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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2020年3月

日本語 / English / Français
最終更新: 2020年4月4日

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■日本アフリカ学会の大会の開催計画変更 (2020/03/31)
■日本文化人類学会の会長選挙 (2020/03/30)
■30年の時間差を置いて見る京都の桜 (2020/03/29)
■定員1名のエレベータ (2020/03/28)
■新幹線 IC カードをめぐる失敗 (2020/03/27)
■ゼミ名簿の更新 (2020/03/26)
■愛知県立大学の新年度授業開講日、4/20月に延期 (2020/03/25)
■フランスの国際学会 "Minority languages spoken or signed and inclusive spaces" 開催延期 (2020/03/24)
■日本文化人類学会の大会中止/日本アフリカ学会フォーラム採択 (2020/03/23)
■国際関係学科学生ブログに卒業式の記事掲載 (2020/03/22)
■指導・審査担当論文が累計100件を達成 (2020/03/21)
■なんとか開かれた卒業式 (2020/03/20)
■提案が通らなかった時に思うこと (2020/03/19)
■日本文化人類学会の理事候補に選出 (2020/03/18)
■一列おきに座る新幹線 (2020/03/17)
■人文社会学系研究者の男女共同参画の実態は?: GEAHSS の調査報告 (2020/03/16)
■年度内に終えてしまいたい仕事 (2020/03/15)
■木村大治さんのネット配信最終講義を視聴して (2020/03/14)
■「旧姓で銀行口座を作れますか?」: いくつかの調査結果 (2020/03/13)
■商品選びで現れる保守的な自分 (2020/03/12)
■口は災いのもと (2020/03/11)
■編集者はどこまで介入するか (2020/03/10)
■京都大学木村大治教授退職講演会のおしらせ(2020/03/13-14, ウェブ配信) (2020/03/09)
■行事を中止した主催者へのことば (2020/03/08)
■インクカートリッジの大掃除 (2020/03/07)
■38通のお礼状 (2020/03/06)
■品切れ商品観察日記 (2020/03/05)
■自宅確定申告の失敗 (2020/03/04)
■旧姓並記の運転免許証を取得 (2020/03/03)
■愛知県立大学「グローバル学術交流」のウェブページ開設 (2020/03/02)
■日本文化人類学会の理事選挙 (2020/03/01)


2020年3月31日 (火)

日本アフリカ学会の大会の開催計画変更

今朝、メールでの告知により発表。

緊急のお知らせ:第57回学術大会について

第57回学術大会については、新型コロナウイルス感染症の影響を考慮しつつ、開催について検討を重ねてきました。3月29日に開催された新旧合同理事会において議論した結果、感染がなお拡大し、収束の見込みが立たない現状を踏まえれば、東京外国語大学に参集して学術大会を開催することは極めて困難だとのコンセンサスに達しました。それを受けて、第57回学術大会実行委員会としては、会場に参集せずに学術交流の場を確保する方法を検討することといたします。

・2020年5月23~24日に東京外国語大学に参集して学術大会を実行することはありません。懇親会も行いません。
・通常の学術大会は開催しませんが、実質的な研究発表・研究交流を行い、業績を作る機会を確保するよう検討します。
・学術大会に合わせて、評議員会と総会を開催しますが、東京外国語大学に参集していただいて実施することはしません。

[大会ウェブサイト]

一昨日の理事会で決定された方針である。新しく理事になった私にとっての最初の重要な議題は、このことであった。前期の理事会の仕事を引き継ぎながら、このややこしい状況にあって、いろいろと決めていかねばならない。これから2年間、学術の振興のためにボランティアで働こうとは思うけれど、初っ端からどうも気の重い事態である。

今月の振り返り。アジアの病気と思われていたものが、あっという間にヨーロッパに、アメリカに拡散し、全世界の伝染病となってしまった。物の欠乏が2回起きた。1度目はトイレットペーパーなどの生活用品、2度目は東京都知事の「感染爆発重大局面」発表に伴う食料品の一時的不足。オリンピックは延期、大学の授業開始も延期、そして、「長期化」ということばが頻繁に出てくるようになった。すぐに終わるだろうという期待は裏切られ、もう向こう何か月もどうやらいろいろが無理らしいという諦めが漂い始めている。私の関わる5月の重要な三つの学会が、いずれも延期ないしオンライン開催へと変更された。

今、自分において最もまずいな、と思っていることは、「どうせ新しいことを企画しても、結局ボツになるのだろう…」という諦めが先立ってしまって、何もやる気が起きなくなることである。これは本当に、研究教育その他すべての学術活動の活力を失わせる。ゼミでの議論や、フィールドワーク実習、ポスター発表会など、にぎやかに展開したい大学のいろいろな活動が、すべて自粛によって、色あせた「計画の残骸」になっていく。

人びとが集まり、しゃべり、共に食べることを阻害するこのウィルスの社会的活動に対する破壊力は、本当におそろしい。実に、陰鬱な春である。

ニュースを見ても、SNS を見ても、気分が滅入るばかり。いろんな情報を読み、さまざまなことを思い、発信したいと思うことも浮かぶけれど、フォロワーが1万9000近くもいるとなると、万が一でもデマを流してしまってはいけないし、自分の感情を流すだけでもある種の扇動になりかねないし、人びとの不安をかき立てる効果をもってしまってもいけない。立場上、いろんな情報が入ってはくるけれども、未確定情報を流して人びとを混乱させてはいけないと思うから、おのずと黙りがちになる。フォロワーが多いことには、重い責任が伴う。けっこう苦しいことでもある。

この間、私がせっせとやっていたことは、「情報が少ないアフリカの状況についてどんどん可視化しよう」であった。感染例が比較的少ないと言われていたアフリカで、エジプト、アルジェリア、ナイジェリアと感染例が現れ始め、今月は日に日にその数が増加していった。毎日のように「初の感染例確認」の国がいくつも現れ、南アフリカなどでは感染者数が激増していった。国際線の停止、出入国や外出の制限措置など、対策も次つぎと増えていった。しかし、そのほとんどは英語やフランス語の情報であって、日本語報道はきわめて少なかった。率先してそういう情報を集めては、日本語で短報を流すという役割を自覚し、そればかりやっていた。広い Twitter 界で、同じような使命感をもってアフリカ感染情報を日本語で絶えず発信している人が他に少々いて、面識も何もないけれども、同志のような心強さを覚えたりもした。

私は医学や看護、法、政治、経済の専門家ではなく、また、文化人類学者としても(長期的には意味があるとは思うが)短期的に役に立つ情報は提供できない。せめて、アフリカ関係の専門的な知見を多少なりとも使って、社会的寄与ができないか。そういう役割を意識していた。反響は少ないけれど、見る人が見てくれたらそれでよいと思う。

ちなみに、今日付けで感染者が確認されたのは、つい先ほど初の感染例が見つかったボツワナ、シエラレオネを含めて、アフリカ48の国ぐに。感染例未確認の国地域は、以下の6か国・1地域である。記録として書いておく。

西サハラ、南スーダン、ブルンジ、マラウィ、レソト、サントメプリンシペ、コモロ

余計なことばを控えるとは言いながら、それでも、表現の自由や個人の権利に直接関わるようなこと、露骨な差別や偏見に関わることについては、ちょっと批判的なコメントを書いたりもした。一部は爆発的に弾けて、多くの人たちに読まれたりもしたが、私の受け止め方は少し乾いていた。そういうことでウケるよりも、地道なアフリカ情報の収集と発信の方が、私には大事だと思っているからである。

今年度の振り返り。年度末にこんな重苦しい世界になっているとは想像していなかった。個人科研費(基盤 (C))がひとつ終了し、学内では教職支援委員や、大学の将来構想関係など、いくつかのお務めが終わる。

今年度の振り返りの大部分は、昨年末の大晦日日記で記したので、ここでは割愛するけれども。2017年度の在外研究を終えて、2018年度は日本社会への再適応で少し時間を食い、2019年度はその2年目ということで少し慣れてきた感じではあった。その分、大学内のさまざまな管理運営業務がずしっと重みを増してきた感じがする。そんなにドラマチックではなかったけれど、まあ堅実に仕事を終えた感じ。もっと原稿を書くモードに戻したい、というのが、変わらぬ次年度への目標である。


2020年3月30日 (月)

■日本文化人類学会の会長選挙

大学に出向いた。年度内に片付けねばならない事務的な作業が、いくつかたまっていたからである。

通勤時間をずらせば、電車も空いているし、大学滞在時間帯のあらかたは、研究室でのひとり仕事なので。職場に行くこと自体に、さほどリスクはないと思われる。少なくとも、主観的にはそう思う。

会計関係の書類が3件、やや大事な郵便の処理が2件。紙の仕事は、やはり遠隔ではやりにくい。ハンコを押し、必要な部署に回して、不在中のたまったことについて少し職員さんたちや同僚と口頭で打ち合わせ。細々と用事を片付ける。

日本文化人類学会から、封書が来ていた。新たに選出された理事候補22人。その中から、会長(代表理事)を選出するための郵便投票である。

向こう2年間の理事の顔ぶれを見た。計22人。ジェンダー別内訳は、女性5人、男性17人。大いに偏ってしまっていた。

もうひとつ、少し驚いたことは、世代が大幅に入れ替わっていたことである。ベテランたちがあらかた引退し、40代くらいの人たちが大挙して理事になった。ちょっとヒヤッとした。これまで何となくその働きと役割をあてにしていた世代がスッといなくなり、その分の重責がズシッと回ってきたような感覚である。今さら甘えたことは言っていられないのだが、いつまでも新入りの見習い気分ではなく、本気で学術の世界を肩に背負わないといけないモードに入ってきた、という感じがした。

4月末に新会長選出、それから役割の配分が決まり、各委員会を組織していく。あと1か月、現在の担当用務をまとめ、引き継ぎ、また次の担当の準備をしないことには。

投票用紙に会長候補の記名をして、郵便を投函。その勢いで、学会運営関係の業務をいくつか片付けた。

小雨の中、帰路に着く。乗り換え駅の藤が丘周辺では、見事な満開の桜が咲き誇っていた。自粛ばかりの陰鬱な春ではあるけれど、短時間だけでも、と、歩道から夜桜を見上げる。

緊急記者会見、緊急事態宣言、ロックダウンということばが、やたらと飛び交う。法的、医学的な観点からの議論はいろいろあるだろう。ただ、日常的にそういう感覚に次第に慣らされていくことへの、ささやかな抵抗感。公言はしないけれども、ちょっとぼやくくらいはしておきたいと思う。


2020年3月29日 (日)

■30年の時間差を置いて見る京都の桜

東京でも大阪でも、不要不急の外出を控えるように発表された、この週末。幸い、名古屋も京都もその指示は出ていなかった。という言い訳も伴うが、要かつ急という理由をもって召集された会議のため、京都を訪れた。

ガラガラの駅、そして新幹線車内。観光客で常にひしめきあっている京都が、今日はガランとしている。バスに乗り込む人もごくわずか。

ちょうど、桜が満開を迎えていた。それのために来たわけではないが、会議に向かう途中の風景として、美しい満開のソメイヨシノが目に入る。観光客は少なく、宴会をする人もなく、花をカメラに収める散歩客がまばらにいる程度である。

会議に向かう道を歩きながら、街の変容を眺めていた。えーと、このあたりに住み始めたのはいつだったかな…。

1990年、今からちょうど30年前の春のこの季節に、大学に入学するため、ここへ引っ越してきた。当時は存命であった父が、入学式に来てくれたことを思い出す。当時考えていたこと、関心をもっていたこと、やりたかったこと。そういうことはよく覚えている。

で、30年後の私が、同じ街を歩いている。今は、愛知県に職をもち、家族がおり、私は日本アフリカ学会の新理事に選ばれたという理由で、実務的な会議のためにこの大学にやって来ている。

当時、アフリカに行くとも、名古屋に住むとも、どういう経緯でいまの配偶者と出会うとも、こういう学会の運営をするとも、なんにもなんにも想定していなかった、30年前の自分を思い出すと、ただ笑うしかない。

今、この路上で、その当時の自分とバッタリ出会ったら、何を思うかな。そして、当時の自分は今の自分を見て、何を思うだろう。そんな SF めいた想像をした。

京都の桜は、相変わらず美しい。バスを降り、会議へと向かった。回想は、終わり。これから、急ぎの具体的な実務が始まるのである。


2020年3月28日 (土)

■定員1名のエレベータ

少し前のことである(少なくとも、今の感染症が世界に広がるよりはるか前の話)。

ある集合住宅で、少し奇妙な習慣があることに気が付いた。そこの住人は、「エレベータに1人で乗る」傾向があるのだった。

3基あるエレベータは、いずれも大きなものである。表示によれば、定員11名、積載750kg とある。みんなで乗り合わせることができる、十分な広さがある。それなのに、人びとはなぜか乗り合わせを避ける行動をよく示すのであった。

・先客が1人でも乗っていたら、次の人はそれに乗り込まず、別のエレベータの到着を待つ、とか
・私が乗り込もうとしたら、先客がいて、次のに乗ってくれと言わんばかりにドアの外を指差す、とか
・先客がいるところへ、急ぎの私が乗り込んだら、先客がわざわざ降りて別のエレベータに乗り換える、とか

そういうことが何度かあって、いったいこれはどういうことだろう、と考えていた。

・人間嫌いの住人が多いのだろうか
・乗り合わせも避けるほど、プライバシーの意識が高いのか
・何か過去に事件があって、乗り合わせを恐れる記憶があるのか

半径2m くらいの見えない壁のようなものを感じて、そこに立ち入ったら人びとの脳内で警戒アラームが鳴るのだろう、くらいに理解するようにしたら、私も気にならなくなってきた。そういう慣習があるなら、合わせた方が楽だからである。何より、むりやり乗り込んで、相手に不快を感じさせたり、こちらも奇異に思ったりするようなことは、あらかじめ避けた方がよい。

…で、いまのこのウィルス流行の時期にあって、もうひとつの仮説を思い付いたのである。つまり、これは social distancing だったのではないか、と。

・過去に感染症の病人がいたなどの理由で、近接を避け合う慣習ができたのではないか

事実はよく分からない。ただ、6フィート、つまり2m 弱の距離を空けなさいという昨今の衛生キャンペーンを見ていると、確かに、エレベータの乗り合わせを少し避けたくなる心理は、分からないでもない。

もちろん、エレベータはやたらと口角泡を飛ばして話す空間ではないし、短時間のことだから、そう感染の危険度が高いということもないだろうとは思っている。ただし、安全というよりは安心のために、エレベータが複数基あって、そう急ぐわけでもないような時は、先に譲ってひとりずつ乗るようなことがあってもいいかもね、とは思う。

過去に目撃した人びとの行動に関する疑問と、最近の風潮について考えたことが、たまたまクロスしたという話題です。


2020年3月27日 (金)

■新幹線 IC カードをめぐる失敗

新幹線のエクスプレス予約(EX 予約)。スマホなどで指定席の予約ができるし、時刻の変更も簡単に無料でできるし、使い始めてずいぶんになる。そのサービスをめぐる、ちょっとした失敗談。

乗車券をすでに持っていて、特急券のみを EX 予約し、駅の機械できっぷの受け取りをする場合。これまではクレジットカードで受け取ることができたが、この3/21から「EX 予約専用 IC カード」または「受取コード」を使って受け取るシステムになった。しばらくは旧来の方法も併用できるが、7月以降はクレジットカードでのきっぷの受け取りができなくなる。

こういうのには、早めに慣れておくに限ると思い、さっそく新幹線に乗ることがあったため、特急券をスマホで予約、駅の機械で IC カードでの受け取りをしようと試みた。ここで言う IC カードとは、通常は改札にピッと当てて入る、あのカードである。

IC カードを入れろというから、機械に入れてみたが、弾かれた。何度入れても、「このカードは使えない」の一点張り。おかしいな。時間がないので、旧来の方法、つまりクレジットカードで受け取って乗車はできたものの、新しいきっぷ受け取りの方法を試してみることはできなかった。

新幹線を降りた後、JR の窓口に行き、その不具合について駅員に訴えた。IC カードの不具合か、システムの不調か、もしかして、私の契約がそのサービスの対象外なのか。駅員もマニュアルを見て調べてくれたが、どれも原因ではない。使えるはずなんですが…という結論になる。

釈然としないまま、よくカードの表面を見たところ。その原因が分かった。私は、カードの向きを逆方向に差し込んでいたのである。

新幹線の IC カードを使っている人は知っていると思うが、カードの表面は、矢印に似た [ >>>> ] というデザインになっている。私は何も考えず、そのデザインが指し示す方向に沿って、カードを機械に差し込んでいた。

[ >>>> ] → こちら向きに差し込んでいた

しかし、カードの表面をよく見ると、小さく逆方向に「←」の矢印が書いてある。つまり、正しくは、逆方向に差し込むべきであったらしいのだ。

こちら向きに差し込む必要がある ← [ >>>> ]

そのことに自分で気づいた私は、窓口を辞し、もう一度その方向で機械に差し込んでみた。なるほど、今度は正しく機能した。

おかしいなあ、原因が不明だなあ、いったいなぜなんでしょうか、と窓口に勢いよく駆け込んだ自分の不明を恥じた。それとともに、ちょっとこのデザインも問題ありだろうと思わされた。注意不足を少しだけ棚に上げて言うと、>>>> の向きにカードを差し込みたくなるというのは、心理としていたって自然なことだと私は思うのだ。新幹線 IC カードを持っている方は、一度じっくりと見てみてほしい。

そんなわけで、次からは絶対にデザインにだまされまいぞ、という決意で、失敗を披露しました。みなさんも使われる際はご注意ください。「>>>> のデザインとは逆の方向に差し込む」のです。


2020年3月26日 (木)

■ゼミ名簿の更新

今年度の卒業生を送り出し、学部のゼミの卒業生名簿の更新をした。社会人になっても、つながりを残せるように。仕事ではないけれども、いちおう毎年度大事にしている作業である。

今回の卒業生、在学生、さらにこの4月から入ゼミ予定の人たちを加えて、愛知県立大学の国際関係学科で受け入れてきたゼミ生の数は、合計85人となった。

2011年度受け入れ:7人
2012年度受け入れ:6人
2013年度受け入れ:10人
2014年度受け入れ:5人
2015年度受け入れ:7人
2016年度受け入れ:7人
2017年度受け入れ:5人
2018年度受け入れ:7人
2019年度受け入れ:7人
2020年度受け入れ:7人
そのほかのルート:17人
・本人の意志によるゼミ変更編入:2人
・他ゼミの休講に伴う預かり学生:9人
・履修・聴講希望:6人

計:85人

新規受け入れは、毎年定員7人と学科一律で決まっている。それ以内に収まる年もあれば、それを超えた数の応募があって選考をせざるをえない年もある(毎年冬の、最もやりたくない業務である)。

2013年度は、同僚教員の退職ゆえに選択肢を失った学生たちを、特例的に多く受け入れた。2017年度は在外研究のために不在にするからということで、定員を5人に削らざるを得なかった。

学科の一斉ゼミ選択で10学年受け入れてきて、合計68人。これが表玄関からの入り方だとするならば、そうでないルートで参画してきた学生たちもいる。在学途中でのゼミ変更、他ゼミの休講により一定期間受け入れた学生、そして、他ゼミに所属しながらもこちらのゼミで履修や聴講を望んで参加してきた学生などである。そういうスタンダードでない形で一時在籍した学生たちも、17人に上る。全体の20%を占めている。そうか、そんなに多かったか。多いと何かと仕事も増えるのだけれど、いつも賑やかで楽しかった。

ちなみに、あまり普段意識することはないのだけれど、ジェンダー別で見るとどのくらいだろうと、名簿で数えてみた。85人中、女性79人、男性6人だった。約93%対約7%である。平均すれば、男性の入ゼミは、2学年に1人くらいのペース。

もとより、学生のうち7-8割を女性が占める学科なので、男性の少なさは承知の上なのだけれど。それにしても少ないなあと思う。なぜかということを、あまり追究するつもりはない。個々人が満足してゼミと専攻分野を選んでいれば、それでいいのである。

あと2-3年で、100人に達するのかなあ。もっとも、人数ではない。その時どきの有意義な経験がもてれば、それでよい。ただ、その蓄積がこうして数に表れると、それなりにいろいろと感慨深いものがあるとは思う。


2020年3月25日 (水)

■愛知県立大学の新年度授業開講日、4/20月に延期

昨晩、東京オリンピック・パラリンピックの1年程度の延期が決定。報道がそれ一色に染まっている中、私はもうひとつの延期の動向に気をもんでいた。

今日の夕方、大学公式サイトでようやく発表された。愛知県立大学(長久手キャンパス)の授業開講日、4/20月に延期決定。

新入生・在学生のみなさんへ
令和2年度 前期授業開講日およびガイダンス等の実施日程の変更について

新型コロナウイルス感染症が国内および愛知県内で拡大している状況に鑑み、下記の通り授業開講日程等を変更します。

○前期授業開講
長久手キャンパス:4月20日(月)開講
守山キャンパス(看護学部2~4年、看護学研究科):4月7日(火)開講

[告知のウェブページ]

もともと、4/7火の開講予定であった。しかし、4/2木の入学式は中止、新入生と在学生のガイダンスも予定変更、などと気ぜわしい変更事項が続いていた。そして授業はどうなるか…。

実は、教職員向けには、おとといの3/23月には、内々にその方針案が伝えられていた。しかし、それが本決まりになり、学生向けに告知されるまでは、Twitter で公言もできないし、学生たちと込み入った相談もできない。

他大学の新年度方針がどんどんと決定、発表され、情報がばんばん流れてくる。他大学の例では、開講延期、オンライン授業、通常どおり開講など、それぞれのポリシーとともにすばやく決定し、告知を流している。

そんな中、本学はいったいどうなっているの、という、少しやきもきする思いがあった。私も、いくつかの組織で広報担当などをしてきたので、こういう状況で情報的に取り残されることについては、歯がゆさと言うかやましさと言うか、そういう気持ちをつい抱いてしまうのである。

どうやら、今日の午後、学内の会議で最終決定がなされたようであり、担当職員からは速やかに告知が流れてきた。ゼミ生に、初回ゼミの日程延期と、春休みの書評論文の〆切延長を通知。留学中の帰国や復学を選択肢に入れている学生に情報提供するなど、まとめて必要な仕事をした。ふう…。

有益な情報を用いずに、自分の手元に留め置いておくことほど、苦しいものはない。しかし、最終確定に至っていないことを公言することで、混乱を招くことがあってはならない。それは、情報発信する者の責務であるだろう。ようやく解禁されて、さっさと仕事をすることができて、私もホッとしている。

もっとも、授業日がずれこんだことで、いろいろな調整事項が生じている。具体的には、複数教員で担当するオムニバスの授業。日程や順序などに狂いが生じないか、明日から担当者間で急ぎ相談せねばならない。学生アルバイトの雇用のスケジュールも狂うので、それも明日から再調整である。

さて、2週間、ぽっかりとできた延長の春休み。さて、これをどう活用するか。

思い出すのは、2007年の初夏のことである。全国ではしかが流行したことがあって、当時の勤務先の関西学院大学で、2週間のはしか休講が生じたことがあった。もちろんびっくりしたけれども、急に空いた2週間の時間を使って、私は当時組織していた研究会のまとめの作業をし、そのアイディアが元となって、『アクション別フィールドワーク入門』(世界思想社)という書籍として結実した。

何となく春休みが延びた、だけでは、この時間を空費してしまう。せっかくだから、目標を立てて有意義に。そう思っている。


2020年3月24日 (火)

■フランスの国際学会 "Minority languages spoken or signed and inclusive spaces" 開催延期

3/23の晩、メールがまいこんだ。

フランス、パリ近郊で、この5月25-27日に開催される予定であった国際会議が、延期することとなったという報である。

We are determined not to cancel the event, however due to the global situation regarding Covid-19 , we have to postpone our next conference to May 10, 11 and 12, 2021.

Nous sommes déterminés à ne pas annuler l'événement, toutefois la situation mondiale concernant le Covid-19, nous oblige à reporter notre prochaine conférence aux 10, 11 et 12 mai 2021.

【会議概要】
International conference of minority languages spoken or signed and inclusive spaces
2020年5月25-27日
フランス, イル=ド=フランス, オー=ド=セーヌ, シュレンヌ
Institut national supérieur de formation et de recherche pour l'éducation des jeunes handicapés et les enseignements adaptés
[大会ウェブサイト]

新たな開催日程: 2021年5月10-12日

この学会についてはすでに発表採択の連絡をもらっていて、渡航準備のための下調べをしたり、日程や予算の検討をしたりしていた。しかし、本当にできるのだろうか、ということについて気をもんでいた。

この5月に、その大会に参加して発表や議論ができないことになったのは、確かに残念ではあるのだけれど。この状況にあって、延期の連絡が届いたことに、正直ホッとした。

いま、フランスは外出禁止措置が出ていて、日本外務省発表の危険度は3(渡航中止勧告)となっており、留学中の学生に対しても大学から帰国勧告を出しているような状況にある。

もちろん、2か月後にどうなっているか分からないが、仮にそうした措置が解除になっていたとしても、のこのこと行っている状況かよ、という厳しい視線を浴びるかもしれない。

大会が開催を強行すれば、私はむりやり行くか、諦めて発表放棄するかの二択を迫られていた。

また、大会が中止になれば、せっかく採択された国際学会の発表機会と、そこで得られたはずの実績や情報交換が、無になってしまう。どうしよう、と正直思っていた。

中止=発表採択取り消しではなく、延期となって、来年にもう一度チャンスをもらえるということについては、正直、安堵した。また、今年の夏や秋ではなく、1年後に延ばしたというところには、安全で確実な開催のためにはそのくらいの長いスパンで考えるべきだという、主催者の意志を感じることができた。

ずいぶん先に延びたけれど。よい準備期間をいただけたと感謝することにしよう。2021年5月の発表に向けて、1年間、ゆっくり準備することにしたいと思います。


2020年3月23日 (月)

■日本文化人類学会の大会中止/日本アフリカ学会フォーラム採択

昨日3/22、ふたつの学会から、連絡がまいこんだ。

ひとつは、日本文化人類学会の大会「中止」の報である。

第54回研究大会についての重要なお知らせ

第54回研究大会の、早稲田大学に参集しての実施は、5月29日のシンポジウムおよび5月30日・31日の研究発表等、すべて中止します。

研究大会と同じ日程で、参加者が一堂に会する集会に代わる大会を実施することについて、オンライン・サービスの利用を中心に、検討を進めています。

うーん、せっかく採択されたのになあ…。ウェブ発表になるのであれば、それもまたひとつの体験となるだろうけれど。

もうひとつは、日本アフリカ学会の大会プログラムの発表である。

第57回学術大会の暫定プログラムが公開されましたので、お知らせします。次のURLからご覧ください。

http://www.tufs.ac.jp/jaas2020_tufs/program.html

こっちは、採択の朗報。採択されたのは、以下のようなフォーラムです。

【フォーラム】「新しいアフリカ言語研究2: アフリカの手話言語の諸相」

その中の私の発表題目
「フランス語圏アフリカ手話(LSAF)の話者人口推計: ろう学校およびろう者団体の調査を手がかりに」

【20200404追記】このフォーラムは、ウィルス対応のため、東京外国語大学に参集しての開催はなくなり、ウェブを通じた代替の発表方法へと変更されました。

とは言え、この大会、本当に開催できるのだろうか…という危惧もちらり。

なお、この大会では、前夜のシンポジウムも担当することになっていて、手話通訳を付けてちゃんと準備しようと思っていた。

前夜特別企画(公開)
新しいアフリカ言語研究の夕べ

2020年5月22日(金曜日)18:30~20:00
東京外国語大学研究講義棟1階113号室

亀井伸孝 (愛知県立大学) 文化人類学・手話研究
中川裕 (東京外国語大学) 言語学・コイサン諸語
森壮也 (アジア経済研究所) 開発経済学・手話研究
米田信子 (大阪大学) 言語学・バントゥ諸語

日本語と日本手話の間の通訳が付きます

[ウェブページ]

【20200404追記】この前夜特別企画は、ウィルス対応のため中止されることとなりました。

こっちも実現するのかどうか…。まあ、じたばたしないで、静かに様子を見守りたいと思います。


2020年3月22日 (日)

■国際関係学科学生ブログに卒業式の記事掲載

3/20に行われた、本学の卒業式

毎年恒例ですが、国際関係学科の学生ブログに、写真入りの記事を寄稿しました。

愛知県立大学外国語学部国際関係学科 公式学生ブログ
「2019年度卒業式」(2020年3月22日掲載)

規模が縮小されたとはいえ、式典が催されたことはよかったし、こうして記録に残るとまたいいものですね。

これまでブログの執筆を通じて、学科の広報活動のために活躍してくれた卒業生たちのコメントを掲載できたのもよかった。

よろしければ、ご覧ください。


2020年3月21日 (土)

■指導・審査担当論文が累計100件を達成

今年度の学生が無事に卒業、修了を迎えたことで、今回巣立っていった学生たちの卒業論文、修士論文のタイトルを掲載した。卒業論文10件、修士論文3件。みなさん、それぞれおつかれさまでした。

今回で、私が指導や審査で担当した論文の累計が、101件に達したことが分かった。おー、そうでしたか。

大学教員を始めてちょうど10年。どのくらいがんばってきたかな、と、棚卸しをしてみた。以下が、そのデータ。

表:2010-2019年度(10年間)における論文指導・審査件数

年度 卒業論文 修士論文 博士論文 備考
主査 副査 主指導 副指導 審査委員 主指導 副指導 審査委員
2010 0 大阪国際大学に着任1年目
2011 6 6 4 4 10 愛知県立大学に着任
大学院担当開始、
博士前期課程副指導資格を取得
大阪国際大学学部生卒業
2012 4 3 7 2 2 4 1 1 12 愛知県立大学学部ゼミ第1期生卒業
2013 5 5 10 1 1 11 博士前期課程主指導資格、
博士後期課程副指導資格を取得
2014 12 3 15 1 1 2 17
2015 6 2 8 1 1 1 1 10 博士後期課程主指導資格を取得
2016 6 5 11 1 1 12
2017 0 長期在外研究につき担当なし
2018 7 5 12 1 1 2 1 1 15
2019 8 2 10 1 2 3 1 1 14
54 25 79 4 4 10 18 3 0 1 4 101

最初に担当したのが、大阪国際大学のゼミ生6人であった。いずれも、2011年度末に卒業した。

愛知県立大学転職後は、大学院担当も加わり、毎年のように10件を超える状態に。2017年度の長期の在外研究の年だけはすべての役割を免除されたものの、計8年度にわたって論文完成をサポートし、審査し、評価を付けて、社会に送り出してきた。8年度で101件、単年度あたり平均12.6件。そうか、ずいぶん働いたな。

こうやって数字を見ると、その時どきの出来事を思い出す。例えば、2014年度は卒業論文主査の件数が急増している。ちょうどその2年前に同僚の文化人類学分野の教員が退職、ゼミ選びの選択肢を失った多くの学生たちを受け入れた。その波が2年後に訪れた。忙しかったけれども、多くの研究と議論に接することができて楽しかった。ついでに言えば、このように大勢の学生を受け入れたことは、学内での教育分野における貢献として評価されたりもしたので、いろいろな意味で、私にとってもプラスとなる経験だった。

また、愛知県立大学には2011年から勤めているが、2013年、2015年と、2年おきに自ら大学院の指導資格の拡充を申し出た。いずれも、2年間担当しなければ次にステップアップできないという規定があって、それを最速でコンプリートしては、次の資格を得るべく申請を続けた。その資格変更が承認されるにつれて、担当論文が増え、院生たちの成果達成と人材輩出につながっている様子も、数字から見えてくる。

もちろん、これらの成果はひとえに学生たち自身の能力と努力による達成である。また、私でなくても、だれかがやっていた仕事であったのかもしれないけれど。たまたまこの職にあって、ご縁のあった学生たちと、こういう規模の成果を作ることができたことは、幸いであったと思う。これからも、少しずつ、着実に。


2020年3月20日 (金)

■なんとか開かれた卒業式

本日、愛知県立大学卒業式、挙行。

ウィルス感染が拡大するなか、開催するのかどうかということ自体が、危ぶまれていた。近隣の諸大学が中止を相次いで発表するなか、検討の末、本学では規模を縮小して実施という方針となった。

通常は、こんな1日となる。

講堂における全体式典(愛知県知事の祝辞あり) ★

学科専攻別に分かれて実施する卒業証書伝達式

学科専攻別の記念撮影 ★

生協食堂での卒業パーティ ★

学科卒業生主催謝恩会 ★

これらのうち、★が中止となった。大人数が密集してわいわいしゃべるという事態を避けるためである。県知事も、毎年恒例で来学していたが、いまは県内の感染対策で忙しいのでもあるだろう。

結果として、学科単独の伝達式だけ開催された。

やってみると、それは意外に楽しかった。厳粛な全体式典は省かれたが、逆に言うと、いつも見慣れた顔ぶれの学生や教員たちが集まって、ひとつの会場ですべての式典をこなしていく。その雰囲気は、決して悪いものではなかった。

全体写真撮影へと急き立てられることもなく、会場で少しゆっくりできたのも、またよかったと思う。

ゼミやら、友だちどうしやら、一緒に写真を撮って、流れ解散。夕方には、また静かなキャンパスに戻った。

みなさんご卒業おめでとうございます。それぞれの進路に、幸いがありますように。


2020年3月19日 (木)

■提案が通らなかった時に思うこと

今年度、とある組織の、とあるテーマをめぐって、何人かの人たちとともに提言をまとめるという仕事をした。

私は、毅然とリーダーシップをとるような柄でもないのだが、少なくとも個人として言いたいことは言うぞ、という気持ちで手を挙げ、提案者のひとりとなった。やがて、類似の意見をもつ人たちと原案を統合する形で、グループができた。共同提案者が、2人になり、4人になり、5人になり、というふうに膨れていき、私は何となくそのグループのとりまとめ役をすることになった。

最終的に、その提案は採用されなかった。正確に言えば、形式としては採用されず、しかしその提言に込められていた意図は浸透し、ある程度の内容が最終案に反映された、という状況になった。

共同提案者たちと振り返りの話をしていて、ある種の温度差を感じたので、面白かったから書いてみる。

却下されたことを、非常に悔しがっている人がいた。また、形式上は却下されたけれども、今後の内実に反映させようと、これからの意気込みを語る人もいた。

私は、言いたいことを言い切った!というある種の爽快感を感じている。案が採用されなったことの悔しさは、実はさほどない。われながらよい提案であると自負はしていたものの、大勢によって支持されなければ実現はしないので、なるほどなというふうに、組織の現状を理解する手がかりになったという程度の印象である。実現するかどうかは別として、そういう意見を言うやつがいるということを示し、かつその発言が阻止されなかっただけで、とりあえずの満足に達することができた。

いつもポジティブでいいですね、などと言われる。そうかなあ。私の場合は、満足の目標値が低いのかもしれない。現実に組織を大幅に変えることが達成感の条件ではなく、さしあたり、言いたいことを目一杯言わせろということが私には重要である。

学生の頃から今に至るまで、いろんな所でいろんな交渉をして、「ものを言うこと」自体を阻害されたり、黙殺されたりといった場面を山ほど経験してきたので、言い切ることができたら爽快感!なのである。そう考えると、言うだけでなく、現実の達成を勝ち取らないと、と望む人は、これまで発言を阻害されることが少なかった、恵まれた人生だったのかもしれない。

さて、この件は一区切り付いたのだけれど。別に、私は目標値を自分で下げるつもりはないですからね。表現の自由をこれからも謳歌し続けることによって、何度でも何度でも性懲りもなく要望や提案を言い続ける、その自由を活用して、これからもいろいろ言ってやろうと思っている。そういう意味では、懲りないやつであると自覚している。

今年度業務、ひとつ終わり。


2020年3月18日 (水)

■日本文化人類学会の理事候補に選出

日本文化人類学会の第28期業務執行理事から、1通のメールが届いた。

日本文化人類学会第29期理事候補選出のお知らせ

あなたは、この度行われました日本文化人類学会第29期理事予備選挙で、日本文化人類学会第29期理事候補に選出されました。まずは略儀ながら、メールにてご通知申し上げます。

社員総会における正式な理事選出までの間、第29期理事会発足に向けた学会の運営体制づくりにご協力いただきますよう、よろしくお願いいたします。

先日の代議員による郵便投票の結果が出たらしい。はあ…そうでしたか…。

これまで2年間理事を担当してきて、通算6年。さらに2年の続投が決まってしまった。ここで「理事候補」と言われているのは、形式上は今年5月末の総会でその地位が確定するという程度の意味であって、投票結果としてその理事になる見込みが確定したということである。

つい先日、日本アフリカ学会の評議員、さらに理事に選ばれていて、向こう2年間のお務めを覚悟したところなのだけれど。こちらの学会でも票が入り、ふたつの学会で、並行して運営の実務を2年間担当することになってしまった。

いえ、もちろん、「仕事ができないから任せたくない」と見られるよりは、「仕事ができるから任せたい」と思っていただけることは、幸いである。会員によるその負託は、厳粛に受け止めたいと思うけれども。

それにしても、ふたつ同時並行は厳しいなあ…。学会の会議や出張が2倍になり、メールも書類も2倍になる。組織の運営は、普通にできて当たり前、ミスがあると叱られるという類いの仕事である。そして、無給。時には、現下のウィルス感染などのような、突発的な事態に対応するための判断も求められる。

ふたつ兼任になったことを理由に、少し軽めの業務担当を申し出てみようかなあ…。ダメかもしれないけれど…。

ともあれ、私ごときに負託のための票を入れてくださった会員各位に、お礼を申し上げますとともに。多少なりとも学術の振興に寄与したいと考えています。よろしくお願いいたします。


2020年3月17日 (火)

■一列おきに座る新幹線

フランスで外出禁止が始まり、EU 域内への移動を制限する措置が検討され始めている。

ついこの間まで、COVID-19 はアジアの伝染病だとして、アジア系の人たちが世界各地で蔑視、揶揄されるなどの報道があったにも関わらず。いまやヨーロッパがパンデミックの中心だと WHO が表明し、ヨーロッパが世界からハイリスクの地域と見なされるようになってしまった。

うーん、5月下旬のパリでの国際学会、せっかくがんばって書いたエントリーが採択されたのに、この調子では開催されないかも。仮に開催されたところで、フランスで入国が拒否されるかもしれない。

さらには、入国できるようになっていたとしても、こんな時期になぜわざわざ行くのかという社会的圧力もひしひしと迫っているように感じられる。いや、周囲の目など気にせず、仕事なら堂々と行けばよいではないか、という考え方もあり、信念をもって自分の行動を貫く手もあるのだが、万一それで感染して帰ってきて報道でもされたら、それこそわがままだの何だのと非難がわき起こるに違いない。そういうことを考えると、とたんに気が萎えてしまうのである。

フランス側の主催者が、「延期」くらいの穏当な発表をしてくれたら、ずいぶんと楽になるのだけれど。

桜の季節も到来しているというのに、人混みは避けよう、の大合唱。つまらぬ春である。不要不急の外出や遠出はなるべく控えようとは思っているけれど、どうしてもやはり必要あって、新幹線に乗ることが何度かある。

新幹線のウェブ予約(EX-IC)で指定席選びをしていて、ひとつ気付いたことがある。みなさん、1列おきに座席を取っているのである。

たとえば、東海道新幹線下りであれば、一番左の窓側が A 席。この時節、旅行者は激減していて、昼間の移動なら予約席も閑散としている。

そのまばらな席の配列パターンが規則的なのである。1A、3A、5A、7A、9A というふうに、1列おきに予約が埋まっている。

これは明らかに、「他人との距離を取って飛沫感染を避けたい」という心理が働いているものと見られる。私も、すいているなら1列空けた方がいいかな…という思いはわいていたからである。

ついでに言うと、全員が「奇数列に座る」という方針で合意していればいいものの、実際はそうはならない。前方から 1A、3A、5A、7A と、奇数列の席が埋まっていく。一方、別の人たちが後方から、20A、18A、16A、14A と偶数列の席を取っていく。そうすると、途中で必ずぶつかって、2列連続で空いてしまう席が生じるのである(たとえば、10A と 11A のように)。

その列しか空いていない場合、2列隣接という形での予約を入れることになるから、先約の客は迷惑がるのかな。「チッ…すぐ後ろに座りやがって」などと舌打ちされやしないか、などの想像が働く。まあ、これは冗談ですけど。

A と E の両窓側にへばりつき、かつ1列おきに間を空けた、閑散とした新幹線に乗る。

「京都の鴨川の河原で、カップルが等間隔で座っている」現象が一時有名になったけれど。それと少し似たところもある、「飛沫感染を防ごう」キャンペーンの中で生じたと思われる、ちょっと珍しい出来事。


2020年3月16日 (月)

■人文社会学系研究者の男女共同参画の実態は?: GEAHSS の調査報告

人文社会科学系学協会男女共同参画推進連絡会(Gender Equality Association for Humanities and Social Sciences (略称 GEAHSS, 「ギース」と読む))。

人文社会科学系の学会が日本学術会議との連携のもとで準備し、2017年に正式に発足した連絡会で、「学協会におけるジェンダー平等に関するグッド・プラクティス(好事例)の共有」「学協会におけるジェンダー統計に関する調査・公表・分析」「年1回程度のシンポジウムの開催」などを目的としている。参加学会は、2020年3月現在現在で68団体(下記参照)。

この GEAHSS が、以下の告知を出しています。

「人文社会学系研究者の男女共同参画実態調査(第一回)の報告書が完成いたしました」

こちらのサイトで報告書が読めるので、参考までに紹介します。

https://geahssoffice.wixsite.com/geahss

こういう取り組みにならい、実態解明の調査に基づく提言を、国籍や言語、障害の有無など、いくつかの視点で行われることが望ましいのだろうなあ、と感じています。少しずつ、開かれた学術の世界のために。

□GEAHSS 加盟学会一覧(68団体, 2020年3月16日現在 [ウェブサイト]

アメリカ学会/沖縄女性研究者の会/科学技術社会論学会/科学基礎論学会/化学史学会/関西社会学会/九州西洋史学会/京都民科歴史部会/経済理論学会/国際ジェンダー学会/国際服飾学会/ジェンダー史学会/ジェンダー法学会/信濃史学会/社会言語科学会/一般社団法人 社会情報学会/総合女性史学会/東南アジア学会/日本アメリカ文学会/日本医学哲学・倫理学会/日本英語学会/日本教育学会/日本教育行政学会/日本教育社会学会/一般社団法人 日本教育心理学会/日本基督教学会/日本経営学会/日本経済学会/日本言語学会/一般社団法人 日本健康心理学会/日本語学会/日本ジェンダー学会/日本社会学会/日本社会教育学会/日本社会心理学会/一般社団法人 日本社会福祉学会/日本社会文学会/日本宗教学会/日本助産学会/日本人口学会/公益社団法人 日本心理学会/日本水産工学会/日本スポーツとジェンダー学会/日本政治学会/日本西洋古典学会/日本村落研究学会/日本哲学会/一般社団法人 日本認知・行動療法学会/日本認知心理学会/日本年金学会/日本農村生活学会/一般社団法人 日本発達心理学会/日本犯罪社会学会/日本フェミニスト経済学会/日本文化人類学会/日本法社会学会/日本法哲学会/日本保健医療社会学会/一般社団法人 日本民俗学会/日本倫理学会/日本労働法学会/日本労務学会/広島史学研究会/文化史学会/法と心理学会/北東アジア学会/歴史学研究会/関西社会学会


2020年3月15日 (日)

■年度内に終えてしまいたい仕事

日曜日。意を決して、いくつかの書き物をした。簡単に言うと、今年度主催した行事などの報告記事数本である。

広報用に、学内記録用に。それぞれの目的に合わせて、行事の記録資料を引っ張り出して、データを散りばめながら書いていく。最後に、写真をいくつか添えて、終了。

にぎやかな行事活動、有意義な成果の発信、一緒に取り組んだ学生や同僚との作業、各種のトラブル。いろいろを思い出す。

実施に向けて準備する時は、とても楽しい。すべてが終わった後にこういう片付け仕事をするのは、正直言うと面倒くさい。しかし、予算を組んでくれて、さまざまな便宜を図ってくれた団体や部局、人びとのために、最後の報告記事をまとめることは、やはり欠かせない。

1月や2月は忙しくてなかなかできない。4月に入ったら時宜を逸してしまう。だから、3月に終えてしまわねばならない。他ならぬ今日に着手するべき絶対的な必然性はないのだけれど、そんなこと言っていたら永遠に着手できない。だから、今日の午後はそれだけをやると決めて、最後までそれをやり遂げた。

ぶつぶつ言いながら、しかし、やり始めると完璧にやりたいという思いがわいてくる。面白くなってきたころに、作業は終わってしまう。

各位、今年度1年間、ご支援ありがとうございました。週が明けたら、さっさと各方面に送って、楽になろう。


2020年3月14日 (土)

■木村大治さんのネット配信最終講義を視聴して

京都大学教授、人類学・アフリカ研究の木村大治さんの退職最終講義が、昨日と今日の2日間に渡って行われた。

私の博士論文の審査員のひとりであったし、原稿執筆その他、いろいろな形でチャンスをいただいた方でもあり、もとより最終講義には駆けつけるつもりにしていた。ウィルス対応のため、集会と懇親会はキャンセルとなったが、ネット配信で講演をするというので、自宅のソファでくつろぎながらで失礼、と思いつつ、合計6時間の独演会を拝見した。ちょっとした集中講義を受けているような気分であった。

YouTube を用いたネット配信という方法に対する感想。6時間のうち、3-4回くらいか、接続不良で短時間中断した他は、おおむね快適に視聴することができた。また、画面の右端のチャット欄に視聴者がコメントを書き込むことができて、リアルタイムで講師に質問することもできるので、これはこれでおもしろい方法だと思った。ウィルスでしばらく集会の類がもてないなら、こういう方式でシンポジウムも学会もやったらいいのかもしれない。なお、チャット欄では、視聴者たちが講師に向けた質問を記入するほか、ヤジのようなツッコミを入れたり、ひとりごとを言ったり、勝手に雑談を始めたり。講義室で私語が始まるのとあまり変わらない風景に見えた。

内容については、これまでの40年近いアフリカ研究とコミュニケーション研究をすべて振り返るような壮大な世界なので、全体をまとめることはできない。講演の中の話題をひとつだけ取り上げて書いてみたい。『こぎつねコンとこだぬきポン』という絵本のことである。

仲違いしていてまったく交流のないきつねとたぬきの集団が、川を挟んで別べつに暮らしているところ、こぎつねのコンとこだぬきのポンが、たまたま川向こうにお互いの姿を見つけ、ことばは交わさないものの、お互いにふるまいをまねっこしながら遊び始めるという印象的なシーンがある。私も子どもの頃この絵本を何度も読んでいて、この場面を鮮明に覚えている。

言語や文化を共有しているとは限らない初対面の者どうしが、いかにコミュニケーションを成立させるかということの面白さと不思議さについて考えさせてくれる、示唆的なシーンである(このテーマは、フィールドワークの方法論、異文化理解から、宇宙人とのコンタクトに至るまで、広範な問題群につながっていく)。

この話を聞きながら、私はある映画の印象的なシーンを思い出していた。『JSA』という韓国映画である。

軍事境界線を挟んで向き合う、韓国側と朝鮮側の兵士たち。絶対に境界線を踏み越えてはならず、会話も交わせない、しかし、いつも目の前に立って警備に当たっている相手は、お互いにすでに一種の顔なじみになっている。そういう状況の中で、兵士たちは、ことばを介さない形で遊び始めるのである(かなり前に見たので、細部の記述は不正確かもしれない)。

本当に軍事境界線付近でそういうことがあるのかどうかは分からないが、人間がそなえたコミュニケーションの能力と欲求をよく表現しているし、遊びの規則が立ち現れる瞬間を見るような思いもするし、こういう現象を支えている「両者に共有された何ものか」への関心も刺激される。映画の深刻なテーマとは別に、そのシーンが実に面白くて、ずっと記憶に残っている。

「人間どうし、しゃべれて分かり合えて当たり前」だの、「動物を見れば、何をしたいのかすぐ分かる」だの、深く考えることなく分かったつもりになって流してしまっている、日常の自他の行動の理解。しかし、それが当たり前ではなく、実はものすごく多くの前提条件のもとに成り立っている複雑な現象であるということへの想像力。日常的な事物を根源的に考えることの面白さを、久しぶりに思い起こした。

多くの刺激的な話題を含んでいた今回の最終講義の映像は、編集を経て、いずれウェブで公開されるらしいので、関心のある方はぜひ見ていただければと思う。最終講義の1日目は、京都大学の立て看規制問題、2日目は、「人文科学は役に立たない」などという近年の批判に対する思いなども語られ、全体を通して、知の自由への熱い思いが感じられる講義であった。

木村さんは、大学の雑務を離れて自由に研究したいということで、今回早期の退職を決断したそうである。自由な研究活動が阻害されるほど忙しいのか…と想像しつつ。牛から霊長類からヒトから宇宙人までをなで斬りにする、これからの研究を楽しみにしたいと思う。

【付記】今回の退職に合わせて刊行された、コンゴ民主共和国研究者らによる新刊の編著。あいにく最終講演会の現場で販売することはできなかったものの、ネット講演の中で紹介されていたので、広報協力。

松浦直毅・山口亮太・高村伸吾・木村大治編. 2020.
『コンゴ・森と河をつなぐ: 人類学者と地域住民がめざす開発と保全の両立』
東京: 明石書店.


2020年3月13日 (金)

■「旧姓で銀行口座を作れますか?」: いくつかの調査結果

先日、旧姓並記の住民票と運転免許証を取得できたという話を書いた。政策としては、それに基づいて旧姓での銀行口座などの保持ができるようになると報道されていた。一方、ウェブ上には、政府はそう言うものの、各銀行が対応していない、というような書き込みも見受けられた。

両姓並記の運転免許証導入から、約3か月。現状はどうなのだろう。「春休みの自由研究」として、問い合わせなどをしてみた。なお、すべての金融機関ということではなく、いくつか必要に応じて、手続きのついでに聞いたりした情報のまとめである。

2020年3月調べ
「旧姓で銀行口座を作れますか?」

□三菱 UFJ 銀行:できる
備考:通帳、カード、振込名義、郵便物など、基本的にすべて旧姓表示となる。ただし、戸籍姓の情報は行内に記録され、通帳紛失などのケースでは、戸籍姓による本人確認(両姓が並記された運転免許証の提示など)が必要になることがある
備考:どんな印鑑でもよい(旧姓印鑑には限定されない)

□みずほ銀行:できる
備考:なぜ旧姓口座が必要なのか、合理的な必要性があれば作ることができる

□三井住友銀行:できる
備考:なぜ旧姓口座が必要なのか、仕事上の必要性などをお尋ねすることがある
備考:どんな印鑑でもよい(旧姓印鑑には限定されない)

□ゆうちょ銀行:できない
備考:今後できるようになる見込みも分からない

東京スター銀行:できる
備考:印鑑は旧姓にそろえることが必要
旧姓での口座では投資信託のサービスを利用できない

イオン銀行:できる
備考:旧姓で作れるのは、クレジットカードを伴わない口座のみ。クレジットカード一体型の口座を作る場合は、戸籍姓に限定している

□新生銀行:できない
備考:今後できるようになる見込みも分からない

□その他の銀行
どなたか、調べてください。

以下、関連することをいくつかメモ。

・窓口や電話口でそういう申し出をする人が少ないのかもしれないが、何気に聞いたところ、「行内で調査しますので少しお時間をください」と、しばし待たされるケースが多かった。

・店舗で応対する職員によっては、「できません」と軽く拒否されてしまい、さらに丁寧な調査と回答を求めると、別のより詳しい職員に交替して、「実はできます」ということが明らかになるケースがある。簡単に要望を引っ込めない方がよい。

・細かい規則は、銀行によって異なるようである。作る以上は、印鑑も旧姓にそろえるべきであるという銀行もあり、そろえなくてもよいというところもあった。クレジットカードや投資信託などの一部のサービスにおいては使えないと、制約を設けているところもあった。

いろいろ聞いてみて、ちょっとびっくりした。想像以上に、OK のところが多かったからである。

通称氏名裏書き付きの運転免許証を持って行って見せただけで、この威力。これまで絶対に絶対にそういうことを認めてこなかった銀行が、あれよあれよとばかりになびいていく。この力は大したものだと思った。もちろん、名乗りの自己決定権の拡大を求める者としては、朗報である。既婚で戸籍姓を変えた人たちは、みんなもっとこの両姓並記の免許証を手に入れて、こういう場面でどんどん使ったらいいのに、と思う。

もっとも、逆に言えば、これまで個人の切実な訴えを冷徹に却下し続けてきた各金融機関が、両姓並記が国家の政策になっただけでかくもなびいていくというのは、あまりに分かりやすく、少し恐ろしい感じもした。まあ、背景はどうであれ、利用できるものは利用するでよしと考える。

銀行については、だいたいの状況がつかめたところ。次の課題は、クレジットカード、医療、保険分野あたりだろうか。どこまで引っくり返せるかな。今後も試してみたいと思う。


2020年3月12日 (木)

■商品選びで現れる保守的な自分

年度末に、いろいろ会計の〆の時期であることも関連して、自分が研究室で使っている設備備品の整理をし、発注や納品をし、という作業が相次いだ。

そこでふと気付いた、自分の行動傾向。それは、モノ選びにおいて、実はけっこう保守的なふるまいをしているらしいということである。

PC は、一貫して Mac だし。ビデオカメラは SONY、DVD デッキは SHARP、デジカメは CASIO、プリンタは EPSON…。10年以上に渡って、ぶれずに使い続けている機材が多い。

何でだろう。他のメーカーとの性能や価格に関する厳密な比較によってメリットを見出しているということでもなく、使い慣れというか、惰性というか。これまでの備品と似た後継機種などを選んで、導入することが多い。一度獲得したら、終生それに頼って生きていく、母語に近いのかもしれない。

私の持論として、発想や言論、アイディアや思考は、あくまでもラディカルに、新しく、革新的に、と信じているし、学生たちにもそう勧めているのだけれど。道具選びについては、どうも使い慣れたものに固執する癖があるようである。

そのことで、人生や仕事において損してるのか得しているのか、よく分からない。ただ、振り返ってみて初めて分かる、自分の癖というものがあるということに気が付いた次第。


2020年3月11日 (水)

■口は災いのもと

この間、悩んでいることがある。口がもたらしている災いである。いや、別に、舌禍事件などを起こしてしまったわけではない。口の周辺で、いろいろと痛い症状が相次いでいるのである。

2週間ほど前は、唇の左端が切れ、しばらく口を大きく開けられなかった。それが済んだと思ったら、右端が同様に切れて、また痛みが走った。それが直ってきた今週は、下唇が切れて痛み始めた。

同じ2週間、口内炎も並行して生じていた。口の中の左上に、続いて右上に。そして、先週土曜の食事中に左下唇近くをうっかり噛んでしまって、それが大きな口内炎に成長してしまい、痛むことはなはだしい。

寝ても覚めても痛い。食べても飲んでも痛い。こんな小さな症状なのに、仕事に集中できないほど痛い。たまたま大学が授業のない春休みでよかった、と思う。数日のがまん。早く治れ…。


2020年3月10日 (火)

■編集者はどこまで介入するか

ニューヨークや東京で株が暴落、急激に円高ドル安が進行、伝染病が経済的なパニックになって人間の社会生活を左右し始めている。そんなニュースも飛び交うなか、経営者でも投資家でもない私は、なにひとつ社会に貢献できるわけでもなく、せめて SNS でデマや不安を煽ることだけはするまいと、ニュースを読みつつも、基本的に寡黙モードを守りつつ、細々と在宅の仕事をしている。

洗濯機を回しながら、編集の仕事。晩のためのスープを煮込みながら、メールの返事。在宅で家事をしながらちまちま作業するというのは、本格的に大学で教え始める10年前までは、日常の暮らしだった。当時、研究所の研究員として、求職しながら、実態としては主夫に近い暮らしをしていたからである。その後、本格的に教え始めてからも、自宅で家事と本務を並行して進める日というのは、よくあること。この春休みは行事も出張もすべてなくなってしまったので、こういうモードの日が増えた。

自宅で黙々と編集の仕事をしていて、気付くこともいろいろ。編集者が、どこまで全体統一のために口を出し、どこから先は著者の決定権に委ねるかというのは、いつも悩むところである。

全部几帳面にそろえたい、という気持ちは常に湧く。実際、記号やレイアウトなど、ある程度は編集者権限でそろえてしまってよい部分は確かにある。しかし、ある一線を越えると、著者の意向を無視して勝手に改変することは許されない領域になる。字句や表現の改変などは、やはり著者の意向を確かめることが必要だからである。ただ、それをすべてやっていると、メッセージの往復に時間がかかる。どうしても、というところにしぼって著者確認をし、それ以外は目をつぶることにする。その線引きが、いつも難しい。

こういう時、ふたつの作品観が私の心の中に現れる。ひとつは、編集者として完璧を目指したいために、フリーハンドの修正権限が欲しい、という介入的な作品観。もうひとつは、いやいや、最終的には各著者の名前で出る著作物なのだから、それぞれ好きな仕上がりになっていいではないかという、諦めも混ざった放任的な作品観。このふたつが、いつも心に浮かんでは格闘を始める。なんか、政治とか、組織運営とか、いろいろに通じそうな話である。

残り時間とこだわりとの折り合いを付けて、コメント終了。今回は、それでよしとしよう。


2020年3月9日 (月)

■京都大学木村大治教授退職講演会のおしらせ(2020/03/13-14, ウェブ配信)

ウィルス感染予防のために、京大の学内で開催する予定であった講演会が、ネット配信に切り替える形で開催されるそうです。どなたでも視聴可能とのこと。以下、宣伝協力。

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授
木村大治退職講演会

退職の機会に、これまでの研究を振り返るとともに、今後の方向性を見定めるため、3月13日、14日に「木村大治 退職講演会」を開催します。

国内で新型コロナウイルス感染症の影響が拡大しており、実行委員会で検討した結果、講演会はネット配信にておこなうことにしました。

2020年3月13日(金)13:30~
2020年3月14日(土)10:30~
ネット配信(YouTubeライブ配信)
だれでも視聴可能

プログラム(抜粋)

3月13日(金)人類学的研究
13:30~14:30「これまでの研究を振り返る: トカラ列島、コンゴ、カメルーン」
14:45~15:45「共在感覚と双対図式」
16:00~17:00「繋がることと切ること: 共在に対する覚悟」

3月14日(土)相互行為論的研究
10:30~12:00 「コミュニケーションにおけるある種の不確定性について」
13:30~15:00 「不確定性にどう対するか: 科学主義と現象学主義の狭間」

視聴方法など、くわしくはこちら


2020年3月8日 (日)

■行事を中止した主催者へのことば

3月の行事の中止や延期の判断が、2月下旬に吹き荒れた。2月26日の政府の自粛要請が、その引き金となった。

そのキャンセル手続き(諸連絡、広報、予算処理…)を一通り終えて、ふう…と少し静かになった週末である。本来であれば、昨日あたりも会合に出かけていたはずであったが、それはなくなった。大掃除をし、自宅で家事をする時間に当てる。

どれほどの行事の開催変更に翻弄されたかな。×印だらけのスケジュール帳を見返しながら、数えてみた。

政府が行事自粛の要請を始めた2020年2月26日以降、3月31日までの間の中止行事一覧(私が関係したもの)

・発表予定シンポジウム: 1件
・参加予定研究会・シンポジウム: 4件
・共催予定研究会・シンポジウム: 2件
・参加予定送別会・祝賀会・懇親会: 4件
・広報担当として事後処理に関わった学術行事類: 6件

計17件か。どうりで忙しいはずである。

なお、これら17件の代替策は、中止7件、延期9件、ネット配信に切り替え1件であった。

そうか、ウェブ会議なども最近は増えている傾向にあるものの、私の関係するものでは1件のみと、意外に少なかったなという印象がある。

祝賀会などの飲食系は、すべて中止。一方、シンポジウムなどは、延期となってまたの機会をうかがうとされたものが多い。…しかし、いつ収まるのだろうか。初夏くらいには収まって、夏から秋にかけてまたこれらの行事が目白押しになるのだろうか。先のことは分からない。

中止の連絡をくれた主催者には、一言ねぎらいのことばをお返事するのがいいのだろうなあと個人的には思っている。

主催者は、企画して呼びかける時は楽しくて気分が盛り上がるけれども、次第に開催しにくい状況になり、難しい判断を迫られ、おそらく問い合わせも殺到して、最終的に断念し、計画通りの集まりをもてない結果となると、相当に気が重いはずである。

しかも、企画を放り出すわけにはいかないから、ゲスト・発表者への連絡や、中止の広報、メールやウェブサイトでの告知、返金、延期日程摸索などの面倒くさいことを、孤独な中で続けなければならない。楽しくない上に、残務が山ほどあるのである。

私が主催側でなく、いち参加者にすぎない行事であっても、なんだ中止かよと言ってそのまま黙殺するのは、あまりに気の毒だと思うのである。中止のご連絡をいただいたら、一言ずつでも、ねぎらいと残念の気持ちと労をとってくださっていることへのお礼を書く。日頃、自分が多くの行事を黙々と準備することが多いから、その気持ちはよく分かる。「マナー」だの何だのと言って、他の人に同様の行為を強要するつもりはまったくないけれど、これは私が自己流でやっている、主催者への敬意の表し方。

ちなみに、結局残ったのは、教授会ふたつと、卒業式、だけである。本学で、卒業式を小規模ながらも開催すると決定したことは、不幸中の幸い。にぎやかなパーティはできないけれども、お別れの機会にはなるだろう。状況が変わりませんように。


2020年3月7日 (土)

■インクカートリッジの大掃除

2月は、授業の残務処理と来年度の準備、書類書きでかなりが終わっていってしまった。

3月上旬。ようやくふっと時間ができて、延ばし延ばしにしていた研究室の大掃除に、遅まきながら着手した。

ベンチカバーの洗濯、積み上がった書類の整理と廃棄、貼りっぱなしの掲示物の撤去。いただいた本の整理とお礼状書き

そして、年に一度の、たまったインクカートリッジの大掃除。山のようにたまった使用済みインクをすべて袋に詰めて、近所の郵便局のリサイクルボックスに投入してきた。

そんなにためなくても、と思うかもしれないが。私の癖かもしれない。ためにためた上に、年に一度くらいのタイミングでガサッと捨てるのが気持ちいい。

使用済みインクカートリッジを数えてみたら、この1年の消費は53個だった。だいたい、週にひとつずつ使ったくらいの計算になる。

教材に、原稿に、各種の会議資料。学生たちの提出物を刷ってチェックしたし、秋から冬にかけての卒論・修論・博論の支援では、膨大な量の印刷をした。

それから、私の仕事で関わるのは、学生たちとともに開催した写真展。これで、大量のカラーインクを使った。連日大変な作業だったけれど、多くの成果を発信できた行事となった。

論文にせよ、写真展にせよ。プリンタを通過していった多くの作品が、きちんと成果となり、世に出て、実績として蓄積されていく。使用済みのインクには、ただのゴミとは違うずしりとした重みというか手応えがある。

1個約1,000円と考えたら、インクのために使った経費は約53,000円。そうか、そんなに使っているか。

大掃除で振り返る、この一年。


2020年3月6日 (金)

■38通のお礼状

大学に来る。無人のキャンパスである。学生には、不要不急の用事で来ないようにと通知が出ているし、部活やサークル活動についても自粛要請が出ている。図書館も閉まっている。本当に、人影がない。事務室には職員さんたちが詰めているが、教員たちもあまり来ていない。静まり返った大学。

そんななか、私はなぜ大学に出勤するのか。どうしても年度末大掃除がしたかったのである。こればかりは、在宅遠隔ではできない仕事である。

これまでいただいた書籍や論文などの整理をし、1枚1枚お礼ハガキを作った。花も咲く季節だし、と、淡い桜色のハガキに、切手を貼っていく。消費増税の前に片付ければ楽だったのに、と、自分のものぐさを棚に上げてブツブツ言いながら、増税で値上がりした分の端数の金額の切手を貼り足して、一気に投函。計38枚のお礼状を出した。ふう…。肩の荷が下りたような解放感に包まれる。

この間(未整理であった分なので期間は不明、昨年の途中ぐらいからだと思われる)にいただいた文献、計46点。すべてを網羅できていないかもしれませんが、ここでご紹介し、謝意に代えさせていただきます。以下、ジャンル別に、タイトルのみ。

■文化人類学と隣接領域
『われらみな食人種: レヴィ=ストロース随想集』
『見知らぬものと出会う: ファースト・コンタクトの相互行為論』
『人を知る法、待つことを知る正義: 東アフリカ農村からの法人類学』
『文化人類学の思考法』
『まちづくりのエスノグラフィ: 《つくば》を織り合わせる人類学的実践』
『パブリックヒストリー入門: 開かれた歴史学への挑戦』
『なぜヒトは学ぶのか: 教育を生物学的に考える』
『相互行為の人類学: 「心」と「文化」が出会う場所』

■アフリカ地域研究関係
『アフリカで学ぶ文化人類学: 民族誌がひらく世界』
『ブルキナファソを喰う!: アフリカ人類学者の西アフリカ「食」のガイド・ブック』
『アフリカ安全保障論入門』
『ニアセンの拡大 (2) カメルーンにおけるニアセン: バムン王国の事例』
『あふりこ: フィクションの重奏/遍在するアフリカ』
『太田さん退職記念文集』

■ろう者/手話言語関係
『ろう理容師たちのライフストーリー』
『手話通訳者になろう』

■子ども研究関係
『はじめまして、子どもの権利条約』
『子どもへの視角: 新しい子ども社会研究』

■大学教育関係
『メディアの内と外を読み解く: 大学におけるメディア教育実践』
『多文化社会で多様性を考えるワークブック』

■地域研究関係
『地域から国民国家を問い直す』
『地中海を旅する62章: 歴史と文化の都市探訪』
『硫黄島』
『ニュージーランド Today』

■学際研究、その他
『エスニシティと物語り: 複眼的文学論』
『東日本大震災と民俗学』
『越境の表象』
Revisiting Glocalization in Japan: Two Lectures by R. Robertson
『在野研究ビギナーズ: 勝手にはじめる研究生活』
『そして日本国憲法は作られた』
『難聴者・身障者着付補助教本: 心のバリアフリー』

■研究機関・団体雑誌
『関西学院大学先端社会研究所紀要』16
『KG社会学批評』8
『Field Plus』23
『スワヒリ&アフリカ研究』30
『Africa』58
『新社会学研究』3号
『新社会学研究』4号
『国立歴史民俗博物館研究報告』214

■報告書
『平成30年度フィールドワーク実習報告書: 静岡県牧之原市』
『沖縄・糸満の社会と文化: 沖縄県糸満市の調査から』

■論文別刷り
『オーストラリア研究』32 所収論考
『トラウマを共有する』所収論考
Entangled Territorialities: Negotiating Indigenous Lands in Australia and Canada 所収論考
Conflicts and Peacebuilding: Toward the Sustainable Society 所収論考
An Anthropology of Things 所収論考


2020年3月5日 (木)

■品切れ商品観察日記

新型コロナウィルスの拡散と、それに伴うさまざまな情報、かき立てられた不安感情のため、マスクやアルコール消毒液といった感染症に関係する商品のほか、トイレットペーパーなど、直接の因果関係がない商品の買いだめや行列、品切れが続いているという、謎の現象がある。

そういうのはデマだから信じないように、国内生産量や在庫は十分にあるから冷静に買い物を、と、政府も企業も店舗も呼びかけている状況ではあるけれど。実際に店に行ってみて、がらーんと空いている空っぽの棚を見ると、あーこれが現実か…と思うこともある。

今週の前半、名古屋市内のいくつかの店舗(スーパー、薬局、コンビニなど)で見た、家庭用品の類の様子をメモしてみる。こんな些細なことでも、何年後かに見たら、笑い話としてネタになるかもしれない。

■十分にあったもの
石鹸
洗濯用液体石鹸
キッチン用液体石鹸
シャンプー
リンス

■少なかったもの
ティッシュペーパー
キッチンペーパー
手荒い用液体石鹸

■まったく無かったもの
マスク
アルコール消毒液
トイレットペーパー

メーカーは、通常通り生産し、流通に回しているという。近々、商品が戻るのを待つことにしましょう。


2020年3月4日 (水)

■自宅確定申告の失敗

ウィルス感染のリクスは避けたいし、今、人ごみはなるべく避けた方がいいのだろうし…ということで、今年初めて自宅での確定申告に挑戦した。結果から言うと、失敗した。

ID とパスワードは設定済みだし、毎年入力する項目はほぼ決まっているし、ということで、自宅で PC を開け、国税庁の e-Tax ページへと入り、順番にデータを入力していった。

とは言うものの、主たる勤務先以外の、細かい雑収入(主には本の出版や著作権使用などに関わるもの)や各種控除で、けっこうな枚数の紙をさばきながら入力する必要があり、悪戦苦闘、約2時間。

すべてのデータを入れ終え、最終税額も決まり、最後のページで銀行口座と住所を登録して、完成、送信!という段になって、ここでエラーが発生したのである。

【都道府県市区町村】欄に入力がありません。
郵便番号を入力し「郵便番号から住所入力」ボタンから検索するか、【都道府県市区町村】欄から選択してください。

おかしいな。郵便番号も含めて、現住所は正しく入力されている。それにも関わらず、絶対にエラーだ、この先には進ませない!と、向こうはガンコに主張して譲らないのである。

うーん、どうしよう。住所を何度再入力してもダメ。先には進めない。「よくある質問」などを見てみても、解決方法は書いていない。せめてここまで入力したデータの保存だけでもできないかと思ったが、保存も拒否された。先に進めず、後へも戻れず。トップページに戻ってログインし直してみたら、すべてのデータが飛んでいた。はあ…。ここまでの2時間が、まったくの徒労となった。

考えられる原因はあって、こういうシステムは、OS とブラウザのバージョンを限定してくる。少し古い mac OS で、推奨とは言われていないブラウザで作業していたので、おまえの PC 環境が悪いと言われたら、そうかもしれないと思う。でも、だとしたら、せめて入力し始めの頃からエラーを出しまくって、早々に諦めさせてくれたらいいのに。2時間快調に入力作業ができた挙げ句に、最後のページでダメ出し、データ消失って、そりゃないよ…という恨み言を言いたくもなる。

家族には、「スマホでも確定申告できるらしいよ」と勧められた。それはありがたい助言なのではあるけれど。小さい画面を見ながら、1本指でチマチマと大量の文字を入力するのはどうも苦手で、やはり10指を使ってキーボードでサクサクと仕事をしたいのである。

家には、国税庁 e-Tax 推奨環境の PC がなかった。結局、例年と同様、税務署に行って、整理券をもらって並び、その場で入力して、確定申告を終えてきた。すでに自宅で一度「リハーサル」をやっているので、何のデータをどこに入力すべきかはすべて分かっている。1時間待ち、1時間入力作業くらいで、同じ結果の額を算定、送信して、申告は終わった。テレワークだの何だの言っても、行って現場でやった方が早いということは、ある。

徒労感の埋め合わせに、帰り道にちょっといいランチを食べて帰った。来年は、自宅でやろう。それまでに、OS とブラウザを最新にするぞ、という決意とともに。


2020年3月3日 (火)

■旧姓並記の運転免許証を取得

2019年11月から住民票に、2019年12月から運転免許証に、戸籍上改姓した人が通称姓(旧姓)を並記できるようになった。

これへの賛否はいろいろあって、それぞれ耳を傾けるべき意見の数かずなのではあるが。まあ、せっかく導入された制度なので使ってみるか、ということで、運転免許証の旧姓記載手続きを行ってみた。

なお、あまり普段公言してはいないが、私自身、婚姻に伴って戸籍上の姓が変わった者である(つまり改姓した少数派の既婚男性)。仕事と社会生活においては、通称姓を使っている。私の主張は、「両姓併用の自由を」。場面に応じてどちらの姓を使うかを、自分で決める権利を要求するという立場を採っている。当然、組織や周囲から戸籍姓の使用を強要されることには反発し、通称姓の使用拡大を徹底して要求する。ただし、自分が納得づくで選んでいる場面においては、戸籍姓の方を使うことがあってもよいと考える。徹頭徹尾夫婦別姓を望む立場とは、一部共通する部分もあるが、若干異なっている。戸籍上改姓することを選んだ既婚者として、場面によって姓を使い分ける生き方をしている。

そういう現実的な立場において、この公文書における旧姓並記の範囲拡大政策は、やはり歓迎すべきものであった。これまで、両姓並記できる公文書と言えば、パスポートくらいしかなかった(それも、海外での活動を証明した上での審査付き)。また、職場の職員証(通称姓で作成)も使えるが、本人証明としての効力が弱い場面があった。「運転免許証を見せてください」と軽く要求される本人確認の場面が多いなか、それに旧姓を並記できるというのは、確かに便利なことである。

この制度が導入されて、約3か月。ようやく役所に行く機会があった。以下は、その実際の手続きの流れの記録。

□区役所に行く

運転免許証に旧姓を並記するためには、両姓並記の住民票を持って警察署に行く必要があるということは、事前に調べて知っていた。区役所に行って、「住民票を両姓並記で発行してください」と言えば、簡単にもらえるものだと思っていた。しかし、そうではなかった。まずは、「住民票に旧姓を記載することを申請する」手続きが必要であり、そのための証拠として、最初に戸籍謄本を取らねばならなかった。

(1) 旧姓証明のための戸籍謄本を取得する 450円

同じ役所の中に格納されている情報なのに、なんと面倒な…と思いつつ。まずは戸籍謄本を申請、取得。450円、自己負担。

なお、私はたまたま同一区役所で戸籍謄本が取れたけれども、本籍地が住所地と異なる遠方にある人の場合は、同じ役所の中では取得できず、郵便で戸籍謄本を取り寄せたりしなければならないのだろう。これは、おそらく大変面倒なことである。

もう一点、私の場合は該当しなかったが、現在の住所地で結婚して改姓した人は、この戸籍謄本の取得を省ける可能性がある。住民票だけで両姓の証明ができるかもしれない、というようなことを区役所の職員が言っていた(が、私は該当しないないので有効かどうか定かではない)。

(2) (1) を携えて、住民票に旧姓を記載する手続きをする 無料

次に、取得したばかりの旧姓証明のための戸籍謄本を携えて、別の窓口で、「住民票に旧姓を記載する」ための手続きをした。それのための申請書を、別途1枚書いた。職員の説明として、今後は、住民票を発行するたびに旧姓が常に表示されることになります、表示したりしなかったりをそのつど選ぶことはできませんがいいですね?という説明を受けた。はい、それでいいです、と答えた。この手続きは、無料でできた。提出した戸籍謄本は、返却されなかった。

(3) (2) を終えるとともに、旧姓が記載された住民票を取得する 300円

住民票の記載事項変更(旧姓の記載)とあわせて、旧姓が表示された新しい住民票を1枚取得する申請をした。手数料、300円。

おそらく、修正のために時間がかかるのであろう、通常よりも長い時間待たされて、1通の住民票を取得した。戸籍氏名欄の下に、「旧氏 亀井」と1行追加されていた。なるほどね。このわずか4文字を印字するという簡単なことが、これまでは絶対に許容されていなかった。今、確かにはっきりと証明されている。これはこれで、歓迎すべき変化だと私は思う。本人証明の書類なんだから、このくらいデフォルトで載せといてもいいぐらいだ、とも感じられた(もちろん、望まない人には、旧姓を明示しないことを選ぶ権利があっていいとは思うけれど)。

□警察署に移動

(4) (3) を携えて、運転免許証の裏側に旧姓を記載する手続きをする 無料

警察署へ行って、運転免許証の記載事項変更の申請書を書いた。ただし、書類の様式は不親切であった。変更したい事項の選択肢は、住所などのよくある項目であり、「旧姓を記載する」という項目は書類上存在していなかった。余白に大きく「旧姓並記」と勝手に書いて、窓口に持っていった。

受け取った男性職員の対応は穏やかなもので、はいそうですか、と受理された。ただ、その後、異様に長く待たされた。1時間くらいはかかっただろうか。慣れていないのか、たまたま混み合っていたためか。手数料は無料であった。住民票は、返却された。

できあがって、職員に呼び出される。「記載事項変更でお待ちの、亀井さーん!…あ、すいません、○○(戸籍姓)さーん」と、ふたつの名前で呼んだ。いや、そこは別に訂正しなくてもいいんだけどな、と、苦笑しつつ心の中でツッコミを入れる。

裏書きの済んだ免許証を受け取った。裏側の備考欄には、「旧姓を使用した氏名:亀井 伸孝 ○○公委」と記してあった(○○は都道府県名)。

現在有効の運転免許証に追記する手続きの場合は、このように旧姓氏名が裏側の備考欄に記入される。警察署の窓口担当女性職員は、「まだみなさんこういうのよく知らないと思うので、旧姓は裏に書いてあるって説明してくださいね」という補足の助言があった。次に更新する時は、おもて面に「戸籍氏名(通称姓氏名)」と並記され、裏の備考欄に( )並記の意味の説明が載るらしい。

結局、待ち時間は、区役所が1時間くらい、警察署が1時間くらい。計750円の支出と、2時間くらいの時間を費やして、旧姓証明付きの運転免許証を手に入れた。

ふう…これにて終了。返却された旧姓付きの住民票を見直し、また、旧姓が裏書きされた免許証を見て、改めて考える。この1行を表示させるために、どれだけの年月がかかったか。それでも、役所の発行する公文書にこの1行があるのとないのとでは、いろいろな意味で違いがある。

いろんな窓口での、屈辱的な対応を思い出す。郵便局での荷物受け取り、何かの組織に入会する時、その他、申請書に氏名を記入する諸々の事務手続き。いちいち窓口でもめたり、断られたり、氏名表記を変えさせられたりした経験。「正しい名前で書いてください」と言われたり(通称姓の名乗りは「誤り」だとでも言いたげな対応)。目の前でガリガリと線を引いて消去された上に、訂正印を押すよう求められた場面。自分の名乗りの決定権を奪われるというのはこういうことか、という経験の数かず。

そういう煩わしいことどもを、両姓並記の公文書の威力ですべて吹き飛ばすことができる。「交渉しないで済む」「通用するかどうか不安に思わずに済む」「否定された無力感を感じずに済む」というのは、やはり楽なのである。

これで、両姓並記の公文書として、パスポート、住民票、運転免許証を確保した。他にも、医療・保険関係、銀行・カード関係など、両姓並記や通称姓使用をなかなか認めてこなかったいくつかのガンコな業界がある。これらを、次のターゲットにしよう。

今まで、両姓併用で18年近く生きてきて、通称姓の使用をほぼすべての組織と窓口で要求、交渉し、少しずつ実現してきた私は、「どこまでオセロの玉を引っくり返せるか」というゲームのような感覚で、これらのガンコな慣習に挑戦してみたいと思っている。

名乗りの自己決定権を取り戻すために。次の一手を、楽しみに。


2020年3月2日 (月)

■愛知県立大学「グローバル学術交流」のウェブページ開設

先日、学生たちのにぎやかなポスター発表会で閉幕した、今年度の「グローバル学術交流」。

その特設ウェブページを開設しました。こちらです。

「愛知県立大学「グローバル学術交流」」

簡単に言うと、大学に世界的に著名な研究者を招くなど、国際的な学術交流を促進する事業である。それとともに、学部1年次から履修できる教養科目という側面もあわせもつという、わりと難度の高い事業である。難しすぎてもいけない、簡単すぎてもいけない。しかも、その事業が対外的に可視化されているため、いろんな条件を満たす本学の実績とならねばならない。

それを管轄する委員会の副委員長として、同僚たちとグループを組み、現場での切り回しをやってきた。

まず、2018年度に準備して、2019年度に1回目を実施した。すでに当該のページに実施概要が掲載されている

2019年度もその役職に留任して準備し、2020年度に2回目を実施する予定である。もう計画があらかた決まっていて、近々広報を始める予定。

なお、3年目の留任も決まっていて、2020年度に準備し、2021年度に3回目を実施する予定。これはまだまったく決まっておらず、これからテーマから何から決めねばならない。

イベント系を切り回すのは得意だし、これまで、がんばってやってきたので、その成果をまとめておきたい。また、これからも企画が続くので、広報して多くの市民の方がたの来聴も歓迎したい。そういう意図を込めて、昨日思い立ち、特設の事業のまとめページを作ってみたのである。

なお、テーマも人選も、私単独のアイディアではなく、同僚たちといろいろと協議しながら進めてきた。2019年度の事業に関わった教職員で集まって、振り返りの意見交換の集まりをもった。

その中で知ったこととして、私はどうやら、自分の理念や関心を貫くのではなく、柔軟に他の人たちの提案を受け入れるという仕事のしかたをするらしいということを聞かされた。うまく調整できてよかった、という肯定的な評価のニュアンスである。

そうなのか。自分の中から見る自画像は、けっこう好き嫌いが激しかったり、主張を譲らないところは譲らないみたいに、煮ても焼いても食えないガンコなやつなのではないかという印象があったけれども。外から見ると、意外に、持論をあっさりと引っ込め、他人のアイディアを取り入れて、すっくりまとめていくような仕事ぶりであったと言う。

へえ、そうですか。勉強になりました。

同僚に指摘されて知る自画像って、面白いですね。2年目、3年目と、ぼちぼちこんな調子で盛り上げていければと思います。

今日の新型コロナウィルス関係メモ。大学からメールがあり、「卒業式については、規模を縮小して開催する予定です」という学長の方針が示された。これには、本当にホッとした。謝恩会の立食パーティなどはちょっと今はできない時節かもしれないけれど、せめて卒業のはなむけの式典の機会がもててよかった、と思う。


2020年3月1日 (日)

■日本文化人類学会の理事選挙

3月最初にまいこんだお知らせは、開催可否の検討中であった小研究会の「延期」のお知らせであった。これで、今月私が参加を予定していた研究関連行事6件(退職記念のお祝いなども含め)のすべてがなくなった。

ふう…。と深呼吸をしながら、今日もまた、中止と延期に関わる事務を黙々と。自分の行動予定が変わるだけでなく、学会やその他、私が関わっている組織での連絡、決定、広報、予算使途変更、その他あれこれが立て続けにまいこんでいるからである。

日本文化人類学会から届いた郵便を開けた。「第29期代議員(中部地区)に選出されましたので御通知申し上げます」というお知らせ、そして、「第29期理事予備選挙案内」。先日の郵便による代議員選挙投票その開票結果通知を受けて、次のステップ、向こう2年間の理事を選出する手続きである。

今回選ばれた代議員は、全国で57人。うち、22人が理事として選出される。もっとも、これら代議員のうちの9人は、すでに理事を2期4年連続で務めているため、3期連続では担当しないという申し合わせに基づき、次期の理事にはならない。だから、実態としては、48人中の22人。約5割くらいの確率で理事になる。

さらに、中部地区に限って言えば、定数は代議員7人、うち理事3人選出とされている。その代議員のうちの2人は次期は理事にならない人なので、5人中3人が理事になることに。なんと、確率60%。これは、かなり高いと言わざるを得ない。

ちなみに、代議員57人のジェンダー構成比を見てみたところ、女性9人、男性48人であった。次期理事の被選挙人48人で見てみると、女性8人、男性40人である。これは著しい偏りである。女性会員が多いのだから、もっと役員に女性が入っていいはず。全会員による個々人の自由投票の結果とは言え、少し気になる傾向である。

さてと…。投票である。被選挙人48人のうちの22人を選んで、くるくると○を付けていく。

学会の法人化に伴って、今回から制度が変わり、会長(代表理事)も、全会員のなかからではなく、理事22人のなかから選出することとなった。そういうことも想定しつつ、このあたりの人に…と考えながら、いくつかの基準を念頭に投票を済ませる。

この分野の活性化に貢献する、優秀な同業者の方がたの当選をお祈りしています。



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