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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

「文化が違うから分ければよい」のか:
アパルトヘイトと差異の承認の政治

亀井伸孝/文化人類学、アフリカ地域研究
Academic Journalism SYNODOS (シノドス)
2015年2月25日掲載

日本語 / English / Français
最終更新: 2016年5月12日

SYNODOS 20150225

「人種」が違えば、共存できないのか。「文化」が異なる人びとは、居住を分けるべきなのか。

なぜ、共存を拒むのか。だれが、だれに対して、共存を拒む権限をもっているというのか。

作家・曽野綾子氏による排外的なコラム、それを掲載して公表した産経新聞社、さらに、それを共感をもって受け止める可能性が垣間見える現在の社会の状況をいち文化人類学徒として危惧し、SYNODOS (シノドス) に論考を発表しました

本ページは、その論考を補足するサポートページです。

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■補足記事:シノドス論考で触れられなかった項目を、脚注として。

■【お知らせ】シノドス寄稿論考をもととした国際会議発表をしました

2016年5月7日 [英語] 新着!
Kamei, Nobutaka. 2016. "Segregation in the name of cultural differences"?: Pro-apartheid discourses in contemporary Japanese contexts and the role of cultural anthropology/anthropologists. In: the Inter-Congress 2016 of the International Union of Anthropological and Ethnological Sciences (IUAES), Panel 147 "Exploring new freedoms?: Moving anthropological writing into spaces of public engagement" (Panel Convenors: Fiona Murphy, Keith Egan and Jonathan Skinner) (May 7, 2016, Hotel Dubrovnik Palace, Dubrovnik, Dubrovnik-Neretva, Croatia).
[亀井伸孝. 2016. 「「文化の違いを口実にした隔離」?: 現代日本の文脈におけるアパルトヘイト容認言説と文化人類学/者の役割」国際人類学民族科学連合 (IUAES) 2016年中間会議, パネル147「新しい自由を求めて?: 人類学的記述の公共的関与の空間への導入」 (パネル主催者: Fiona Murphy, Keith Egan and Jonathan Skinner) (2016年5月7日, クロアチア共和国ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡ドゥブロヴニク市, ホテル・ドゥブロヴニク・パレス). ]
[配布資料] (PDF, 英語)


■【お知らせ】シノドス「2015年に読まれた記事 第7位」 に選ばれました

シノドス寄稿論考「「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治」が、「2015年に読まれた記事 第7位」に選ばれました。
[シノドスによる発表ツイート] (2015/12/30)
[論考掲載ページ] (2015/02/25)

■【お知らせ】太田出版『atプラス』に関連インタビュー掲載

■2015年5月15日 [日本語]
亀井伸孝. 2015.「動く人 (第3回) 亀井伸孝「「同化か/隔離か」の暴力にあらがう: 文化人類学者に求められているもの」『atプラス』(太田出版) 24 (2015年5月): 142-158.

シノドスの論考から派生する形で、文化人類学者の同時代における役割に関するテーマを中心に、ロングインタビューを受ける機会をいただきました。一部を抜粋して紹介します。

『atプラス』24号は、こちらで購入いただけます

動く人 第3回 亀井伸孝
「同化か/隔離か」の暴力にあらがう: 文化人類学者に求められているもの

私はいまコートジボワールのろう者と共同で、現地の手話の辞典を編集する仕事をしています。手話からフランス語と英語への版はすでに完成し、日本語訳の出版と、手話の語や文を動画で撮影したDVD版の辞典の作成の打ち合わせを済ませて、おととい帰国したばかりです。私はこれまで文化人類学者として、アフリカの狩猟採集民の子どもたちの研究や、アフリカのろう者たちの研究をしてきました。また、先日、文化的な差異を強調することでアパルトヘイトの隔離政策を容認するようにも受け止められる曾野綾子さんの産經新聞のコラムに対する論考を書きました。そのこともふくめ、今日は私の経歴と他者の文化と接する際のあるべき姿勢についてお話ししたいと思います。(…)

1. アフリカ渡航まで
2. ピグミー系狩猟採集民バカの研究
3. 手話との出会い
4. 「越えてはならない一線」
5. アフリカのろう文化
6. 「アフリカのろう教育の父」アンドリュー・J・フォスター
7. テレパシーの国で
8. 「決してなくならない差異」を受け入れる
9 「隔離」と「同化」の二択を迫る暴力

(…)作家の曾野綾子氏が、2015年2月11日付の産經新聞のコラムで「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」という、アパルトヘイトを肯定するかのように受け止められる内容を書きました。このことを知った私は、これが共感とともに社会に広まってはならないという強い危機感を覚え、「「文化が違うから分ければよい」のか」(SYNODOS http://synodos.jp/society/13008)という論考を書きました。かつて文化人類学者が、黒人と白人の文化の違いを強調する言説をふりまき、それが実は南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)の成立を後押ししてしまったことがあります。そのような歴史の失敗の二の舞になりはしないかという危惧を覚え、文化人類学を学ぶ者の一人として黙っているわけにはいかないと感じ、寄稿しました。シノドスというネットメディアのフットワークの軽さもあり、当該コラム掲載の5日後に執筆の約束、2週間後の2月25日に完成稿ウェブ配信という早さでした。幸い、TwitterやFacebookなどを通じて多くのネットユーザーたちがこの小論に触れ、さらに周囲にも勧めてくださるなど、大きな反響をいただきました。

マイノリティの文化に対して、その差異を認めていきましょうという「分離」への好意的な理解というのは、実は、多数派が少数派を「冷たく突き放す事態」とかなり近いところにある。この危うさを、私たちは常に知っておきたいと思うのです。

かつて聴者の教育者たちがろう者の手話を否定し、音声言語を教えようとした口話主義教育という「同化」的な教育政策がありました。手話の教育を願うろう者が、自分たちのことばである手話の学校を取り戻したいと、音声言語からの「分離」の方向の運動をおこなってきたという歴史的経緯があります。しかし、「ろう者たちが手話を話したいなら、社会の片隅で勝手に使っていればよろしい」というふうに、少数派を冷たく社会から遮断する論理にすりかえられてはならないと、私は強調しておきたいと思います。

差異を認めることは、しばしば「隔離」政策の隠れ蓑として使われることがあります。南アフリカでは、黒人文化を認める言説が、政治や経済の資源へのアクセスを断ち切るあのアパルトヘイトという政策へとつながってしまいました。多文化を認めるということは、常に、それによって序列化をしない、あるいは社会のさまざまな資源へのアクセスを遮断したりしないという了解のもとで行う必要があります。そういった事態に陥らないよう、たえず警戒しなければなりません。

マイノリティは、自律的に自分たちの文化を営む権利がありますが、それを義務として多数派から強要されるいわれはありません。文化を越境し、文化の変化を望み、あるいは個人でさまざまな異文化を身につける選択肢は、だれにでも与えられるべきであり、「文化」を根拠として個人の自由を奪うというのは、まったくもって本末転倒の発想です。

南アフリカのアパルトヘイトは撤廃されましたが、現在でも形を変えて、このような「隔離」か「同化」かの二択を迫るような事態が起こっていると思います。たとえば、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例が今年の3月31日に渋谷区議会で可決されましたが、それに対して、「同性同士で暮らすのも個人の自由だが、異性結婚の家族が持つ法的な位置づけはあきらめるべきだ」といった言説が見られました。標準に合わせよ、さもなくば、損することを覚悟で制度の外へ出ていけというのは、まさしく「同化か/隔離か」の二択の踏み絵を迫る構図の、多数派による暴力であると私は考えます。少数派が、差異をそなえたままでありつつも、主流社会と接続し、対話し、相互に越境もできる、そういうしなやかな社会制度を目指して、私は今後とも発言を続けていこうと思います。

文化人類学者は、たえず特定の地域・集団の小さな研究課題にコツコツと取り組んでいます。そして、個別具体的な知識の提供という形で社会に寄与することがあります。たとえば、コートジボワールのろう者のこと、カメルーンの狩猟採集社会のこと、アフリカの子どもたちのことなど、具体的な要望に対して、個別の案件の情報提供をすることができます。

ただ、文化人類学者の役割とは、そうした個別の事例に関する「便利な知恵袋」に留まらないと思うのです。そもそも、「人種」という概念はどのように構築されたか。「民族」や「文化」といった、理解されているようでありながら曖昧な意味で使われがちなことばについて、どのように学び、用いたらよいか。そして、人びとの文化とその多様性への理解を、明日の社会のためにどのように活用していくか。人間をめぐる大きな命題に格闘し、時には明快な形で社会に発信する。そういう役割をもってもいいのではないかと私は考えています。実際、アメリカのボアズ、フランスのレヴィ=ストロースなど、歴史に名を残す文化人類学の碩学たちは、しばしば同時代にはびこる人種主義に対して厳しい批判を行うなど、社会的な発言の側面でも大きな功績を残しています。

産經新聞に掲載された作家のコラムと、私の批判的論考、それを受け止めてくださった多くの読者のみなさんの反応。この春の一連の経験は、文化人類学が社会においてどのようにあり続けるかを再考する、重要な機会となりました。一過性のネット炎上事件に終わらせず、また、特定の個人やメディアに対する批判に留まるのでない、広く社会と学問の関わりを考える素材として、今後とも繰り返し自分の中で受け止め続けたいと思います。シノドスに寄稿した小論を核とし、それを発展的に補足、検討した次の作品を、現在準備しているところです。


■【お知らせ】アフリカ日本協議会『アフリカNOW』に関連記事掲載

■2015年4月30日 [日本語]
亀井伸孝. 2015.「「文化が違うから分ければよい」のか: アパルトヘイトと差異の承認の政治」『アフリカ NOW』(アフリカ日本協議会) 102 (特集2: アパルトヘイトを擁護する曽野綾子さんのコラムの撤回を求める): 28-29.

本号は、日本におけるアパルトヘイト反対運動の歴史を振り返るとともに、今日の問題としても引き受けて問題提起するという、保存版とも言うべき重要な特集となっています。歴史を学ぶすべての方がたに、一読をおすすめします。

『アフリカNOW』102号, 2015年4月30日発行
『アフリカNOW』102号の冊子(1部500円)は、こちらで購読いただけます
『アフリカNOW』102号のPDF版ファイル(540円)はこちらでダウンロードいただけます

【目次】
特集1:いま日本の反アパルトヘイト運動から学ぶ (Special Topic 1: Learning from the anti-apartheid movements in Japan: Lessons for today)
  • 特集にあたって いま日本の反アパルトヘイト運動から学ぶ 牧野久美子
  • 反アパルトヘイト運動の経験を振り返る-アフリカ行動委員会の運動を中心に 楠原彰
  • 日本の反アパルトヘイト運動年表-アフリカ行動委員会の運動を中心に 作成:楠原彰
  • 公開研究会「反アパルトヘイト運動の経験を振り返る」に参加して 宮森万由子
特集2:アパルトヘイトを擁護する曽野綾子さんのコラムの撤回を求める (Special topic 2: Demande withdrawal Sono Ayako's essay supporting apartheid)
  • 曽野綾子さんの産経新聞コラムへの抗議文
  • アフリカ日本協議会、南アフリカ共和国大使館、日本アフリカ学会有志、反差別国際運動日本委員会、大阪大学外国語学部スワヒリ語専攻在学生・卒業生有志一同、日本国際ボランティアセンター/アジア・アフリカと共に歩む会/ニバルレキレ、関西・南部アフリカネットワーク
  • 「文化が違うから分ければよい」のか~アパルトヘイトと差異の承認の政治 亀井伸孝
アフリカの現場から:南アフリカの子どもキャンプで感じたエネルギーの源 小松令奈
AJF事務局から会員の皆さんへ-ひとつの結び目として/活動日誌

■【補足記事】アパルトヘイトを支えた「分離発展」の論理

アパルトヘイト体制を正当化する論理として、「分離発展」(separate development)というものがありました。

決して差別ではありません、文化が異なる人びとを区別することで、それぞれが独自の発展を遂げればよいのです…。

このようなレトリックは、差別したいとは望まない、しかし自文化を守り続けたいと素朴に思う多くの良識的な人たちをうなずかせる力をもっていました。

しかし、このことばこそが、アパルトヘイトを正当化し、人びとを同調させる論理となっていたのです。

「対等に、分けるだけです」。それが、なぜ序列化の結果をもたらしてしまうのでしょうか。要因をみっつ指摘することができます。

ひとつ目に、そもそも「分離発展」などと提唱する人は、序列化の発想を前提として述べていることが多いです。その意図を隠蔽するための衣として、「対等な区別」などと言うのです。

ふたつ目に、「決定権をもっているのはだれか」という問題です。真に対等に相互の分離について検討したいのであれば、全員が同等の発言権をもち、対等にテーブルに着いて話し合って決めればよいでしょう。しかし、「分離発展」を強調し、推進したのは、常に白人支配層であり、それに異を唱える人びとや組織は激しい弾圧を受けました。黒人層の側にも一定の協力者がいたことは事実ですが、みなが自ら望んで分離独立を図ったわけではありません。

みっつ目に、現実的な政治、経済面での優劣が顕著でした。白人層が参政権と資本を握り、黒人層が無権利の低賃金労働者とならざるをえない状況において、ことばの上でいくら「対等な分離だ」と述べていても、それは絵に描いた餅なのです。

差別を遂行する人は、序列化したい意図や予想される結果を隠蔽して、対等であると主張し、とにかく分離を、と結論を急ぐことがあります。しかし、そのような安易なことばに乗ってしまわず、そこに隠された意図や、決定権の所在、政治的、経済的格差などのあらゆる側面を注意深くチェックする慎重な姿勢が必要です。それを怠り、素朴な感情で区別に同意してしまったら、再びアパルトヘイトを招き寄せる結果となりかねません。


■【補足記事】分離主義どうしの「奇妙な一致」とその落とし穴

公民権運動が盛んであった頃の、アメリカでの話です。白人至上主義団体であるKKKのメンバーが、黒人たちの分離主義運動を展開していたマルコムXと、密かに会っていたことが知られています。

黒人を差別し、暴力を振るってきた白人団体が、黒人の分離主義活動家と、なぜ接触していたのでしょうか。黒人たちが融和など要求せずに、まとまって国や地域から出ていってくれた方が都合がよいというわけです。

これは、相手と自分の差異を認め、相手の自由をも認めて共存をはかるのとは真逆であり、むしろ、隔離を強める方向の考え方です。マイノリティの分離主義運動は、注意を払わないと、このような敵意を秘めたマジョリティの動きに、はからずも協力してしまう恐れがあります。マルコムXは、後日、この面会を過ちであったと批判的に振り返っています。

パレスチナが独立国家としてイスラエルから分離することを、イスラエル政府はなかなか認めようとしません。しかし、実は、イスラエルの最強硬の保守派の中には、早く分離独立を認めてしまった方がよいという見解をもつ立場があります。

これは、一見、相手の自由を認める思想に見えますが、そうではありません。アラブ系の住民が子どもを多く生み育てたら、やがてユダヤ系の住民より人口が上回って、国をのっとってしまう。だから、せまい国土でよいから独立を認めておいて、早めに追い出してしまえという、明らかに敵意を含む思想です。分離主義運動は、ここでも排外主義のために利用されています。

現に、イスラエルは各地に分離壁を張り巡らせ、物理的な障壁とともに排外的な政策を行ってきました。

文化や民族の違いを口実に障壁を作り、名目上の独立状態を与えて、隔離を完成させる。そして、安い労働力だけは利用する。これは、まさに南アフリカのアパルトヘイト体制下で行われていた「ホームランド」という黒人居住区の設置と、きわめて似通った構図です。

パレスチナの人びとが、国家としての独立を望むことを否定するものではなく、現に、多くの国ぐにが国家承認をしているという現実もあります。その選択肢を自ら選ぶということは、尊重する必要があります。ただし、「パレスチナ独立」の美名のもと、中東の地で、実態としてのアパルトヘイトが再来、強化されることが起こらないよう、しっかりと動向を見据える必要があります。


■【補足記事】ソウェト蜂起と「アフリカ子どもの日」

初等教育では民族諸語のみで教育を行う一方、中等教育では白人の言語である英語とアフリカーンス語を義務化する。アパルトヘイト体制下の「バンツー教育」では、「隔離」と「同化」を巧妙に使い分けていました。

とくに、アフリカーンス語は、アパルトヘイトを導入した白人支配層の象徴とも見られていた言語でした。その義務化に対して、黒人の生徒たちは強く反発し、授業ボイコットを始めます。

1976年6月16日、多くの黒人の生徒や学生が、ヨハネスブルクの黒人居住区ソウェトでデモ行進を開始し、大規模な反アパルトヘイト運動が起こります(ソウェト蜂起(Soweto uprising))。これに対して、政府は武力をもって鎮圧しようとし、武装警察がデモをする子どもたちに対して発砲、多くの死者が出る惨劇が発生しました。

官憲によって射殺された黒人の子どもたちの遺体の写真が世界に報道され、アパルトヘイトを続ける南アフリカ政府に対し、国連安全保障理事会を含む世界中からの非難が集中します。

ソウェト蜂起が発生した日である6月16日は、今日では「アフリカ子どもの日(International Day of the African Child)」となっています。アパルトヘイト体制下で自ら立ち上がり、意見を表明した、黒人の子どもたちの勇気ある行動を記憶に留める日なのです。


■【補足記事】バンツー教育とアフリカーンス語

本論では、「バンツー教育」として、黒人のための初等教育において民族諸語の使用が奨励された、それは隔離政策を補完するとともに、低賃金労働力を供給する役割を与えられていたと記しました。

一方で、中等教育に進学した少数の黒人生徒たちには、英語とアフリカーンス語を義務化する「同化型」の教育が導入されます。

アフリカーンス語とは、オランダ系移民の子孫(アフリカーナー)が話している、オランダ語から分岐した白人の言語です。アフリカーナーたちは、自分たちが先に南アフリカに入植していたにも関わらず、後からやってきて政治、経済の支配を強めていったイギリス系移民および英語に対して、反感をもっていました。白人集団の中に、社会階層と言語をめぐる対立が存在していたのです。

自分たちアフリカーナーが英語を強制されているのだから、自分たちの言語であるアフリカーンス語を黒人に強制してもかまわないという「被害者意識まじりの支配の発想」、そして、一部の学力ある黒人に対してアフリカーンス語を義務化することで、白人雇用主が労働力を便利に用いたいという、やはり「使い勝手のよい労働力確保の発想」がありました。

「隔離」的な民族諸語教育にせよ、「同化」的なアフリカーンス語教育にせよ、黒人たちの利益を重視して導入した、自己決定に基づく教育のあり方ではありません。隔離の大原則のもと、都合のよい労働力を安く調達するという支配の思想に貫かれていました。

それまでの中等教育は英語で行われることが多かったのに対し、教育省がアフリカーンス語の義務化を強める通達を出したことで、それを教える教員や教材の不足が生じたほか、黒人生徒たちの不満が噴出し、現場は混乱します。

1976年、黒人の生徒たちは、ついに授業ボイコットの行動に出ます。これが、激しい反アパルトヘイト運動のシンボルとなる「ソウェト蜂起(Soweto uprising)」の着火点となりました。


■地方自治体の手話言語条例

「少数者の差異を承認しつつも、そのまま隔離へと導いてしまうのではなく、確かにつながり続けようとするために主流社会が自ら変わろうとする」。そのような望ましい社会のあり方の一例として、手話を言語として公認する政策について触れました。

2015年1月8日現在、日本の自治体で、手話を言語として公認する条例をもっているのは、以下の10自治体です。

条例を成立させた最初の自治体は、鳥取県です(2013年10月8日条例成立)。最多の分布を示しているのは、北海道です(3自治体)。

都道府県の条例:
鳥取県、神奈川県

市町村の条例:
佐賀県嬉野市、山口県萩市、兵庫県篠山市、兵庫県加東市、三重県松阪市、北海道鹿追町、北海道新得町、北海道石狩市

【出典】
全日本ろうあ連盟ウェブサイト内の手話言語条例マップ
ならびに手話言語条例成立状況一覧


■【補足記事】南アフリカ共和国の新憲法

南アフリカ共和国憲法(全文、英語)(1996年採択、公布。1997年施行)
Constitution of the Republic of South Africa, 1996

Chapter 1: 1-6 Founding provisions(基本条項)
 6. Languages(言語)
  5. A Pan South African Language Board established by national legislation must ­
   a. promote, and create conditions for, the development and use of ­
    iii. sign language(手話)
    >> ここに、手話の記述があります。

Chapter 2: 7-39 Bill of Rights(権利章典)
 9. Equality(平等)
  3. The state may not unfairly discriminate directly or indirectly against anyone on one or more grounds, including race, gender, sex, pregnancy, marital status, ethnic or social origin, colour, sexual orientation, age, disability, religion, conscience, belief, culture, language and birth.
  >> 人種はむろんのこと、あらゆる形態の差別を禁止した、有名な条文です。

1996年、ネルソン・マンデラ大統領は、ヨハネスブルグ近郊のシャープビルでこの新憲法の署名を行いました。シャープビルとは、アパルトヘイトに反対する多くの黒人住民たちが警察によって虐殺された「シャープビル虐殺事件(Sharpeville massacre, 1960)」で知られる場所です。


■論考ダイジェスト版
本文全体を20-30%ほどに圧縮して、紹介しています。くわしくは、シノドス掲載の全文をご覧ください

■本論の概要

・曽野綾子氏の産経新聞コラムには、第一の誤謬「人種主義」と、第二の誤謬「文化による隔離」の二つの問題点がある。
・現状において、より危険なのは、第二の誤謬の方である。
・文化人類学は、かつて南アフリカのアパルトヘイト成立に加担した過去がある。
・アパルトヘイト体制下で、黒人の母語使用を奨励する隔離教育が行われたこともある。
・「同化」を強要しないスタンスが、「隔離」という別の差別を生む温床になってきた。
・「異なりつつも、確かにつながり続ける社会」を展望したい。そのために変わるべきは、主流社会の側である。

■産経新聞コラムとその余波

2015年2月11日の『産経新聞』朝刊に、曽野綾子氏によるコラム「透明な歳月の光:労働力不足と移民」が掲載された。

曽野氏のコラムおよびその後に追加で公開された言説を分析しながら、二つの誤謬を指摘し、アパルトヘイト期との類似性を指摘しつつその危うさを検討したい。

くわしくは >> [シノドス本文 (1/3)]

■第一の誤謬:わずかな事例を「人種」と結びつける悪意

曽野氏の第一の誤謬は、人びとの肌の色に関する言説を堂々と新聞紙上で開陳したことである。

南アフリカで自身が見聞したと主張する事例を、何十億人にも上る世界の人びとに対して拡大適用し、生まれつきそなわった外見的特徴に関連させて決定論的な言説を振りまいたことは、文字通りの「人種主義」として非難に値する。

くわしくは >> [シノドス本文 (1/3)]

■第二の誤謬:「文化による分離」の素朴さが孕む危険性

第二の誤謬は、文化を異にする人びとの分離を提唱していることである。

これは、一見、リベラルでものわかりのよさそうな言説に見える。自分の文化を守るとともに、表向きは他者を否定せず、自他の違いを認めた上で、別の場所でそれぞれ自由に生きていくことにしましょう、と。

しかし、この「一見ものわかりのよさそうな他者理解の言説」こそが、実は、南アフリカにおけるアパルトヘイトの成立を後押しし、かつ巧妙に存続させた重要な要因の一つだった。

くわしくは >> [シノドス本文 (1/3)]

■アパルトヘイトの成立を後押しした人類学

アパルトヘイトに対して文化面での装飾を施し、人びとを同意へと誘った役割を果たしたものの一つに、イギリス系の社会人類学があった。

自他の文化の本質的な差異を強調し、それを承認しようとする、一見して「良心的で、多様性に対し理解を示す」言説が、隔離政策を正当化し、異論を封じ込める側の陣営にいた。

くわしくは >> [シノドス本文 (2/3)]

■バンツー教育:黒人には黒人の言語を与えよ

「黒人には黒人の文化を」という、異文化を尊重するふれこみで巧妙に強化されていった隔離の思想は、その後も政策として実行された。

初等教育では、黒人住民たちの母語であるコーサ語やズールー語などの民族諸語が用いられた。しかし、それは自らの決定権により選んで行っている自律的な母語教育ではなく、明白な隔離原則のもと、それを補完する目的と効果とともに行われていた「強いられた自文化の実践」であった。

文化の差異を承認することを、隔離の口実にしてはならないし、また、結果として隔離の事態を招くこともあってはならない。差異を承認しつつも、その差異を越境する自由は、あらゆる人間の基本的な権利だからである。それを、特定の集団や階層に居合わせた者が一方的に否認することなど、できようはずもない。

くわしくは >> [シノドス本文 (2/3)]

■南アフリカの手話通訳者の事件

南アフリカ共和国憲法第6条では、多くの民族諸語と並んで、手話の地位が明確に示されている。

南アフリカが、これまで「黒人たちの文化の差異を承認しつつ」「そのまま主流社会から切り離してしまった」アパルトヘイトの苦痛に満ちた歴史から学び、克服しようとしている努力の一端を見ることができる。

くわしくは >> [シノドス本文 (2/3)]

■二種類の差別:「同化型」と「隔離型」

フランスの社会学者タギエフは、次のような指摘を行っている。人種主義には「同化型」(assimilation)と「隔離型」(ségrégation)の2タイプがあり、一方の差別に対する告発は、もう一方の差別を容認してしまう、と。

なぜ、少数者は、主流社会との距離において「近寄っても地獄、遠ざかっても地獄」の二択の立場に立たざるをえないのか。そして、どちらか一つを選んだ時に、なぜ「自己責任」の名において、どちらか一方の差別を受忍せねばならないのか。それは、主流社会が自ら一向に変わろうともせずに、少数者に対して一方的に「同化か/隔離か」の二択の踏み絵を強いているからに他ならない。

少数者たちが差異をそなえたままでありながらも、主流社会とつながり続ける。そのための居場所をともに新たに創ろうとする努力は、少数者のみに課せられた責務ではない。主流社会こそが、その変化のために汗を流すべきである。

くわしくは >> [シノドス本文 (3/3)]

■同化と隔離のはざまで:手話をめぐる共存の課題

「同化/隔離」のテーマは、手話言語とろう者コミュニティの研究の分野でも、先鋭化した課題として立ち現れる。

近年では、音声言語のみによる教育の限界が指摘され、手話の使用を容認する教育が世界で普及しつつある。しかし、私たちが忘れてはならないのは、それがいつしか「強いられた自文化の実践」、つまり、「差異の承認」を口実とした、主流社会からの強制的隔離の事態を招くことがあっては絶対にならない、という強い意志を確認し合うことである。

人びとの多様性に寛容であることを基本として展望しながらも。頭のどこかで、それがアパルトヘイトの再来になりはしないかという警戒心をもって、慎重の上にも慎重を重ねつつ、差異の承認とつながりの確認の両方の歩を進めていく。「同化か/隔離か」の二択を迫る踏み絵を行うのではなく、主流社会こそが率先して変わる努力を常に伴わせる。

この綱渡りのような繊細な作業を通じてこそ、初めて、文化の差異の尊重と、それを相互に越境し合う自由が両立するものと考える。

くわしくは >> [シノドス本文 (3/3)]

■異なりつつも、確かにつながり続ける社会へ

曽野氏のコラムには、人種をめぐる「第一の誤謬」があった。ただし、これはあまりに明白な間違いであり、賛同を得られないはずである。

実は、このコラムがはらむ危険性の本丸は、文化をめぐる「第二の誤謬」にある。こちらは、一見説得的に見えてしまうだけに、かえってその危うさに気付きにくい。アパルトヘイトが利用した「差異の承認の政治」の過ちを何度でも思い起こし、その轍を踏まないために学び直す必要がある。

通俗的かつ固定的な文化観に基づいた隔離への潮流にうっかりと共感してしまわない慎重な姿勢を、読者のみなさまに呼びかけたい。新しい、他者との共存のあり方のために。新しい、文化人類学の営みを手にたずさえながら。

くわしくは >> [シノドス本文 (3/3)]


■執筆者(論考掲載時点での肩書きなど)

亀井伸孝(かめい・のぶたか) 文化人類学、アフリカ地域研究
愛知県立大学外国語学部国際関係学科准教授。京都大学大学院博士後期課程修了。理学博士、手話通訳士。現在、日本文化人類学会理事、日本アフリカ学会評議員を務める。
おもな著書に『アフリカのろう者と手話の歴史: A・J・フォスターの「王国」を訪ねて』(明石書店, 2006年, 国際開発学会奨励賞受賞)、『森の小さな〈ハンター〉たち: 狩猟採集民の子どもの民族誌』(京都大学学術出版会, 2010年)、『手話の世界を訪ねよう』(岩波ジュニア新書, 2009年, 厚生労働省児童福祉文化財推薦図書)ほか。
Website: http://kamei.aacore.jp/
Twitter: @jinrui_nikki


■文献

『朝日新聞』「曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」」(2015年2月17日).
NPOアフリカ日本協議会「産経新聞 曽野綾子さんのコラムへの抗議文」(2015年2月13日).
大阪大学外国語学部(旧大阪外国語大学)スワヒリ語専攻在学生・卒業生有志 (Facebook).
「荻上チキ・Session-22」「曽野綾子氏のコラムが波紋、改めて考えるアパルトヘイト」(直撃モード)(2015年2月17日).
金澤貴之「日本にあるもう1つの言語: 日本手話とろう文化」SYNODOS (2015年2月17日).
木村晴美・市田泰弘. 1995. 「ろう文化宣言: 言語的少数者としてのろう者」『現代思想』23(3). 354-362.
産経新聞コラムに抗議する日本アフリカ学会有志 (Facebook). 曽野綾子「透明な歳月の光: 労働力不足と移民」『産経新聞』2015年2月11日朝刊. 7.
ヘイスロップ, ジョナサン. 1999=2004. 山本忠行訳『アパルトヘイト教育史』横浜: 春風社.
峯陽一. 1996.『南アフリカ: 「虹の国」への歩み』東京: 岩波書店.
Dubow, Saul. 1995. The elaboration of segregationist ideology. In: Beinart, William and Saul Dubow eds. Segregation and Apartheid in Twentieth-Century South Africa. New York: Routledge. 145-175.
Taguieff, Pierre-André. 1987. La force du préjugé : essai sur le racisme et ses doubles. Paris: Edition La Découverte.


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