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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2003年11月

日本語 / English / Français
最終更新: 2003年11月30日
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■手話通訳の試験 (2003/11/30)
■なくし物の副産物 (2003/11/29)
■脱ストーリー映画鑑賞 (2003/11/27)
■新コンコルド計画 (2003/11/26)
■カクニパオと帝国主義 (2003/11/25)
■人間の渋滞 (2003/11/24)
■英語版アップ (2003/11/23)
■三連休始まる (2003/11/22)
■指のケガ (2003/11/21)
■図書室に「癒し」を求める人 (2003/11/19)
■研究計画の季節 (2003/11/17)
■好きなところ (2003/11/16)
■街角でワカメ (2003/11/14)
■アフリカとの姉妹都市 (2003/11/13)
■捨てられない物 (2003/11/12)
■こんなところに京都 (2003/11/11)
■今日だけのトーテミズム (2003/11/10)
■手で語られる「あの時代」の記憶 (2003/11/09)
■「癒し系」類人猿ボノボ (2003/11/07)
■不在者投票 (2003/11/06)
■ある一つの達成 (2003/11/05)
■演説者を囲む人々 (2003/11/04)
■デカルトとろう者 (2003/11/03)
■9条手ぬぐい (2003/11/02)


2003年11月30日 (日)

■手話通訳の試験

手話通訳の資格試験を受けた。かなり難しく、私にとって大きな試練だった。早口でややこしい言葉を連発する放送を耳で聞き、ひたすら手話で付いていくのだ。聞いてから考える暇はなく、反射的に即時の手話で対応しなければいけない。

私は妻がろう者だから、家では毎日手話を話す。でも、だから通訳がうまくなるとは限らない。

「なぁ、晩めし何しよー」
「たこ焼き希望」
「何でや」

日常会話なんて、実にたるんだものである。難しい用語もないし、自分らのペースでのどかにしゃべるだけ。試練があるとしたら、夫婦ゲンカが勃発した時くらいか(試練の意味が違うが)。

夫婦ゲンカを和解に持ち込む手話の力は身に付いた。しかし、講演会で手話通訳をこなす力は、また別の能力なのである。試験の結果は4ヶ月後。


2003年11月29日 (土)

■なくし物の副産物

パスポートが必要なことがあり、一週間ずっと探していた。研究室の書類の山のどこに紛れてしまったのか、どうしても見つからない。あせって書類をかき分け、探した。

今日、意外なところからひょっこり出てきた。ある検定試験の受験票にはさまっていたのだった。「本人確認書類」のつもりで、会場に持参していたらしい。自分でもすっかり忘れていた。やれやれ、見つかってほっと一安心。それと、副産物で机の大掃除ができた。

聖書に似たような話がありましたね。親の遺言を信じて埋蔵金を探していたら、結果として畑が耕せて、めでたしめでたし、という話。

なるほど、パスポートの紛失も、これは神の導きなのかもしれない。(いえ、自分のせいです)


2003年11月27日 (木)

■脱ストーリー映画鑑賞

映画を見に行った。有名なシリーズの3作目らしいが、前作を知らずにいきなり見たので、話がさっぱり分からない。過去か未来か、地球か宇宙かも知らず、冒頭からいきなり銃撃と戦闘シーン。

「こいつらはどうも一緒にいることが多い」「惚れとんねんな」そういう人々の間のできごとから、社会構造を少しずつ想像した。まあ、ニホンザルの群れを見るのと大差ない。結局、二大グループのケンカだということが明らかになった(←まとめすぎ?)。

設定されたストーリーを投げ捨てて、人間観察だけからイメージを作ってみる。こういう映画の見方もありだと思った。

[参考サイト]
この映画の情報


2003年11月26日 (水)

■新コンコルド計画

超音速機コンコルドが廃業して間もないというのに、次の「第2世代コンコルド」研究が始まったという。東京-パリ間を2時間で結ぶらしい。これはすごい。

何がすごいか。アフリカがむちゃくちゃ近くなるのだ。たとえば日本からカメルーンに行くときは、ふつうパリ乗り換え。今だったら、パリまで13時間+さらにカメルーンまで7時間=機中20時間かかる。移動するだけで2-3泊は覚悟しなければいけない。

2時間+7時間だと、なんと9時間でカメルーンまでたどり着けるではないか。これは早い。

早すぎると旅情がなくなるとか、いろんな意見はあるだろうけれど。現地との往復は便利になった方がいい。人類学は、当事者と会ってナンボの商売だから。

願わくば、これがアフリカ路線でも飛んだらいいのだが。そうすればカメルーンまで3時間で着けるよ(無理かなぁ)。

[参考サイト]
<新超音速機構想>日欧共同で「第2世代コンコルド」研究開始か(Yahoo News 2003.11.24)(ページ削除)


2003年11月25日 (火)

■カクニパオと帝国主義

マクドの新商品「カクニパオ」を食べてみた。

豚の角煮をマンジュウの皮で包んだもの。どう見たってこれは新種のブタまんである。レタスがはさまっていて、かろうじてハンバーガーの痕跡が残っているものの。

「マクドナルドはアメリカ文化帝国主義のシンボル」そんなふうに言われるけれど、一体これのどこがそうなんだ? ぜんぜんグローバルじゃない(笑)

もっとも、マンジュウの皮にはくっきりと「M」の刻印が。なるほど、記号だけ帝国主義的に世界にあふれかえっているわけですね。

ちなみに、味はちょっと脂っこいです。参考まで。

[参考サイト]
カクニパオの写真を見る(ページ削除)


2003年11月24日 (月)

■人間の渋滞

急ぎのことがあって、自転車を走らせていた。

連休の京都、どこも人混みですごかった。あちこちで「人間の渋滞」が発生するのだ。交差点の人々が流れず、信号が青になり、また赤になる。周りを人に固められてしまい、自転車が前に進めない。

「あと5分で着かなければ…」焦っている私の横を、人力車が涼しい顔で通り過ぎて行く。

これはもう、観光地に住んだ人々の宿命かも知れませんね。結局まにあってよかった。


2003年11月23日 (日)

■英語版アップ

ようやく英語版をアップした。最終調整でがんばっていて、気付いたら日が変わっていた。あぁ、えらかった。

これで外国人の友だちへの近況報告が楽になる。まとめて「最近の私はこんな様子だから、ここを見てね」という感じで、URLだけ送ればいい。

でもカメルーンの友だちは「フランス語で書け!」とか言うかも知れないなあ。まあ、言われたら、その時考えよう。


2003年11月22日 (土)

■三連休始まる

妻「じゃあ行ってくるね、留守中のんびりね」
私「行ってらっしゃい。『鬼のいぬ間の洗濯』さしてもらう」
妻「そうそう、洗濯頼むわ」

これを「やぶへび」と言うのだろう。
みなさん、よい連休を。


2003年11月21日 (金)

■指のケガ

指にケガしたので、しばらく台所を休んでいた。日々の台所仕事ができないようでは、料理長失格だ。その間、私のつれあいが全部引き受けてくれた。多謝。

「男の人で料理するなんて珍しいですねぇ」今でもそう言われることがある。10年以上も一人暮らし、さらにアフリカ熱帯雨林で1年間キャンプ生活。それで料理を苦にしていたら、生きていけません。得意とか好きとかいうよりも、自然に生活の一部になっている感じ。

指もそろそろ完治。明日から台所に復帰です。


2003年11月19日 (水)

■図書室に「癒し」を求める人

ある大学で図書室に入った時のこと。本の情報を探そうとコンピュータに向かったら、私の前に使っただれかの画面がそのまま消されずに残っていた。検索キーワードは「癒し」だった。もちろん「癒し」の語を含む何十冊もの本の情報が並んでいた。

どんな学生かは分からない。この人はリストを見て、満足して帰ることができたのだろうか。

もしかしたら、先生かもしれませんね。いま大学改革とかで大変な時代だから。


2003年11月17日 (月)

■研究計画の季節

秋は研究計画の季節。来年度の研究費を申請するため、今後のことがあちこちでささやかれる。「来年の調査予定は?」「よければ一緒にやりませんか?」そんな打診をいくつかいただいた。

これ、何かに似ているなぁ…とずっと思っていたが、ようやく気が付いた。小学校の時によくやらされた「班分け」だ。

「さあ、仲良しどうしで班に分かれなさい!」

この子と一緒がいい、あの子はこの子と仲が悪い、あと一人足りないからだれにしよう…。こどもながらにはげしい政治が繰り広げられ、やがて時間切れ。泣き笑いの末にできた集まりが、班として先生に認定されていく。

文部科学省先生のかけ声のもと、研究者たちが毎年繰り広げる「班分け」。傍目に見ていると笑ってしまうかもしれないが、渦中にいる私たちはけっこうマジなのです。

声をかけてくださった先生方、どうもありがとうございました。


2003年11月16日 (日)

■好きなところ

「京都で一番好きなところは?」と聞かれたら、迷わず「烏丸三条」。

オフィス街の一角だが、やたら混み合う所でもない。観光ルートからは外れている。近くに郵便局や銀行があり、本屋や喫茶店などのお店がほどよく集まっている。

この交差点近くには、研究室からもよりの大きな郵便局があり、よくお世話になる。原稿〆切の前日、郵便物回収の最終時間ぎりぎりに駆け込んで出せば、仕事が一つ完了。そのあと銀行でお金をおろし、大型書店で本を買って、スタバでのんびりと読む。この解放感がたまらない。

特に名所というわけではないが、この交差点付近でけっこう癒されている。


2003年11月14日 (金)

■街角でワカメ

仕事で大阪に行った。この町では、街角で試供品の配布などに出くわすことがやたら多い。さすがは商都。

今日、駅で配られていた袋を何気なく受け取ったら、ずしりと思い。中身は、なんとワカメだった。東北地方の観光キャンペーンだとか。しかしなぜワカメなんだ?

スーツ姿で袋をぶらさげ、そのまま大学に行く。教卓に置いた書類カバンの中に生ワカメが入っているとは、学生のみなさんは知る由もあるまい。そう思ったら、講義中につい笑けてきた。

帰り道、スーパーで大根買って帰ろう。


2003年11月13日 (木)

■アフリカとの姉妹都市

アフリカ関係の読書会のとき、「日本で、アフリカのどこかと姉妹都市になっている所って、聞かないよなぁ」という話になった。

気になったのでさっそく調べた。結果は3組。アメリカだけでも428組ある(2001年末)というのに、アフリカ全大陸でたったの3つですよ。いやはや、この国でアフリカはまだまだ遠い存在です。

サッカーで有名になった中津江村の村長に、カメルーン共和国から勲章が贈られることが決まったそうだ。何はともあれ、アフリカが身近になるのはいいことです。

日本とアフリカの間の姉妹都市協定(2003年、亀井調べ)

[参考サイト](いずれも2003年11月13日閲覧・引用)
全国市区町村提携姉妹都市・友好都市一覧(海外)
自治体国際化協会交流親善課
「大分・中津江村長に勲章:カメルーン 友好関係に貢献」京都新聞、2003年9月24日


2003年11月12日 (水)

■捨てられない物

研究室の机の大掃除をした。最近いろいろと資料が増えて限界に近づいてきたため、思い切っていろいろ捨てた。

古い事務書類、ぜったい読まない古雑誌、書けないボールペン、何年も使っていない論文コピー、昔の学会のスライド…これらを次々と処分。一年間ここに通っていて使わなかった物は、たぶん将来も使わないだろう。情報はまた手に入れることもできるし。

しかし、どうしても捨てられない物がある。それは外国のお金。

ドルやユーロはまた出張で使うかなと思う。中部アフリカのセーファも、いずれ役に立つだろう。しかし、韓国ウォン、中国元、タイバーツ、旧フランスフラン。小旅行や乗り換えの時にたまった小銭が、ちょっとずつ残っている。むげに捨てることが、どうしてもできない。

今回も、最後にまた机にしまい込んでしまった。


2003年11月11日 (火)

■こんなところに京都

今日は雨。いつもの自転車をやめて、バスで大学に来た。

久しぶりに乗ったバスの中は、観光客でぎっしり。「京都おすすめスポット」や「京の和菓子屋さん」などの雑誌を手にしたグループが、うきうきとしゃべっている。

そうか、京都は観光地だったんだ。しかも今は行楽シーズンということになっているらしい。日々〆切に追われてあくせく暮らしていると、こういう風景が何だか新鮮に見えることがある。

ちなみに、紅葉はまだですよ。(→京都新聞紅葉だより


2003年11月10日 (月)

■今日だけのトーテミズム

昨晩、テレビで開票速報を見ていた。いちおう一票を投じた以上、その政党がどうなったのか知りたい。軽い帰属意識に引っ張られて、ついつい夜更かししてしまった。

とはいえ、結果が分かってしまえば、まぁこんなもんかなとあっさり受け入れて終わる。月曜になれば、その帰属意識もだんだん薄れてくる。私は、あまりまじめな有権者ではないのかもしれない。

私は政治や言論のプロではないし、言うほど選択肢があるわけでもない。シンボルのどれか一つと軽いつながりを作り、一日だけの帰属意識で儀礼に参加している。

「今日だけのトーテミズム」、そしてまたいつか選挙はめぐってくる。

「トーテミズム」
ある人間集団がある特定の種の動植物あるいは他の事物と特殊な関係をもっているとする信仰、およびそれに基づく制度。(『文化人類学事典』弘文堂 1994)


2003年11月9日 (日)

■手で語られる「あの時代」の記憶

来日中のアジア8ヶ国のろう者たちの講演を見る機会があった。忘れられないのが、カンボジアから来たろう者の話だ。
「ろう者協会は1970年代のポルポト政権下でつぶれ、いまだに再建されていない。そのときの協会幹部はみな銃殺された。学校も閉鎖。赤い手ぬぐいを首に巻いた兵士たちが銃を構える中、私は肉体労働に従事していた…」

これまで、ろう者が手話で語る歴史を見る機会はいろいろあったが、これほどむごい昔語りを見るのははじめてだった。

彼は生き延びて、今ろう学校の教員をしている。


2003年11月7日 (金)

■「癒し系」類人猿ボノボ

講義でいろいろなサルの話をする。学生の一番人気は、ダントツでボノボ(別名ピグミー・チンパンジーとも)。

争いより仲直り、メスの連合がオスより強く、食べ物を独り占めしない。そういった平和な雰囲気が心地よいらしい。この動物は、基本的に「癒し系」なのである。

そのぶん割りを食っているのは、チンパンジー。逃げ回る動物を生け捕りにし、高順位のオスがぶんどり、引きちぎって親しいメスと盟友に与え、みんなで輪になって生肉をかじる。…この絵で癒された学生さんは、さすがに一人もいなかった(まぁ、むりもない)。どうも人間の嫌な部分を連想してしまうらしい。

「ヒトはどっちなのでしょうか」…さて、どっちでしょうね。(笑)

[参考サイト]
京都大学霊長類研究所「ボノボ・ホームページ」(ボノボの写真が見られます)


2003年11月6日 (木)

■不在者投票

不在者投票に行ってきた。自分が済ませてしまうと、周りの選挙運動がすっかり他人事に見えてくるから不思議だ。

選挙の結果によって、直接的に損や得をする人はもちろんいるだろうが、私にとって投票とはイメージの選択。つかの間の帰属先を探している。おそらく多くの有権者にとってもそうだろう。

「人は中身より区別の方を重視することがある」というのは構造主義の最大の発見だが、それは選挙の時に一番よく観察することができる。

さて、判断を終えてしまった私は、後の選挙戦を観察して楽しむことにしましょう。


2003年11月5日 (水)

■ある一つの達成

私の妻が、英検一級の一次試験(筆記試験+リスニング代わりの字幕試験)に合格した。ちなみに彼女は耳が聞こえない。

以前の英検は、その聞こえない耳にもリスニングを求めていた。英文学を専攻していた彼女が、二級で何度も落とされた。英語の力を評価しない試験だったのだ。

今の英検は、聞こえない人のために、リスニングの代わりの「字幕読み取り試験」を用意している。その導入が決まったのは、今から3年前のこと。遠い昔のことではない。

この試験改革のために、字幕の試作を続けてきた専門家がいる。導入を求めて運動を続けてきた教員がいる。私たちも、受験者の立場から主張した。一部のマスメディアも協力してくれた。

そのいろいろがあった上での、一つの達成。乾杯しました。


2003年11月4日 (火)

■演説者を囲む人々

うちの近くで、首相の街頭演説があった。周囲は山のような人だかり。

演説者が手を振ると、それに合わせて観衆の方からバッと一斉に上がる物がある。手でもなく、旗でもない。携帯電話だ。みんな写真を撮っているのである。

自分の体験を、言語でなく画像で人に伝えるということが、普通になりつつあるらしい。教育もそういうことを学ばなければ。


2003年11月3日 (月)

■デカルトとろう者

フランスの哲学者デカルトが、ろう者のことを書いていたらしい。最近そのことを知った。今風の言い方に直せば「ろう者たちは手話を作って話している。聴者でも理解できる人はいる。やっぱり人間には理性があるのだ」ということを本に書いている(『方法序説』)。

デカルトは、ろう者の会話を冷静に観察する目を持っていた。世界最初のろう学校ができる100年以上も前のことだ。そして、近代の言語学が「手話は言語だ」と知るようになる300年以上も前のことである。

自然観察者デカルトに敬意。そして、このことを教えてくれた東京のA君、小泉義之『デカルト』(講談社)に感謝。


2003年11月2日 (日)

■9条手ぬぐい

ある所で「憲法第9条の条文を刷り込んだ手ぬぐい」というのを売っていた。9条はいいが、なぜ手ぬぐいなんだろう?

「ぼろぼろになってもなお、世をきれいに」という願いかな。改憲が公約に上るこの時代、この傷んだ条文はいつまで生き長らえることができるのだろう。

…まさか「都合が悪いときは目隠しにも使えます」なんてことではないやろな。そう祈りつつ、結局買わなかった。



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