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発表要旨
最終更新: 2007年3月19日

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関学COEワークショップ「多文化と幸せ」
2004年11月8日

「幸せは複数形: 『暴力』の2つの先鋭形態・オーストラリア先住民アランタの喧嘩とイラク戦争」
 飯嶋 秀治 (九州大学大学院)

キーワード:幸せは複数形、物質関連障害、飲酒耽溺、喧嘩、戦争、暴力


■発表の要旨
本発表の使命は、(1) 学問全体における理学と工学の功罪を振り返り、(2) 研究会全体の「多文化と幸せ」の議論に幅と全体像をもたらすため、(3) 発表者のフィールド、アリス・スプリングス/アプマラ・ムバントゥアにおける西アランタの喧嘩を中心的に考察することである。以下、節を改めて各項目について説明したい。

本発表では本格的な応用人類学を立ち上げるという趣旨に共鳴しつつ、その上で研究ステージに乗せておかなければならない議案として、応用学・工学・実学etc.理念で学問が社会に貢献しようとした際に何が生じたのかを、(1) 旧ソビエトにおける五ヵ年計画下での自然科学や、(2) 第二次世界大戦から現在のイラク戦争に至る応用人類学、また (3) 社会科学全体における文化人類学の位置を話題に取り上げた。これらをも研究対象としてこそ、本気での学問の立ち上げが可能になる。

次に、「多文化と幸せ」という研究会全体に幅を持たせるため、「幸」「Happy」「しあわせ」の字源・語源から3点測量をし、多文化から「幸せ」に至る経路は、(1) Happiness的意味での積極的な幸せ像の追求と、(2) 幸的意味での消極的な不幸像の忌避という2つの相補的経路があることをあげ、ここから本発表の対象「アランタの喧嘩」と「イラク戦争」といった「不幸」な事例を取り上げる趣旨とした。

発表者のフィールド、オーストラリア中央砂漠地帯アプマラ・ムバントゥアは、東・中央アランタ民族に世話され/してきた大地であったが、イギリス系オーストラリア人の入植からアリス・スプリングスと命名された。その後、この非先住民は「砂漠を飼い慣らす」諸装置を建設して環境を自明化してきたが、彼らがそうすればするほど、先住民は「都市を飼い慣らす」必要に駆られることになる。そして、両者の交点に成立したのが、周囲の非東・中央アランタの飲酒者を呼び込む「荒野の首都」という現状である。しかし、本発表では、両者から「トラブル・メイカー」扱いされる西アランタの飲酒者が確かに「喧嘩」はしているものの、それは「暴力」とは捉えられていないことを確かめ、彼らの東・中央アランタへの表象も、また非先住民への表象も、実態を捕らえ損なっていることから3者3様の不幸に囚われていることを指摘した。

人が「暴力」を語るとき、そこへの介入は自明視されやすい。しかしその介入がもう一つの「暴力」を生み出さないために、「暴力」露見の構造や「暴力」同定の条件を踏まえた不幸の忌避実践を考察することが「幸せ」に至るもう一つの路となるのである。

■参考文献
ポラニー, マイケル. 1980. 佐藤敬三訳.『暗黙知の次元』紀伊国屋書店.
Price, David. 2000. The AAA and the CIA? In: Anthropology News, November. 13-14.
瀬戸山晃一. 1996.「法介入の正当化諸原理」松村和徳・住吉雅美編『法学最前線』窓社. 59-75.
■参考サイト
Alice Springs Town Council
Central Australian Aboriginal Congress Inc.
David Price
Iraq Body Count


■討論の要旨(●参加者/○発表者)
<何が問題なのか>
●実際、先住民をめぐって何が問題とされているのか。

○二つに分けられる。(1) 実害のあること、たとえば犯罪など。(2) 喧嘩や飲酒など、実害はないが好ましくないと思われる行為。(1) と (2) を行う人々は、実際には重なっていない。(2) の問題にパターナリズムとして介入する論理があり、それに注目して取り上げた。しかし、そこで「暴力」と呼ばれているのが本当に暴力と言えるものなのか、その部分は問われていない。

●前者の問題の実態は?

○たとえば公共物の破壊があるが、しかしそれは、飲酒者として注目されるのとは別の人々によって引き起こされている。また、この都市は、ナイフでの殺傷事件の件数がオーストラリアで一番になっている。しかしここに手を突っ込むと社会問題の調査になってしまい、それには警察記録の閲覧申請等で時間もかかるし、何より研究が先住民研究から外れる可能性も大きいので、今回は諦めた。

●後者の問題のうち、喧嘩の実態は?

○彼らの規範においては、喧嘩は暴力とは見なされていないようだ。私は2~3度喧嘩の介入に成功したことから、喧嘩については現在「介入」のタイミングと技法とを考えている。

●飲酒の実態は?

○事例で取り上げた一家の場合、飲酒はすでに自明化しているので、飲酒との「うまい付き合い方」を考えたほうがいい。こうした一家に対して「根治させよう」などと発想すると、大変なことになるし、逆に諦めもすぐにくる。また、もちろん町の先住民の中にも非飲酒者はいる。非飲酒者の有力者は持ち家に住み、飲酒者を入れないようにしている。またアボリジナル・テリトリーでの生活をしている。

<狩猟採集民と飲酒耽溺>
●なぜ狩猟採集民は飲酒耽溺に陥ることが多いのか。たとえば、狩猟採集民の文化として「あるものは消費してしまう」というパーソナリティがあることが指摘されたりするが。

○狩猟採集民には分解酵素が欠如しているという説明もあるし、伝統的な文化の破壊と関連づける立場もある。ただし、全員がアルコールに走るわけではなく、社会に地位を占めない人が多かったように見える。

●飲むことはあくまで問題か。原因を除去しないといけないか。

○私のフィールドにはすでにDASA(ドラッグとアルコールのサーヴィス・アソシエーション)など、依存からの回復をサポートするサービスが充実してきている。「にも関わらず」飲んでいる人が調査対象なので、私自身は、こうした場合、飲酒は他の病気の例と同様、「うまい付き合い方」を身につけさせた方がいいのではないかと思っている。

●北米先住民の間でも飲酒耽溺の問題があり、「面白くないから飲むんだ」と述べている。飲酒行為だけを取り出して問題視するのではなく、社会的文脈との関わりをふまえる必要がある。

○アランタの調査対象者は「酒は薬だ」とさえ言う者もいた。「飲むと手のふるえが止まるから」と。酒だけを取り出して論じることはできない。

●飲酒者は自分の家族(とくに赤ん坊)の面倒を見ているか。他の民族の調査では、飲酒者は狩りに行かず金も酒に使ってしまい、子どもの世話をしないというケースがあった。非飲酒者との生活との間に溝ができ、互酬のきずなが崩壊することもある。また「ここにいると飲んでしまうから」と酒場のある定住地から離れ、生活場所を移すケースもあった。

○調査対象の中に子連れのケースは見られなかったが、タウンキャンプには赤ん坊がいるケースがあった。確かに、子どもたちの世代の問題は、壮年世代の問題と分けて考えるべきかもしれない。

●飲酒が切る縁もあれば、つなぐ縁もある。飲酒をキーワードとした人類学は可能か。

○飲酒者と非飲酒者の間では「違う人間」とお互いに言い合っている。非飲酒者が飲酒者と生活を共にしたがらないのは事実。飲酒で疎遠になる関係もあれば、他方で「ブラザー」「シスター」と呼んで飲酒で結びつく関係もある。

<リヴァー・キャンパーへのまなざし>
●リヴァー・キャンパー(アリス・スプリング市を流れる川の河床や岩丘部でキャンプしている先住民たち)の論理は。

○「リヴァー・キャンパー」という名前は非先住民が命名したもの。しかし、彼ら自身からすれば、自分たちの聖地にとどまっているという解釈になり、「ドリーミング・プレイス」で起居しているだけだ、ということになる。しかし、その内容は家族にしか伝えられず、それ以外の人に話すと「病気になる」と言われていることから、ますます非先住民には不当キャンプと映るわけだ。

●先住民アランタの中におけるリヴァー・キャンパーへのまなざしはどうか。

○非先住民は、リヴァー・キャンパーを「観光のじゃま」と見て排除したい。一方、東アランタの人たちは、リヴァー・キャンパーたちに伝統的なトーテム信仰に反する行為(生木を折るなど)があることを理由に反感を覚えている。同床異夢でありながら、リヴァー・キャンパーへの否定的なまなざしという点では一致し、ネガティブ・キャンペーンにつながってしまった。

●人類学者のアプローチはどうあるべきか?

○先住民へのアプローチにせよ、飲酒をめぐる問題にせよ、キリスト教ミッションが実践面に深く関与してきており、実践面では人類学者はかなわない。だからこそ、人類学者はそれらの問題をまったく別の視角からとらえる作業にたずさわるべきだ。

<その他コメント>
●大まかに[白人:先住民]という対比の構図があるが、先住民の中にも複数の差異がある。[アランタ:他の先住民][東と中央アランタ:西アランタ][家持ち:リヴァー・キャンパー][非飲酒者:飲酒者][白人コミュニティとの近さ:遠さ]など。それらの関係を整理して理解したい。

●暴力論を今後どう展開させるか。「暴力」概念が文化に依存するということはあるだろうが、一方で、実態として個別に振るわれる暴力は存在する。メディアによる表象の偏りを批判した上で、さらに実態に迫っていく必要があると思う。


■発表者の感想
(1) 発表は手際よく:
どちらも発表者のフィールドで生じている(西)「アランタの喧嘩」と「イラク戦争」(の宇宙基地)が、一方は構造的に露見された「暴力」、他方は意図的に隠蔽された「暴力」、いずれにせよ、人類300万年史の中で生じている「暴力」の先鋭形態である、と言いたかったのですが、そのはるか以前に時間超過してしまいました。申し訳ない。

なお、パワー・ポイントで示唆していた「自信なき構築主義の3つの工夫」とは、「暴力」が相対的な認識の中で生じることに留意し、その「自信なさ」がむしろ人の関係構築をソフトにする強みを活かし、
(1)ピン・ポイントでの介入を洗練化させること、
(2)(暴力が)「ある/なし」とか、(彼らの状態を受容するのか/変えるのかといった)「あれ/これ」ではなく、選択肢の複数化をして、彼ら自身の選択を待つこと、
(3)臨生人類学(生に臨む人類学)という姿勢を保つこと、
の3つでした。

(2) 質問は有難し:
やはり自分が見えている世界がある分、見えてない世界があるものだなぁ、と質問を通じて実感しました。また飲酒を巡り、ピグミーの事例やグイ/ガナの事例が聞けて興味深かったです。いつか逆の形で補えれば幸いです。

(3) 飲酒あれこれ:
質問で、「暴力」よりも「飲酒」への関心が高かったのが興味深かったです。しかし原因探求アプローチは、相手の内的な理由を見出そうとして、なぜ今現在それを維持させている社会関係や、これからの変化の能力の方に目が行かないのか、という気もしました。それはどこか中核国からやってきた人類学者が、潜在的な不安を惹起する見慣れぬ現象を見た際に、あらかじめ方向付けられた原因探しの中で「消極的」で「納得ゆく」物語を求めている姿に似てなくもないのではないか、という懸念もするのですが。あるいは僕が長屋育ちで、家の裏にはいつから酔っ払っているのか分からずにいながらも、仕事だけは一応やれていた大工さんや植木屋さんをよく見ていたためでしょうか?

(4) 道は長く楽し:
どうして狩猟採集民はこんなにも自分たちを元気にしてくれるのだろう? どうして他の人たちにはそれが通じないのだろう? どうすれば皆で笑いあえる時がくるのだろう? と、発表や本研究会の趣旨を超えて、根本的なことを確認できたのが、一番良かったです。(飯嶋)

■討論のための参考文献
田嶌誠一. 2003.「心理援助と心理アセスメントの基本的視点」『臨床心理学』第3巻第4号. 506-517.
當眞千賀子. 2004.「問いに導かれて方法が生まれるとき―形成的フィールドワークという方法」『臨床心理学』第4巻第6号. 771-783.
峰松修. 1996.「学生相談・学生精神保健相談の課題―学生期に適用される“心理臨生”とは」『こころの科学』69号. 14-20.
湯浅修一. 1992.『精神保健シリーズⅦ 精神分裂病』前橋: 群馬県精神保健センター.
■討論のための参考サイト
Alice Springs Sobering-Up Shelter Client Profile
International Study for Biomedical Research on Alcoholism
Alcoholics Anonymous

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