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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2005年8月

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最終更新: 2005年8月27日
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■200X年、手話政局 (2005/08/27)
■夏休みのマニフェスト (2005/08/16)
■「反重力整理法」宣言 (2005/08/15)
■夢の中のバリアフリー (2005/08/10)
■秋田の竿燈まつり (2005/08/05)
■古代エジプトは楽し (3) 日曜午後のひととき (2005/08/03)
■古代エジプトは楽し (2) ミイラの作り方を学ぶ人たち (2005/08/02)
■古代エジプトは楽し (1) あっという間の3000年 (2005/08/01)


2005年8月27日 (土)

■200X年、手話政局

200X年、夏。日本手話を日本の公用語の一つと規定する「手話公用語法案」が国会に上程された。

首相の長年の持論であり、与党の公約ともなったこの法案は、衆院で僅差で可決されたものの、参院では大量の造反議員が出て否決された。

この事態を受け、首相は衆院解散を断行。法案に反対した議員については、党として公認しないだけでなく、離党勧告、さらには除名処分を検討。すべての小選挙区に、手話公用語論者を擁立した。首相は、賛成派で過半数を取れなければ退陣すると述べ、手話の公用語化政策をめぐる事実上の国民投票と位置づけた…

…なんてね。そんな内閣、一度でいいから現れないかなあ。この法案だけ通して、後は総辞職してくれていいからさ。


2005年8月16日 (火)

■夏休みのマニフェスト

遅ればせながら、夏休みのマニフェストを。

「20万字の原稿を書き上げます」

残りはおよそ1ヶ月。(…汗)

今年は恒例のフィールドワークもやめて、これをやりとげることに決めたのです。一生に一回くらい、そういう夏休みがあってもいいでしょう。

コーヒーとビールとフリスクを買いためて、部屋にこもります。以上、宣言。


2005年8月15日 (月)

■「反重力整理法」宣言

私は書類の整理が大の苦手だ。

大学というのは、おそろしく紙がたまる職場である。忙しさにかまけて、つい書類を机の上にのせる。翌日、その上にまたのせる。その翌日も…。

何週間かすると、うず高い紙の山ができる。もうめくるのも面倒くさいし、下の方に何があるのか見当もつかない。だから整理する気もうせてしまう。紙は毎日押し寄せてくるから、別の場所に積み始める。この悪循環。

ある日、私は気づいた。「すべては重力が悪いのだ」と。

人はなぜ紙を積むのか。それは、重力のなすがままにゆだねているからである。整理の真の敵は紙ではなく、すべての紙に作用する重力にほかならない。重力の性質を見極め、これを徹底的に飼いならす戦略を取ることなくして、書斎の解放は訪れない。

こうして、重力に抗する私の闘いが始まった。名付けて「反重力整理法」。もしうまくいったら報告しますね。


2005年8月10日 (水)

■夢の中のバリアフリー

ある日、夢の中で演説をしていた。

広い屋外集会場。大群衆の前に立っていざ話そうとしたが、どうにもやりにくい。スタッフや観客が舞台の上をうろうろ歩き、私の目の前を横切るのだ。

イライラしていたら、スタッフの一人がこう言った。
「こういうときはね、マイクで大声で話せばいいんだ。みんな聞こえるさ」

私は即座に反論した。
「この会場にはろう者がいるんです。
 私の手話が見えなければ、話は伝わらない。
 視界をさえぎられたまま話す気はありません」

遠くに私のつれ合いがいるのが見えた。ほら、ろう者はまっすぐに講演者を見ているのだ。

混乱する舞台と会場。統制しない主催者。舞台で演説拒否を続ける私。おい、どうなるの、これ…というところで目が覚めた。


2005年8月5日 (金)

■秋田の竿燈まつり

竿燈まつり 秋田に出張の折、夏の名物「竿燈(かんとう)まつり」を見る機会があった。

「竿燈」とは、ちょうちんをたくさん付けた竹ざおのこと。10m以上もある竿燈を男衆が高々とかかげ、手のひらや肩、ひたいに立ててバランスを取る。その名人芸を見て楽しむ。

原理は、こどもが掃除のときに遊ぶ「ほうき立て」と同じ。でもそのために何ヶ月も準備し、数日間にわたって市の大通りを占拠し、竿燈が200本くらい林立し、1万個のちょうちんが一斉にともされ、100万人の観客が見に訪れると、すごい光景になる。

人間の遊びはどこでもだいたい同じだ、ということを言った人がいる(カイヨワ)。まあ原理はそうかもしれないけれど、それにいろんな味付けを加えて楽しむのが文化の醍醐味というもんでしょう。やっぱり人間のやることは、いろいろと面白いのです。


2005年8月3日 (水)

■古代エジプトは楽し (3) 日曜午後のひととき

古代ロマンか、歴史ブームか。買い物ついでか、はたまた夏休みの宿題のネタ探しか。動機はともあれ、老若男女実に多くの人々が見学に訪れている。

わざわざお金を払って、何千年も前の他人の暮らし方(+死に方)を見に来る人がこれだけいるのだから、日本の歴史教養教育もたいしたものだと思う。

老年夫婦が、ミイラの仮面の前で。
夫「おい、この仮面かぶったら見えないな。目の所が開いてねえ」
妻「いいのよ、どうせ死んでるんだから」
夫「そうか」

日曜午後のひととき、古代エジプトをゆったりと楽しむ現代日本の人々を、私も存分に楽しませていただきました。^^

[古代エジプトは楽し・終]


2005年8月2日 (火)

■古代エジプトは楽し (2) ミイラの作り方を学ぶ人たち

身体装飾品、生活用具から、ミイラ本体まで。さまざまな展示品(人)が並ぶ。

その中に「ミイラの作り方」というイラスト解説パネルがあった。パネルには人々が群がり、食い入るように解説を見つめていた。静かな美術館の中で、それは何とも鬼気迫る光景だった。

「ほら、○○ちゃん、くさくなっちゃうから内臓を取るのよね」(中年女性)
「ふん…、陰干しならいけるか」(老年男性)

数千年前の死体処理技術にかくも興味を寄せる人たち。死せるミイラも印象深いが、生きた人々もたいした見ものである。

[つづく]


2005年8月1日 (月)

■古代エジプトは楽し (1) あっという間の3000年

東京で開催中の「古代エジプト展」を見てきました。

あらためて年表を見れば、「古代エジプト」と呼ばれている時代は、実に3000年にもおよんでいる。「こうでした」と一言でまとめるには長過ぎるのだ。歴史を書くということは、かくも無残に割愛することである。

あと2000年くらい経ったとき、歴史家は日本について何を書くだろう。

「古代ニホンは、古墳と自動車を作り、ハラキリをしました」

などと、みもふたもなくまとめているだろうね。でも、私たちは文句を言えないのです。

[つづく]


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