AACoRE > Laboratories > Kamei's Lab > Index in Japanese
ILCAA
亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2017年9月

日本語 / English / Français
最終更新: 2017年9月25日

[←前の日記へ][今月の日記へ] [テーマ別目次へ] [月別目次へ][次の日記へ→]

■アビジャン日記 (25): お年寄りと写真を見ながら昔話/バカでの釣り銭トラブル/借家を引き払う (2017/09/23)
■差異か/同質か。どちらにしても強要などできない:ある女優の名乗りをめぐって (2017/09/22)
■アビジャン日記 (24): ご招待状:フェリックス・ウフェ=ボワニ大学での講演会 (2017/09/21)
■岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』、早稲田アカデミーの模試国語問題に採用 (2017/09/19)
■アビジャン日記 (23): 人類学者っぽい一週間/続・アフリカにおける公共って何だろう (2017/09/16)
■アビジャン日記 (22): 荒れるヨプゴン/アフリカにおける公共って何だろう (2017/09/09)
■アビジャン日記 (21): タバスキ休暇/ブアケ大学の人類学者たち/マング・ソヴァージュを発見 (2017/09/02)


2017年9月23日 (土)

■アビジャン日記 (25): お年寄りと写真を見ながら昔話/バカでの釣り銭トラブル/借家を引き払う

絶賛片付け中の日々です。住み慣れた借家を片付け、引っ越して、ホテルに仮住まい。出国まではここにいる予定です。

photo20170920_jacques.JPG

■お年寄りと写真を見ながら昔話
今週は、ある高齢のろう者夫妻のご自宅を訪ねて、古い写真を見せてもらいながらお話をうかがうという調査をした。

尋ねてみれば、あるわあるわ、1970年代から40年近くにわたって、大量の写真と新聞記事を蓄積していた。しかも、ひとつひとつに思い出話があって、語り始めたらきりがないほどである。日がな一日、古い写真の数かずを眺めながら、手話による昔語りを記録した。とても豊かな鉱脈を掘り当てた!という感じの調査であった。

アフリカのある都市の耳の聞こえないお年寄りが、生涯かけて静かにためこんだ写真と新聞記事。だれも注目することなどなかっただろうし、これからもおそらくはないのだろうと思いつつも。これらは、世界地図を塗り替えるほどの重要な言語集団の誕生のルーツを探り当てるための、重要なカギとなる資料なのである。

偶然の出会いに感謝し、ひとつずつ写真を選んでは、複写をさせてもらう。そして、1枚ずつ一緒に見ながら、丁寧にお話をうかがう。お元気なうちに貴重なお話をうかがえてよかった。人類学者をやっていてよかった、と思える瞬間である。

■明らかになったアビジャン-イバダン人脈
アビジャンとイバダンという西アフリカのふたつの大都市をつなぐ人脈のラインが、かねてよりずっと気になっていた。

アビジャンはフランス語圏西アフリカ最大の都市であり、この地域で最初のろう学校ができた都市でもある。一方のイバダンは、フランス語圏アフリカ全域から人を集めて手話による研修を行い、各地へと送り返していった、手話の人材供給の拠点都市である。このふたつの都市の間にどういう人材の移動があったかを突き止めることは、フランス語圏アフリカ手話という十数か国で話されている広域手話言語のルーツを確認する上で、きわめて重要である。

数年前から、このことに関するインタビューを多くの人たちと重ねてきたが、何ぶん40年近く前のことであり、明確にならないまま時が過ぎていった。

今回のお年寄りたちとの1日の聞き取り調査で、古い写真を一緒に分析するなかで、一気にその全容を明らかにすることに成功したのである。未知の暗号が解読できたような、爽快な気分を味わった。

数年間解けなかった謎が、今回一気に解けた、その達成の秘訣は何だったのだろう。

まず、リソースパーソンとの偶然の出会いがあった。とくに今回は、年配者2人に集中して話を聞けるという幸運に恵まれた。

ふたつ目に、自分の流儀にこだわらない調査の進め方がよい結果を招いた。フィールドワークではよくある話だが、ある人と調査を進めている時、「友だちがいるから一緒に訪ねてみよう」などと、調査の方法が勝手に「脱線」を始めることがある。それに乗るか、断るかは、自分が決めてよいことであるが、私だったら、多くの場合、脱線の流れに乗っかる方向で考える。今回も、たまたま友だちを一緒に訪ねようというところから、想定外の魅力的な鉱脈との出会いにつながった。変に自分の流儀にこだわったりしなくて本当によかった、と思う。

三つ目に、今までの蓄積が効果的に活用できた。これまで10年以上も、アフリカ諸国やアメリカを訪ねては、アフリカろう者人脈の写真を集め、固有名詞を記録し、データを PC に詰め込んできた。各地のろう者と話し込んで、その人脈界隈の知識と手話言語の素養があった。それらが、一気に今回の謎の解明という結果として花開いた。

最後に、インタビューでの聞き方もうまくなっているかもしれない。駆け出しの研究者の頃は、どうしても、相手に対して時間を使わせてしまって申し訳ないという遠慮の気持ちが前面に出てしまい、ついいろいろなことを聞きそびれ、後に疑問を残してしまうような半端な調査をしていた。今では、そういう遠慮の気持ちは後景に退いて、目標とする問いが明らかになるまで緻密に聞き取りを続けることができるようになった。簡単に言えば、厚かましくなったのかもしれない。

古いノートを読み返して、かつての自分の調査スタイルを反芻することがある。それなりにがんばって書いてはいるものの、どうも最後の詰めが甘いなあという記述も多い。20年も調査していたら、確かに手慣れてくるのだろうなと思う。

photo20170902_institut_francais.JPG

■たびたび通ったアンスティテュ・フランセ
今回のアビジャン滞在中によく使ってきた場所として、プラトーのアンスティテュ・フランセ(Institut Français)がある。今週も、障害者福祉局長のオフィスを表敬訪問した帰りに、ちょっと休息も兼ねて訪れた。

フランス大使館が設置した、文化施設である。図書館があり、カフェがあり、フランス語講座があり、時おり美術展も行われ、映画会や文学セミナーなども開かれる。

これを知ったきっかけは、ここの大学の教員のアドバイスだった。

「大学の図書館の設備はどうなっていますか?」
「ああ、それなら、アンスティテュ・フランセに行ったらいいですよ。大学よりも蔵書がそろっているので」

4月にそのことばを聞いて驚いた。自分の大学よりも、フランスが設置した図書館を勧めるとは…。もっとも、その背景には、戦争で大学の設備が荒廃してしまったという事情もあるようだ。

プラトーの街の中心にあり、ちょっとした用事にあわせてよく通っていた。年間会費12,000F を払うことで、図書館の会員になれる。フランス語オンリーであるが、歴史から哲学から文学から何から、ひととおりの分野を揃えているし、新しい新聞・雑誌も配架されている。静かで涼しい図書館にノート PC を持ち込んで勉強できるのは、実に居心地がよかった。会員になれば、無料で WiFi も使い放題。ランチは少し高めとはいえ、2,000F くらいで気楽に食事ができる。

文化や言語におけるフランスへの依存というのは顕著で、よい面も悪い面もあるに違いないが。少なくとも、こうした資源を活用して一心に勉強している学生たちを図書館で見かけると、アフリカの将来をもう少し見届けてみたいという気持ちにもなる。

ずいぶんとお世話になったこの施設に来るのも、そろそろ最後になるのかな。そう思うと、少し名残惜しい。

■バカでの釣り銭トラブル
今週の不快な事件。バカ(乗り合い小型バス)で、釣り銭をめぐって愚弄されるというできごとがあった。

月曜日の夕刻。混み合うヨプゴンの道路で、バカに乗った。通常だったら100F で済むような近距離で、150F を請求された。このこと自体にも腹が立ったが、夕刻で急ぎでもあり、交渉に時間をかけたくもなかったので、承服して乗ることにした。小銭がないので「200で払う。釣り銭はあるか」と確かめた。車掌が「ある、ある」というので、それを信じて乗車した。

車内で、運賃を集め始める。他の乗客は全員100F。私だけ150を請求された。やっぱり不当なつり上げ、外国人を標的にしたぼったくりだったのだ。不快に感じ、100だけ払うことにしようかとも一瞬考えたが、150払うと言って乗ってしまった以上、後出しでごねるのも格好が悪い。ここは大人の対応をしようと、まじめに200を差し出した。

車掌は、それを持っていったまま、釣り銭をよこさない。「釣り銭を返してくれ。50だ」と私は要求した。

こともあろうに、車掌はニヤニヤと愚弄する表情でこちらを見やり、手に握った小銭をじゃらんと示してみせた。釣り銭などあるわけないだろ、というだまし討ちの答えである。そして、言い放った。「このシノワ(中国人)が」。周囲の客から失笑がもれた。

不当な運賃つり上げ。釣り銭がないのに「ある」と嘘をついたこと。そして、ぼったくったまま正直に払った客を愚弄する態度。三重の意味で、私はこの男が絶対に許せなかった。ふんだくられてバカにされたまま、ニコニコとおとなしく乗り続けるほど、私はお人好しではない。ただし、夕刻の猥雑な市場の路上を走るバカで、公然とケンカをして、暴力沙汰などに発展し、自らを危険にさらすことは避けたかった。

いらだちとともに、私は車内で抗議した。

「釣り銭をよこせ。50返せ」
「釣り銭をよこせ。50返せ」

毅然とした姿勢で、正当な客の要求として、私はこのことばを車掌に投げ続けた。車掌は聞いていないふりをしてそっぽを向いていた。私は止めなかった。静かに、抗議を続けた。「釣り銭をよこせ。50返せ」。

ある男性の乗客が、二言三言声を発し、くるりと私の方を向いて手を差し出した。硬貨が1枚手渡された。隣の席の女性が、私に説明をした。「あの人が出してくれたのよ」。

そうか、ぼったくりの車掌に代わって、乗客の一人が私に釣り銭を寄付してくれたのである。「メルシ」と私はお礼を言った。男性は前方を向いたまま静かに座っていた。車掌は知らんふりをしていた。隣席の女性は「この人、あなたにお礼を言ってるわよ」と、やはりその寄付してくれた男性に向けて補足説明をしてくれた。

50の釣り銭を寄付してくれたのか、と思って、手渡されたコインを見てみた。それは、200F の硬貨であった。ちょ、ちょっと待て、これはもらいすぎだろう。私がただで乗車できてしまう額ではないか。しかし、そこで辞退して返金などすると、また場が荒れて収拾がつかなくなる。私はひとまず、メルシと言って受け取っておき、その男性が降りた時にまたお礼を述べてお返ししようと考えた。

シポレックス交差点に着いて、多くの乗客が降りた。くだんの男性も降りた。私もそこで降りる予定だったので、座席を立った。通常は友好的に車掌やドライバーにお礼を言って降りることにしているが、今日ばかりはおまえの顔も見たくないというほどに、完全無視で路上に出た。くだんの寄付してくれた男性は足早に立ち去ってしまっていて、お礼を言って返金する機会は失われてしまった。

交差点を歩きながら、しみじみと考えた。あの場で、自分が損してでもいいから、必要以上の金額で私の損害を埋め合わせてくれた男性の行動の動機は、いったい何だったのだろう。

だまされた私を気の毒に思ってくれたのか。外国人がアビジャンに悪印象をもたないように、という大きな観点での配慮だろうか。小銭くらいでガタガタ言うなという、大人のたしなめだろうか。小銭で済むなら出して、車内の荒れた場を静めようという差配だろうか。はたまた、宗教などに裏打ちされた、道徳的信念に基づく行為だったのか。

ぼったくり悪徳車掌に抗議するわけでもなく、その状況を受け入れながら、ポケットマネーで瞬時に解決し、足早に立ち去っていったこの男性の行動に、アフリカにおける公共のありかたの理解の難しさと、不思議な魅力とを感じた。

捨てる神あれば拾う神あり。ぼったくる人あれば埋め合わせる人あり。猥雑なヨプゴンの街のなかで、けしからん車掌への腹立ちの一方で、お名前も知らない通りすがりの人助けをしてくれた男性への感謝を心に刻んでいた。どちらか一方だけではない、どちらも、まぎれもなくアフリカの現実なのである。

■5か月住んだ借家を引き払う
滞在期間の終了が近づいてきたので、借家の引き払いをした。

出発ぎりぎりまで住むことにしなかったのは、最後に片付けであわてたくないというだけでなく、早く空室にして大家と物件の現状確認をし、敷金の返還交渉を終えてしまいたいという動機が大きかった。こちらの日本人コミュニティの中には、敷金返還に応じない悪質な大家のせいで嫌な思いをした人もいたようで、とにかく早めに退去の通告をして交渉を、とのアドバイスを受けていたからである。

部屋の片付けは順次していたけれども。今週はとくに、最後の荷造り、家具の処分、ゴミ出し、自動車の手配、搬出、大掃除、大家とのアポ、立ち会いによる現状確認など、最終的に家を空にするための細ごまとした作業が多かった。

空っぽになってきれいになったアパートを見やりながら、5か月住んだこの家にまつわる印象を挙げてみた。

まずは、「マラリアを患った家」。高熱にうなされ、寝汗でぐっしょりになりながら、夜通し冷たい床のタイルの上に寝そべって、朝になるのを待った。退院後は、養生のためにごろごろと寝て過ごす日々もあった。なによりも、その記憶が鮮烈に残る家である。

ふたつ目。「やたらものを書く仕事をした家」。ここで初めてフランス語の原稿を書き上げたし、アフリカの子どもの論集を仕上げたし、社会調査の論文を書き上げ、西アフリカ言語会議の講演原稿も作り、その参加報告記事も書き上げた。この数か月ちょっと病弱だったこともあり、また、あいにく大学に研究室をもらいそこねた経緯もあって、ほとんど「論文執筆合宿」をしているような暮らしだった。

三つ目。「水のトラブル続きの家」。水道が出ない、出たと思ったらリビングが水没、豪雨で雨どいの継ぎ目から大量の水がベランダに流入、しかし渇水時にはむしろそこにバケツを置いて水を汲めたのでよかった、それでも足りないときは近所の教会から水を分けてもらった、ベランダで雨水を汲もうとして滑って転んでケガをした、桶に汲み置いた雨水にボウフラが発生して大掃除、などと、やたら水の問題に振り回された家であった。

よくも悪くも、鮮烈に印象に残る家であった。カギの故障、停電、冷蔵庫の機能停止、近所の警察駐屯地での銃撃、宗教施設の連日連夜の大音量スピーカ音声など、トラブルも絶え間なくあったけれど。それでも、3階(現地呼称では 2e étage)のこの部屋は静かで安全で、空き巣や強盗などの一般犯罪に関わる問題がまったくなかったことは、本当に幸いだった。

夕方になると、東側のベランダにちょうど風が入ってきて涼しくなる。テーブルを外に出して、蚊取り線香を焚き、陸橋を行き交う車列の夜景を眺めながら、アティエケとデイツとワインで乾杯、というのんびりした暮らしのペースはよかったな。

ホテルに泊まっていた方が、何かと便利で楽ではあるのだろうけれど。アフリカで初めての借家暮らし、まあ全体としてはよい経験になったのかなと思っている。

週末の土曜日、大家による最後の点検を済ませた。あとは敷金返還という超重要ミッションが残っているが、それが済めばこの家関係の作業は終わり。

あと何日間か、ホテルに滞在して、最後の片付け仕事をする。とくに来週は、しめくくり講演会2件連続という大仕事が待っている。「あと○日しかない/まだ○日ある」の両方をつぶやきながら、できることをやり、できないことを諦めるという選択をする日々が続きます。

では、また来週。Bon week-end !


2017年9月22日 (金)

■差異か/同質か。どちらにしても強要などできない:ある女優の名乗りをめぐって

===
本記事の要旨
・日本人名などという曖昧なカテゴリーは、個人を攻撃する根拠になりえない。
・他者が日本人名を名乗ってよいかどうかを裁定する権限など、だれももっていない。
・個性や多様性の名のもとに差異の強調を奨励する言説は、排除の正当化にスライドしやすいので注意する(逆もまたしかり)。
・マイノリティは、差異志向も同質志向も含めて、「出入り自由」の権利をもっている。
===

多様なルーツをもつある女優/モデルの人が、日本人名を名乗って活動しているということに関連して、劣悪な言説がウェブ上に飛びかっている。私がいま日本国内に住んでいないこともあって、こうした問題にはあまり口を挟むまいと思っていたのだが、明快な分析と指摘をする人が少ないので、ひとこと書くことにした。

ここでは、当該の人物の来歴や思想信条、政治的スタンスなどを詮索することはせず、マイノリティと名乗りをめぐる諸言説とそれに伴う政治性を分析することにとどめたい。いくつもの課題が重なり合っているが、ここでは三つに大別して指摘する。

■問題1:日本人名という概念の曖昧さ/危うさ
当該の人物のルーツをあげつらい、日本人名を名乗るとは何事だ、といった言説が投げかけられている。

そもそも日本人名とは何か。そこには明快な定義がない。日本語を話し日本列島に居住する日本国籍者の多数が何となくイメージとして抱いている日本人的な名前という程度のカテゴリーしか想定できない。それはいかようにも発明、改変されうるし、伸び縮みしうる概念である。他者の名前に対して日本人的なるものとのイメージを投影した上で、ルーツを引き合いに出して非難するというのは、勝手もいいところである。名前で個人攻撃するという責任を伴う行為の根拠となる概念自体が、そもそも曖昧である、という認識から出発せねばならない。

■問題2:日本人名を名乗ることの可否をだれが決めうるのか
ここでは、論旨を進めるために、百歩譲って、日本人名という客観的なカテゴリーが存在すると仮定して、次の点を指摘する。

ルーツが日本とは異なるから日本人名を名乗るべきでないという言説について。そのようなことを裁定する権限が、いったいだれにあるというのか。

家元制度でもあるのかというほどに、日本人名の使用の可否を決める権限をもったつもりになって、寄ってたかって名乗りの不適切さを指弾する人びとがいる。おそらく、裁定できると信じているのは、多くの場合は匿名のウェブユーザであり、自らが日本国籍と日本人名と日本文化に守られていると信じている自称日本人たちなのであろう。

そんな人たちに、日本人/日本人名などという空虚かつ曖昧な指標に照らして、個人の名乗りの可否を裁定する権限などあろうはずもない。名付けと名乗りの可否を裁定する権限を独占する免許でももっているというのだろうか。

■問題3:ルーツを示す名乗りを奨励し、結果として排除をもたらす事態
もう少しマイルドな言説について検討する。当該の人物に対して、日本人名ではなく、ルーツを明らかに示す名乗りをした方がよいという助言が寄せられているという(たとえばこちらの記事など)。

これは、一見、個性を尊重し、多様性に寛容さを示し、日本人名なるものへの強制的な同化に服従する必要がないとの理解を示す言説に見える。しかし、こうした言説こそ、要注意である。

よかれと思って差異の強調を奨励する言説は、しばしば強制的な排除に与する言説にスライドする。しかも、言っている本人は善意のつもりなので、排除に与していることに気付かない(とくに、渦中の当事者ではなく、支持者に多い)。

(逆もまたしかりである。よかれと思って同質性の強調を奨励する言説は、しばしば強制的な同化に与する言説にスライドする。しかも、言っている本人は善意のつもりなので、同化に与していることに気付かない(とくに、渦中の当事者ではなく、支持者に多い)。)

なるほど、すべての人びとが自分のルーツを明快に示す名乗りをして、かつ、だれも何の損害もこうむらない社会であれば、大いに差異を表現し合って多様性を謳歌する生き方を奨励するのが望ましいであろう。しかし、現実はそんなに簡単なものではない。このような厳しい状況を考慮した上で、本人が差異を表現することを選ばず、同質性を志向することを選ぶ、言い換えれば、マジョリティに同化する選択肢を選ぶことは、本人の自己決定の範囲の中にある。

(逆もまたしかりである。同化の圧力に違和感や反発を覚えて、差異を表現することを選ぶ権利もある。これも、もちろん、本人の自己決定の範囲の中にある。)

今日の言説状況を見てみるがよい。ルーツが日本以外にあるというだけで、個人が尊厳を否定され、攻撃されている実態がある。このような状況にあって、仮に善意に基づいた助言であったとしても、差異を表現することを奨励し、固定し、同質性を選ぶ本人の選択肢を否定することは、排除の対象として当該の人物をさらし者にする行為に他ならない。個性や多様性の尊重という魅力的な装いを伴っているだけに、このような言説にうかうかと乗ってしまわない慎重さが必要である。

[付記] 20世紀前半の南アフリカで、ヨーロッパからの白人入植者社会とアフリカ黒人先住民社会の文化の違いを指摘した文化人類学の言説が、アパルトヘイト(人種隔離政策)の成立に加担してしまったというおぞましい過去がある。よかれと思って差異を強調することが、後日どのような結果を招くのか。私たちは歴史から真摯に学ばねばならない。

>> 拙論参照:亀井伸孝. 2015. 「「文化が違うから分ければよい」のか: アパルトヘイトと差異の承認の政治」 Academic Journalism SYNODOS (シノドス) (2015年2月25日).

■差異か/同質か。どちらにしても強要などできない
では、どうすればよいのか。

まず、個性や多様性を尊重すると称して、力の不均衡を度外視して、差異のきわだつ名乗りを個人に強要することは、排除の一環になるだけなので、やめるべきである。

では、逆に、個性や多様性など配慮せずに、同質性のある名乗りを個人に要求すればよいのか。それも、ただの同化の強要になるだけなので、やめるべきである。

「差異志向か/同質志向か」「排除か/同化か」の問題で、いつも見落とされている点、それは、「個人のありかたにいちいち周りが注文を付けるべきでない」という点である。

「あなたは、違う者でありなさい」と強要することは、排除になる。
「あなたは、同じ者でありなさい」と強要することは、同化になる。
これらの言説は、一見対立しているようにも見えるが、本人の選択肢を狭め、自己決定の自由を奪っているという意味で、「同じ穴のムジナ」である。

私の提案は、「どちらにしても強要などできない。自己決定に委ねよ」というものである。

マイノリティに属する個人は、時にはある面でマジョリティと同じ者であろうとするし、時にはある面で違う者であろうとする。それらをうまくブレンドして生きることもあるし、そのブレンドの加減を調整して、時には変えながら、あるいは場面によって使い分けながら生きることもある。その調整加減を決める権限をもっているのは、本人のみである。周囲の何人たりとも、そのあり方を差配し、強要することなどできない。

「マイノリティは、差異と同質のふたつの志向性の間で、出入り自由に生きる権利をもつ」。それが、当座の私の理解の原則であり、また提言でもある。

「当座の」と表現したのは、「マイノリティ出入り自由」だけでは、実は根幹的な問題の解決には届かないからである。安泰さの幻想のなかで惰眠をむさぼり、マイノリティのみに汗をかかせている、マジョリティの姿勢がいっさい問われていない。本来は、元凶たるマジョリティの凡庸なる無自覚さこそに、メスを入れねばならないのである。

「マジョリティは安泰で、マイノリティは出入り自由」のプラットフォーム自体を掘り崩し、「相互に対等で出入り自由」の新しいプラットフォームに作り替えることこそ、本来は構想せねばならない重要課題である。しかし、それが一気に実現しない現状の中、当面は、怠惰なマジョリティ相手に付かず離れずで適宜調整しながら、自由に生きる権利がマイノリティにはあるし、それにとやかく注文を付ける権利など、だれにもないのである。

■結論:すべてはマイノリティ当事者の自由のために
くだんの女優の名乗りの問題を分析するなかで、抽出できた一般的な命題は、以下の通り。

・日本人名などという曖昧なカテゴリーは、個人を攻撃する根拠になりえない。
・他者が日本人名を名乗ってよいかどうかを裁定する権限など、だれももっていない。
・個性や多様性の名のもとに差異の強調を奨励する言説は、排除の正当化にスライドしやすいので注意する(逆もまたしかり)。
・マイノリティは、差異志向も同質志向も含めて、「出入り自由」の権利をもっている。

それにしても。個性の尊重と言って異なる者であることを他者に強いた結果、排除に加担してしまったり。それに反発して、同等であることを勧めた結果、強制的な同化を導いたり。人びとの熱い善意が、なぜかくもしばしば人びとの自由を奪う結果を招くのか。残念でならない。

差異か、同質か。排除か、同化か。真逆の方向を向いていながら、どちらにしても当の本人たちの自由を奪うことにしかならない言説群どうしの衝突は、不幸というしかない。差異派と同質派がいがみ合い、足を引っ張り合うのは、もうやめにしたい(とくに、当事者ではない支持者どうしの理念的・教条的対立は不毛であり、当事者に弊害をもたらすことも多い)。

この際、差異派と同質派が手を組んで、「差異もあり。同質もあり。どっちも選べる出入り自由を要求」同盟を作って闘ったらどうだろうか。当事者の選択の自由を拡充することこそが、本当にマイノリティの生き方に近づいた理解と支援になると思うからである。

もしそこで、「いや、私は差異の強調が好きなので、同質派とは手を組めない」などと、支持者が志向性の選り好みをするようであったら、それは単に「理念が好きなだけ」の人なのであって、マイノリティ当事者の現実的な生活戦略に接近していないことを意味するだろう。自分の好きなモデルに固執してそれを他者に押し付ける結果、自らそうとは気付かぬままに強制的な排除や同化に加担していく「善意の抑圧者」にスライドする可能性が高い。マイノリティ本人の選択の自由を拡大することに、賛同できるか/できないか。これは、支持者の姿勢を鑑定する、よいリトマス試験紙になると思う。

「すべては、マイノリティ当事者の自由のために」。差異も同質も、結局は、その自由の実現のための小さな選択肢の数かずに過ぎないのである。そのことへの核心的な理解を、多くの人たちに呼びかけたいと思う。

■文化人類学よ、どこにいる
加えて、雑感をもうひとつ。

こういう問題群、つまり、人間のカテゴリー、国家と国民とエスニシティ、ルーツをめぐる多様性、同質性と差異、名乗りとアイデンティティ、マジョリティとマイノリティの理解と共存の技法などに関わる重要な案件が生じたときは、文化人類学がその知見と視点を活用して、きちんとコメントしないといけないと私は思っている。

文化人類学よ、どこにいるのだろうか。きちんと発言し、その存在感を示しているだろうか。

今回の件については、ちゃんと調べていないので、発言している同業者がいるかどうか分からないけれど。こういう局面で、ピシリとものを言う文化人類学者たちよもっと現れよ、さもなくば、学問の存在意義自体が疑われてしまうのではないか…と、私は真剣に危惧している。


2017年9月21日 (木)

■アビジャン日記 (24): ご招待状:フェリックス・ウフェ=ボワニ大学での講演会

やっとできた、講演会のご招待状。いろいろ企画が流れた経緯はあったものの、今回は本当にやるのだろうなと思います。

2017年9月21日

関係各位

愛知県立大学 教授
フェリックス・ウフェ=ボワニ大学 客員教授
亀井伸孝

ご招待状

前略
 2017年4月から、研究目的でコートジボワール共和国に滞在してまいりました。
 この度、滞在期間をしめくくる趣旨を兼ねまして、別紙の通り、公開講演会を開催する運びとなりました。別紙案内状をご参照の上、ご出席をたまわりましたら幸いに存じます。

草々


亀井伸孝講演会(愛知県立大学教授/フェリックス・ウフェ=ボワニ大学客員教授)
テーマ:「西アフリカの統合と発展のための手話言語とその研究の役割: フランス語圏/英語圏アフリカの諸事例」
使用言語:フランス語
主催:フェリックス・ウフェ=ボワニ大学応用言語学研究所/言語科学科による共催
日時:2017年9月27日(水)9時30分〜
場所:フェリックス・ウフェ=ボワニ大学 UFR LLC 第7講堂(l'Amphi 7 de l'UFR LLC)

以上
INVITATION A UNE CONFERENCE

Madame/Monsieur,

J'ai l'honneur de vous inviter, au nom de l'Institut de Linguistique Appliquée et du Département des Sciences du Langage, à la conférence que prononce le professeur KAMEI NOBUTAKA de l'Université Préfectorale d'Aichi, au Japon.
Cette conférence qui aura lieu le mercredi 27 septembre, à 9h 30, à l'Amphi 7 de l'UFR LLC a pour thème : « LE ROLE DES LANGUES DES SIGNES ET LA RECHERCHE POUR L'INTEGRATION ET LE DEVELOPPEMENT EN AFRIQUE DE L'OUEST : CAS DES PAYS FRANCOPHONES ET ANGLOPHONES ».
Tout en espérant vous compter au nombre des participants, je vous prie de recevoir mes sentiments distingués.

Pour le Comité d'organisation
Le Chef de Département des Sciences du Langage
J. BOGNY


2017年9月19日 (火)

■岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』、早稲田アカデミーの模試国語問題に採用

手話の世界を訪ねよう 拙著である岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』が、早稲田アカデミーの模試国語問題に採用されました、との報が、担当者からまいこんだ。

試験名称:NN志望校別オープン模試第4回 早大学院
主催者:株式会社早稲田アカデミー
科目:国語
試験実施年月日:2017年9月2日
対象学年:小学6年生
受験者数:2,500人
(主催者の許可を得て情報を公開)

引用されたのは「3章 ろう者のさまざまな文化」。

小見出しとしては、「「文化」とは?」「広義の文化と狭義の文化」「異文化はまず学ぶもの」といった箇所で、文化の定義と文化人類学の役割に関するくだりである。

文化の定義、文化相対主義、全体論的アプローチ、フィールドワークの基本条件といった「文化人類学序論のようなこと」を、かみくだいて書いて、ろう者の文化を学ぶ上での心得として紹介したのだけれど。そういう文化人類学のエッセンスの箇所を、小6のみんなが試験で懸命に読んでくれたのはうれしいなあ。大学生になったら文化人類学の勉強しようね。待ってます。

今回、模試で拙著を読んでくれた小6のみんなが大学に入ってくる7年後、文化人類学教育の状況はどうなっているだろう…などと思うと、決して楽観的なことは言えないのだけれど。もし少しでも興味をもってくれた子どもたちがいたのなら、その期待を裏切らないようにしよう。そう思ったら、業界活性化の意欲も自ずとわいてくるというものである。

全国2,500人の小6のみなさん、読んでくれてありがとう! 中学受験、がんばってね。そして、さらにその先になると思うけれど、ぜひ大学で文化人類学の魅力に出会ってほしいと思います。そして、本書のこの箇所を選んで、子どもたちが読む機会を作ってくださった作問担当者の方がたにも、お礼申し上げます。

以上、問題文の執筆者より、お礼と激励のことばでした。


2017年9月16日 (土)

■アビジャン日記 (23): 人類学者っぽい一週間/続・アフリカにおける公共って何だろう

先週に続き、今週もヨプゴンは相変わらずきな臭い。木曜日の朝、近所の市場もまた強制撤去の対象となったようである。商売人でごった返して賑わいのあった街路が、廃墟のような無人の区域に変貌する。火曜日にはシポレックス交差点付近で、またも microbes 掃討作戦のため、警察による催涙ガスの使用があった(新聞報道)。(とにかくまきこまれませんように…)の一心で、気持ち頭を低めにして暮らしている。

photo20170914_ecis_attie.JPG

■人類学者っぽい一週間
今週は、人類学者っぽい週であった。変な言い方ですけど。つまり、「手ぶらで歩き回って、出会った人としゃべって、情報を得て、いろいろ分かってくる」という、気楽なフィールドワークのスタイルを満喫したのである。

水曜日、アボボのムスリムろう者協会を訪問、おしゃべり。
木曜日、この国のろう学校の1期生たち2人と、旧校舎を訪ねて昔話。
金曜日、ナイジェリア・イバダンに留学した高齢ろう者に、写真とともに当時の経験を聞く。

とくに、木曜と金曜は、いい調査ができた。かつての記憶が残る場所を訪ね歩きながらの昔語りは楽しかったし、そういった風景と語りを動画に撮ることもできた。古い写真を見ながらあれこれと思い出話を聞くのも、勉強になった。

辞典を作るといって、延々と型にはまった撮影と編集とデータ整理をする日々にちょっと疲れていた私にとって、こういうふうに雑談から情報とヒントを山のように得て、文化がだんだん分かってくるという、普通の人類学の仕事に没頭できたことは、幸いであった。本業を大事にしよう、と思う。

■残りわずかの滞在となった大学で
もうひとつ、今週は、大学でいくつか用事をした。おもには、いずれやりましょうと言われていてなかなか実現しなかった、学内での講演企画の詰めをすることであった。

何人かの知人の教員たちを訪ねて、そろそろ滞在期間が終わりに近づいていることを告げて回る。で、経験するのが、今さら遅いよというタイプの助言や協力の数かず。

A「で、研究室を使いたいって?」
私「あ…。あと2週間しかないんで、もうけっこうです」
A「え、もう帰るのか」
私「次来た時に、お借りします…」
(私の心中のつぶやき「5か月待ってたんですけどね…」)

B「そういえば、ビザの延長の件はどうなりました?」
私「あ…。3か月前に自分たちで解決しました。もう滞在は終わりますので」
B「え、もう6か月経つんですね!」
私「大学の国際交流の担当部局に言っといてくださいよ。招聘研究者のビザの延長のことくらい、知っておいてほしいと」
B「了解」
(私の心中のつぶやき「これも何か月も待ってたんですけどね…。自分で解決したから今ここにいられるんです」)

あーあ。そういうアドバイスは、到着早々に聞きたかったなあ。研究室を用意し、ビザ延長の手続きについて調べ、交流企画もいろいろとやりましょうということばは多く交わされた。しかし、実現を求めて諸連絡、諸手続きを始めると、ぷつりと連絡がとだえて、宙ぶらりんになる。こちらもあまり激しく動くと疲れてまた熱が出るから、ほどほどでいいやと適当に流していた。自宅をおもな研究場所にし、ビザは自分で解決し、交流企画は最後の講演会を1回だけちゃんとやろうという形で収めてしまった。

もっとアクティブに動けばいろいろできたのかな…と思う一方で、周りが動かないなか、自分だけががむしゃらに動いて空回りしてもしかたないしな…という思いもある。相手がまったり大学なら、それに合わせてまったり対応でいいか。空いた時間は、別のこと(たとえば自分の調査や原稿など)に振り向ければいいのだし。

そもそも、長期滞在のための招聘状をくれたこと。ガーナでの学会を含めて名誉ある発信機会をくれたこと。その中で、将来につながる確実な人脈を見つけたこと。大学の肩書きを使っていろいろと出歩けたこと。全体的に見て、大学に在籍することの効用は大きかった。それでいいや、と思うことにする。

■マメな人に頼る
で、大学で、9/27水午前10時から、滞在最終の大きめの講演会をすることになった。主催者の教員が私の目の前で担当部局に電話して講堂の予約をし、共催者とも日時を確認して、プロジェクタまで確保したので、おそらく今回は本当にやることになると思う。

この半年の滞在で得た教訓。スムーズに仕事を進めるための世界共通のストラテジーとは、「マメな人を見つけて、その人に頼ること」である。

マメな人に出会う確率は、必ずしも高くない。しかし、一定数はいる。今回の滞在で、私のアフリカ大学人脈のなかに、ガーナにひとり、ナイジェリアにひとり、コートジボワールにふたり、マメな人がいることが分かった。諸国・諸機関を渡り歩きながらも、その人たちのおかげでいろいろと進めることができた。

この講演会だって、そうである。思いつくだけの人がいくらいても、何も進まない。思いつきを具体的な準備に落とし込んでいくことをいとわない人が、最低1人は必要なのである。そういう人を早く見つけていろいろ仕込めば、何倍も成果が上がったのかもしれないけれど。少なくとも、立ち去る前にマメな人とひと仕事できることになって幸いだったと思っている。

■校正を進めながら
アフリカの子どもの論集の編集がついに終局に入って、アビジャン滞在中も、断続的にその仕事をしてきた。日がな一日、他人様の文章をつらつらと読んでは赤ペンを入れるということがこれまでも多かったし、今週も、校了前の最後の仕事として、その確認の仕事をしていた。

人と仕事に合う合わないがあるというのは当然のことであるが、私に何の仕事が合うかといって、他人の原稿の校正にかけては、天職かもしれないと思うくらいに徹底して進めることができる。

誤字脱字、用字用語の不揃い、文章の不自然さ、論旨の接続の悪さ、数量表現の不適切さ、図表の不明確さ。一瞬で快適に読めないものは、すべて改善の対象として指摘する。そして、これら違和感とその理由を執筆者にわかりやすく説明し、より明快で快適な語や文章への言い換えを提案することまで。私は徹底してそれをやって、しかも適当なところで妥協しない。読者に、学生に、時には入試の受験者たちにも、食い入るように読んでもらえる作品とするためには、文章の品質において絶対に手を抜いてはならないという矜持があるからである。

かくして、出版社内の校正担当のプロすら見落としていることを見つけることもしばしばあり、心中ひそかに勝利宣言をする。

手前味噌ではあるけれど、これまで拙文は、小学生以上の国語の入試や模試の問題文としてずいぶんと活用していただいた(この本この本この本も)。今週も、小学6年生の模擬試験「国語」で貴著を問題文として使わせていただきました、という報が新たにまいこんだ。拙文が日本語の範となるというのは実にこそばゆい奇妙な経験であるが、論理的で間違いのない文章として多くの人びと(とくに子どもたち)に読んでもらえることは幸いである。

そんな思いで、今作っている本も徹底的に品質改善を行ってきた。それも大きな山を越えて、そろそろ終幕。やるべきことはやりつくし、最後の確認を経て校了が宣言されるのを静かに待機している。

■続・アフリカにおける公共って何だろう
先週、アフリカでの公共とは何かというネタを、騒音とゴミをきっかけに書いてみた。一度書いてみると、その後もいくつも関連するネタが思い付くので、補足で少し書いてみる。

電話をめぐる話題。バスなどの乗り物の中で、電話が鳴ることは多いし、会話をしている人もいる。静かな図書館の中でも電話をする人がいる。また、仕事中や会議中のスマホいじり。メールを見ているのか何なのか知らないが、空気はだれてしまう。そういう規範のゆるさに影響されて、私も車内でマナーモードなどにせず、電話が鳴ったら鳴ったでいいやと思う人になる。周りに合わせてしまうのである。

時間をめぐる規範。約束の時間が守られないというのは、日常茶飯事。こっちも、定刻に行ってもどうせ来ないのだから、適当でいいやという判断になってくる。時間を守らない人に対して、こちらだけ守ってやるいわれもない、などと考え始めてしまうのである。

いずれも、規範を遵守する意識が低いというふうに評価して、ネガティブに語ることはできる。一方で、外部の規範を過剰に意識することなく、個人の利益を最大化することを自他に自由に認めているというふうに語ることもできる。

一方で、アビジャンで見かける利他的な行動、先週に続いて、その他の事例。たとえば、タクシーが拾えずに困っている時、タクシーを代わりに呼び止めてくれる、行き先を代わりにドライバーに言ってくれるというようなことは、頻繁にある。時には、値引き交渉までしてくれる親切な人もいる。また、「ここでは拾えない、あっちの角に行って、こういう行き先で聞いてごらん、いくらで行けるから」などと、お節介と思えるくらいに丁寧に教えてくれる人も多い。とくに知人であるわけではなく、通りすがりの赤の他人が、である。

各種機関の窓口で、没個性の手続き申請者として何かを依頼すると、対応がよくないことも多いのだが、何度も通ってあいさつもするようになって、おー、また来たかというちょっと面識のある関わりになると、少し当たりが柔らかくなることもある。窓口職員のほか、警備員にも、そういう傾向がある。

総じて、外部の客観的な基準に照らして行動の適否を定める、というよりも、対面的なコミュニケーションの中でのつながりと支え合いを大切にする、という傾向が見て取れる。これがアフリカにおける公共のあり方なのかなあ、などと、先週の事例とも付き合わせながら考えたりしていた。

大きく言えば、近代とか市民とか規範とかいったことばを散りばめて、縦横に論じることができるのかもしれないが。論文でもないから、適当に書き散らしたままにしておくことにする。

週末の金曜日の夕方、アビジャンのビザセンターでフランスのビザを受領した。10月からフランスに長期滞在する準備が整った。ビザ取得の顛末はまた後日アップするとして、とりあえず大きな実務が片付いてホッとした。アビジャン引き揚げとパリへの引っ越しというプロジェクトが始動する。

アビジャン去り際になって、友人知人たちから、あれもこれもという要望が立て込んでいる。この勢いで4月からやりたかったよ、と苦笑しながら、詰め込みすぎてまた熱を出してしまわない程度に、楽しくやりたいと思います。

では、また来週。Bon week-end !


2017年9月9日 (土)

■アビジャン日記 (22): 荒れるヨプゴン/アフリカにおける公共って何だろう

ぼつぼつ、片付けモードのアビジャン生活。今週は、私たちが住んでいるヨプゴン地区が荒れて、なにやら不穏な空気のなかを暮らしていた。

■ブアケに行かずアビジャンにとどまる
今週の残念、その一。ブアケ大学訪問の企画が、キャンセルになってしまった。

ブアケには、日本への留学経験があって日本語を専門とする大学教員の方がいて、日本語の初級クラスを履修する大学生や高校生もいるという。日本のマンガやアニメが大好きな学生たちで、いちど日本のことばと文化をテーマにした交流企画をしましょう、という話が実現しかけていた。講演やワークショップのセッティングも進みかけて、日程も押さえたのだけれど。あいにく、大学施設が閉鎖される期間と重なって、開催が困難になってしまった。

コートジボワールは、実は今回で8回目の訪問となる。来るたびに内陸部への旅行を企画するものの、ストが起きたり発砲事件があったりで、実現していない。今回こそ大学の側の招聘で行くぞと計画したのだが、かなわなかった。

これに限らずだが、あれやこれやと交流や講演の企画が浮かんでは、消えていく。いただいた提案を全部はこなしきれないから、少々減ってくれるのはかまわないのだが、変更が目まぐるしいとちょっと予定も立てにくい。ぽっかりと空いた時間は、アビジャンでできる別の仕事に振り向けるなどする。

■荒れるヨプゴン
今週の残念、その二は、居住しているヨプゴン地区の治安が急激に悪化したことである。

新聞報道によれば、先週木曜の夜、ヨプゴンのサーブル近辺でひとりの警察官が殺害された。下手人は、おそらく microbes と呼ばれる犯罪集団だと記事にあった。

月曜日、ふだん見慣れたヨプゴンのシポレックス界隈の風景が一変していた。路上でにぎわう市場が官憲によって撤去され、いつもの物売りたちの姿が消えていて、廃墟のようになっていた。怒りと不満と諦めの感情が漂う中、黙々と廃墟となった市場の片付けをしている人びとの姿があった。先週路上で見つけたマング・ソヴァージュのお店も、消えてしまった。

背景には諸説あるが、商売人による路上不法占拠に対する取り締まりがしばしば行われるということ、その他、警察官を殺害したとされる microbes の摘発と関係しているという見方、薬物の使用や盗品の売買などの闇行為への取り締まりという見立てもあった。

水曜日。シポレックス界隈は戦場のようになっていたという。Microbes 摘発のために警官隊が市中で催涙ガスを使用し、100人以上もの人びとが検挙された。市民にケガはなかったようだが、催涙ガスが学校に落ちて人びとが避難するなど、相当な混乱状態にあったと聞く。しかも、摘発対象集団の首領は逃亡中で、警察が行方を追っているという。

木曜日、アジャメでも同様の催涙ガスを用いた摘発があった。

ヨプゴンは、労働者の町。アジャメは、巨大な市場があり、交通の要所でもある。いずれも、よく言えば活気がある民衆の町、悪く言えば猥雑で危ないという側面もある。そこで、目に見える暴力の衝突があった。シポレックスは、ふだんお世話になっているろう学校のすぐ近く。私がアビジャンの中でも最もよく通過する交差点である。殺害、催涙ガス使用、大量逮捕、破壊が、この一週間余りの間に、私たちの最も身近な生活圏で起こっていた。

巻き込まれませんように。そして、早く収まりますように。自分の身を守るために、頻繁な外出を控える。危険が予想される交差点で乗り換えしないで済むように、料金高めの直行タクシーに乗って移動する。情勢を気にしながら、明るいうちに急いで帰宅する。都市生活を楽しむ、という余地はない。

5月に銃撃。7月にも銃撃。アビジャンには2か月周期で危険が来るのかよと冗談まじりに思っていたが、この9月、予測は当たってしまった。こんな予測は当たってほしくないとつくづく思う。

#日本の学生たちが夏休みを利用してアビジャンを訪れたいという希望も少し聞いていたが、この時期にこの都市を訪問しなくてよかったと思うよ。本当に。

■今週の仕事、ぼつぼつと
まあ、そんな物騒なことが持ち上がるなか、とりあえず私は自宅でコツコツとできる作業をして、3,537件の動画データセットをそろえ、分類も終えて、次の作業を担当するろう者の仲間に渡すことができた。

社会調査の雑誌に寄稿したフィールドワーク論の論文1件も校了を迎えたし(予告情報はこちら)、近々刊行されるアフリカの子どもの論集の確認作業も、だいぶ進めることができた(予告ページはこちら)。

それから、今週取り組んだのが、今年度の後半の在外研究に向けた、膨大な事務作業。受け入れ先とのやりとり、大使館とのやりとり、住居の準備、ウェブでの調べもの、書類作成、各種手数料の支払い、そのための銀行での外貨両替などなど…。

実に面倒くさいし、時間がかかるし、研究そのものの具体的な進展にはつながらない。もっとも、すべての実務をフランス語でこなさねばならないだけに、こういう苦労を重ねると少しはフランス語も上達するかもしれない、などと、せめて気持ち的なうめあわせを考える。

アビジャンで終えるべき作業、今後のための布石、そしてその間にたゆまず進める原稿仕事。今週は、それぞれほどほどのバランスで進めることができたのかなという気がしている。

■初めての水道代請求
今週、経験したこと。それは、初めてアパートの水道代の請求が来たことである。5-6-7月の3か月分が、まとめてやってきた。3か月で約3,254F(約650円)と、実に安いものであった。

電気代が、5月分4,140F、6-7月分7,585Fと、わりとこまめに請求がやって来て、しかもそこそこ高いのと比べれば、なんとものんびりした請求で、しかも拍子抜けするような安さである。

そりゃあね、あれだけ水が止まっているんだから、安くて当然だろうとは思うけれど。どちらかと言えば、もう少し高くてもいいから、水よちゃんと出てほしい、という気にもなる。

滞在中、最初で最後のたった一度の水道料金を、来週にでも払いに行く予定である。

#ちなみに、記録として書いておくと、電気と水道以外の居住に関わる公共料金としては、ゴミ回収代がある。地区を巡回している廃棄物回収業の人が、毎月月末に集金に来るので、500Fを払うというものである。

■アフリカにおける公共って何だろう
この町に暮らしていて、公共とは何だろう、ということを考えた。

たとえば、昨日の金曜日の深夜、未明の3時や4時まで、近所の広場で大音量の音楽をかけて、人びとが集まりを催していた。後で聞けば、それはどうやら葬儀の一環であったらしいのだが、私はすぐ近くの家に暮らしていて、本当にうるさくて寝付くことができなかった(ちなみに、ろう者のつれあいはスヤスヤと寝ていた)。この都市には、騒音規制というものはないのだろう。表現の自由か、慣習の尊重か、それとも静かな環境を享受する住民の権利か。何を優先すべきかについて、コンセンサスがなさそうに思われた。つまり、放任ということである。

#深夜に目がさえてしまったもうひとつの要因として、未明3時ころに水道が復活したことがある。ドバーッという台所で水が流れ出る音に飛び起きて、ひとしきり水を汲み終え、さて寝直そうと思った時に、あまりにやかましくて眠れなかったという次第。

街角のゴミ。これも相当はなはだしい問題である。道にゴミを捨てることは常態化していて、路肩にうず高く積もった廃棄物からは腐臭が漂い、鳥がたかって残飯をついばんでいる。個人の行動の自由なのか、それとも公共の環境衛生の保持か。衛生を保つのは、政府や自治体の責務なのか、それとも市民の良識に委ねられるのか。これも、とりあえずは放任ということである。

道路では自動車が我先にと突進し、タクシーやポーターは客を強引に奪い合い、スーパーやパン屋では、子どもたちも含めて列に割り込み放題。「列に並んで順番を待つ」という規範が身に染み付いている私たちにとって、割り込みは利己的で強欲な行動に映る。そういうことは子どもたちにもきちんと教育してほしい、という気持ちがおのずとわく。

もっとも、冷静に考えると、「自分の利益を最大化する」という発想に立つとすれば、これらの行動はある意味では合理的であるのかもしれない。自分の利益を最大化しないで自制し、勝手に「公共」なるものを想定して規範を設け、自他に押し付けて、逸脱した人を非難するという、私たちの禁欲的な「自縄自縛」的行動の方が、むしろ特殊なのかもしれないと思ったりする。

たとえば、先日アビジャンから短期出張でスイスやカナダに行った時、どうしてタクシーは客の奪い合いもせずにおとなしく順番を待っているのだろう、ドライバーが歩行者優先で黙って道を譲ってくれるのはなぜなんだろう、と不思議に思われた。アビジャンの強引なバカ(小型乗り合いバス)のように、自分の利益を最大化すればいいのに、などと思ったのである。アビジャンのような、ぎらぎらした生存のエネルギーを日々感じる世界にいて、そこでの「普通」を基準にして比べたら、ヨーロッパや北米では人びとの行動があまりに自制的で、おとなしすぎて、かえって奇異に映ることがある。

また、別の一面では、利己的行動ずくめとは言えない光景をアビジャンで見ることも多い。たとえば、乗り合いタクシーに乗り込むとき、赤の他人どうしでも "Bonjour" / "Bonsoir" とあいさつをかわすことが普通だし、混み合うバスの中でドライバーや車掌に直接運賃を手渡せない客がいた場合、乗り合わせた客たちが助け合って小銭のリレー、そして逆方向に切符のリレーをして、運賃支払いの手伝いをする。慣れない方向のバスに乗っていて降りるべきバス停が分からない時、乗り合わせた客が教えてくれたり、運転手や車掌に停車するよう言ってくれたりといったことも頻繁である。

日本のバスや地下鉄で、乗客どうしがあいさつすることなどありえず、お互いに完全なる無関心を決め込んでいる光景と比べれば、何とも居心地のよい空間ができている。言語化しにくいが、公共性が「ある/ない」という違いではなく、公共に関わる規範が発動する場面や条件が「ずれている」という観察ができる。

騒音も、ゴミの悪臭も、列の割り込みも、客の奪い合いも。快適でないこともしばしばあるから、それらを全面的に肯定するつもりはあまりない。一方で、それらを「マナーがなっていない」「後れている」などといった粗暴なことばで切り捨てることもまた、私はしたくないのである。こういう違和感は、私たちが自明視している公共というものをむしろ逆照射してくれるよいきっかけとなる。大音量で眠れない一晩、共存のための知恵と理解と対話ということを、ぶつくさと考えた。アフリカにおける公共って、そして、私たちが自明視している公共って、いったい何だろう、と。

そんなわけで、昨晩はちっとも眠れなかったが、土曜の今晩は不思議と静かである。日記もこのへんで切り上げて、さっさと寝ることにしよう。

では、また来週。Bon week-end !


2017年9月2日 (土)

■アビジャン日記 (21): タバスキ休暇/ブアケ大学の人類学者たち/マング・ソヴァージュを発見

Bonne fête de Tabaski !

9/1金は、犠牲祭。ムトン(羊)を連れて歩く人たちが、町中にたくさん見られました。いずれ肉になるのだろうなあと思いつつ、見守ります。

この祭日で、金土日は3連休。ムスリムの友人知人とは、タバスキおめでとうとあいさつをかわす。いつもの近所のガルバ(アティエケと魚のフライ)の店が珍しく閉店、プラトーのレストランも休業だった。こういう休日でも、近所のキリスト教会は、あいかわらず拡声器で大音量の賛美歌と説教と祈りをエンドレスで繰り返す。ムスリムたちにとって大事な祭日なのにねえ…という気がしないでもない。

ろう者の友人たちは、みな短期集中の手話研修で多忙な毎日。あんまりじゃましたらいかんなと、必要な打ち合わせをすきま時間に手早く片付けるくらいにし、後は遠慮して、むしろ自宅で日本から切れ目なくまいこむ原稿の修正や校正の仕事をこなしていた。2件半ほど片付けて、打ち返す。

■ブアケ大学の人類学者たち
今週は、人類学の研究者たちとの交流があった。ブアケというコートジボワール第二の都市にある、ブアケ大学。この国の数少ない日本語の言語学の教員がいて、日本語のクラスがある大学であり、また、人類学の拠点を擁する大学のひとつである。

一方、ブアケは、2002年に始まるコートジボワール内戦の中で、北側反乱軍(「新勢力」Forces nouvelles)の首都ともなった都市である。現在も、時どき政府に対する不満をもった元兵士たちの示威行動があるなど、治安の面で少し不安を残す。アフリカで日本語教育をしている大学があるなんて、日本語教員を目指す学生にとっていい活躍の場ではありませんか!と言いたいのはやまやまながら、安全面で、現状では慎重にならざるをえない。

ブアケ大学のもと大学院生で、いまはアビジャンの国際組織の人権関係の調査機関で働いている友人がいて、彼の紹介で、ブアケ大学の人類学の教員と懇談することができた。

ブアケ大学の人と会うのに、ブアケまで行かねばならないかなと思いきや、アビジャンで会う方が都合がいいという。ブアケ大学の研究センターがアビジャンのココディにあり、そこで勤務することもあるからだとのことだった。

話を聞いていると、ブアケ大学の教員たちのなかには、アビジャンに家族がいて、授業をするためにブアケに出かけ、毎週アビジャンに帰ってくるという人が何人もいる。内戦のときに危険なブアケを避けて家族ともどもアビジャンに引っ越してきて、そのまま生活の拠点をアビジャンに置いているということらしい。こんなところにも、戦争の痕跡を見ることができる。

医療人類学を専攻しているという教授と、コートジボワール北部の牧畜民や農耕民のこと、子どもたちと生業活動、就学状況など、いたってふつうの人類学的話題で歓談できたことは、とても楽しい経験だった。私も、現在は手話とろう者の研究テーマでアビジャンに滞在しているものの、博士論文のテーマは狩猟採集民の子どもたちに関する民族誌的研究であったし、アフリカ子ども学を主題にした新しい本もそろそろできあがるということで、子ども研究をもういちど本格化させたいなあとも思っている。そういうタイミングでの、楽しい情報交換のひととき。滞在中に、もう一度くらい人類学系の人たちと懇談できるかなと楽しみにしている。

■自分の研究テーマの棚おろし
さまざまな分野の研究者と出会うたびに、「あなたの研究分野は?」「テーマは?」「これまで書いた論文は?」といった話になる。そのたびに口頭で説明するが、時には、これまで書いた論文をぜひ見せてほしい、というふうに依頼されることもある。

面会後に、お礼のごあいさつを兼ねて、メールで論文を送ることもよくあるが、そういうときにいちいち長文で説明を書かなくても済むように、研究テーマや主要論文を簡潔にまとめたウェブページをいくつかの言語で作っておきたいと考えた。

そこで、必要に迫られて一気に作ったのが、新しいウェブページ「研究テーマ」(日本語版英語版フランス語版)である。アフリカの知人たちに見せるという目的があったため、ふだんとは違って、まず英語版を作り、日本語とフランス語に翻訳した。今後は、メール本文に、私のおもな研究テーマはこちらです、とリンクを貼って、自己紹介を簡単に済ませようという作戦である。

自分の研究上の関心事のような不定形なものを、一度ことばにし、分類して示すというのは、なかなかに億劫な作業である。古いウェブページ「おもな研究テーマ」および "Research interests" は、最終更新2010年という、まったく更新を怠っていたページになっていて、現状の私を説明していない状況にあった。このため、過去のコンテンツは潔く削除。「何を研究したいか」という願望ではなく、「実際に何を研究してきたか」という実績中心のコンテンツにした。

他人に見せる目的で作ってみたページだが、いざ可視化してみると、自分の仕事の偏りぶりがよく分かる。「調査したものの成果をあまり出していない分野」「しゃべってばかりで書いていない分野」「日本語で書いていて欧文で書いていない分野」「一般啓発は得意だが地道な基礎研究をおろそかにしている傾向」などなど。自分の嫌な部分がよく見える。

これは、自分を映す鏡にほかならない。日々の雑用と目前の課題、そして身近な誘われ仕事にうつつを抜かしていて、本当に大事な学術的知見の蓄積をおろそかにしていないか。自分の嫌なところも含めてよく見える鏡として、時どき読み直し、更新していくページにしたいと思う。

■DHL、FedEx、EMS、書留
アビジャンにいながら、日本やフランスなどとさまざまな書類のやりとりをする。今週も、大事な書類をいくつか受け取ってホッとしたのだが、業者によっていろいろと違いも見えてきた。ちょっとデータもまじえて記録しておきたい。

これまで私が受け取りの経験をしたのは、DHL、FedEx、EMS、郵便の速達書留の4種類である。そして、その順番に、印象がよい方からよくない方へと並んでいる。なお、ここでの基準は早さと確実さである。料金については不問にしている。

前提として、コートジボワールでは住所がない街区もあり(私の自宅もそうである)、住所に基づく個別自宅配達が行えないケースがある。このため、配達は「電話で到着を知らせ、配達先を口頭で確認する」または「郵便局の私書箱で受け取る」のいずれかである。

#この「電話で口頭で」というところが、聴覚障害の人たちにとっては著しく高いバリアになっている、という面も指摘しておきたい。

【DHL】
DHLは、日本からとフランスからと2回受け取ったが、実に早くて確実であった。番号によるウェブでの追跡も明瞭で、安心感があった。

日本からの例:7/20木、東京都内発送。7/24月には DHL の配達員から電話がかかってきて、指定先のアビジャンのろう学校に配達された。つまり、4日後に入手した。

フランスからの例:パリ近郊で8/25金の朝に発送、ドイツとベルギーとナイジェリアを経由して、8/28月の朝に私に電話が入り、その日の午後にはアビジャンのろう学校に配達員がやってきた。3日半で手に入った。

【FedEx】
FedEx では、パリからの書類を受け取ったが、やや不安を残すサービスだった。8/2水にパリから発送、8/4金にアビジャンに着いたらしいのだが、たまたま私がガーナ出張で不在だったために、配達員からの電話に出ることができず、発送元への返送手続きが始まってしまった。追跡サイトで返送が始まっていることを知った私は、大慌てでガーナから FedEx アビジャン事務所に国際電話をかけ、返送しないでほしいと交渉した。アビジャン帰着後、8/8火に電話で再度交渉、午後に配達があった。早ければ2日後に受け取れたのかもしれないが、トラブルがあって、結局6日後に受領。早いのは結構だが、電話に一度出なかっただけで返送を開始してしまうって、せっかちすぎやしないか?という不確実さがあって、少し印象を落とした。

【EMS】
EMS は時間がかかり、かつ、不安材料があった。7/26水に日本の愛知県発送、8/8火にアビジャンのろう学校で NGO の友人から受け取った。13日後であった。しかも、郵便局の私書箱の住所を書いて発送してもらったにも関わらず、私書箱には届かなかった。どうやら、宛先には記入されていない NGO の電話番号を独自に調べて配達先を割り出し、配達員が届けにきたということであるらしい。ん?郵便局のサービスなのに、郵便局に届かないで、宅配をする? よく理解できていない。悪用されずちゃんと届いてよかったが、もしかしたら、配達先を間違えて配達物が行方不明になるおそれもあった。

【速達書留】
フランス La Poste による速達書留。遅くてかつ不確実であった。8/11金にパリ市内から発送。番号による追跡情報は、パリの空港を出たところでぷっつりと切れてしまい、以後、追跡不能。そのまま約2週間半経過する。8/29火、NGO 職員が私書箱への速達書留の到着を確認。8/30水、郵便局で本人パスポート提示の上、受領した。DHL なら4日のところ、19日間かかったことになる。消印を見ると、8/24木(発送から13日後)にアビジャンの郵便局に到着していた模様なので、コートジボワール到着まで、そしてアビジャン市内配送でも時間がかかった上に、さらに NGO 職員が私書箱を見に行くまでの時間のラグもあったかもしれない。いずれにせよ、待たせた上に追跡不能という不安を与える意味で、最も使いたくない選択肢であった。

(もうひとつ、うちのつれあいに関わるヨーロッパからの一般郵便が1か月以上も待たされているという案件があって、郵便はあてにならないという印象がさらに強まっている)

配達を待つ身はつらい。本当に届くのかどうか不安だし、さらに、いつ電話がかかってくるか分からない。電話にうっかり出なかっただけで、さっさと返送手続きに入ってしまう業者もあるから、四六時中、携帯電話を肌身離さず握りしめて、何日も到着を待ち続ける。正直言って、くたびれる。仕事のために受け取りが必要なのであれば、せめて、早く、確実で、この「待つ身の不安と電話待機の拘束」から解放してくれる業者を選びたい。

そういう観点で言えば、今の私は、DHL が最も快適だと感じている。むろん、少ない経験のなかで断定的なことは言えないし、料金の側面も軽視できないだろう。これは、あくまでもアビジャン滞在で得た印象として。大事な書類の受領が立て続けにあった今週、つらつらと考えたことである。

#おまけを一つ書くと。日本からの書籍の受領を2種類経験した。日本からの航空郵便は約3週間、船便は約4か月であった。これもまたひとつの経験として。

photo20170831_mangue_sauvage.JPG

■市場でマング・ソヴァージュを発見
今週の生活上の発見は、マング・ソヴァージュ(ブッシュ・マンゴー)の堅果を、近所の市場で見つけたこと。

学名、イルヴィンギア・ガボネンシス(Irvingia gabonensis)。カメルーンの森の奥で暮らしていた時に、最高の食材、調味料として重宝していた、森の恵みである。その季節が来ると、狩猟採集民の友人たちがみなこぞってこれを集めに森に入り、自分たちでもたらふく食べ、余った堅果は道で売って小銭を稼ぐ。

カメルーンの森ではバケツ単位で売っていたマング・ソヴァージュ、アビジャンの街中の市場ではひとつかみ500フランという、かなり割高なお値段ではあった。雨の降る夕方のぬかるんだ道、雑踏をかき分けながら家路を急いでいたが、それでも、これを見かけた時には、思わず立ち止まって買わずにはいられなかった。

よく洗って皮を剥き、フライパンでから煎りして、晩のビールのあてにする。香ばしい、舌にねっとりとからみつく脂分の多いナッツをかじっていると、あの懐かしいカメルーンの森の世界を思い出す。

同じアフリカにいるのに、と、奇異に感じられる方もいるかもしれない。しかし、ここは自動車の渋滞のはげしい500万都市のアビジャン。カメルーンの森の集落は、人口100人や200人という「全員が知り合い」のせまい世界、完全に自然環境に溶け込んだ暮らし。日本とアビジャンの違い以上に、アビジャンとカメルーンの森の暮らしは違う世界である。

ちょうど20年前、初めてのアフリカ長期調査を行ったカメルーンは、いろいろな意味で私のアフリカ滞在の原点である。その後、9か国ものアフリカを経験したけれど、食文化、都市化の状況、物価、経済・政治動向など、さまざまなことを見聞きするたびに、思わずカメルーンと比較し、「カメルーンで言えばナントカやな」みたいに置き換えて例える癖も抜けていない。

5年ほどもごぶさたしているけれど。またカメルーンの森に戻って調査する機会があればいいなあと、渋滞と排気ガスのはげしい都市のなかで、マング・ソヴァージュのナッツをかじりながら、気持ちだけあの集落の友人たちと共にいるような感覚でいる。

[20170912追記] 友人の教示によると、コートジボワールではこのナッツを siôkô と呼ぶらしい。こちらの料理の語彙集ページにも、以下のように載っていました。

Kplé / Siôkô : nom de la graine d'Irvingia gabonensis qui se présente comme une grande amande. Condiment très utilisé dans la cuisine traditionnelle du sud et de l'ouest ivoirien. Il rend les sauces très gluantes.

(ペレ/スィオコ:イルヴィンギア・ガボネンシスの種子、大きなアーモンドのような外観。コートジボワール南部と西部の伝統的な料理で多く使われる調味料。非常に粘り気のあるソースになる。)

来週は、アビジャンの雑務をいくつかこなした上で、もしかしてブアケに短期移動できる機会があるかもしれない。滞在日数のカウントダウンが始まるなか、無理せず楽しくやろうと思います。

では、また来週。Bon week-end !



矢印このページのトップへ    亀井伸孝日本語の目次へ

All Rights Reserved. (C) 2003- KAMEI Nobutaka
このウェブサイトの著作権は亀井伸孝に属します。