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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2012年1月

日本語 / English / Français
最終更新: 2012年1月31日
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■2012年1月のまとめ日記 (2012/01/31)
■「本から人へ」の模様替え (2012/01/11)
■名古屋: 途中下車からようやくホームへ (2012/01/08)
■卒論完成合宿@OIU (2012/01/07)
■長久手町が長久手市になりました (2012/01/04)
■日本狩猟採集大学 (2012/01/03)
■女子力とか、ナントカ力とか (2012/01/02)
■頭に金運のお正月 (2012/01/01)


2012年1月31日 (火)

■2012年1月のまとめ日記

・自主企画研究の終了
・研究室で鍋パーティ

今年度のいろいろが終わっていく季節。


2012年1月11日 (水)

■「本から人へ」の模様替え

20120111改装 研究室の模様替えをした。

左が、これまでの部屋。入ってすぐに本棚がずらり立ち並び、多くの蔵書を納めることができる「図書館タイプ」の部屋だった。

これは、実は私による仕様ではない。昨春にこの大学に転職してきたとき、入れ代わりで退職された先生がいた。お顔も存じ上げないその方の研究室を備品ごとそっくり相続し、改装する時間もなかったので、とりあえずそのまま使い続けて、9カ月が経った。

「この部屋、みんなで集まりにくいですよ」
「せまいから、話しにくいし」

やがて、学生たちが集まる場所になり、ちょっと不便を感じるようになった。4月からは2期生たちもゼミに入ってくるから、部屋を広く使えるようにしておかないと。図書館タイプではなく、茶飲み部屋タイプにしよう。

備品の寸法を採って、Adobe Illustratorで作画。マウスでカチカチと動かしながら、本棚はこっち、机はこっち、戸棚をこう回してこう置くかな、などと、空想上の模様替えをする。これはおもしろかったね。楽だしね。

よし、これでいこう。設計図に従って、本日、大掃除を決行。現ゼミ生のうちの3人、4月からのゼミ生内定者6人、院生のボランティア2人、みんな総出で本の移動をし、机と本棚と戸棚を動かし、掃き掃除をした。右が、リフォーム後の研究室。

「コンクリートから人へ」という民主党のキャッチコピーにならうならば、「本から人へ、書庫から茶飲み部屋へ」。本の置き場所も大事だけれど、私は、人の居場所の方が大事だと思う者である。研究室は教員の個室ではなく、学生たちの場所なのだから。

広くなった空間でみんなでテーブルを囲んで座り、ドーナツをかじってお茶をした。そう、それが私の求めていた空間。周到な計画と、みんなでえいっと作業する勢い。どちらも大切ですね。

みなさん、今日はおつかれさま。

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2012年1月8日 (日)

■名古屋: 途中下車からようやくホームへ

私の人生の半分は関東(東京、神奈川)、もう半分は関西(京都、大阪、兵庫)。東海道新幹線の両端で長らく暮らしてきて、とくにこの10年くらいは新幹線ではげしく行ったり来たりの年月が続いた。

だから、昨春はじめて名古屋に住むことになったとき、どうしても名古屋で「途中下車する」感触がぬぐえなかった。名古屋圏の人にはたいへん失礼な見方だけれど、これまでの私の生活慣習から言って、やはり名古屋駅は通り過ぎるところだったのである。

名古屋を拠点にし始めてから、大きく変わったこと。それは、「新幹線のなかでまとまった仕事がしにくくなった」。これまでは「京都-新横浜」がちょうどたっぷり120分。この時間を、何かを片付ける時間の単位としてよく使えていた。

しかし。名古屋を発って関西へ、関東へと移動するとき、時間が半端な感じで、作業の腰を折られる気がするのだ。「名古屋-京都」なんて、わずか30分強である。弁当広げて、食べ終えて、携帯でメール見てたらもう着いてしまうくらい。関東方面はもう少し余裕があるけれどね。

ようやく、最近のことである。大阪から、東京から、名古屋に「帰る」感触が生まれてきた。まれに、大阪から東京にまっすぐ移動するということがある。「あ、今日は名古屋で下りないのか」と感じられるようになった。やっと、ホームの意識が浸透してきたのかもしれない。

リニア新幹線が開通したら、東京も大阪も完全に通勤圏になるな。そうなったら、またホーム感、アウェー感が変わるのだと思う。でも、短時間過ぎて、いっそう車内で仕事をしなくなるような気もしている。

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2012年1月7日 (土)

■卒論完成合宿@OIU

まなうどん 大阪国際大学4年のゼミ生たちと、「卒論完成合宿」をした。

場所は、奈良県吉野郡下北山村の合宿施設「きなりの郷」。この施設とご縁のあるゼミ生が紹介してくれて、2泊3日のカンヅメ勉強会を敢行したのである。

大学のゼミの合宿というと、「どうせ半分は遊びやろー」という見方もあるかも? でも、誓って言いますが、今回は本当に勉強しかしなかった。全員、ありったけの資料と蔵書とノートパソコンを持ち寄って、会議室に朝から晩までこもりっぱなし。何時間もぶっ続けで、カタカタと原稿を打っていく。

執筆が一区切り付いたところで、私は順番にデータを受け取り、プリントアウトして赤ペン添削。真っ赤になった原稿を返して、再度格闘。これを3日間続けたのだ。

以前の日記で、「大学教員は医者に似ている」と指摘したことがあるけれど。今回は、たとえて言えば「入院患者たちとともに、集中治療室に詰めている」かな。ほんと、そんな感じだった。

え、そんなことなら、ふだんの大学でもできるって? でも、腹のくくり方がぜんぜん違いますよ。都会の喧噪と誘惑のない静かな山村で、バイトも何もまったくしないで、論文のことばかり考える。いいですよ、自分の研究のためにもやってみたい、と思わされたね。

最終日、合宿施設から最寄り駅まで車で送ってもらう帰路の途中に、村の神社に立ち寄った。全員の論文のぶじの完成と卒業を祈願し、池のコイに餌をやった。今回の合宿で唯一の、わずか15分のレクリエーション・タイムであった。

「もう少しでゴール。今日は帰って休んで、明日の朝からまたがんばりやー」。駅で解散した。

で、合宿の目的は達せられたのでしょうか。卒論完成「間近」になったのは確かだね。あと少しだけ、奮闘の日々が続きます。

※写真は、下北山村名物「まなうどん」の定食

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2012年1月4日 (水)

■長久手町が長久手市になりました

長久手市発足 今日2012年1月4日、勤務先の愛知県立大学の所在地である長久手町が市制を施行、「長久手市」となりました。

(旧)〒480-1198 愛知県愛知郡長久手町大字熊張字茨ヶ廻間1522-3 愛知県立大学
(あいちけん・あいちぐん・ながくてちょう・おおあざ・くまばり・あざ・いばらがばさま)

「なんだ、このお経のような住所は?」とよく言われていました。 今日から、大学の住所はこう変わります。

(新)〒480-1198 愛知県長久手市茨ヶ廻間1522-3 愛知県立大学
(あいちけん・ながくてし・いばらがばさま)

「茨ヶ廻間(いばらがばさま)」という難読の地名は残っていますが、だいぶ短くなってすっきりしました。「愛知郡」「大字」「字」といった味わいのあることばは消えていきます。

実は、

(略)〒480-1198 愛知県立大学

で、郵便はちゃんと届くんですけれどね。そう言ってしまったら、実もふたもないので。

新市制、新住所とともに、よろしくお願いいたします。

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2012年1月3日 (火)

■日本狩猟採集大学

箱根駅伝で東京農大のランナーをぼんやりと見ていた、正月休みの昼下がり。ふと、疑問が浮かんだ。

全世界、全国に、農業大学や農学部/学科がある。
畜産大学や畜産学部/学科もある。
水産大学や水産学部/学科もある。

しかし、「狩猟採集大学」「狩猟学部」「採集学部」といったものは聞いたことがない。なぜだろう。

人間の生業は、もともと狩猟と採集だった。自然界の動植物を直接取って使うという暮らし方である。また、海辺や湖沼の近くに暮らした人びとは、漁撈も生業とした。やがて、狩猟採集民たちの一部が、栽培植物や家畜に依存する暮らしに転じていった。農耕や牧畜の開始である。このことで、人間の文化と社会はたいへん大きな変化を遂げたとされている。

「農学部は何のためにある?」
「そりゃあ、人間の食を確保するために大事だからさ」
「だったら、同じように食を確保する、狩猟や採集の専門大学があったっていいじゃないすか」

…ないよねえ。

なぜ、ないのだろう。狩猟・採集は、学問に値しない知的レベルの低い活動なのだろうか。そんなことはない。野生の動植物に関する詳しい知識と技術がなければ、自然の中で食べていくことは絶対にできない。

狩猟・採集は多様すぎて、知識として体系化しにくいのか? それを言うなら、農業だって言語だって気候だって政治だって、多様なものばかりではないか。多様だからこそ、学問が豊かになるというものである。

私の仮説は、「生業が帯びた使命が違うのではないか」というものだ。農業は、人間が操作する栽培植物が相手。常に増産を目指すべしという使命を帯びて、たゆまず改良を続けるプロセスのなかにあるように見える。一方、自然のなりゆきに依存する狩猟と採集は、「いかに多く取り尽くすか」ではなく、「いかに適度に取って後を放置するか」という発想にあるだろう。だから、大学を作って投資して、がしがしと研究して後進を育成しなければならないのは、農業の方。

かくして(?)、狩猟採集大学というのはまだない。だから、文化人類学者の一部が細々と調査するにとどまっているのである。

私が大学を作っていいなら、「狩猟採集大学」を作るかもしれないね。「日本狩猟採集大学・狩猟学部・狩猟学科・ワナ猟専攻の卒業です」とかね。いい感じです。北極圏から熱帯雨林まで、世界中の狩猟採集民に教授となっていただき、授業のほとんどはフィールドワークと実技演習。季節にあわせて移動しながら、現地で家作りから何からをすべて学ぶ。座学はなし、教科書もなし、すべては口頭伝承と直接観察。卒業論文の代わりに「卒業成果」を一頭しとめてきて、みんなで肉を分配して卒業式!

そんな大学が、世界にいっこくらいあってもいいのでは?^^

正月休みくらい、ほろ酔いで空想の大学を創ってみてもいいだろう。箱根駅伝、農大がんばれー!

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2012年1月2日 (月)

■女子力とか、ナントカ力とか

「女子力」とか、それに似たナントカ力って、最近多いですね。

(1) 「女子力」って、何? ファッションとかメイクとか料理とか? さらには、段取りができるとか気配りができるとか? 人によって、そこに込める意味が違うみたい。でも、女性だけでなく、男性に必要なこともけっこうあるんじゃないのー。とくに、ご飯作るとかはね。あえて「男子力」と呼ぶほどのことはないけどね。

(2) 「女子力」と言われることの中身は、だいたい、古典的な「女性らしさ」の規範に沿っていることが多いみたい。もっとも、さらに事例を集めてみないとはっきりしないけどね。

(3) 昔だったら「女らしくしなさい!」という規範の強要で済まされていたことが、今は「女子力を上げよう!」と、個人単位の能力や意欲で語られるんだね。自発性を期待されて、それはそれでしんどいねえ。

(4) これ、「婚活」ということばがでてきた経緯と似てるよね。昔だったら「つべこべ言わずに、適齢期には結婚しろ」で済まされていたことが、個人の能力・努力(その反面としての能力・努力不足)のせいにされるんだからね。

(5) 中身は何にも変わっていないし、押し付けることも変わらない。でも、表向きのことばとしては個人の問題とされている。このような「規範を個人に外注する」形のいろいろなことって、偽装的な感じがするから、私は好きでない。

(6) そうか、最近「ナントカ力」というのがやたら増えているなあと思っていたけれど。あれは結局、みな「規範の偽装的な個人への外注」だったのか。徒弟制の時代に、「ナントカ力」を身につけねば!と、丁稚たちが自己研鑽に励む必要はなかっただろうからね。

(7) 女子力でも、ほかのナントカ力でも、それを選びたい人は選ぶ自由があるでしょう。がんばって身に付けたらよろしいと思う。でも、選ばない自由だってあるだろうし、勝手にずらしたり再定義したりする自由もあるはず(私のおすすめは「再定義」)。それから、選ぶ人も選ばない人もずらす人も、隠れた仕組みについては知っておいた方がいいかもしれないね。

(8) さあ、2012年のブームは「○○力」! きっとまた、雑誌や新書が造語していくつか増えるでしょうね。予想して遊びましょう。

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2012年1月1日 (日)

■頭に金運のお正月

伏見稲荷大社 新年明けましておめでとうございます。今年は、実に12年ぶりの辰年なんだそうですね。

元旦、京都の伏見稲荷大社にお参りに行きました。人を化かす達人のキツネの神社。私も、キツネさんにあやかりたい。いやいや、だまくらかすつもりはないけれど、多くの人を知的快楽で魅惑することのできる充実した一年となるよう、心から祈りたいと思います。

例によって、欲張りが山ほどの願掛けをしてきたんですが、今年が例年とひとつだけ異なったのは、「参拝中、頭に何かがコツン」。そう、後方の参拝者が放ったお賽銭が、私の頭にぶつかったのです。

いてっ。

はじめびっくり。次に、その金はどこにいったかと足下を探し。でも、混雑のために見失ったので、金運が自分でとびこんできたんだといいように考えることにした。だれだって、カネが飛んでいくよりも、飛んでくるほうがいいに決まっているからね。

「お賽銭がぶつかった頭」とかけまして、「除夜の鐘」と解きます。
そのこころは?
カネがぶつかり、中身はからっぽ。

百八の煩悩をひとつも洗い流すことなく、年明けを迎えています。

こんな感じですが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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