のお見送りを兼ねた、宴会の席でお会いした。Daily Yomiuri の紙面に大きく掲載された言語研修の記事をたずさえて、私たち講師2人は所長に終了の報告をした。にこやかに言語研修の労をねぎらい、成功を祝ってくださった。それが、お会いした最後となった。

日本の大学における手話言語の研究・教育のいっそうの振興のために、今後もお力添えをいただきたかったなあと、悔やまれてならない。「手話にもっと早く取り組むべきだった」のことばは、残された私たちが引き継がねばならない遺言だと思っている。

[つづく]


2009年7月21日 (火)

■大塚和夫先生のことば (2) 3倍活躍してもらうよ

次の印象的な場面は、AA研研究員としての採用内定通知のお電話である。

大「大塚ですが、えー、研究員として、君にはAA研に来ていただけますか」
私「ありがとうございます。喜んでお受けいたしたく思います」
大「AA研は、言語学、文化人類学、歴史学の三つが柱でして。君はね、ろう者の言語と文化と歴史と、三つともやっていますから。ひとりで、3倍活躍してもらいますよ(笑)」
私「はい、もちろんです」

これが、上司(内定)としての最初の業務命令であった。

AA研で研究する機会をいただいた私は、そのことばを真に受けて、2007年9月からの着任後、骨身を削って働きまくった。海外調査も、辞典編纂も、本の刊行も、集中講義も、研究会の発表も雑務も、とにかくすべてがチャンスだと思って、何でも引き受けた。

「3倍働け」と言った所長は、やがて、ろうかで会って立ち話をするたびに、私の働きすぎをいさめるようになった。

「『日本人は働きすぎ』とか言われるけども。君は、そのなかでもずぬけてワーカホリックだぞ。ムリして体こわしたら、意味ないから。ムリすんなよ、ムリは」

実は、もっとも働きすぎなのはご自身であることを、やがて知るようになった。

私が国際開発学会の受賞のご報告をしたとき、

「いずれ、お祝いしましょう。京王線の飛田給駅の近くに、魚のうまい店があるから」

とおっしゃってくださった。ご多忙にまぎれて、約束は実現しないままとなってしまった。

[つづく]


2009年7月20日 (月)

■大塚和夫先生のことば (1) ダブルブッキングしてしまった!

大塚和夫先生の遺影 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)の教授であり、前所長である社会人類学者の大塚和夫先生が、4月29日に亡くなった。私にとっては職場の上司であり、日本文化人類学会会長も務めた学問の先達であり、私の手話研究を励まし続けた心強い助言者でもあった。

今日、東京外大で「大塚和夫さんお別れの会」が開かれた機会に、いくつかのことばとともに想い出を振り返ってみたいと思う。

初めてさしでお話ししたのが、2006年4月下旬ころだった。AA研を中心に行われていた「資源人類学」という研究プロジェクトのメンバーに加えていただいたご縁で、私が初めてAA研を訪れたおりに、知識資源班のメンバーでもあった大塚先生を所長室に訪ねた。

私「西アフリカの手話にも、いくつか方言があるんですが」
大「君、いま『方言』って言ったけれども。えー、それはいったいどういう意味で?」

てきとうな説明を許さない、律儀な方とお見受けした。

大「君には、7月の研究会で発表をしてもらうから、楽しみにしてるよ。あー…、すまない。たった今、ダブルブッキングしてしまった!」

律儀でありながら、忙しすぎる方だともお見受けした。

初対面は、励ましと、ダブルブッキングのおわびで終わった。結局、大塚先生には、私の研究発表を見ていただく機会はなかったと思う。ほんとうに、機会を逃してしまった。

[つづく]


2009年7月17日 (金)

■私は千手観音になりたい

あの原稿、この企画、あっちの会議にこっちの連絡…。

いくつかの大きな仕事を同時に進めなければならないとき、仕事に使える手が一対しかないことを、とてももどかしく思うことがある。

どちらかというと「ひとつごと没頭型」の仕事を得意とする私は、多くのことを器用に並行処理できる仕事術にあこがれる。ああ、千手観音のように手がたくさんあればなあ…。

千手観音といっても、ひとつの手が25本分をかねているそうだから、実際には40本。胸の前で合掌している2本をあわせて、合計42本。うん、それだけあれば、相当量の仕事がこなせるに違いない。

こちらではパソコンを打ち、こちらでは携帯でメールし。こちらの手では手話を話し、こちらの手では赤ペンを握って原稿のチェック。ついでにおやつをつまみながら、息抜きにラジオ体操までできてしまうかも。「ひとり流れ作業」だって夢じゃない。なんと言ったって、20倍のスピードで仕事ができるんですから。これはすばらしい!

ひとつ気がかりなのは、「脳の機能が20倍になるわけではないこと」。つまり、ひとつひとつの仕事のペースは、20分の1になるかもしれない。それじゃあ、意味がない(笑)。もっとも、疲れたときに交替できるスペアの手があるだけでも、十分役に立つかもしれません。

おっと。たった一対の貴重な手を、こんなアホな日記に費やしている場合ではありません。(汗)

[付記] サイボーグの腕を装着すれば、簡単に実現するらしいですね。そうか、そうか。

■立花隆「サイボーグ技術を用いると、千手観音が現実に」(『日経BP』2005年12月6日)
■サイボーグ手話通訳者の夢 (ジンルイ日記, 2008/08/17)


2009年7月16日 (木)

■知識が重たすぎるヨーロッパ

ある研究会での、博識な先生による、きらりと光ることば。

「ヨーロッパはね、知識の蓄積が多すぎるんですよ」

ヨーロッパの知識人が、あることばひとつ使おうと思っても、そこにはすでに無数の論者たちの手あかがついている。そういうしがらみにうんざりした人たちが、ヨーロッパを出てアフリカなどをさまよい歩き、そこで出会った他者を用いて、自由にことばを使いたいと思った。それが、人類学。

思ったこと、三つ。

その一。つまり、なんでしょうか。ヨーロッパの知識人のうんざり感解消のために、非ヨーロッパ世界は使われたということか(私らの知ったことか)。

その二。ある社会における知識の蓄積にも、適正規模ってあるのかも。膨大な知識の重みでつぶれて溶け出してしまうような社会って、何だろう(もう、やめとけば?)

その三。それを見習って、他者理解と知識蓄積を「善」と信じて疑わない、非ヨーロッパ世界の研究者である私たちって何だろう。あまりに滑稽な自画像ではありませんか(同じことを繰り返すのはアホらしい)。


2009年7月15日 (水)

■手話が大学の語学科目になりにくい理由

手話を大学の語学科目として取り入れよう、という考え方がある。関西学院大学では、人間福祉学部の選択語学として「日本手話」を開講、多くの学生たちが志望して語学力を高めていると聞く。おもしろい取り組みです。

一方、手話を語学に取り入れることに、抵抗を感じる教員たちもいる。なぜだろう。私が知っている限りで、その見解を三つの類型にまとめてみた(※表現は変えてあります)。

(1)【冷笑型】「え、大学の語学に手話? 冗談はよしてくれよ(笑)」

>こういう見方は、実在します。「臥薪嘗胆」、今は辛抱して、誤解を減らす説得を続けましょう。こういう人たちが、恥ずかしさのあまり尻尾を巻いて逃げ出したくなるほど、すぐれた実績を積んでいきたいものです。

(2)【誤解型】「手話は日本語の一種でしょう? だったら、わざわざ大学で教える必要はないのでは」

>これはよくある誤解ですが、日本語に合わせた話し方しかご覧になっていないのかもしれません。自然言語としての手話の実態について、根気よく説明しましょう。

(3)【耳学問型】「日本手話は、たいへん難しい言語だと聞きました。学部生にはハードルが高すぎませんか」

>よく理解されていますが、手話は「ふつうに難しい言語」だということです。手順をふんで学べば、聴者も習得することができます。

いずれにせよ、日本の高等教育のなかで、手話という諸言語が正当な認知を受けるようになる日がくることを、心より願っています。

以上、手話を話すいち大学人の祈り。


2009年7月14日 (火)

■世界がもし○人の村だったら

『世界がもし100人の村だったら』(池田香代子, マガジンハウス, 2001) という本が、よく売れた。

100人という、分かりやすいサイズにしたのがよかったのでしょうね。大阪市も、『大阪市がもし100人の村だったら』(大阪市・大阪市人権啓発推進協議会発行, 2009) というパンフを作って、啓発に取り組んでいる。

そこで、通勤電車の暇つぶしに、「世界がもし○人の村だったら」と、数字を代入して遊んでみた。

(1) 世界がもし68億人の村だったら
>それは、まさしく地球の現実にほかなりません。現実から、目をそむけてはなりません。

(2) 世界がもし200人の村だったら
>ひとり1カ国ずつ所有することにしましょうか。人類全員が、国家元首!

(3) 世界がもし3人の村だったら
>2:1で、マジョリティとマイノリティが生まれます。多数派の専横は、人類の業なのでしょうか。

(4) 世界がもし2人の村だったら
>このふたりがどんな性別で、どんな身体機能をもつかによって、人類の未来はまるっきり変わるでしょう。

(5) 世界がもし1人の村だったら
>その人の名前は「創造主」なのかもしれません。星新一のSFを読んで、おさらいしたい。

(6) 世界がもし0人の村だったら
>それは「村」と言っていいのでしょうか。そもそも、この問題を考えている「私」はだれなのでしょう。

(7) 世界がもし-1人の村だったら
>うわ、過疎がきわまって、ついに負(マイナス)の人口の村が出現!

(8) 世界がもし-68億人の村だったら
>反物質ならぬ、「反地球」に住む「反人類」たち。できれば、仲良くしましょう。きっと、『-100人だったら』という絵本などを作っていることでしょう。

(9) 世界がもし n 人の村だったら
>いきなり一般化。世界のすべての現象を、人口 n 人の関数として記述するのは、至難の業。でもおもしろそう。

(10) 世界がもし n 人の村で大丈夫なら、n+1 人になっても、まあ大丈夫でしょう
>数学的帰納法により、どれだけ人口が増えても大丈夫! これが、環境の破壊を招いた原因だと思います。


2009年7月13日 (月)

■交通検索の奴隷は考える

先日、東京の地下鉄に乗っていて、とんでもない勘違いをやらかした。このさい、恥をさらしましょう。

頭文字が共通するふたつの駅名を、ごっちゃにして覚えていた。なんとなく「Yahoo! 路線情報」で経路を検索し、その結果が示すとおりに乗り換えて、「目的地」に着き、改札を出てから、まちがいに気がついた。

う…。着くまで気がつかず、検索ロボットの言うがままに行動してしまった、このおそるべき依存心。「忙しかったから」なんて、理由にならないよね。われながら、自分の知識と判断力のなさをのろいましたよ。

ここで、解決にはふたつの道がある、と、交通検索の奴隷は考える。

ひとつは、奴隷を脱すること。東京の地名をきちんと覚え、自分で路線のイメージをもち、検索を補助的に使うことがあっても、検索に使われないようにしよう!と決意する。自立的に判断する「人間」の回復を目指そうとする道である。

もうひとつは、いっそうの奴隷の深みにはまること。駅名などという文化の記憶の残滓にはんぱに依存するから、このようなことが起こるのだ。ターゲットが駅ではなく知人という個人だとするならば、相手の居場所を携帯GPSで特定し、そこまでのルートを自動的に教えてくれたらいいじゃん、とさらに依存する。人間の判断力の完全なる放棄の道。

今のところ、いちおう人間である私は、前者でありましょうと提言もするし、自戒もする。でも、実は、後者の誘惑も捨てがたいと思う。それを否定できない弱さがある。

まあ、とりあえず、慣れない駅名は必ず手帳に書くことにしました。(笑)


2009年7月11日 (土)

■『遊びの人類学ことはじめ』発売!

遊びの人類学ことはじめ@新宿紀伊國屋 拙編著『遊びの人類学ことはじめ: フィールドで出会った〈子ども〉たち』(亀井伸孝編, 昭和堂) が、6月30日に刊行、全国の書店で発売となりました。

新宿の紀伊國屋書店で、「文化人類学」コーナーに平積み!です。記念写真を撮りました。

いかついタイトルと難しい用語が並ぶこのコーナーで、サルと人の子どもたちがたわむれているほのぼの表紙に、「サルも遊ぶ、ヒトも遊ぶ」とののどやかな帯。「表紙は、鳥獣戯画みたいな感じでいきましょう」というねらいにぴったりの雰囲気を漂わせています。うん、フィールドワークは、こうでなくちゃ。

さっそく、ある読者の方から、「『コドモ』が人だったりサルだったりで、おおらかな気分になりますね」という感想をいただいた。学問というのは、こんなふうにおおらかにいきたいものです。

遊びをまじめに学問する、ということのささやかな手がかりになればと願っています。本書で取り上げた日本やアフリカの子どもたちの遊び、チンパンジーやニホンザルの遊びを、自分でやってみたいなと思ってくださる読者のみなさまに出会えることを祈りつつ。

以上、編者拝。

Amazon『遊びの人類学ことはじめ』


2009年7月10日 (金)

■あわせて買いたい『通訳者のしごと』

Amazon の拙著『手話の世界を訪ねよう』のページで、「あわせて買いたい」と、ある本が表示されている。
あわせて買いたい
この本と『通訳者のしごと』(岩波ジュニア新書) 近藤正臣をあわせて買う
あ、これはおもしろい。(^^)

ふつう、手話の本は、同じ手話の分野の本や、障害の本、福祉の本などとまとめ買いされることが多い。今回は、言語の通訳の本とのまとめ買いですよ。これは、うれしい組み合わせだと思う。もちろん障害も福祉もいいけれど、自然言語である手話がそのイメージで「しか」見てもらえない傾向については、日頃いろいろと思うところがあったからだ。

もうひとつのおもしろさ。このふたつの新書は、実は、岩波書店の同じ編集者が手がけた本である。私と同じ大学の先輩にあたり、国文学を専攻し、言語やコミュニケーションの分野に造詣の深い方である。

その編集者が、5月に音声言語の通訳の本を作り、6月に手話の本を作った。しかも、『通訳者のしごと』にはきちんと手話通訳のことが書かれているし、『手話の世界を訪ねよう』にも多様な言語の間の通訳者たちの活躍ぶりが描かれている。

先方の著者のほうが大ベテランなので、並べていただくのも恐縮なことですが(トラの威を借りたキツネのような気分)。同じ時期に、同じジュニア新書で、同じ編集者の手によってできた言語の本どうしという、不思議なご縁です。2冊の相乗効果で、多言語社会への理解が全体的に進むといいなあと願っています。

ことばに興味がある読者のみなさまへ。両方をあわせて読んでみたり、比較してみたりしていただけると幸いです。本屋さんで、ぜひ一緒に手に取ってみてください!

Amazon『手話の世界を訪ねよう』
Amazon『通訳者のしごと』


2009年7月5日 (日)

■みるみるやせる!文化人類学

文化人類学って、いったい何の役に立っているの?というまなざしがある。

それを受けて、文化人類学はもっと世のため人のためにならなきゃ、と考える研究者たちも現れる。しかし、どこか届かぬ片想いみたいなところもある。

人びとの目をアッと釘づけにするような、「すぐに役立つ文化人類学」のアイディアはないものかなあ。電車の吊り広告などを見ながら、ぼんやりと考える。

「文化相対主義!人生相談」
>家庭や職場、近所付き合いの悩み、すべて異文化だと思って観察してしまいましょう!

「民族誌として読み解け!受験国語必勝法」
>入試問題とは、大学という異文化世界で書かれた民族誌だ!異文化さえ読解できれば、東大も楽勝合格!

「語族別!今日の運勢」
>インド・ヨーロッパ語族のあなた、アルタイ語族のきみ、今日の運勢をチェックしよう!

「退職金はこう増やせ!経済人類学的マル秘財テク術」
>金融崩壊時代を生き抜くヒントは「社会に埋め込まれた経済」にあった!カール・ポランニーも草葉の陰から絶賛!

「みるみるやせる!フィールドワーク入門」
>文化人類学者がフィールドでのサバイバル術を指南。これであなたもダイエットに大成功、夏の勝ち組に!

え、そんなアホなことをしていたら、文化人類学の業界自体がみるみるやせていくって? …すみません。やっぱりまじめに学問をすることにしましょう。


2009年7月3日 (金)

■日本福祉大でのゲスト講義@200907

愛知県の日本福祉大学に1日ゲストとして呼んでいただき、自分の専門に関わる授業をする機会をいただいた。

「なるほど、福祉の大学だから手話のテーマの授業ですか」というような、単純な話ではない。なぜなら、私は文化人類学の講義をしに行ったからである。

日本福祉大の、国際開発に関わる学部で、文化人類学の教員がコーディネートしている「異文化理解」の授業があり、そのシリーズのひとつとして、世界の言語一般に関する回を担当した。もちろん、言語概論のなかでは、音声言語と手話言語の両方を対等にあつかった。ろう学生たちもいたから、手話は講義の使用言語のひとつでもあった。

福祉のなかに国際開発があり、そのなかに文化人類学があり、そのなかに言語があって、言語のなかに手話があるというふうに、さまざまな学問がマトリョーシカ(入れ子状のロシア人形)みたいな構造で重なりあっている。そして、手話からもういちど福祉に戻るのかな?というふうにも感じられて、位置づけがおもしろいですね。

もちろん、中身は大まじめな文化人類学。マリノフスキーがどうの、言語の定義がどうの、フィールドワークの技法がどうの、といった話。それを、福祉・開発の学生という聞き手を想定しながら語るという仕事はとてもやりがいがあって、なんとも話し足りない90分の授業でした。

お招きくださいました日本福祉大の関係各位、受講してくださった学生・教職員のみなさま、ありがとうございました。



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