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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2011年2月

日本語 / English / Français
最終更新: 2011年2月25日
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■『支援のフィールドワーク』校了! (2011/02/25)
■学術サロン守口 (2011/02/23)
■「アフリカ子ども学」の構想 (2011/02/21)
■ネアンデルタール漬けの3日間 (2011/02/20)
■研究者はしっかりと見られているよ (2011/02/15)
■森でカカオの実をしゃぶっていた頃の思い出 (2011/02/14)
■OIU教育日記 (6) 時間と労力を無にすることども (2011/02/06)
■OIU教育日記 (5) 留学生に課したふたつのおきて (2011/02/05)
■OIU教育日記 (4) 「好かれる上司」は参考になるか (2011/02/04)
■OIU教育日記 (3) 対象が先か、方法が先か (2011/02/03)
■OIU教育日記 (2) 大学のセカンド・オピニオン (2011/02/02)
■OIU教育日記 (1) 医者のような仕事 (2011/02/01)


2011年2月25日 (金)

■『支援のフィールドワーク』校了!

編著『支援のフィールドワーク: 開発と福祉の現場から』(世界思想社)が完成。今日、校了を迎えました。あー。疲れた。

きっかけは、3年前に刊行した『アクション別フィールドワーク入門』。この本の共著者たちと、読者として注目してくださった開発、福祉に関わる分野の方がたとで、意見交換が始まった。そして、日本福祉大学を舞台として共同研究が発足。いくつかの行事(たとえばこちら)を経て、本を作りますか!と機運が盛り上がった。

今回は、フィールドワークといっても、「調査」の色よりさらに現場での「支援」の色を強めた、実践的なフィールドワーク本になりました。といっても、「こういうふうに手伝ったらよい」という支援方法のマニュアルではありません。むしろ「こういうスタンスで支援にも関われるよ」という、かかわりの技法のマニュアルといったらいいでしょうか。

フィールドで銃撃されたり、便利屋さんにされたり、一緒に泣き笑いしながら、その全体がいつしか支援にもなっているという、そんなさまざまな光景を見ていただくことがあればと思います。

3年前に本を出してくださった京都の世界思想社に、再びお世話になりました。

校了の勢いで、先行宣伝サイトを作りました。

4月ころ、発売の予定です。みなさま、お楽しみに。以上、編著者拝。

[20110309追記]
関連行事のお知らせです。くわしくはこちら


2011年2月23日 (水)

■学術サロン守口

大阪国際大学には、「学術サロン守口」という月例の集まりがある。学内の教員有志が開いている研究会である。

ふだん、教員どうしが交わしている会話とは、委員会のこと、行事のこと、次年度計画のこと、入試のこと、予算のこと、学生対応のことなどなど。「教師として/大学運営担当者として」顔を合わせることはあっても、お互いを「研究者として」認知する機会はきわめて乏しい。

「耳学問でええやないか。おたがいどんなことしてるんか、いろんな話を聞こうや!」

気っ風のいい世話人の先生がたからお声がけをいただき、毎月の教授会の後の夕刻の集まりに、私も顔を出すようになった。

ふだん、カリキュラムやらオープンキャンパスやら、雑事の会話しかしていない同僚たちが、実は、英文学や博物館学の世界でまったく違った顔をもって活動していることを知る。小規模な大学だから、同じ専門の教員はほとんどいない。だからこそ、専門外の人にいかにおもしろく自分の研究を語ることができるか、かえって表現力が問われる舞台でもある。

次、だれ呼ぼか。あの人なんか、おもろいことしてるんちゃうか。

研究会の後、ビールで一杯やりながら、お互いの研究への関心が高まっていく。月1回の、研究者として勇気づけられる風景。


2011年2月21日 (月)

■「アフリカ子ども学」の構想

NPO アフリカ日本協議会(AJF: Africa Japan Forum)の機関誌『アフリカ NOW』90号 (2011年1月31日発行) で、「アフリカ子ども学の試み」の特集が組まれました。

この特集の巻頭言として掲載していただいた、私のマニフェスト「『アフリカ子ども学』の構想」を、同協議会のご快諾のもと、全文掲載して紹介いたします。

「アフリカ子ども学」の構想/A new concept in the studies on African childhood
 亀井伸孝/KAMEI Nobutaka
「アフリカ子ども学」ということを考えている。

「アフリカの子ども」というと、何を連想されるだろうか。「飢餓でやせ細った子ども」という代表的な印象のほかにも、「子ども兵」「児童労働」「誘拐」「性暴力/性労働」「高い死亡率」「HIV孤児」「女子割礼(性器切除)」「ストリートチルドレン」「就学率の低さ」などなど、ネガティブなことばをいくつも思いつくことができるだろう。

しかし、それは本当にアフリカで生まれ育つ子どもたちの全体像を示しているのだろうか。私は、現地に行って子どもたちと出会うたびに、そんなことを感じていた。

疑問点は、いくつかある。まず、いま列記した問題は、確かに現実の一部を言い当てており、どれも避けてはならない重要な問題である。しかし、それだけで「アフリカの子ども」のイメージがおおい尽くされてしまったら、何かが足りないと感じるのである。

また、ここに上げた課題とは、みなアフリカ内外の大人たちが引き起こした問題に関わることが多い。大人が原因を作った問題に巻き込まれた子どもたちの姿だけを取り上げて描き、「アフリカの子どもはこういうものだ」と再び大人たちが勝手に納得している、そんな図式が思い浮かぶ。

さらに、これらの問題が、先進諸国の数値との比較で語られがちなことも、気になっている。比べてみて差があったら、いつもアフリカは「教え導かれる役割」を負わなければならないのだろうか。

アフリカの子どものイメージについて「何かが足りない」と思ったとき、つい、ポジティブなイメージを付け加えようと、「かがやく瞳」「素朴な笑顔」「伝統を受け継ぐ従順さや器用さ」などが強調されがちだ。しかし、それらも本当の意味で、アフリカの子どもたちの姿を伝えているようには見えない。やはり、先進諸国との比較でしか、アフリカの子どもたちを描けていないからである。

アフリカは、人口の過半数が15歳以下という「子どもたちの大陸」である(決して「アフリカが子どもっぽい」という揶揄を込めているのではない)。アフリカを理解するためには、子どもたちの姿を学ぶことが必要である。それをしなければ、まるで主役を欠いた芝居のようではないか。

事件性の高い不幸な問題だけをつづりあわせるのではなく、まず、「アフリカに多くの、実に多くの子どもたちが暮らしている」という事実から出発するのはどうだろうか。そして、先進諸国との落差で理解するのではなく、アフリカの子どもたちをじかに理解しようとする試みがあってもよいのではないか。

子どもたちは日々何を食べて、どんな交友関係をもっていて、学校や仕事やお金のことをどう思っていて、周りの大人たちとどう付き合っているのだろう。ラクダを追いかけている子どももいれば、ツイッターで世界中に友だちを作っている子どももいるだろう。携帯も欲しいけれど、翌月の村のお祭りも楽しみにしているかもしれない。私たちは、子どものことを何も知らないのである。

冒頭にあげた子どもをめぐるさまざまな問題は、もちろん解決しなければならない。そういう意味で、アフリカの子どもたちへの支援は必要であるに違いない。しかし、相手のことをよく知らなければ、スムーズな支援などできないのである。アフリカの子どもたちを「教え導くべき対象」としてではなく、その地で生まれ育ち、その環境の中で生きている「対等なパートナー」として、理解と対話を進めていくのはどうだろうか。

このような視点で思いついた「アフリカ子ども学」。それは、アフリカの子どもたちに暮らしぶりを教えてもらいながら、よりよい理解と支援を考えていこうとする、アフリカ研究・実践の大きな柱のひとつであるに違いないと確信している。

亀井伸孝. 2011.「『アフリカ子ども学』の構想」『アフリカ NOW』(アフリカ日本協議会) 90 (特集「アフリカ子ども学の試み」): 3ページ.

こちらで、PDF版(カラー写真入り)を見ていただけます。
どなたでも、ダウンロードしてご覧ください。

このほか、この特集には、アフリカの子どもに関わる記事がたくさん集められています。関心のあるかた、どうぞお手に取っていただきましたら幸いです(特集のもくじ)。

・『アフリカ NOW』を講読されたい方は、こちらをご覧ください。
・アフリカ日本協議会に入会されたい方は、こちらをご覧ください。


2011年2月20日 (日)

■ネアンデルタール漬けの3日間

ネアンデルタール人は、なぜ現生人類(Homo sapiens)にとって代わられたのか。そこには、両種の間の学習能力の違いが関わっていたのではないか。

そういう仮説を検討する大がかりな共同研究が、2010年に始まった。

文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究・研究領域提案型)「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相: 学習能力の進化に基づく実証的研究」(領域代表者: 赤澤威 [高知工科大学総合研究所教授])。略して、「交替劇」科研。

タイミングがよかった。ちょうど私は、アフリカ狩猟採集民の子どもたちと一緒に遊びながら、日常生活と狩猟採集活動について調査し、それらを克明に記録した民族誌『森の小さな〈ハンター〉たち: 狩猟採集民の子どもの民族誌』を刊行したところだった。

「狩猟採集民の子どもの研究は、ヒトの学習能力の進化を明らかにする手がかりになるかもしれない!」

そう思いついた科研の代表者の先生が、私に連絡をくれて、研究分担者のひとりに入れてくださったのである。石器にも化石にも詳しくない文化人類学者の私が、「現生人類の遊びと学びについての知識を持ち寄る」という役割で、ネアンデルタール人絶滅の原因を探るチームに加わった。

この金、土、日と、神戸で、1年目の締めくくりとなる研究大会が開かれた。朝から晩まで、3万年前に滅びてしまった人類についての議論が続く。当事者であるネアンデルタールのみなさんをご招待することはできないから、現生人類たちだけで、ああでもないこうでもないと議論を重ねるのである。

ことばを話したか、歌を歌っていたか、道具製作を子どもに教えていたか、どんな遊びをしていたか、文化はどう伝承していたのか。何を捕り、何を食べ、どのように分かち合っていたのか。あれほど広い範囲で暮らしていた人たちが、滅びてしまった要因は何だろうか。

うーん。やっぱり、直接会いに行きたいなあ。見に行けないのが、たいへんもどかしい。タイムマシンに乗れば、一目で明らかになるというのに。

考古学、文化人類学、形質人類学、遺伝学などの専門家が集まって、遺跡、石器、化石の証拠から、シャーロック・ホームズのように多くのドラマを再現する。直接確かめることができないので、「隔靴掻痒」の思いもあるけれど。逆に、研究者の想像力が試される仕事でもある。

この学際的なお付き合い、あと4年間続きます。新しいネアンデルタール人たちの姿が浮かび上がってくることを、楽しみに。


2011年2月15日 (火)

■研究者はしっかりと見られているよ

(ある原稿に書き込もうかなと思って、長過ぎたから削除し、しばらくゴミ箱で眠っていた原稿のかけら。もったいないので、無料でこのへんに置いておくことにしよう)

「手話言語の研究は、おもしろい」。そういう見方が、耳の聞こえる研究者たちの間で流布し始めたように思う。そのこと自体は、けっこうなことだと思う。

ここで、「研究する側」にいるとつい忘れてしまいがちなポイントを、ひとつ指摘しておきたい。

聴者たちが手話の存在とおもしろさを「発見」し、それに注目し始めるはるか前から、ろう者たちは常に手話を話していた。これは、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を「発見」するより前から、アメリカ大陸に多くの人びとが暮らしていたのと同じことである。

今日、手話は学術界の新しいテーマとして、聴者たちの関心をひき付ける対象となりつつある。そして、手話という言語に対し、音声言語の世界にはない未知の魅力があるのではないか、そうに違いないというふうに、何らかのロマンを投影する聴者たちもいる。しかし、忘れてはならないのは、そのように手話に近づこうとする研究者たちの言動を、ろう者たちがしっかりと見ているということである。

私自身も、手話の調査を始めたころは、おそらく、そういうろう者たちのまなざしに気付いていなかった、気楽な訪問者のひとりであった。

私は、当初「研究対象としての手話」に関心をもって学び始め、やがていくつかの失敗を重ねながら、次第に「手話の世界の中に軸足を置いて発想する」スタンスをとるようになっていった。そうする中で、手話を話しながらろう者とともに行うフィールドワークの特性や、調査倫理、フィールドワーカーの立ち位置についても、だんだんと見えてくるようになったのである。そうなった後であらためて振り返ってみると、自分のそれまでの言動について、顔から火が出るような恥ずかしさを覚えることも少なくない。


2011年2月14日 (月)

■森でカカオの実をしゃぶっていた頃の思い出

特設のチョコレート売場で、店員に勧められた試食のチョコをかじりながら。

このチョコはフランスから、こっちはベルギーから。はて、原料のカカオの産地はどこだろう、コートジボワールかな、ガーナかな、それともカメルーンかな。お世話になった国ぐにと人びとを思い出す。

残念なことに、チョコレートに加工した国の名前は書いてあっても、そのもとになったカカオの生産地がどこなのかは分からない。そもそも、あんな寒いヨーロッパでカカオが採れるわけないではないか。フランスとベルギーは、ちょうどアフリカ熱帯雨林域を分割して支配した国ぐにだからなあ。どうりでチョコでも有名になるわなあ。なんだかなあ、ぶつぶつ。と、無料の試食をかじりつつ。

カカオには、思い出がある。カメルーンの森の中で暮らしていた時、子どもたちが時どき畑からカカオの実をくすねてきて、おやつにしていた。

チョコレートに加工するカカオの実の中身ではなく、それをくるんでいる白い柔らかな膜の部分を、あめ玉のようにしゃぶる。これがヨーグルトのように甘酸っぱくて、実にうまいのだ。

一度、カカオの白い膜の甘みをしゃぶる幸せを知ってしまったら、チョコレートのイメージが変わる。この幸せを知らない寒い地域のヨーロッパ人たちが、苦い実の部分に一生懸命砂糖を混ぜてこねくり回し、高い値段を付けて売っているのが、気の毒に思えるほどだった。それくらい、生のカカオの実の外側の部分は、感動的にうまいのである。

バレンタインデーでチョコレートをやりとりするのもけっこうだけれど。カカオの生の実をプレゼントする方が、格段にうまいし、喜ばれますよ。そんな粋なお店は、ないだろうか。


2011年2月6日 (日)

■OIU教育日記 (6) 時間と労力はどこへいく

腹が立つこと。

・何回言っても住所変更をしてくれない団体。腹が立つ。
・出した原稿を刊行してくれない編者。腹が立つ。
・成果をお蔵入りにする研究機関。腹が立つ。
・校正で指摘したことを反映してくれない出版社。腹が立つ。
・柳に風と、提案をやりすごす人たち。腹が立つ。

総じて、人の時間と労力と知恵とを無にすることどもが、許せない。まったく、こっちがどんな思いで原稿を書き、事務仕事をしてきたか、ちょっとは考えてほしいよな、とつぶやく。

さて。「教育」とは、教員が膨大な時間と労力と知恵を投入し、しかも学生からのリターンがあるかどうか分からない仕事である。しかし、これには不思議とまったく腹が立たない。なぜだろう。

正直言うと、ですね。教育の中で、教員の時間と労力が無になっていることは、多々あると思うんですよ。自分が教育を受ける側にいた頃のことを思い出せば、まあそんなもんでしょう。ずいぶん多くの先生方の労力を無にしてきたかなあと、率直に振り返る。

いま、教える側になって考える。もしかしたら無になっていないかもしれない、遠い将来、多少は何かの効果につながってくるのかもしれない、という根拠のない期待がある。

Teachers plant seeds that grow forever. 教師は、永遠に育つ種をまいている。

そんなことばが書かれた置き物を、私の妻(やはり教員)がもっていた。そんなかっこいいもんじゃないとは思うけれど。すぐにリターンがなくてもいいやと余裕をかましておくことこそ、長続きの秘訣なのでしょう。おもしろい一年でした。


2011年2月5日 (土)

■OIU教育日記 (5) 留学生に課したふたつのおきて

留学生の多い職場にいる。とくに、中国からの留学生が多く集まってくる。少子化を迎えた日本で、留学生受け入れに積極的になるというのも、ひとつの大学運営の風景である。

いちおう、みな日本語を習得してから入学するということになっているので、授業でもゼミでも、使用言語は日本語。もちろん、母語でない分だけ彼ら/彼女らにハンディはあるよな、ということは意識しているつもり。

もとより私は、アフリカを始め世界中で、ことばの違う相手と一緒に仕事をしてきたから、少々分からなくてもイライラしない。時間をかけてゆっくり聞き、話せばよいだけのことだ。そういうことをまったく苦にしない辛抱強さには、自信がある。

  #ちなみに、学力や知識の落差があっても、まったくイライラしない。相手に分かることばで話せばいいだけのことである。

一方、私が留学生たちに厳しく要求していることがふたつある。それは、「黙ってはいけない」「謝ってはいけない」のふたつ。

日本語がうまくないから、と、言いたいことを言わずに飲み込んでしまう留学生がいる。私は怒る。「黙ったらダメ、知っていることばを使って最後まで話しなさい」と厳命する。

何か言うと、すぐに「すみません、すみません」と謝る留学生がいる。「謝るな、堂々と主張しなさい」と言う。

日本語が下手な自分が悪い、言いたいことも言わずに済ませておこう。そういうふうに逃げていては、コミュニケーションは成り立たない。私がいかに辛抱強く聞き手になったとしても、本人が自分の発言を殺してしまったら、会話にも勉強にもならないのである。

私は、逃がさないよ。とことんまで聞くから。さあ、何が言いたい? 最後まで言いなさい。と、耳を傾けてじっと待つ。そのへんを適当にやり過ごすことをしない、がんこな教師。

つっかえつっかえで始まった会話が、しだいに雪解け水のように流れ出す。そう、それでいいんです。日本語の母語話者なんて、別にえらくもなんともないんですから、ね。


2011年2月4日 (金)

■OIU教育日記 (4) 「好かれる上司」は参考になるか

20近くも歳が離れている学生たちと、日々どうやってうまく付き合っていくか。大学院生だったら、放っておいても勝手にやるだろうけれど。大学院がない学部生教育中心の大学で働く上で、これはわりと欠かせない重要なポイントである。

私が去年までいた職場は、40〜60代といった人生の先輩たちばっかりの研究所だった。さらにその前の職場は、ほとんど毎日、大学院生や若手研究者だけと接する日々だった。だから、学部生との付き合い方のスキルを学ぶ機会はまずなかった。しかも、「大学の教員をそつなくこなす必勝法」なんていうマニュアル本はないんですね。

ぷらぷらとネットサーフィンしていて、ちょっと参考になるかもと思ったのが、「好かれる上司」の調査結果など。20代の新人社員たちは、係長や課長クラスの上司のどんなところに好感を持つか、という記事などがけっこうある。

ある調査での、上司好感ポイントの上位3つとは。

(1) 清潔である
(2) 落ち着いている
(3) 礼儀正しい

はあ、なるほどねえ。仕事ぶりとは関係なく、ただの印象レベルの軽い調査。でも、だからこそ異業種の私にも参考になったりするのかも。いちおう毎日、清潔さは心がけているつもりだけどね。

行事の提案や奨励、これも大事。口には出さないとしても、宴会や学外見学の好きな学生がいる。教員が軽く言い出しっぺ役を引き受けると、実現に向けた励みになるだろう。教員がしたいことを学生にやらせるのではなく、軽く選択肢を並べてみて、学生たちの興味と意欲に根ざした選択に任せてみるのだ。これで、私のところのゼミはずいぶんとにぎやかになった。

あと、これは大学特有かもしれないけれど、「研究室にお茶とお菓子を常備する」のは必須かな。この1年の経験から、そう思う。口の悪い先生は「学生の餌付けだ」なんて冗談めかして言っているけれど。いや、最近では、むしろ学生たちがいつもお菓子を持ってきてくれるようになった。餌付けられているのは、教員の私のほうかもしれません。


2011年2月3日 (木)

■OIU教育日記 (3) 対象が先か、方法が先か

「最近、卒論のテーマを変えたんです。うちのゼミで学ぶ調査方法では、やりにくい対象なので」

ある学生の言。あーそうか、それは残念だったね。

ゼミ選び、卒論のテーマ選びに悩む学生たちの相談をたくさん受ける。具体的な中身は伏せるが、私のゼミにいる学生に限らず、多くの学生たちと話をしていて全般的に感じたことをメモ。

基本的には、手段を問わず「知りたいことを知る」というのが研究の姿だと思う。学生の側に何かを知りたい!という知的情熱がまずあって、対象をねらい定めてから、それに適した調査方法を選ぶ。なるべく、そうありたいと思う。

でも、現実には、そううまくいかない。方法を教わってから、それでできる範囲で対象を選ぶということがしばしば起こる。アイディアがなくて困っている学生だったらそれでもいいけれど、何かを調べたいという意欲をもっている学生が、与えられた方法の制約ゆえに(とくに、担当教員が提示できる方法の制約ゆえに)、対象を変えなければならないというのは、実にもったいないことだと思う。

「そうかあ。ちょっと残念だったね。まあ、また話は聞くよ(笑)」
「はい!」

やっぱり、他の教員のゼミに所属する学生に対して、公然と口を出すのはやりにくい。しかし、その思いくらいは、いくらでも聞いてやりたいと思うのだ。


2011年2月2日 (水)

■OIU教育日記 (2) 大学のセカンド・オピニオン

医者にかかったとき、主治医の意見を聞くほかに、別の医師の判断をあおぐという「セカンド・オピニオン」が、最近では行われるようになってきた。

公費で高額のものを買う時は2社以上から見積を取ったり、さらに大きな公共事業であれば競争入札を行ったり。比べながらベストな選択肢を決定するというのは、分野によらず広く行われている。

さて、大学。ある教員の指導の下にある学生は、ほかの教員の意見を求めることがあってもよいでしょうか。

私は、「当然OK!」と広言している。選択肢が多ければ多いほど、情報が増えて研究はしやすくなるだろう。だから、他の先生のアドバイスをもらっといで、お礼はちゃんと言いなさいよ、と学生たちを送り出している。

大学で教鞭をとっている教員のみなさん、どう思われますか? やっぱり、学生は自分の指導に従ってほしい、と強く願うのかな。または、学生の好きにすればいいという放任主義だろうか。

大学教育を、教員主導のイメージでとらえていると、学生はその配下にあるというふうに見える。でも、学生の権利というイメージでとらえるなら、むしろいろんな教員の知識を活用することが推奨される。

大学の教育を考える時、医療はやっぱり参考になるなあ。と思う日々。


2011年2月1日 (火)

■OIU教育日記 (1) 医者のような仕事

大阪国際大学(OIU)に着任して1年。ちょうど後期の授業が終わって、ほっと一息。はじめて本格的に大学教育に関わるようになったこの1年間を振り返って、ネタをいくつか書いてみます。

後期になると、学生の1年の成果をまとめる〆切が多い。そのため、個別指導をすることが増えてきた。学生ひとりひとりの研究テーマについて進捗状況を聞きながら、助言したり添削したりする。

学生には「何曜日の何時」と予約を入れてもらう。研究室にひとりずつ呼び入れて、話を聞く。

「はい、○○さん。で、その後の様子はどう?」

なんか、医者みたいな仕事だな、と思った。

苦しいところがあれば、どんな訴えでもじっと聞くし、悪いところがあれば、その場で処置したり、自分で対処する方法を教えたりする。メスではなく赤ペンで。薬ではなく本や情報で。大学での研究指導というのは、「ことばによって何かを治す仕事」なのかもしれません。

毎日毎日、朝から夕方までこういう来訪者が続いたので、研究室の作りも変えてしまった。

 (私)□
□□□□□
(学生)

長机をカウンターのように配置。これはけっこう使いやすかった。

(コンコン)
「はーい。次の方どうぞー」

ほんとに、医者状態なんです。



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