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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2010年4月

日本語 / English / Français
最終更新: 2010年4月30日
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■ピン芸人としての大学教師 (2010/04/30)
■言語系学会連合と日本手話学会 (2010/04/26)
■連載「通訳者×文化人類学者」 (2010/04/24)
■自分探さず、ネタ探せ (2010/04/22)
■非正規雇用の8年間 (2010/04/17)
■心理学と文化人類学 (2010/04/10)
■マイ文庫の設置 (2010/04/08)
■3種類の新しい名刺 (2010/04/06)
■『森の小さな〈ハンター〉たち』、野田正彰氏が長文書評 (2010/04/05)
■研究室の大減量作戦 (2010/04/03)
■大阪国際大学に着任 (2010/04/01)


2010年4月30日 (金)

■ピン芸人としての大学教師

大阪府守口市の大阪国際大学に勤務し始めて、ちょうど1カ月。この金曜日の授業を終えて、連休に突入です(4月29日は通常授業日でしたから)。

教育を主たる仕事にしていると、身辺のことをやたら日記に書くことができない。そりゃそうだ、日頃接している学部生たちは、授業料を納めて通ってくる「顧客」ですから。顧客情報の流出があってはなりません。日々いろいろなことが起こるけれど、お客さんをネタにしてはならないと自制する。

毎週、8コマの授業をする。授業のための準備と後片付け、事務仕事と会議などを含めると、平日の時間はそれでほとんど終わる。

「原稿の進捗はいかがですか?」

以前だったら、よっしゃ、2日ほど投入して徹夜してでも書いてしまえ、という無理ができたが、今はそれができない。

「出前講義をお願い!」

以前だったら、よっしゃ、その日を空けておいてどこにでもしゃべりに行こう、という調整ができたが、今はそれができない。

あたかも、遊動生活の狩猟採集民から、定住村と畑をもつ農耕民に生業(なりわい)を変えたような気分である(ややマニアックな生態人類学的たとえ)。

日々の仕事をこなしていて、ひとつはっきりと悟ったことがある。それは、「授業とは一種の演劇である」ということだ。「有用な知識・教養を学生に提供する」という崇高な目的があったって、学生が飽きて寝てしまったら伝わらない。どんなことだって、分かりやすくおもしろく語らなければ、授業をしていないのと同じことになる。だから、内容もさることながら、演出に工夫が要る。

毎週8本もの芝居を打つためには、私が大学院以降磨いてきた「研究者としての資質・能力」よりも、学部生の頃に落語研究会でつちかった「芸人としての話芸・サービス精神」の方が、よっぽど役に立っているかもしれない。人生、何が幸いするか、本当に分からない。

落語研究会のときに叩き込まれたのは、「受けなかったことを、お客さんのせいにしてはならない」という基本姿勢。「今日は客が悪い」などと偉ぶって言うことは、ぜったいに許されない。どんなお客さんに対しても、頭を下げて聞いていただくのが芸人であると。

かくして、「ピン芸人としての大学教師」、扇子をマイクに持ち替えて、目下奮闘しています。


2010年4月26日 (月)

■言語系学会連合と日本手話学会

この4月1日に、日本の言語学に関わる学会の連合体である「言語系学会連合」が発足したそうだ。そのことを、今日、ツイッター経由で知人から教えてもらった(以下、同連合サイトより、2010年4月26日引用)。
このたび、日本学術会議(言語・文学委員会)からの働きかけもあって、日本言語学会、日本語学会、日本英語学会、日本語教育学会、全国語学教育学会(JALT)(科研費分科細目順)の5学会を幹事学会とする《言語系学会連合》(英語名 The United Associations of Language Studies; UALS)が2010年4月1日に発足しました。言語系学会連合には、上記5つの幹事学会のほか22の学会から賛同を得て、現在のところ合計27学会が加盟しています。

英語語法文法学会/外国語教育メディア学会/関西言語学会/訓点語学会/計量国語学会/言語科学会/ことばの科学会/社会言語科学会/社団法人 日本時事英語学会/全国語学教育学会/日本英語音声学会(調整中)/日本英語学会/日本英語表現学会/日本音韻論学会/日本音声学会/日本記号学会/日本機能言語学会/日本言語学会/日本語学会/日本語教育学会/日本語文法学会/日本語用論学会/日本第二言語習得学会/日本中国語学会/日本認知言語学会/日本フランス語学会/日本方言研究会(50音順)

すごいですね、この陣容。

で、私が参加している日本手話学会は?と探してみて、なかったので、即座にこう思いました。「日本手話学会も入れてもらうのはどうだろう?」

学会運営や学術界の政治については、まるっきりうとい私ですが。「手話は言語なんだから、手話学会も言語系学会でしょう」という実に安直な論理で、こういう着想が浮かびました。とりあえず、手話学会の理事の方がたの判断を待ってみよう。

(以下は、小声でのささやき)
この「言語系学会連合」の設立ワーキンググループは、「2009年10月から言語系の諸学会へ参加呼びかけを行いました」そうですが、その時に日本手話学会にはお声がかかったのかな? かからなかったのかな?


2010年4月24日 (土)

■連載「通訳者×文化人類学者」

日本手話通訳士協会の機関誌『翼』に、毎月連載エッセイを書いている。去年の12月に掲載が始まり、これまで6回分を書いた。中間のまとめをかねてこちらでご報告。

タイトルは「通訳者×(かける)文化人類学者」。

「手話通訳士であり文化人類学者でもある筆者が、毎回、文化人類学のことばをひとつずつ取り上げながら、通訳者と文化人類学者の似ている面、違う面などを、つれづれに書いていきます」

手話通訳者やろう者たちが読む機関誌で、こんなマニアックな連載をさせていただけるとは、実にありがたい。で、これまでの各回のテーマです。

(1) フィールドワーク
(2) 参与観察
(3) ラポール
(4) 普遍性
(5) フィールドノーツ
(6) 民俗分類

さて、今後のラインナップをどうしようかな。イメージとしては12回、ちょうど1年分と考えている。

(*) eticとemic
(*) 機能主義と構造主義
(*) 解釈と翻訳
(*) 文化を書く
(*) 倫理
(*) 文化相対主義
(いずれも未定)

あはは。文化人類学の教科書のパロディを書いているような楽しさがある。

専門用語を、専門外の人たちに向けてかみくだいて語れるかどうか。読者にとっての身近な例をまじえながら、分かりやすく伝えることができるかどうか。それができてこそ、初めてそのことばを「理解している」と言えるのだろう。連載は、岩波ジュニア新書を書くのと似たような心がまえでやっている。

やっぱり、最終回は「文化相対主義」かなあ。ま、ゆっくり考えることにしましょう。

[付記] 『翼』購読については、日本手話通訳士協会のサイトをご参照ください。

[関連日記]
■「一般向けの本」という片思い (2009/06/07)
■アウトリーチをしよう! (2009/05/09)
■「やさしく書く」という試練 (2009/04/13)


2010年4月22日 (木)

■自分探さず、ネタ探せ

新しい職場の大学で、学部生のセミナーを三つ担当している。

1回生16人、2回生18人、3回生6人、それに加えて再履修者たち数人。まあ、ざっと40人強くらいの学生たちの「担任の先生」となったわけである。

セミナーの目的は、究極的には「4年間で卒論を仕上げること」。それぞれの関心のあるテーマにしぼりこんで研究をすることに、誘っていく仕事である。ただ、私は学生ひとりひとりに、むやみに「君のやりたいことは何か」と聞かないことにしている。

「自分が本当にやりたいことは何か」…そんな問いに即答できる人は少ないでしょう。私の限られたへっぽこ研究者生活を振り返ってみたって、「自分探し」などはっきり言って時間のムダだった。自分の内面を探ったって、まるでタマネギをむいていくようなもの、どこまでいっても宝物は見つからない。

しかし、外をほっつき歩いていてよい素材に出会ってしまったら、いくらでも本は書けたし、人前で話すネタもできた。言い古されているかもしれないけれど、やっぱり「書を捨てて街に出て」しまったほうが、話が早いのである。だから、あわてて関心事の告白を強いる必要もないでしょう。

「自分探さず、ネタ探せ」。今年のセミナーは、このモットーでいってみようかな。何をやりたいかは、ネタとの出会いを待ってみよう。それまでは、読み書きそろばんのトレーニングをするよ。これは、必ず役に立つから。


2010年4月17日 (土)

■非正規雇用の8年間

博士号を取得してから8年間、非正規雇用の研究職に就いてきた。おおざっぱに振り返ってみる。

【雇用・財源面】
2年間は、日本学術振興会の特別研究員(PD)。3年半は、関西学院大学が取得した21世紀COEプログラムの研究員/特任教員。2年半は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の研究員。形こそ違うけれども、一貫して国の財源で給料をいただきながら、研究を進めてきた。このことは、厳粛に受け止めねばならないと思っている。

時に「予算のバラマキだ」などと批判されることもある事業だが、若手研究者としては得がたいステップアップの機会だった。この助走期間があってこそいくつもの本を完成させることができたのだし、学振研究員の採用が決まってから結婚することにしたのもよく覚えている。

【業務面】
まったく自由で原稿ばかり書いていられた時期と、学内業務に奔走した時期とに分かれる。だいたい、4年ずつの半々だった。自由な時期は、業績としての著書や論文が急増して、もちろんありがたかった。苛酷な繁忙期は、院生教育、雑誌編集、広報、各種会議、若手研究者統括、行事企画、外国人招聘、教材作成、辞書の編纂、さらには学部生向け授業や手話通訳や障害学生支援委員もしていた時期がある。ハードな分、一人前の教員という対等な扱いを受け、大学という組織で働くためのまたとない実習期間になった。

【研究費面】
2005年の政策の転換は、私にとって幸いだった。非正規雇用の研究員でも、正規雇用の教員たちと同じように科学研究費補助金(科研費)に応募することができるようになった。これは、文部科学省/日本学術振興会の英断だったと思う。喜んで応募した私は、さっそく2005年度から採択をいただき、自分のテーマで研究費を取得して執行する「自立した研究者」の道を歩み始めることができた。そこからの5年間は、給料こそ正規雇用の人よりも低いものの、実績としては遜色のない成果をあげてきたと思っている。

【対人関係面】
一言で言えば、「8年間、長い長い面接を受け続けてきた」という気分。就職は、実力だけではなく、採用する側の都合とピタリ条件が合ったときに決まるものだ。一瞬の出会いのチャンスをムダにしないためにも、日頃から黙々と実績を積み上げ、仕事ができる人だと周りに評価していただく必要がある。不器用な私には、結局その方法しかなかったのだと思う。

うれしかったのは、「この人は非正規雇用だから」と低く見積もるのではなく、職場で対等な研究者として接してくれた多くの専任の同僚たちに恵まれたことである。その環境があってこそ、自立した研究者としての挟持をもって今日まで続けることができたのだから。

学生の授業料によって支えられる大学教員となった今、その違いの重みをかみしめる。「非正規雇用の8年間が自分と社会にとって何だったのか」をまとめるには時間がかかるかもしれないが、今後の私自身のふるまいのなかで、この経験は糧となるにちがいない。

最後に一言だけ。研究・教育上の投資は、数年以上経って実を結ぶことがある。このことを、政治にたずさわる人たちは忘れないでほしいと思う(「事業仕分け第2弾」の足音を聞きながら)。


2010年4月10日 (土)

■心理学と文化人類学

今回着任した学科は、心理学者の多い職場。そういうところに、文化人類学者としてひとりまぎれ込む。

「心理学は、他人を理解する学問です」

学生向けの説明会をいっしょに聞いていて、そうか、究極のねらいは文化人類学といっしょかな、などと考える。

他者を理解するのに、「個人単位ですばやい変化と差異をとらえる」のが心理学だとすれば、「集団単位でゆっくりした変化と差異をとらえる」のが文化人類学。いや、もうひとつ外側に、「『種』単位でさらにゆっくりゆっくりした変化と差異をとらえる」生物学があるかもしれない。健康保険と年金は別物に見えるけれど、短期/長期の違いで実は同じようなことをやっている、というのと少し似ている。

人類学として見れば、心理学の見方はせわしないし、個人的すぎる感じがする。でも、逆の見方もあるだろうね。人類学はのんびりしていて、おおざっぱすぎると。まあ、どちらの見方も大事だということでしょう。

たとえば、障害学生支援を臨床心理学の専門家が担当し、在日外国人支援を文化人類学者が担当することがある。でも、その逆があってもいいんだよね、とかねがね感じていた。障害学生に文化人類学者が向き合い、在日外国人に臨床心理学者が出会うなど。

短期的な理解と長期的な理解を組み合わせていくと、きっといいことがあると思います。


2010年4月8日 (木)

■マイ文庫の設置

マイ文庫 転職にあたり、ずいぶんと物を減らした

すっきりと空いた本棚を利用して、さてどうしようか。かねてからしてみたいと思っていたことを実現した。それは「マイ文庫」の設置。

自分がこれまで書いた本や寄稿した雑誌などだけを集めた、自著専用のコーナーである。並べてみたら、棚が2列いっぱいになった。

自分の本のありかも分からない、在庫が何部あるかも知らないというのはよくない。そういう必要性から作った棚である。が、背表紙を眺めていると、若輩者の研究者でありながら、多少の歴史を感じないでもない。自分の得意分野、不得意分野も見えてくる。

また、お世話になった編者、共著者、ご担当くださった編集者のみなさまのお顔も、一人ずつ浮かんでくる。マイ文庫とは、みなさまからいただいた「返しきれないご恩のかたまり」である。

来年は、ここにどんな本を入れることになるのかな。そんなことも想像できる棚ができた。


2010年4月6日 (火)

■3種類の新しい名刺

仕事が変わって、新しい名刺を3種類作った。日本語の名刺、英語の名刺、そしてフランス語の名刺。

日本語名刺は、日本でいろいろな人と会う上で欠かせないツール。とくに転職後なので、まっ先に必要になるものである。

英語名刺は、汎用性の高いツール。どこのどんな人に会っても使えるもので、これも常備する。

フランス語名刺は、おもにアフリカの調査地でお世話になっている人たちのためのもの。もちろん、アフリカ調査に出かけるのはまだ先のことだけれど。出発直前になって「しまった、名刺がない!」などとあわてたってしょうがない。気が早いけれど、準備して印刷してしまった。

「准教授」は Maître de conférences(メートル・ドゥ・コンフェランス)という。「大阪国際大学」は Université Internationale d'Osaka(ユニヴェルスィテ・アンテルナスィオナル・ドーサカ)ってとこかな。直訳だってかまわない、英語のままで名刺を渡すよりも、はるかにうちとけた雰囲気になるから不思議だ。

「フランス語圏の人たちに英語を強要しない」というのは、守っておいて損はないマナーだと私は経験上感じている。もちろん、どんな言語に対しても、英語を強要しない方がいいのだけれど、とくにフランス語の場合は、やはり国際共通語であるという高いプライドがあるので。ちょっとした準備でニッコリと笑顔が浮かび、その分だけ多くの人たちと仲よくなれるのであれば、そのくらいのささやかな努力はしようではないか。

「いつもポケットに3言語の名刺を」。日本の大学に勤務し、フランス語圏アフリカとのおつきあいが続くかぎり、私はこのモットーでいきたいと思う。さっそく、名刺入れに3種類を収めました。いつ、だれに会っても大丈夫なように。


2010年4月5日 (月)

■『森の小さな〈ハンター〉たち』、野田正彰氏が長文書評

拙著『森の小さな〈ハンター〉たち』が、熊本日日新聞の日曜日の書評欄で、精神科医の野田正彰氏の評をいただきました。

とにかく、あつかいが大きい!のです。新聞で3段にわたって書いていただくなど、初めてです。もしこれだけの大きさの新聞広告を出したら、いったいいくらになるんやろう、などとさもしいことを考える。まことにありがとうございます。

熊本日日新聞20100404 野田正彰
「森の小さな〈ハンター〉たち」亀井伸孝著
「野田正彰が読む」『熊本日日新聞』「読書」2010年4月4日 (日). p.8.

教育とは何か。遊びとは何か。働くとはどういうことなのか。何のために働くのか。遊び、教育を受ける、労働。それぞれ峻別できるものなのか。(…)

この様な私たちの思い込みを問い直すために、異なる社会、とりわけ文明以前の社会で人間はどのように成長し、暮らしているか、知っておきたい。(…)私たちの身体的・行動的特徴は狩猟採集生活から造られたものと考えられている。その人類の基礎である社会で、どのように遊びや文化は伝えられているか。

中部アフリカの熱帯雨林に、侵食してくる農耕民と接して暮らす狩猟採集民バカのところへ、若い人類学者は1年半住み込み、子どもたちの遊びを詳細に観察記録する。かってC・ターンブルの『森の民』や市川光雄の『森の狩猟民』で報告されていた生活が、子どもにしぼりこんで述べられている。(…)

本書を読んでいくと、私たちの「教育」なるものが、狩猟採集民として生得的にそなわっている人間性にいかに反しているか、考えこまされるだろう。年齢の違う子どもたちの集団は、そのまま年齢も能力も多様な大人たちの集団につながっており、遊びは生業と行きつもどりつしていることに気付かされるだろう。

野田正彰(関西学院大学教授、精神科医)

古典であるターンブルの民族誌や、恩師の市川さんの著作と並んで紹介されたのは、なんともうれしいやら申し訳ないやら。若輩者は、はだしで逃げ出したくなりそうです。

めまぐるしい現代社会に暮らす私たちは、たしかに狩猟採集民とは違った時間のペースで生活している。ただ、どんなに違った暮らしぶりをしていても、現代社会の人びとも愛すべきホモ・サピエンスの一群であることに変わりはない。私は、そんなに嫌いでもありません。「思わず管理教育に熱を入れてしまわずにはいられない」現代社会の人びとも、温かく見守る人類学者でありたいと思います。

野田正彰先生ならびに熊本日日新聞の各位、ありがとうございました。


2010年4月3日 (土)

■研究室の大減量作戦

これまで2年半、一カ所の職場にいた。その間、ムダな物が机の周辺に堆積し続けた。転職をきっかけに、荷物を減らして効率よい環境を取り戻そうと、おそるべき減量作戦を実行した。

まず、本である。これは捨てがたい。しかし、「近々、引用する可能性があるか」「ないか」で分別し、後者をばっさり処分した。研究者にとっての本とは「論文に引用するための資源」であって、それ以上のものではない。そうでなければならない、と自分に言い聞かせる。

資料類。すでに本に書いて世に送り出したことについては、関連資料を全部捨てた。思いつきメモも、校正ゲラも、ポイポイと処分。『森の小さな〈ハンター〉たち』が完成したばかりだったので、博士論文を準備していた頃の資料もバッサリと廃棄した。芥川賞作家くらいになると、生原稿が後の時代に何百万円で売れたりするらしいけれど、貧乏物書き研究者がそんなこと夢見ても、ゴミがたまるだけである。

コピーして集めた論文など。今ではウェブ上でPDFで公開されているものも多いので、必要なときはネットで探そう。そうつぶやいて、かなりを捨てた。

古い事務書類。科研費の領収書などは、保管義務がある。しかし、「不正行為はいけません」などという数年前の科研費マニュアルなどは、取っておいたって何の価値もない。バサバサと捨てた。

文具や雑貨類。物が「まだ使える」というのは禁句にした。私にとって「使いたい」と思えるかどうか、完全に自分中心主義で分別。「すぐに使いたい」と思う物だけを残して、後は全部捨てた。

そして、今回の大掃除の明確な原則がひとつ。資料でも文具でも雑貨でも、「東京外大に在職した2年半の間、一度も手を触れなかった物は、問答無用で捨てる!」

はあ。疲れたけれど、かなりすっきりした。近々使いたい物だけを配置するという「未来志向の研究室」に、少しだけ近づいたかな。


2010年4月1日 (木)

■大阪国際大学に着任

本日付けで、大阪国際大学に着任しました。辞令交付式で、人間科学部・心理コミュニケーション学科の准教授を拝命しました。

フットワーク軽めだけがとりえの、雑学のつめあわせみたいな文化人類学者を、教員として雇ってくださった大学の寛大さに感謝しています。モットーは「学部生たちに楽しい授業を!」。芸人としての決意に燃えています。

研究者の立場としては、ほっと一息といったところです。非正規雇用の研究員の道を歩み続けて8年、長い道のりでしたから(本を書く時間だけはたっぷりとありましたが)。

結局、関東在勤2年半を経て、再び関西にまい戻った形です。単身赴任で、東へ西へと行き来する暮らしに戻りました。家族には迷惑をかけているなあ。家庭の一員としては、ずいぶんわがままを言っていることになる、今回の転職です。

いずれにせよ、心機一転。原稿ばかり書いていた研究モードから、責任をもって学生を育てる教育モードへ。フィールドワーカーは、どんなところでも楽しんでしまう性癖があります。さしさわりのない範囲で、「大阪国際大学日記」を書いていきたいと思います。

なお、連絡先が一通り変わりました。新しい連絡先をご参照いただきますよう、よろしくお願いいたします。



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