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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2016年9月

日本語 / English / Français
最終更新: 2016年9月19日

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■アビジャン調査のまとめ (1) ムスリムろう者たちとの親交深まる (2016/09/19)
■アビジャンで知り合ったアニメ作家 (2016/09/18)
■マザー・テレサとシュバイツァー:聖人と植民地主義批判 (2016/09/06)


2016年9月19日 (月)

■アビジャン調査のまとめ (1) ムスリムろう者たちとの親交深まる

日本に帰ってきて数日。ぶっ続けのエコノミー搭乗で、ちょっと腰が痛む日々です。

今回のコートジボワール・アビジャン滞在を、いくつかのトピックで振り返ってみます。

今回の滞在で、ふつうの文化人類学的な参与観察、つまり、適当に手ぶらで歩き回ってしゃべって学ぶという中で調査が進んだのが、ムスリムろう者たちの文化についてである。

コートジボワールムスリムろう者協会ができたというので、Abobo にある事務所におじゃました。ちょうど女性たちが集まる日で、不就学の人が多いというので、フランス語の識字教育をしていた。

ムスリムたちが使う手話も教わりましたよ。ざっと、こんな感じです。日仏併記。

「イスラーム」l'islam
「ムスリム」le musulman(表現2種あり)
「アッラー」Allah
「ムハンマド」Muhammad
「イマーム」l'imam
「コーラン(クルアーン)」le Coran
「アラビア語」l'arabe
「モスク」la mosquée
「メッカ」La Mecque
「カーバ神殿」la Kaaba
「ラマダーン(断食月)」le ramadan
「タバスキ(犠牲祭)」la Tabaski
「アッサラームアライクム(平和があなたの上に=こんにちは)」Assalamu alaykoum
「ワライクムッサラーム(それへの返事)」Wa alaykum assalam

「アッラー」はキリスト教の「神 Dieu」と同じ、「イマーム」は「牧師 le pasteur」から、「モスク」は「教会 l'église」から、「タバスキ」は「お祭り la fête」から派生していて、キリスト教徒の手話文化を基盤にしていることは容易に見て取れた。

なお、私が学んだのはアビジャン方言。ちょっと聞いただけでも、たとえば「ムハンマド」には西アフリカだけでも少なくとも3種類の異なる表現があるそうで、そのあたりの多様性もおもしろいところ。いずれ、『イスラーム手話辞典』とか作れたらいいなあ。などと、夢が広がります。

これまで、キリスト教文化圏の中での手話の伝播の歴史を追うことが多かったので。ムスリムろう者たちにおいて就学経験のある人が少ないとか、独特の手話の語彙をもっているとか、ムスリムたちから見たキリスト教中心のろう者コミュニティ像とか。

ムスリムたちの中に入ってこそ見えることがたくさんあって、同一都市においても、ろう者の文化の多元性をちらりとかいま見ることができた。今後の大事なテーマとして温めておこうと思う。


2016年9月18日 (日)

■アビジャンで知り合ったアニメ作家

クラヴェール・ヤメオゴ(Claver Yaméogo)さん。ブルキナファソ出身で、いまコートジボワールのアビジャンで活動中。あるディナーパーティで初めてお会いした。

Africartoons Studio という会社をブルキナファソで立ち上げていて、1人で作品を創っているとのことです。

Africartoons Studio
http://africartoonstudio.blogspot.jp/

いくつかウェブで鑑賞できる作品を紹介していただいたので、リンクをはります。

□ Protégez nos droits dans la lutte contre Boko Haram. 2016. Amnesty International. 2'28". Sous-titré en français.
「ボコ・ハラムとの戦いで私たちの権利をまもれ」. 2016. Amnesty International. 2'28". フランス語字幕.

アムネスティ・インターナショナルの依頼で制作したアニメ。ボコ・ハラムとそれを制圧する勢力の間で暴力にさらされている村の人びとの境遇を、少女の視点から描いています。
>> https://www.amnesty.org/fr/latest/campaigns/2016/08/cameroon-boko-haram/
"REGARDER LA VIDEO" というボタンを押して再生

□ Parce Que J'ai Faim. 2011. Africartoons Studio. 5'36". Français.
「だってお腹すいてるんだもん」. 2011. Africartoons Studio. 5'36". フランス語.

児童労働と犯罪の関わりについてのショートムービー。
>> https://www.youtube.com/watch?v=FxAdG56sUvg

□ Le Lièvre et le Lion 1. 2013. Africartoons Studio. 0'59". Sous-titré en français.
「ウサギとライオン 1」. 2013. Africartoons Studio. 0'59". フランス語字幕.

ライオンに悩む動物たちが、知恵をしぼって対策を考える。ダイジェスト版。
>> https://www.youtube.com/watch?v=jJHrkelDmIs

□ Le Lièvre et le Lion 2. 2013. Africartoons Studio. 7'44". Français, sous-titré en anglais.
「ウサギとライオン 2」. 2013. Africartoons Studio. 7'44". フランス語, 英語字幕付き.

ライオンに襲われて悩む動物たちが、知恵をしぼって対策を考える。ロングバージョン。
>> https://www.youtube.com/watch?v=tFXtr907Ag0

どれもある意味ではアフリカの深刻な問題の一面を描いていますが、風景も画風も人物も音楽も、どこかのどかなたたずまいのアフリカの文化を背景として創られていて、味わい深いです。

ウサギたちがライオンをこらしめる作品も、さるかに合戦かかちかち山にも似た感じがして、楽しめます。フランス語の勉強にもいいかもしれませんね。


2016年9月6日 (火)

■マザー・テレサとシュバイツァー:聖人と植民地主義批判

■聖人マザー・テレサをめぐる告発記事
2016年9月4日、カトリック教会によってマザー・テレサが「聖人」に列せられた。没後19年での列聖は、異例の早さだと言う。わたしは今アビジャン滞在中ですが、フランス24などのニュースでも毎時のトップニュースで繰り返し報じられていた。

彼女のことを「植民地主義」の観点から猛批判する記事があった。インド出身の筆者によるものである。

クリティカ・ヴァラグール (Krithika Varagur)「マザー・テレサは聖人ではなかった」ハフポスト日本版, 2016年4月12日

事実関係については冷静な確認も必要でしょうが、一考に値する視点です。

■ある既視感:シュバイツァーをめぐる見直し
マザーテレサの生涯をめぐる事実関係はよく知らないので、断定は避けるけれども。

あえて不便な植民地に飛び込んだ、苦痛に耐える自分たちの事業をPRし、みごと栄誉獲得と集金に成功した、現場の医療には不適切な点があった、などが事実だとするならば、どこか既視感がある。

そう、かのアルベルト・シュバイツァーと重なるところが多いんですよね。彼も、人種主義者のわりには宣伝がうまく、艱難辛苦の中を耐え抜く聖なる人というイメージを世界に拡散させるのがうまかった人である。

「密林の聖者」にしてノーベル受賞者、その実、人種主義者であったシュバイツァー。その「裏面」について、ありありと記した基本文献(児童書)はこちら。

寺村輝夫. 1978.『アフリカのシュバイツァー』 東京: 童心社. >> [かめいによる書評]

※原著は絶版になってしまったが、どうやら文庫版で刊行されたもよう(フォア文庫)。

■物語の消費者と植民地主義
個々の生前の行いは、やがていろいろな検証によって明らかにされ、評価も定まっていくだろう。以下では、それらを取り巻く大きな言説の構造について考えてみたい。

マザー・テレサにせよ、シュバイツァーにせよ。インドやアフリカの多くの現地の人びとがいて関わったからこそ成り立った事業だった。それにも関わらず、その姿を不可視化したまま個人を賞賛することに違和感がある。そういった賞賛への期待感が、多くの事実を見えなくさせ、神話作りを後押しし、ふたたび賞賛の対象となる…というトートロジカルな構造が厳然と存在している。

どうしてわたしたちは、支援する側の人たちを賞賛し、支援を受けたり現場で協力したりする人たちの姿を見えなくしてしまうのだろうか。もしかしたら、マザー・テレサやシュバイツァーにことさらに光を当てて持ち上げることを期待してしまう「物語の消費者」であるわたしたちのメンタリティこそが、もっとも植民地主義的であるのかもしれない。

シュバイツァー批判本も、今回のマザー・テレサに対する論評も。その事業の支援を直接受けた人ではないにせよ、当該の地域住民に近い視点から見直しを迫っている点が共通している。現場に近い所から語りがどんどんと出てくるのは、いいことですよね。

彼ら彼女らを「悪者だった!」と決めつけるのではなく。そういう批判的主張を受け止め、聖人崇拝から冷静な分析のまなざしへと移行することで、わたしたち「物語の消費者」が内なる植民地主義を見つめ直す機会とする。そのためのよい題材になると思います。



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