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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

取材のためのメモ
『手話の世界を訪ねよう』
(岩波ジュニア新書 630)

亀井伸孝
東京: 岩波書店
2009年6月19日

日本語 / English / Français
最終更新: 2009年9月17日

手話の世界を訪ねよう 岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』(亀井伸孝, 2009年) に関連して、いくつかのメディアから取材のご依頼をいただきました。

耳が聞こえる文化人類学者が、どのようなことを考えてこの分野に関わり、なぜこの本を書いたのか。記者の方がたに説明するために作ったメモを、公開します。本の背景などを知っていただく機会になればと思います。

■本書の位置づけ
■執筆した動機、あるいは使命感
■著者である私の立場
■実際に書いてみて感じたこと
■読者へのメッセージ
■そのほか、とくに読んでいただきたいと思う方


岩波ジュニア新書『手話の世界を訪ねよう』(岩波書店, 2009)
著者取材のためのメモ
20090731, 亀井伸孝


■本書の位置づけ

基本的な認識として、聴者がろう者の世界を語り尽くすことはできません。せいぜい、異文化世界の入り口まで、初心者の方をおつれする手伝いができるだろうか、というていどだと考えています。

「ろう者の世界への入り口までのガイドブック」というのが、この本の位置づけです。私は読者のみなさんを入り口まで案内しますので、あとは、各自で実際に手話を話す身近なろう者たちに会いに行ってほしいと思います。この本で、軽い準備体操のようなことをしてから、いざ、現場に行ってみましょうという「フィールドワークのすすめ」です。

文化人類学は、知識だけでなく、むしろ「ものの見方」を提案する学問です。異文化をどのように見つめ、受け止め、自分と異なる人たちの世界をどう学んでいったらいいかということについて、方法や姿勢を具体的に提案しています。


■執筆した動機、あるいは使命感

(1) ろう者がいちいち説明する負担を軽減したい

「差別とは人間の時間と才能の恐ろしい浪費である」中西喜久司(元・日本聴力障害新聞編集長)

この本を著した最大の目的は、聴者に手話とろう者の基本的な知識を提供することで、ろう者がいちいちすべてを一から説明しなければならないという負担を軽減する手伝いをしたいというものです。

「ろう者のことはろう者が最もよく知っているので、ろう者が語るのがよい」というのが基本だと思います。ところが、多くの場合、手話については誤解が横行していて、ふつうの理解以前のごく基本的なことが聴者に共有されていません。「手話は世界共通?」「ジェスチャー?」「ろう者は口話(声で話したり、相手の口の動きを見て読み取ったりすること)がうまい?」など、聴者たちが素朴な誤解や無理解に基づいて、ろう者を質問攻めにします。聞く方に悪意はないと思いますが、そのことでろう者が多大な時間と労力をかけなければならない現実は、フェアではありません。

このような基本的な部分については、「ろう者当事者が説明するのがよい」というきれいな言い方で本人たちに負担を丸投げしてしまうのではなく、社会全体で取り組んでいく必要があるでしょう。とくに、聞こえる人たちが学んだ知識を広く共有し、初学者をろう者の世界の入り口まで案内する役割を負うのがよいのではと考えています。

(理想を言えば、初等教育などで、手話についての概説くらいはしておいてほしいと思います>ジュニア新書で出すことの意義はここにあると思います)

(2) 文化人類学が本気で取り組むべきテーマだと確信した

ろう者の聴力の欠損の面だけを見るのでなく、手話という言語を話し、視覚的な文化を共有する人たちであるという側面に注目が集まっています。「ろう文化」「異文化理解」「文化の差異」などのことばも、議論のなかでよく使われるようになりました。

ただし、では聴者はろう者の文化にどう接したらいいか、どう学びを進めたらいいか、ろう者の現実を文化として見たときに、どのようなメリットがあるか、逆に、文化と言ってしまったときに抜け落ちてしまうことはないのか。そのあたりの議論をきちんと整理する必要がありますが、文化人類学はそのための最適の道具(ツール)をそろえています。

文化人類学は、19世紀に、世界で初めて「文化」を定義した学問です。以降、「未開」「野蛮」と言われていた世界中の社会に飛び込んで理解をしようとし、誤解や偏見を取り除こうとしてきました。ときには自らが誤解を生み出してしまったこともありますが、それについても反省しながら、曲がりなりにも1世紀半の歴史の中で、他者と対等に出会いその姿を紹介しようとしてきた「異文化理解の老舗(しにせ)」です。

ろう者と聴者の間にいま起こっている問題を整理していくと、文化人類学が過去におかしたあやまちや、それを乗り越えるために積み重ねてきた議論が、そのまま使えることに気づきます。まさに異文化理解の具体的な方法が求められている現場が身近にあるのに、異文化理解の老舗がぼんやりと指をくわえて眺めている場合ではない。そう直感し、文化人類学者としての使命感が生まれました。「文化人類学をきちんと使おう、そして、よい関係作りのコツを提案しよう」というのが、この本を書こうと思った背景にあります。


■著者である私の立場

耳が聞こえる研究者である私は、ろう者が今後いっそう活躍の場を広げていく上での「露払い」だ、と自認しています。「下にぃ、下にぃ」と、大名行列の前を歩くわけです。当然、自分が殿様のふりをすることは許されません(後ろから斬られます)。

ただ、重要なことは、ろう者の言いなり、あるいは、ろう者の指示待ちだ、という立場でもないことです。耳が聞こえる私が、その立場でできることは何かを自分で考えて、自発的に行動しています。そのひとつが研究であり、本の執筆でもあります。

ろう者になりかわるのでもなく、すり寄るのでもなく、かといってぼんやり指示を待つのでもない、この「アクティブな外部者であろう」とする私の姿勢ができた原点には、黒人解放運動家マルコムXの思想の影響があると思います。

マルコムXは、黒人に同情して「お手伝いしたい」とやってくる白人たちを拒絶したといいます。善意ですり寄って仲間になれるほど、人種差別の実態は甘くない。そんなことよりも、白人として自分の立場でできることを自分で考えてやってみろ、という意味で突き放したわけです。甘さを排しながら、実は長い目で見たときの一種の共闘を呼びかけているというふうにも理解できます。

ろう者たちが、聴者たちの姿勢に対する厳しいまなざしをもっていること、手話への誤解や否定をしてきた歴史への強い怒りをもっていることを、私は知っています。ですから、すり寄って仲間になるというのではなく、聞こえる研究者として果たせる役割は何か、といつも考えています。その思いが、専門の文化人類学の知識をフルにつかって、聞こえる人たちの誤解を軽減する手伝いをするという本書となりました。


■実際に書いてみて感じたこと

文化人類学が1世紀半かけて編み出した他者理解の作法が、あざやかに使えたので、書いた私が驚いてしまったほどです。「文化人類学、けっこうやるじゃん!」というのが、率直な印象です。1世紀半の異文化との格闘は、理解のためのすぐれた道具を磨いてきたのです。

文化人類学は、植民地主義が世界を覆い尽くしていた時代の、支配する側の学問として成立しましたので、出発点はきわめていびつです。しかし、それではいけないという使命感をもった人たちによって、次第にその立場を変え、描き方も調査の仕方も、調査地の人たちとの関係も変えてきました。この失敗と挫折と復活の歴史のなかで磨かれてきた方法や倫理は、きわめて切れ味のよい理解のための道具として使えます。

本書では、「参与観察」「文化相対主義」「ラポール」など、文化人類学の基本的な用語を、中学生に分かるようにコラムで解説しています。その理由は、古典的なこのような概念こそ、いま、ろう者と聴者のあいだの理解の現場で必要とされているからです。


■読者へのメッセージ

耳が聞こえるみなさん、とりわけ若い読者のみなさん
>身近な異文化に出会うための「入り口」、あるいは『地球の歩き方』のような旅のガイドブックとして使っていただければ。興味を持った方は、本で満足するのではなく、ぜひ自分で手話を体験しに行ってみてほしいと思います。

手話学習中、あるいは手話通訳の活動に取り組むみなさん
>文化の違いに出会ったときに、どう対処したらいいか、私の失敗談などもご参考になればと思います。

ろう者のみなさん
>本書で、ぜひ時間の節約をしていただければと思います。マイノリティが、いつもマジョリティを教育するために説明をし続けねばならない運命を背負うというのは、あまりにフェアではありません。文化人類学の概念も、聴者に対する教育をするうえで、便利に使っていただけることでしょう。


■そのほか、とくに読んでいただきたいと思う方

政治家。手話は言語である、そして法制化によって積極的な権利擁護が求められている言語であるという点を認識し、他国のように手話を公用語に制定する道を検討してほしいと思います。

大学生や研究者。手話は言語で、ろう者には文化がある、ということを、抽象的にではなく、具体的かつ科学的に理解するいとぐちとなれば。みなさんの専攻の学問のなかに、手話という言語を含めていってほしいと思います。

福祉や教育でろう者に関わる方
「支援する/支援される」という関係をいちどカッコに入れて、二つの文化の出会いの場面というところから、支援や教育のあり方を考え直してみませんか。本書で、頭の体操をしていただくことがあればと思います。

以上



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