AACoRE > Laboratories > Kamei's Lab > Index in Japanese
ILCAA
亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2020年1月

日本語 / English / Français
最終更新: 2020年2月16日

[←前の日記へ][今月の日記へ] [テーマ別目次へ] [月別目次へ][次の日記へ→]

■「グローバル学術交流」最終ポスター発表会 (2020/01/31)
■訪ねて来てくれた卒業生たち (2020/01/30)
■日本アフリカ学会の理事選挙 (2020/01/29)
■インターネットが遮断されたキャンパス (2020/01/28)
■映像制作ワークショップ最終上映会(その二) (2020/01/27)
■研究倫理と研究者のことばについて考える (2020/01/26)
■ビアフラ戦争終結50年 (2020/01/25)
■学生自主企画研究のサポートを終えて/金賞の受賞 (2020/01/24)
■世界を付いて回るグーグルさん (2020/01/23)
■映像制作ワークショップ最終上映会(その一) (2020/01/22)
■【お知らせ】公開シンポジウム「アイヌ民族と博物館: 文化人類学からの問いかけ」 (2020/01/21)
■31回目のセンター試験 (2020/01/20)
■日本文化人類学会の代議員選挙 (2020/01/19)
■7時間閉じこもりで没頭した仕事 (2020/01/18)
■四半世紀が経った1.17 (2020/01/17)
■日本文化人類学会大会での分科会「応答の人類学」採択 (2020/01/16)
■アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)へのパブリックコメント募集 (2020/01/15)
■成人式の装いから考える「文化の多様性」と「個人の自由」 (2020/01/14)
■成人の日になぜ授業? (2020/01/13)
■京都出張で人種について学ぶ (2020/01/12)
■大発会に並ぶ着物の女性たち (2020/01/11)
■今年もやって来た論文〆切の日 (2020/01/10)
■論文の結論をざっくりまとめる対話 (2020/01/09)
■「新年の抱負は東京五輪」という罪のないことば (2020/01/08)
■日本アフリカ学会の評議員に選出 (2020/01/07)
■長かった冬休み (2020/01/06)
■正月に貼り付いてくるもの (2020/01/05)
■2019年度末の退職最終講義・記念行事など(人類学まわり) (2020/01/04)
■独立60周年を迎えるアフリカの国ぐに (2020/01/03)
■「多様性」称揚に潜む落とし穴: ラグビーとAKBと大東亜会議 (2020/01/02)
■2020年の正月にあたって (2020/01/01)


2020年1月31日 (金)

■「グローバル学術交流」最終ポスター発表会

教養科目「グローバル学術交流」の最終回の今日、みんなでポスター研究発表会をやった。

これは、オムニバスの授業である。ただ、通常の教養科目とは異なり、本学の学術情報センターの特別の(桁違いの)予算を用いて実施し、対外的にも成果をアピールすることが期待されている授業である。

・海外ゲスト1名を呼ぶ
・国内ゲスト2名を呼ぶ
・上記3名の講義は、一般公開の講演会とする
・本学の五つの学部すべてから担当講師を呼ぶ
・新しい研究成果を含む学術交流の要素を含む
・学生たちのアクティブ・ラーニングの要素を重視する
・最後に学生たちの成果発表をする

という条件の下で開講される。

大学としては、予算を投入する分、やはりその成果を強調したい事業である。一方、学生にとっては、参加と課題の多い面倒くさい科目と映っているかもしれない。コーディネート担当教員の私たち(2名)としては、大学の目玉にするのはいいけれど、多方面からの期待に応えるべく条件が多く付きすぎて、ちょっと運営が大変という印象があった。

ともあれ、引き受けた以上は、やり切るしかない。昨年10-12月の3回のゲスト招聘と公開講演を切り回し、アクティブ・ラーニングも学術交流も五学部担当講師のリレー講義も何とか回し。そして最後の成果発表会、これについては、大勢の学生の成果を一度に公開するには、口頭発表よりもポスター発表にした方がいいと判断。最後はお祭りのように公開行事で盛り上げることにした。

学生を全10班に分けて、それぞれに模造紙を配り、文具を貸して、さあいっせいに自由研究とポスター制作をしてらっしゃいと指示。共同担当する同僚たちとも相談して、ポケットマネーでお菓子などを購入、優秀作品を表彰してプレゼントを出すことにした。

そして、今日の最終発表会。昼休みに全員集合、みんなで机を動かし、掲示板を立てて、設営をした。全10班の作品が並ぶ。なお、今年度の授業の全体テーマは、「グローバル・ヒストリー」である。

・「日本・中国から広がる竹物語」
・「『シンデレラ』の世界的展開」
・「義務教育で教わらない戦争の裏側」
・「ロック・ミュージックのグローバルヒストリー」
・「イヌをめぐるグローバルヒストリー: ヒトとの関係と移動」
・「結核の世界史」
・「カカオ豆の歴史」
・「トマトのグローバル・ヒストリー」
・「音楽のグローバルヒストリー: 17世紀から20世紀にかけて音楽はどう世界にひろがったか」
・「スパイスから見るグローバルヒストリー」

面白かったな。グローバル・ヒストリーに関係することで、各班自由テーマ選定で作ってらっしゃい、ということにしたのだけれど。それなりによく調べて、きちんと話していた。地図や写真を工夫したグループもあり、見応えのあるポスターが多かった。

みんなで優秀作品のシール投票をして、同着3位も含めて上位4チームを表彰。チョコレートなどの賞品を渡し、拍手。最後に、みんなで記念撮影をして、この授業は終了、解散した。最初はどうなるかと思ったが、最後の閉じ方がとてもよかった。

何か、最近、こういう発表会みたいなことばかりやってるな…と気が付いた。

もとより、学生が自ら調べて公開することを推奨する私のやり方で、自ずと学生発表会みたいなイベントが多いのではあるのだが。とくに最近、多かった気がする。毎週、2-3回はやっているのではないか。

1/21火 「プロジェクト型演習」5クラス合同発表会で、映像の一部上映と授業の成果報告
1/22水 学生自主企画研究最終報告会
1/22水 2年次「プロジェクト型演習」最終回としての映像制作ワークショップ上映会
1/27月 3年次ゼミ生の社会調査実習報告としての映像制作ワークショップ上映会
1/31金 「グローバル学術交流」最終ポスター発表会
2/3月 4年次ゼミ生の卒業論文発表会

こういう公開発表会を企画するたびに、学生たちが準備中の作品にコメントし、改善を促し、トラブルに対処、最終タイトルを集め、プログラムを作り、広報を流し、会場の下見をし、行事の運営段取りをし、配布資料を作り、学生たちに役割を振り、機材とデータの動作確認をし、搬入する機材や資材の準備をし、当日搬入し、設営し、開催し、写真で記録し、片付けをし、作品データを整理し、文具や機材を回収し、協力者にお礼を述べ、予算の執行を行う。

いや、もともとそういうことは好んでやっているし、行事の切り回しなんて昔から学内外でさんざんやっているので、慣れたものではあるのだが。さすがに、2週間で6件もあると、もうたくさん、という気分にはなる。

上記6件中、5件が終わった。後は、卒論発表会を残すのみ。これは、学生たちの成果を聞くだけだし、映像のようなセンシティブな機材動作確認はないし、学生たちはそれこそしゃべりたいことが山ほどあるだろうから、私はプログラムだけ作って、後は学生に任せればいい、楽なタイプの行事である。

忙しい。本当に、毎日がイベント。しかし、こんな苦労ができるのも、今だけである。後期の授業終了が迫っている。授業が終わり、春休みに入れば、学生たちの定期券も切れて、キャンパスには人がいなくなる。そうなる手前の、騒がしいまとめの季節。それを、フル回転で楽しんでやろうと思っている。

にぎやかなポスター発表会が終わった後、しばし残業して、卒論口頭試問のための論文査読をひとつずつ進めていた。イベントとは異なる、また違った仕事のモード。これもまた、年度末の労働の風景である。

今月のまとめ。1か月、連続して日記を書いたぞ!というのがある。これまでのパターンは、年末に振り返り日記を、年始に抱負日記を書き、冬休みが終わると忙しくなって止まり、再開のきっかけのないままにまた年末に書く、というものだった。ちょっと三日坊主だと恥ずかしいし、たまたま脳裏に浮かんだネタが多かったし、いけるところまでいってみようと考えた。

大事なことは、「面白く有益でないことでも、書き続けることに意味がある」と割り切ること。こんなつまらないこと書いて掲載しても益もなしオチもないし、などと自制し始めたら、こんなこと続けられるはずがない。「生活習慣として表現を続ける」ということを、しばらく自分に課してみたのである。

なお、Tweet だと、有益で面白いネタでないといけないという規範が強力に働くし、多くの人びとの目にさらされる表舞台という感じだが、こちらの日記はいわば楽屋裏。つまらない雑感を、分量を気にせずに、自由に勝手に書くことができる。しばらくこのペースを続けてみようと思っている。


2020年1月30日 (木)

■訪ねて来てくれた卒業生たち

昨日水曜日、卒業して3年、6年という懐かしい卒業生たちが、本学を訪ねて来てくれた。

きっかけは、キャリア関係のトークイベントの開催である。本学の国際関係学科を卒業した人たちが、どんな進路を選び、その後社会でどのような活躍をしているか。卒業生たちを招いて体験談を聞き、今の学生たちの参考にしてもらおうという企画である。

ひとりは、JICA ボランティアとして、ブラジルで2年間活動してきた人。もうひとりは、地元に戻って就職し、外国人観光客を大いに集めて、日々英語で対応している人。ふたりのトークは、本学科でさまざまな言語と学問を修めた上で、世界で、日本で、それを活かしてどういう活躍ができるかを、よく示してくれた。

思い出しますよ。2人とも、2012年の春頃、新しい言語を学びたい!と言って研究室にやって来て、自分たちで「アラビア語研究会」を作り、毎週仲間を集めて勉強していた。その後、2人とも学内外の奨学金を得て海外に飛び立ち、留学とフィールドワークの豊かな経験をして、優れた卒業論文を書いた。チャンスがあれば必ず手を上げ、仲間を集め、資金を取り付け、場を創って盛り上げていく。そういう資質をそなえた学生たちだった。

卒業して、3年。その後の JICA や企業での盛り上げ方を見ていると、場と仕事と言語は変わっても、本人たちのやることはまったく変わっていない。8年前から、研究室を大いににぎわせてくれた時の活躍ぶりを、そのまま世界や地域に拡張してくれたような生き方をしている。

トークイベントのゲスト2人を招いた夕食会に、さらにもう1人の卒業生が合流してくれた。彼女は卒業後6年、今はスペインのカタルーニャに暮らしている。帰国中に、立ち寄ってくれた。みんなで、2010年代前半の、新設の国際関係学科が立ち上がった当初の風景を懐かしく思い出しながら、ビールが進む。

楽しくて、ちょっと飲み過ぎたかな。こういう関わりが、今後とも続きますように。


2020年1月29日 (水)

■日本アフリカ学会の理事選挙

日本アフリカ学会の理事選挙の郵便が来た。またもや、学会関係の役員人事の投票である。年度の変わり目は、こういう事務連絡が多い。

簡単に言うと、まず1,000人近い(?)全会員の中から、会員投票で評議員を選ぶ。そこで選ばれた評議員31人の中から、さらに12人の理事が選ばれる。理事の選び方は、評議員が相互に投票して決めるということになっている。先日、評議員に選出されたという報が届き、今回、次の理事選出の投票のための郵便が届いたのである。

正直言うと、ヒラの評議員は楽である。年に1-2回程度の会合に出て、お弁当食べながら理事会の報告や提案を聞き、賛成したり反対したり参考意見を述べたりしていればよい。

一方、理事に選ばれると、大変である。それぞれ要職を担当し、学会本体のもろもろの仕事を切り回す実動部隊にならねばならない。それが、2年間続く。

私がこの学会の評議員に初当選した、2011年。当時39歳だったが、最年少の評議員で、ベテランたちの実務の集まりという、場違いな所にまぎれこんでしまった感じがした。以来、3年任期で2回、つまり6年務めたが、業界のややこしい話が飛び交う会議の席で、頭を低くしながら、これも勉強と思って、耳を傾けながら静かにお弁当を食べていた。あ、もっとも、障害をもつ研究者の受け入れ態勢を早く整えるべきだ、みたいな案件については、時どきしつこく手を上げて発言していたかもしれない。

今回当選した評議員たち、すなわち、理事としての被選挙人の名簿を見た。計31人だった。いずれ公開されるから、守秘義務でも何でもないと思うが、いちおう名前は伏せつつ、思ったことをぽろぽろと。

性別で見ると、女性12人、男性19人であった。過去はどうだったのか、調べていないので分からない。今回の結果は、女性評議員の割合が39%。世の中的に、この割合が多いのか少ないのか分からないけれども。なお、そろそろ女性の学会長を出すべきではないかと私は思っている。

世代で見ると、ずいぶん世代交替が進んだな…という印象はあった。私の立場から見ると、私が学生であった頃の教授や助教授であった、アフリカ研究を牽引してきた大御所たちの世代(今で言うと60-70代くらい)はほぼ引退し、当時、講師や助手、ポスドクとして新たに活躍を始めていた、少し上の世代(今で言うと50代くらい)が、まとまって何人か当選していた。そして、私とほぼ同世代の、かつて大学院生どうしであった人たち(今で言うと40代半ばから後半)が、ごそっとまとまって当選した。さらに、もう少し若い人たち(40代前半くらい)も、ぼつぼつと参画を始めている。ぼんやりしていたら、いつしかずしりと仕事と責任が回ってきた、という感触があった。

分野別に見ると。生物学から、歴史、政治、開発研究まで。アフリカに関わるほぼすべての領域から参入している。もちろん、同業者の人類学者も、複数入っている。この雑多な感じが、地域研究学会の面白いところである。

出身大学/大学院別、学閥別の分析。いや、やってみたら面白いのかもしれないが、詳しくないので分からない。そういうのが好きな人に任せたい。

さて、この名簿の中から、だれに投票するか。被選挙人たちの多様性をつらつら見ながら、いくつかのポリシーをもって考え、12人の氏名にくるくると丸を付けていく。

結果を書き込んだ投票用紙を封入して、ポストに投函。後は、選挙管理委員会の集計作業に委ねる。優れた研究を率い、行政実務能力のある人たちに、学会運営をお任せできますように。


2020年1月28日 (火)

■インターネットが遮断されたキャンパス

ちょっと珍しいことがあった。本日夕方、後期最終の試験を終えて、研究室に戻り、たまったメールを読もうと思ったところ、ウェブが遮断。

おや? 接続の不具合かな。無線 LAN のノート PC だけでなく、有線のデスクトップ PC の方でも見てみたが、やはり不通。「サーバーが見当たりません」の文字列。

学内の部署に電話して聞いてみた。なんか、ネットがつながらないんですけど。

そうなんですよー、落ちてるんです、原因不明で、との答え。そうか、全学的に停まっているらしい。じゃあ、あわててもむだだなあ。分かりました、気長に待ちますーと言って電話を切った。台風かにわか雨のようなもの。慌てたってしょうがない。

電話を切った後、また接続を試してみた。つながらない。もういいや。メールをほったらかしにして、来訪した学生たちの対応をし、その後、修士論文2本をじっくり読んで、査読メモをふたつ作成した。

3時間半ほど経った。晩に再度接続を試行してみたところ、おや、さくっとつながった。ウェブサイトも見られたし、メールサーバにもつながった。担当部署が復旧に努めてくれたのであろう、ともあれ、あっさりと復旧した。キャンパスが丸ごと「情報の孤島」となっていた事態は、解消された。

高々3時間半程度つながらなかっただけだが、その間に、いくつもの想像をめぐらせた。

一つ目。卒論や学生自主企画研究の〆切の日でなくて、本当によかった。最終局面で、あわててウェブで調べものを追加し、メールでデータのやりとりをして、印刷して何とか原稿を間に合わせるというような日が、1年に何回かある。学生だけではない、私だって、学会発表の〆切最終日という場面で、大急ぎでウェブで仕事をすることがやはりある。そういうタイミングでウェブが落ちたら、泣くしかない。時間的に余裕のある日で、本当によかった。

二つ目。メールがまいこまないと了解したら、むしろ気分がさっぱりした。分厚い修士論文の審査準備をしなければ、という時に、ウェブの切断というのはむしろ好機である。ウェブを切り、紙面に集中して、ひと仕事した。

三つ目。これまでアフリカの諸都市で生活していて、こういうことがよくあったなあと思い出す。原因不明の不通が何日も。あれ、通じないな。また切れたか。あわてず急がず、別のことをする。そして、気付いたらまた復旧している。天気が変わるようなものだと思い、自然現象のように適当にやりすごす。そういう生活を思い出した。今回、わずか3時間半の遮断に過ぎないのに、過度に反応してしまい、日本の職場の感覚に自分が戻っているんだな、ということに気が付いた。

四つ目。世界のいくつかの国ぐにで、インターネットの遮断という強権的な方法を用いる政府がある。たとえば、反政府市民運動が盛り上がったり、さまざまな政治的緊張が高まったりした時に。これは自然現象ではなく、明らかに国家権力の意志と計画に基づく人為的障害である。そういう状況に置かれた時の「表現の自由」って何だろう…と、「サーバーが見当たりません」の文字列を見ながら想像した。ウェブは、個人の表現、学問、思想信条の自由の場であるけれど、その権利は、遮断によって一瞬にして奪われうる脆いものでもあるのだ、などと考えた。

復旧したら、また普通のキャンパスになる。「復旧しました」という担当部局からの迅速なメール連絡。このへんもまた、几帳面である。またいつもの職場に戻った。


2020年1月27日 (月)

■映像制作ワークショップ最終上映会(その二)

3年次の映像制作ワークショップ最終上映会を開催した。

今年は(今年も)、2年次と3年次、二つのクラスで並行して映像制作実習を行った。

両クラスとも、最終の形式は同じ。約2か月かけて、ひとつのテーマを決めて、約5分の作品を創って、最終上映会を行うというものである。

少し違いもある。2年次は「2人1組で制作」「対象/方法は自由」としているが、3年次は「1人で創る」「インタビューを中心にする」「できるかぎり卒業論文で目指す研究テーマに近い作品を創る」という条件を課している。グループで議論しながら映像を制作してみるという、スキルの習得と撮影・編集経験に重点がある2年次とはやや異なり、3年次では、1人で完成させるという経験を課し、社会調査実習の性格を強め、卒業研究への地ならしをするという意味合いを込めている。

今日の夕方の授業が、3年次の学生たちの最終上映会だった。最終日まで編集作業を続けたいという学生たちの要望を容れて、当日の昼休みを〆切とした。上映開始の4時間前までがんばるというので、私も時計を見ながら完成の待機。作業をする端末室と上映する講義室、そして自分の研究室を行き来し、完成した作品から順次動作確認。本当にこれをやっておかないと、本番で機材や映写のトラブルにまきこまれて、上映できなかったり、時間のロスが生じり、あまりにリスクが大きいのである。

てんてこまいで準備して、結果、8人による8作品が完成。最後の上映会にこぎ着けた。

・「口話で生きる難聴大学生: 彼らの口話スタイルに注目して」4分19秒
・「子どもたちの未来を支えるこぎつね教室」4分43秒
・「日本語でつながる: iCoToBaでの留学生と日本人学生の交流」5分00秒
・「地元に愛されるふるさとの味: おばあちゃんに密着」5分15秒
・「"藪原宿にぎわい広場"笑ん館」4分54秒
・「神様とは: キリスト教徒の人生から」5分32秒
・「名古屋市ごみ減量チャレンジ: 藤前干潟を守れ!」5分37秒
・「就活女子の#KuToo」4分34秒

卒業論文のテーマそのものを扱い、人脈作りと信頼関係作りを兼ねて作品を創った人もいる。次年度は海外調査を目指すため、それに近いテーマで国内で撮影した人もいる。将来の調査対象予定者とコンタクトをとってみたが今回の撮影には間に合わなかったので、類似のテーマで学内で撮影、制作した人もいる。しかし、わずか5分の作品の中に、各自のこだわりはすでに映り込んでいて、これらがやがて大部の卒業論文に育っていくかと思うと、今から楽しみである。

これにて、今年度の映像制作ワークショップは、無事に終了。2年次クラス12人による6作品、3年次クラス8人による8作品、聴講大学院生1人による1作品、教員制作作品1人による1作品。合計、22人による16作品が完成して、閉幕。

ああ、疲れた。でも、今年も楽しかった。この実現のためにご協力くださった学内外の各位、具体的には、映像技術指導のゲスト講師、学内端末と編集ソフトの準備・助言の職員と業者、機材補充と講師招聘のための手続きをしてくださった職員、そしてこまめに手伝ってくれたアシスタントアルバイトの学生たち。みなさんにお礼申し上げたい。

これで終了、仕事から解放!と快哉を叫ぼうと思ったら、学生たちの機材返却にあたって、忘れ物がぽつぽつと。ああ、仕事が終わらない。ヒューマンエラーは、必ず起こる。細かいエラーに付き合い続けるのも、教育である。全部が返却されるまで、まだ少し仕事は続くのである。


2020年1月26日 (日)

■研究倫理と研究者のことばについて考える

研究者の倫理と、マイノリティとの対話について考える1日。

約10年ほど前のことを思い出していた。私が所属するある研究団体で、手話を話すろう者たちと、研究を推進したい聴者の研究者たちの間に深い溝ができ、非常に険悪な雰囲気になっていたことがあった。

アフリカ諸国で、日本で、アメリカで、ヨーロッパで、手話を学び、ろう者たちのお世話になってきた私は、ひょんなことでその倫理のあり方について問題整理をする大会シンポジウムを企画する役割を担うことになった。あらゆる人の話をとりあえず聞く文化人類学者は、こういう役割を負いやすいのかな、などと考えながら、それを引き受けた。

そのシンポジウムの議論は、活発に行われた。とりあえず対話を復活させるとともに、さらにその成果をもとに雑誌特集を組んで、記録に残した。それから関係が劇的に改善したかどうかは分からないが、少なくとも、対話の扉を閉ざさないという意志表示にはなったであろうと思っている。

研究そのものだけでなく、研究の前提となる良好な関係を培うために時間と労力を割くことは、とりわけ同時代の社会と関わる学問として、欠かせないことであろうと考える。大事なことは、「研究業界の中のことばで語るという習慣を、一時停止すること」。研究者の論理で語れば語るほど、本人たちはそれこそが公明正大で論理的で説得的だと信じていることが多いが、それは、実は、多くのことばを排除して突き進んでいる姿に他ならない。大学にいて、その渦中にいると気が付かないが、一度研究者のことばを降り、傍目に見てみたら、それがよく分かる。

いろんなことばを、じっと聞く。研究者の論理とことばがふつふつと内に湧いてくるのをぐっとこらえ、黙って相手のことばに耳を傾ける(手話の場合は、目を凝らす)。人間を理解する学問における研究倫理は、そういう個の姿勢の涵養からも醸成されることがあるだろう。

明日から、またいつもの忙しい授業。いろいろと振り返り、かみしめながら、新幹線で名古屋へ戻る。日曜の晩、崎陽軒のシウマイはどこも売り切れていて、今日は買うことができなかった。


2020年1月25日 (土)

■ビアフラ戦争終結50年

今月の上旬に、Twitter に流れてきた情報。この1月で、ビアフラ戦争終結50周年になるのだという。そうか、ちょうど半世紀。

ビアフラ戦争。1967年7月6日-1970年1月12日。ナイジェリアの東部州が「ビアフラ共和国」として独立宣言をしたことに伴い、ビアフラと、その分離独立を容認しないナイジェリア連邦との間で発生した内戦である。

ナイジェリア独立からわずか7年で勃発した戦争。前史として、イボ人がナイジェリア北部で大虐殺され、多くの国内避難民が発生していたという事態があった。自分たちの国をもちたいと願ったイボ人たちを主体とする人びとが、東部州で「ビアフラ共和国」の独立を宣言。ナイジェリア連邦はそれを認めず、交戦状態になる。背景には、民族の対立のみならず、東部州の油田をめぐる利権もからんでいたとされる。

それぞれに、複雑な国際関係を反映した諸国の支援が集まった。ナイジェリア側には、旧宗主国のイギリス、影響力拡大をねらうソ連、現状の変更を望まない多くのアフリカ諸国など。一方のビアフラ側には、旧英領の影響力を削ぎたいフランス、植民地を多く保有していたポルトガルに、アパルトヘイト南アフリカ白人政権。フランスの意を汲んだ少数のアフリカの国々も、ビアフラ独立を支持した。

どちらかというと、戦闘の苛烈さよりも、飢餓によって多くの民間人が死亡したことの悲惨さが報道された。ナイジェリア連邦は、ビアフラを包囲して、兵糧攻めを行ったのである。とくに子どもたちが飢えて死んでいくというさまが、多くのジャーナリストらによって撮影され、世界にビアフラの飢餓の悲惨さを印象づけた。

この戦争は、少し分かりにくい面がある。時あたかも、ベトナム戦争の真っ最中。世界は米ソを中心とする東西二大陣営に分かれ、冷戦状態にあり、時には激しい代理戦争が発生していた。どちらを支持するかは別として、さまざまな対立を「東西冷戦」で説明するのがたやすい時代でもあった。

ビアフラ戦争は、そうではない。冷戦下における敵どうしと言ってよいイギリスとソ連が、同じナイジェリア連邦を支援していた。対するビアフラには、フランスや南アという、アフリカに大きな利権をもつ諸国が並んでいる。東西冷戦のイデオロギー対立ではなく、アフリカを再分割するかのごとき、植民地主義的な大国の野心どうしの衝突という側面が見え隠れするのである。

多くのアフリカ諸国は、かつての植民地の領域を継承する形で独立したばかりである。ナイジェリアのこの問題で、国境変更を容認し始めたら、いずれの国家も同じような分離独立と内戦の危機を抱え込むことになる。「国境不変更の原則」に立って、ナイジェリア連邦を支持することが多かった。つまり、ビアフラには支持が集まりにくかった。

結果、ビアフラが頼ったのは、多くの旧植民地諸国への影響力を保持するフランス、当時依然として植民地独立を認めようとしていなかったポルトガル、アパルトヘイトを堅持しつつ南部アフリカに影響力を行使する南アフリカ白人政権など、アフリカの民衆の自由と解放とはほど遠いと見られる国ぐにであった。それほど周囲の支援が乏しく、手段を選ぶ余地がなかったということなのかもしれない。

ベトナム戦争は、同時代の大きな物語に即して説明しやすい構図であったがゆえに、支持も不支持も含めて、世界的に注目が集まった。ビアフラ戦争は、そういった分かりやすい物語に乗せて語りやすい構図ではなく、むしろアフリカでの旧態依然とした植民地主義的な利権の衝突の様相を呈していたがゆえに、少し印象をずらして「飢えるアフリカ」という表現が選ばれた…のではないだろうか、というのが私の受け止め方である。

ビアフラ戦争の余波で、当時根付き始めていたナイジェリアでのろう者キリスト教団体による手話を用いたろう教育事業が頓挫する。戦後復興の政策の中で、ろう学校は接収されてしまい、ナイジェリアでの活動の場を失ったこの団体は、周囲のフランス語圏諸国への事業展開へと転進した。それが軌道に乗り、フランス語とアメリカ手話の語彙をベースとした接触手話言語がアフリカ大陸を広く覆っていくきっかけとなる。よい悪いという話ではなく、戦争が人間と言語と文化と社会を大きく左右するというひとつの事例である。

私は、ナイジェリア西部のイバダンとラゴスを訪問したことがあるものの、旧ビアフラ地方は訪ねたことがない。一度、機会があればその地を踏み、戦乱と飢餓で失われた多くの命と、からくも生き延びた人びとの経験に思いを馳せてみたいと願っている。


2020年1月24日 (金)

■学生自主企画研究のサポートを終えて/金賞の受賞

本学の「学生自主企画研究」制度。学生が組織したグループの自由研究に、年間20万円強の補助金を出すという、課外活動としての研究奨励制度である。

2019年度は、活発な学生たちからのいろいろな提案があり、合計三つのグループのアドバイザーを引き受けた。それぞれ学生たちが申請したところ、なんと三つとも採択を勝ち取ってきた。

・「学生によるマルチメディア広報の評価と実践」
・「日本の介護現場で働くムスリムの研究」
・「在日ムスリム児童が抱える学校教育の課題」

これまで、同年度にふたつアドバイザーを兼務した経験はあったけれども。同時に三つというのは初めてのことである。

昨年の初夏、採択の報を受けて、3グループ合同の採択祝いのカレーランチパーティをした。学生たちと一緒に大鍋で20人か30人分のチキンカレーを煮込み、一升炊きの炊飯器を二つ置いてご飯を炊き、みんなでジュースで乾杯した。

以後、それぞれのグループで、自由研究活動。夏休みに東京や福岡へフィールドワークに行った人たち、秋に大阪までインタビューに行った人たち、秋から冬にかけて文部科学省での写真展・シンポジウムの開催に貢献した人たち。それぞれなりのフットワークの軽い、いい調査と実践活動をしてきた。

今週水曜、学内で最終の成果発表会があった。どのグループも、半年間の充実した成果の発表になったと思っている。あいにく、私は別の仕事があって、発表会は中座したのだが、夕方、学生たちからメールがまいこんだ。三つのうちのひとつ「在日ムスリム児童が抱える学校教育の課題」が、発表会の最後の表彰式で、全学で最優秀の「金賞」に輝いたというのである。すばらしい。おめでとうございます。

もっとも、喜びにひたっている時間はあまりない。水曜日に成果発表会、その2日後の金曜日に最終報告レポートと会計報告の提出〆切という、とてもあわただしい日程になっている。

おかげで、この木曜と金曜は、三つのグループが代わる代わる書きかけの研究報告原稿を持ってきては、私が赤ペンでコメントを入れ続けるという2日間になった。つい2週間前に〆切を迎えた卒業論文や修士論文に比べれば、まだ分量が少ないから楽ではあるのだけれど。すきま時間が、各グループの原稿準備のためのアポですべて埋まっていく。

大変と言えば、大変だけれども。こういう苦労ができるのも今のうちだけである。学生たちのこういう最後のこだわりに伴走するのは、面白い仕事だと思う。〆切前の緊迫した雰囲気がありながら、達成感のあるそれぞれの学生たちの顔を見ていると、引き受けてよかったとやはり思う。原稿が完成し、おつかれさま、と送り出す。これにて終了。人びとの集まり、目標、対話の場が、ひとつずつ終わってゆく。

成果は、報告書として形に残る。調査と実践活動は、学生ひとりひとりの経験として、何らかの形で残っていくだろう。各自がグループ内で役割を担ったことは、それぞれなりの力量の自覚を促したかもしれない。終了して解散した後、何年かかけて、こういうのがじんわりと効いてくるのが面白いのである。

みなさん、おつかれさま。それぞれなりの達成、おめでとう。来年度もまた、「やりたい!」と手を上げる学生たちが集まってくることを、楽しみにしています。


2020年1月23日 (木)

■世界を付いて回るグーグルさん

今年の始めころ、1通のメールが届いた。グーグルマップからで、昨年1年間のあなたの訪問先はこちら、と、世界地図に私の足跡を記録して、メールで送ってよこしたのである。

うーん、確かに。アビジャンに、パリに、台北。実際、私は昨年そういう都市に出張で出かけていた。間違いない。で、あんたらいつこんなデータ集めてたんや?と軽く画面にツッコミを入れる。

普段から、Google も Gmail も Google マップも多用しているから、このくらいの情報収集はなされているんだろうな、とは思うけど。

それにしても。こちらが頼んでもいないのに、マメに足跡を克明に記した世界地図を作り、それら訪問地の国や都市の写真まで付けて、あなたは何か国、何都市を訪ねましたというような報告書を勝手に作って送り付けてくるあたり、たいへん粘着的で、かなりインパクトありますね(苦笑)。グーグルさんは、ストーカーの素質があるのかもしれません。

気味悪いとか、恐ろしいとか、まずいとか、そういう感情はあまりなかった。データを使う以上、データは使われるだろう。ただほど高いものはない。こっちが使っているからには、向こうだって利用する個人の情報を集め、行動を追跡することで、何か儲けることを考えているだろう。そこは、お互いさまなのかもしれませんけど。

この粘着的なデータのかたまりと、今後どうやって共存し、付き合っていったらいいのかな、という、諦めにも似た透明な感情が通り過ぎていった。


2020年1月22日 (水)

■映像制作ワークショップ最終上映会(その一)

2年次の実習授業「プロジェクト型演習」で行っている、映像制作ワークショップ。その最終上映会を実施した。

今年の最終完成作品は、以下の通りとなった。

□学部生(12人による6作品)
・「Welcome to iCoToBa」4分36秒
・「きらり☆ラオス: 教えて!矢野先生」5分24秒
・「アメリカ料理の魅力」4分46秒
・「県大留学生のシェアハウス」4分52秒
・「TABIPPO」5分47秒
・「動物を飼うということ: ひとつの命を守るために」4分55秒

□大学院生(1人による1作品)
・「スマホと育児: 母親たちのワンオペ事情」5分54秒

映像作品ができました、と簡単に書いているけれど、この手の実習には、ものすごく多くの細かい支障が生じるものであり、そのつど対応が必要となる。

学生のグループ作りから始まって、テーマ決め、撮影協力者との交渉、相手の都合で日程決めや撮影が難航、機材が故障した、うまく撮れなかった、映像や写真の資料が足りない、編集がうまくいかない、端末が思うように動かない、こういう効果を入れたい、書き出しに時間がかかる、そして最後に、〆切で提出された完成作品の再生がなぜかできない…。

映像制作には、「社会調査の側面」と「細かい技術の活用の側面」という、ふたつのハードな課題が伴っている。それぞれに複雑で多様な要因があり、想定外のミスや出来事が起こる。さらにそれらが、もとより多様な背景と価値観の学生たちの自由な行動と組み合わさることで、もう本当に予測の付かない細かい事件が毎週のように起こる。ひとつひとつ要望や訴えを聞き、調べ、一緒に解決する。そういうことを何か月も繰り返した挙げ句、最終日にそろって完成映像の上映ができるのである。映像作品の最終上映会は、「細かい問題解決の山」の結晶のようなものである。

今日、上映会場で、多くの完成作品が次つぎとスクリーンに映し出されていった。支障なく、無事に全作品の上映ができた。機材の動作不良もいっさいなかった。そのために、念入りに再生テストを行い、同じ機材で試写もしていたのだ。

最後にゲスト講師をまじえて記念撮影。はあ、終わった…。

これで解散、半期の授業も終わり、と安心したいと思いきや、最後の機材返却に当たって、忘れ物や確認漏れのあった学生たちもいて。ああ、まだ仕事が終わらない。人間である以上、間違いは必ず生じる。ヒューマンエラーとの闘いは、まだ続く。

ちなみに、私もこの上映会のために一作品制作して、上映した。

・「文部科学省情報ひろば「フィールドワーク写真展」」5分58秒

私も学生と同じ条件で、こういうことをする。そういうことをしておかないと、スキルをどんどん忘れてしまうし、自分もよく把握していないことを学生だけに求める横柄な教員となってしまう。自分へのささやかな戒めである。授業のない1日を費やして、小作品を披露した。副産物として、今年度学生たちと一緒に取り組んだ東京での写真展の、よい記録映像ができた。

2年次の映像制作は、これで終わり。3年次のゼミ生たちによる映像制作は、来週まで続く。どうかトラブルが起きませんように。全員の最終上映が、無事に終わりますように。


2020年1月21日 (火)

■【お知らせ】公開シンポジウム「アイヌ民族と博物館: 文化人類学からの問いかけ」

日本文化人類学会主催の公開シンポジウムがあります。お知らせを掲載します。

日本文化人類学会公開シンポジウム
「アイヌ民族と博物館: 文化人類学からの問いかけ」

日時:2020年1月26日(日)13:00~17:30
場所:法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見ゲート G401教室
主催:日本文化人類学会
共催:法政大学国際日本学研究所、日本人類学会、日本考古学協会、北海道アイヌ協会

趣旨:
このシンポジウムは、これまで3回にわたって行われてきた、日本人類学会、日本考古学協会、北海道アイヌ協会共催による公開シンポジウムの第4回目です。「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究のあり方に関するラウンドテーブル」(報告書は、2017年4月に公表、以下、RT)で示された、社会還元の一部として行われてきたもので、今回は、昨年からこのラウンドテーブルに参加している、日本文化人類学会の主催にて行われるものです。今回のシンポジウムではアイヌ研究における文化人類学の役割に注目します。特に博物館を取り上げ、グローバル規模でのミュージアム展示の歴史や社会的役割を踏まえたうえで、博物館にかかわる文化人類学の研究の取り組みを反省的に考察します。そして今後、文化人類学がアイヌ民族との関係をどう発展させてゆくかを展望します。

プログラム:
司会:窪田幸子(神戸大学)/太田好信(九州大学)
発表者:山崎幸治(北海道大学)/斎藤玲子(国立民族学博物館)/出利葉浩司(北海学園大学)
コメンテーター:佐藤宏之(東京大学)/篠田謙一(国立科学博物館)/阿部一司(北海道アイヌ協会)/佐藤幸雄(北海道アイヌ協会)

[日本文化人類学会による広報]


2020年1月20日 (月)

■31回目のセンター試験

昨日までの週末は、センター試験でした。受験した全国のみなさん、この両日のために休日出勤して仕事をしたみなさん、応援のために駆けつけたみなさん、いずれもおつかれさまでした。

センター試験は、1990年1月の初回実施から数えて、今回で31回目となった。実は、私はセンター試験の受験者第1期生である。ちょうど30年前の1990年1月に、この試験を受けに行った。まだソ連があって、ドイツが東西ふたつあり、バブルで景気のよかった時代のことである。ちなみに、消費税は導入直後で、3%であった。

今年受験した現役の人たちは、私とは実年齢で30歳も違うことになり、それこそ親子ほどの歳の差があるのだけれど。将来世代から振り返ってみたら、同じ「センター試験世代」と呼ばれるようになるのかもしれないな、などと想像した。

私たちの前年までは「共通一次」と呼ばれていて、もっぱら国公立大学が行っていた。センター試験に移行してから、私立大学も参加し、より多くの受験者を受け入れる試験となった。「私立大学も共通一次を使うようになるのか!」という新鮮な驚きがあった。

センター試験が導入された頃は、批判もいろいろとあった。いわく、マークシートで画一。知識の詰め込み。偏差値で輪切り。没個性。大量生産。偏差値だけを指標に大学を決める人間的でない試験だ、みたいに。

ただ、そんなこと言われたって、渦中にあった私たちには関係のないことである。没個性だの画一だの言われたって、私たち個人は個人。その試験をくぐり抜けて先に進むしかないのだ。そういうふうに試験と世代を雑にひっくるめて批判する大人たちに、強い反発と不信感を覚えていた。

いま、センター試験廃止、大学入学共通テストへ、という節目にある。センター試験は、次なる未知の共通テストなるものに比べればマシという判断なのだろうか、最近になって、センター試験の存続を望む、この試験は良問を作ってきた、などと肯定的に評価する向きもあるように見える。あれほど、画一的だ没個性だと非難されていたというのに、30年もすればすっかり風向きも変わるものである。

私は、この試験の是非について直接コメントしない。ただ、30年前に言いたい放題言っていた人たちは、その後、その発言の責任を取ったのだろうか。試験と世代とをひっくるめて雑に非難されていた側として、一言言い返してやりたくもなるのである。


2020年1月19日 (日)

■日本文化人類学会の代議員選挙

日本文化人類学の代議員の選挙が始まった。投票の郵便が届く。

「一般社団法人 日本文化人類学会 第29回代議員選挙案内」。会員約1,800人の中から、代議員57人を選ぶ。任期は2年。当選した代議員の中から、さらに互選で理事を23人選ぶ。代議員のうちの約4割ほどの人たちが、理事に選ばれる。この理事になると、学会運営の責任を負う立場となり、さまざまさまざまさまざまさまざまな用務の実動部隊となる。

日本文化人類学会ほどの大きな組織になると、編集から広報から大会から行事から教育から渉外から倫理から歴史から、もう何から何まで機能が多すぎて、仕事が山のようにある。まあ、実際どんな仕事があるのかというのについては、学会のこのページでも見ていただいたらいいんですが。それらを20名強の人びとで分担する。通常、三つも四つも用務のかけもちをしながら、2年間やりくりする。

今期(2018-2019年度)は私もその理事のひとりであるのだが、今のかけもち業務は四つである(広報・情報化、倫理、中部地区、国際情報発信強化)。多い時にはもうひとつあって、五つかけもちしていた(+人類学関連学会協議会シンポジウム)。学会から交通費などの経費は出るが、労働については一切無給である。ただ働きのボランティアによって、この巨大学会は支えられている。なお、私などはまだ負担が軽い部類であって、さらなる激務を何期も続けて引き受けていらっしゃる方がたがたくさんいる。

投票のための郵便を開封した。約1,800人にも及ぶ、被選挙権者の名前がずらりと並んだ名簿。そして、この選挙管理を担当している委員たちのお名前も。この投票のための郵便発送や開封、開票作業だけで、相当の時間の仕事を引き受けているはずである。学会運営には欠かせない、このような地味な労力に対して、敬意を払う。

数字までは書かないけれど、学会のこういう役員選挙における投票率のデータを見たことがあり、その低さに驚いたことがある。国政選挙や地方自治体選挙での投票率の低さが問題視されることがあるけれど、そんな投票率が裸足で逃げ出すほど、学会の役員選挙の投票率は低い。

え…こんな低投票率で物事が決まり、運営責任者が決まっちゃうの? 名簿に知り合いの名前があったから書いてみた、というくらいの認識で何人かが書いたら、それで当選しちゃうの?…というレベルである。

投票は義務ではないけれど。学会運営に関心をもち、学問の世界をもり立てるためにも。会員の権利を守るために、選挙管理の地道な仕事を引き受けている人たちに敬意を示す意味でも。会員のみなさん、投票の権利を行使しましょうよ。と私は呼びかける。


2020年1月18日 (土)

■7時間閉じこもりで没頭した仕事

昨日、1/17金は、本学では授業がない1日であった。幸い、他の予定なども入っていなかった。

授業も会議も訪問もない、業務用メールも電話も入らない、いっさいの雑音が入らないこの1日。私は、ひとつの作業に没頭することにした。映像制作ワークショップの授業のための教材作りである。

好きでもあるし、仕事上の必要もあって、動画をちょこまか撮りためていたりする。しかし、編集している時間がない。動画の生データばかりがカメラにたまり、未処理のまま古びていく。この1日の休みは、「だれにもじゃまされず、ひとつのことだけをする」時間とする。何日も前から、そう決めていた。

映像編集ができる端末室の鍵を借りる。暖房は入らないが、機器の稼働ゆえにほんわかと暖気が感じられる。ビデオカメラ、ノートPC、デジタルカメラ、ハードディスク、各種ケーブル類、映像編集のマニュアル資料。それらだけを持って、1人端末室に閉じこもった。データを移し、取り込み、切り貼りし、並べ替え、ストーリーを考え、タイトルとエンドロールを付け、字幕を付け、写真を載せていく。

朝の時点では、途中で昼ご飯を食べようかな、などと考えていた。しかし、そんなことで作業を中断して、勢いが削がれてしまったら意味がない。せっかく持っていった弁当も放置したまま、7時間閉じこもった。メールを読まない、スマホにも触れない、だれとも会わない、真に作業だけのための7時間。トイレに2回くらい出た以外は、いっさい席も立たなかった。

ちなみに、原稿でも時どきこういう時が訪れる。執筆の神様が降りて来た時、ご飯もトイレも連絡も家事も、あらゆることを放棄して、何時間もそのことだけに没頭する。身体が痛めつけられるほど、かえって脳は冴え渡り、作品の丈がぐいぐいと伸びていく。

映像制作は、一種の麻薬かもしれない。どこまで作り込んでも、何か問題が見つかり、必ず修正の余地がある。映像クリップと字幕の画面を凝視し、それらの長さを0.1秒単位で伸ばしたり縮めたりして、何度でも見返しては印象を確かめる。

「どこまでやっても、終わりがない…」

そううめくように独りつぶやきながら、ちょうど先週の今ごろ、〆切前に同じようなことを言っていた卒論生、修論生たちのことばを思い出した。そう、自分の満足度という尺度において、完璧を期したいと思ったら、絶対に終わりは来ない。どこかであきらめるしかないのである。論文完成間近の学生たちの気持ちが、よく分かる。

ふう…もうこれでいいかな…。2-3回試写をしてみて、さらにこだわろうとする理想主義的な自分の感情を、もうひとりの現実主義的な自分がなだめにかかる。気付いたら、夜は更けていて、室温も下がっていて脚が冷えきり、お腹も減っていることに気が付いた。何時間も猫背の前のめりの姿勢で画面を凝視していたから、背中も肩もがちがちにこわばっている。

6分弱の、小さな映像作品が完成した。これで、来週の学生たちとの最終上映会を迎えることができる。

私は、時どき授業でこういうやり方をする。学生たちにフィールドワークの成果発表の課題を出す。それと同時に、自分も学生たちとまったく同じ条件で、同じ〆切日までに、同じ課題をこなして完成させ、公開するのである。

フィールドワーク実習をした後の口頭発表会で、ポスター発表会で、そして映像制作ワークショップで。学生に課すだけでなく、自分も同じことをこなす。そのことで、スキルの復習をし、かつ模範演技を示すことができる。コメントをもらえば、翌年のための自分の目標にもなる。学生たちと同じ目的を達成することで、少しだけ対等になれたような気にもなる。

映像制作の最終上映会は、来週の水曜日。貴重な1日を、この作業に没頭する時間に充てたことで、映像制作スキルの復習をし、今年も楽しい最終回を迎えることができそうだ。映像観賞後のディスカッションを、楽しみにしている。

昼に食べそこねた弁当は、空腹を抱えたまま、晩に自宅に持ち帰った。そのまま晩ごはんになったことは、言うまでもない。


2020年1月17日 (金)

■四半世紀が経った1.17

1月17日。1995年同日の阪神淡路大震災から、ちょうど25年の日がやってきた。朝からこのことに関する報道が流れ、また、当時の自身の経験に触れながらコメントする人たちもいた。

今の学生たちがこの日について知らない、と嘆く人もいた。25年前となれば、社会人学生などを除けば、ほぼ全員が生まれていない時代のこと。さまざまなことを語り継ぐ必要はもちろんあるけれども、同時代を生きていなければリアリティがないというのも、ある程度しかたないことなのかもしれない。

ちなみに、私は当時、京都在住の大学院生であった。実は恥ずかしながら、関西に住んでいたにも関わらず、大地震を体感した記憶がまったくないのである。自宅の2階で完全に熟睡していて、目覚めることすらなかった。明け方、窓が少し開いていて、冷気が部屋に入っていた。何か寒いな、窓を閉め忘れたかな、くらいに思い、窓を閉め、また深々と寝入ってしまった。今思えば、地震の震動で窓が自然と開いたのであろう。

朝、関東在住の家族から電話が入って、起こされた。そっちどうなってるの、大丈夫なの?

そう問われても、まだ状況が分かっていなかった。え、何かあった?

あんた、テレビ見なさい。付けてみたら、見渡すかぎり一面が破壊され、方々から火事の煙がもうもうと立ち上る、神戸の市街の壊滅的な映像が目に入ってきた。そこでようやく、状況の甚大さを理解した。あわてて家の窓の外を見やる。京都の町は、とりあえずいつもと同様だった。

多くの死傷者と市街破壊の報道に接し、もし少しだけ場所やタイミングがずれていたら、私も目覚めることなく即死していたかもしれないと思い、身の毛がよだつ思いがした。

この時期、支援やボランティアが盛んに呼びかけられた。逆に、それらがもたらす弊害についても議論された。ボランティアを、国家総動員と関連づけて論じる議論もあった。被災地に外国人集住地区が含まれていたことから、多言語による支援の必要性という課題も見えてきた。

翌1996年に手話を学び始めた私は、聞こえない人たちが、災害の現場で、救助の過程で、避難所生活で、災害報道に接するなかで、情報から疎外されることによって、どれほどの恐怖と不便、苦しさや悲しさを感じていたか、リアルにそのような話題に触れた。1990年代後半に関西に住んでいたということは、身近な経験としてそういう話題に触れることでもあった。

災害時の情報保障の重要さ。情報の有無は、時に人間の命をも左右する。聞こえない人や見えない人、そして日本語を母語としない多くの人たちの「知り、かつ生きる権利」をいかに守るか。テレビ放送の字幕、インターネットや SNS の活用、多言語ラジオ放送や多言語のウェブサイト、そしてやさしい日本語。こういうことに私が関心をもつようになったのも、この阪神淡路大震災がきっかけであった。

四半世紀。世代がひとつ入れ替わるくらいの時間が経ち、生の経験をした人たちは少しずつ減り、親以上の世代からの語りとして受け止める世代が増えていく。それも自然なことである。願わくは、この災害の甚大さが記憶され、語り継がれ、そしてそれが今の私たちにもたらした教訓が共有され続けますように。

改めて、1995年1月17日の大震災と、その災害関連の事象を原因として亡くなられた方がたのご冥福をお祈りします。

【付記】大震災犠牲者に対する鎮魂の意図を込めて始まった、毎年12月の「神戸ルミナリエ」が、よくあるクリスマス電飾イベントのように若い世代に受け止められているとのことで、そういう最近の若い人たちの認識を嘆くコメントが SNS で見られた。そういう認識が本当に多いのかどうか分からないが、まあ、そういうことはありうるかもしれないと思うし、あまり声高に批判もしたくない。

祇園祭だって、疫病流行対策としての災厄除去祈願であったにも関わらず、今は夏の京都の浴衣イベントくらいにしか思っていない人は多いだろう。

文化の継承における不正確さ、再現の困難さは人間の常なので、あるていどあきらめてはいるけれど。本当に大事なことは、文書と学校教育で残そうね、とは思う。


2020年1月16日 (木)

■日本文化人類学会大会での分科会「応答の人類学」採択

日本文化人類学会第54回研究大会(2020年5月29-31日、早稲田大学戸山キャンパス)における分科会「応答の人類学: フィールド、ホーム、エデュケーションにおける学理と技法の探求」(分科会代表: 飯嶋秀治(九州大学))が採択されました。

「応答の人類学」は、日本文化人類学会内の課題研究懇談会として活動を開始したグループである(2012-2018年, 代表: 亀井伸孝(愛知県立大学))。さらに、科研費基盤研究 (A) を取得して(2016年-現在, 代表: 清水展(京都大学、後に関西大学))、社会と学問のつながり方についての議論を重ねてきた(「応答の人類学」ウェブサイト)。

今回の分科会における私の発表題目は、こちらです。

亀井伸孝
「ホームの応答: フランスとアメリカにおける「人種主義」関連の博物館展示と私たちの課題」

「人種」と「人種主義」をめぐって、世界ではさまざまな啓発・教育活動が、研究者や研究機関によって行われている。私たちが学ぶべき、優れた取り組みも数多い。

今回は、フランスの人類博物館がユネスコと共催で開いていた「人種主義」関連の特別展と、アメリカ人類学会が各都市を巡回して開催している「人種」をめぐる展示を題材として、研究者が社会にどのようなメッセージを発しているのかを学ぶとともに、私たちの社会での取り組みの参考にもしていきたいということを話します。これは、2017年度の在外研究の成果のひとつでもあります。

どなたでもご来聴歓迎(大会参加費はかかってしまうけど)。どうぞよろしくお願いいたします。


2020年1月15日 (水)

■アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)へのパブリックコメント募集

日本文化人類学会も関わっている、アイヌ民族に関する研究倫理をめぐる議論のなかで、以下のパブリックコメント募集が行われています。

公益社団法人北海道アイヌ協会
「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)に係るパブリックコメントの募集について」

北海道アイヌ協会、日本人類学会、日本考古学協会及び日本文化人類学会では、これまで「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル」を設け、さらに平成30年1月10日、第1回「研究倫理検討委員会」準備委員会を設置し、アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)を策定するため計11回の協議を進めて参りました。そしてこの度、「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)」が取りまとめられましたので、本案について広くご意見・情報を募集いたします。

コメントの受付期間は、2020年1月31日までです。

多くの方が閲覧し、関心を寄せることを期待します。


2020年1月14日 (火)

■成人式の装いから考える「文化の多様性」と「個人の自由」

今週始め、成人式の話題が多く流れていった。とりわけ、外国籍の新成人たちに関するニュースは興味深いものであった。東京都豊島区では、新成人の約4割が外国籍であったという。このような状況が、これからの日本社会の前提になっていくのだろう。私は、基本的に、楽しみなことだと受け止めている。

外国籍の成人たちの装いをめぐって、ふたつの異なる方向の話題があった。比べてみると面白いので、まとめてみた。

ひとつは、「文化的多様性志向」。それぞれの文化的背景を表す多彩な服装を紹介するものであった。チマチョゴリ、ヒジャブ、そのほか、それぞれの出自やアイデンティティ、宗教などに関わる装いをした人たちが、一緒に写真に写っていた。多様性と差異を称揚するコメントが伴っていた。

もうひとつは、「日本文化共有志向」。外国籍の成人たちが着物を着るのをサポートしようという試みがあった。日本に来て、初めて振袖を着た人たちが、笑顔で写真に写っていた。特別な日に、同じチャンスを、という、同一性と歓待の精神がにじむコメントが付随していた。

どちらがよいのか。どちらが正しいのか。いや、それは明らかに誤った問いかけというものだろう。どちらでもいいし、どちらもあってよい。どちらがよいかというのは、着る本人が自由に決めたらよいだけのことである。どちらにも、それなりの主張があり、正しさがそなわっている。着る本人がそれを望み、満足している限りにおいて、どちらも正しく、よい装いということになる。

一方で、それらを強要し始めたら、どちらも明白な抑圧になる。

「みんなで一緒に着物を着たい」と本人が望むならそれでよいが、「全員が同じように着物を着ろ」と強要し始めたら、ただの同化である。

「自分の出自やアイデンティティに関わる多彩な服を着たい」という人がいるならそれでよいが、「お前らは日本人じゃないから着物など着るな、それぞれの出自に関わる伝統の服を着ろ」と強要したら、それはただの排除である。

最終的にどのような服を着るかという「結果」をもって、行いの是非を判断することはできない。対等な複数の選択肢があり、本人が選ぶ自由がある。とある文化に入ってもいいし、出てもいい。だれもその出入りをとがめることなどできない。文化の選択肢を多めに用意しておき、個人の自己決定の権利を最優先する。それが、柔軟な共存のための知恵というものである。

成人の日にあたって、ひとつのツイートを書き込んだ。さほど多くの反響があったわけではないが、私としてはわりと気に入っているので、再掲する。

@jinrui_nikki 2020年1月13日

成人式を迎えられたみなさま、おめでとうございます。
スーツ、振袖、羽織袴、チマチョゴリ、チャイナドレス、ヒジャブ、平服、その他いろいろ。
思い思いの好きな服装で、この節目を迎えられたみなさんに、心よりお祝い申し上げます。
自分の好きな装いをして生きていく、その個人の自由に、乾杯!

短いコメントであるが、この中には、文化と個人をめぐって私が最も重要だと考えている認識と価値観が含まれている。

もとより多様な人間の文化について、「日本だから着物を着るのが当たり前だろう」などと、だれかに限定されるいわれはない。多様な文化が分布し、それらの間に価値序列を設定しないという「多様性と対等」の原則で、それらすべてを包摂する。これが第一の原則である。

ただ、そこで、さまざまな価値観をもつ個々人を、ここに並んだいくつかの文化の「鳥かご」の中に幽閉してはならないというのが、第二の原則である。多様な文化の分布というのは、それ自体が理想とされる究極の目的ではありえない。個人が自由に取捨選択できる選択肢の拡充という意味においてのみ、文化的多様性には価値がある。個人の自由は優先的に擁護されるべきであって、特定の文化の中にそれぞれの個人が留まる権利もあれば、それを離脱して別の文化に移る権利もある。個人の自由と自己決定権の原則を、やはりここで確認しておきたい。

私は、この二段階の原則で、だいたい多くの問題群が理解・整理可能になるのではないかと考えている。どの国籍を選び、言語を選ぶか。どの性別を選び、帰属を選ぶか。どこに、だれと住むのか。

・多様な文化を、選択肢として対等に並べる
・個人は、どの文化を選び、どれから離脱し、どこに参画するかの自由をもつ

「個人と文化のマッチング」というのは、これくらい自由な認識でありたいと私は思う。正義の名において、文化を選別し、あるいは個人を文化の中に縛り付けるような「熱い主張」については、私は少し距離を置いて見ておきたいと思うのである。


2020年1月13日 (月)

■成人の日になぜ授業?

今朝、いつもと同じように、朝の地下鉄に乗り込んだ。

あれ、今朝は本数が少ないな。次の電車が来るまでの時間間隔があいてるな。乗り込んでみて、今日はたまたますいていて座れるな…。ここでやっと気が付いた。そうか、今日は世の中は休日なのだ。そこまで気付かなかった私も鈍感である。

今日は成人の日。名古屋市を始め、近隣の自治体では成人式が行われ、20歳を迎えた多くの学生たちがそれに参加する。しかし、本学では授業がある。昨年までは、毎年ほぼ恒例で、この日は大学も休みにすることが多かった。しかし、今年度に限っては、授業時間数の確保のためであろうか、授業を行う日とされた。私たちにとって、今日はただの平日。「三連休」などと連呼するニュースや天気予報が、疎ましく思われる。

昨年の今ごろ、学内でこの「成人の日=通常授業開講日」の原案が出てきた時に、私は反対した。ご意見ありますか、という機会があったので、反対意見を書きつづった。全学の1/4近くの学生たちが休むであろう日に、しかも、2年次の学生たちの多くが履修している第二外国語や教養科目が含まれる月曜日の授業を開講するというのは、学生にとっても教員にとっても負担を増すだけで、意味のないことである。確かそのようなことを書き、担当に送った。しかし、スルーされた。

こと、大学における「意見聴取」というのは、こんな感じのことが多い。いちおう聞くけど別に聞いてない、という感じで済まされることがよくある。ただのガス抜きなのかもしれない。しかし、ガス抜きであろうとも、ガスは噴き上げておくに限る、と私は思う。表現の自由がある以上、思ったことは言う。スルーされても、言うべき時に、言うべきことは言う。そうやって生きている。

私については、今日は大学院と3年次のゼミだけなので、新成人の歳に当たる学生たちはいない。私は当初から今日の開講に反対していたぞ、しかも今日も授業で新成人たちのじゃまはしていないぞ、というちょっとしたこだわりとともに、比較的すいていて珍しく座れる地下鉄に乗りながら、職場へと向かう。

成人を迎えたみなさん、おめでとうございます。明日からは、またよろしく。


2020年1月12日 (日)

■京都出張で人種について学ぶ

週末は、京都出張だった。人類学系の行事をふたつハシゴする。

ひとつは、構造主義人類学者レヴィ=ストロースの研究を振り返るシンポジウム。

レヴィ=ストロースは、ざっくり言えば、ヨーロッパ中心の世界観を生涯かけて否定した人なんだなあと改めて。そういう人がヨーロッパのど真ん中から出てきたことは、やはり面白いことだし、ヨーロッパの学術界の懐の深さのようなものも感じられる。それを輸入しつつ噛みしだく非ヨーロッパ世界の私たちの自画像と役割は何だろう、などと考える。

もうひとつは、人種化をめぐる歴史と現在に関するシンポジウム。丁寧な歴史研究を通じ、同時代の人種主義の問題群に対するメッセージ性をも帯びた、共同研究の成果。これもある意味で、ヨーロッパ中心の歴史観を脱する試みのひとつと言える。

緻密なことをしながらも、同時代にはっきりとモノを言うって大事だなあ、と、ふたつを通じて考えていた。

刊行されたばかりの『環太平洋地域の移動と人種』(京都大学学術出版会) を入手。551の豚まん目当てに長蛇の列を作っている人びとを横目に見やりつつ、京都駅から新幹線で名古屋に戻る。

いったん乗れば、わずか35分で到着する。名駅から名東区の東端の駅まで地下鉄で行くのと、時間はさして変わらない。ものぐさせずに、京都や大阪くらいにはこれからも軽い足取りで行こうと思う。リニア新幹線ができたら、名古屋-品川が40分になるらしいから、首都圏もいずれは、今で言う京都くらいの距離感になるのかなあ、などと想像した。

明日からまた授業再開。世の中は休みなのかもしれないが、そんなことは本学には関係ないらしいのである。


2020年1月11日 (土)

■大発会に並ぶ着物の女性たち

お正月ネタもそろそろ終わらないといけないのですが、ひとつだけメモを残しておきます。

仕事始めのニュースで大発会の光景が映し出されていて、ふと思ったことをTwitterで書いた。何気ない疑問をほろっと書いたのだが、予想以上に反響があった。再掲しておく。

@jinrui_nikki 2020年1月6日

すでに指摘している人もいるかもしれませんけど。
証券取引所の新年最初の大発会で、女性社員たちがずらりと着物姿で最前列に並ぶという風景を見て、
・性別を根拠とした強要はないか
・本人が望まない場合、拒否できるのか
・費用はどうしているのか
・男性はなぜ和装しないのか
などなどと思いました

メッセージとしては、このツイートの内容に尽きている。この風景には、伝統やら縁起担ぎやら、いろいろな意味がまとわりつくのだろうが、要は、働く側の視点で見たら、これはいかに実現しているのだろうか、と気になり始めたのである。

私個人としての見方の変遷を書いてみる。この大発会の光景は、子どもの頃から毎年ニュースで見ていて、なじみがあった。ただし、こういうのは「自分のよく分からない世界」のことであり、こういった「伝統みたいな奥深いこと」は、その事情をよく把握している「大人たち」が準備するものだ、というふうに、適当に状況を「だれか任せ」にし、理解を「どこか」に追いやっていた。

ふと気付けば、自分も40代の後半になっていて、むしろこういう場面を企画、運営、演出し、他者に見せる側の役割を負う世代になっている。証券業界だって、40代の管理職などが、こういう場を具体的に準備していることだろう。もし自分がその運営を任されたら、どうするだろう。女性社員に、着物で来ることを業務命令するのか。提案に留めるのか。希望者を募るのか。手当や費用を出すのか。性別を理由に命令するなんて、今時できるわけもなく、どういう理屈でそれを演出するだろう。男性にも女性にも呼びかけることになるのか。

そのように考え始めたときに、楽屋裏の仕組みがとても気になったし、そういうところで女性社員に何かが強いられたり、特定のふるまいが当然視されたりする場面があったら嫌だなあ、と感じたわけである。私はこの業界のことを何も知らないので、実態はよく分からない。ただ、きれいに性別に分かれているところには、何らかの作為があると思われる。もしかしたら、外注なのかな。着物姿の女性たちをその日だけ並ばせるという、外部のサービスを利用しているのだろうか。

大発会に晴れ着で参加することを否定するものではない。しかし、「女性だけが、みんな着物で、最前列に」という現象には、やはり何かを考えざるを得ない。それこそ、男性たちが和装してもいいし、女性が洋装で来てもいいし、あるいはチャイナドレスやヒジャブやチマチョゴリの女性たちが混ざって並んでいてもいいではないか。思い思いの晴れ着で来た人たちが混ざって、共に今年の好景気を願ったらいいのである。

国境や国民国家を最も度外視する部類であろう証券業界に、ナショナリズムとジェンダーの強固な規範が発動しているところに、「とても不思議なもの」を見るような気がする。単に古いものが「残っている」という話に留まるのではない。現在の運営する側の者たちが、毎年新たにそれを企画して実行している、その古いようで他ならぬ今の新しいふるまいであるというところが、私の関心の中心にある。


2020年1月10日 (金)

■今年もやって来た論文〆切の日

本日は、本学の学部の卒業論文および博士前期課程の修士論文の最終〆切日。今日も、朝から夕方まで、引っ切りなしに提出予定者たちが訪れた。順番に対応する。もちろん、今日はゆっくり直す時間もないから、微修正だけして提出するしかない。最終盤の詰めの確認だけする。

論文完成の最後にあたって、私がかたくなに守っている流儀がある。それは、「最後は、本人が自分でピリオドを打つ」ということ。私は、最後に「OK」とは絶対に言わないのである。

学生の立場で言えば、どこまでも完成度について不安があるから、最後に教員から「これでOK」ということばをもらって安心感を得たいと思うだろう。その気持ちはよく分かる。しかし、それをしていたら、論文のできばえの最終責任は教員の側にあることになってしまう。学生の精神的な自立ができない。論文の評価が出た時に、「あの時、先生がOKと言ったのに…」と、他者のせいにする言い訳の余地を残してしまう。そうしないためにも、私は最後になっても「これでよし」という太鼓判を押さない。学生が自ら完成を宣言するのを、じっと待つのである。

実は、何週間かかけて、そのための地ならしをしている。論文の書き始めの頃は、草稿全体を預かって読み、全編にわたってコメントを入れたりする。しかし、そういう預かり方は、途中で止める。終盤に近付いたら、論文丸ごと預かり確認を止め、本人が気になると思う箇所についてだけ質問を受け付けるようにする。もちろん、少しでも疑問や不安があれば何でも答えるし、最後までとことん付き合うけれども、「どこに疑問を感じるか」は本人の意志に委ねることにする。こうして少しずつ自立を促し、論文を「学生本人文責の作品」へと誘うのである。

そして迎える、最終盤の局面。不安な所だけそのページを印刷して持ってきた時には、もちろん質問に応じるけれども、全編についての「OK」を私から言うことはない。

もうこれでいいかな…これでいいですよね…という、他者の承認をもらいたげなつぶやきに対しては、「ん? それでいいの? すべて言いたいことを言い、書きたいことを書き尽くした達成感はある?」と本人に返し、あくまでも自発的な決定を待つ。

多くの場合、学生は、はい、これでいいです!できたと思います!と宣言して、印刷を始めたいと言う。そうか、自分がいいと思うならそれで完成だね、よかったね、おめでとう、と印刷機に送り出す。自分で完成を決めて印刷に進み始めた時のすっきりとした表情は、とてもいいものだ。自立した、と思える瞬間である。論文は、完全に学生文責のものになった。

今年度は、学部の卒論8人、博士前期の修論3人、合計11本の論文を指導し、提出先の窓口に送り出した。合計すれば、30万字は優に超えるだろうか。これまで、その何倍の、何十万字を読んでコメントしただろうか。右手が赤ペンの疲労でかなりくたびれている。それでも、送り出したことの達成感は、他の時期には得られない。この1月上旬の恒例行事である。

今日一日、学生たちの論文の進捗を近くで見守り、時に質問に応対しつつ、そのすきま時間に、私は学部1年次の基礎演習のレポートを読み、添削をしていた。1本あたり約2,000-3,000字程度、紙にしてわずか3-4ページの短い作品の数かず。1本あたり2万-3万字の論文に比べれば、10分の1程度の短いものである。何十人もの作品を読む必要があるとは言え、1本あたりの分量があまりに短くて軽いので、さくさくと読んでペンを入れていった。

引用元を明示しなさい。問いを明らかにしなさい。考察で問いに明確に答えなさい。そういうことを短いレポートに書き込みながら、あ、これは卒論指導のひな形なのだなと気が付いた。2,000字くらいの短いレポートであるうちに基本を徹底して習得させておくことができれば、3年後頃に2万字以上に膨れ上がった時に、指導に苦労しなくて済むだろうな、などと考えた。この単調なレポート添削作業も、将来の優れた論文が実現するための長い長い地ならしなのである。鉄は熱いうちに打ち、論文は短いうちに直し、学生は早いうちに教えておくに限る、などと考えた。

論文指導は、〆切までの運命共同体。〆切時刻のその瞬間まで、気が抜けなかったけれども。11人全員の達成に、安堵しています。おつかれさま。今日は、ちょっといいワインで、みなさんの達成に乾杯したいと思います。


2020年1月9日 (木)

■論文の結論をざっくりまとめる対話

卒業論文、修士論文の〆切直前。最後の詰めのピークを迎えています。

毎日毎日、「外来診療」をしている気分。

はい、次の方どーぞ。調子はどうですか。不安な所、困っている所は? あーここか、ここは未完成。何かが足りない。こういう時はこういうのを補うといい。ここはつながりが悪いから、切り離して、こっちに入れる。その間をちゃんとつなげるように。じゃあ、これでしばらくやってみて。次の時間はいつにする? では、また後で。はい、次の人!

いや、本当にこんな感じ。引っ切りなしに「患者さん」がやってくるので、昼ご飯を食べそこねたりすることも。内科的な投薬だけでなく、外科的な文章の切り貼りレベルまで介入することもある。

フィールドワークであれ、質問紙であれ、文献研究であれ。学生たちは、それなりに時間をかけて調査をしているので、多くのデータをもち合わせている。しかし、データが多すぎるがゆえに、最後の結論の着地点が見えなくなっていることが多い。

そういう時は、「岡目八目問答」がいい。あえて、方法上の素人になるのである。

これ、どうやってまとめたらいいですかね…。

「つまり、何が分かったんや? 結論をざっくり1行で言ってごらん」

煩雑なデータの渦中に飛び込まず、あえて部外者の立場をとって聞くのだ。本人はあれこれと説明し始める。枝葉の細々とした説明が続くこともある。

「いや、もっとざっくりと。中学生相手に、何が分かったか一言で説明するつもりで」

要は、これと、これと、こういうことかな、と…。

「つまり、最終的に見つけた要因は三つであると。そういうこと? だったら、結論でそうはっきり書いたらいい。本論の調査を通じて、要因を三つ見出した。第一にこれ、第二にこれ、第三にこれ、以上が本論の結論である、というふうに」

あ…そうですね。みたいな感じで、考察の概要が固まってくる。

「後は、それが答えとなるように、冒頭の問いを微修正。始めから「要因を探ることを目的とする」と書いておけば、最後にその三つが答えとなる」

最初と最後の帳尻合わせをするというのも、最終盤によくある助言のひとつ。

煮詰まっている学生に推奨するもうひとつの方法として、「結論を英語1行で書いてごらん」というのもある。本学科は、日本語の論文に英文要旨を添付することが義務づけられている。日本語の本文でごちゃごちゃこんがらがって時間を費やしている学生に、「英語だったら、何て書く?」と問うのである。

母語でない言語で書くと、余計な枝葉は全部刈り取られて、本当に大事なことだけ書くことになる。そうして、いたってシンプルになった命題を、逆に日本語に翻訳して、本文をまとめたらよいのである。

「自分の母語でない、苦手な言語から先に書く」というのは、思考の整理法としても、私はお勧めであると考えている。

本学では、卒論も、修論も、明日が最終。よい〆切を迎えられますように。


2020年1月8日 (水)

■「新年の抱負は東京五輪」という罪のないことば

ニュースで、街の人たちが新年の抱負を聞かれ、口ぐちに「今年は東京オリンピックだから、私も○○」みたいなことを言っていた。とても気持ち悪い光景に見えた。

おそらく、それぞれさして深くは考えずに、時流に合わせて自発的にそういうことを言い、メディアもそれを拾い上げて編集したということなのだろう。少し気の効いたリップサービスであるかのごとくに。

しかし、こういう罪のない「長いものに巻かれたい」意識の集積が、戦争を起こし、それを支持し、推進していくのである。

かつて、NHKのキャスターが書いていた小さなエッセイがあった。その小文は、今も忘れられない。著者も出典も忘れてしまったので、あらすじだけ書いてみる(細部は記憶が曖昧であることにつきご了承ください)。

ある町で火事(か何かの事件)があった。辺りの人に様子を聞いてみると、八百屋さん(か何かの店主)が「もう商売あがったりですよ」と、たいそう困惑しているかのようなことを言っていた。しかし、店と現場は距離も遠く、店に実害が及んでいるようには見えなかった。つまり、時流に合わせて適当に話を盛り、自分を大状況につなげて演出しているに過ぎなかった。こういう意識が戦争を起こすのだ。

…というのがエッセイの概要であった。この指摘は鮮烈だった。たかが八百屋さんの軽い一言。しかし、そこに潜むファシズムの影。

ファシズムは、しばしば上意下達の権力による強制動員のように語られることがある。その側面は、確かにある。しかし、それを支える人びとの意識なしには成立しない。

権力を支える人びとの意識の中でも、熱狂的な支持者たちの姿が注目されがちだが、そればかりとは限らない。中には、心から熱狂的に支持しているわけではないが、適当に周囲を見渡して、お付き合いの範囲でリップサービスを繰り返すような、消極的支持もある。むしろ、そちらの方が多数派かもしれない。

しかし、この消極的な支持、大状況に自らを合わせつつ、状況を演出する役者の一部となることを買って出る人びとの意識こそ、ファシズムを具体的に実現する強力な動因となる。その関わり方は、あまりに浅く、軽やかだ。したがって、罪の意識も責任感も限りなく薄い。明日になって状況が変わっていたら、またその風に合わせて生き、そして周りを少しばかり盛り上げればいいだけのことだと思っている。みんながみんな、風見鶏。だれも責任を取らない、風見鶏。

こういう、心から熱狂するわけではない、かりそめに周囲に合わせて盛り上げる「お付き合いファシズム」は、それを演じる者たちにとっては空気のごとく限りなく無害であるが、それに迎合しない/迎合することを望まない個人の批判精神を、徹底的に押し潰す。関与が軽過ぎるがゆえに、自分の立ち位置に目を向けることなく、それに抗う者たちに奇異の目を向けやすい。

「いいじゃんそれくらい」「なに目くじら立てちゃって」「おとなげない」「常識ない」…

私は、オリンピックそのものが嫌いなのではない。オリンピックに迎合することを所与の条件としてはばからない遍在する意識、それに抗う個人を奇異に眺める意識が嫌いなのである。

翼賛しない自由を、個人のために。それが、この逸話の教訓である。


2020年1月7日 (火)

■日本アフリカ学会の評議員に選出

新年の郵便物がどさっと職場に到着。正月開けの最初の郵便による業務通知が、「日本アフリカ学会評議員選挙の結果、貴殿が評議員に当選されました」でした。

私の初回の選出は、2011年度から3年。次いで、2014年度に再選され、さらに3年。合計6年間、評議員を勤めたことがある(過去の学会などの役職歴)。

2回続けて選出されたため、その後は1回休みという仕組みになっていて、この3年間は役目を離れていた。そして、2020年度、また選ばれた。なお、今回から任期は2年となった(2020〜2021年度)。

気鋭のアフリカ研究者たちはたくさんいるし。もっと何倍も早く仕事のできる人たちはいるというのに。私など、いちおう小さな大学院の指導担当はしているけれど、若手アフリカ研究者たちを大勢育成しているわけでもなく、アフリカ研究者のいない大学で、孤軍奮闘「アフリカ教育研究は大事だあ」と叫んでいるだけの非力な存在であるというのに。

(注:2年前、モロッコを含む中東・北アフリカの専門家が本学に着任したので。「アフリカ大陸」という意味では、わずかに仲間が増えた気がしている)

なぜ選出されたのか分かりませんが、いずれにせよ、日本アフリカ学会の会員諸氏の投票により推薦されたのだから、その付託を受け止めて、まじめに、日本および世界におけるアフリカ研究の振興に、任期の間、努めたいと思います。

なお、ひとつ抱負を述べると、学会バリアフリーは、きちんとやりたい目標だと思っています。世界におけるアフリカの存在感が大きくなり、日本とアフリカの関わりも増える中、多様な人たちのアフリカへの関与がすでに出てきていて、これからも増えることでしょう。

それこそ、手話通訳やら何やら、さまざまな形で学会における合理的配慮の充実を図り、「多様なアクターによる多様なアフリカとの関わり」を媒介できる場になれば。学会に、そんなことを期待している。

向こう2年間、よろしくお願いします。


2020年1月6日 (月)

■長かった冬休み

1月6日。仕事始めです。

今年は、冬休みが長かった。12/30-31-1/1-2-3という、多くの職場や学校が閉まる5日間が、ちょうど月〜金に当たっていたため、その前後の土日×2回もくっ付けて、9連休となる傾向にあった。もちろん、毎年こうはいかない。たとえば、来年であれば、勤務先の大学では、12/29-1/3の6連休に留まる(もっとも、12/26-27の土日の後、12/28月のみ授業があるという、飛び石連休のようなありさまになる予定)。

冬休みが長いことで、日雇いなどの非正規雇用の人たちにおいては、収入が減ってしまうという指摘があった。これにはハッとさせられた。

実は、9連休中も2回くらい大学には来ていて、研究室の大掃除と、さまざまな残務処理をしていたのではあるが。暖房の入らない、冷え込む無人のキャンパスで、白い息を吐きながら、会話もなくひとり自室で仕事をするという状況も、正直あまりはかどるものではなく。

仕事始め、事務員さんや同僚教員たちが出勤し、学生たちが通学を始め、全館で暖房が入り(←重要)、人びとが集う場としての大学がよみがえった。私も、鈍った体を再起動させる。

さっそく、卒業論文の草稿を抱えた学生たちが次つぎと来訪。今日から5日間は、毎日のように卒論と修論を送り出す1週間が始まる。だいたい毎日平均2本ずつくらい見送るペースかな。あとわずかのスパート、応援しています。全員が、達成感のある平穏な金曜の夜を迎えられますように。


2020年1月5日 (日)

■正月に貼り付いてくるもの

正月というのは、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が導入した暦法である「グレゴリオ暦」に基づいた時間の区分である。そのこと自体は、何ら特別な意味をもちえない。にもかかわらず、正月には、いろいろな意味が貼り付いている。

まず、過去が貼り付く。「伝統」なるものが強調され、衣食住、行動様式、社会関係その他あらゆる文化要素において、過去を参照してふるまうことが求められる。

血縁関係が貼り付く。この時期、親族、実家、家族といった諸関係が参照され、しばしば強要される。

ジェンダー規範が貼り付く。親族の集まりにおいて、しばしば女性は過剰かつ不合理な無償労働を強いられる。

宗教が貼り付く。各種の宗教施設は大賑わい。多くの宗教団体が行事を催し、宗教者たちは何かを語る。それのみならず、年がわりの瞬間というものは、何らかの聖性を伴った時間として認識される。

そして、国家が貼り付き、天皇制が貼り付く。権力者は何かを総括し、何かを展望することばを述べる。元号が強調され、天皇皇族が可視化される。政治家たちは、元旦にこぞって皇居に集まり、天皇に会いに行く。民主的に選出された政治家たちが、なぜかこの日に、天皇に会いに行くのである。まるで、時間と空間と国家を支配する超越的な存在が、皇居のどこかにいるかのごとくに。

過去、血縁、ジェンダー、宗教、国家、天皇制…。そもそも1月1日など、地球の公転周期を参照した時間の区分にすぎないというのに、なぜ人びとはかくもいろいろな要素を、この瞬間に対して貼り付けたがるのであろうか。

日本では、1872年にグレゴリオ暦が導入された。明治で言えば5年の12月2日の翌日を、新年1月1日と政府が定義するというふうに、かなり強引な暦法の変更を行っている。こんな荒っぽいさまを見れば、その区分に聖性など伴いようもない、単なる政治権力が定めた人為的制度にすぎないということは明白であろうに。それにも関わらず、100年以上その制度を繰り返し運用していれば、それになじむにつれて人びとが勝手に聖性のごときものを付与し始め、国家だの神だの天皇だの伝統だのと言い始めてくれる。かように人びとの思い込みというものは面白く、かつ、権力者にとって便利なものである。

正月の全廃を、私は求めない。正月はあってよい。しかし、そこに過剰に文化要素を貼り付けることに対しては距離を置きたい。むしろ、恣意的に貼り付けられたさまざまな要素をひとつずつ剥がしていって、最後に残った暦法としての「地球の公転周期の1巡の区分」のみを引き受けて、唯一自分のみのための時間の区分として取り戻したいと思う。

正月の3日間、街を歩いてみた。初売り!福袋!新春特別セール!と、多くの店舗が安売りをしていて、人びとがそれらに群がっていた。さまざまな要素を剥がしてみれば、つまり在庫一斉処分ということであろうか。私はそういうビジネスを営む者ではないが、変な疑似宗教的な聖性を振り回すよりも、そのくらいのドライな利用主義的認識の方が、まだ分かりやすくてよいとすら思われたのである。


2020年1月4日 (土)

■2019年度末の退職最終講義・記念行事など(人類学まわり)

そろそろ出そろってきたので、メモとして上げておきます。今年度末の、人類学まわりの退職記念最終講義・行事などです。まだ増えるかもしれないので、暫定版です。

□金沢大学 鏡味治也氏 2/23日

金沢大学人間社会研究域 鏡味治也教授最終講義
「民族リアリティの在りか」(仮)
2020年2月23日(日)14:30〜(14:00 開場)
石川県政記念しいのき迎賓館 セミナールームB

□首都大学東京 小田亮氏 3/7土

小田亮教授最終講義
2020年3月7日(土)14:00
首都大学東京南大沢キャンパス 国際交流会館 大会議室
[詳細ページ]

□京都大学 木村大治氏 3/13金-14土

木村大治退職講演会
2020年3月13日(金)13:30~
2020年3月14日(土)10:30~
京都大学 稲盛財団記念館 3F 大会議室
[詳細ページ]

□中部大学 和崎春日氏 3/14土

和崎春日先生御退職記念祝賀会
2020年3月14日(土)12:30~15:00
アルカディア市ヶ谷(私学会館) 4階 鳳凰の間

没後の記念行事などもお知らせが回ってきたので、まとめます。

□立命館大学 渡辺公三氏 1/11土

渡辺公三先生のご業績をふり返る会
2020年1月11日(土)13:00~17:30
立命館大学衣笠キャンパス 創思館 4F 403・404
[詳細ページ]

□首都大学東京 大塚和夫氏 3/29日

「近代・イスラームの人類学」、その先へ:大塚和夫先生が目指したもの
2020年3月29日(日)13:00~17:00
首都大学東京 国際交流会館 大会議室
[詳細ページ]

大学教員の実年齢や退職時期などは、ストレートに個人情報であるのですが。そうも言っていられない状況がある。

退職記念の行事やら出版やらが伴うことが多いし、研究チームの引き継ぎや科研費の申請・運営にも関わるし、学位を取りたい院生にとっては最後の〆切になるし、指導を希望する大学院入学予定者にとっては、在学中にいなくなることだって考えられる。

さらには、退職によって学内の人事も動くだろうし、後任補充のために求人がかかることもあり、求職者にとっては耳寄りな情報となる。

お世話になった者としては、退職最終講義くらいはお祝いに駆けつけたいと思う気持ちもあり、年度末の出張や海外調査の予定を考える時にも調整が必要になる。

「今年はだれ?」「あの人はそろそろ?あと何年?」「何か行事やるの?」「いつ?」「だれが企画?」みたいな話が、業界の中でひそかに交わされる。何年度末にだれが退職、と、手帳に書いたこともある。

全員とまでは言わないけれども。開示して差し支えないという人たちについては、何年度末に退職の予定、この時期に退職記念行事開催の見込み、みたいなデータベースがあると、本当に便利だろうなあと思う。

そんな大それた企画ではないけれども。お知らせが回ってきた行事だけ、この日記に掲載してみました。学恩に感謝しつつ。


2020年1月3日 (金)

■独立60周年を迎えるアフリカの国ぐに

1月1日、ちょうど元旦に、英文/仏文のニュースが流れてきた。カメルーンが独立60周年を迎えたという。

1960年1月1日、フランス領カメルーン、今で言うカメルーン東部8州が、先んじて独立を達成した。西の英領カメルーンは翌1961年に住民投票を行い、北部はナイジェリアへ、南部はカメルーンへとそれぞれ異なる帰属を選んだが、いずれにせよ、独立国の一部となるまでにさらに1年ほどを費やすことになる。

今年2020年は、アフリカ諸国がいっせいに独立を果たした「アフリカの年」1960年から、ちょうど60年の節目の年。カメルーンが元旦に先陣を切った後、これから毎月のように「アフリカの○○共和国独立60周年記念日」という報がまいこむ1年となる。

1960年に独立したアフリカの諸国、一般に17の国ぐにと言われるが、いちどおさらいしてみる。

表 1960年に独立したアフリカ諸国(17か国)

【西アフリカ】(8)
モーリタニア/マリ連邦(現・マリとセネガル)/オートボルタ(現・ブルキナファソ)/ニジェール/コートジボワール/トーゴ/ダホメ(現・ベナン)/ナイジェリア(Br)

【中部アフリカ】(6)
チャド/カメルーン/ガボン/中央アフリカ共和国/コンゴ共和国(コンゴ・レオポルドヴィル、現・コンゴ民主共和国ないしコンゴ・キンシャサ)(Be)/コンゴ共和国(コンゴ・ブラザヴィル、現・コンゴ共和国)

【東アフリカ】(2)
ソマリランド(現・ソマリアの一部)(Br)/ソマリア(It)

【島嶼部】(1)
マダガスカル

( )内は旧宗主国の略号。無印: フランス/Br: イギリス/Be: ベルギー/It: イタリア

内訳を見ると、仏領13、英領2、ベルギー領1、イタリア領1。「アフリカの年」と言われるが、そのほとんどは、フランスのドゴール政権による独立容認に伴ういっせい独立の現象であった。

独立時は、確かに17の国ぐにであった。その後、国家の分離と統合があった。同年中に、マリ連邦がマリとセネガルに分離した。一方、ソマリアとソマリランドは合併して、ソマリアになった。ひとつ増えて、ひとつ減って、現在の主権国家としては、やはり同数の17の国ぐにということになる。ソマリランドは、事実上の独立状態に近いとされているが、他国の承認を受けていないので、ここではソマリアの一部という理解をしておく。

国名も変わった。オートボルタはブルキナファソへ。ダホメはベナンへ。独立当時は「コンゴ共和国」と名乗る国家がふたつあったが、面積が広い方のコンゴは、やがてザイールとなり、現在はコンゴ民主共和国となっている。

ついでに書けば、1960年は、フランスが初めてサハラ砂漠(現在のアルジェリア領内)で原爆実験に成功し、核武装国となった年でもある。アフリカ植民地解放の裏には、密約と核兵器開発の闇が貼り付いている。植民地の独立容認、アルジェリア戦争終結と引き換えに核武装に舵を切ったフランス。この時代のアフリカ・植民地・外交・防衛政策は、学べども尽きぬ深い関心の的であり続けている。

もう60年。まだ60年。どちらの意味ももちあわせている。若いなりに、それなりの年数を経過したアフリカ諸国の現在とこれからを見据える1年に。毎月のニュースに注目したいと思っている。


2020年1月2日 (木)

■「多様性」称揚に潜む落とし穴: ラグビーとAKBと大東亜会議

さすがに最近相当にしつこく感じられるようになったため、メモとして書いておこうと思う。「多様性をひとつにする日本スゴイ」系のことばである。

その典型が、ラグビーワールドカップであった。年末の1年回顧の番組でも、多様な国籍、出身、言語の選手たちが「ONE TEAM」になって日本語の歌を歌い、赤白の服を着て、みんな日本のためにがんばった、スゴイ、ということが繰り返し強調された。

この多様性称揚は、日本政府が外国人労働者受け入れに舵を切った、昨年の政策転換と連動しているキャンペーンであることは明らかである。

浅薄な排外主義には釘を刺す。一見、包摂的な姿勢に見える。しかし、そこでは徹底的な能力主義が貫かれていて、最後に達成されるのは「スゴイ日本」である。個々の人間たちは、すべて能力の観点で一元管理され、スゴイ日本を演出することに資する人材に他ならない。そこにおいて、「日本」という枠組みが溶解することは、絶対にあり得ない。峻烈な排除と紙一重の、欺瞞の多様性。

一昨日の紅白歌合戦では、AKB48が、アジア諸国のメンバーを集めた選抜チームを作っていた。集まったのは、世界8都市の海外の全姉妹グループ、BNK48(バンコク)、CGM48(チェンマイ)、SGO48(ホーチミン)、JKT48(ジャカルタ)、MNL48(マニラ)、AKB48 Team SH(上海)、AKB48 Team TP(台北)、DEL48(デリー)からの選抜メンバー。多言語であいさつし、タイ語、タガログ語、中国語、ベトナム語、インドネシア語、ヒンディー語のフレーズをまじえた歌(それぞれの言語の字幕付き)を披露し、最後はみんなで日本語で締めるという演出をした。

私には、それが、1943年に東京で開かれた「大東亜会議」とそっくりに見えた。中華民国(汪兆銘政権)、満州、フィリピン、ビルマ、タイ、インドといった国ぐにの代表を東京に呼び、天皇主権の大日本帝国を中心とした秩序を世界に誇示し、東条首相を中心に記念写真をパチリ、というあの会議である。結局一度しか開かれず、大日本帝国は崩壊した。

「日本」は、排外主義ではもうもたない。多様性を活用しなければ維持できない。しかし、その多様性は、「日本」という枠組みを補強する限りにおいて賞賛される。構成員は多様でありつつも、その中心では日本が常に輝いていなければならない。もしも個々人の自己決定において自由に行動し、焦点が拡散して、日本という枠組みがわずかでも揺るがされる事態になれば、徹底して排除される。その確認のための儀式のような歌であった。

「多様性」は、排外主義と対決する上では有用なツールであった。しかし、それはやはり便宜的に依拠する枠組みにすぎなかった。多様性を収奪のツールとして用いることが横行し始めた現在、それを称揚することに対して、むしろ距離を置く姿勢をもつことが必要な状況になっているのかもしれないと思う。


2020年1月1日 (水)

■2020年の正月にあたって

2020年の正月になりました。明けましておめでとうございます。

一般的に、元旦は、何か心を新たにして、目標めいたものを言わねば/書かねばならないものであるらしい。しかしそれも変な話で、冷静に考えれば、ただの寒い冬の1日に他ならないのである。

テレビをつければ、「令和最初」と「オリンピックイヤー」の連呼ばかりで、そういう合理性のない修飾語句を一括消去したら、ただ「年が変わった」ことしか述べていないことが多い。

区切りがないのも味気ないから、この1年の展望でも書いてみようかと思う。といっても、昨年だったら、たとえば文部科学省での企画展示とか、人類学関連学会協議会の行事の仕切りという大役だとか、正月の時点で決まっている大きな行事や役目があったものの、今年に関してはそういうことがはっきりとしていない。

しいて言えば、グローバル学術交流事業の連続講演会を切り回す仕事が2年目になること、日本アフリカ学会でやや大きめのシンポジウムに関わること、学会の役職改選でどんな役回りが来るか読めないこと、さらに、大学の将来構想関係で何か動きがあるかもしれないこと、などだろうか。

「平常運転」。教育も研究も学内業務も、何かとてもドラマチックなことがあるわけでなく、わりと平坦な1年が予想される。

ただ、思い起こせば、3年前は1年間の在外研究、2年前と1年前はその余波ゆえか体調を崩し、日本の日常生活に戻すのに少々苦労した。変化の多すぎる年が続いたため、「平常運転を徹底する」くらいの控えめな目標の年があってもいいかもしれない。

壮大な野心は掲げないけれども。世界と日本の研究仲間たちと楽しい議論と発信をし、学生たちと魅力的な授業と実習を繰り広げたい。気の合う同僚たちと、魅力ある大学づくりの話をしたい。愛知県に勤め始めて10年目となるこの年を、よかった!と振り返れる1年にしようと思います。

あ、あと、フランス語をもっとバリバリと読んで書く年にしたいなあ、とは思う。これは今年に限った話ではないのだけれど、乗りかかった船、もう少し自分の作業言語としての機能を高めたいと思っています。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

【付記】今年は(も)、年賀状は全廃してしまいました。3年前は父親の逝去に伴う喪中、2年前は在外研究のために一律辞退、1年前は相次ぐ住所変更ゆえに知人との連絡があらかた途絶えてしまい。3年も書かないことが続いていると、もはや年末の忙しい時期に時間を割いて大量のハガキを刷る気になれなくなってしまう。いただいた個々のご縁に感謝しつつ。ウェブサイトのトップイラストにて、年賀のご挨拶を申し上げます。



矢印このページのトップへ    亀井伸孝日本語の目次へ

All Rights Reserved. (C) 2003- KAMEI Nobutaka
このウェブサイトの著作権は亀井伸孝に属します。