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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

読書日記・映画日記: 2004年

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最終更新: 2007年5月25日

■『早すぎた発見、忘れられし論文』(2004/12/04)
■『アフリカのシュバイツァー』(2004/10/18)
■『ビアフラ』(2004/10/07)
■『カラシニコフ』(2004/10/02)
■『ビアフラ戦争』(2004/09/29)


■悲劇の天才に学ぶ論文の秘訣

大江秀房. 2004.『早すぎた発見、忘れられし論文: 常識を覆す大発見に秘められた真実』東京: 講談社.

科学ジャーナリスト・翻訳家の著者による「早すぎた天才科学者たち」の記録。講談社ブルーバックスに収められており、一般向けの科学啓発を目的として書かれている。

科学的に重大な発見をしたにも関わらず、発表当時はまったく認められていなかった科学者たち10人を取り上げ、全10章でその業績と生涯を豊富なエピソードとともに紹介する。関連コラムや科学技術史の小年表も付けられ、人物と業績について網羅的に学ぶことができる。

本書の面白い点は、革命的な業績がなぜ無視されたのかを、各人について分析していることだ。各章から抜き出して分類してみよう。

(a) 本人の性格の問題 (8)
理論家肌/証拠収集性格なし/社交性なし/友人なし/世間離れ/ヨーロッパ的だった/実利と結びつけない/議論を広げる意志がない
(b) パラダイムとの不一致 (6)
実験的手法が認められにくかった/当時の生物学にしては数量的だった/定説との不一致/大御所との対立/多くの科学者との不一致/科学界が実用主義的だった
(c) 論文の内容に関する問題 (3)
論理的で難解/用語の問題/直感的で抽象的
(d) 本人が無名だったこと (3)
著者が無名/アマチュアは無視された/学術団体との接触なし
(e) 出身国と言語 (2)
弱小国家出身/言語の壁
(f) 発表の媒体 (2)
雑誌が無名だった/地域限定の雑誌だった
(g) 周囲の支持者 (2)
大学の不適切な評価体制/同僚の無理解
(h) 業績不足 (1)
著書がなく論文も少なかった

もっとも多い理由が「本人の性格の問題」というのが妙におかしい。私たちはここから、無視されない論文を書く秘訣を学ぶことができるだろう。「社交的な性格をもって、時代のパラダイムに即した研究をし、それを具体的に示し、有名人になって、言語の壁を超え、著名な雑誌に掲載され、理解ある同僚に恵まれ、論文をたくさん書けばよい」のである(そらまあ、成功しますわな)。

著者は、逆境の中の不屈の闘いというものを描きたかったようである。確かに、メンデルはダーウィンに論文を謹呈したが無視されたとか、アーベルの投稿論文はゴミ箱に捨てられたとか、アカハラまがいのできごとが続出し、部分的にはそれを描き出すことに成功している。

しかし、個々の強烈なキャラは、どうもそのような物語には収まりがたいものがある。名声をまったく求めなかったマイペースの人(キャベンディッシュ)もいれば、若気の至りのまま革命と決闘に突き進んで世を去った、ある意味での幸福者(ガロア)もいる。どうも、現実は不屈ドラマの枠組みよりもずっと面白いものであるらしい。無理に一つの物語にまとめる必要もなかったのではないか。

それにしても、ジャーナリストだけあって、話題の豊富さには脱帽した。数学的データを盛り込んだメンデルの遺伝の論文が、著述を中心としていた当時の生物学界で異端だった、という指摘などは、科学の変わりざまを物語っていておもしろい。人文社会科学だって100年後にはどうなっているか分からないな。そういう想像力を刺激するエピソードを、ふんだんに楽しむことができた。(2004年12月4日)

追記: 本書は著作権法上の問題があるとの理由から絶版となった。内容は面白く読めただけに、フェアな方法で書かれていなかったのが事実だとすれば、非常に残念。(2006年3月10日)


■アフリカに来た意固地な白人

寺村輝夫. 1978.『アフリカのシュバイツァー』 東京: 童心社.

『ぼくは王さま』のシリーズで知られる児童文学作家、寺村輝夫によるシュバイツァーの伝記。あまたある偉人伝には描かれない彼の負の側面、とりわけ人種差別的な側面に光を当てた「もうひとつのシュバイツァー伝」である。

シュバイツァー博士は神学教授としての地位と名誉を捨ててアフリカへ赴き、恵まれない黒人のために病院を建て、生命への畏敬と平和の思想を説き、ついにノーベル平和賞に輝いた…。このおなじみのストーリーには決して描かれてこなかった、彼の実像を暴き出す。

本書は、ケニアの青年が「シュバイツァーは植民地主義の手先だ!」と叫んだというエピソードから始まる。アフリカ現地からの眼差しでシュバイツァーの生涯をたどり、彼の人種差別的な側面や、アフリカの文化よりも自分の神学上の主義を優先する性癖などを明らかにする。後半では、大西洋奴隷貿易とアフリカ分割・植民地支配の歴史にも多くのページを割き、シュバイツァーの位置と時代背景をくわしく紹介している。

シュバイツァーは、自分の神学上の主義を実践するためにアフリカの人々を利用した。著者の主張をまとめると、こうなるだろう。たとえば、近代化に背を向ける思想ゆえに、あえて病院の電化を拒み、新しい医療技術を導入しなかった。また、アフリカ人に高等教育はいらないと公言し、アフリカ人医師の後継者を一人も育てなかった。彼は自らがイエスの存在と並びうると信じ、あえて白人工業国の対極にあるアフリカ熱帯林に入り込んで、自分の主義に添った「シュバイツァー植民地」を作り上げた。結局、彼はヨーロッパから得た善意の資金を使って熱帯林の中に神学的ユートピアを作ろうとした、一人の意固地な白人であった。先進国での知名度とは裏腹に、アフリカの人々に支持されなかった姿は、悲しいほどにこっけいである。

本書の注目すべき点は、前史として5世紀にわたるアフリカ史が丁寧に描かれていることである。このことで、シュバイツァーが突出した悪人なのではなく、その時代のフツーの白人の一人にすぎなかった様子が見えてくる。伝記がこぞって「密林の聖者」と称え続けていることに強い疑問を呈しつつ、単に個人バッシングでなく歴史観の転換までも見すえようとする著者の熱意と底力を見ることができる。

もし幼いころにこの本に出会っていたら、もっと早くアフリカ研究への道を志したかもしれない。アフリカの人々の立場に共感を寄せつつ、白人の負の歴史を平易な文章で記した児童書は、他に例がないだろう。絶版になってしまったのが実におしまれる。

もっとも、ときどき勇み足で「シュバイツァー叩き」に走ってしまいがちな文体や、独自取材が少ない点などが物足りなさとして残った。せめてランバレネの病院現地まで足を運び、その実状を描いてほしかった。この点は、シュバイツァー研究の進展とともに、今後の歴史家、伝記作家にも期待したいところである。(2004年10月18日)


■戦線包囲網の中の民族誌

伊藤正孝. 1984.『ビアフラ: 飢餓で亡んだ国』東京: 講談社.

朝日新聞記者による、ナイジェリア東部の分離独立地域「ビアフラ共和国」のルポルタージュ。『ビアフラ潜入記』(朝日新聞社、1970) に一章を加えて文庫版としたもの。

著者はビアフラ戦争(1967-70)を目撃したただ一人の日本人新聞記者である。本書の第一部は現地ルポで、著者が崩壊寸前のビアフラ共和国に入国してから脱出するまでの約2週間の滞在と経験を時系列に沿って紹介する。第二部は帰国後の分析で、虐殺と内戦に至った背景に焦点を当て、ビアフラを世界史の中に位置づける。第三部は、文庫版のために14年後に加えられた部分で、その後のビアフラとアフリカ諸国の苦悩を短くまとめる。

本書は、戦争や飢餓についての事件報道というより、むしろ崩壊へと向かう一つの共同体を克明に描いた一種の民族誌である。実際、現地ルポの大部分は、戦況や政局ではなく、ビアフラの民衆の暮らしと思いそのものに割かれている。東ナイジェリアの誇り高き民族イボ人の社会が、飢餓と戦病死でその姿を次第に変えていく様がまざまざと描かれ、戦争報道にまさるともおとらぬ迫力をともなった作品となっている。

また、この内戦が実は「密林の中のアウシュビッツ」の側面を持っていたことも論じる。ビアフラを建国したイボ人が勤勉で先取的な民族であったこと、またかつて奴隷貿易にも加担していたことを指摘する。アフリカ社会の中で卓越して優秀な少数者であったイボ人が排除されるプロセスを、ヨーロッパでのユダヤ人迫害の歴史などとも対比させつつ論じた視点は、社会研究としても興味深かった。

戦線包囲網という極限状態の中で記された緊迫感あふれる民族誌は、人類学が見習いたいと思うほどの迫力に満ちている。ただし、本書では民族や民族性を固定的にとらえる傾向があり、「主役イボ人」「敵役ハウサ人」という固定観念を越える洞察がほしかった。また、多民族アフリカには地方分権が適していると論じ、手本としてユーゴスラビアを挙げているが、後のユーゴの惨状を知る私たちにとっては読むのがつらいくだりである。ルポルタージュや論文が未来を語ろうとするときの、希望と危うさの両面を思い知らされる本でもあった。(2004年10月7日)


■少量破壊兵器の脅威

松本仁一. 2004.『カラシニコフ』東京: 朝日新聞社.

朝日新聞編集委員で、アフリカ取材経験の豊富な著者による、アフリカの紛争と銃犯罪をめぐるルポルタージュ。同名の連載記事(『朝日新聞』2004年1-3月)が単行本化されたもの。

本書を貫くテーマは、カラシニコフ自動小銃。ソ連製で操作や手入れがたやすいこの小銃は、アフリカの植民地解放闘争の主力となったが、同時に各地で泥沼の内戦と銃犯罪を引き起こす元凶ともなった。シエラレオネの元少女兵、銃の発明者カラシニコフ氏、英小説家フォーサイス氏へのインタビューを中心に、ソマリア、ソマリランド、南ア、ナイジェリア、チャドでの取材を交えて構成。銃の拡散と「失敗国家」の惨状を描き、アフリカと先進国が今後取るべき道筋を論じる。

本書は、シエラレオネの元少女兵の衝撃的な回想から始まる。彼女は11歳の通学途中にゲリラ部隊に誘拐され、6年間に渡ってカラシニコフを抱えながら、壮絶な戦闘と暴力の日々を送らされた。この体験を直視したことで、十分にすぐれたルポルタージュとなっている。また、シエラレオネとソマリアの事例を詳述し、治安と教育に責任をまっとうしない国家のあり方を批判する。さらに、アフリカの資源に目を付ける多国籍資本や傭兵の暗躍にも分析のメスを入れていく。「兵士と教師の給料がきちんと払えているかどうか」、それができない「失敗国家」はわずかな数のカラシニコフで転覆され、悲劇は繰り返される。著者の論旨は明快であり、長期の取材と鮮烈な事例の数々がその主張を裏付けている。

大量破壊兵器が注目されがちな今日、カラシニコフという旧世代の「少量破壊兵器」がアフリカに拡散し、多くの人々の生命と財産と幸福を奪っている。この注目されにくい「もうひとつの国際政治」を描いたことが、本書の最大の貢献だろう。ただ、ソマリアのような政治経済が破綻した小国の紛争と、南アのような経済大国の銃犯罪を並べて扱うのは、やや難を感じた。また「いい事例」と「悪い事例」の対比があからさますぎるため、もう少し冷静な分析を読みたいと感じた。武器は善悪二元論で語れないからこそ、人類は今も悩み続けているのだ。(2004年10月2日)


■アフリカの内戦に見るグローバルな問題群

室井義雄. 2003.『ビアフラ戦争: 叢林に消えた共和国』東京: 山川出版社.

ナイジェリア研究にたずさわる経済学者・経済史家による、ビアフラ戦争の記録。文章は平易で読みやすい。

ビアフラ戦争は、1967年のナイジェリア東部州の分離独立宣言をきっかけとして起こった内戦である。二年半で200万人もの死者を出すという凄惨な戦争であった。本書では、まずナイジェリアの地域特性と、遠因としてのイギリス植民地支配の矛盾から書き起こす。主要部は、ビアフラ共和国の独立宣言から内戦の終結までの克明な戦況記録。そのほか、飢餓の実態、白人武器商人や傭兵の暗躍、大国の介入などにページを割き、この戦争を多面的に描いている。

本書の価値は二点指摘できる。まず「アフリカの一角で起こった戦争」の克明な記録を行ったこと。百科事典の項目にはとうてい収まらない泥沼の戦争の全容を、ナイジェリアの骨太の歴史とともに描き出した。二点目は「アフリカの一角の戦争」では済まされない諸問題をえぐり出したこと。国民国家と民族の矛盾、植民地遺制、戦争ビジネス、人道援助が悲劇を拡大した皮肉、アフリカ近隣諸国の葛藤など、今日の報道として見ても違和感のない、リアルな問題群を見ることができる。

ビアフラ戦争が勃発した1960年代。同時代のベトナム戦争は「米ソの代理戦争」という国際政治の先鋭的な表現形態であったがゆえに、国際的に注目を集めもした。しかし、ナイジェリアは「英仏のアフリカ戦略の衝突」という、19世紀の遺物ともいうべき西欧の覇権主義の下に置かれ続けた。ここではソ連はイギリスと共闘するかたちで介入し、冷戦というパラダイムすら適用されなかった。ビアフラの民衆の惨状は「飢えるアフリカ」として描かれた。この違いは、いったい何なのだろう。

本書は、そのような論説に多くのページを割いていない。一内戦に関する厚い記録そのものが、アフリカ社会の存在感と、国際政治における扱われ方のギャップを、静かに物語っているように思われた。

読後に気になったのは、同時代のビアフラというテーマである。今日のナイジェリア民衆における「ビアフラの記憶」を描くなど、同時代と関連づけるような論考があればと感じさせられた。(2004年9月29日)

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