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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2009年12月

日本語 / English / Français
最終更新: 2009年12月31日
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■マイ重大ニュース2009 (2009/12/31)
■年内最後の校正ゲラ (2009/12/30)
■手帳の引っ越し: 2009→2010 (2009/12/28)
■冷たい門松 (2009/12/27)
■支援が必要なのはだれか (2009/12/26)
■ツイッター参入のクリスマス (2009/12/25)
■毎日新聞に民博シンポでの講演が掲載 (2009/12/24)
■四正面作戦の今日このごろ (2009/12/22)
■日本聾史学会での招待講演 (2009/12/20)
■事業仕分けと機能主義 (2009/12/18)
■強いられる学際、好んでする学際 (2009/12/16)
■宗教、間に合ってます (2009/12/15)
■ジュニア新書で哲学しましょう (2009/12/08)
■大学における手話教育シンポジウム@関学2009 (2009/12/07)
■『手話の世界を訪ねよう』四谷大塚の小4国語問題に出題 (2009/12/01)


2009年12月31日 (木)

■マイ重大ニュース2009

ごーん。除夜の鐘をBGMに、今年一年を振り返っています。日記を抜粋しながらの、マイ重大ニュース。

手話の世界を訪ねよう (1位) 岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』刊行
岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』を執筆、刊行。新書を書いたのは初めて、19日間で本を1冊書き上げるという離れわざも初めて。イラスト描きや校正を含めて、今年の4-6月ごろはこれにかかりきりでした。それで、今年の後半は、それを売るための営業の日々。ジュニア向けに本を書くことは、専門家向けに書くよりも難しいということを学びました。

【関連日記】
■岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』刊行! (2009/06/28)
■岩波ジュニア『手話の世界を訪ねよう』校了 (2009/06/01)
■3日に1本のハードな連載 (2009/04/24)
■岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』脱稿! (2009/04/22)
■「やさしく書く」という試練 (2009/04/13)

遊びの人類学ことはじめ (2位) 昭和堂『遊びの人類学ことはじめ』刊行
サルの研究者や野外教育の専門家とともに、4人で仕上げた遊び論の本『遊びの人類学ことはじめ: フィールドで出会った〈子ども〉たち』を編集・執筆し、ぶじに刊行。遊びをテーマに議論した研究会がきっかけとなって、3年越しの努力が実った労作となりました。今年の1-3月ごろは、これの校正などの詰めで大忙し。「子どもの遊びをまじめに紹介する、読んでいて楽しい本を作りたい」という欲張りな夢がかないました。

【関連日記】
■『遊びの人類学ことはじめ』発売! (2009/07/11)
■昭和堂『遊びの人類学ことはじめ』校了 (2009/06/02)
■ゲラゲラゲラ… (2009/04/25)
■野の遊びの研究会 (2006/05/02)

手話学研究18 (3位) 日本手話学会で研究倫理関係の事業を実施
一時は存続も危ぶまれていた、日本手話学会。言語が異なるろう者と聴者の会員が快適に共存するために、建設的な対話をしましょう!という思いから、手話研究の倫理の議論を盛り上げるためのお手伝いをした。学会誌『手話学研究』第18巻で特集「手話研究の倫理」を編集し、学会大会のシンポジウムを開催。今年の7-10月頃に手がけた大仕事。もちろん、これからの宿題は多いけれど、言い出しっぺとしては、やってよかった!と思っています。

【関連日記】
■モデレータとしての文化人類学者 (2009/11/02)
■『手話学研究』「特集・手話研究の倫理」刊行! (2009/11/01)
■日本手話学会で研究倫理のシンポジウム開催 (2009/10/31)

[20100106付記]
日本手話学会の研究倫理シンポジウムの報告書が、日本手話学会のホームページに掲載されました。ぜひごらんください。[こちら]

そのほかのニュース。

・ドイツで開催の世界アフリカ言語学会議で、初の手話言語分科会に参加(関連日記)
・アジア経済研究所での共同研究が終了(関連日記)
・日本福祉大学(関連日記)や民博(関連日記)での共同研究が発足
・科研費補助金若手研究 (A) 採択(関連日記)、アジア・アフリカ手話言語情報室の開設(リンク)

などなど。各方面でのおつきあいが広がりました。

今年一年、お引き立てくださいました各位に、あらためまして心よりお礼申し上げます。来年がみなさまにとりまして、さらにすばらしい年となりますように。


2009年12月30日 (水)

■年内最後の校正ゲラ

年内最後の校正ゲラが、今、エクスパックで届きました。

仕事納めを過ぎた後の発送です。つまり、出版社の編集者の方が、休日返上でご自宅で仕事をし、ご手配くださったものということです。もうしわけありません。

もちろんそこには、新年早々、一刻も早くゲラを戻していただいて印刷にかかりましょう!という、強い激励のメッセージがこもっています。がんばります。(汗)

年の瀬と 言ってるほどの 暇もなし

今年は、とくに11月から12月にかけて、いくつかの重要な〆切がバタバタッと続き、年の瀬を感じている暇があまりなかった気がする。2009年のただの12カ月目という感じで、この勢いでいくと、なんとなく「2009年13月」になってしまいそうだ。そんな感じで、通常作業が連綿と続く日々だった。

少しは師走ぶって、気分を一新しないといけませんね。明日の大晦日は、仕事の棚卸しをしようと思います。年内にできそうなことは、してしまう。できなさそうなことは、仕切り直して新年の課題に。

今年も、よく文章を書きました(指がこわばって、自分の指だと感じられなくなるほど)。もちろん、私が文章を書くことができたのも、書いたものを編集、印刷、製本してくださる方がた、読んでくださる読者の方がたのおかげです。感謝を込めつつ、そろそろ私なりの仕事納めにしようかと思います。


2009年12月28日 (月)

■手帳の引っ越し: 2009→2010

昨日、ようやく、2009年から2010年の手帳へと、引っ越しをした。暮れの年中行事。

例年、だいたい11月末くらいには、新手帳に引っ越してしまう。今年も、11月には新しい手帳を手に入れていた。ところが、何かと〆切が立て込んでしまい、「このやりかけの仕事が片付いたら、気分一新で手帳の引っ越しをしよう」と思っていたら延び延びになって、あ、気付いたらこんな時期に。

今回でたしか4冊目となる「『超』整理手帳」。じゃばら状のまっさらなページをがばっと広げて、重要なスケジュールを転記していく。

・まず、手帳の使用開始日を書き入れる。
・出版社の、年末年始の休業期間を記入。とくに、年明け最初の〆切日を朱記!(汗)
・近所のお店のサービスチケットとポイントの期限日を記す。

これでよし、と。(おい)

実は、もうひとつ『〆切手帳』という別の手帳があって、こっちも引っ越しをしなければならないのだけれど。これは、毎年、新年恒例の行事にしています。


2009年12月27日 (日)

■冷たい門松

ふたつの門松 年もおしつまりました。町の風景は、正月準備と歳末商戦とで、何かとあわただしい感じ。

写真は、とある商業施設の正面で見かけた風景です。

右は、年末年始の商戦のお客様をお迎えする門松。そして、左は、ホームレスの人たちが施設の玄関脇にたまらないようにしつらえたと思われる、奇妙なオブジェ。

人びとに来てほしいと思う柱と、来てほしくないと思う柱。このふたつが意味していることはまったく逆です。それなのに、形が驚くほどそっくりだと思いませんか?

年の瀬に、なんとも冷たい門松を見てしまった。ちょうどふたつ並んで立っていたので、思わず日記にとどめました。


2009年12月26日 (土)

■支援が必要なのはだれか

今年度から、国立民族学博物館(民博)の3年半の機関研究として、「支援の人類学:グローバルな互恵性の構築に向けて」(代表: 鈴木紀准教授)が発足した。開発や福祉、医療など、広い意味での「支援」に関わりをもっている文化人類学者が集まって、グローバル化が進行する現代社会における支援の意味をとらえなおし、新しい人間観を創出しようという、気宇壮大なプロジェクトである。

ご縁があって、研究メンバーのひとりに加えていただくことになった。アジア経済研究所でのお手伝い日本福祉大学での行事企画など、いくつかの場所でちょこちょこと「支援」にまつわる勉強を重ねてきたいちフィールドワーカーとしては、「文化人類学の殿堂」たる民博でのこのような共同研究に加えていただいたことは、たいへん名誉なこと。

書類上、プロジェクトの中でどんな役割をするかを自己申告する必要があったため、「ろう者を中心とするマイノリティ支援の研究」を行う、ということにした。

でもね、と、書きながらすでに思っていた。心のなかでは、(どっちかというと、私のほうがろう者に支援してもらっているんだよな)という思いがあった。さらに言えば、(本当は、ろう者や手話のことをさっぱり理解していないマジョリティに対してこそ、支援が必要なんだよね)という思いもあった。

これは、まぜっ返しのことば遊びではない。現に私が払っている啓発的な労力のほとんどは、分からずやさんの多数派に向けられていることが多いのだ。もっとも、そういう聞こえる人たち向けの働きかけが、やがては回り回って、聞こえない当事者の負担を軽減するという「間接的な支援」にはなっているかなと思うけれど(負担の軽減については、この記事などもご参照ください)。

本当に支援が必要なのは、理解不足のマジョリティ。これ、いずれどこかの論文で、しっかり書き込んでやろうと思います。


2009年12月25日 (金)

■ツイッター参入のクリスマス

Merry Christmas!

この聖なる日に、ツイッターを開設。ウェブ上のつぶやきに参入しました。

http://twitter.com/jinrui_nikki

ユーザー名は「@jinrui_nikki」です。気持ちとしては、ここの「ジンルイ日記」の控え室みたいな感じ。短い気付きや備忘録をツイッターに書いておいて、ちょっとまとまった小論風のネタはこちらの日記に、と考えています。

でも、まあ、先のことは不明。「ジンルイ日記」との使い分けは、書きながら考えます。

ところで、同じクリスマスの日に、ツイッターに鳩山由紀夫首相と名乗る者が登場(@nihonwokaeoyu)。おもわずフォロー(読者として登録)したら、あれは偽物だというニュースも登場。よくわかりません。

年越し派遣村の湯浅誠さんも、同じ日のデビュー。こちらは、本人らしいです(@yuasamakoto)。

本家の「ジンルイ日記」ともども、どうぞよろしくお願いします。

[20100108付記]
本物の鳩山首相が登場(@hatoyamayukio)。やっぱり、先日のはなりすましだったようです。


2009年12月24日 (木)

■毎日新聞に民博シンポでの講演が掲載

先月、大阪の国立民族学博物館(民博)で行われた点字をめぐる国際シンポジウムの記事が、毎日新聞に掲載されました。

毎日新聞 2009年12月24日朝刊. 18ページ. 「+α大阪発 (木: 文化・文芸) Special Note」.
「点字を文化として再考 文化人類学者らが議論
 一般の文字と優劣の比較やめ 言語の多様性 理解を」

[本文はこちら]

点字は「音声言語を表記する文字」です。手話は「音声言語とは異なる自然言語」です。このふたつをまぜこぜにしたまま、子どもたちに教えたりするのは、どちらについても正しい理解をそこねるおそれがあります。これからは、言語としての手話、文字としての点字の姿を、正しく教えていきましょう。そういう正論を、文化人類学者の良心に基づいて訴えた。このような指摘が、大手新聞社の記事として報道されたことは、光栄なことだと考えている。

実際に、少し学んでみればすぐ分かるでしょう。日本語点字を書こうとしたら、日本語の音韻や品詞などに関する素養が求められる。一方、日本手話を話そうとしたら、しょっぱなから「日本語の文法は忘れなさい」と指導される。日本語に深く深く分け入って習得する日本語点字と、日本語を出て学ぶ必要がある日本手話は、どう考えても別物。それを「手話と点字」のようにひっくるめて変だと思わない心境のほうが、私には不思議に思えます。

急いで付け加えますが、少数文字としての日本語点字と、少数言語としての日本手話が、限定的に手を結んで共闘することがあってもいいのですよ。とくに、バリアフリーを求めていこうとする場面などで。ただし、そのもととなる認識としては、やはり言語は言語として、文字は文字として、どちらに対しても十分な敬意をもって、丁寧に学びたいものだと思う。

「ええと、ろう者が使うのは、手話だっけ、点字だっけ」

そういうマジョリティの適当な理解を許さない、毅然とした教育・啓発をしていこうではありませんか。そのハードルを越えてこそ、多文化共生という理想への道が開けるのだと思います。

[付記] この論旨を含む拙論が、近い将来、本の一部になるかもしれません。

[20100429付記]
この論旨の拙論を脱稿しました。論文集は、生活書院から刊行される予定です。

[20100920付記]
このシンポジウムがもととなった論文集『万人のための点字力入門』が刊行されました。
■点字と手話はなぜまとめてあつかわれるのか (2010/09/20)


2009年12月22日 (火)

■四正面作戦の今日このごろ

いくつもの行事が立て続く、年の瀬です。しかも、毎日毎日、まったく違った顔ぶれを相手に、違った目的と役割でお話をするのですから、もう目が回りそう。

【1】金曜日。手話のことを詳しくは知らない、聞こえる方がた対象の講演。「手話は文法をもった言語ですよ」とかみくだいてお話しする。

【2】土曜日。学術界で影響力を持つと思われる方がたと、とある場所で会う。手話言語と関連文化の研究を振興することが、日本の学問全体の発展にとっていかに重要で不可欠かを力説する。

【3】日曜日。ろう者たちが手話で営む学会での招待講演。これからフィールドワークを志す人たち向けに、文化人類学史とフィールドワークの技法のレクチャーをする。

【4】月曜日。文化人類学やフィールドワークの研究者との研究会。同じ前提知識をもつ同業者との深くせまい付き合いのなかで、専門性の高い議論をする。

とくに、【2】と【3】の立場のギャップは、あまりに大きかったですね。一方では、音声言語が占有している権威ある学術界に対し、駆け出しの研究者としてドンキホーテのごとく突進したかと思えば、その翌日は、手話で営まれている行事のただ中で、ろう者たちと手話による快適な学術交流をしていた。ほとんど、変身技のようである。手話に深入りした聞こえる研究者は、使うことばを変え、役割を変えながら、分裂した二つの言語の間を行き来する。

まとめれば、二正面ならぬ「四正面作戦」でしょうか。【4】専門分野での足場を固め、【3】対象言語の話者たちとの信頼関係を育みながら、【2】研究をきちんと学術界の本流のなかに位置づけて、【1】成果を一般市民に還元する。まあ、そのくらいやれば、研究者としては十分役目を果たしたことになるのでしょう。今回は、そのフルコースを4日間ぶっ続けでやったため、さすがに疲れます。

【5】火曜日。デスクワーク。たまったメールや郵便を読んだりしています。


2009年12月20日 (日)

■日本聾史学会での招待講演

日本聾史学会福岡大会にお招きいただき、「フィールドワーク入門」というテーマで講演する機会をいただいた。このことは、私にとって大きな節目でもあった。

日本聾史学会は、発表言語を「日本手話のみ」とする日本で唯一の学会である。ろう者でなくても発表する資格はあるが、だれであろうと発表言語としては日本手話を使わなければならない。ろう者以外の人には、言語的なハードルが高い学会である。

1998年の第1回京都大会。手話の初学者なのに参加した私は、会場でとびかっている日本手話がさっぱり分からず、目を白黒させていた。資料を読んで発表内容を想像しながら、いつかここで発表してやるぞと心のなかで決めていた。

5年後、2003年の第6回宮城大会。手話が話せるようになった私は、この学会で初めて発表する機会をいただいた。壇上で、30分ほどの話ができるていどにはなっており、やっと末席に入れていただいたような気がした。

さらに6年後、2009年の第12回福岡大会で、初めて学会の側からご依頼をいただいた。「ろう者の研究者育成のため、フィールドワークをテーマとした講演をお願いしたい」。手話で2時間半という長丁場である。

講演の結語は、「刈り取るだけではだめ、フィールドを育てよう」ということばにした。これは、私のことばではなく、一橋大学教授の関満博さんの著書『現場主義の知的生産法』からの借り物。これから調査を志す人たちへの最良のはなむけのことばだと思ったし、そもそも、私がこの場に立って講演しているという状況自体を指し示すことばでもあるように思えた。日本手話学会の方で取り組んだ『手話学研究』(特集・手話研究の倫理)の刊行について、講演のなかでご紹介することができたのも、うれしいことだった。すべてのことが、ひとつにつながっているような気がした。

大役をぶじに終えたとき、11年間にわたる長いおつきあいを振り返っていた。異なる言語と仲よくなるのは、実に難しい。しかし、けっして不可能なことではない。石の上にも三年、勉強とおつきあいを続けてよかったと思ったひとときである。「手話でふつうに学術交流ができる」という対等な関係の出発点に、ようやく立てたのかもしれない。今日は、その記念日。

11年前、しょっぱなから「手話を覚えてから来てください」という厳しい宿題をくださることで、ここまで育ててくださった日本聾史学会に、感謝しています。名誉ある招待講演の機会をくださり、ありがとうございました。


2009年12月18日 (金)

■事業仕分けと機能主義

政府が進めている、事業仕分け。

「その事業は何の役に立つか」「不要不急か」「世界一になる必要があるのか」

そんな矢継ぎ早の質問に攻め立てられ、各省庁や業界は防戦を強いられる。

民主党が本気で公約を実現しようとしているという見方もできるが、このさい歳出を減らしたい財務省が絵を描いているという見方もあるらしい。もうひとつの見方は、「陳情いらっしゃい作戦」。

事業仕分けでキツい査定をくらった業界は、あわてて民主党に陳情に行くだろう。過激な削減査定をしておいて、実際の予算では少しゆるめて情のあるところを示し、陳情を呼び込む。それで、自民党から利権を剥奪して業界を味方につけ、来年の参議院選挙に臨む。うん、私が最高権力者だったら、きっとそういうことを考えると思う。

事業仕分けの報道で、連日のように「それは何の役に立つのか」が叫ばれていたちょうどそのとき、私は異文化理解における機能主義を批判する論文を書いていた。

「なぜそんな文化があるのか」「その文化は何の役に立っているのか」。そういうことにこだわる異文化理解のしかたは、正確な理解をさまたげるおそれがあるから、やめようではないか。学説史的には、半世紀前にすでに片が付いているはずのこの問題が、いまだに亡霊のように異文化理解教育などのなかでさまよっている。

「文化要素が、役に立つかどうかを問うてはならない」。そういう論理で頭を一色に染めて早く原稿を仕上げたい私にとって、すべてが「役に立つかどうか」で裁かれていく事業仕分けの風景は、なんとも苦笑いものであった。

若手研究者に対する予算の削減が示された。ええ、文部科学省の意見募集に対して、私もメールでコメントを送りましたよ。もちろん「学術界の人材育成は、社会の役に立ちます」と、しっかりと機能主義の論理に根ざしたコメントを。


2009年12月16日 (水)

■強いられる学際、好んでする学際

ある畏友の研究者と話していたときのこと。

友「最近、うちの大学の部局で、『学際』をアピールしないといけないことになってさ」
私「へえ。でも、上から強制される『学際』って、苦痛やねえ」
友「うん。だから、学際に貢献した教員には、ポイントを付けるって(笑)」
私「スーパーじゃないんだから(苦笑)」

私が高校生だったころ、分野越境的な学際的研究というのは、輝かしい魅力にあふれていた。既存の学問の秩序を揺るがし、新しい知のあり方を目指そうとする論客たちが、人文・社会・自然の枠を超えて、野心的な議論をかわしていたように思う。

大学に入ってからの私は、わりとそれを真に受けていた。理学部-理学研究科というコースにありながらも、自分を型にはめてたまるか、分野を問わずおもしろいことには食らいつき、自分なりの学を作ってやるぞという気概をもっていた。

実は、今でもそうなのかもしれない。問われれば、たいてい「専門は文化人類学です」と自己紹介するけれども、私が書く本や論文やエッセイには、必ず、人類進化やサル学や言語学や社会調査論や国際開発など、これまで薫陶を受けた分野のおもしろいことを、こっそりとまぜこまずにはいられない。そういう雑種的な雰囲気が許容されている文化人類学という分野に出会えたのは、私にとって幸いなことだった。

おかげで、岩波ジュニア新書を書きながら、そういう楽しさを満喫することもできた。このジュニア新書をご覧くださったさる高名な先生からは、「ルネサンス的万能人間」というご高評をいただき、それは過大な評価だけれども目標としてはそうありたいものだと、うれしく承った。

時代は変わり、「学際」が大学の業務命令として下りてくる時代になったらしい。でも、そんなものは、命じられてするものではないでしょう。好んで勝手にすることです。「強いられる学際」など苦痛そのものでしょうが、「好んでする学際」ほど楽しいものはありません。

学際は、目的ではない。学際的にやらなければ太刀打ちできないような、壮大な研究テーマを掘り起こして、世に問うてみよう。「いち文化人類学徒です」と自己紹介する私は、こっそりとほくそ笑みながら、言外にそういう夢を含ませ続けている。


2009年12月15日 (火)

■宗教、間に合ってます

「年内にぜったいですよ!」

いくつもの〆切にうなっている、年の瀬です。通勤時間を節約して、自宅にこもり、執筆などの作業をしている。

「ピンポーン♪」

あれ、だれだろう。この時間がないときに。訪問販売かなあ。新聞の勧誘? リフォーム業者の営業? とにかく、うちは間に合ってますから。

私「はい」
訪「こんにちは。今日は、○○教のお話をさせていただきたいと思いまして」
私「あ、間に合ってますんで」

パタンとドアを閉めてから、考えた。はて、私は、いったい何が間に合っているのだろう

「幸福」が間に合ってるのかな。「信仰心」? 「神様」? それとも?

今の私に、何が充足しているのかは、さっぱり分からない。ただ、今、その話がぜひとも欲しいと思わなかったことだけは確かなので、とりあえず「よくわからない何物か」が間に合っていることにして、お帰りいただいた。

訪「こんにちは。あらゆる〆切を1カ月先に延ばせる魔法の薬、いりませんか?」
私「それ、ください!」

大枚をはたいて、買ってしまうかも。もちろん、そんなすてきな営業の方は、決してうちに来てはくれません。


2009年12月8日 (火)

■ジュニア新書で哲学しましょう

仕事の関係で、ある出版社の編集者の方とお会いした。

その方は、拙著、岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』をご覧くださっていて、こうおっしゃった。

「このジュニア新書は、哲学を感じさせますね」

え、そうですか? 別に、中学生向けの授業をしている気分で書き下ろした本なんですけど。笑

はい、では種明かしをしましょう。実は、読者にははっきりとそうとは気付かれないような形で、この本にはいろんなメッセージをひそませています。

ソシュールの構造言語学とか、レヴィ=ストロースの機能主義人類学批判とか、マリノフスキーの方法論的転回とか、サイードのオリエンタリズム批判とか。思想界の巨人たちのいちばんおいしいエッセンスが、幕の内弁当のように詰め合わせになっています。サルトルやチョムスキーも、どこかのページにちらりと姿を見せています。表向きは「手話やろう者に出会うときは、こういうマナーを守ったらいいよね」という語り方をしていますが、そのひとつひとつは、長い歴史をかけて人類が練り上げてきた知恵の数かずに裏打ちされています。

言い方を変えれば、手話とろう者のテーマにきちんと向き合うためには、歴史上の思想界の巨人たちを全員動員しないといけない。それくらい、この分野を語ることはたいへんなことなのです。

まあ、そんなこと気にせずに、軽く読んでいただくのが一番です。そういうつもりで書いたのですから。これを読んで「ふーん」と思った中高生のみなさんのうちの一部が、やがて哲学や人類学、言語学などを専攻したときに、「ああ、そういえばあのジュニア新書の話題に通じるかも」と思い起こしていただくことがあれば、望外の喜びです。

読者に気付かれないように、さりげなく書き込む。これは、実におもしろい仕事だった。でも、その私の小技を見抜いた編集者の方のご慧眼には、敬服するばかりです。


2009年12月7日 (月)

■大学における手話教育シンポジウム@関学2009

昨日、大阪で開催された、関西学院大学(関学)主催の「大学における手話教育シンポジウム」にお招きをいただいた。

(手話は、言語ではない)
(大学教育に、手話など必要ない)
(手話は、学生たちが課外のサークルでやっていればよろしい)
(語学とは高尚なものであって、手話などが入るはずがない)

そんな多くの偏見をはねのけるように、関学の人間福祉学部が、2008年に選択必修語学として「日本手話」を開講した。しかも、そのことをどうどうと文部科学省に申請して正面突破し、ろう者の講師を正式に採用して、発足した。

それから、1年半。全国各地の大学で手話関係の教育に取り組む人たちが集まり、シンポジウムが開かれた。

「大学における日本手話の教育のあり方」をめぐって、ろう者が中心的な役割を果たすシンポジウムを、大学が主催する。登壇者たち5人(司会1人と発表者4人)は、耳が聞こえる/聞こえないに関わらず、みんな日本手話で発表し、議論した。音声日本語への同時通訳がついていて、手話が分からない参加者たちにも配慮がなされていた。ろう者の一般参加者たちが会場を埋め尽くし、手話教育のあり方をめぐって登壇者たちと議論を戦わせた。

大学の中に、ふつうの語学として、学術の使用言語として、手話ということばがある。そういう風景が、実現している。そのこと自体が画期的で、夢がひとつずつかなっていくような思いがした。

もちろん、課題は山積している。手話講師のろう者、異文化理解者兼手話通訳者の聴者をいっそう増やすことは、急務だと感じている。多くの大学人に理解を求め、すそ野を広げていくことも欠かせない。ただし、大学における教養、語学、専門のあらゆる側面で、日本手話という少数言語が尊重される時代は、すぐそこまできているのだろう。

午前中の別件の研究会と、シンポジウムの後の懇親会もあって、昨日は手話でしゃべりすぎた。軽やかな両腕のだるさを感じながら、手話で仕事をした大阪の一日を、心地よい疲労感とともに振り返っている。


2009年12月1日 (火)

■『手話の世界を訪ねよう』四谷大塚の小4国語問題に出題

拙著、岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』の一節が、四谷大塚「全国統一小学生テスト」(2009/11/03) の4年生国語問題に出題されたのだそうだ。試験問題担当の会社から、事後報告としてお知らせをいただいた(すでにテストは終わっているので、守秘義務はありません)。

こんな栄誉は、もちろん初めてのこと。

国語のテストは、それこそ小学生の頃からの長い長いおつきあいだけれど、まさか自分が問題文を書く側になろうとは夢にも思っていなかった。なんともくすぐったいような、照れくさいような。はて、誤字や文法の間違いはなかっただろうな、とあわてて読み返している始末。

実際にテストで使われた問題文が、同封されていた。

次に「共有される」、[ 1 ]、文化は一人でしていることではないということです。「私は朝6時に起きる」と一人で実行していることがあっても、それは個人的な習慣であって、文化とは呼びません。ある集団、[ 2 ]村や国中のみんなが同じようなことをしていれば、文化と呼べる可能性があります。

最後に「伝達される」、つまり、文化はみんながそれぞれバラバラにしていることではなく、人から人へと模倣され、伝わっていくものだということです。私や隣の人が、各自の思いつきで「朝6時に起きる」ことにしていても、これは文化ではありません。[ 3 ]、「隣の人がやっているなら、私もやってみよう」「ぼくも」「私も」と、人びとが次つぎとまねをし、多くの人たちが同じことをするようになれば、これは文化と呼んでよいものです。

[ 1 ]〜[ 3 ]にあてはまるふさわしいことばを次から一つずつ選びなさい。
 (1) そこで (2) しかし (3) つまり (4) たとえば

むむむ…。苦笑いしながら、自分の文章で作られた国語問題を解いてみる。全問正解! ああ、よかった。著者が自分で解けなかったら、しゃれになりませんよね。

今年の春ごろ、「中学生に読める学術書」にしたいという思いで、がんばってこの本を書いていた。そうですか、小学4年生でもいけましたか。そういう意味でも、これはジュニア新書を書いた私にとって、たいへん名誉な勲章だと思う。

この本でお世話になった、岩波書店のジュニア新書担当の編集者は、国文科卒業の方。「自分が手がけた本が国語の教科書や試験問題になることは、私の誇りです」とおっしゃっていた。ご指導のたまものと思います。

四谷大塚と岩波書店の各位、そして、拙文にがんばって取り組んでくれた全国27,801人の小学4年生のお友だちに、お礼を申し上げます。以上、著者拝。



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