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発表要旨
最終更新: 2007年3月19日

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関学COEワークショップ「多文化と幸せ」
2007年3月11日

「北ケニア牧畜社会における“他者”との共存の技法: 隣接集団間の関係と移動をめぐる人びとの語りから」
内藤 直樹(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

#民族集団間の関係が錯綜し、集団のアイデンティティも流動的な北ケニアの牧畜社会における、人びとの協同的な行為や関係形成の様態を分析する

キーワード:民族を超える社会関係、生計の維持、相互扶助のネットワーク、社会範疇への帰属の自明性、当事者/文脈中心的な態度、相互行為


■発表の要旨
本発表では、東アフリカの牧畜社会において、人びとが複雑な民族間関係のなかで遊牧的な生活を営むうえで、同じ民族という枠にはおさまらないようなさまざまな社会関係を対象として、1)いかなる局面で、どのような社会関係をいかに運用し、日常的な実践をおこなっているのか、2)そうした実践の積み重ねのなかで、民族を超える社会関係がどのように生成・維持されているのか、3)そのことで民族の境界や民族間の関係がどのように変化しうるのかについて考察する。

具体的には、人びとが民族などの社会集団を超えたさまざまな“他者”と関係を構築し、協同的に生計を維持しようとするやり方=共存の技法について検討する。そして、こうした実践が既存の社会範疇(本発表ではクラン)を改変していく機序を分析し、人びとの日常的な相互行為のレベルから、そうした社会範疇の性質を再考する。

事例として、ケニア北部の乾燥地域に居住するウシ牧畜民サンブルとラクダ牧畜民レンディーレの境界地域に位置するM村の発展過程をとりあげる。サンブルやレンディーレの社会ではおもにサブ・クランが居住や日常的な協業、通過儀礼の開催の単位となっており、集落名にはその居住者が帰属するクラン名が冠せられることが多い。ところがM村はクラン名が冠せられているにもかかわらず、実際にはサンブルやレンディーレのさまざまなクランの出自をもつ移民によって構成されていた。この現象に注目し、本発表では以下の3点についての分析をおこなう。1)サンブルやレンディーレからの移民からなるM村が「ひとつの村」として成立した過程。2)M村が「特定のクランの村」という属性を獲得した過程。3)村民が獲得した新たなクランへの帰属意識の性質。

以下では、この地域を対象とした先行研究にもとづき、本発表の論旨にそくして『“他者”との共存の技法』という概念について整理する。

遊牧という生業の生態・社会・経済学的な成立基盤に焦点をあてた諸研究は、強く乾燥した自然環境のもとで人びとが生計を維持するためには、1)高い移動性の維持、2)牧民の相互扶助のネットワークの構築が重要であると指摘した。

また社会構造に注目した研究では、この地域では分節出自体系と年齢体系が集団の主要な統合原理とされてきた。たとえば分節出自体系は、父系の血縁原理にもとづいて民族‐半族‐クラン‐リネージといった順に階層的に分節化された社会範疇によって構成されているし、年齢体系には、生物学的な年齢や世代間の関係といった生物・社会学的な長幼原理にもとづいて組織される年齢組、世代組、互隔組といった社会範疇が存在し、それらが個人の社会的な位置を特定する。さらに各社会範疇に付随する諸規範は、生活のあらゆる場面における人びとの行為選択の基準となっており、結婚・共住・協業・財の交換・敵対といった行為をめぐる社会関係のあり方を指定する。

これらの研究にもとづけば、人びとが生計を維持していくために依拠するネットワークは、自らが帰属する社会範疇(たとえばクラン)という、自明で閉鎖的な単位にもとづいて構築されるということになる。しかしながらこうした理解は、発表者が調査してきた人びとのさまざまな実践を説明できない。

社会構造のメタ・エスニックな相互関係や民族の歴史的な生成過程に注目した近年の研究は、各民族の年齢体系や分節出自体系は、1)隣接するほかの民族の年齢体系や分節出自体系との関係のうえに成立しており、2)各民族の年齢体系や分節出自体系を構成する社会範疇間には、さまざまな関係の網の目が存在していることを指摘している。

また、社会的な合意形成の過程や相互行為のプロセスに注目した研究は、人びとには以下のような認識論的な特性が存在すると主張している。それは、その場に外在するルールや規範を参照するのではなく、その場における参与者の能力と裁量をもとにした徹底的な参加と協働により、当事者/文脈中心的に「問題」に対処しようとする態度である。

これら近年の研究を参照しつつ、本発表における事例を分析すると、東アフリカ牧畜社会における人びとの社会範疇への帰属の自明性は再検討されなければならない。すなわち、人びとがみずからと他者が何者であるか(たとえばどのクランに帰属しているのか)を同定し、どのような関係を指向してゆくのかは、その場その場の交渉にもとづいて、当事者中心的に構成されると考えられる。すなわち『“他者”との共存の技法』とは、こうした状況のもとで、人びとが個別具体的な交渉にもとづき、民族や集団の枠を超えたさまざまな他者と肯定的な関係を構築し、協同的に生計を維持しようとするやり方にほかならない。


■発表へのコメント
まず、非常に論点にしたいポイントが多いうえに、人類学と社会学の「ディシプリン」の壁も厚く、社会学の立場からのコメンテータとしての力量不足を感じざるを得なかった。これが、雑感である。

ただ、人類学と社会学の「共通言語」はあり得るのではないか、とも感じた。

コメンテータ自身、組織研究を「社会学」的に行っている者であるため、「集合的アイデンティティ」という用語=概念には強く反応した。せざるを得なかった。人類学において、アイデンティティという用語そのものも(内藤報告においてはおおよそクランを念頭に置くものであったと考えられるが)は、未だ痛烈な批判を浴びていない。社会学はアイデンティティならびに集合的アイデンティティという用語=概念に異議を唱える者が少なくない。ポストモダニズムに便乗し、理論的フィールドに冷笑的な意見があるのである。

それに対し、内藤報告はアイデンティティという用語に違和感を覚えつつ、それでもその有意味性を学説史的に踏まえながら、当事者の新たなアイデンティティ獲得のプロセスに着目したものであった。そのため、まだ内藤氏の議論に加わることが出来たのかもしれない。コメンテータとしての私は、決してレトリックではなく「identityではなくidentifying」という概念(用語ではなく)を使用してはどうか、という問いかけを行った。すべて進行中のプロセスとしてとらえることで、より内藤氏の伝えたいことが、鮮明になるように思われたからである。

内藤氏の報告はとりわけ「フィールド」における当事者の「生々しい」日常解釈に加え、その理論化をも行おうとしたものであった、と私は考えている。

社会学(とりわけ私は)、「つい」理論化したくなる。
人類学(とりたてて誰かを指定する知識をもたないが)、「つい」現場の体感を伝えたくなる。

お互いの性(サガ)が直面したかもしれないが、少なくとも私には有益な時空間であった。

このような学際的な折衝・対立・和解…これこそがCOEプログラムに求められるものであり、そのような場を提供していただいた亀井伸孝氏、ならびに参加者の方々に感謝したい。

コメンテータ: 竹中 克久(関西学院大学COE専任研究員)


■セッション司会者によるコメント
※セッション1「共存と寛容の社会調査」(寺尾氏の報告内藤氏の報告を含む)全体に対するコメントです。

「共存」に向けて、ポルトガルで、あるいは北ケニアで、人々がどのような問題に直面し、またそれを乗り越えようと試みているのかが、非常によくわかる発表でした。人々の試行錯誤の先にある「幸福」を理解するためには、その過程を丁寧に追うことが重要であること、またそのさいにフィールドワークという「調べ方」が効果的に貢献できることを改めて認識しました。

これらの研究が、それぞれの問題の解決、あるいは「幸福追求」にどのように関与、あるいは提言していけるのか、今後の展開が楽しみです。

司会: 丸山 淳子(京都大学)


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