AACoRE > Laboratories > Kamei's Lab > Index in Japanese
ILCAA
亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2012年12月

日本語 / English / Français
最終更新: 2012年12月31日
[←前の日記へ][今月の日記へ] [テーマ別目次へ] [月別目次へ][次の日記へ→]

■マイ重大ニュース2012 (2012/12/31)
■2012年12月のまとめ日記 (2012/12/30)
■愛知県立大学の手話月間 (2012/12/25)
■近所のフレンチのお店 (2012/12/24)
■インド日記2012 (2012/12/02)


2012年12月31日 (日)

■マイ重大ニュース2012

寒い寒いソウルに滞在しながらの年越しです。いろいろあった今年一年を振り返りつつ、マイ重大ニュース2012。

(1位) カメルーンの森の調査に復帰
3月および8-9月、カメルーンの熱帯雨林で調査。しばらくアフリカ都市部でのろう者と手話の調査にふけっていた私ですが、科研費「交替劇」プロジェクトの一環として、森での調査に復帰。14年ぶりに、かつてお世話になった集落を訪問しました。

ノブウの再来!ということで、集落は大盛り上がり。かつての仲間(調査対象)だった子どもたちは、みな子連れで会いにきてくれました。刊行なった拙著民族誌(『森の小さな〈ハンター〉たち』)を、お世話になった「もと子どもたち」に謹呈できたのも幸い。そして私は、新しい世代の子どもたちと仲良くなって、調査に励みました。

この科研費プロジェクトとともに、今後しばらく、狩猟採集民研究に関わる機会が増える見込みです。

【関連ページ】
調査歴: 2012年
「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相: 学習能力の進化に基づく実証的研究」
『森の小さな〈ハンター〉たち』

(2位) 大阪国際大のゼミ生6人が卒業
2011年3月まで勤務していた大阪国際大学の心理コミュニケーション学科のゼミ生たち6人が、晴れて卒業論文を完成させ、3月に卒業しました。私にとっての初のゼミ生の送り出しです。

3年次が終わるところで、とつぜんの愛知県への転職表明(ごめん)。ゼミ生たちの総意で、4年次も続けて卒論指導担当をと要請され、1年間、非常勤講師として名古屋から大阪に通いました。ゼミ生たちの調査や論文とつきあいながら、私もものすごく勉強になりました。ぶじに全員卒業、大阪での任務は終了しました。みなさん、ご卒業おめでとう。

【関連ページ】
■卒論完成合宿@OIU (2012/01/07)

(3位) 日本文化人類学会の理事に選出
4月、日本文化人類学会の理事に選出され、学会を運営する側に参加する立場となりました。中部地区研究懇談会、広報・情報化委員の二つの担当を兼任。時を同じくして、日本文化人類学会の課題研究懇談会「応答の人類学」が採択され、その代表も兼務することとなりました(4月-)。

学会という場所にぶら下がる側から、場所をつくる側へ。文化人類学の現状に不満をこぼす側から、この学問の将来に責任をもつ側へ。いろいろな意味で、学界との関わり方を考え、責任を自覚するよい機会となりました。

【関連ページ】
■フィールドワークの失敗学 (2012/10/28)
日本文化人類学会課題研究懇談会「応答の人類学」

そのほかのニュース。

・WOCAL 7 (世界アフリカ言語学会議) に参加、発表 (2012/08, カメルーン)
・IUAES (国際人類学・民族科学連合) 中間会議で発表、初めてインド訪問 (2012/11-12, インド)
・愛知県立大学の事業「映像技術を活用したフィールドワーク教育の振興」実施 (2012/04-)
・駐日トーゴ共和国大使を大学に招聘、学生たちと茶話会を開催 (2012/07)
・国際関係学科で卒論委員、合宿委員、学科運営委員、図書・紀要・LL委員などを兼務してばたばた (年中)
・国際関係学科で学生ブログ委員会 (2012/06-)、アラビア語研究会 (2012/05-) など発足

など。

研究のアウトプットとしては、国際学会発表3件というのが人生初めての達成ですが、書き物のほうはややペースダウン。書きためたものがいくつか、新年から刊行おひろめとなると思います。

今年一年、お引き立てくださいました各位に、あらためまして心よりお礼申し上げます。また、研究室をにぎやかにしてくれた学生のみなさんも、ありがとう。来年がみなさまにとりまして、さらにすばらしい年となりますように。


2012年12月30日 (土)

■2012年12月のまとめ日記

・IUAES (国際人類学・民族科学連合) 中間会議に参加、発表 (2012/11-12, インド)
・長久手市国際交流教会弁論大会審査委員長 (2012/12/09)
・今村彩子上映講演会「音のない3.11」(2012/12/17)
・愛知県立大学大学院国際文化研究科博士学位申請論文審査 (ソロンガ) (2012/12/20)
・秋山奈巳講演「ろう者の文化、聴者の文化」(2012/12/24)、「手話ライフの表と裏」(2012/12/25)
・卒論と修論の執筆相談と精読添削の日々 (連日、日夜)
・ソウル滞在 (年末年始)

学生たちの論文の〆切関係、降ってわいたような各種委員会業務、そして来年度の準備に関わることも重なり、今月は用務の量が激増。大学に引きこもって学内のことに専念していた時間が多く、その分、学外の用務が手薄になってしまいました。おわびとともに、この12月を終えます。


2012年12月25日 (火)

■愛知県立大学の手話月間

12月末。クリスマスをすぎても授業があるなんて…というぼやきも聞こえてきますが。

たまたま愛知県立大学では、この12月、手話関係の行事が3件立て続いた。ねらったわけではなく、いろいろと進みかけていた行事の交渉がこの月に一挙に実現したという次第。

私としては、新鮮な思いでこの一連の行事を手伝っていた。この大学に着任して1年半、本格的に手話の行事を仕掛けたのは今回が初めてだった。

そもそも、私が手話を話す人だということを知らない学生たちも多い。ふだんの私は、「アフリカの文化人類学者」という顔で授業などをしているので。今回は、司会・進行もすべて手話だけで通したし、壇上での手話通訳者も兼ねたし。私が手話の世界に片足突っ込んでいるという事実を知ってもらえる機会となった。

そして、手話が、大学での行事を進める上で、何ら支障のないふつうの言語だということを、目の当たりにしてもらうよい機会ともなっただろう。

できれば単発の行事で終わることなく。将来にわたって、手話がふだん話されるキャンパスになればいいなあ、とぼんやり思いつつ。

なお、7月にはトーゴの大使を招いた茶話会を開催、私としては初めてこの大学でフランス語を使った行事を主催した。この12月は、日本手話での行事の数かず。今年は、日本語なしの英語だけでの研究会や授業も、何度かやってみた。着任2年目、だんだん遠慮がなくなってきて、日本語以外の言語レパートリーを少しずつ学生たちと分かち合える機会が増えてきた。

さて、来年は何にしようかな。アメリカ手話? バカ語? それとも、アフリカの手話?


2012年12月24日 (月)

■近所のフレンチのお店

ある学生からのおすすめで。

「この近くに、おいしいフレンチのお店さんがあるんですよー」

へぇ、知らなかった。というわけで、クリスマスイブの日に行ってみた。

ニコニコしてテーブルにやってきた若いウェイターは、勤務先の大学の学生だった。バイトではなく、家業の手伝いである。イブの日に家業の手伝いとは、見上げたもの。

「もしかして、先生では」
「ええ(笑)。君ってどこかの授業にいたっけ?」
「いえ、○○学科ですので。」
「あれ、じゃあ卒論の〆切間近ってこと?」
「そうなんです(苦笑)」

しまった。ディナーの時間だというのに、仕事のクセでつい野暮なことを聞いてしまった。

翌朝、キャンパスで再びその学生を見かけた。ふつうの学生に戻っていた。ご近所で、いくつかのご縁のあったクリスマス。


2012年12月2日 (日)

■インド日記2012

□インドの匂い
国際会議に参加するため、11月下旬から12月上旬まで、インド東部ブバネーシュワル市を訪れた。インドに足を踏み入れるのは、今回が初めて。

空港に着き、タクシーに乗り、町の風景をぼんやり見ながら思ったこと。まず、香りだ。

タクシーやバスの中でお香を焚いていて、人びとが香料を身につけ、そして街角に漂うのは、まぎれもないカレーの匂い。私のインドの第一印象は、これらが渾然一体となった「インドの匂い」であった。やがて、街角にたたずむ牛の匂いや、市場に漂う人臭さと生ゴミの匂いなども加わって、私のインドの匂い体験はさらに豊かになっていく。

私は、初めて訪れたこの国を、どこかアフリカとの違いを探しながらまなざしていた。

三輪のバイクタクシー。ストレートの黒髪。バイクタクシーに横座りで乗る女性客。街角で生ゴミを食む野良牛。どこか適当で、でも何かと律儀な感じで話しかけてくる、かまいたがりの人びと。対面で話す時の身体的な距離が、どことなく近めであること。やや過剰とも思えるホスピタリティ。きらびやかな花で飾り付けた学会の開会式。原色の偶像の数かず。宗教儀礼にも似た政治家のあいさつ。さっぱり読めないヒンディー語とオリエ語の文字。そして、毎日三食のカレー。

アフリカとどこか似ていて、でも確かに違うこの国に、1週間滞在した。

もしこの町に暮らし続けるなら、どんな調査ができるだろう。私は、都市の野良牛の研究をしてみたいと思った。

都市の真ん中に、なぜこんなにも多くの牛がいるのだろうか。町全体で何頭いて、どこで寝て、何を食べているか。所有者はいるのか。人びととはどのような関わりをもっているのか。どこで生まれ、どこで死ぬのだろうか。牛と人が共存する都市というのを、動物生態学者といっしょに調査できたらおもしろいだろうな。思わず、町の通りを悠然と歩む牛たちの写真をたくさん撮ってしまった。

□国際人類学民族科学連合

国際人類学民族科学連合(International Union of Anthropological and Ethnological Sciences (IUAES))。

日本文化人類学会も加入する、世界最大の人類学の学術組織である。5年に1回の大会のほか、その間に小規模な中間会議(Inter-Congress)をたびたび開催している。その中間会議のひとつが、インドで開催された。

会議のテーマは「変わりゆく世界における子どもと若者(Children and youth in a changing world)」。アフリカの狩猟採集民の子どもたちの調査をしてきた私は、そういう機会があることを知り、喜んで参加を申し込んだ。

他の地域で子どもの調査をしているアフリカ研究仲間にも呼びかけて、一緒に分科会を申請した。これまで国際学会で個人発表をしたことはあるが、分科会申請は初めて。初夏に採択の通知がきて、リハーサルを重ね、いざ、会場となったKIIT大学を訪れる。

主催者の手違いで、私たちの分科会の各発表のタイトルが、冊子に掲載されていなかった。これはマズイ。だれも聞きに来てくれなかったら、わざわざインドまで発表に来た意味がないではないか。

アフリカの地図入りのチラシを刷って、会場の掲示板に貼り、また会期中に知りあった参加者たちに手渡しする。金曜日の朝にやるからぜひ来てね! 自分たちで、分科会の宣伝活動をした。こんな国際学会は初めてである。

どうせ営業するなら、うちの分科会ではお茶とお菓子が出ますから来てね!とかやってみたい。むりかな(笑)。お茶があった方が、議論は弾むと思うけれどね。

国際会議ゆえに、キャンセル続出。エントリーだけ表明して、実際に来られないケースというのは珍しくない。が、今回は主催者も出欠を把握していなかったようで、ひどいところでは座長が来ていないことすらあった。いきなり座長を頼まれて、ボランティアで引き受ける人も。

「次の発表者は、ドクターだれだれー。来てませんかあ」

のどかなものである。

□三つのfree

国籍も言語も懐具合も時間の流れも異なる人びとが、大勢集まって、それぞれの都合で行動したいと思う国際会議で、何の準備が必要だろうか。

私は、三つのfreeを用意すれば、だいたいいけるんではないかと思った。

すなわち、

Free time
Free coffee
Free wifi

まず、行動は自由であるべきだ。参加者を束縛するのはよくない。

次いで、集うことを望む人びとが憩える場所とお茶を用意しておく。そのことで、会場は求心力をもつことができる。来た人は、好きな相手と、好きな言語で、勝手にくつろいでくれることだろう。

そして、無料のLAN。情報をふんだんに提供する。これがあれば、もう分厚い要旨集の冊子など配らなくてもいいかもしれない。多くの人はノートパソコンを持ち込み、PDFの最新プログラムを自分でダウンロードしてくれるだろう。

主催者がすべてのニーズに応えようとするから、無理がくる。最小限のアリーナだけ用意しておいて、後はそれぞれ参加者が自分のスペックに応じて、好みのコンテンツで楽しむ。そういう感じが好きである。

ちょっとお世話しすぎで無理がきている感がある今回の主催者の様子を見ていて、いずれ私も国際会議を開く側になる時のことを想像しながら、そのコツみたいなことを考えていた。行事をする側のまなざしで見ていると、とても勉強になる。

□インド英語とアフリカフランス語

インド英語は、分かりにくかった! 着いた当初は、もう何度も聞き直しましたよ。How are you?がハウアルユウですもんね。すべて巻き舌で、ねっとりと発音する。

1週間もいたらだいぶ慣れてきて、こっちもハウアルユウなどと言うようになっていた。その頃に、学会は終了して、インドはおいとま。せっかくなじみかけたのに。

フランス人はフランス語っぽく、南米の人はスペイン語っぽく。そして、私たちは日本語っぽく。みんなそれぞれの英語を勝手に話して、勝手につながりあっていた。

英米のネイティブに近づこうとする語学教育もけっこうだけれど、近づくことが最善だとは思わない。そういう実例が、インドに何億人もいる。心強いですよね。発音を直すことにかける時間を、「英語で別のことをする」時間にもっと振り向けたらどうだろう。こういうことは、これから世界を目指す学生のみなさんも参考にしてほしいと思います。

ついでにいえば、私たちの分科会は「フランス語圏アフリカ」をテーマとしたので、ほぼ英語でできている会場の一部に、やおらフランス語のサブグループが出現(分科会は英語でしたが、立ち話はフランス語で)。国際会議によくある風景である。英語にだいぶ押されてはきたものの、フランス語が国際共通語としての名残をとどめる場面である。

「日本から来たみなさんのうち、フランス語ができないのはTさんとIさんだけですね」とは、フランスから来た人類学者の指摘。そういうふうに言われることって少ないと思う。フランス語圏アフリカの各地で、アフリカ訛りのフランス語とともに調査に没頭してきた私たちの存在が、少しだけ世界に受け止められた瞬間である。

インド訛りの英語と、アフリカ訛りのフランス語。それらをちゃんぽんにしながら、会議は進んでいく。

□分科会「現代アフリカの子ども像」

私たちの分科会は、最終日に設定されていた。これはもう、運だからしかたない。最後まで解放されないという面があるが、他の分科会の雰囲気を参考にしながら、念入りに発表の準備ができるという意味ではメリットもある。

2012 Inter-Congress, IUAES
Panel-37
Contemporary African childhoods:
Cultural changes among children in West and Central Francophone Africa
Co-organizers: Nobutaka KAMEI & Takao SHIMIZU

Friday, 30 November 2012, 10:30-13:00
Hall No. 03

This panel approaches multiple aspects of childhood in contemporary African contexts, focusing on cultural changes among and around children. Owing to the rapid spread of school education in Africa, certain aspects of children's traditional lifestyle are changing. These changes include not only "modernization by school education" but also a newly created culture by the children in and out of schools as well as recent economic and political impacts and children's strategies against adults, organizations and institutions. This panel will report cases in rural and urban contexts in the Francophone African countries of Mali, Burkina Faso, Senegal, and Cameroon. Perspectives for studies on African childhoods, focusing on both "society of children" and "children in society," will be propounded for future collaborative research.

[Keywords] child in Francophone Africa; socialization; growth of child; children in/out of school; children and organization/institution; society of children and children in society; studies on African childhoods.

(1) Ryosuke IMANAKA:
Recent rapid increase of children’s associations in southwestern rural Mali

(2) Takao SHIMIZU:
Taribé and "Street Children" in Ouagadougou: how students of koranic school became "Street Children"?

(3) Kae AMO:
Modernizing Quranic schools: In the cases of Touba and Saint-Louis in Senegal

(4) Nobutaka KAMEI:
Cultural change among the children of Baka hunter-gatherers: Play and school education

前日の夕方、ホテルの一室に発表者4人で集まって、通しでリハーサルをした。話が脱線して延々と議論になり、夜更けまでかかってしまった。

「フランス語圏アフリカ」という地域をテーマに掲げていたためか、フランスやベルギー出身の人たちが集まり、議論に参加。

他のプログラムがずれこんで、40分遅れで開始したものの、4人の発表でみっちり2時間半の議論をした。

得られた感触は、ふたつ。

・データは強し
どんな能書きをあれこれと熱く語るよりも、現地で収集したデータのスライド1枚の方が、人びとを納得させる。とくに、数字があると強い。

・写真は強し
説明をだらだら述べるよりも、効果的な写真を1枚。人びとの目を釘付けにする。スケッチでも、図でも、動画でもいいでしょう。

私が夏にカメルーンで撮ってきた、子どもたちの遊びの風景を撮った自慢の写真の数かずを、惜しげなく入れて紹介した。

「スライド、ちょっと待って!」

聴衆から思わず声が飛んだ。かわいらしい子どもたちのスライドを撮影したいから待って、だそうです。ここまで喜んでもらえたのは初めてだ。

英語の達人が、流暢な英語でぺらぺらといくのもいいでしょう。しかし、それではネイティブかそれに近い流暢な話者にしか届かないプレゼンになってしまう。どんな言語の話者にも通じうる普遍的な伝達手段とは、数字と絵である。このことは、以前、論文として書いたことがあるけれど、今回もその威力をかみしめた。

日本の研究者、学生のみなさん。英語力がおぼつかないなんて、恐るるに足りません。それを補うコンテンツと表現手法を工夫すればよいのです。そして、英語力に頼らない表現手段の方が、多くの聴衆に届くよいプレゼンとなるでしょう。そして、多くの日本の研究者は、それに長けていると私は思っている。

無上の喜びは、分科会最後の順番となった私の発表で、大いに聴衆の笑いをとったこと。このことひとつで、はるばるこの学会に来た意味がありましたよ。最後に、みんなに祝福された感じがした。

□子どもになりきれていない子ども研究者

今回の会議の雑感。

子ども研究者のわりに、案外おとなぶっている人が多いなあ。というのがとてもおおざっぱな感想。

子どもをあくまでも「対象」としてあつかっていて、自分が子どもになりきれていない感じ。いや、対象とするのは別にいいんですけどね。子どもの集まりにわっと飛び込んでいって、一緒に遊ぶなかで見えてきたことを語るというような、文化人類学のフィールドワークの醍醐味みたいなものを語ってくれる研究者はほとんどいなかった。どちらかというと、観察事例の紹介は少なくて、理論でちまちま、という話。

調査地でそういう関わり方をしていないのかな。または、実際にはしているけれども、学会では見栄張っておとなぶって話さないだけなのか。だいたい、子どもたちに通じないようなことばでおとなだけで議論してたって意味ないやん。というのが、私の考え方。

それくらい、私は子どもたちの集まりのひとりでありたいと思って調査してきた。で、私は図体がでかいけれど、アタマの中とやることが子どもと同じようであれば、だいたいは仲間として受け入れてくれたし、子どもの方から私の周りに集まってくるようになった。

対象集団の視点に入り込むことを特技としているはずの文化人類学で、「子どもの視点で物事を学ぶ」ということをやっていないように見える人が案外多かった。というのは、おもしろい発見であった。ふふふ。人がやっていない、すなわち、取り組みがいのあるニッチだということです。

□国際会議に出ると気がでかくなる

国際会議に出ると、気がでかくなるんだよね。

だれかの評論で読んだことがあるのは、サミット(主要国首脳会議)に出席した日本の首相は、自分が世界の要人になったとつい気が大きくなり、その後に大胆な政治的行動(たとえば解散とか)に出やすいのだ、とか。

研究者にとっての国際学会も、似たような効果をもつなあと思う。

アフリカの小さな集落でちまちまと調査し、日本の小規模な大学でもくもくと授業し、細かいメール連絡と書類の山に埋もれて暮らしている私ですが。国際的なひのき舞台に出て世界の研究者たちとダイレクトにつながると、つい気がでかくなる。

もちろん、背伸びしてもしょうがないのだけれどね。できることはできるし、現時点でできないことはできない。でも、そういう気がでかくなる側面をあわせもっていると、日々のちまちま仕事にもいろいろと刺激が増えておもしろい。授業だって豊かになることだし。

定期的に海外調査、定期的に国際会議。これを自分のペースとして保っていたいなあというのが今の願い。

もうひとつ、国際学会の隠れた効用をひとつ挙げておきましょう。それは、ふだん会えない、話せないような大人物と、さしで話ができるチャンスだということです。

本でしか名前を見たことがない海外の著名な学者さんに、立食パーティで声をかけて名刺交換することだって簡単にできる。そこにいるのだから。

それから、日本からの参加者はふつうきわめて少ないから(今回は全参加者200人のうち10人程度)、おのずと、初めまして○○です、というふうにあいさつが始まる。日本の学会では大勢の人に囲まれて話す隙もないような高名な文化人類学者(たとえば学会長経験者など)と、ご飯食べながら世間話して、名前を覚えてもらう機会になったりもする。

私も、これまでの海外の学会でいくつもそういう機会をいただき、コネクションを増やす機会となった。学会の動向や、人やカネの流れの裏話を聞くなど、学界の歩き方を学ぶチャンスにもなる。

日本からの国際会議への参加が少ないというのは、そのこと自体、改善を要することだとは思うが。とくに大学院生など、これから研究者の世界を志す人には、ぜひこのような機会を活かすといいと思います。「国際会議は、学界の要人に自分を売り込むチャンス」。

□少しかための学会参加報告

備忘録として。

IUAES2012中間会議(インド)参加報告

□会議の概要: 全体的な傾向として
目立ったのは、子どもの権利、制度、教育などの実践的側面を扱った発表、および子どもに関する理論的な発表であった。一方、世界各地の子どもの生活や生業、環境、社会関係などに関する記載的研究は少なかった。

目を引いたトピックとしては、子どもと経済、子どもの民族誌と倫理などの話題があった。

開催地のインドの事情を反映して、多民族状況やカーストに関連し、十分な教育へのアクセスがなかった/ない子どもたちに関わる教育開発の側面の話題が、公式/非公式に取り上げられる場面があった。

□会議の概要: 個別の分科会および発表について
報告者の判断で、いくつかの話題を選択して紹介することをお許しいただくならば、

・子どもの遊び、レクリエーションに関する分科会では、インドの地方における少年少女の遊びを収集、記載し、動画やスケッチを活用して紹介、それらから何らかの理論的な知見を得ようとする研究成果などが報告されていた。

・狩猟採集社会に関する生態人類学系の分科会では、狩猟採集民の子どもたちの行動や語りを収集し、その学習の特徴に基づいて、文化伝承と進化に関する議論を行っていた。

いずれも、厚い一次資料に基づいた成果を報告しており、「フィールドワークに基づく研究」という文化人類学の特色を活かした優れた発表であったと思われる。

本学会の会員たちによって主催された「現代アフリカの子ども像」では、フランス語圏アフリカに地域をしぼる形で、子どもたちに関する現地調査の結果が紹介された。子どもたちにおける文化の変化を主題としたが、近代化のみに要因を求めるのではなく、多くの一次資料を提示しつつ多面的な変化の要因を検討した分科会となり、フランス出身の参加者などからも好評を博した。

□文化人類学への貢献
子どもをテーマとした人類学の国際会議は、その機会が少ないものの、世界から200名を超える研究者が集まって濃密な議論を行えたことは、この分野の振興にとって大きな意義があった。文化人類学全体のなかにおける子ども研究のプレゼンスは必ずしも大きなものとは言えないが、今後にわたってこの学問の一角を占める領域としての存在感を示しえたであろう。

□所感、課題など
発表キャンセルが多かったのは、国際会議ゆえにやむをえない面もあったであろう。ただし、分科会の開始時刻になってようやく発表者の欠席が明らかになるなど、若干のもたつきが見られた。少なくとも、当日朝の時点で、発表の有無の状況などが確認され、周知されることがあればよかった。

プログラムの組み方に、若干問題があった。分科会・個人発表の時間帯が午前に1回、午後に1回(各2時間半)と限られていた。このため、同じ時間帯に10〜11件の分科会が並行して行われていた。一方、夕方の時間帯は間があき、しばしば文化交流行事やセレモニーなどが用意された。行事を減らし、発表時間帯を長くとることで、より多くの個人発表に触れる機会を増やしてもよかった。

日本の研究者たちが行う研究は、現地調査で収集したデータに根ざした質の高いものであるが、その多くが海外の人類学界において知られていない。この断絶は、私たちにとってのみならず、学界全体にとっても大きな損失である。2014年には、日本文化人類学会創設50周年の機会に合わせてIUAES中間会議が日本で開催される。この機会を活かし、多くの会員が国際会議における成果発表に挑戦することを期待して、本報告の結びとしたい。

(参加者有志で報告をまとめ、雑誌で公表する予定です)

□おみやげリスト
今回のおみやげは、カレー味の胃腸薬「ハジモラ(Hajmola)」、チャイのスパイスセット、ラムカレーの素、駄菓子少々、そして涼しい麻の服を一着。やっぱり、帰ってから料理して飲み食いできるものをいくつか買ってしまった。これも、備忘録として。


矢印このページのトップへ    亀井伸孝日本語の目次へ

All Rights Reserved. (C) 2003- KAMEI Nobutaka
このウェブサイトの著作権は亀井伸孝に属します。