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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2011年6月

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最終更新: 2011年6月30日
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■やりたいことは1年目からやろう (2011/06/30)
■出る杭は、打たれた後にどうなった (2011/06/24)
■縦長ゼミの極意 (2011/06/16)
■はじめての「学生自主企画研究」の応援 (2011/06/14)
■住所変更をしてくれない組織 (2011/06/09)
■文化人類学会で分科会「支援のフィールドワーク」開催します (2011/06/08)
■「ゆかたビズ」でいこう (2011/06/05)
■国際開発学会2011春季大会@JICA研究所 (2011/06/04)
■長久手古戦場の近くの職場 (2011/06/03)
■ウメサオタダオ展 (2011/06/02)


2011年6月30日 (木)

■やりたいことは1年目からやろう

教員と学生との間には、いろんなズレがある。毎日、学生たちのおしゃべりを浴びるように聞きながら、違いをいくつか体感しつつある。

いま、私にとって一番気になっているズレとは、「時間感覚の違い」である。

「今年の学年はこうだったけれども、次の学年からはこうしよう…」

教員たちが、こんな感覚で物事を考えることがある。教員にとっての学生とは、長い在職期間に繰り返される日常の一部だから。しかし、学生たちにとっては、人生で一度しかないキャンパスライフなのである。

時間感覚の違い。私はこのことの重大さを、任期付き教員としていくつかの大学を転々としていたときに、よく感じていた。

2〜3年という期間限定で、大学に雇用される。短いけれどもお世話になっているのだから、よい大学/部局になってほしい。そんな思いで、いろいろな提言をし、意見も言った。多くの教職員たちはまじめに聞いてくれたが、任期のない人たちとの間に埋めがたい時間感覚の違いも感じていた。

「そうですね、その件は長期的に取り組みましょうか…」

進展がないまま任期切れが迫り、私は他大学へと転出した。そういうことが何度かあった。「時間をもたざる者」の力量の限界と悔しさを、そのつど感じていた。だからこそ、学生たちの「先生、早く実現してよ!」という思いは、私の心にずしりと響くのである。

「時期尚早」「ちょっと様子を見てから」「また落ち着いたら」「徐々に慣れてから」…

何かをしない理由は、いくらでも作れる。しかし、それを言っていても何も得るところがないということも、経験上よく分かっている。だから、これが私のおまじない。「やりたいことは、すべて1年目からやろう」。

いま、1期生のみなさんとワーワーしゃべりながら、新しい学科を少しずつ作っている。伝統を作る特権を持っているのは、ほかならぬ目の前のこの学生たちなのだから。

新学科に着任して、3カ月が終了した日に。(たった3カ月かあ、もう何年もいるような感じがします)


2011年6月24日 (金)

■出る杭は、打たれた後にどうなった

(0) 杭が出る

(1) 出る杭は打たれる

(2) 出過ぎた杭は打たれない

(3) さらに杭が出過ぎたら、あわてて地面がせり上がってくる

(4) しからば、杭はまた出る

(5) 出る杭は、ふたたび打たれる

(6) もちろん、出過ぎた杭は打たれない

(7) さらに杭が出過ぎたら、またもやあわてて地面がせり上がってくる

(8) 杭はみたび出る

(以下、くりかえし)

心配ないよ、みなさん。オリジナリティあふれる行動が、奇異に見られるのは最初だけ。先人たちから、私はその勇敢さを学びました。


2011年6月16日 (木)

■縦長ゼミの極意

あるベテランの教授に、ひとつ教えを請うた。それは、縦長(異学年混在)のゼミの運営の極意である。

「大学のゼミの3回生と4回生、どういう関わりにして運営されていますか?」

ある大企業の人事部長を経験されたこともあるその教授の方法は、こういうものだった。

(1) 春はまず3回生の歓迎会をし、4回生を指南役にして(★)合同のゼミをする(3回くらい)
(2) その後、学年を分ける
(3) 初夏に頃合いを見て、3回生だけで宴会をする(★)
(4) 夏の4回生の卒論中間発表を、3回生が見学する
(5) 夏休み、両学年合同の合宿
(6) 秋は、また学年を分ける
(7) 冬、4回生の卒論発表会を3回生が準備し、卒業生を送り出す

この人材コントロールの術。とくにあざやかなのが、(★)あたりだろうか。つまり、4回生に経験者としての自覚を促しつつ、3回生が萎縮してしまわないような仕掛けを作っている。これは、すごい。

同じゼミの中に上回生がいると、身近にお手本があるというよさはある。しかし、逆に3回生が自由に発言したり提案したりできないということ(「目の上のたんこぶ」現象)が起こりうる。「文化の継承」と「自由な変革・創造」の両方を同時に奨励するためには、どうするか。人間社会全体の課題にも通じるようで、人類学的な関心もついでに満たしてしまうテーマではないか。

「両学年を、くっつけたり離したりする」というやり方、おおいに学ぶところがあった。

新設学科なので、今は1期生のみでゼミをしている。しかし、来年は2期目がゼミに入ってくる。まずは、ベテランのマネをしてみて、徐々にカスタマイズしていこうと思います。この教えを請うことができたことは、幸いでした。


2011年6月14日 (火)

■はじめての「学生自主企画研究」の応援

愛知県立大学には、「学生自主企画研究」という制度がある。学生グループ(3〜10人)の自主的な研究を奨励する、審査付きの競争的資金。つまり、学生版の科研費のようなものである。

着任直後の4月、この制度があることを知った私は、すぐに学生たちに勧めて回った。私自身、研究費と仕事と出版のチャンスを求めて長年さまよい続けてきた人ですから。もたもたしているうちに、こういうチャンスが逃げていくのを見るのは耐えがたい。こういうのは、思いつきでも何でもいいから出すことを考えてみたらいいよ。だれか出したい人、いませんかー?

〆切が迫ってきたある日、思いがけずノックの音。「あのー、私たち応募してみたいんですけど、どうしようかなって思ってまして」。

ああいうテーマ、こういうテーマ、このメンバーなら、あんなことできるかな。いろいろしゃべってくれるのを、とにかくひととおり聞いてみる。私は、何も加えない。うんうんと、あいづちを打つだけである。

最近、イスラム教徒の留学生も増えているけど、食事ってどうしてるのかな。学食のメニューが宗教的に食べられないものばかりだったら、困るんじゃない? そういうことに配慮している大学の学食もあるらしいけど、実際はどうなんだろう。じゃあ、見に行ってみる? せっかくだから、食べてみて写真撮ってこようか。うちの大学でも、そういう対応がちゃんとできたらいいよね。

「あ、それおもろいね! 社会に提言もできるし。応募してきたら?」

やると決まったら、早いもの。「グローバル社会に求められる宗教的多様性への配慮: 大学食堂調査を中心に」という研究計画書があっという間にでき上がり、一次の書類審査と二次の公開ヒアリングを通過して、あれよあれよという間に研究費を獲得してしまったのである。すごいすごい。意欲とアイディアはあるが、きっかけを求めて迷っているという人たちがいたら、とにかく背中を押すに限る。うん、勧めてみて正解だった。

「おめでとう。やっぱり出してよかったねえ」
「ほんとに」
「じゃあ、まず祝賀会しようか」
「するするー!」

宴会から入るというのも、また大事なことである。今日は、企画採択の祝賀会。しかし、ただの飲み会ではない。さっそく今週中に質問票を作成して、郵便での広域調査を始めるという。そのためのアイディア交換の場でもあった。この仕事の早さといったら。

正式に「アドバイザー」役の教員として、この自主企画研究を応援することになった私としては、課外にゼミがもういっこ増えたような、楽しげな予感がしている。

それにしても。着任してわずか1カ月あまりの時ですよ。海の物とも山の物とも分からない新任教員をつかまえて、よくぞ相談を持ちかけてくれたものだ。選んでもらった教員の方が、お礼を言わねばという気になっている。

これから、学生たちが関係各位に調査のお願いなどをすることがあろうかと思います。どうぞ、温かく見守ってやってくださいまし。以上、アドバイザー教員拝。

[関連リンク]
「平成23年度 学生自主企画研究第二次審査合格者名簿」(PDF) (愛知県立大学教育研究センター, 2011年6月2日)

[20110629付記]
学生自主企画研究のブログが開設されました (2011/06/24)。
「グローバル社会に求められる宗教的多様性への配慮: 大学食堂調査を中心に」


2011年6月9日 (木)

■住所変更をしてくれない組織

この4月から2カ月以上にわたって、私はある見えない敵と闘ってきた。その敵とは、「住所変更をしてくれない組織」の数かずである。

1回目。
「4月に転居/転職しましたので、住所やメールアドレスの変更をお願いいたします」
丁重に送る。

これで変更してくれず、古いほうに送り続けてくる組織がある。

2回目。
「先日お願いした通り、(以下同文)」
すでに通知したことを知らしめつつ、もういちど丁重に送る。

それでもなお変更してくれず、古いほうに送り続けてくる組織がある。

3回目。
「これで3回目です。至急変更願います。これ以上、時間のムダをさせないでください。(以下同文)」
今回は、いらだちをもろに出して、送る。

それでもなお変更してくれず、古いほうに送り続けてくる組織がある。それは、実在するのである。

4回目。これを出すかどうか、私は考え込んでしまう。こんな事務能力がない組織などとは、縁を切ってしまいたくなるからだ。

3回目くらいで、担当者から平謝りの返事が来たら、まあ許してやるかと思うこともある。一方、一言も謝らず、遅ればせながら変更しましたという報告すらしてこない組織もある。いったいだれの会費で給料もらってるんだ、あんたは、と思う。そんなところに、他人の個人情報を管理する資格はないと思う。

はたして、何が問題なんだろう。担当者の性格か。仕事の熟練度の低さか。組織内の教育の問題か。技術や予算の制約か。報告や連絡の習慣がないのか。内部事情はよく分からない。まさに「見えない敵」である。でも、私にとっては内部事情などどうでもいいのだ。

私の悪い癖は。「そんなに仕事ができないなら、もう私にやらせてくれ!」という気持ちがわき上がってしまうこと。いやいや、そうやって自ら仕事を増やすのは、やめておきましょう。

類例として、「要望しても、ウェブサイトの古い情報を更新してくれない組織」も大嫌い。世界中のお客さんに見ていただいているという意識がないんでしょうね。困ったもんです。そんなところにも、やはり、他人の個人情報を管理する資格はないと思います。


2011年6月8日 (水)

■文化人類学会で分科会「支援のフィールドワーク」開催します

今週末、東京で開催される日本文化人類学会の大会で、分科会「支援のフィールドワーク: 「研究/実践」の二分法を超えて」を行います。

これは、新刊『支援のフィールドワーク: 開発と福祉の現場から』の共著者たちによる分科会。この本の共編者のひとりとして分科会を代表申請し、発表者全員がぶじに査読を通過して、開催できる運びとなりました。

日曜日の朝。多くの参加者たちにとっては「二日酔いタイム」かもしれませんけど。キリッとした緊張感とともに、きちんと務めたいと思います。

興味とお時間のあるみなさま、どうぞお運びいただきましたら幸いです。

■分科会「支援のフィールドワーク: 「研究/実践」の二分法を超えて」(代表者: 亀井伸孝)

日本文化人類学会第45回研究大会
2011年6月11日 (土) -12日 (日)
法政大学市ヶ谷キャンパス(〒102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1)
分科会発表Ia(6月12日(日)9:00~11:55 I会場(外濠校舎S505 番教室))

□亀井伸孝(愛知県立大学)
「支援のフィールドワーク: 「研究/実践」の二分法を超えて」
[キーワード]支援のフィールドワーク; 研究; 実践; フィールドワーカー

□清末愛砂(島根大学)
「聞き取ってしまったものの責任を支援につなげる: 占領下のパレスチナにおける非暴力運動にかかわって」
[キーワード]出会い; 衝撃; 目撃証人; 応答責任; 立ち位置

□飯嶋秀治(九州大学大学院)
「「暴力」に直面した時: 理解と抑止の狭間で」
[キーワード]暴力; 現場; 支援; 文化相対主義; 生成的文化観

□小國和子(日本福祉大学)
「「支援」を日常的実践に近づける: カンボジアにおける農村開発現場の事例から」
[キーワード]支援のフィールドワーク; カンボジア; 制度化された問題; 日常的実践

□浅野史代(京都大学)
「ねたみの構造と支援の関係: ブルキナファソ農村の女性グループの事例から」
[キーワード]ブルキナファソ; 女性グループ; 支援; ねたみ

□清水展(京都大学東南アジア研究所)
「成り行き、巻き込まれ、コミットメント: ピナトゥボとイフガオの経験から」
[キーワード]支援; ピナトゥボ; イフガオ

#全員の発表要旨の詳細は、こちらで見ることができます


2011年6月5日 (日)

■「ゆかたビズ」でいこう

環境省が、「スーパークールビズ」というのを提唱している。

原発事故の影響で、夏の電力不足が予想されるため、これまでの「クールビズ」よりもさらに略装を認めてしまって、電力消費量を抑えようというねらいであるらしい。

襟なしシャツはいいとか、短パンはだめとか、ノースリーブは会社によって分かれるとか、ごちゃごちゃ言っている。暑さと省エネの前では、服装はもうかなりどうでもいいということになってきたらしい。

ここまでタガが外れたのなら、ということで、かねてから思っていたアイディアをひとつ公言することにしよう。

「みなさん、夏はゆかたで仕事しませんか?」

そもそも、高緯度地方の寒い季節を基準にしたスーツを着て、暑さに耐えるために膨大なエネルギーを使うなんて、ばかばかしいことこの上ない。そのために原発をさらに作り、健康被害のリスクに耐えなさいというのは、本末転倒に見える。

むしろ、原発どころか、発電所すらなかった時代の服装文化の知恵に学んだらどうだろう。ということで、ゆかた。

ゆかたが、花火と縁日の時に女性が着るというだけのものになっているのは、惜しいと思う。男性だって、キリッと帯を締めて仕事をしたら、かっこいいと思いますよ。Tシャツをダラッと着るより、ぜったいにいい。

ひとりでやると変人にされてしまうかもだけれど。3人くらい同志がいたら、マジでやってみたいと思います。


2011年6月4日 (土)

■国際開発学会2011春季大会@JICA研究所

国際開発学会の、第12回春季大会に参加した。もともと埼玉大学での開催が予定されていたが、震災と停電といろいろあって、JICA研究所に会場を変えての開催である。今回は私は発表せず、情報収集と転職あいさつが主たる目的の参加である。

午前、セッション「途上国開発に関する議論の特殊性と普遍性: 知の囲い込みを超えて」。「開発業界での議論が閉じていること」「閉じたまま知識や経験が伝承されずに消えていくこと」のふたつの危惧が読み取れた。

私は、どうしても文化人類学業界と比べながら話を聞く。前者であれば、もっと雑種的な業界を目指したらいいし(というか、もともと雑種的だと思うが)。後者であれば、それは伝承するほどの知識・経験なのかを、途上国の人たち(=しばしば「語られる側の人びと」)をまじえてわいわい議論すればいいと思う。

開発研究においては珍しく、自己批判的な分科会。自己を検証する議論が出てくるのは歓迎、ただし、自己批判的なことをブツブツ言い続けて、それ自体を一種のなりわいとしてしまうような、文化人類学の二の舞だけはしないほうがいいと思う。と会場で発言した。通じたかな。

午後、セッション「『開発教育』と国際開発学」。途上国を含む世界のことを、日本の児童、生徒、学生にどう教えていくか。教材、授業実践、行事、学校間ネットワーク、課外活動、いずれも具体的で、「国際関係学科」に就職したばかりの私にとって、大いに参考になった。何人かのキーパーソンにお会いできたのも収穫。あれこれやりたくなってきました。

共通論題「東日本大震災と国際協力: 大震災が国際協力・国際開発研究に突きつけたもの」。パネリスト、発言者ともに真摯な討論で、頭が下がる思いであった。

印象的な発言を、箇条書きで。

・「NGOも、自衛隊アレルギーなどと言っている場合ではない」
・「日本は、東北でどんな開発をしてきたというのか」
・「日本は、今後もODAで途上国に原発を作っていくのか」

提言と実行の学会である。これも、私は文化人類学業界と比べながら聞いていた。


2011年6月3日 (金)

■長久手古戦場の近くの職場

小田原育ちの私にとって、子どもの頃から、豊臣秀吉は敵だった。

北条早雲公が一番豪快で立派な武将だ、と小学校で教わった。もし小田原攻めで秀吉が敗退していたら、小田原が日本の首都になっていたに違いないとまじめに思っていた。江戸なんて、家康が北条氏亡き後の空き地をもらい受けただけではないか、という歴史観である。「小田原評定(ひょうじょう)」ということわざが悪い意味で使われているのを辞書で見つけ、ちょっと悲しい思いをしたこともある。これは勝者の見方だ、と。

その後、大阪に転職した。秀吉のお膝元である。なんと、大阪城の天守閣がよく見える住宅に住んでいた。ここが敵の本拠地かい、などと天守閣に向かってつっこんでみたりした。

で、今の職場が長久手町である。家康が秀吉を敗退させた因縁の地。私はちょっと複雑である。秀吉が負けたという意味では痛快だが、家康も小田原の役では秀吉側に付いて、北条氏から関東を盗っていったやつである。どっちもどっち。まあ、主敵は秀吉だから、その敵の家康側に加勢しておくか、などと適当に考える。

『プリンセス・トヨトミ』という変わった小説/映画が流行っているらしいけれど。もしこの世のどこかに、北条氏の末裔による「相模国亡命地下政権」があったりしたら、私は思わず資金援助してしまうかもしれない。

各地の郷土史の中に秀吉の姿がちらつくたびに、私の心の底に、ふだんは忘れている「小田原=北条史観」がよみがえる。高校野球でどこを応援しようかなというのにも似た、さして根拠のない、熱意もない、浅はかな帰属意識。でも、どこかに軽い帰属意識があった方が、少しだけおもしろくなる。それだけの話。

実は内心では北条氏の加勢をしていることなど、おくびにも出さず、毎日、長久手古戦場の脇を通って職場に通っている。


2011年6月2日 (木)

■ウメサオタダオ展

ウメサオタダオ展 国立民族学博物館(民博)初代館長であった、民族学者・梅棹忠夫氏(1920-2010)。その人物と業績を紹介する特別展「ウメサオタダオ展」が、民博で開催されている。大阪での仕事のすき間時間を使って、足を延ばしてきた。もうじき会期が終わってしまうのを前にした、駆け込み観覧である。

没後に遺された、膨大なノート、カード、スケッチ、写真、著作の数かずが展示されている。よく分かったのは、梅棹氏がおそるべき収集魔、整理魔だったということ。ノートや写真、切手のほか、つまらない領収書や、訪問先で飲んだ酒のラベル、何月何日にだれに会ったというような人物情報にいたるまで、すさまじいまでの几帳面さで記録、整理、保管し、そして使いこなしていた様子が、遺品からよく分かる。

実は、彼は幼い時に作っていたノートやアルバムの頃から、そういうことをしていたのだとか。やっぱり、こういう性格は、一朝一夕で身に付けようと思ったってムリなんだなあ。私のような凡人が半端にマネしたって、三日坊主になるだけだろう。「整理のしかたをまねよう」というよりも、「どうせ変わらないそれぞれの性格、生涯大事にして活かすのがいい」という教訓に見えた。

もうひとつ興味深かったのは、彼が旅先でマメに原稿を書いていたことである。ガタガタ揺れる車の中で、ひざにタイプライターを置き、車の揺れに合わせてキーを叩いては、ローマ字日本語で実況中継のようなメモを書いた。帰国した後、そのメモがほぼそのまま、漢字かなまじりの形で本になっていった。

何かを体験した時、印象が新しいうちに渦中で書いてしまうのが、やはり一番いいのだろう。今の時代だったら、梅棹氏は必ずやツイッターのヘビーユーザーになって、世界各地の旅先から、何やら怪しげなつぶやきを書き散らすに違いない(ローマ字で)。

彼が遺した膨大な著作は、この収集・整理癖と、分かりやすい文章での旺盛な発信癖の、両方が出会ったところで生まれたのだ。世界には知るべきこと、語るべきことがまだまだ多い。その仕事術には、たいへん勇気づけられる。

故人のことばを著作から抜き出し、会場中にちりばめて解説文とする展示の作り方。生前の梅棹氏をよく知る民博の小長谷教授の、柔らかいツッコミをまじえた解説。とても楽しかった。

全部ではないとしても、ダイジェスト版を作って、全国巡回展をしてくださらないかなあ。フィールドワークや社会調査法の勉強の一環として、学生たちに見学を勧めたいと思う。

会期は、6月14日(火)まで。見逃しているみなさま、ぜひ足を運ばれるとよいと思います。



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