AACoRE > Laboratories > Kamei's Lab > Index in Japanese
ILCAA
亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2010年6月

日本語 / English / Français
最終更新: 2010年6月27日
[←前の日記へ][今月の日記へ] [テーマ別目次へ] [月別目次へ][次の日記へ→]

■仮説検証恐怖症 (2010/06/27)
■「教職実践演習」とフィールドワーク (2010/06/23)
■日本野外教育学会での招待講演 (2010/06/19)
■1960→2010 (2010/06/15)
■文化人類学会2010@新座 (2010/06/13)
■米だけ研いどけ (2010/06/05)
■鳩山さん「5月末決着」の既視感 (2010/06/04)


2010年6月27日 (日)

■仮説検証恐怖症

同世代の人類学者たちと放談のようなことをする、気楽な研究会があった。「『仮説を立てて検証しなければ科学じゃない』っていう思い込み、変だよねえ」。そういう話で盛り上がった。

「科学の基本は、仮説を立てて検証することである」。このことは、実験系の自然科学分野のみならず、人文・社会科学でも、社会調査をする上でも、とにかく守るべき基本中の基本だとして唱えられ、教えられている。

「仮説検証」については、私にはいくつかの想い出がある。学部生のころは、「仮説検証」ということばに共鳴していた。詰め込み教育が批判され、「仮説実験授業」などが対抗的なアイディアとしてちょっとはやっていた時代のことであった。

やがて、実際にいろいろな調査に手を染めるようになって、「とにかく仮説を立てろ(立てればよい)」という方法論や教育を、だんだんと懐疑的に見るようになった。実際、私がこれまでに上げてきた成果のほとんどは、仮説など立てようのない発見型の研究である。「発見」という言い方がアフリカの人たちに対して失礼ならば、「最初の報告者」と言ってもいい。

「この人びと/言語/文化/できごとについては、世界でだれも言及していません。無視すべきではありません」

そういう、研究の前例のないテーマを見つけてきては、広く知ってもらうための報告にいそしんできた。「仮説を検証する」というのは、それだけで、小さなテーマに多くの研究者たちが群がっている「重箱の隅研究群」に見えてしまうことがある。

もうひとつの想い出。それは、ある研究助成のための最終選考の口頭試問の場面である。アフリカ諸国における現地調査の必要性を訴える私に対して、いかにも懐疑的なまなざしを向けていた面接官が、こう言った。

「君ね、アフリカに行くのもいいが、どんな仮説を検証するために行くのかね」

私は、もちろんそれなりに切り返したものの、内心では(仮説をちまちまと検証するような、間口のせまい研究計画しか選ばないわけか)とちょっと失望した。サルに社会がある、チンパンジーが道具を作るなど、革命的な知見ほど、仮説によらない研究から生まれている。

現地に行く前に、解くべき問題を想定していくのはよいだろう。しかし、その関連のデータだけ集めて帰るのであれば、行かなくたって結果が見えているようなつまらない問いである。むしろ、現地で柔軟に問いを立て、それを解きながら進めていくという、新しい科学のスタイルはできないものか。

仮説検証のスタイルを取らなければいけない、そうでないと実績として認めてもらえないとおびえ、他人にもそれを求めてしまう「仮説検証恐怖症」。少し、肩の力を抜いてみよう。「君の研究には仮説すらないのかね?」と侮蔑のまなざしを向けるような学術界ではなく、方法上の選択肢の多い学術界へ。そういう思いを同志たちと確かめることができた、おもしろいひと時。


2010年6月23日 (水)

■「教職実践演習」とフィールドワーク

職場の大学に、「教職実践演習」なる科目ができることになったらしい。ふーんと会議資料を見ていたら、なんと、教職免許を取りたい学生たちにフィールドワークをさせる、などと書いてある。これは、文化人類学者としては要チェック。

調べてみたら、4年くらい前にすでにそういう方針が出ていたことを知った。

「今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)」
2006年7月11日, 中央教育審議会

別添1 教職実践演習(仮称)について

2. 授業内容例
役割演技(ロールプレーイング)や事例研究、学校における現地調査(フィールドワーク)等を通じて、社会人としての基本(挨拶、言葉遣いなど)が身に付いているか、また、教員組織における自己の役割や、他の教職員と協力した校務運営の重要性を理解しているか確認する。

関連施設・関連機関(社会福祉施設、医療機関等)における実務実習や現地調査(フィールドワーク)等を通じて、社会人としての基本(挨拶や言葉遣いなど)が身に付いてるか、また、保護者や地域との連携・協力の重要性を理解しているか確認する。

主として「社会性や対人関係能力に関する事項」に関連

4. 授業方法等
「現地調査(フィールドワーク)」
ある特定の教育テーマに関する実践事例について、学生が学校現場等に出向き、実地で調査活動や情報の収集を行う。

ちょっと見ると、「あいさつやことばづかい」がちゃんとできるかどうか、社会人の基本を確かめるなどのためにやるらしい。そ、そうだったのか。フィールドワークは、つまり「マナーの練習」ということなのか。

[疑問1] こういうことを思いついたのは、どんな人たちなのかな。盛り込みたいと思って進めた人がいたはず。

[疑問2] 文化人類学者たちは、こういうところにちゃんと関わっていけるのかな。

文化人類学は、フィールドワークを生み出した老舗だが、この手のことに関わっているという話は聞いたことがない。

いえ、別に「老舗に一言の断りもなく進めるな」などというつもりはありません。別に、フィールドワークは家元制ではありませんから。ただ、もし老舗としてのプライドがあるならば、こういう時にぼんやりと指をくわえて見ている場合ではないよね、と思う。私たちの分野は、筋金入りのプロのフィールドワーカーたちをたくさんたくさん抱えているのだから。

文化人類学は、こういうところにちゃんと関わっていけるのかな。いや、関わっていくべきでしょうね。フィールドワークが、軽い手遊びのようにあつかわれてしまわないためにも。


2010年6月19日 (土)

■日本野外教育学会での招待講演

日本野外教育学会で、招待講演の機会をいただいた。初めて訪れる甲府市の、山梨大学へと向かう。

甲府駅を出ると、間近に迫る山やまが目に入る。私は長いこと京都に暮らしていたので、盆地の風景を見ると妙に落ち着くことがあるが、京都よりもずっと近くまで迫るこの甲府の山なみは、迫力があっていい。

日本野外教育学会は、「野外教育を学際領域として位置づけ『自然・人・体験学習』の3つのキーワードを柱とし」、「野外活動、自然体験、冒険教育、環境教育、森林・林業教育、博物学、自然解説、自然保護、自然療法、自然公園、自然を活用した観光や地域振興等に携わる実践者・研究者で構成され」ている学会。私がごあいさつできた範囲では、体育系の大学の先生たちや、青少年の野外活動に関わる機関・団体の方がたが多かったようだ。

今大会の実行委員長は、13年前にカメルーンの森のなかで初めてお会いした、野外教育をご専門とされる先生。そのご縁で、講演のお声がけをいただいた。おもに日本国内で活動される会員の方がたが多い中、アフリカの狩猟採集民の子どもたちの話にどれほど興味をもっていただけるものか。マイクの不調もあったので、得意の地声を張り上げて、200人の大教室で2時間の舞台をお務めしてきました(昔、少し落語をやっていたことが、意外にもこんなところで役に立つ)。

びっくりするほど多くの質問が、相次いで寄せられた。中には、「狩猟採集民の子どもたちの夢は何ですか?」「日本でもすぐにできそうな現地の遊びを教えてください」などといった興味津々のお尋ねもいただき、むしろ私の方が次の調査テーマを教えていただいたような気がする。教育学と文化人類学は、方法や目的が違うものの、現場を大事にするという意味でよく似ているのかもしれない、と思った。

アフリカの子どもたちを憐れみのまなざしで見るのではなく、むしろ、私たちこそアフリカの子どもたちの文化から学ぼう。そんなメッセージを、会場のみなさんとともに共有できたならば幸いです。

懇親会では、「今日の昼、近くの山で採ってきた山菜の天ぷらです」と、著名な先生がたが自ら包丁と菜箸を手にとってサービスするという、手作り感いっぱいのパーティだった。多くの方がたとお話しし、山梨名物の濁りワインと「ほうとう」をたっぷりいただいて、二次会のW杯「日本-オランダ戦」観戦に向かうみなさんにお別れを告げ、大阪への帰路に着きました。

ご招待いただき、まことにありがとうございました。

[関連書籍]
亀井伸孝. 2010.『森の小さな〈ハンター〉たち: 狩猟採集民の子どもの民族誌』京都: 京都大学学術出版会.
亀井伸孝編. 2009.『遊びの人類学ことはじめ: フィールドで出会った〈子ども〉たち』京都: 昭和堂.


2010年6月15日 (火)

■1960→2010

今日は、国会前のデモで樺美智子さんが亡くなって、ちょうど50年の命日だという。小さく、報道されていた。

1960年という年は、「安保闘争で政治が揺れた年」と記憶されていることが多いようだ。でも、実は、世界ではいろんなことがこの年に起きている。

・アフリカ諸国がいっせいに独立を果たした、「アフリカの年」。

・フランスが初めて核実験を行った年。しかも、アフリカのサハラ砂漠で。

・言語学者ストーキーが、アメリカ手話に言語の構造があることを発見した、手話言語学誕生の年。

・黒人ろう者牧師フォスターが、ナイジェリアに手話で教えるろう学校を作った年。

アフリカがフランスの植民地支配を脱したのと同じ年に、フランスが核保有国となった。アメリカで「手話が言語だ」という認識が生まれたのと同じ年に、アフリカでは着々と手話による教育の礎が形作られていた。文化人類学者としてアフリカの手話言語集団とのお付き合いが続いている私にとって、いろんな革命的なことが始まった年である。

その年から数えて、ちょうど50年。この半世紀で何が変わったか、そして、何が変わっていないのか。2010年は、ちょっと立ち止まって考えてみるよいチャンス。


2010年6月13日 (日)

■文化人類学会2010@新座

日本文化人類学会第44回研究大会が、埼玉県新座市の立教大学新座キャンパスで開かれた。ここには、私が立教大学の講師をしていた頃に、何回かおじゃましたことがある。志木駅から大学までのなつかしい道のりを、てくてくと歩いて会場へと向かう。

私は「人類学で/を豊かにすること: 人類学の拡張可能性を考える」という分科会の一員として参加した。文化人類学は、もっと大胆にいろんな分野に接していきましょう。すると、向こうさんにもインパクトがあるだけでなく、自分たちにもいいことがあるでしょう。つまり、情けは人のためならず、ということです(ちょっと違うか)。

 #だいいち、文化人類学なんてもともと雑種的な学問なんだから、という気楽さもある。

この数年間、自分としては畑違いだと思っていた国際開発分野の共同研究に参加していた。行った先の分野で文化人類学の技法や視点を提唱しながら、逆にいろいろと教えてもらうことも多かった。たくさんの「帰り道の手土産」をいただいて、再び文化人類学に戻ってきました。平たく言うと、そんな報告をした。

ろう者が手話言語学の研究をするとか、車いす使用の調査者が途上国の障害者の生活を調べるとか。そういうことがふつうに見受けられる私の周辺に比べれば、文化人類学の教育・研究のスタイルは、とても保守的に見えることがある。「描かれる側だけでなく、描く側ももっと多様に!」。そんな私のメッセージは、会場にどう受け止められただろうか。

そんな話題を振っていたためか、今回は「当事者/ネイティブ」ということにこだわりをもつ人たちとの、実りある対話が生まれた。

そもそも、外部の研究者が勝手に民族誌を書き散らしてきた時代があった。ついで、「いや、むしろネイティブが自ら調査して書くのがよい」という対抗的な視点が生まれた。で、それで終わっていいの? 外の人と中の人は、分断されたまま? 視点と役割を交換したり共有したりできない? どうすればそれができる? 批判し合うだけでは、疲れるだけでしょう? どこまで、何ができそう?

去年の日本手話学会の大会で、苦労しながら、二言語共存の企画(シンポジウムとか雑誌特集とか)をやりおおせた経緯などをぼんやり思い浮かべながら、議論を聞き、話の輪に加わっていた。

「ネイティブ」という立場について、文化人類学の主題としていっそうきちんとあつかうこと、しかも、なるべく思考停止にならないように気を付けながら対話を増やしていくことは、文化人類学のためのみならず、教育や開発、医療や福祉の分野にも、ボディブローのように効いてくるのではないか。まさしく、「人類学で/を豊かにする」ことができそうだ…。そんな直感を反芻しながら、家路についた。

[付記1] 今大会では、初めて若手の文化人類学者たちによる自由集会が開かれた。若手の交流を通した研究の活性化という面と、厳しい雇用環境をどう打開していくかという面、どちらをもあわせもつ、時宜にかなった有意義な試みだったと思う。

[付記2] 大学の近所にある、有名な「麺家うえだ」に寄ることができたのも、幸い。念願の「チーズ担々麺」を食べることに成功! ちょっと並んだけれどね。


2010年6月5日 (土)

■米だけ研いどけ

「米だけ研いどけ」。これ、最近の私のおまじないです。

最初の仕込みだけちょっとしておけば、後は物事が勝手に進んでいく。そういう種類の仕事がある。

「この大仕事は、まとまった時間ができたら始めよう、今は時間がないから」などと考えて、着手を後回しにしてしまうことがある。しかし、そうすると、すべてがずるずると後にずれこんで、何ひとつ進まない。そういう時につぶやくといいのが、「米だけ研いどけ」。

自分でやりたいことがあるけれど、方法が分からないから進まない。だったら、人に頼むだけ頼んでおこう。

明日、いろいろ写真を撮ることになる。それなら、寝る前にデジカメの充電だけしておくか。

何か提案しなければいけないけれど、さっぱり思いつかない。下手の考え休むに似たり、とりあえずキーワードだけメールで送ってしまい、後はまかせよう。

あらかたできた書類があるけれど、少しだけ未完成。どうせ何日も寝かせたところで、いいものになりようがない。未完成でもいいや、とにかく人に見せて意見を聞こう。

一面では、カンペキ主義を捨てる生き方を選ぶことである。しかし、考え過ぎて進まないよりは、わずかなきっかけだけでも着手してみて、後は他人の力と状況にまかせてみたほうがいい。そうすると、気付いたらご飯が炊けていることがある。

晩ご飯の予定を考えるために、朝から米を研ぐのはめんどうだなあ、と思ったことがある。ある日、米を研ぐのに実際にかかる時間を計ってみて驚いた。これしきの時間でぐだぐだ悩む暇があったら、「つべこべ言わずに米だけ研いどけ!」と、自分に対してそう思った。

最初に米だけ研いでおいて、後は「ケ・セラ・セラ、なるようになる〜♪」。案外、仕事というのはそういうものみたいです。


2010年6月4日 (金)

■鳩山さん「5月末決着」の既視感

普天間基地の移設問題。鳩山前首相は、「5月末までに決着」と、自分で期限を切った。そして、本人がそもそも望んでいなかった「日米合意」を受け入れ、社民党の連立離脱と自身の首相辞任の事態を招いた。

ん、どこかで見たことあるぞ、この風景。そういう既視感があった。それは、原稿の〆切をめぐる攻防。

「○月末までに」。これは、もっともよく見られる〆切のスタイルだ。「5月末までによろしく」と相手に頼むこともあるし、逆に「5月末までに、なんとかしますんで…」と自己申告することもある。

ふつうは「月末」「15日まで」などと、キリのいい日付で決めることが多い。だいたいは月末か、5の倍数の日になりがちである。「じゃあ、11日までに」「23日あたりには必ず」のようなこと、とくに5と31以外の素数の日を指定することは、ほぼありえない(それ自体、おもしろい現象だと思うけれど)。それから、いつもの感覚で「2月末にね!」と軽く約束して、2月はほかの月より短かったのだという事実をあわてて思いだすこともある。

「じゃあ、それは月末にね」「これもあれも、月末に」。安請け合いしていると、やがて同時期に多くの〆切が集中していることに気づく。自ら破綻を招くおそれが高まってくるのである。

月末〆切、自己申告、約束の破綻、離脱、辞任、更迭、内閣改造、再登板、そしてあろうことか「総辞職」も…。私の短い研究者経験のなかだけでも、〆切の攻防をめぐるいろんな事件があったなあ。本屋さんに並ぶ本にはぜったいに現れない、激しい「編集政局」の数かず。

鳩山さんは、まるで〆切に追われた物書きのように「5月末」を約束し、内閣の破綻を招いてしまった。どうにも他人事とは思えない、「月末〆切辞任劇」だった。

[付記] 与党は、閣僚候補の議員にスキャンダルの種がないかどうか、事前に「身体検査」するという。編者が執筆者を選ぶ時に、過去の事例をもとに「身体検査」情報がささやかれることがある。いやはや、組閣と編集は、本当によく似ていると思います。



矢印このページのトップへ    亀井伸孝日本語の目次へ

All Rights Reserved. (C) 2003-2013 KAMEI Nobutaka
このウェブサイトの著作権は亀井伸孝に属します。