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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

読書日記・映画日記: 2006年

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最終更新: 2007年5月25日

■『反戦軍事学』(2006/12/23)
■『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』(2006/07/10)
■『企画書は1行』(2006/07/03)
■『近代日本の海外学術調査』(2006/06/11)
■『「あたりまえ」を疑う社会学』(2006/05/16)
■『自分で調べる技術』(2006/05/14)
■『日本共産党』(2006/05/07)
■『絵はがきにされた少年』(2006/05/06)
■『黒いスイス』(2006/04/28)
■『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか』(2006/02/13)


■論理的に戦争に反対しよう

林信吾. 2006.『反戦軍事学』東京: 朝日新聞社.

作家・ジャーナリストである著者による、反戦のための軍事学入門。軍の制度、歴史、装備などの入門的知識を紹介するとともに、流行する戦争論や核武装論を取り上げて批判し、非戦の国際社会をつくるための提言をする。◆著者は非武装論者ではなく、護憲論者でもない。武装も改憲も肯定しつつ、あくまで戦争をさせないために日本政府が独自の外交戦略をとることを提唱する。逆に、戦略もないまま外圧でなしくずし的に改憲と集団的自衛権行使に踏み切れば、日本の若者は米軍の「弾よけ」にさせられるだけだと説く。◆読者への一貫したメッセージは「戦争に反対する人ほど軍事を学べ」というものだ。本書は「知識を蓄え、情緒的でなく論理的に、戦争に反対しようではないか」と結ばれる。「改憲/護憲」という思考の55年体制をこえ、あまたの好戦論に斬り込んでいく挑発的な反戦の書。(2006年12月23日)


■アメリカがわからなくなるコラム

近藤康太郎. 2004.『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』東京: 講談社.

朝日新聞ニューヨーク特派員によるコラム集。ただし、いずれも紙面にはのらなかった「ボツの特派員メモ」を集めたものである。全50編のコラムでは、アメリカ人の慣習や町の風景、スポーツ、音楽、911テロ、イラク攻撃まで、短い文章でアメリカ社会の文化と心性に迫る。

描かれているのは「明るく陽気なアメリカ」でも「強く傲慢なアメリカ」でもない。しいていえば雑多なネタのおもちゃ箱で、読んでいるとアメリカが分からなくなる。共通しているのは、ネタはどれも鮮烈で、アメリカ社会に切り込む鋭さがあること。

たとえばイラク反戦派の中には、徴兵制の復活を唱える意見があるという。軍隊が黒人などマイノリティにとっての就職先となっている今、マジョリティはひとごとのように戦争を支持している。もし全員に兵役義務があれば、戦争を正しく認識するだろうと。ふだんの記事や論説ではなかなか見えない、この社会の闇をのぞかせるような話題を集めている。

著者は、アメリカ理解のコツは「あまり強く握りしめないこと」だという。ニュースや時局をそのまま追いかけるのではなく、日常のしぐさやものの言い方に目をむけると、変わらない何かが見えてくる。本書はタイトルの印象に反して、アメリカ人が「アホ・マヌケ」だと論じているのではない。愛憎混じり合いつつも、アメリカにはまり込んでしまった著者の温かいまなざしがうかがえる。(2006年7月10日)


■ひらめきを一行で

野地秩嘉. 2006.『企画書は1行』東京: 光文社.

ノンフィクション作家による、企画のプロの列伝。『日経PC21』連載記事を新書にまとめたもので、トヨタの社長からたこ焼き屋の大将まで18人の成功例をとりあげ、企画の秘訣を探る。

多くの人が共通して挙げるのは、「重要なことは短く書け」というもの。一行とは、内容をまとめてできるものではなく、自分の頭に浮かんだ映像をことばにすること。そのことばで相手の頭の中に同じ映像を映すことができれば、企画は結実すると著者はまとめる。

この本は、「商品」を「論文」に、「お客さま」を「読者」に、「取引先」を「出版社」に、「経営者」を「文部科学省/研究助成団体」に読み替えると、そのまま大学研究者にとってのマニュアルとなるだろう。とりわけ、これから研究計画書の書き方を学ぶ若手研究者には、本書は益があると思う。

「○国の△民族の□文化については研究が少ない」。先行研究が少ないことだけを存在理由とするような、言いわけの多い計画書はさえない。逆に、冒頭の一行で新しい世界を予感させるようなキレのある計画書は、人々の目をひきつけるだろう。

自分のために何百枚も企画書を書いてファイルする缶チューハイの開発者。就寝前に新メニューのアイディアの絵を描くフレンチのシェフ。本書では、それぞれのこだわりの方法で頭の中のひらめきを表現するプロたちの仕事術に出会うことができる。そこから大学人が学ぶことは多いに違いない。(2006年7月3日)


■植民地調査の誘惑と罠

山路勝彦. 2006.『近代日本の海外学術調査』東京: 山川出版社.

関西学院大教授で文化人類学者の著者による、日本の人類学と植民地主義の関わりを明らかにする本。江戸末期の蝦夷地・樺太探検から、台湾、朝鮮、ミクロネシア、満州を含む中国大陸の探検まで、この分野の通史を学ぶことができる。人類学の創成期を担った著名な学者たちが続々と登場する本書は、植民地主義との関わりから見た「もうひとつの人類学者列伝」である。

植民地主義と人類学者の関係は、それこそ一様ではない。植民地が増えれば調査ができると単に喜んでいた人(鳥居龍蔵)、研究とは無関係に大東亜共栄圏のデマゴーグになっていった人(古野清人)、台湾総督府の皇民化政策に抵抗して寺廟存続運動をした人(宮本延人)、大いに活躍する間もなく終戦を迎えた人(今西錦司)などなど。しかし、個々の思いとは別に、学界として植民地主義と密接な関係を続けていたことは明らかである。

本書は、人類学史を正当化するのでもなければ、一律に断罪するのでもない。個々の研究者の言動を記しながら、「調査可能な地域が転がり込んできた」ことを喜んだり、国策に便乗して学問的な好奇心や野心を満たしたりする研究者たちの心性に迫ろうとする。植民地がロマンとともに語られていた時代の誘惑と罠とが、今の私たちにも切実に感じられる。

今日、社会調査やフィールドワークが、政策などの実践領域に寄与することが期待され、また人類学界も自らそれを目指そうとしている。この時代に、この「大いなる前例」は繰り返し学ばれる必要があるだろう。だれのための調査か。調査者はどこにいて、どこへ向かおうとするのか。他人事ではないのである。(2006年6月11日)


■根源的なハウツー本

好井裕明. 2006.『「あたりまえ」を疑う社会学: 質的調査のセンス』東京: 光文社.

筑波大学教授で社会学者である著者による、社会学のすすめ。質的調査の「リサーチ・マインド」をコンパクトに伝える本である。

各章では「はいりこむ」「あるものになる」「聞き取る」「語りだす」などのテーマを設定し、それぞれの方法の魅力や課題を描き出す。章立てはおおよそ調査の手順に沿っており、読者はあたかも現場に入り、問題に直面しながら作業を進めていくかのような体験を味わう。

本書の魅力の一つは、エスノグラフィーについてのすぐれたブックガイドであること。各章のテーマに合ったエスノグラフィーが次々と紹介され、いきいきとした記述が引用される。引用元の本も読んでみたいと思わせる効果的なガイドだ。また、著者自身の調査体験の想い出話も生々しく、読者をひきつける。

著者は本書について、書店の棚を占めるハウツー本とは違い、常識に絡めとられている私たちを解放しようとする辛気くさいものだと言う。しかし、本書はかなり実用性の高い本なのでは、と私は見ている。たとえば、教育、福祉、医療、開発など、対人的な支援業務につくことを目指すすべての学生に、これを読んでもらったらどうだろう。「支援対象」というカテゴリーを一度こわし、他者の話を現場で聞いて考える姿勢を養うことができるのではなかろうか。

著者の控えめなことばに反して、これは根源的に人間観をゆさぶるハウツー本なのである。(2006年5月16日)


■おそるべき啓発の書

宮内泰介. 2004.『自分で調べる技術: 市民のための調査入門』東京: 岩波書店.

北海道大学助教授で、環境社会学を専門とする著者による、調査法マニュアル。資料の探し方、図書館の使い方、フィールドワークでの質問や記録の方法などを具体的に指南する、啓発的な本である。

しかし、一読してすぐに分かるのは、著者が一貫した哲学のもとにこの本を書いていることだ。それは「研究の民主化」とでも言うべき独自の思想である。

「マスコミが伝えてくれなかった」と私たちは言いがちです。(…)
しかし、これは、これからの時代、言ってはならない禁句ではないかと思うのです。
冒頭から、このような挑発をもって読者を誘い込む。調査を専門家にまかせてはならない、市民一人一人が自ら調査する力を身につけようと説く。

これは二つの意味でおそるべき構想だ。一つは、調査のプロにとっての脅威。権威にたよってだらしない調査をくり返していたら、調査力を身につけた市民にあっという間にクビにされてしまうだろう。もう一つは、権力にとっての脅威。市民が調べ始めたら、「議会さえ通せばいい」というような姑息なやり方はできなくなる。本書では、役所の職員が情報提供に協力的でないときは、正当に怒ることを勧めている。隠すことのできない権力は、透明にならざるをえないだろう。

本書は「調査という道具をもっと使って少しでも世の中を変えよう」という結語で終わる。啓発にありがちな一方通行のいやらしさを感じさせず、新しい時代の到来を予感させる、スリリングな教科書だ。(2006年5月14日)


■共産党もふつうの会社?

筆坂秀世. 2006.『日本共産党』東京: 新潮社.

セクハラ問題を起こして離党した元政策委員長による党の内幕本。ふだん表には出ない党本部や組織の実態を、実名入りで多面的に記す。

理想と現実のずれには確かに読ませるものがあるけれど、どこの組織でも抱えているような問題にも見えるし、あー共産党もふつうの会社なのかなという感じで読み流すことができる。また、(賛否はおいといて)秘書と議員の力関係や、独特の意思決定プロセスなどのくだりは、組織マネジメントの事例として読むこともできるだろう。

いろいろな欠点を指摘するのはよいが、大幹部だったあなたがどうして改革しなかったの?という疑問は最後までつきまとった。(2006年5月7日)


■年寄りのつぶやきに浮かぶアフリカの静けさ

藤原章生. 2005.『絵はがきにされた少年』東京: 集英社.

毎日新聞元アフリカ特派員による、アフリカをテーマとしたエッセイ集。開高健ノンフィクション賞受賞作。植民地、差別、内戦、貧困といった大きな物語を好みがちな新聞紙面には載りにくいエピソードを11編集めて構成している。舞台は勤務地の南アフリカを中心に、レソト、スワジランド、アンゴラ、ギニアビサウ、ルワンダ、タンザニア、ザンビアの各国におよび、多くのエッセイは直接取材にもとづいて書かれている。

登場人物の多くは年寄りだ。ある老人は、低賃金の鉱山労働で搾取されたことを怒るのかと思いきや、責任ある仕事をまかされたことを誇りに思っている。少年時代、イギリス人に写真を撮られて絵はがきにされた老人は、昔の自分の姿を今にとどめるその絵はがきを宝物として大切にしている。植民地支配やアパルトヘイト、独立後の混乱を体験しながらも、「被害者の黒人/加害者の白人」というような図式には収まらないつぶやきのような語りが続く。いずれも、忙しいニュース報道にはなじまないが、消し去ることのできない現実にちがいない。

本書を、物語を求めがちなマスメディアへの批判ととらえることもできるだろう。しかし、著者の力点は、現地の人々のつぶやきを通して、アフリカの静かな暮らしぶりとその中でのたゆまぬ幸福追求の姿を描くことにあるようだ。

「殺し合い。それは風のようにやってくる」とルワンダの一人暮らしの古老がつぶやく。報道されるのは虐殺事件だけだが、それを取り巻く長い長いアフリカの時間がある。そのアフリカの静けさが、痛いほど感じられる。(2006年5月6日)


■「白いスイス」と根は同じ

福原直樹. 2004.『黒いスイス』東京: 新潮社.

毎日新聞元ジュネーブ特派員による、スイス現代史の暗部を暴露する本。ユダヤ人排斥、核武装計画、監視社会、マネーロンダリングなど、「美しき民主主義の国」のイメージにそぐわない実態を、独自取材もおりまぜて明らかにする。

どれも日本では報道されない側面であることには違いなく、その実態には少なからず驚かされる。ただしよく読んでみれば「永世中立の国を防衛するために核武装が必要」「住民自治を尊重するために人種差別的な投票結果にも従う」「銀行が顧客情報を守るので脱税者が集まる」など、一般によいとされるスイスの特徴と根っこがつながっていることが分かる。

理想の国の暴露を読んで笑うのではなく、理想実践のパイオニアの苦悩と見ることもできるかもしれない。地上にユートピアはないだろうが、実践の功罪から学ぶことはできるのである。(2006年4月28日)


■人間の想像力の尻ぬぐい

武村政春. 2005.『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか: 遊ぶ生物学への招待』東京: 新潮社.

現職の生物学者による、妖怪の生物学図説。ろくろ首、人魚、ケンタウルスなど、外見はおなじみだが内部の構造までは想像がいたらなかった架空生物16種について、解剖学的記載と仮説検証を行う。

たとえば、人魚の上半身と下半身は実は90度ねじれている、というような指摘は、確かにその通りで、こうした身体の構造がどうやって一つの受精卵から生まれうるのかというのは、きわめてスリリングな問題である。指摘されるまで気がつかなかったこのような問題を発見して説明しようとする本書は、科学者として見習うべきところが多い(ちなみに、人魚の発生過程のスケッチは本書の中で一番かわいいと思う)。

人間の想像力は、いろんな生物を好き勝手つなげ、奇怪な動植物をつくり出してきた。それはそれで面白いが、つくるだけつくって説明責任を果たしてこなかった面がある。プロの生物学者として、人間のわがままな想像力の「尻ぬぐい」を買って出た勇気に、敬意を表したい。

自然人類学をかじった者としては、進化論の観点からの仮説をもう少し読みたかった。大脳と手を持ち二足歩行するヒトに似た妖怪たちは、いったいどんな生態学的条件のもとに生まれたのか。第二作を待ちたい。(2006年2月13日)

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