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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

読書日記・映画日記: 2008年

日本語 / English / Français
最終更新: 2010年1月5日

■『世界の言語入門』(2008/12/15)
■『アフリカ・レポート: 壊れる国、生きる人々』(2008/11/12)
■『日本語課外講座: 名門校に席をおくな!』(2008/06/08)
■『ポストコロニアリズム』(2008/05/01)
■『系統樹思考の世界: すべてはツリーとともに』(2008/04/25)
■『アフリカのいまを知ろう』(2008/03/29)
■『これからホームページをつくる研究者のために』(2008/01/04)


■言語好きの言語遍歴に付き合う
黒田龍之助. 2008.『世界の言語入門』東京: 講談社.

自称「フリーランス語学教師」である言語学者による、90種類の言語をめぐるエッセイ集。「アイスランド語」から「ロシア語」まで、五十音順に世界の諸言語をとりあげ、自身の学習歴や旅先でのエピソードなどをまじえて、それぞれのことばへの思いをつづる。

本書の性格上、小事典のような体系的な知識を得ることは期待できない。むしろ、本書の主題は、世界中の言語に食指を伸ばしてきた「わたし」そのものであろう。言語好きの言語遍歴に付き合い、世界の文化の多様性を愛してやまない生き方を間近に見て、触発を受けるという楽しみ方ができる。

ひとつ残念なのは、これほど博識な著者が、世界の多様な手話言語をひとつも含めていないことである。多様性を愛し、少数言語にこそ敬意を払おうとする趣旨の本であるだけに、この欠落はいっそう際立って見えてならない。(2008/12/15)


■アフリカ諸国に対する辛口の助言
松本仁一. 2008.『アフリカ・レポート: 壊れる国、生きる人々』東京: 岩波書店.

『カラシニコフ』シリーズなどで知られる、元朝日新聞中東アフリカ総局長、編集委員の著者による、アフリカの現状を伝える本。おもにアフリカ諸国の政権の腐敗、失政ぶりをとりあげ、資源が豊かなはずのアフリカで民衆を苦しめている元凶は何かを探る。2006年以降の新聞連載記事やコラムをもとに、1冊の新書として編まれたものである。

本書のおもな6章は、大きくふたつの部分に分けることができる。1-4章は「壊れる国」を例示する。ジンバブエでは、長期腐敗政権が不正選挙と暴力でその座を維持し、経済を破綻させた。南アフリカでは、かつて人種差別撤廃のために闘ったANCが汚職政治家を出し、また治安の悪化を招いてしまった。国づくりに真剣に取り組まないアフリカ諸国に対して中国が影響力を強め、人々は生きるために国外へと逃げ出さざるをえない。歌舞伎町で詐欺容疑で逮捕されたナイジェリア人男性の背景にも、本国での「押し出し圧」(国を出ていかざるをえない要因)があることを指摘している。

これに対し、5-6章では「生きる人々」の姿を描く。各地のNGOや民間企業が、政府や政策に期待せずに自律的な活動をくり広げ、治安維持、教育、産業振興、灌漑農業普及などに取り組んでいる事例を紹介する。そして、かつて期待が寄せられたものの失政へとつながった「国の独立」から、「人々の自立」へと希望を託し直して結語とする。

本書は一貫して、アフリカ諸国の政府の責任を強調する。アフリカの諸問題の原因を植民地主義やレイシズムのみに求めるのではなく、むしろ問われるべきは独立後の政府の失態であるとする。このことは一般的にはあまり強調されてこなかった点かもしれず、それを直言する著者の指摘はアフリカに対するもっとも辛口のアドバイスであろう。それは通俗的なアフリカ蔑視とは異なっており、企業やNGOで勤勉に労働する人々の姿を描く部分などに、アフリカの民衆に対する著者の信頼を感じることができる。すべてを国家の頭越しに解決できるのかという部分は検討が必要であろうが、政府指導者層しか見ていない日本政府の外交姿勢などに対するインパクトあるメッセージとなるだろう。

読了後の印象を二点指摘したい。一点目は、前半と後半の筆致があまりに異なることである。権力はとにかく問題の塊であるとされ、民間活動はこれでもかとばかりに賞賛される。実際には、権力の中にも善意で奮闘する人々の希望はあるだろうし、民間にもいろいろな課題が積もっていることだろう。中盤での筆致の転換が明らかすぎるため、かえって字句通りに受け取ってよいのだろうかという迷いを生じさせる。

二点目に、本書はやはり事件性の高いことがらをつづり合わせた「報道」である。報道されることのないアフリカ、それは長く静かな時の流れであったり、戦乱の合間の民衆の平穏のひと時であったりするが、本書でそのような暮らしの息づかいを感じることは難しい。ここで描かれた政府の失態とNGOの躍進は、正反対のようでありながら、実は「報道の対象になりうる事象」という意味で同じ方向を向いている。静かなアフリカの日常を学ぶためにも、毎日新聞記者による『絵はがきにされた少年』などと併読するのがよいかもしれない。(2008/11/12)


■日本語の検察官たち
講談社校閲局編. 2007.『日本語課外講座: 名門校に席をおくな!』東京: 講談社.

講談社の校閲者4人による、日本語の誤用のコレクション。日々の仕事で実際に目にした文を200例ほど示し、誤りを指摘しながらことばの解説をする。

誤りの種類は多岐にわたる。まぎらわしい漢字、同音異義語のまちがい、意味の取り違え、中には誤用が多数派に支持されてすっかり定着してしまった微妙なものもある。作家が知ったかぶりで慣れないことわざなどを誤用するケースもあり、微笑みを誘う。ワープロの普及で誤りの種類が変わってきたことも指摘される。

本書は、日本語学習のための「まちがい探しクイズ」として楽しむことができる。

「四の字固め」「過去の精算」「厚顔無知な収賄官僚」「喝を入れる」「私の彼は浮気症」
「経済成長と機を一にしていた」「エイズに感染」「耳ざわりのいいことば」

さて、どこがまちがっているだろう。解説を読む前にじっくり考える。さっぱり分からない例もあり、自分の日本語力を映す鏡になる。

また、原稿をお届けする研究者として、背筋を正すマナーの教科書としても読めた。誤用を指摘したにもかかわらず、著名作家が「校閲の分際で生意気な」と逆切れするケースもあるという。傲慢にならず、さりとて卑屈にならず、表現者としてことばに謙虚につきあい続けようと思わされる。もっとも、プロの作家もこんな初歩的なミスをするのか、と奇妙な安堵も覚えてしまうのだが。

まちがいを発見して「やった!」と快哉を叫ぶ。誤りを見過ごして刊行され、読者から指摘されてくやしがる。正しくて当たり前、まちがいがあれば批判される減点主義の世界である。「日本語の検察官」たる校閲者たちの、プロとしての心情が浮き彫りになる。

とはいえ、正しさを武器に日本語を取り締まるのではない。明らかな誤用は赤ペンで容赦なく指摘し、意味や表記が揺れるケースは鉛筆で謙虚に提案する。日本語の新しい変化も寛容に見守ろうとする、ことばのプロたちの気概を学ぶことができた。(2008/06/08)


■植民地主義の始まりと終わり
本橋哲也. 2005.『ポストコロニアリズム』東京: 岩波書店.

イギリス文学およびカルチュラル・スタディーズを専門とする東京都立大助教授(当時)である著者による、ポストコロニアリズムの入門書。おもに文学作品を読み解くことを通して、今も続く植民地主義と向き合うことを勧める。

コロンブスの航海誌の逸話から書き起こされる本書は、主要部分で、ポストコロニアリズムを学ぶ上で著者が重要と考える3人の思想家、ファノン、サイード、スピヴァクを取り上げ、そのライフヒストリーをまじえつつ、主要著作と思想を紹介する。最終章では、日本におけるこの分野の課題として、アイヌ、沖縄、朝鮮の問題群を示している。

本書は、3人の著名思想家に関するブックガイドという性格をそなえている。それぞれの代表作から名文句を引用しながら平易な解説を加えており、まるで著者とともに輪読会をしているかのような心地よい咀嚼感を味わうことができる。これをきっかけに原典に手を伸ばしてみようという読者が現れることが、本書の最大の効用なのだろう。

この本では、15世紀のコロンブス航海から、20世紀のファノンが身を投じたアルジェリア革命に「話がとんでいる」。実はその間の400年間こそ、大西洋奴隷貿易やアフリカ分割を含むもっとも多くのできごとが起こった、植民地主義まっさかりの時代であったはずである。

その「始まり」と「終わり」(著者によれば「植民地主義は終わっていない」と言えるのかもしれないが)を手際よく紹介した本書は、見取り図としては理解しやすいものの、かえって植民地主義を抽象的にとらえる傾向を生んでしまわないだろうか。植民地支配に関するリアルな歴史書と併読するのが、本書の有効な読み方であるのかもしれない。(2008/05/01)


■しなやかなツリーの思考への誘い
三中信宏. 2006.『系統樹思考の世界: すべてはツリーとともに』東京: 講談社.

農業環境技術研究所上席研究員であり、進化生物学、生物統計学を専門とする著者による、「系統樹思考」宣言の本。静的な分類思考をつい習慣としてしまいがちな私たちに、もののとらえ方・考え方の根本的な変革を迫る。

全4章では、進化生物学の論争などを中心に、科学がいかに歴史(生物進化も含む)と向き合うことを低く見てきたか、それにも関わらず人びとはいかに歴史的な系譜(つながり)によって物事をとらえることを好んできたかを述べる。そして、実際に系統樹を描いたりそれをデータで裏打ちしたりする方法論の一部を紹介し、系統樹が生物のみならず、宗教、言語、文学、はては「不幸の手紙」にいたるまで、なんらかのつながりで変化しながら連綿と生み出され続ける事象をとらえる上で幅広く使える「言語」であることを示す。

本書の仮想論敵は「分類思考」である。人は物を集め、分類し、名前を付け、そこになにか永続的に変わらない本質があると期待する性癖がある。きっと人間はそれを認知的に好む動物なのであろうが、それが科学において卓越したときに、もうひとつの思考である「系統樹思考」が抑圧される。分類にいそしんできた人間とは、一方で、多くの事物を歴史的な変化とつながりの中でしなやかにとらえることをも行っている動物なのであり、著者はそれを科学の中に正当に復権させようと訴える。

いや、著者によれば、「ふと気がついたら周りは系統樹だらけだった」(p285)というから、今さら「復権」と言うのもすでに手遅れなのかもしれない。科学の分野の違いを超越してすでにそこかしこに生い茂っているツリーを正視せよ、という教示なのかもしれない。

なにげに生物学史の装いをしながら、実は革命の本である。「すべてはツリーとともに」という副題が、本書の性格と著者の思いを端的に表わしているだろう。

それにしても、「樹」というイコンとともに人類史に脈々と受け継がれてきたこのしなやかなツリーの思考法が、なぜ近代の一時期、(進化論への迫害も含めて)科学の名において抑圧を受けたのか。それによって近代科学は何を得て、何を失ったのか。この思考の格闘技は、しばらく私の心をとらえるテーマとなりそうである。

なお、付録の「極私的文献リスト」は、著者のホンネがもっとも明瞭に炸裂しているコーナーであり、それ自体を読み物として楽しむことができた。(2008/04/25)


■アフリカをキャッチする12本のアンテナ
山田肖子編. 2008.『アフリカのいまを知ろう』(岩波ジュニア新書 588) 東京: 岩波書店.

アフリカ研究者たちに対するインタビューを中心とした、アフリカ理解促進の本。名古屋大学教員である編者が、政策研究大学院大学在職中に主催していたウェブサイト「アフリカの森」のインタビューを改稿し、新書にまとめたものである。

第1部「アフリカを知ろう」は、編者によるアフリカの概説で、政治、経済、社会、文化などの各面について平易な解説をする。第2部は「アフリカの研究者にきいてみよう」と題され、11人の人文・社会科学系のアフリカ研究者らへのインタビューで構成される。

インタビューを読んでいて思うことは、「実に各人各様であること」、「しかしどこかまなざしが似通っていること」である。たとえば、アフリカに関わるようになったきっかけはさまざまで、ある人は1冊の本、ある人は偶然の人との出会い、ある人は組織の仕事としての関与などである。しかし、その後もアフリカに通い続ける人たちの多くが、「アフリカを助ける」よりもまず「アフリカに学ぶ」ことの重要さを説く。「不幸な大陸」との見方には不満をもち、開発の指標には現れないアフリカの実像を語る。

編者もあわせて12人の寄稿者が、自己流でのアフリカとの関わりを語る姿は、微妙にずれた角度にはられた12本のアンテナがそれぞれの像をキャッチしている様子に似ている。それらがばらばらの話題の集合体ではなく、全体として複眼的なまなざしがとらえたひとつの「アフリカ」像をきれいに結んでいるようである。アフリカという「対象」の情報を示すことよりも、アフリカ研究者「個人」を描くことに力点を置いたことが、功を奏したのだろう。

実は、私自身がインタビュイーの1人として本書に寄稿したのだが、そのことを脇に置いてもなお、複数のアンテナが結ぶ「アフリカ」像はいち読者として楽しく読めるものであった。(2008/03/29)


■言論の自由と責任について復習する教科書
岡本真. 2006.『これからホームページをつくる研究者のために: ウェブから学術情報を発信する実践ガイド』東京: 築地書館.

人気メールマガジン「Academic Resource Guide (ARG)」編集長である著者による、研究者向けのウェブ活用の指南書。研究者が個人サイトで積極的に情報発信をすることを勧め、その使い方を提案する。

本書は全3部で構成されている。「第1部: 個人ホームページをつくる前に」ではサイト設置に尻込みする研究者を想定してその不安を取りのぞき、「第2部: 個人ホームページをつくる」では、シラバスや講義ノートから論文、調査資料、書き下ろし原稿まで、研究者たちが掲載しているコンテンツの具体例を多く紹介している。「第3部: 個人ホームページをつくった後に」では、維持のための心得を10ケ条にまとめている。全編にわたって主張は具体的であり、それらを裏付ける個人サイトの実例が丁寧にあげられている。

本書を手に取る意義は、二点あると思われる。ひとつは、事例がヴァリエーションに富んでいること。たとえば、講義の試験の過去問をすべてウェブで公開している教員がいるという。非公式に過去問を入手する学生が多い中、教員がすすんで公開することは機会平等のためになるというのは確かに正論で、情報公開に踏み切ろうかどうか迷うとき、こうした実践例は励みになるだろう。

もうひとつは、研究者が自分の情報公開度を点検するチェックリストとして使えることである。著者が唱える「10ケ条」は、当たり前のようでありながら意外に怠ってしまいがちなポイントを突いている。「著作権」の趣旨をはき違えて、情報を利用されることを嫌がる臆病な研究者たちに対しては、スパリと批判している。

言論の自由についての著者の明快な思想に裏打ちされた本書は、私が常づね述べたいと思っていることを、かなりの部分代弁している本だと感じられた。ウェブ活用のマニュアルの形を取りつつ、これは言論の自由と責任をめぐる各人の意識を再点検し、復習するための教科書でもあるだろう。

研究者が亡くなった場合、遺されたサイトはどうするか。ネット上で自分への批判が起きたときの対処例は。こんなケースについても、実例を見ながら読者が自分で答えを模索するヒントを得ることができる、興味深くかつ便利な本である。(2008/01/04)

[付記] 本書と出会ったきっかけは、評者(亀井)のメルマガ掲載エッセイ「論文無断引用をめぐる奇妙な論調」を、著者(岡本氏)がやはりメルマガのエッセイ「それで学術研究が成り立つのだろうか」で引用し紹介してくれたことであった(2007年2月)。言論の自由をめぐる見解について、メルマガ間のリンクと引用で意気投合したという経緯は、本書の趣旨を実践するようなおもしろい経験だった。

[加筆20100105] まぐまぐのURLが変更されていたので、リンク先の更新を行いました。

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