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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2011年3月

日本語 / English / Français
最終更新: 2011年3月31日
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■大阪国際大学を辞するにあたって (2011/03/31)
■東北大学からの電話 (2011/03/28)
■メガバンクを停めた義援金 (2011/03/25)
■あなたならどんなゼッケンを付けますか (2011/03/24)
■名刺の大掃除 (2011/03/19)
■「あえて沈黙する」という協力のしかた (2011/03/18)
■困難な状況だからこそ日常を守ること (2011/03/16)
■2011年3月11日14時46分 (2011/03/11)
■日本福祉大学ワークショップ「『場』から拓く支援とフィールドワーク」 (2011/03/09)
■社会花粉学 (2011/03/06)
■『手話の世界を訪ねよう』川村中学校の入試問題に出題 (2011/03/05)
■共同研究と冷蔵庫 (2011/03/04)


2011年3月31日 (木)

■大阪国際大学を辞するにあたって

大阪国際大学 大阪国際大学人間科学部心理コミュニケーション学科に、任期付きの准教授として迎えていただいたのが、ちょうど1年前の春。このたび、一身上の都合をもちまして、この大学の職を辞することとなりました。

「常勤職、ただし任期あり、再任あり」

募集の条件を見て、私は首を傾げていた。いったいどういう意味なんだろう。でも、非正規雇用の研究員ではなく、大学の教員であることにはちがいないのだから。

福岡出張中に面接連絡のお電話をいただき、雨のそぼ降る秋の夕暮れに、びしょぬれになりながら面接に出かけ、忘れもしない2009年のボジョレー・ヌーヴォー解禁の日の夕方に、採用内定の第一報のお電話をいただいた。

なにせ、博士号を取得してから教員の職に就くまで「8浪」した私ですから。うちでぜひ教えてくださいと初めて言ってくださったこの大学には、とても恩義を感じている。お引き立てくださいましたみなさまに、あらためてお礼申し上げます。

もっともうれしい思い出は。ゼミ生、とくに2回生たちが、短期間に集中して立派な独自研究を仕上げ、見事な発表をしてくれたときの成長ぶりを目の当たりにしたこと。思わず、目を細めて見守ってしまいました。

もっともつらい思い出は。「先生のゼミに入れてください!」という学生たちの申し出をすべてお断りして、他大学に移るという事情を説明しなければならなかったこと。本当につらかった。学生のみなさん、ごめんなさい。

もっとも思いつきで楽しんだ仕事は。学科広報小委員会の委員として、Twitter広報部を作ったこと。こういうの、好きなんですよ。

もっとも残念だったことは。雇用期間が限定されていたがゆえに、太く長い人脈を着実に築いていく機会につながりにくかったこと。

そして、もっとも勇気づけられたことは。私立大学を取り巻く厳しい現状のなかにありながら、学問的な関心と意欲の旺盛な、議論好き(+酒好き)の同僚たちに恵まれたこと。

明日からは他大学に移るものの、もう1年間は、非常勤講師としてこの大学に通うこととなった。受け持っているゼミ生たち6人が卒業論文を仕上げるまで、私はここの大学の教育に責任をもっている。すべてを「思い出」として振り返るのは、まだ早いのだろう。

さて、気持ちを切り替えて。明日からは、愛知県内の大学に勤務です。


2011年3月28日 (月)

■東北大学からの電話

今日、東北大学に務める知人の教員のかたから、お電話をいただいた。

I「今年の夏にお願いしている、集中講義の手続きの件ですけれども…」

私「…あのう、ご無事でしたか」
I「はい。避難はしましたけれど、大丈夫」

先方が大変だということは、当然分かっている。通信回線も限られているなか、半年先の仕事の約束のことなどをこちらからあわてて確認するのもためらわれる日々だった。私は東北大学のホームページを見たりしながら、大学の様子を静かに見守っていた。

私「じゃあ、講義は予定通り実施ということですね」
I「ええ、いちおうそういう方向で事務も動いています」

まだまだ、長く厳しい道のりが続くだろう。しかし、着実に日常を取り戻そうとしている息吹を感じることができた。こちらも、変に気負わず、舞い上がらず、平常心できちんとした授業の準備をして、仙台を訪ねよう。

何てことない平凡な事務連絡こそ、最もうれしい便り。そんなことを、今日思った。


2011年3月25日 (金)

■メガバンクを停めた義援金

大震災直後に起きた、みずほ銀行の大規模なシステム障害。私も口座を持つ客のひとりなので、ささやかな不便があった。

当初、みずほ銀行は、このシステム障害と震災との関わりを否定していた。しかし、実はその引き金となったのが「義援金口座への振り込み集中」だったことが明らかになる。メガバンクを機能不全に陥らせるほど集まった義援金とは、いったいどんなものなのだろう。こんな話、初めてである。

巨大災害が起きた時、私は、周囲が衝動的に善意で動き回ることは勧めないという立場をとっている。専門性と責任が伴っていない人たちの行動やことばやモノがあふれ返ることで、かえって現場の救援に支障がおよぶことがあるからだ。ボランティアそのものは否定しないが、非専門家はその善意をあわてて振り回さない方がいい、むしろ長く穏やかな関わりに活かした方がいいと考えている。

(こういうときは、個人がジタバタしたってしかたない、黙って募金しよう)

そんなふうに思っていた。でもね。今回のようにみんなが黙って募金だけしていても、それをいっせいに行ったら、やはり社会的混乱のもととなることが分かってしまった。

どうすればいいでしょうか。まさか、節約を呼びかけるわけにはいきませんからね。

(1) 義援金口座を分散させる。「月曜日生まれの人はこちらの口座へ!」「うお座の人はこの口座」など。

(2) 呼びかけ時期を分ける。「関西の方は、偶数の日に振り込んでください」など。

(3) 給料日まで待たせる。たとえば、所得税と同じように、義援金の給料天引き制度を作る(寄付金控除の手続きも自動的にできると楽かもしれない)。

うーん。とりあえずの心得として、どなたも、1週間くらい様子を見てからゆっくりと行動に移すことにしましょうか。支援のための熱い思いは大切にしながらも。別に、急ぐだけが能ではありませんものね。


2011年3月24日 (木)

■あなたならどんなゼッケンを付けますか

震災のボランティアに入る人は、得意分野をゼッケンに書こう、という呼びかけをしている人たちがいる。これは、とても示唆深いと思う。

「できますゼッケン」

・自分で「○○ができます」と書き込まなければならない
・ゼッケンを付けた人は、それを見た人びとによって選ばれる
・お互い、相手は何ができるかを知り合うことができる

支援とは「善意のお届け」なのではなく「機能の組み合わせ」なのだ、ということがよく分かる。もっとも、どんな機能をどう組み合わせるかは、人と状況によって千差万別ではあるけれど。だからこそ、表示しておくことが必要なのでしょう。

思考実験であっても、自分なら何を記入できるかと考えてみることは、とても大事な経験になると思う。

(そして、それは実は災害復興支援にとどまらず、日常の社会生活や、組織のなかでの自分のとらえ直しにもなっているはず)

さて。あなたならどんなゼッケンを付けますか。被災地で。学校で。交友関係の中で。そして、今の職場で。


2011年3月19日 (土)

■名刺の大掃除

「1年たったら名刺を捨てろ!」という教えがある(「1年たったら名刺を捨てろ!: 非常識な人脈構築術」web R25, 2011年3月4日)

そんな記事を見たもんだから、思い立って、この10年間ほどたまりにたまった名刺の大掃除をした。

私は、基本的に『「超」整理法』の野口悠紀雄さんの方法にならっていて、とにかく日付を入れて時間順に並べるというもの。10年間の人脈が、地層のように、時間順におびただしく堆積している。ただ、その中のほとんどの人脈が限りなく薄れてしまっていることが分かると、若干へこみますね。1枚ずつめくり、その時どきにそれなりの形でいただいたご縁に感謝しながら、シュレッダー処分をしました。

名刺管理は、みなさんいろいろと頭を悩ませるところらしい。以前、電気屋で、名刺をスキャンして何百枚もの情報を蓄積できる機器を見たことがある。しかし、ねえ。私の傾向から考えたら、情報をためるだけでほとんど見なくなると思うから、「名刺コレクター」でないかぎりこれは要らないと思った。それに、連絡先はしょっちゅう変わるから、後生大事にため込んでいても、あまり意味がないんですよね。

それよりも、「Dater」という、日付をその場でスタンプできる名刺入れがあって、こっちのほうが楽しそう。時間順配列の「超」整理法にもぴったりではないか。

今後も、名刺を通じた数かずのご縁に恵まれますように。あれこれ考えながらの、年度末大掃除の風景のひとこまです。


2011年3月18日 (金)

■「あえて沈黙する」という協力のしかた

1年ほど前だったろうか。踏切事故に遭いかけたお年寄りを助けたことがある。

(カン、カン、カン、カン…)

目の前で遮断機が下がっていくのをぼんやり見ていたら、自転車を引いていたおじいさんがもたついて、踏切の中に閉じ込められてしまった。あわてふためくおじいさん。私はとっさに自分の自転車を放り投げ、遮断機を片手で持ち上げて、おじいさんと自転車をぐいっと引っ張りだした。何秒かして、電車が高速で走り抜けていった。

はあ。何事もなくてよかった。目の前で流血の惨事など見たいとは思わない。おじいさんは丁重にお礼を言って、去っていった。

知人でも家族でもない人であっても、だれかが目の前で困っていた時、思わず人助けをしたいという衝動に駆られることがある。人類史上、多くの人命を救ってきたであろう人間の「利他行動」。それ自体は否定するべくもない。

しかし、それがマスメディアで何万倍にも増幅されてしまった場合、ちょっと話が違ってくるように思う。

大震災の様子が、毎日メディアで報道されている。何百万人、何千万人という視聴者や読者のもとに困窮の光景が届き、全国各地、はては世界中の人びとに「人助け心」を発動させている。

そうすると、何が起こるか。激励と心配の電話が役所や団体に殺到して、回線がパンクする。よかれと思ってメールやツイートの情報を転送し、流言が広まる。現地で役に立たない物品が山ほど送りつけられ、被災者と救援者を困らせる。災害についてよけいな論評をして、困難な状況にある人たちをいっそう疲れさせる。「気持ちはありがたいけれど、今はやめてほしい」被災地の人たちも、正直にそのように言っている。

私も、ニュースに接すると、今こそ何かしなければという衝動に駆られそうになる。しかし、そこでぐっとがまんする。衝動で動いて、情報と通信量と荷物の数を増やし、電気と資源と時間と労力とインフラをムダに使わせるのは、かえって迷惑だろうから。こういう時、「あえて沈黙する」という協力のしかたがあってもいい。

必要とされているのは、交通網の復旧、必需品の輸送、生活情報の提供、原子炉の制御など、私には直接できないことばかり。それを専門としない者が関心を寄せるのであれば、静かに専門家の業務を見守り、そして黙って寄付をしようではないか。突発的な行動よりも大切なのは、おそらく「長期的な復興に付き合い続けること」。つまり、その後も飽きないで見守り続けられるかどうかであるだろう。

困難に接した人を、とっさの判断で救う行動に出る。これは、対面的な場面ではきわめて有効だ。しかし、大増幅されたマスメディアの情報に一喜一憂するというのは、似て非なることだと思う。だから、私はニュースを見ながら、毎日がまんを続けている。無用な動きで救援のじゃまをしてはならない、と自分に言い聞かせながら。

大地震発生後1週間の日に、黙祷を捧げつつ。

[20110325付記]
このことを考える上でヒントになるページ:
日本財団会長笹川陽平ブログ「タイガーマスク現象始まる」(2011年3月15日)
Shuhei Kimura's website「東北関東大震災に対して、人類学者ができるかもしれないこと」


2011年3月16日 (水)

■困難な状況だからこそ日常を守ること

今日、3月16日は、日本福祉大学の名古屋キャンパスで、新刊『支援のフィールドワーク: 開発と福祉の現場から』(世界思想社)という本の刊行記念行事を行う予定でした。

しかし、東日本における大震災、それにともなう交通の乱れ、さらに、行事の前日深夜の静岡県での地震発生と新幹線運休などを受けて、公開ワークショップは延期としました。おもに名古屋、京阪神の集まりやすい人だけで集い、小研究会として討議の時間をもつにとどめました。

この困難な状況のすぐ近くで、「支援」をテーマとした議論を行うとは。何という重い課題でしょうか。

小研究会に先立って、来場者全員が起立し、亡くなられた方がたのご冥福と、困難な状況にあり続けるみなさまの無事を祈るための黙祷を捧げました。その後に、小研究会の冒頭の趣旨として、私が読み上げたメッセージの一部をご紹介します。

解題: 困難な状況の隣で「支援のフィールドワーク」を考える

 亀井伸孝
 大阪国際大学教員/日本福祉大学アジア福祉社会開発研究センター・客員研究所員

【困難な状況だからこそ日常を守ること】

新しい編著書『支援のフィールドワーク: 開発と福祉の現場から』の刊行に合わせた小研究会「『場』から拓く支援とフィールドワーク」を始めます。本書の共編者のひとりである私から、今日の小研究会および編著書の趣旨の説明をしたいと思います。

はじめに、たいへん困難な状況の中、また、交通や日常生活にさまざまな支障がおよびつつある中、お集まりいただいた登壇者、参加者のみなさまに、あつくお礼申し上げます。

大災害の被害の大きさが次第に明らかになっていくそのすぐ隣で、「支援」を主題とする本の刊行を発表する、あるいは、そのための行事を行うということは、ある意味で気が重いことです。「そういうことをしている場合か」という呵責を感じないでもありません。

しかし一方で、全員が全員、ニュースの動きに同調して同じ行動をとるということを、自他に求める必要もないでしょう。たとえば、患者は、医者や家族、友人が同じ病気になることを求めてはいないはずです。また、アフリカで最も苛酷な戦争のひとつであったと言われているビアフラ戦争の戦火と飢餓の中、あえて社交パーティを催してその気概を示し続けた、ナイジェリアのイボ人たちの誇り高い姿勢に見習いうることもあるでしょう。

奇妙な自粛の空気にわが身を委ねてしまうことは、言い方を変えれば、自らの不作為を周囲や状況のせいにすることでもあります。このような時こそ、自ら判断することを捨て去らず、あえて平常心を保つことにも意義があるでしょう。TwitterなどのSNSは、この状況で大変有用な情報網として機能している反面、多くのユーザーが状況に言動を委ねてしまい、デマや流言、そして、善意から発した無用な情報の嵐を生んで、被災者および現場の救援者にとって大きな負担となっている面も指摘されています。

まずは、私たち一人ひとりが自分の日常を確かに固め、付和雷同ではない形で、それぞれの立ち位置から支援のありかたを考えていくということを、ご来場の各位に、そして、何よりも自分自身に対して、訴えていきたいと思います。(…)


2011年3月11日 (金)

■2011年3月11日14時46分

14:46。私は、ちょうど都内の町中の雑踏にいた。金曜日の午後、平日のうちに済まさねばならない事務仕事を片付けるための、外回りの最中だった。

郵便局のATMで、国際開発学会の年会費1万円を(けっこう高いなあ…)などと思いながら振り込み、その後、街を歩きながら、携帯電話に入っている留守電に気づいて、メッセージを聞き出そうとした。あまりに街の喧噪がうるさいので、近くの雑居ビルの1階の共有部分に入り、静かなろうかで留守電の声に耳を傾けていた。

あれ、めまいかな。

足元がふらついたと思ったら、若い男性ふたりが猛スピードでビルから駆け出していった。ん、何ごと? 大地震だと気がついた。地面が波のように揺れ、それがやまない。通りを見ると、ビル、電柱、看板がぐらぐらと大揺れに揺れている。

これは危ない。私はとっさにかばんを頭に乗せ、ビルの1階部分の屋内で立ちすくんでいた。揺れが止まらない、止まらない。息が止まりそうだった。

びっくりしたのは、ビルから大勢の人たちが外へ出てきて、路上でぼんやりと立ちすくんでいたことだった。それは逆に危ないでしょうと、人ごとでなく思った。

やがて、揺れがおさまった。なぜか分からないが、その間中、私はずっと携帯電話を耳に当てていた。留守電の再生は、とっくに終わっていた。

大揺れが止まった後の町中。会社員、学生、コンビニ店員、バーのお姉さん、買い物客、銀行員、牛丼屋の店員。いろんな服装をしているものの、すべての役割をかなぐり捨てた人たちの群れを見た。みんなぼんやりと立ち尽くし、携帯を握りしめ、なぜか上の方を見ていた。服装にふさわしいふるまいをしていたのは、おそらく警察官だけだった。

ガラスの破片が散り、階上から水漏れがするビルの間を通り抜けて、駅へ向かう。しかし、電車はすべて運休。タクシー乗り場には長大な列ができていた。そこへ再び、余震が襲う。手で頭を抱え、上からの落下物に注意しながら、徒歩で神奈川の自宅まで帰り着いた。

あ、しまった、さっきの留守電の用事を今日中に片付けないと。メッセージを聞き直そうとしたが、もう通じなかった。携帯電話はおろか、自宅の固定電話もインターネットも通じない。テレフォンカードを握りしめて、公衆電話を求めて徒歩でさまよい歩く。住み慣れた自宅近くの環境が、一瞬にしてすべて自分に敵対するものになってしまったように見えた。

公衆電話に並んで、電話をかけまくる。日暮れ時に各所を歩いて訪ね回り、何とか本日厳守の用事を片付けることができた。こういうとき、携帯電話は本当に頼りにならない。二度と使わないだろうと思っていたテレフォンカードだが、1枚だけもっていてよかったと思う。

地震の震源が東北の沖合であったこと、大津波で大変な被害が出ているらしいことを、晩のテレビニュースで知った。

晩。大地震に余震を伴わせた創造主は、あまりにむごいと思う。ぐらぐらと、眠れない夜が続く。


2011年3月9日 (水)

■日本福祉大学ワークショップ「『場』から拓く支援とフィールドワーク」

【おことわり-1】
3/16 (水) 日本福祉大学ワークショップ「『場』から拓く支援とフィールドワーク」の開催を延期します

このたびの震災およびそれに関連する交通の乱れなどの状況を受け、3/16 (水) に予定していた以下のワークショップの開催を延期することといたしました。開催日につきましては、後日あらためてご案内いたします。みなさまにごめんどうをおかけしますこと、おわび申し上げます。(2011/03/16)


【おことわり-2】
本行事については、「公開ワークショップ」としての実施を取りやめ、開催形態を「小研究会」に切り替えて、集まることができた人たちによる討議を行いました。(2011/03/17)


【以下、元の日記】

新刊『支援のフィールドワーク: 開発と福祉の現場から』(世界思想社)の完成に際し、下記の公開ワークショップが開催されますので、ご案内いたします。どなたでもおこしください。

日本福祉大学アジア福祉社会開発研究センター
公開ワークショップ:「場」から拓く支援とフィールドワーク
『支援のフィールドワーク』出版記念

■開催概要

日時: 2011年3月16日(水)13:00~17:30
場所: 日本福祉大学名古屋キャンパス 北館8階
参加費無料

■事前申し込み

こちらのサイトをごらんください

■趣旨

開発や福祉の支援現場では、経済的貧困、高齢、障害といった対処すべき問題を構造化することで、対象となる「被支援者」がきまる。しかし実際の現場では、一人ひとり個性をもった私たちが、さまざまな出会いの中で、一方が他方に支援するといった単純な関係では説明しきれない場面に日常的に直面している。

そのようなダイナミックな支援現場での経験を経たフィールドワーカー達が、人々のありのままの文脈を深く理解しようとすることと、人々のよりよい人生に向けてどのような支援の可能性があるのかということを、ひとつところで考えることに意味があるのではないかという思いを共有し、『支援のフィールドワーク: 開発と福祉の現場から』(小國和子・亀井伸孝・飯嶋秀治編、世界思想社、2011)が編まれた。舞台は、占領下のパレスチナからタンザニアや日本の農村、そして児童福祉施設まで多岐にわたるが、そこには共通の視点--支援関係の新たな地平を模索すること--がある。

支援という営みが起こる場面と人びと全体を眺めわたし、描くことで、支援という行為とそれによって生まれるもろもろの関係を見つめ、とらえ直すきっかけを探りたい。それがひいては、支援関係における隘路から抜け出し、新たな可能性を柔軟に花開く手がかりになれば--、それが本ワークショップの登壇者を含む、著者たちの願いである。

本ワークショップでは、執筆陣によるメッセージの発信を新たなスタートとして、「フィールドワークを含みこむような支援実践」と「支援からみえるフィールドワーク」の可能性について、参加者の皆さんと広く意見を交わしたい。

■プログラム

◆挨拶と主旨説明 13:00~13:20
「主催者挨拶」穂坂光彦(日本福祉大学)
「解題」亀井伸孝(大阪国際大学)

◆個別報告 前半 13:20~14:20
「ネパールの被差別カーストの運動に寄り添う」中川加奈子(関西学院大学)
「チリの開発プロジェクトでの偶然の出会い」内藤順子(日本女子大学)
「渋川のおばちゃんたちが挑む地域づくり」辰己佳寿子(山口大学)

(休憩)

◆個別報告 後半 14:30~15:45
「ブルキナファソ農村の女性グループとともに」浅野史代(名古屋大学大学院)
「タンザニア農村の一時漂泊者」黒崎龍悟(福岡教育大学)
「支援のフィールドワークを深めたい人へ」白石壮一郎(関西学院大学)
質疑・応答

(休憩)

◆総括コメントと会場討論 16:00~17:30
「場から拓く: 支援実践とフィールドワークそれぞれの可能性」
司会: 小國和子(日本福祉大学)
「コメントと問題提起」清水展(京都大学)
「コメントと問題提起」中田豊一(参加型開発研究所)
全体討論
まとめ

■新刊書籍紹介

『支援のフィールドワーク: 開発と福祉の現場から』
小國和子・亀井伸孝・飯嶋秀治編
京都: 世界思想社, 2011年


2011年3月6日 (日)

■社会花粉学

毎日、つらい、つらい。何なんですか、連日のこの花粉量は。

いつも思うんですよ。「花粉症で苦しむこと」は、私個人の問題なのだろうか、と。

「国を訴えたい」
「全国の杉林を何とかしろ」

そういうことを、まじめに考えている人たちがいるという。杉林保有者から税金(花粉税)を取れという人もいる(「経済気象台: スギ花粉の外部不経済効果」『朝日新聞』2011年2月26日)。

そうか、花粉症は個人の問題ではなく、社会の問題だったのだ(「花粉症の社会モデル」と言います)。

「花粉症の問題は、鼻の中にではなく、鼻の外にある」
「すべての鼻炎的なことは政治的である」

「社会花粉学」(ソシオパリノロジー sociopalynology)、できるでしょうか。

同志もとむ。はくしょん(> <;)


2011年3月5日 (土)

■『手話の世界を訪ねよう』川村中学校の入試問題に出題

拙著、岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』が、私立川村中学校(女子校のようです)の国語入試問題に出題されたそうです。関係機関から、問題同封でご連絡をいただきました。拙著をご活用くださり、どうもありがとうございます。

「入学試験という性格上、事前にお知らせすることなく利用させていただきましたが」と、お礼が書かれていました。まあ、それはそうでしょうね。入試問題の漏洩で大騒ぎの昨今ですから。事後連絡でけっこうでございます。

世の中には、自分の文章が試験問題などに使われることを好まない著者というのがいるんだそうだ。文章の字句の改変を望まないとか。でも、改変しなければ、穴埋め問題や漢字書け問題は作れませんしねえ。

内田樹さんは「そんなに真剣に自分の書いたものを読んでくれる読者は求めて得がたいと思う」と、試験での活用を大歓迎(『街場のメディア論』光文社, 2010)。私もそう思う。12歳くらいの若い読者たちに、ただで本のイントロの紹介をしてもらえるのだから、こちらからお願いしたいくらいである。将来、興味をもってくれる読者に育ってくれるかもしれないではないか。

もうひとつ、読んでもらえたのが小学生たちだったということが、私にとって何よりの勲章だった。読みやすい日本語だと思っていただけることは、私の願いなので。

試験中、がんばって読んでくれたみなさん、どうもありがとう。以上、著者拝

[関連日記]
■『手話の世界を訪ねよう』四谷大塚の小4国語問題に出題 (2009/12/01)


2011年3月4日 (金)

■共同研究と冷蔵庫

共同研究は、冷蔵庫の買い置きの食べ物と似ている。

「一緒に、○○のテーマで研究会をやりましょう」

お誘いをいただき、研究者たちの間でいろいろとご縁ができる。もちろん、ありがたいことである。財源があるときも、ないときもある。3人くらいの小さな集まりもあれば、数十人の大所帯もある。

私の悪い癖は、「共同研究と称して集まったからには、そのネタと時間をムダにするまいぞ」という、ケチくさい根性がわくことである。かくして、じゃあその集まりで学会発表をしようか、雑誌の特集をしようか、いっそ本を作ろうかといった話になる。私は、そういうふうに旗を振る側に回ることがある。

知的成果と人脈をムダにしないという意味では、効率のよい話。しかし、逆にそれが束縛にもなる。その仕事をやり終えないと、ものごとが片付いた気がしないからだ。それが、「冷蔵庫の買い置きの食べ物で晩ご飯のおかずを考えるときの心境」によく似ている。

「あの豚肉とキャベツと卵、今日中に使ってしまわないと…」

共同研究を成果にまとめあげる仕事は、そんな感覚に近い。

資源を使い切ろうというケチくささゆえに、自分がそれに縛られる。それが窮屈に感じられることもしばしば。でも、できあがってみれば満足いくものになっているし、それで次のステップに進むこともできるだろう。

当面、この「冷蔵庫使い切り感覚」を大事にしようと思います。やっぱり、ネタは新鮮なうちに使ってしまわないとね! そのほうが、お客さまにも喜んでいただけるでしょうから。



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