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発表要旨
最終更新: 2007年5月15日

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関学COEワークショップ「多文化と幸せ」
2007年3月11日

「感染者と非感染者の幸福な関係?: エチオピアの農村社会に生きるHIV感染者の排除とエンパワーメント」
西 真如(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

#HIV予防のための結婚前検査を推進する住民組織の活動を紹介し、農村社会の健康と、感染者のエンパワーメントという二つの課題の矛盾について考える。

キーワード:HIV/AIDS、結婚前検査、社会的排除、エンパワーメント、住民組織

※本発表を元にしたディスカッション・ペーパーが、関学COE Advanced Social Research Online に掲載されています。全文はこちらからご覧いただけます。


■発表の要旨
エチオピアでは過去1987‐93年にかけて、都市住民のあいだでHIV感染率が急上昇した。また近年では、比較的感染率の低かった農村への拡大も懸念されている。その中で同国の南部諸民族州グラゲ県の農村では、地域社会ぐるみでHIVの結婚前検査を普及させる運動がはじまっている。

グラゲ県の若い男性は、10代で都市に移住して商業活動に従事したのち、故郷の村の女性と結婚するケースが多く、農村へのHIV/AIDSの拡大と、それに伴う貧困世帯の増加が深刻な問題となっている。そこで同県では、伝統社会のリーダーである長老たちが全面的に協力してHIV予防に取り組むという、興味深い試みがおこなわれている。グラゲ県の農村では、婚姻は慣習法にもとづき、長老によって承認されることが重要だと考えられているが、最近では婚姻の条件として、結婚前検査を勧める長老が増えてきた。この手法をさらに徹底するため、結婚するすべての男女に検査を義務づけることを、新たな慣習法として長老たちに認めさせようという動きもある。

この試みは、合理的なHIV感染予防と、地域社会の伝統文化との幸福な結合を示す事例だと見なすこともできよう。しかし同時に、次のような疑問も抱かせる。結婚前検査は、ほんとうにHIV予防の有効な手段なのだろうか。そして、HIV感染者の婚姻を承認しないことは、感染者に対する徹底した社会的排除の引き金にならないだろうか。

実際、グラゲ県の住民の中には、結婚前検査の有効性に疑問を持つ者もいる。婚姻のあとに、夫婦のどちらか(たいていは男性)がHIVに感染する例も少なくないからだ。ただし、有効な検査を導入すれば、すべての問題が解決するというわけでもない。どのような予防策が取られるにせよ、集団からHIVウイルスを隔離しようとする試みは、否応なく感染者の排除を招いてしまうだろう。そこで住民たちは、ウイルスとともに生きる人びとのエンパワーメントという課題に直面する。

グラゲ県では、感染者が自ら住民組織を設立し、社会的排除に対抗する拠点づくりを進めている。他方で非感染者の側からも(HIVへの偏見は相変わらず根深いにせよ)、感染者との連帯を模索する動きがある。本発表では、グラゲ県で生活する感染者と非感染者、それぞれによるイニシアティブの概略を紹介した上で、両者の間に「幸福な」関係が構築される可能性について考えたい。


■発表へのコメント
西氏によれば、拡大しつつある農村でのHIV感染を食い止めるために、そもそも結婚するに際して慣習法に基づき、長老の承認を要するグラゲ県の農村では、多くの長老が結婚を承認する条件としてHIVについての「結婚前検査」を勧め、これを義務づけし自らの文化にしようとする動きさえ出はじめている。しかし、これに対して、果たして結婚前検査に有効性はあるか(結婚後に感染するケースが少なくないという事実)、感染者の婚姻を承認しないことによって、排除の問題が生じないかという疑念が生じている。そこで、感染者らの連帯を高める動き(PLHWA団体の設立)、および感染者との連帯を模索する非感染者との動き(葬儀講)が現れはじめた。

そこで西氏はムフの考え(構成的外部)を引用しつつ、感染者と非感染者との間にあり得る関係として、対立する利害を前提としながらも、互いの存在を否定しないことと、社会の多元性が認識されており、常に境界を再定義する可能性に対して開かれていることが必要とし、こうした関係が構築される兆しがこの農村にあるという。

しかし農村では、長老が結婚に関して社会規範とも言いうるような強い権限をもって、HIVの予防を結婚前検査に依存する仕組みが存在しているとするならば、その一元的に近い予防措置が結果的に排除を伴う物とならざるを得ない。たとえムフのいう社会の多元性が社会的に認識され、常に境界を再定義する可能性に開かれている仕組みについて、葬儀講のような動きに期待するとするのはやはり不十分であろう。そもそもその社会に根ざし存在している(対話的)装置はほかにないか、その社会の文化的、社会的側面に関する検討も必要があると思われる。

・結婚前検査がいつから始まり、その実施効果がどれほど現れているか。(たとえば、スライド5でみた農村部分の増加の停滞との関係?)また、ほかの予防対策は実施、宣伝されているか。あるとすれば、その有効性はどれほどのものか、はたまた、結婚前検査という条件を求めることを通じて一つの社会規範を構築しようとするか。

・同様にHIV感染者問題を抱える地域社会との比較検討を加えることで新たにこの社会に特徴性を浮き彫りにすることができるのではないか。(たとえば、中国四川省の売血によるHIV感染をめぐる取り組み)

西氏自身も発表の冒頭で述べたように、この発表はまだまだ調査途中である。上記の点を明らかにすることが西氏の調査研究の深化のきっかけになれればと、今後の発展に期待したい。

コメンテータ: 林 怡蓉(関西学院大学COE)


■セッション司会者によるコメント
※セッション2「フィールドにおける身体とスティグマ」(有薗氏の報告西氏の報告を含む)全体に対するコメントです。

有薗さんの発表では、ライフヒストリーにおいて、真偽の指標で言えば、「真ではない」とされ、一顧だにされなくなる語りの領域を主題とした。そうした領域は、「にもかかわらず当事者がそのように語る」ことに留まってみると、そこで話者が何を避け、何を実現しようとしているのかを考察する契機となる。このように捉え直すことで、「真でない」語りの領域が、豊かなフィールドとして、捉え直されるのではないかと提言された。

西さんの発表では、感染病を巡る「感染者」側の新たな運動と、「非感染者」側の新たな運動とを、主題とした。こうした領域では、運動側にコミットして論を立てることもできようが、政治哲学者ムフの議論を参照することで、そうした議論の死角も含めて考察を深められる。そこから、感染者と非感染者の運動に対する「排除を覆い隠す言説」を避けながら、フィールドでの諸実践を幸福の社会調査に資する動きとして、捉え得るのではないかと提言された。

いずれの発表にも岩佐将志さん及び林怡蓉さんから応答がなされ、発表者の考察を促す有意義な議論がなされた。

その後司会として考えたのは、「フィールドにおける身体とスティグマ」という主題の下での発表であったが、身体化される病という点で括られた「ハンセン病」と「HIV」も、可視化の違いにより、それがフィールドで社会化され、ひいてはスティグマ化される仕方が異なろう、ということである。

そうした主題の質の違いはあろうが、フィールドでは既に常に「不幸を避け」「幸福を招く」語りと実践が行われているのであり、そこに着目することで、「人類の幸福に資する社会調査」を幸福な仕方で達成しうるのではないかという方向を確認できたのは幸福であった。

司会: 飯嶋 秀治(熊本学園大学)


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