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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2011年1月

日本語 / English / Français
最終更新: 2011年1月30日
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■ジョン・レノンと鬼太郎のユートピア (2011/01/30)
■サウナの後の水風呂で (2011/01/29)
■新年好や! (2011/01/24)
■ストリート芸人の多い駅で (2011/01/20)
■1回生たちに贈ることば (2011/01/18)
■崎陽軒シウマイのプチマスコット (2011/01/09)
■静岡の手話の「名前」と「名前」 (2011/01/08)
■マクドナルドの後ろ、エスカレータの後ろ (2011/01/05)
■今年の目標は中国語 (2011/01/02)
■元旦の脱稿宣言 (2011/01/01)


2011年1月30日 (日)

■ジョン・レノンと鬼太郎のユートピア

休日だというのに出勤して、年度末の雑務に手を取られているこの週末。

まったくー。国家も学校も試験もなければ、こんなに〆切に追われなくていいのになあ…。などとぼやきながら、単純作業に精を出す。手を動かしながら、ふとふたつの歌が頭をよぎった。ジョン・レノンの「Imagine」と「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマ。

「Imagine there's no countries(想像してみよう 国なんかないと)」(ジョン・レノン)

「お化けにゃ学校も 試験も何にもない♪」(ゲゲゲの鬼太郎)

おお。ジョン・レノンと鬼太郎がタッグを組んだら、国家も学校も試験もないユートピアがやってくるではないか。すばらしい!

でも、ちょっと違いもある。ジョン・レノンは、ユートピアを夢見ているだけである。しかし、鬼太郎たちはすでにユートピアの中にいる。妖怪たち、恐るべし。鬼太郎たちの開き直り方と比べると、ジョン・レノンが甘い夢想家(dreamer)に見えてしまうのは、やむをえないところであろうか。

などとアホなことを考えながら、やっぱり時計を気にしてしまう、〆切まぎわの雑務の日々。


2011年1月29日 (土)

■サウナの後の水風呂で

サウナの後、水風呂にざぶんと入る。はじめは冷水にヒヤッとするけれども、浸かっているうちにだんだんと冷たさを感じなくなってくる。

体が冷たさになじんだから? それとも、水全体が暖かくなったから?

いやいや、実は、皮膚の周りの薄い水の層だけ、体温で温かくなっているのだ。ためしに、もう一度水をかき混ぜてごらんなさい。さっきと同じように、ヒヤリとするでしょう。ぬるくなった水の外側は、依然として冷たい水のままだということがよく分かる。

ある研究者の先人が私にくださったことばが、忘れられない。

「ある分野の研究者として長くやっていると、取り巻きが増えて、居心地がよくなって、他が見えなくなるよ」

自分の皮膚の周りの薄い水の層だけが温かくなっていて、ぬくぬくと居心地のよさを味わっている。取り巻きにちやほやされる中で、いつしか自分が偉人だと思い込んでしまう。そして、その外側がどうなっているのかについて、興味を失っていく。

ああ、恥ずかしい。やはり、そういう研究者にはなりたくないと思う。

居心地がよいと感じ始めたら、一度、思いきって冷水をかき混ぜてみるのがいいのかもしれません。新しい水の流れにぶつかって、目がハッと覚めるに違いないだろうから。


2011年1月24日 (月)

■新年好や!

新年好 今日は、2010年度の授業終了日。ふう、長いマラソンでした。1年間おつかれさま!と、ゼミ生たちと気楽な懇親会をする。

日本の学生たちにまざって、中国人留学生たちも参加。日本と中国では正月休みが1カ月ずれてるなあ、というような話のなかで、かの地のお正月の童謡が飛び出した。

新年好呀 新年好呀(しんにぇん・はお・や/しんにぇん・はお・や♪)
祝賀大家新年好(ちゅーは・たー・ちゃ/しんにぇん・はお♪)
我們唱歌 我們跳舞(うぉーめん・ちゃん・か/うぉーめん・てゃお・うー♪)
祝賀大家新年好(ちゅーは・たー・ちゃ/しんにぇん・はお♪)

※『雪山讃歌』のメロディーで

原曲は、アメリカ映画『荒野の決闘』の「いとしのクレメンタイン」(Oh My Darling Clementine)。アメリカの西部劇と、日本の雪山と、中国の正月は、どう考えても接点が限りなくゼロに近いものの、メロディーがなじみだから、すっと頭に入った。YouTube でこの歌を探して聞き、みんなで歌った。

「ほんまに、新年好やな!」と、大阪弁を話す中国人学生たちと、歌の片言を覚えて楽しむ日本人学生たちと。不思議なことばがとびかう新年会の夜は、更けていったのであった。


2011年1月20日 (木)

■ストリート芸人の多い駅で

大阪の「京橋」駅。JR環状線と京阪の乗り換え駅であり、晩は酔客でにぎわう町でもある。私はその京橋駅を経由して、毎日通勤している。

深夜まで大学で残業し、京阪からJRへと乗り換える。「ガールズバー、どうですか〜」というような客引きをかき分け、酔っぱらいたちをよけながら、家路を急ぐ。その乗り換えで通り過ぎる駅前の広場に、いつもミュージシャンや芸人たちがいる。

歌を歌っている人が多いけれど、そのほかに、楽器、ジャグリング、奇術、絵描き、そのほか。とにかく、裸一貫、芸で身を立てようとする若い人たちが、毎日必ずいて、何かやっている。

中には、驚くほど歌のうまい、この人はきっと将来有名になるだろうと思える声の持ち主もいる。一方、正直言って、止めといた方がいいんじゃないかという人もいる。芸のレベルはまちまちだ。通行人も正直だから、うまい人には見物の輪ができるし、そうでない人は放っておかれる。知名度に頼れない、実力勝負の対等な世界がある。

みぞれが降るような寒い夜、だれも立ち止まらないというのに、声をからして歌い続け、また、絵を描き続けている人たち。私は、ほんの少しだけ足を止めて、見守ってみる。芸の精進にいそしむ人たちを、放っておけないところがある。

テレビをつけると、大して芸も磨かず、知名度とゴシップだけでちやほやされている芸能人たちが映し出される。本当に腹が立つ。お客さまに頭を下げ、足を止めてくれる一人ひとりに何かを伝えようと執念を燃やしている、ストリートの芸人やミュージシャンたちを毎晩見ていると、その爪の垢でも煎じてプロの芸能人たちに飲ませたいと思う。

ストリートの人たちに幸いあれ。願わくば、有名人になっても、雪の日の京橋駅前に立っていたときの思いを忘れないでもらえたらと思う。ちょっとだけ足を止め、静かに応援している見物人の一人として。


2011年1月18日 (火)

■1回生たちに贈ることば

(1回生のゼミ生たちと編集した小論文集の巻末のことば)

編集後記「変な研究をせよ」
大阪国際大学人間科学部心理コミュニケーション学科2010年度「セミナー I」(亀井)の1年間の成果である小論文集が完成しました。みなさん、おつかれさまでした。想像以上のできばえの小論文が並び、うれしく思っています。

新任の教師として初めて担当したゼミだったので、私にとって「手探り感いっぱい」の1年でした。時にはゆったりと、時には〆切に向けてあわただしく、いろいろなペースがありました。結果として、作業にメリハリがついて、まあよかったのかなとも思います。

ゼミの中で、個別指導の中で、私が伝えたいと思ってきたメッセージは、「変なことをしなさい」ということです。調査や研究で、だれかがすでにやったことをオウムの口まねのようにくりかえすだけでは、何の意味もありません。

研究とは「難しい本のことばを並べること」ではありません。研究とは「自分の妄想や欲望を分かりやすく人に伝えること」です。ただし、自分の妄想や欲望をそのまま語っても、だれも聞いてくれません。人に聞いてもらうためには、「型」が大切です。

前期には、書評や映画評に取り組みながら、「前半は客観/後半は主観」で文章を書くということを学びました。後期にはそれを発展させて、自由研究をまとめながら、「はじめに/方法/結果/考察」という四つのパートで論文を書くということを学びました。このふたつの「型」さえ覚えておけば、論理的な文章を書く上で、一生困ることはありません。

研究では、こうした「型」のなかに、あなたの自由な妄想や欲望を盛りつけていきます。そして、その中身が変であればあるほど、すばらしい作品となります。

これからも続く大学での何年間かにわたって、さらに文章術と人間に対する観察眼に磨きをかけ、いっそう「変な思いつきを語れる人」になってください。楽しみにしています。

みなさんのこれからの活躍のために、乾杯!

2011年1月18日
「セミナー I」終講の記念の日に

大阪国際大学人間科学部
心理コミュニケーション学科准教授
2010年度「セミナー1」担当
亀井伸孝


2011年1月9日 (日)

■崎陽軒シウマイのプチマスコット

崎陽軒シウマイプチマスコット 横浜名物、崎陽軒のシウマイのプチマスコットを手に入れた。

正確には、「名物駅弁シリーズ『横浜名物・崎陽軒シウマイ弐』プチマスコット」((株)エイチ・エヌ・アンド・アソシエイツ製)。株式会社崎陽軒との正規ライセンス契約に基づいて企画製造されたもので、赤い箱のデザインは本物と瓜二つ。しかし、小さい!のです(→写真)。

素敵なのは、開けるとちゃんと中身が入っていることです。中にはシウマイが15個並んでいて、赤い醤油入れまで収まっているのだから、その精巧さにはびっくりです。

さすがに、ヒョウタン型のしょうゆ差し「ひょうちゃん」までは、入っていなかったけれども。それは次回作に期待しましょう。

これを探して、横浜のほうぼうのお店を訪ね歩き、JR桜木町駅の売店でようやく入手した。今年は、このシウマイマスコットとともにがんばろうと思います。(笑)


2011年1月8日 (土)

■静岡の手話の「名前」と「名前」

静岡出身のろう者の方に、おもしろいことを聞いた。静岡県のある地方では、人の「名前」と物の「名前」を、ふたつの語で使い分けるというのだ。

日本手話には、「名前」という語がふたつあるということはよく知られている。

「名前-1」=左掌に右手親指を当てる
「名前-2」=左胸に指文字「め」を当てる

『日本語-手話辞典』などにも、両方の語が掲載されている。そして、一般的には、関東と関西で使われている語が違う、つまり日本手話における方言の典型例として紹介されることが多い。

・関東では、人の名前も物の名前も「名前-1」を使う。
・関西では、人の名前も物の名前も「名前-2」を使う。

ところが、静岡出身のろう者によると、静岡では両方の語が使われていた。しかも、使い分けのルールがあって、

・静岡では、物の名前には「名前-1」を使い、人の名前には「名前-2」を使う。

という傾向があったという。

へええ。ことばの世界はおもしろいですね。「名前」みたいなありふれた語についても、知らないことにたくさん出会うのです。


2011年1月5日 (水)

■マクドナルドの後ろ、エスカレータの後ろ

「かしこまりました。では、右側へ一歩ずれてお待ちください」

マクドナルドの定番の接客のことば。私は後ろを振り返る。そこには、だれも並んでいる客はいないのにね。こういうとき、無視してもいいのでしょうか。それとも、店員の指示に従ってずれるのがいいのでしょうか。

エスカレータでは、後ろから追い越したい人たちのために、片側に寄って並ぶ人が多い。東京では左側、大阪では右側。私も、だいたい地域の慣習に合わせて立つことが多かった。

しかし、業界団体である社団法人エレベータ協会は、追い越しのために片側に並ぶということを推奨していない。

社団法人エレベータ協会「エスカレーターご利用の際に」

片側をあけると重量(荷重)バランスが崩れ、不具合を誘発することがあります。また歩いたり走ったりしたときに起きる振動で安全装置が働き、緊急停止することがあります。

慣例となっているエスカレーターの片側あけですが、危険や不便をともなう行為だということが、少しずつ浸透してきました。多数の場所でエスカレーターの歩行禁止の呼びかけを始めています。

このことを知ってから、私は、後ろからだれも歩いてこないときは、真ん中に立つことが増えた。まあ、本当に急いでいる人がいるときは、じゃままではしないので道を譲るけれどね。

後ろからだれも来ないのに、お行儀よく片側に並んでいる人たち。だれもいなかったら、真ん中に仁王立ちしていてもいいでしょうか。それとも、慣習におもねって端に立つべきでしょうか。


2011年1月2日 (日)

■今年の目標は中国語

新年の目標を何にしようかと、考えていた。

本業でやらなきゃいけない作業の数かずを掲げてみても、ちっともおもしろくない。夢のある、チャレンジングな課題の方がいいだろう。

そこで、「中国語の勉強をする」に決めました。正確に言うと、昔むかーし覚えた中国語を、「もう一度温め直す」。

1991年、学部生の頃、上海から四川、雲南へとぷらぷらと長期放浪旅行をしたことがある。そのときに、耳から口へと適当に覚えた中国語が、脳裏にこびりついているような、いないような。で、そのまま補強せずに、あっという間に20年がたちました。

最近、職場にも、中国からの留学生が多いんですよ。日本語での指導が基本だけれど、ちょこちょこっと中国語の語句をまじえてしゃべってみると、お互いはるかに楽しくなる。少子化傾向の日本の大学と大学院は、中国語圏の留学生を迎え入れることで活路を見出そうとする傾向がある。すぐにではないとしても、いずれどこかで役に立つかもしれない。

もうひとつ言えば、去年11月の人類学の研究会で、在中国アフリカ人コミュニティについての発表を聞いたことも衝撃的だった。広州にはアフリカ出身の商人や労働者が集まってきていて、独自の言語・文化的空間を作っているという。今や、アフリカ研究は、在日、在中国のアフリカ人たちを抜きには語れない。中国を含め、世界中で活躍するアフリカの人びとと出会うことも、やがて必要になるはずである。

というわけで、まあ、いつ役に立つか分かりませんが、「まー、まー、まー、まー」という四声の復習から、今年を始めてみようかと思っているところです。


2011年1月1日 (土)

■元旦の脱稿宣言

2011年、新年明けましておめでとうございます。

今年の最初の目標は、「元旦に脱稿すること」になった。

旧年中にやり残した原稿執筆の仕事があった。12/30に担当の方から確認の連絡があり、書きかけのまましまってあった草稿を取り出して仕上げにかかった。大晦日の「大掃除と年越しそばの間のすきま時間」に、えいっと調べものをして、最後まで書き上げた。ホントに、最後のあたりは、そばつゆの味見をしながら書いていましたから。

「年越しそば」とかけまして、「ためこんでしまった原稿」と解きます。
その心は?「のびればのびるほどまずくなります」

これが、2010年最後のひとり言ギャグ。

それで、元旦の夕方に時間を確保して推敲し、17時すぎに「入稿します!」ということばとともにメールの送信。かくして、新年の最初の目標はみごと達成されました。

年越しをはさんで、何をバタバタしてるんだか、という思いはあり。そんなもの旧年中にやってしまえよ、という自己ツッコミもあり。しかし、新年早々目標を撃破したぞ!という快感もあり。

ともあれ、今年も「貧乏暇なし」の一年が始まりました。最初からこんな感じですが、みなさま本年もどうぞよろしくお願いいたします。



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