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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2017年7月

日本語 / English / Français
最終更新: 2017年8月10日

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■2017年7月のまとめ日記 (2017/07/31)
■アビジャン日記 (17): 自動車会社に考えてほしいこと/廊下に放置されていた日本語の書籍/ネコ騒動 (2017/07/29)
■アビジャン日記 (16): 本格化した追加撮影/国際学会の全体講演者に選定/またも鳴り響いた銃声 (2017/07/22)
■アビジャン日記 (15): コートジボワールのビザ/一時滞在資格の取得全記録 (2017/07/19)
■アビジャン日記 (14): ガーナのビザを取得/スイス科学研究センターを訪ねる (2017/07/15)
■バーゼル日記補遺/アビジャン日記 (13): ノートと荷物の紛失で大騒ぎ/アティエケ食べながら原稿合宿 (2017/07/08)
■バーゼル日記: 初めての欧州アフリカ学会 (2017/07/01)


2017年7月31日 (月)

■2017年7月のまとめ日記

あっという間に7月が終わりゆきます。

上旬は欧州アフリカ学会(ECAS7)のため、スイスのバーゼルにいた。アビジャンに戻ってきて航空機の荷物のトラブルなどもあって、また、アビジャンでのいろいろを立て直すためにも、少し時間がかかってしまった。

中旬は、追加撮影作業の本格化。あわせていくつかのビザの事務作業を並行して。またも近所の警察駐屯地で銃撃事件が発生、不安が舞い戻る。

下旬は、撮影などの作業を収束させ、作業の仲間たちと8月の予定を立て、ガーナ行きでいろいろが中断する前にアビジャンで済ませておくべきことを、to do リストを作ってひとつひとつ片付けていった。そして、長距離国際バスに乗って、アビジャンを脱出。ガーナのウィネバに着いた。今月はここまで。

なんかねえ。「To do リストを作って用事を片付け始め」た時点で、もう、異国に来た、異文化を楽しむ、というモードではなく、仕事に追われるただの日常になっているのだよね。アビジャンがすでに〆切と書類と雑務の集積地に思えてきて、なかなか物事が進まない焦げ付き案件も若干あったりして、学会のためにガーナに出てきたことが「久しぶりの海外出張のような解放感」とともに受け止められる。まあ、それだけ、公私ともにアビジャンにずぶずぶとはまっていることの証左なのであろう。ガーナでの学会が終わったら、またあの雑務のアビジャンに帰るんだなあ…などと、すでにアビジャンが「第二の日本」のごとき場所に見えている。

もうひとつ、最近よく「あと2か月しかない」という心理がしばしば頭をもたげてくる。10月以降はおもにヨーロッパを中心に活動する予定なので、アビジャン滞在はあと2か月ほど。つまり、6か月のうちの2/3が終わったことになる。残りわずかだから、あまり大胆なこと、面倒なことはするまい、という気持ちにもなってくる。

しかし、よく考えてみたら、2か月というのは十分に長い時間である。ふだんであれば、夏休みの1か月をアビジャン滞在に当てることができるというだけで、大喜びで駆け回ることだろう。2か月もあれば何でもできると思えるし、何かを先送りにすることもないはずである。それだけ、時間的な意味では、ずいぶんぜいたくな感覚に慣れてしまったのかもしれない。

もちろん、仕事を詰め込みすぎるとパンクするし、過労でまたマラリアに倒れるのもイヤだから、動くのもほどほどにするけれど。「あと2か月しかない」を、何かをしないことの言い訳に使うことだけは止めておこう、と自戒の念を新たにしている。

8月の大仕事は、まずガーナで開かれる西アフリカ言語会議での名誉ある全体講演を務めること。そのほか、アビジャンに戻ったら、「滞在中に一度開催しましょう」みたいな講演/発表の機会が何度か予定されている。お招きに感謝しつつ、ひとつずつ、こなしていきます。

今月の終わりは、ガーナ、ウィネバにて。


2017年7月29日 (土)

■アビジャン日記 (17): 自動車会社に考えてほしいこと/廊下に放置されていた日本語の書籍/ネコ騒動

今週は、また一転して、多種のことが少しずつ進んだような進まないような、雑然とした週でした。それでも、動画の追加撮影は終わったし、論文の査読料を納入して査読プロセスに入ったし、ガーナの講演で着る緑色のアフリカの服は完成したし、髄膜炎の注射を受けられたし、後期のフランス滞在のための書類の用事もあらかた決着したし。大きな跳躍のための下ごしらえの一週間。

■自動車会社に考えてほしいこと
先週の銃撃事件は、1日で収まった。フランス語圏のオリンピックは、暮らしにはあまり響かず、プラトー、トレシュヴィル、マーコリーあたりの競技場で順調に進んでいる模様。アビジャンは、ふだんの騒がしい渋滞の多い街に戻った。

アビジャンはアフリカ屈指の大都市である。朝夕の通勤時間帯はもとより、日中だろうが何だろうが、とにかく渋滞が激しくて、都市機能を大いに損なっている。渋滞ゆえに予定が遅れもするし、渋滞を理由にタクシーは高い運賃を吹っかけてくる。混み合う道路を我先に占有しようと、乗り合いバスもタクシーも強引に割り込み、猛スピードで先を急ぐため、歩行者を危険にさらす。

20年ほど前、子どもの頃にアビジャンに住んでいたというスイス人の知人は、かつてのアビジャンはこんなにも自動車が混み合ってはいなかった、今の方が暮らしにくいとつぶやいていた。

渋滞、交通事故、排気ガス、路上に転がる危険な廃車。アフリカの都市環境を劣化させる、インフラのキャパに釣り合わない過剰な自動車の数。その多くは、日本の車である。

私は、自動車会社の各位に知ってほしいと思う。アフリカは確かに人口が増大する成長市場で、今後も自動車の需要は増える一方だろう。しかし、売るだけ売って、こうした都市の人びとの生活の劣化に目をつぶっていていいのだろうか。自動車を売り込むこととあわせて考え、直視し、取り組むべきことがあるのではないか。今日も渋滞でウンザリしながら、また、猛スピードで走り抜ける自動車にヒヤリとしながら、売ることに伴う責任のようなことを考えた。

■終了した追加撮影
先週から集中的に取り組んだ追加の動画撮影、火曜日に終了。ホッとした。しかし休む間もなく、その動画編集とその後のプロセスの具体的な立案と協議、実行に移る。

たまたま、現地のろう者チームの取りまとめ役をしている Y 君が超多忙な時期に当たってしまった。時どきリーダー不在で機能不全に陥りかけつつも、周りの人たちの力で少しずつ埋め合わせをしながら、何とかチームの作業が止まらないよう工夫する。何かと苦労が多い。

#ついでに言えば、映像の作業は、撮影はみんなでワイワイとやって面白いものの、後の編集がきわめて孤独でつらい、という特徴をもっている。そのあたりも気配り、目配りして、作業が止まらないように配慮しておかないと、本当に作品は完成しない。

辞書を作るというのは、苦労が多い。まったく、こんなに苦労してるんだから、せめて…したい、という、気持ちの上での埋め合わせ方を想像したりする。どんな埋め合わせを求めるか。金銭的な報酬を得たいとか、いい成果にしたいとか、名声を得たいとか、ストレス発散に何かしたいとか、人によっていろいろ思うだろうが、私の答えはほぼ決まっている。「こんなに苦労してるんだから、せめてネタにするぞ」。うん、この苦労した制作プロセスをデータとして書き留めておいて、憂さ晴らしにどこかで原稿に書いてやろう、などと考えたりする。

photo20170726_books.JPG

■廊下に放置されていた日本語の書籍
大学の話題をひとつ書こうと思う。

私がお世話になっているのは、応用言語学研究所というところである。水曜日、投稿論文のことでジャーナル担当の教員との打ち合わせを終え、一緒に部屋から廊下へ出たときのこと。研究所の廊下の隅に、ほこりにまみれた段ボール箱がいくつか転がっていた。箱のすきまから、本の表紙の文字が目に飛び込んできた。まぎれもなく、それは「日本語の書籍の山」であった。

教員「ああ、これはシノワ(中国語)の本ですよ」
私「違うよ! これはジャポネ(日本語)だよ」
と、いつになくはげしくツッコミ。

驚いた。今回の滞在で、日本語の本をこの大学で見るのは初めてだった。かつて JICA が寄贈したとされ(=伝聞)、きれいに書棚に配架もされていた。この大学に日本語のクラスがあり、日本語教員も派遣されていたと聞く。時間的な前後については定かではないものの、日本語教員が去り、クラスはなくなり、また、内戦で大学も荒れ果て、本も散逸してしまったと聞いていた(関連日記)。実は、それが残っていた。今は廊下の隅に放置状態である。

古い箱をガサガサと開けている私を、周囲の学生たちが不思議そうに見つめる。

私「君たち、これ読めるの?」
学生たち「うん、読めますよ。あはは」

ホントに読めるなら読んでみろよー、とツッコミを入れながら、本を何冊か手に取ってみた。きれいな状態ではなく、ジャンルもバラバラで、日本語学習の環境が整っているとは言いがたい。ただ、こういう言語に接する選択肢がこの大学にあるのとないのとでは、雲泥の差である。

本は、使う人がいてこそ活きるもの。この蔵書を整理して再び活用する人たちが、この国の中から/外から、現れてこないかな、と期待したいと思う。

■ネコ騒動
月曜日、ネコ騒動が起きた。

ろう学校で撮影作業をしていた時のこと。ろう者の若者が、段ボール箱をもってうろうろしていた。「ネコだ」という。箱の中には、6匹の子猫たち。どうやら、ろう学校に住み着いているネコが最近産んだらしい。引き取り手を探すという。ネコ好きのうちのつれあいが、ビビッと反応した。「ひとつ引き取って飼いたい」というのである。この要望に、私は頭を抱えてしまった。

え、別に、ネコくらいふつうに自宅で飼ったらいいじゃん、と思いますか? もし、今このアビジャンの家でネコを飼い始めたら、実際問題として何が起こるか。少し考えただけで、こんなことが思い付く。

・犬猫を含めて、アフリカの動物には、狂犬病をはじめとする感染症の危険性がある。
・医療と市民サービスが十分に行き届いていないこの国で、獣医や保健所を探し、予防接種やマイクロチップ埋め込み手術をするための労力、いろいろな手続きが滞りがちなこの国で、それらを残りの滞在2か月以内に終えることの負担。
・フランスや日本へ連れて行くための条件をクリアし、その手続きを進めることの困難さ、煩雑さ。
・あと8か月も海外で転居と旅行が続く生活の中、借家やホテル、そして航空機などの乗り物で拒否される可能性。
・旅先で不慮の事態(病気など)が生じた場合の対処方法をまったく知らないこと。
・かてて加えて、ろう者がこうした煩雑な手続きをひとりでサクサクと進められるほど、コミュニケーションのバリアが低い国ではない。電話や通訳の負担は、私にのしかかってくる。しかもフランス語で。

ああ、頭が痛い。あらゆる意味において、ここでネコを飼い始めるということは、私たちのキャパをはるかに超えていた。

とくに、感染症は重大である。アフリカの動物には、未知のウィルスも含めて、どんな感染症が潜んでいるか分からない。生きた動物には極力触れないという原則で、これまでアフリカに通ってきた。拾ったネコとともに自宅で暮らし、ご飯を食べるということは、ちょっと私には受け入れられない事態だった。

スヤスヤと眠る、寝顔の可愛い子猫である。でも、一時の情にほだされて、いいよと言ってしまったら、これらすべてを自分たちの責任で負うことになる。生き物である以上、途中で止めることはできない。基本、個人主義、自由主義の私で、他人が何をしようと原則放っておくことが多い人なのだが、この時ばかりは私は心を鬼にして、自宅でネコを飼うことに大反対した。

結局、ろう学校の職員である友人が自宅で引き取ってくれることになり、子猫の行き先は定まった。段ボール箱に入れられて、他の人の手によって運ばれていくネコを見ていて、安堵というよりも、悲しさにおそわれた。

ネコを眺めていたときのつれあいは、うれしそうな表情をしていたからなあ。叶えられたらいいだろうなあと、私も心が揺れた。しかし、目の前の「ネコがかわいく思えること」と「将来にわたって安全で楽に飼えること」は別ものである。安全で楽な飼育を許さない、現実の環境がある。苦渋の選択で、私は「引き裂く」という役割を引き受けた。せめて、引き取られた友人の家に、お土産に粉ミルクでも持って行って、時どき顔を見せてもらうのはどうだろう、と提案するのが精一杯だった。

夢を潰してしまってごめんなあ。埋め合わせは、別の形でするよ。

[20170802追記] このネコは、その後「カメイ」と命名され、友人の家で飼われている。

■水道が出続けると困ること
今週も、毎日欠かさず水道の水が出た。水道が出続けると困ることに気が付いた。ブレーカがしばしば落ちるのである。

私たちの家は3階(現地呼称では 2e étage)だが、水道の送水圧が低いのでしばしば水が上がってこない。このため、水を汲み上げるための電動ポンプを自費で購入して設置した(設備代 60,000F+工賃 15,000F=75,000F=約15,000円の出費)。水道の栓をひねると、スイッチが入って電気で水が汲み上げられる仕組みである。

水道を使うと電力を消費するため、たとえば電気調理器などの機械と同時に使うと、ブレーカが落ちてしまう。だから、料理のときなどにも煮炊きしながら水道を使うことができない。結局は、たらいに水をくみ置いて、料理の時に使うなどしている。

ほかにも、水がふんだんに出ることに慣れてしまってむだづかいの暮らしに戻るとか、バケツにくみ置いた水の回転率が悪くなるのでボウフラがわく(=蚊が増えてマラリアやデング熱の感染のリスクが高まる)ことを気にするとか。水が出たら出たで、これまた気苦労が生じるのである。

執念で付け始めた、水道/豪雨記録(7/3月-30日の28日間)。この期間については、水道が圧勝という結果になった。

(7/3月 スイスから戻る)
7/5水 豪雨
7/7金 豪雨
7/8土 水道
(この1週間は、水道も雨もなし。大きなポリバケツがいちど空になる)
(アパートの貯水タンクが機能し始め、地上階まで降りて汲んでくるということができるようになった)
7/16日 水道
7/17月 水道
7/18火 水道
(1日断水)
7/20木 水道
7/21金 水道
7/22土 水道
7/23日 水道
7/24月 水道
7/25火 水道
7/26水 水道、豪雨
7/27木 水道
7/28金 水道
7/29土 水道
7/30日 水道
(7/30日 ガーナへ出発)

さて。心機一転、明日はガーナ行きのバスに乗る。アフリカ歴21年にして、初めての陸路での国境越え。そして、2006年以来となる2度目のガーナ訪問である。また、新しいご縁ができることを楽しみに。来週は、ガーナ・ウィネバ日記です。

では、また来週。Bon week-end !


2017年7月22日 (土)

■アビジャン日記 (16): 本格化した追加撮影/国際学会の全体講演者に選定/またも鳴り響いた銃声

今週は異変が起きた。日曜日からこの土曜日まで、水曜日の1日を除いて、毎日水道水がふんだんに出たのである。こんな事態は、入居以来初めてのことだ。「どこか故障してるんちゃうか」「いずれ災いが起きるかも」。素直に水道水の供給を喜べない私たちである。

長ーい懸案だったフランス語論文の投稿を済ませたし、ガーナでの国際学会の全体講演者ご指名の公式発表もあったし、ろう者たちとの共同作業も本格化したし。仕事がずいぶんと進んだ!感のあった一週間でした。

■フランス語圏競技大会の開幕
ちょうど金曜日から、フランス語圏競技大会(les Jeux de la Francophonie)がアビジャンで始まった(7/21金-30日)。

4年に一度、フランスやカナダ、旧フランス領アフリカ諸国などの持ち回りで開催される、スポーツ、芸術の祭典。フランス語圏のオリンピックみたいなものである。53の国ぐにから約4,000人の選手がアビジャンに集い、また、各国の大統領や閣僚などの要人たちも来訪する。

私たちの生活に直結することと言えば、交通規制で渋滞が激しくなったこと、街中に警察官がどっと増えたこと。そして、地元のニュースがこれ一色になってしまったことなど。

日本大使館からは、サッカー会場の周辺の興奮した観客による混乱に気を付けましょう、といったお知らせが届いた。テロや騒乱なく、平和な祭典として終わることを静かに祈ります。

■追加撮影を本格化させる
今週の仕事のトピックは、手話の動画辞典の追加撮影を本格化させたこと。すでに膨大な映像データがそろいつつあるが、手話のミスや不鮮明な映像を差し替えたり、語を追加する必要が生じたり、いくつかの理由があって追加撮影を行ったのである。

photo20170717_filmage.JPG

いつも一緒にやっている仲間たちと、毎朝早起きして、国立ろう学校の校庭で撮影をした。撮影をしたというか、撮影をする作業の全体計画を立てて、ゴーサインを出した、ということである。

追加撮影の語彙リストを作るのは、ここのろう者。
リストに従って撮影指示するのも、ここのろう者。
過去の映像や辞典と付き合わせて確認するのも、ここのろう者。
修正意見を付けるコメンテータも、ここのろう者。
カメラを回すのも、ここのろう者。
そしてもちろん、映像のモデルになるのも、ここのろう者。
撮影済みの映像をチェックして OK を出すのも、ここのろう者。
その後の映像編集も、フランス語訳の作成も、ろう者たちがやっている。

全部、ろう者たちだけでやっています。

私は、基本的に見守っている人です。私の最も大事な役割は、このチームがうまく働けるような環境を準備し、時間管理と役割分担提案をする。まあ、プロデューサみたいなものですかね。

2010年からこれに着手、2人、3人くらいでの小さな研修会から始め、このチームができるまで約7年かけたんだなあ。もちろんいいことばかりでもないけれど、技能をそなえた自律的な映像制作集団ができつつあることに感慨を覚えたりもする。

時間がかかるのは、やむをえないことと思う。物事を学び覚えていくためには時間がかかるし、よいものを作るのにも時間がかかる。最近は、担当しているろう者たちの方が職人気質になってきて、この映像ではだめだ、撮り直し!などと、完璧さにこだわる場面も少なくない。

もっとも、こちらの科研費には必ず終わりが来るので、永遠にいいものを目指して作り続けるわけにはいかない。ガウディの未完の教会ではないのだから。ろう者たちのこだわりを受け入れつつも、まあ、そろそろ次にいこうか、と、若干〆切を気にしながら共同作業をしている。

■さまざまな意向との格闘
手話の撮影をするって楽しそう、と思われるかもしれないが、実は非常に苦労が多い。映像の技術的な困難さ、予算や機材、人員、時間・場所の確保など、面倒くさいこともかなり多い。そのようなロジの話は、また別の機会にまとめようと思うが、ここでは、いったいどのような映像を撮るかというコンテンツ面での苦労を、いくつかメモしておきたい。

一つ目。多様性への対処。たとえば、「タマネギ」というありふれた語に対して、多様な表現が生まれている。どれを辞書に収めるかで、激論になる。原則として、ありのままを記録するという方針であるが、三つも四つも収録されていると見る人が混乱を招くであろう。代表的な語を二つほど選定して載せることにするなど。

二つ目。規範意識との格闘。たとえば、数の「200」という表現は、手話講座などでは「2/100」とふたつの形態素で教えることが多いようだが、ろう者たちの日常会話ではそれを見たことがない。聞こえる人たちにちゃんとした正しい手話を示さなければ、という意識はけっこうだけれど、ろう者たちが常用している表現を収録していかないと、手話の読み取りができない人ばかり増えてしまうのでは?と思う。日常的な表現は、くずれた誤った手話なのではなく、辞書に掲載するに値する語であると説明するなど。

三つ目。新語創作や外来語導入の強い欲求。たとえば、「春/夏/秋/冬」。アビジャンでの季節は「雨季/乾季」なので、日常的な手話の会話でも雨季と乾季をよく使い、春夏秋冬という語が会話に上ることはない。しかし、学校の理科の授業では、概念として春夏秋冬を習うため、手話の語彙が必要である、とろう者たちは考える。このため、新語を創作したり、外来語を探してきたりして、辞書に入れたいと言う。その必要性はよく分かるが、そうなると「現在使われている手話の記録」ではなくなってしまう。新語提案を目的とした資料作成ならともかく、今回はそういうケースは見送って、ろう者たちの間で定着してきたら第二版で入れるのはどう?などという議論をする。

四つ目。演じるというバイアス。たとえば「4月」という語は、手のひらの内側と外側で A と L の二つの指文字を示すため、映像の中で手の形が鮮明には見えにくい。このため、手のひらの向きを変えるなど、初学者にも分かりやすい映像にしようとする。その結果、ふだんの会話で用いているのとは手の位置や向きが異なる作為的な表現が映像記録に残ってしまう。後でろう者が見ても奇異に感じるようなものを記録してもしかたないから、そういう改変はやめて、必要なら文字で注記しよう、と提案する。

「ろう者が日常的に用いているありのままの語彙を映像記録に残す」という作業が、いつしか、初学者のための教材作成になっていたり、学校の教科指導用資料作りになっていたりする。辞書がそういう目的に転用されていくのは大歓迎だが、それのために本来の記録が曲げられてしまったら望ましくない。研究者としての頑固さで目的を確認し、軌道を元に戻す提案をすることもしばしばである。全体計画を担当する、私の役割である。

■西アフリカ言語会議の全体講演者に選定!
今週の火曜日、朗報がまいこんだ。

7/31月-8/5土に予定されている、第30回西アフリカ言語会議(主催:西アフリカ言語学会)。隔年で開かれている国際会議で、今年はガーナのウィネバ教育大学で開かれる。

その最終プログラムがウェブで公開された(大会プログラムは西アフリカ言語学会の facebook アカウントで閲覧できる)。私の発表は、会期中に予定されている5件の全体講演のひとつに選定された。しかも、初日の開会式に続く全体会という非常に注目を集める時間帯に、1時間もの講演時間をいただいたのである(一般の発表はひとり30分)。

西アフリカ中の言語の研究者が何百人も集まる国際学会で、全体講演者に指名。大変光栄なことであると同時に、そのミッションの重大さに緊張が走る。

これには実は伏線があって、いま客員としてお世話になっているコートジボワールのフェリックス・ウフェ=ボワニ大学の教授が、この国際学会の会長を務めている。4月にあいさつに行った時に、そういえば8月にガーナで国際学会があるから君も参加したら?と軽いお誘いを受けた。いい経験だから行ってみようかなと応募を検討したとき、その会長が、君の研究は重要だから全体講演にしてもいいな、よし、会長として推薦しよう、とメールを一本。さっそく学会の事務局長であるナイジェリアの人と、現地実行委員であるガーナの人たちが迅速に動いてくれて、この全体講演者としての指名が決まった。

この機会をいただけたことだけでも、アビジャンに来て、ここの大学の客員になったことの意義が十分にあったなあと感じている。

1997年、カメルーンのヤウンデで、初めてろう学校を訪ねてから20年。西・中部アフリカ9か国を訪ねて調査をし、またあちこちで手話とフランス語と英語による講演や発表を重ねてきた。その末にもたらされた、今回の栄誉。たゆまずやっていると、いいこともあるなあ。がんばって務めてこようと思います。

■またも警察駐屯地での銃撃事件
ガーナでの国際学会の全体講演が決まったことを受けて、ガーナ行きのバスチケットを買い、檜舞台のために新しい服を仕立てようと、緑と白のアフリカ大陸の模様の布地を買うなど、いろいろが上向いていた感じの水曜日の深夜。

ズキューン…。パパン、パパパパン、パパパパパン…。

また始まったのである。自宅近くの警察駐屯地あたりと思われる、激しい銃撃音。晩の22:40-50頃であっただろうか。

とっさの反応として、まず自室の照明を消した。万一目立って、何かの標的にされたらかなわない。それから、窓の近くから離れて身を屈めた。標的でなくても、流れ弾に当たって死ぬのは嫌である。

暗闇の中、パパパパパパン…と鳴り止まない近くの銃声を耳にしながら、近所の友人に電話した。

また銃撃が起きてるね、そっちでも聞こえる?うん、聞こえてる。とにかく絶対に外には出ないで、照明を消して寝ることだね。明日には収まると思うよ。ありがとう。そういう会話を小声でした。前回と違って、今回は2回目だから、辞書も引かずに正しい定冠詞で銃撃(la fusillade)と言えたぞ、などと、どうでもいい細かいことに考えが及んだりする。

しかも、こんな時に限って、止まっていた水道が復活する。暗がりのなか、懐中電灯をともしながら、ちょろちょろとペットボトルに水道水を汲む。こんな光景も、過ぎ去れば思い出になるのかもしれないなあなどと思いつつ。

ウェブでニュースを見ると、同日にはココディの警察学校(大学のすぐ向かいにある)でも銃の乱射があり、死傷者が出たという。背景の情勢はよく分からない。5月の騒動の後に支払われた一時金に対し、なおも不満をもっているグループの仕業ではないかという見方がある。内閣改造で、新しい防衛大臣が任命された日であり、さらにはフランス語圏の競技大会で各国の選手団や要人が続々と来訪しているタイミングでもあるため、国際的に注目を集めて政府を揺さぶることをねらった示威行動ではないかとの読みもあった。なぜこの国の政府と防衛省は軍を統制できていないのか、という疑問を述べる人もいた。

やがて、在アビジャンのフランス大使が、競技大会は万全のセキュリティのなかで行われるので安心しているとの声明を出し、後は、大会の開会式の速報でニュースサイトは埋まっていった。事件の真相はよく分からないまま、一夜の恐怖の感情だけをうっすらと残しつつ、アビジャンの街は再びいつもの喧噪に戻り、私はいつものろう者たちとのチームワークに戻った。

薄氷一枚の平和。時おり銃声が平和を切り裂いて、恐怖と暴力による権力闘争の実相を垣間見せる。市民はその時だけ頭を伏せて難を逃れ、そして翌朝はまるで何事もなかったかのようにバスとタクシーで通勤し、市場で野菜と魚を売っている。

アビジャンは、本当に分からない都市である。銃声を聞いて「ああ、またか」と思い始めた時が、ここの住人となる第一歩なのかもしれないと思う。

いいことと悪いことがないまぜの暮らしの中、作業はぼちぼちと進んでいるのが救い。ガーナのビザもホテルもバスも準備して、来週は、その名誉ある学会講演の準備などに時間を割こうと思う。はたしてガーナにたどり着けるのかな。ともあれ、銃声の予感に恐怖しながらも、たゆまぬ日常の歩みを続けるしかないのである。

では、また来週。Bon week-end !


2017年7月19日 (水)

■アビジャン日記 (15): コートジボワールのビザ/一時滞在資格の取得全記録

毎週の週末日記を離れた、ワントピックの号外です。

コートジボワールに約6か月の滞在をするにあたって、今回、三つの書類を申請し、取得した。1回目のビザ(3か月有効)、2回目のビザ(3か月有効)、そして、一時滞在資格(TPS)(1年有効)である。

簡単なものもめんどうくさいものもあったし、早いものも時間がやたらかかったものもあった。ビザと TPS の機能と所轄の違いなど、手探りで調べて徐々に分かってきたこともある。

おもには、今後の自分のための備忘録として。せっかくなので関心のある人が閲覧できるように。ここに全記録を上げておくことにする。

なお、私の立場は、コートジボワールの大学が客員教員として受け入れるという学部長(doyen)による公式な招聘状を伴う、研究目的の長期滞在である。万人向けというわけではない。

また、こういう記録の常として、制度や情勢はいつでも変わりうること、あくまでも個人のいち体験をつづったものであって普遍性はないこと、担当者の裁量や都合などでも状況は変わりうること、を指摘しておく。この記録に起因する今後のことについては責任を負えないので、参考に読んだ方も、各自で最新情報の確認をしていただきたいと思う。

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■コートジボワールビザ(1回目)(2017年3月申請、取得)

関連サイト:Ministère des Affaires Etrangères : Comment obtenir le e-visa pour la Côte d'Ivoire ?

種類:研究者ビザ(3か月、マルチプル)

申請方法:東京の在日本コートジボワール大使館で申請、受領

準備した書類(すべて紙によるもの):
・申請手数料50ユーロ支払い領収書(事前にウェブでカード決済)
・大使館訪問予定日時の書類(事前にウェブでアポを取る)
・ビザ申請書
・写真
・パスポートとコピー
・黄熱病予防接種証明
・航空券 e-ticket
・なお、申請要領にある出生証明書(act de naissance)に代わるものとして戸籍謄本を持っていってみたが、要らないと言って戻された。
(以下は研究者、留学者対象)
・大学の招聘状
・最終学位証明
・宿泊予定証明
・銀行の残高証明
・海外旅行保険証明

ウェブでの手続き:申請前に大使館訪問予約を取り、50ユーロをクレジットカードで支払った。

取得までの経緯:
3/24金、ウェブで申請のための大使館訪問予約を取るとともに、手数料の支払いをする。
3/27月、東京の大使館にて申請。指紋採取、写真撮影。3/29水に受領指定(申請から2日後)。
3/29水、予定どおり発給、受領。

取得までの日数:申請から2日後に取得。

有効期間:2017年4月5日-7月4日の3か月(91日間)

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■コートジボワールビザ(2回目)(2017年6月申請、7月取得)

関連サイト:Ministère des Affaires Etrangères : Comment obtenir le e-visa pour la Côte d'Ivoire ?

種類:観光ビザ(3か月、マルチプル)

申請方法:ウェブで e-visa を申請、アビジャン到着時に空港で受領

準備した書類(すべて電子化したもの):
・パスポート
・宿泊予定証明
・航空券 e-ticket
・事前登録証(これのみ紙媒体で準備。メールで受信した添付書類を印刷して空港到着時に持参)

ウェブでの手続き:文書をすべてウェブでアップロードし、73ユーロをクレジットカードで支払った。

取得までの経緯:
6/19月、ウェブで e-visa を申請。
6/20火、メールで事前登録証(pré-enrôlement)を受信。
7/3月、入国時の空港で1時間ほど待機、指紋採取の後、発給、受領。

取得までの日数:申請から1日後に事前登録証を取得。申請から14日後の入国時に、空港で即日ビザを取得。

有効期間:2017年7月3日-10月3日の3か月(93日間)

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■コートジボワール一時滞在資格(Titre Provisoire de Séjour (TPS))(2017年5月申請、7月取得)

関連サイト:Office National d'Identification : Titre Provisoire de séjour

申請方法:アビジャンの Office National d'Identification (ONI) (face à la Cathédrale, le Plateau) で申請、受領

種類:新規取得(1年)

準備した書類(すべて紙によるもの)
・パスポートのコピー、ビザのコピー、入国印のコピー
・居住証明(certificat de résidence、近所の警察署で発行してもらう)
・大学の招聘状
・証明写真2枚
・6,000 FCFA

ウェブでの手続き:ウェブでの申請、支払い、訪問予約などの手続きはない。

5/24水、ONIにて申請。指紋採取。6/16金(申請から23日後)に受領指定。
6/16金(申請から23日後)に訪問、しかし当日未作成。6/21水(申請から28日後)に2度目の受領指定。
6/21水(申請から28日後)に訪問、しかし当日未作成。7/5水(申請から42日後)に3度目の受領指定。
7/6木(申請から43日後)に訪問、ここで対応が2人で分かれた。

>> 私の場合(コートジボワールに過去何度も滞在した経験がある):指紋押捺の後、発行、受領。
取得までの日数:申請から43日後に取得。

>> つれあいの場合(コートジボワールに入国したのは今回が初めて):「初入国後まだ3か月を経過していないので発行できない。3か月以上の滞在を必要とする」と言われ、7/18火(申請から55日後)に4度目の受領指定。
7/19水(申請から56日後)に訪問、指紋押捺の後、発行、受領。
取得までの日数:申請から56日後に取得。

有効期間:2017年6月20日-2018年6月20日(1年=366日)

===
■ビザの延長

今回は試さなかったが、ビザの延長を担当する部局と申請場所は、以下の通り。

部局:Direction de la surveillance du territoire(DST, 国家監視局)
本部:Deux Plateaux, Cocody
ビザの申請窓口:Direction Générale de la Police Nationale(国家警察)の建物内(Place de la République, le Plateau)
必要書類など:未調査

日本人長期滞在者のなかには、この窓口でビザの延長を行う人もいると聞く。一方、申請のために窓口に出向く煩わしさや、発給までパスポートが手元にないことへの抵抗感から、自宅でウェブを通じて e-visa を新規に申請し、3か月ビザを取り直すという人もいるという。

===

記録、ここまで。以下はぶつくさ言うコーナーです。

■3種類をざっくり比較
今回は、結局、3か所で、それぞれ異なる方法と書類で、出入国/滞在のための許可を取ったわけであるが、ざっくり比較すると、

・在日本大使館で取った研究者ビザは、早かったが、書類がやたら必要であり、また東京の大使館に2回も出向く必要があった。
・E-visa で取った観光ビザは、早くて、書類も少なくて済むが、空港到着後に1時間ほど待つことになった。
・アビジャンの ONI で取った TPS は、書類は少ないが、やたら時間がかかり、担当職員と顔なじみになるほど何度も足を運ぶはめになった。

というわけで、「申請は e-visa +種類は観光」という3か月タイプが、最も簡便なものであった、という結論になる。

ついでながら細かいことを指摘しておくと、在日本大使館と、e-visa 申請の空港発給とで、「3か月」の定義がずれていることにも気付く。たとえば、同じ1月1日から有効のビザだとしても、大使館では「3月31日まで」と考えるし、e-visa では「4月1日まで」と考える。たかが1日の違いとはいえ、期待が外れた時には大変な事態を招くので、注意が必要だろう。

長期滞在のためにはいろいろな選択肢があるものの、今回は、当初の3か月ビザがちょうど終わるタイミングで、スイスの国際会議への出張があったため、それを節目として一度出国し、続けて2回目のビザを取り直す、という形になった。それがベストな方法だったかどうかは分からないが、それでうまく6か月をカバーすることができた。

TPS とはいったい何ものか、ということについては、以下に縷々記したいと思う。

■一時滞在資格(TPS)は万能の書類?
東京の在日本コートジボワール大使館では、とりあえず最大3か月までのビザしか発給できない、延長などはすべてアビジャンに着いてからやってくれということであった。

ビザの延長をどうやって行うのか。3か月ビザで入国した私たちは、アビジャンに着いてからさまざまな人に問い合わせたが、詳しいことを知っている人はいなかった。客員として所属する大学にも問い合わせたが、国際交流を担当する部局の人たちも、詳しいことはよく分からないと言う。

日本の人は3か月ビザを何度も繰り返し取っている模様だ、というような情報もあるなか、現地のある確からしい筋から、TPS という書類を取得することを勧められた。3か月でビザが切れる前にこの TPS を取得すれば、ビザの延長と同じ効力をもつと理解して、その取得の手続きを進めた。

Titre Provisoire de Séjour(TPS)。コートジボワール国籍をもたない長期滞在の外国人が申請して取得するものであるが、これは謎の書類である。

「ビザが切れても、TPS さえあればずっと滞在できる」
「ビザが切れても、TPS さえあれば何度でも再入国できる」
「どんな国籍の人でも、TPS で出入国が可能」
「3か月ビザが切れそうな時に、現地で TPS さえ取れば、ビザの延長と同様の効果をもつ」などなど。

あたかも、短期ビザで入った人が、現地でこれさえ取れば、いくらでも自由にコートジボワールに滞在したり出入国したりできる魔法の書類のように語られる。

たとえば、(政府ではないけれど)アビジャン滞在について紹介しているサイトなどでも、「TPS があれば、ビザなしで自由にコートジボワールに出入りできます」と書かれている。

■TPS に頼ることの危うさ
しかし。よくよく調べてみると、この書類に頼るのはきわめてリスクが高いということが分かってきたので、メモしておきたい。

「ビザが切れても、TPS さえあればずっと滞在できる」
>誤りらしい。出国の時に、入管職員がパスポートのビザのページを確かめていた。ビザ切れの後に TPS のみで滞在し続けたり出国したりすると、トラブルが発生する可能性がある。また、他の国で入国審査を受ける時に、ビザの空白期間が生じていることを指摘され、やはりトラブルになる可能性もある。

「ビザが切れても、TPS さえあれば何度でも再入国できる」
>誤りらしい。過去に、日本人がビザなしで TPS だけを示して入国しようとして、もめたことがある(結局、交渉して入国させてもらったりしたらしいが)。また、入国以前に、コートジボワールへ向かう便に乗るとき、航空会社が TPS をビザ同等のものと認めず、搭乗させてくれないおそれがある。

「どんな国籍の人でも、TPS で出入国が可能」
>誤りらしい。だれでも OK だという人もいれば、いや、これはフランス国籍者にのみ適用される特例措置だと言う人もいた。

「3か月ビザが切れそうな時に、現地で TPS さえ取れば、ビザの延長と同様の効果をもつ」
>これは誤り。「3か月未満の滞在者には発行しない」と、当該の役所にハッキリと言われた。

■TPS とビザは別ものである
諸説が飛び交って混乱をきわめてきたため、私たちは TPS に頼るのではなく、スイス出張で一度出国する機会に合わせて新規に e-visa を取り直し、再入国に備えることにした。あわせて、役所の職員ですら人によって説明が食い違うので、いったい制度がどうなっているのか、在コートジボワール日本大使館の方に相談し、正式にコートジボワール政府のビザ/入管担当部局(DST)に問い合わせをしてもらった。

結果は、次の通り。

・TPS はコートジボワールの国内で通用する証明書。ビザの代替ではない。
・一般的に、ビザがなくても TPS で出入国や滞在ができるということはない。
・唯一、フランス国籍者のみ、TPS での入国が認められている。コートジボワール人が、フランスの外国人登録証でフランスへの入国が認められているため。

つまり、フランス人にのみ特例的に認められている措置が、拡大解釈されて、「外国人はみんな、これさえあればビザなしでも OK」のような誤った認識が(政府の職員の間においてすら)流通してしまっているのである。日本人のようなマイノリティについては、だれも正確なことを知らないし、教えてもくれない。

#前述のアビジャン情報サイトなどでも、「ただしフランス国籍者に限る! 他の国籍の人がまねしてはダメ!」と大きな文字で書いておいてほしいよね。誤解する人続出だと思うよ。

私たちは、TPS に頼れないという危うさに気が付いて、ビザの取り直しをしたため、大きなトラブルなく滞在を続けられているが、それを知らずにうかつにフランス国籍者のようなふるまいをしていたら、えらい災難に遭うところであった。

■TPS はビザと並行して取得するもの
では、TPS はいったい何のために取るのか。フランス人だったら、TPS は「1年間有効のビザ」を取ったのと同じ効力をもつから、それは便利なことだろう。私たちフランス人でない者にとっては、それほどメリットは大きくないが、コートジボワール国内ではそれなりに効力をもつ公的な身分証明書のひとつだと考えたらよいだろう。

長期滞在する人が、「ビザと並行して」いちおう取得しておいて、役所や警察や家を借りる時などの手続きで必要な際に、身分証明書の選択肢のひとつとしてもっておけばよいのだろうと思う。もっとも、ほとんどの用事はパスポートで済んでいて、TPS でしかできない手続きというものを私はまだ見たことがない。

ビザの取り直しを済ませた私たちにとって、出入国や滞在のための身分保障は整えてしまったので、今さら TPS を取得する切迫した必要性はないのだが。いちおう、ひとり6,000Fも払って申請したのだし、せっかくだから身分証明書のひとつとして記念に取得しておいた。いずれどこかで警察の職務質問にあった時にでも、これを見せてみてその効力を試してみようかなと思っている。

これから、アフリカの大学も、外国人研究者との交流が増えてくるに違いない。フランス人研究者であれば、TPS だけで済むのかもしれないが、フランスだけとの付き合いではないのである。こういうことでとまどわないためにも、大学は招聘のレターを書くだけでなく、ビザ関係の手続きについても詳しく把握しておいてほしい。このことは、帰国までに大学に提言しておこうと考えている。

では、次はまた週末に。


2017年7月15日 (土)

■アビジャン日記 (14): ガーナのビザを取得/スイス科学研究センターを訪ねる

今週は…なんというべきか、いろんないろんな無数のことが、少しずつ進んで、しかし爽快に片付いたわけでもない、微妙に達成感に欠けた週でしたね…。これを「中だるみ」というのかもしれません。

■アビジャンの仕事の温め直し
今週は、アビジャンのろう者たちとのチームワークを再始動させた。スイス出張と、その後のトラブル、そして豪雨自宅待機と日本語原稿執筆、というふうに、しばらく自分の世界に没頭していて、アビジャンでの共同作業をお休みにしていたので、再度活性化させるために何日かを必要とした。

今週は、小さな準備会合を3回ほど。2人、3人、5人と徐々にメンバーを増やし、原案を固めて、共有していく。本格稼働は来週かなあ。これは、やや前進という感じ。

日本語の原稿と本作りの方も、専念できるほどのまとまった時間がなく、細切れに少しずつお仕事。進んだような、止まったような。でも、確実に少しずつは進めている。

週末近くに、別件の、日本の出版事業に関する細かい仕事がまいこんだ。少し時間を割いて、送り返す。なんだか用事が減ったようでまた増える、雑然とした感じの週末である。

■フランス語に感じる言語の家元制度
懸案のフランス語の共著論文の打ち合わせも、土曜日にようやくできた。たとえば、英語圏では、Deaf と deaf の意味の違いはすっかり定着していて、今さらその解説の必要はないと見える。しかし、フランス語圏ではそうはいかない。Sourd と sourd の使い分けの理由を、注釈で付けた方がいいだろうか、とか、そんな議論をした。

フランス語圏アフリカの人たちは、英語圏(米、英、ナイジェリア、ガーナなど)における研究と当事者運動の成果を参照して、どんどん使っていきたいと考えている。その時にネックとなるのが、フランス語。直訳すればいいというものでもなく、本拠地であるフランスでの用法などが少し気になるのである。

今日の議論でも、英語の deafness に相当するのは surdité だよね。じゃあ、Deafhood に相当するフランス語は何だろう? いや、そういう語はまだないんじゃないかな。フランスではそういう概念が普及してないだろうから。そんな会話があった。

しばしばあることだが、英米で生まれて普及した新しい概念が、フランスでは一般的に用いられていないがゆえに、その余波で、フランス語圏アフリカの人たちもそういう新しい概念を使いにくい状況に置かれる。世界はオープンに自由になったかに見えて、言語をめぐっては、どこか「家元制度」にも似た窮屈さが感じられるのである。

「英語とフランス語の違い」という言語の壁に加えて、「フランスとアフリカの権力関係」というふたつ目の壁がある。二重の枷をはめられているようにも見えた。植民地からの独立っていったい何だろう、と考え込む。

#もっとも、アフリカのフランス語人口がさらに増えていけば、フランス語の本場はアフリカに移るかもしれない。そうなったら、フランスに遠慮なく、アフリカで新語をどんどん増やしていくということにもなるかもね(関連日記)。

■ガーナのビザを取得
今週のひとつの達成は、ガーナのビザを取得したこと。

くわしくはまた書こうと思うが、西アフリカ言語学会(英 WALS/仏 SLAO)が隔年で開催する「西アフリカ言語会議」というのが、今年7-8月にガーナで開かれる。そこで発表する機会をいただいたので、コートジボワールから隣国のガーナに陸路で出張しようともくろんでいる。そこで、ガーナのビザが要るわけである。

ビザを取るのは、さほど大変ではなかった。記録として、今回の取得要領をアップしておく。

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■ガーナビザ(2017年7月取得)

関連サイト:Embassy of the Republic of Ghana, Côte d'Ivoire

種類:観光ビザ(1か月、シングル)

申請方法:アビジャンの在コートジボワール・ガーナ大使館で申請、受領

準備した書類(すべて紙によるもの):
・コートジボワールの居住証明のコピー(※1 以下に記述あり)
・ガーナのホテル予約証明(※2 以下に記述あり)
・写真
・パスポートコピー
・記入した申請様式
・30,000F(1か月の場合。ビザの期間によって料金が異なる)

ウェブでの手続き:ウェブでの申請、支払い、訪問予約などの手続きはない。

取得までの経緯:
7/6木、アビジャンのガーナ大使館にて申請。書類と現金の授受のみで、写真撮影や指紋押捺はなし。7/10月に受領指定(4日後)。
7/10月、予定どおり発給、受領。

取得までの日数:申請から4日後に取得。

有効期間:3か月以内の入国に有効。発行日から30日間との裏書きを行う
===

…です。4日ですっくりと出たので、実に楽に感じられた。

少し気になったのが、ビザの中の次の文言。

Endorsed for 30 days from date of issue
Valid for entry within 3 months of date
Issued at: Abidjan
Date: 06/07/2017

"30 days from date of issue"、つまり、ビザを発行した日から数えて30日で切れてしまうのか?と不安になった。よくよく確かめると、これは、どうやら「ガーナ入国日から30日の滞在ができる」という意味であるらしい。ガーナ大使館の職員は、そう強調していた。入国の時に、滞在可能日数を表示したスタンプが押されるらしく、その日からカウントが始まるという。ちょっと誤解を招きやすい表現かもなあ、と思った。実際、ウェブ上には、英語でそういう不安を述べている旅行者の書き込みがあった。世界には、同じようなことを気にする人がいるのだ。

■仕事の遅い組織、仕事の早い個人
ガーナのビザ取得で経験したことを、いくつか追記しておくと。

※1の居住証明(certificat de résidence)。私たちはアビジャンに借家をもっているので、家の契約書をもってまず近所の警察署に行き、居住証明を発行してもらって、それをコピーしてガーナ大使館に提出した。もしホテル住まいだったら、何を出せばいいんだろう。今回はくわしくは聞かなかった。

※2のホテル予約証明。実は、これが最も取得困難な書類であった。学会が推奨する、ガーナの会場の大学近くのホテル。立派なウェブサイトがあるので、専用ページから予約情報を送信し、「ビザのために必要だから、予約証明書を作ってメールで送ってほしい」と依頼した。数日間、ほったらかし。

2回、3回とメールで催促するも、返事なし。業を煮やしてホテルに国際電話をかけたところ、「え、いつ泊まるんですか? お名前をどうぞー」と、新規予約受け付けという風情。いや、こちらはウェブのフォームで申し込み済みなんだ、ビザ申請で急ぐから早く予約証明を送ってほしい、あ、はい、メールですか、メールを送ったんですね、今から確認しますー、という気の抜けたようなやりとり。

そして、待機するも、返事なし。ついに、申し訳ないながらも、大会の実行委員会に直訴した。学会推奨のホテルが予約証明をくれない、従ってビザを取れない、ビザがなければ発表に行けない。どうかホテルをせっついて、かめいが予約した証明を送るように言ってほしい、と。

わかりました!という返事の翌日、大会実行委員の1人がホテルに出向いて、即日、予約書類を獲得、画像を添付書類で送ってくれた。この仕事の早さといったら。そのおかげで、迅速にビザが取れたことは言うまでもない。

実行委員の人は、「ホテルのスタッフは、予約証明の依頼についてまったく分かっていませんでした」という。やれやれ。立派なウェブサイトを構えていても、まったく機能していないではないか…。

ホテルは、仕事をしなかった。しかし、ガーナの学会実行委員会のなかには、きわめて仕事の早い人が少なくとも1人いることが分かった。組織が機能しない時は、仕事の早い特定の人物のコネクションを利用して、何とか解決する。アフリカ歴20年のなかで、そういう方法を身に付けた。あんまりいいことではないけれども、とりあえず属人的に解決することで、前へと進む。お世話になったその方には、ガーナでお会いした時にお礼を言おう。

■そして次の難題
以前、ビザや滞在許可の案件を四つも抱えていて、と書いたことがあるが、コートジボワール2件(2回目のビザと一時滞在資格)、ガーナ1件は片付いた。残るは本丸ひとつ、フランスの長期ビザである。これにずいぶんと時間を取られている。

フランスの役所関係のサイトを隅々まで読み、事務的な作業を進める。こういう時のフランス語は、大嫌いである。まず、役所独特のことば使いがよく分からない。次に、フランスと日本の制度の違いが大きく、機能や背景も知っておかねばならない。また、受理する翻訳などの書類の条件がせまい。そして、紙媒体の原本でやりとりせねばならないことが多い。

PDF でだいたいの用事が済むこの時代に、紙でどうこうせよと言い続ける役所の慣行は、世界的にもう全廃しましょうよ、と私は提案したい。効率が悪すぎるからである(もしかして、人間の移動を制約するために、あえて効率を悪くしているのかもしれない、という仮説も成り立つ)。

うーんフランス語分からん!と音を上げそうになるが、つべこべ言ってる暇はない、分かるしかないのである。腹をくくって何日も、このことに没頭したりする。

グローバル化と人間の移動に伴い、国民国家は溶解に向かっている、などと抽象的に軽々しく言うけれど。いやいや、なかなか国民国家の壁は堅牢ではないか、とも実感する。

■スイス科学研究センターを訪ねる
書類雑務にアタマが焦げ付くなか、今週のフレッシュな気分転換は、初めてスイス科学研究センターを訪ねたことである。

Centre Suisse de Recherches Scientifiques en Cote d'Ivoire、CSRS と略される。スイスとコートジボワールが共同出資し、しかし財源の大半は自分たちでまかなっているという、自律的な運営をしている研究所である。

先週、スイスのバーゼルからアビジャンに戻ってきたとき、到着した空港でたまたま知り合ったスイス人の研究者親子。いちどお会いしましょうか、と話していて、その後のメールのやり取りがあり、本当に訪問する機会を得られたのである。空港でぶら下げていた学会のカバンが取り持ってくれた、不思議なご縁である。

ダブー街道(Route de Dabou)を西へ。ヨプゴンの西の端の Adiopodoumé 地区にある(「アディオポドゥメ」と読むのか?)。

遮断機のある検問をくぐり、さらに奥へ。ラグーンに面した静かな森のなかに、その研究センターはあった。今回は、スイス(ドイツ語圏)出身で、幼い時に父親の研究業務に同行してアビジャンに滞在、約20年ぶりにかつて自分が暮らしていたこのセンターを短期訪問しているという E さんに、所内を案内していただいた。所長や理事などの幹部、人類学者なども紹介してもらい、純然たるアカデミックな話をした。書類雑務のストレスと、物事が進まない不全感の日々のなか、一服の清涼剤のようなひと時であった。

photo20170713_csrs.JPG

医学や生態学、農学などの生物学系のプロジェクトを多く走らせているというこのセンター。所内には、研究施設のほか、事務棟があり、ゲストハウスがあり、食堂があり、広い庭に茅葺きの会議室がある。ゲストハウスのベランダでソファーに腰掛け、庭の風景を見やりながら、あー、こんな静かなところで研究に没頭できたら、いかに原稿の筆が進むであろうか、などと(自分の怠慢を棚に上げて)想像した。

静かな森の中を散策しながら、E さんのお話を聞いた。かつては、すぐ隣にフランスの研究所 ORSTOM(Office de la recherche scientifique et technique outre-mer)があって、その一帯にはフランス人の家庭が多く住んでいた。この地区のためのフランス人小学校があって、全学年あわせて50人ほどのフランス人の子どもたちがおり、スイス人は自分たち姉妹2人だけであった。自分の母語はドイツ語だが、この学校でフランス語になじんだ。近くの家々に、フランス人の友だちがたくさん住んでいた。コートジボワールの内戦、フランスの研究所の移転などもあり、学校はすでに閉鎖されてしまった。しかし、幼かった当時、自分たちの世話をしてくれたコートジボワール人のスタッフたちは、今も変わらずここで働いている…。

ひと昔前の、このフランス人・スイス人集住地区の思い出話を聞いた。率直に言って、おもしろかった。ふだんやかましい町に暮らしていて、こういう時間を超越した、まったく視点の異なる人の話に触れるのは、新鮮だったからである。

一種の隔離地区と言えば、そうとも言える。何と言うか、映画に出てくる植民者の邸宅の区域みたいな、そこでの入植白人家族と黒人使用人の、権力関係を含みつつも信頼関係を育んだあの懐かしい日々、みたいな、なんかああいう風景を想起させた。

もっとも、現状を、ヨーロッパ=白人のための地区、と表現するのは適切でない。実際、現在のセンター長はトーゴ出身の獣医学博士であり、センターはコートジボワール人をはじめとするアフリカ出身の教授や院生を多数擁し、いわゆる人種的な隔離を行っているということではまったくないからである。

ただ、こういう地区と設備にアクセスできる人は、やはり一握りの特権的な階層ではあるよな、と言うことはできる。従来の階層の分離は厳然と維持されながら、ヨーロッパ人と一部のアフリカ出身の人たちが、現在それを共有している、という、アフリカの縮図のひとつを見るような思いであった。

ゲストハウスをはじめとする施設の快適さにも、いろいろと考えさせられた。たとえば、こういうところにアクセスしやすい国籍、大学、研究機関の人であれば、着いた翌日から、快適なラボで実験し、会議し、社会調査に出向くことができるだろう。借家探しで何日も時間をかけたり、水道が出ないから雨の日にバケツをもって走り回ったり、路肩の焼き鳥を食べて唐辛子でお腹を壊したり、バカ(乗り合いバス)で釣り銭がないからと言って乗車を断られたり、そういう面倒くさいいっさいのことをしなくてもいいんだな、と(快適すぎて退屈かもしれないけれど。あと、雑木林に囲まれているので蚊には刺されやすいと見た)。

フランスやスイスは、国家の政策として、こうやってアフリカ現地での研究に投資し、施設とスタッフと人脈をもち、人びとを次つぎと送り込んでは成果を上げていく。かたや、日本から来た私たちは、単身乗り込んで、ちまちまと個人で物事を解決し、またちまちまと国際会議に行っては成果を報告する。ほとんど「徒手空拳」に近い。スタートラインでずいぶんと待遇が違うよな、と思う面もある(ヨーロッパの政策としてのアフリカ研究は、植民地主義的との批判も受けるとは思うけれど)。

悔しいから、せめて研究者友だちでも増やして、自分の成果のアピールでもするか。という感じで、何気に、いずれ発表でも何でもしますから呼んでください、と声かけをしてみると、じゃあ一度セミナーをやりましょう、ということになった。センター長の即決である。

センターを辞して、帰宅すると、その日のうちにさっそく担当者から電話が入り、メールが入り、日程と時間とテーマが決まり、広報の準備依頼が届いた。おー。仕事が早い。研究のためには効率重視という、研究機関っぽいこの感じ。いいなと思う。

というわけで、スイス科学研究センターでおひろめ講演会をする機会に恵まれたので、がんばって準備しようと思う。

■少しの水で生活するという特技
水道の出ない家に住んでいて、水を節約して使うことにも慣れてきた。食事の後、水をちまちまと使いながら食器を洗っていたところ、うちのつれあいに感心された。よくそれだけの少ない水で洗えるよねえ、私なんかもっと使っちゃうのに、と言う。

少しの水で生活する技。そんな特技が自分にあるとは、あまり自覚していなかった。たぶんそれは、20年前、カメルーンの熱帯雨林の中の集落で長期間暮らしていた時に身に付いた習慣である。

熱帯雨林だから、もちろん水はたくさんある。しかし、それは「川に行けばたくさん流れている」ということである。水浴や洗濯であれば、川に行って心置きなくざぶざぶとできるけれども、炊事や皿洗いなどは、川から集落へとバケツで運んだ水を少しずつ節約して使う。毎日何往復も川の水を汲んでくるのは重くてしんどいから、1日バケツ1杯と目標を決め、それで家での生活を済ませることにしていた。皿やナベを指でよーくこすり、うまくためすすぎをすれば、そんなに大量の水を使わずともきれいになるものだ。

アビジャンは、400万の人口をもつ大都会である。同じアフリカとはいえ、熱帯雨林のあの集落とは対極の世界だ。しかし、水が不足したら節約しながら何とかする、という意味で、実はよく似ているのかもしれない。皿を洗いながら、森の中のあの暮らしを懐かしく思い出した。

日本のテレビでは、制限時間内で、あるいは決まった予算内で、料理の腕前を競うといった番組がある。私が提案したいのは、「少ない水で料理の腕前を競う」というもの。ペットボトルの水1.5リットルだけで、調理から片付けまでをすべて行え、というルールで料理を競ってみたらどうだろう。などとアホなことを思い付いたりする。

さあ。ぶつぶつ言っていてもしかたない。来週はアビジャンのろう者たちとの共同作業が立て込むかも。一方で、ガーナ行きが迫りつつあるので、そっちの準備も片手間にやらねばならない。ビザはともあれ、仕事の上での達成感のある週にしたい、と思う。

では、また来週。Bon week-end !


2017年7月8日 (土)

■バーゼル日記補遺/アビジャン日記 (13): ノートと荷物の紛失で大騒ぎ/アティエケ食べながら原稿合宿

今週は、スイスのバーゼルから再びアビジャンに戻りました。ついでに、いろいろトラブルなども。

■学会を終えて
第7回欧州アフリカ学会(ECAS7)は、無事に閉幕。

次回、2年後にまたエジンバラで再会しましょう
いや、アフリカ関係の別の会議でお会いするかも?
今年11月の米国アフリカ学会(シカゴ)には参加しますか?
それとも、来年8月の世界アフリカ言語学会議(モロッコ、ラバト)かな?
などと、あいさつもいろいろと忙しい。

バーゼルの博物館がすべて無料参観になるという日も重なって、歴史や文化に関する情報を集めたりした。バーゼル民族文化博物館では、妙にパプア・ニューギニアおよびインドネシアに関する収集品が多く、えーとスイスとどういうつながりがあったっけ、と思いを巡らせたりした。アフリカ関連展示は多くはなかったものの、それでもガーナの仮面、アフリカの女性たちがまとうパーニュ(布)、奴隷貿易で用いられた鉄製の拘束具など、いくつか印象に残るものがあった。

奇妙な展示があった。コートジボワールで見かける Maggi のポスターである。Maggi とは調味料の名前だが、実はスイス発祥なのだとか。アフリカ系の母と娘がキッチンで料理をしている写真に、"Avec MAGGI, chaque Femme est une Etoile"(Maggi があれば、女性はみんなスターです)というキャッチコピーが付いている。アビジャンでもよく見るこのポスターが、博物館のケースの中に仰々しく展示されていた。スイス企業の商品が、アフリカでもこんなに広く浸透していると言いたげである。多国籍企業のアフリカビジネス、ジェンダーバイアス、自文化中心主義、アフリカを展示することの政治性、アフリカ系の人びとのイメージの流用などなど、さまざまな権力行使が錯綜する展示であった。

■フィールドノートを置き忘れ
帰り支度をしながら、重大なことに気がついた。愛用のフィールドノートが手元に見当たらないのである。これにはあわてた。学会で知り合った人たちの連絡先、アビジャンでの聞き取り調査のデータなど、貴重な情報が記されている。これはまずい。

会議閉幕後とあってみんなくたびれ果てたのか、学会の事務局に問い合わせてもまったく返事をくれなかった。最終日の分科会で知り合った大学院生のスタッフの方に、ウェブでメールアドレスを探し出して、個人的に連絡。バーゼル出発日の朝7時台に会場となった大学で待ち合わせ、清掃員の方にお願いしてカギを開けてもらい、遺失物の捜索をし、ついにノートを見つけ出したのである。Bravo !

喜びにひたる暇もなく、慌ただしくお礼を言って、トラムとバスを乗り継いで空港に直行した。本当に、時間的にギリギリのタイミングでの解決だったのである。

いやいやいや…。人類学者が「命の次に大事」とかふだんうそぶいているノートを、学会の会場にうっかり置き忘れてくるなど、本当に恥ずかしくてしょうがない。で、今後こういうことをしないためにも、自戒のために日記に書いておく。

韓国出身で、日本にも留学したことがあり、現在はバーゼルで大学院に通い、多くの言語を操りながら、タンザニアで調査しているという、学会スタッフの P さん。本当にお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

#なお、ECAS7 での忘れ物は、事務局が公式 Facebook ページに写真を掲載して、持ち主を探しています。USB メモリなどの忘れ物、多いんですね。

■エールフランスの荷物紛失騒ぎ
バーゼルからパリ経由で、再び地中海を越えてアビジャンへ。あらかじめ申請していたビザも、空港で無事に取得した。

ちなみに、アビジャンの空港のビザ取得待合室で、学会参加者カバン(黒い地にオレンジのアフリカをあしらった、けっこう目立つもの)をぶらさげていたら、隣に座ったやはりビザ待ちの2人から声をかけられた。あなたもバーゼルの学会にいたんですね、私たちもです、と。え、バーゼルからアビジャンまで、道中ずっと一緒だったんですね、と笑う。スイスの親子(父娘)で、そろって研究者であるという。遅ればせながら、アビジャンの空港で名刺交換。学会のカバンのおかげで、不思議なご縁ができた。

トラブルは、ここから。エールフランスに預けた荷物が、出てこなかった。しまったな、パリでの乗り継ぎ時間が2時間20分と短く、それが原因だろうか。いやいや、アビジャン便の出発は1時間55分も遅延したから、4時間15分もあって十分なはず、などといろいろと考えた。

飛行機に預けた荷物が来なかったのは、2005年11月、アメリカ人類学会(AAA)での発表のために米国ワシントン DC を訪れた時に、一度経験した。たしかユナイテッド航空だったような覚えがあるが、翌日ホテルに配達されて、スーツが学会発表前に間に合った!とホッとしたことだけ覚えている。

エールフランスの荷物が来ていません、と空港のオフィスに駆け込む。「届いたら配達します」「無料です」「明日、17:40に電話します」。すみませんの一言もなく、淡々と書類を作ってぶっきらぼうに応対する職員。なんだかな、と思いながらも、深夜とりあえず家路につく。

万一荷物が出てこなかったら、困るものは何だろう。さすがに今回は、先のノートの一件もあったから、重要な調査データ関係の書類や機器は、すべて自分で抱えて搭乗した。

まず痛いのは、EPSON のポータブルプリンタ。研究用務で世界を旅行する時の大事な相棒である。次に、一張羅のスーツ、靴、ネクタイ。学会をいくつかこなすために、今年はこの一着で世界を渡り歩くという衣装である。

後は、マラリア検査+治療のための医薬品。どこで熱が出ても慌てないためのお守りが、ひとセット入っている。バーゼル大学の前の公園の蚤の市で買った、イタリア製のエスプレッソメーカー。値段は10スイスフラン(約1,180円)と高いものではないが、アビジャンの家でコーヒーを楽しめないのは残念。

1日たっても、約束の時間に連絡なし。問い合わせ用の電話にかけると、ここじゃないとたらい回し。別の部局にかけると、「まだ届いていない」の繰り返し。

2日目になる。業を煮やして、バーゼルの空港の担当者に確かめようとしたが、国際電話でかけてみても担当者は出ない。アビジャンの空港にかけてみると、昨日言っただろう、担当はこっちじゃないんだと、明らかに面倒くさいという対応。で、指定された方にかけると、これまただれも出ない。

私は、そもそも電話があまり好きではない人である。それに加えて、この不快な用件。なごやかに楽しくしゃべるフランス語は得意だが、電話でクレームをつけてあれこれと要求するフランス語は得意じゃないんだよなあ、などと、言語の用途に好き嫌いを言ってもしょうがないのだが、とにかく憂鬱な2日間であった。

かくなる上は、エールフランスの事務所に乗り込んでガチで交渉しに行くか、と気持ちを固め、アビジャンの友人に同行をお願いしてアポを入れたその日、つまり到着から丸2日後の深夜に、電話がかかってきた。「荷物がアビジャンの空港に届いたので、明日の朝、自宅に届けます」と。ああ、ホッとした。モノも大事だが、こういうウンザリする交渉ごとから解放されたことが、何よりもひと安堵であった。

次の日の朝。予定より1時間半も早く(こういう時はなぜか早い)、自宅に荷物が到着した。本来の予定の2.5日後の配達である。カバンの中身はすべて無事であった。プリンタを取り出し、故障がないことの確認を兼ねて、さっそく仕事を始めたことは言うまでもない。

ちなみに、今回いろいろ調べて知ったこととして、未着の荷物の追跡システムというのがある(たとえばエールフランスであればこのサイト)。しかし、これは情報を得るためには役に立たない。

荷物の番号で検索すると、"Item located"(荷物の所在確認済み)と表示されたので、まあ世界のどこかにはあるのだろう、程度には分かったけれども、いまバーゼルにあるのか、パリにあるのか、もう機内に積まれたのか、アビジャンに着いたのか、そういうことはいっさい分からない。実にもどかしく、荷物を無くされた側の客の不安解消にはなっていない。しかも、配達が完了した後もその表示が何ら変わらないのだから、笑うしかない。「リアルタイムにご確認することが可能です」というのは、誇大表現である。

ゆうパックの追跡システムの「どこどこ郵便局を何時何分に出発」「到着」「ただいま配達中」みたいな、ああいう情報が欲しいよね。日本郵便は、あのシステムを航空会社に売り込んだらどうだろうか、と思う。

■アティエケ食べながら原稿合宿
そんなわけで、出張を終えた後の疲れもあったし、面倒ごとも降りかかったし、アビジャンの仲間たちとの細ごまとした仕事を再開しにくい状況にあった。さらに、今週は豪雨も続いて、家を出にくいことも重なった。

それじゃあ、と、えいっと片付けごとに取りかかる。手がけていたある書き物を、3日間集中で終わらせた。

仕事のペースは、だいたい7,500字/2,500字/3,000字くらいだったかな。初日は全体の骨子を固めて7割がたあらあらを書く/2日目は書きあぐねた後半と終盤の結語を書く/3日目は細かい数字のデータを詰めて用語を確認し、図表も付けて、完成。後は、通しで読んで削って推敲して、人に預けて、終わり。

轟々と雨が降るなか、娯楽の少ない、回線使用料も高いからウェブに逃避もしにくい、スマホでツイッターもやらない、テレビもない、あるのは机とイスと PC と電気と扇風機くらい、という家にいると、仕事くらいしかすることがない。日がなカタカタカタカタと打ち続けて、両腕と20本の指が棒のようになった。それでも、一度走り出したら止まらない。そう、時どきやってくる「没入」の体験。原稿の神様が降りてくる瞬間である。

日本の大学で多忙をきわめていた頃、ああ、どこか山荘にでもこもって、日がな一日書き物だけをするような暮らしをしたい、などと思ったことがある。山荘ではないが、アビジャンのアパートの3階(現地呼称では 2e étage)にこもって、アティエケ(キャッサバのポロポロ発酵パスタ)を食べ、ビサップ(ハイビスカスの赤いお茶)を飲みながら、「缶詰原稿書き合宿」をしている。状況としては、そんな今週であった。

■役所関係の仕事もちょこちょこと
そんな自分の世界にこもりがちの今週でも、ちょこちょこと雑務もこなしていた。

まず、ガーナで予定されている国際会議のビザのため、宿泊予約証明書を手に入れた。実は、エールフランスの荷物紛失と並んで、この書類取り寄せの件でも相当ストレスがたまっていたのである。

雨季の晴れ間をぬってココディとプラトーへ行き、コートジボワールの一時滞在資格証(TPS)を取得、ガーナとフランスの大使館を訪問、ビザ関係の手続きを進め、Institut Français で本を借り、などと。

役所関係の書類の仕事は本当に好きではないのだが、紙さえ揃えれば進むという意味では単純でもある。原稿を書くというワクワクするクリエイティブな仕事の対極にある、退屈な事務仕事。プリンタが無事に戻ってきたおかげもあって、そっちでもいくつかの進展があったので、まあ今週はそれでよかったことにしようと思う。

■おまけ:夏休みの計画の参考に
以前も紹介したことがあるが、私のつれあいがアビジャンに一緒に来ていて、滞在で経験したことをブログにつづっている。

最近、彼女のところにも、「あなたがいる間に、私もアフリカに行ってみたい!」という連絡がちらほらあるのだとか。そこで、こうした問い合わせにまとめて対応するために、このような記事を掲載したので、リンクしておく。

Deaf Journal ろう者の風景
「コートジボワール渡航ガイド」 (2017年7月8日)

【注1】アフリカ研究者にとっては、常識的なことが多いです。
【注2】彼女の個人としての経験に基づいており、また、伝聞情報も含まれます。私たちはこれに起因することについて責任は負いませんので、必ず自身で裏を取ってください。また、情勢や制度は急に変わることがあります。

なお、私の見解を述べれば、「アフリカに行きたい」という一般的な関心を満たすためであれば、今のアビジャンは勧めない。理由は、以前も日記に書いた通り、一見平和ではあるが、軍事的緊張が解消しておらず、いつ何時、銃が火を吹くか分からないという危険性が常にあるからである。

スイスで出会った、フランス国籍をもち在仏アメリカ大使館で働いているギニア出身の方(ちなみに配偶者は日本人)も、「アビジャンですか、要注意ですね。2020年の大統領選挙まではね」と一言。世界を知っている人は、そういう目でアビジャンを見ている。

ここでしか達成できない、特定の目的がある場合は別として。アフリカを一度体験してみたい、というのであれば、軍事的緊張のない、英語が通じやすい国ぐにを選ぶのが賢明だろうと思う。

バーゼルの後片付けも、手がけている原稿のことも、この週末にさっぱりと片付け終えて。来週は、アビジャンローカルの仕事に本格復帰します。

では、また来週。Bon week-end !


2017年7月1日 (土)

■バーゼル日記: 初めての欧州アフリカ学会

アビジャンから、地中海を越えてパリへ、そしてバーゼルへ。スイスで開催される第7回欧州アフリカ学会(the 7th European Conference on African Studies (ECAS7))に参加した。

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■スイス、バーゼルへ
欧州アフリカ学会とは、ヨーロッパのアフリカ研究者による隔年開催の大会である(主催: Africa-Europe Group for Interdisciplinary Studies (AEGIS))。

日本アフリカ学会の理事による情報では、ECAS は世界最大のアフリカ研究の国際会議のひとつであり、今回の大会については、主催者発表で参加者1,918名、分科会204、その他各種イベントがある。発表者名簿を見る限り、日本からも10名近い参加があるとのことである。これだけのボリュームを、3日間でこなすという。その濃密さにも驚いた。

スイスは、今回初めて訪れた。バーゼルは、スイスの北端に位置し、フランス、ドイツとの3か国の国境に接する都市である。徒歩圏で三つの国を訪れることもできる観光地であり、貿易都市でもある。バーゼル大学はその都市の中心に位置し、ライン川のほとりの丘の上にある。

オタワの時にも感じたことであるが、スイスでは、商店もクレジットカードもウェブも交通機関も何もかも便利で、実に快適である。しかし、アビジャンの街の喧噪からいきなりここに飛び込むと、なんか静か過ぎて退屈な町、というふうに感じなくもない。

ちょうど夏至の近くで、日照時間が長い。21時過ぎてもまだ明るいという世界である。一方、肌寒くて朝晩は冷え込むため、熱帯アフリカから来た私にとっては、この気候はなんとなく「夏休みが終わって寒くなりゆく秋の風情」のようにも感じられた。

■久しぶりのドイツ語圏
ドイツ語圏に来たのは久しぶり。2009年に第6回世界アフリカ言語会議(WOCAL6)に参加するためにケルンに行ったとき以来である(そのころの日記)。黒いパンが見かけられるのも、このあたりの特色だ。

もっとも、学会の会場であるバーゼル大学に入ると、ドイツ語は聞こえなくなり、言語はすっかり英語とフランス語になる。英語が聞こえることが多かったものの、アフリカ研究の学会だけあって、フランス語の素養のある人たちと遭遇することが多かった。初対面の方と「英語とフランス語、どちらで話しましょうか?」「どうぞ、あなたの好きな方で」というふうに、会話の言語の確認のあいさつから始まることもよくあった。

今の私はアビジャン生活に慣れているため、あいさつや世間話などの適当なおしゃべりではフランス語の方が口をついて出る。しかし、学術的な議論になると、やはり英語の方が楽である。専門用語のインプットの量がまるで違うからである。英仏まぜこぜで話すことも、かなり許される場であった。

分科会の中でも、とくに「フランス語限定」と断りのない場面で、フランス語で発表や質疑応答をする人たちがいた。英仏二言語併用がスタンダード、とまでは言えないものの、言語が切り替わっても聴衆のだれも驚かないといった風景があった。

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■参加者の顔ぶれ
国際会議でよく見かける風景というのは、欧米から参加しているヨーロッパ系の人がほとんどを占めているというものである。しかし、今回は、さすがにアフリカをテーマとした国際学会だけあって、アフリカ系の参加者が非常に多かった。過半数とまではいかないものの、おそらく3-4割は占めていたのではないか。欧米の大学で研究に従事しているアフリカ出身の研究者、大学教員、院生、また、アフリカ各地から発表にかけつけた人たちも多かった。

アジア系は、きわめて少なかった。他の国際会議ではしばしばその人数でインパクトある存在感を示す、中国やインドの人たちの姿が見えない。日本からの人が、ちらりほらり。韓国、香港出身の方がひとり、ふたり、といった感じである。ラテンアメリカやオセアニアからの参加も見なかった。世界における、アフリカ研究の地域的な偏在を印象づけた。

【20170708追記】インドからはムンバイ大学所属のインドのアフリカ学会の会長が、中国からは北京大学アフリカセンターの幹部が参加していたそうです。(日本アフリカ学会理事による教示)

私はレアなアジア系であるからか、頻繁に声をかけられた。「あなた、さっきの児童労働のセッションに来てくれましたよね、感想は?」などと。妙に顔を覚えてもらいやすいというメリットがあった。なかには、「去年東京の会議で会いましたよね、久しぶり!」といった、心当たりのないあいさつもあった。おそらくは人違いである。

■言語にまつわる分科会
2か月前のオタワの会議と同様、仕事柄、言語関係のセッションをよく回って歩いた。

今回の大会では、純然たる言語学の記載的研究よりも、言語集団のアイデンティティや話者の移動など、社会言語学/言語人類学的な研究の発表が多かった。Camfranglais(カメルーン)、Nouchi(コートジボワール)、Sheng(ケニア)、Tsotsitaal(南ア)など、都市に集まった雑多な若者たちが創り出したことばの研究などもいろいろと進んでいて、それだけでひとつの分科会が成り立つほどの盛り上がりを見せていた。

私は、"mobility(移動性)" をキーワードとした言語系の分科会にアプライし、発表の機会をいただいた。西アフリカフランス語圏に広域的な手話言語集団が形成された最大の要因は、手話言語のスキルをそなえたろう者たちの頻繁な国際的移動であった。そのことを、アフリカの言語の歴史のなかにきちんと位置づけたいと思ったのが、今回の発表の主眼である。

ろう者における "mobility(移動性)" は、同時代においても重要なコンセプトである。今日、多くのアフリカろう者が、アフリカ域内の諸国およびアフリカ域外(欧米)に移住して労働し、生活している。そのような国際移動と手話言語伝播の実態を、きちんととらえる必要がある。ろう者コミュニティを、いつまでも「国民国家内に閉ざされた静的な集団」であるかのように認識するのは、現状にそぐわないのである。もしかして、アフリカにおける研究のアイディアが、国民国家が溶解しゆく世界の未来を先取りして説明するモデルになるかもしれない、という予感をもっている。

■手話の話題が珍重されるのはよいことか
私の発表を聞いた聴衆の方がたから、これはおもしろい、新しい、初耳だ、刺激的な仕事をしている、大いに学んだ、といったことばを投げられる。評価されるのは大変うれしいことでありながら、同時に、どこか微妙な感情にも襲われる。

西アフリカフランス語圏のろう者たちが、アメリカ手話に由来する独特の広域的な手話言語を用いている、という、実にシンプルな事実が、アフリカ研究の世界ではほとんど知られていない。アフリカの言語を専門としている人たちですら知らないし、フランス語圏であるフランスやベルギーの研究者ですら知らないのである。調査されていない、研究者がいない、文献がない、という状況は、私がちょうど20年前の1997年にカメルーンでこの分野の調査に着手してから、あまり変わっていない。

私自身も、20年間にわたってアフリカ各地を駆け回り、日本語のみならず、微力ながら英語やフランス語でも発信してきたつもりだが、世界におけるアフリカ研究の一般的知識として定着するには至っていない。英語とフランス語は世界に読まれるが、日本語の文献は読まれない。分かっているつもりだが、その認識をあらためて確認した。今後の発信のスタイルを検討する上で、大いに参考にする。

正直言うと、手話の存在を指摘しただけで珍しがられる状況は、もうそろそろ脱したいよね、と思う。君の発表内容はもう常識になっている、もっとオリジナリティのあることをやりたまえ、といった「より高い水準の要求」が聴衆からまいこむ状況になってほしいと思う。手話が言語であり、ろう者は文化をもっていて、言語学と文化人類学による現地調査を通じた記載が必要である、という教科書レベルの認識と具体的知識が、広く共有されてほしい。

日本における手話やろう者に対する認識の問題については、ずいぶんこれまでもいろいろと働きかけをしてきたけれど。そういう意味では、ヨーロッパもあまり状況は変わらないのかもしれないと思う(少なくともアフリカ研究という分野においては)。

うれしい出会いがあった。私の発表が含まれていた言語系の分科会に、ウガンダのろう者が手話通訳者を伴って現れたのである。発表の後の休憩時間に、すぐさま話しかけて友だちになった。彼自身も翌日に発表するというので、参加すると約束した。

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■「障害とテクノロジー」の分科会
翌日、「障害とテクノロジー」をテーマとした分科会が、1日がかりで開かれた。くだんのウガンダのろう者も参加し、発表するということで、終日、手話通訳および英語の PC 筆記通訳が付いた。スイスのチューリヒ大学を中心にした、障害研究プロジェクトの成果であるという。

アフリカ研究の国際学会で、障害をテーマにしたセッションに11件(発表予定は12件であったがキャンセルあり)もの発表があり、そのアクセスのための情報保障がきちんと整えられているということは、大変望ましい傾向である。

…と、美談にまとめることができないような裏話があった。

実は、今回の大会の主催者には、障害をもつ参加者のためのアクセスを保障するという認識が欠けていたのだと言う。関係者に話を聞くと、アフリカから学生などを招聘するために多大な予算を必要としていて(これはこれで、経済的なバリアを軽減する措置ではあったのであろうが)、障害をもつ参加者/発表者のための予算は割かれなかったという。

このため、障害テクノロジー分科会の発表者でもあり、大会のスタッフも兼ねている研究者らが中心となって、クラウドファンディングを行い、総額1万スイスフラン(約118万円)くらいの予算を捻出して、障害をもつ参加者のアクセスを保障する措置の経費をまかなった。具体的には、英語の PC 筆記通訳として、3日間の会期中にろう者が参加する予定の分科会を選び、毎日2人ずつスタッフを配置した。この措置のために、1日あたり2,500スイスフラン(約29.5万円)程度の経費を投入した。また、車いす使用者が参加するため、車いすでアクセスできるホテルを探したりもした。

しかし、それでも手話通訳を配置する予算まではまかなえず、スイスのチューリヒ大学のアフリカ障害研究プロジェクト(この分科会を企画したグループ)が予算を捻出して、手話通訳者1名をウガンダから招聘したという。彼は、終日、ひとりで手話通訳を延々と続けていた。

一見すれば、情報保障が整ったすばらしい国際会議と映る。しかし、舞台裏の話を聞くと、その折衝や予算探しのために闘った人たちの大変な苦労話が見えてくる。予算探しに奮闘した内情を知る人たちは、「このような苦労は必要なかったはずだ、本来は主催者が準備するべきことなのだから」と言う。

次回、2019年のエジンバラ大会では、大会の組織委員会がきちんとその必要性を認識するように働きかけた方がいいですよね。そんな話をして、おいとました。学会発表の内容に加え、運営のしかたについても貴重な話をうかがえた分科会であった。

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■日本で/日本語でアフリカ研究をする意味とは?
アフリカのことを日本語でがむしゃらに書いても、話しても、世界にはまったく知られない。その認識はこれまでもあったけれども、今回もその思いをいっそう強くした。

もちろん、日本語で本を書いたりすることは、日本におけるアフリカ教育や啓発のための資源を厚くし、日本におけるアフリカのプレゼンスを増すことにつながり、学生と次なる研究者を育成し、そして若手研究者にとっては就職などのためにも役に立つであろう。決して意味がないとは言わない。

しかし、多大な経費と時間と労力をかけて現地調査し、膨大なデータがたまっていながら、それが世界のため、アフリカのために活用されないまま日本語圏に眠っている、という状況は、どう考えてももったいない事態である。

ヨーロッパとアフリカでの研究成果がとびかう中で、日本におけるアフリカ研究の長所と短所とは何だろうと、閉会式に参加しながらつらつらと考えた。

日本のアフリカ研究の長所は、
・研究拠点がある
・資金がある
・データが多い
・アジアの中では比較的優位
といったところか。資金は足りていないという見方もあるかもしれないが、航空券を買って海外調査に行ける予算の枠組みがあることは事実であり、アフリカの大学の研究者たちの予算の困窮ぶりに比べれば、それなりにあると言ってよい。

一方、日本のアフリカ研究の短所は、
・日本語で公表されたものが世界に流通しない
・英語、フランス語、アラビア語のいずれも公用語として共有していない
・地理的に遠い
・歴史的な関わりが薄い
などであろう。もっとも、歴史的な関わりの薄さは、一面ではメリットでもある。つまり、直接的に日本が植民地支配や戦争介入という形でアフリカに関与していないだけに、(印象は薄いけれども)歴史観としてアフリカの民衆の憎悪の対象とはなりにくい。「日本の研究者はいいですね、中立的にアフリカに関われるから」と、ヨーロッパ出身の研究者に羨望とともに言われたこともある。

自分たちが日本の研究仲間と取り組んでいる試みなどを、振り返ってみる。たとえば、「アフリカ子ども学」。アフリカのさまざまな生態環境・気候植生・生業文化のなかを、子どもたちが生まれ育ち、次の時代の新しいアフリカを担う人びとになっていく。そういう総合的な視点でアフリカの子どもについて学ぼうという試みを続けてきた。今回の大会では、アフリカの子どもについてのセッションはほとんどなく、一部に児童労働などの話題があるにとどまった。私たちは、世界水準で見ても、きめ細やかな調査に基づいたよいデータをもっているのだと実感した。

こういった「日本語圏という小さな缶詰」の中で眠っている大量の貴重なデータを、缶切りで開けて、世界に向けて解き放ちたい!というようなイメージをもって、この大会を終えた。

隔年開催の ECAS、次回は英国スコットランドのエジンバラ大学アフリカ研究センターにて、2019年6月12日-14日に開催だそうである(CAS Edinburgh によるおしらせツイート)。次はいっそう多くのアフリカ研究仲間が参加することがあれば、と期待している。

【20170715追記】AEGIS の公式ウェブページに、次回の2019年エジンバラ大会に関するお知らせが出ました。

閉会式を終えて、これから最終日の閉会ディナーへ。来週は、また熱帯アフリカのアビジャンに戻って、いつもの仕事に復帰します。

では、また来週。Bon week-end !



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