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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2016年1月

日本語 / English / Français
最終更新: 2016年2月6日

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■世界幸福度ランキングと世界大のアパルトヘイトシステム (2016/01/31)
■パスポートの通称姓サイン拒否問題(その2): 愛知県旅券センターの二枚舌 (2016/01/24)
■学内の手話通訳問題(その2): 今後の基本姿勢確認というひとつの達成 (2016/01/17)
■卒業論文指導、最後の1週間: 「苗床」としての研究室の意義 (2016/01/09)
■ミニマル・ツールにして「万能の小窓」ツイッターの思想に学ぶ (2016/01/02)
■謹賀新年2016年 (2016/01/01)


2016年1月31日 (日)

■世界幸福度ランキングと世界大のアパルトヘイトシステム

1月が終わりゆきますね。

火曜日:東京で出版社編集者と打ち合わせ。長く凍てついていた案件、流れ出しました。

水曜日:学部と大学院のFD研究会。「留学支援・教育支援・障がい者支援ツールの研究」「大学院教育と学部教育の連携」。ある企業による英語音声認識ソフトのデモンストレーションがとてもおもしろかった。多言語使用をめぐる環境って、今後は激変するだろうな、と直感した。こういう時代の外国語教育の存在意義って何だろう、と率直に思わずにはいられない。

木曜日:ゼミで、学生たちが作った映像作品の上映会。いずれ劣らぬなかなかの力作でした。

金曜日:パスポートにおける通称姓使用の問題に関連して、愛知県庁の職員2人が大学の研究室を訪ねてきた。そして、旅券センターの窓口対応の問題について謝罪。これについては、回を変えて書きます。

土曜日:桃山学院大学の学生たちと合同で、それぞれの大学の授業で制作した映像作品の上映会を行った。ランチパーティと動画の上映という、繊細な準備が必要でありかつ失敗したら実に気まずいふたつのイベントを、何とか大過なくこなすことができて、ほっとする。

■2015年末の世界幸福度ランキング
さて、今日は一度書いておきたいと思っていた世界幸福度ランキングの話です。

1月の初め、こういう記事が配信されました。以下、ちょっと多めに引用します。

永崎裕麻「最新版「世界幸福度ランキング2016」の結果発表! G7の幸福度が壊滅する中、幸福度1位に輝いたのは?」
ハフィントン・ポスト, 2016年1月4日

毎年末恒例の「世界幸福度調査」の結果が発表されました。
順位は以下のとおり。

1位 コロンビア(85)
2位 フィジー(82)
2位 サウジアラビア(82)
4位 アゼルバイジャン(81)
5位 ベトナム(80)
6位 パナマ(79)
6位 アルゼンチン(79)
8位 メキシコ(76)
9位 エクアドル(75)
10位 アイスランド(74)
10位 中国(74)

カッコ内の数字は純粋幸福度(「幸福を感じている人の比率」-「不幸を感じている人の比率」)です。調査対象国は68カ国で、純粋幸福度の平均値は56。

先進7カ国(G7)のランキングはこんな感じです。

23位 カナダ(60)
28位 日本(52)
42位 アメリカ(43)
47位 ドイツ(40)
54位 イギリス(37)
57位 フランス(33)
57位 イタリア(33)

世界平均の56を超えているのはカナダのみですね。
一人あたりのGDPでは、幸福度1位のコロンビアや2位のフィジーを圧倒的に上回るG7の国々が、幸福度では散々な結果に。

なお、これの元となったデータはこちらだそうです。
Worldwide Independent Network. End of Year Survey 2015

■データが物語ること
私自身、かつて「『人類の幸福に資する社会調査』の研究」というCOEプログラムで仕事をしていたこともあり、社会学者や国際開発研究者たちと「幸福をどのように測るか」という問題をめぐって議論もしたりしたので、この手の統計には興味がある。

このデータが物語るところを大雑把にまとめると、以下のようになるだろうか。

(1) 豊かさと幸福度は、ゆるやかな相関がある。
(2) ただし、先進国においてより幸福度が高く、途上国で低いというわけではない。
(3) 一方、同じ国の中で見ると、相対的に裕福な層が、相対的に貧困な層よりも幸福度が高い。
(4) 途上国の貧困層の幸福度は高いが、先進国の貧困層の幸福度は低い。

(1) は、だれしもうなずくところだろう。豊かになって幸せになりたいと、世界の多くの人たちが思っている。しかし、それは幸福度を決める唯一の尺度とはなっていないことが、この結果から分かる。

むしろ、人間は、近しい集団(今回の場合は同じ国の人びと)の中での相対的な自分の位置をとても気にしている。世界70億人の中でどれくらいの位置にいるかということにはあまり興味がなく、同じ国の中で相対的に豊かであれば幸せを感じるし、相対的に貧困であれば幸せの感じ方が減っている。とくに、富裕層の収入水準も高く人数も多いであろう先進国において、貧困層の幸福度の低さが注目に値する。

簡単に言えば、「人間は、周囲の身近な他者と自分を比べて、満足したり嫉妬したりする」という一般的な傾向を導くことができる。みんなそろって「井の中の蛙」、せまい世間の中でちまちまと比べ合っているということである。

■世界と日本で自分の順位を知る
ちなみに、自分の収入がどの程度の順位にあるのかを知りたい場合、それを示してくれるウェブサイトがある。世界版と日本版の両方を紹介しておきたい。

世界版: 「自分の年収が世界何位か分かるサービス」ITmedia ニュース, 2013年4月12日
収入(income)と資産(wealth)の両方で、世界の中の自分の順位を見ることができます。

日本版: 「あなたの年収、日本で何番目? HowRich.info」
収入の順位、時給、その年収で世界のマラリア治療が何回できるかなどを見ることができます。

まあ、一概には言えないかもしれないが。自分の収入の順位は日本でこのあたりか、と調べた上で、次に世界の方で見てみると、その「ずれ」にいろいろと考えるところはあると思う。自分の相対的な位置を知りたいと思う時、どの集団の中で比べるかというのは非常に重要で、先の幸福度のデータでは、多くの人が「世界ではなく、国内で自分を測る」傾向にあるということであった。

■小さな環境で満足させることをねらったアパルトヘイト
私は、実はこのことを、もうひとつ別の歴史上のできごとと重ね合わせて考えていた。それは、南アフリカで採用されていたアパルトヘイト(人種隔離政策)である。

南ア白人政府は、黒人たちの居住区を定め、白人居住区と分離した。その際に、黒人の有力者に一定の裁量権を与え、形式上の独立国として分離させるという方法を採った(バンツースタン政策)。また、黒人たちの学校では英語ではなく民族諸語の教育を容認、奨励し、黒人教員も多数雇用した(バンツー教育)。

これらのねらいは何かというと、むろん自治権や自由の拡大ではなく、与えられた小さな環境の中で小さく生きることを余儀なくさせる、しかもそれに不満を感じさせないように誘うことであった。

よもや白人の特権を脅かすようなことを考えさせないためにも、小さな幸福を分かち合う小さなコミュニティを強権的に構築し、その中で満足して生きて働いて死ぬように仕向けていったわけである。「白人になるという野心を起こさせるな、理想的な原住民になるようにせよ」と、大まじめに議論されていた。

お分かりだろう、ここで活用されていたのが、「人間は、周囲の身近な他者と自分を比べて、満足したり嫉妬したりする」という、先ほど見た一般的な傾向である。そういう意味で、アパルトヘイトは計算尽くで導入された巧妙で狡猾な制度であった。しかし、その策略にだまされずに抵抗運動を展開した人びとの手によって、この制度は撤廃され、人種によらず平等な幸福追求の機会が守られるようになった。

■世界大のアパルトヘイトとしての国民国家群
さて、過去のアパルトヘイトから、現実の世界に目を移して。はて、やっていることって、実は同じなんじゃないの?というふうに観察することもできる。

つまり、国民国家という枠組みに基づき、人間の幸福感を一定の集団の中で管理し、過大な欲望や嫉妬を世界の富裕層に向けさせず、小さなコミュニティの中で比べ合って満足したり嫉妬したりをさせながら、生きて働いて死んでいってもらうシステム。

ああ、なるほど。つまり、200くらいに分かれて成立して人間たちの行動と感情を管理している諸国家とは、世界大のアパルトヘイトシステムなのだ、と気が付いた。

アパルトヘイトは、あれほど世界から糾弾されて撤廃に追い込まれたのに。国境と国ぐにはなぜ批判されないのだろう。それが自然的なるものだと信じられているから? あるいは、諸国の政府がそれを守りたいと思っているから? とりあえず現実の経済を回す上で有益だから? よく分からないが、何らかの理由で、この「アパルトヘイトそっくりの世界の国ぐにというシステム」は非難されずに、むしろ大切に守られて今日にいたる。

難民、移民、出稼ぎ労働などの諸問題も、「国民国家のシステムからの例外的逸脱」と見るのではなく、「世界大のアパルトヘイトシステムの中で行われている人口移動と搾取の問題」と捉えたりすることも可能かもしれないと考え始めている。それから、冷戦構造の成立と崩壊も、世界を二分するアパルトヘイトシステムの動態のいち局面として記述できるかも?

妄想は広がり続ける。とりあえずの今日の日記の結論は、自分の周囲だけ見て一喜一憂するのもいいけれど、世界の中における自分たちの位置づけを知るまなざしをもっておこうね、ということである。

[付記] 今回の話題は、「奴隷の幸福問題」というものと深く関わっている。どんな過酷な環境にあっても、とりあえずの生活を維持していく中での主観的幸福というのは実現しえてしまう。だから、本人たちがそう言うからと言って、主観的幸福を額面通り受け取っていいのか、という問題が生じるわけである。実際、公民権運動の時代まで、黒人教会はしばしば来世での幸福を祈りつつも現世のつらさをやりすごすという方向に機能していて、結果として差別と搾取の現実に対する鋭い問題提起ができていなかったとされる。それを現世での運動に転換したのが、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師であった。幸福度のテーマは、意外に奥が深い。


2016年1月24日 (日)

■パスポートの通称姓サイン拒否問題(その2): 愛知県旅券センターの二枚舌

今週は、パスポートの件でいくつか後日談、新しい展開がありました。

火曜日:2年生配当「プロジェクト型演習」の合同発表会。私たちのクラスで制作した映像作品7本のうちの2本を上映、好評を博しました。

水曜日:朝から、愛知県旅券センターでガチの交渉をしてきましたが、これは後で書きます。

午後、学生自主企画研究の最終報告会。わたしが顧問をしているグループ「インドネシア技能実習生の労働環境に関する研究」が、来場者投票の結果、みごと銀賞に入賞。地味なテーマだが、徹底的に緻密な調査をしたからね。役割分担もうまくいっていたのだと思います。昨年度の金賞に続き、今年で受賞は2年連続、2回目。こんどお祝いしましょう。

木曜日:いつものゼミの後、昼休みに新たにゼミに入る予定の学生たちとプレゼミ会合をした。ゼミのかけもち希望者を含め、おそらく9人の受け入れになる模様。また、4月からにぎやかになります。

土曜日:中部人類学談話会+日本アフリカ学会中部支部の共催で、田中二郎さんを囲む研究会。田中二郎さんがアフリカ調査を開始から50周年という記念の年に、たっぷりとこの50年間のブッシュマンの生活変容のお話をうかがえて幸いでした。

■愛知県旅券センターとの再交渉
さて、昨年末に、大もめにもめた「パスポート申請における通称姓サイン拒否問題@愛知県」

わたしは、自分の「名乗りの自決権」を何よりも重視しているので、この問題は看過できない。トリッキーな方法で京都府で希望通りのパスポートを取得した後も、今後、愛知県でこのような問題が再発することは何としても避けなければならない。

10年後に切り替えに訪れる自分のためにも。また、同様の問題で不快な思いをしてきた/これからするかもしれない、同じ境遇にある人たちのためにも。この種の問題を絶対に再発させないぞという思いで、名古屋駅前、名古屋ルーセントタワー5階の愛知県旅券センターに再交渉に行ってきた。

■愛知県知事あての要望書全文
1/20水、午前。先月と同じ職員Aと面会する。水曜日午前中を選んだのは、その時間帯が週のうち最も窓口がすいていて、ゆっくり話ができるからであった。私は、京都府で実際に取得したばかりの通称姓サイン入りのパスポートの現物を見せた。そして、以下の要望書を読み上げ、愛知県における4か条の改善を求めた。

以下引用。

2016年1月20日
愛知県知事
大村秀章 殿
ならびに愛知県旅券センター関係各位
(住所)
亀井伸孝

パスポートの自署欄における通称姓使用許可に関する要望書

 2015年12月、愛知県旅券センター(名古屋ルーセントタワー5階)において、パス
ポートの自署欄に通称姓によるサインを用いることを要望したところ、担当職員によっ
てその申請は受理できないと拒否されるという案件がありました【資料1】
 私は、2006年に大阪府において通称姓のサインを用いたパスポートの発行を受け、
それを用いてきました。現在有効であるそのパスポートの現物が目の前にあるにも関わ
らず、愛知県独自の判断で、通称姓サインを用いたパスポートの切り替え申請を受理し
ないということは理解しがたいと要望を重ねましたが、申請は受理されませんでした。
 このたび、私は一時的に京都府民となり、京都府旅券事務所にて、通称姓サインを用
いたパスポートを受領しました【資料2】。京都府では、通称姓サインを用いることに
伴う問題は本人が自分でその責任を負うという主旨の文書による確認をした上で、その
申請を受理しています【資料3】。私は、現在、ふたたび愛知県民に戻っています。
 自治体は、政府が発行するパスポートの業務を委託されている立場に過ぎませんが、
他府県においては可能である対応が、居住する地域によっては自治体独自の判断で不可
能となるという「対応の不一致」は、非常に理解に苦しむところです。パスポートは、
県の文書ではなく、政府発行の文書だからです。自治体の窓口において、法令による根
拠を伴わない基準が恣意的に採用され、市民の選択肢がせばめられるとともに、表現の
自由が侵害される行為が行われてきていることは、きわめて遺憾であります。
 また、男女共同参画社会の実現を目指す今日、結婚改姓後も通称姓を使用することを
希望する市民(その多くは既婚女性)の要望を、このような自治体の法的根拠のない判
断で却下し続けることは、両性の人権を対等に守るという社会の大勢にも逆行する措置
であり、批判されるに値する行為であります。
 今後は、市民が自身の居住する自治体の窓口において、希望する通称姓サインを用い
たパスポートを取得する選択を尊重し、表現の自由が守られる適切な対応が取られるよ
う、以下の通り改善を要望します。

1) 愛知県として、パスポートの自署欄に通称姓を用いる申請があった場合、これを受
 理するよう、改善すること。
2) 他府県の事例を調査し、上記の事務が支障なく行えるよう、手続き面での整備を行
 うこと。
3) 氏名欄に通称姓を併記することを求めたり、自署欄に通称姓サインを用いることを
 求めたりする市民に対し、その希望を軽んじるような不適切な言動による対応を行
 わないよう、愛知県旅券センターおよび関連部署の職員に対して適切な人権研修を
 行い、男女共同参画社会および表現の自由の尊重について周知徹底、指導すること。
4) 本件要望に対し、要望日から1か月後を期限として、文書による回答を行うこと。

以上

【資料1】本件交渉の経緯
【資料2】京都府にて受領したパスポートの写し
【資料3】京都府旅券事務所にて作成した申出書(再現した様式)

[愛知県知事あて要望書の現物の写し (PDF, 一部個人情報改変)]

■この段階で初めて出てきた「事情説明書」の存在
私「で、愛知県でも、今後はきちんと受理するよう、制度を改めていただきたい。そう申し入れに来ました」
職員A「実は」
私「何ですか」
職員A「書面資料とともに『事情説明書』を作って、外務省と協議することができます」
私「え?」
職員A「書類をそろえて提出していただければ、外務省と協議することになります」
私「は? 何すか、それ」
職員A「こういう様式があるんですが」

そこで、「事情説明書」という書類を示された。

愛知県旅券センターが示した「事情説明書」様式(2016年1月20日観察、入手)
[現物の写真] [様式(原本をスキャンしたもの)]

見れば分かる通り、様式自体にはほぼ何も書かれていない。どんな内容でも書ける空っぽの書類である。実際、これは、通常の手続きでは処理しにくい、何か特別の事情があるさまざまな申請のケースにおいて用いている様式であるという。

たとえば、有効期間内のパスポートが破損して作り直すとき、容姿が極端に変わって写真を変えるとき(←これはすごい)、戸籍上の性別変更に従ってパスポートの性別表記を変えるとき(←こういうケースもあるんですね)などである。

で、「サインに通称姓を用いたい」という、私が持ち込んだ本件のケースも、この中に含まれうると。だから、この様式を使えば申請できないわけではないと。

はあ? 何ですか、それ。そんなこと、一言も聞かなかったぞ!
完全な後出しじゃんけん。今さらながらの二枚舌。これはひどい。

■二枚舌を用いて責任を逃れる卑怯な組織
職員A「以前来られたときは、お客さまが、従来のパスポートだけを持ってこられましたよね。他の書面資料を持って来られなかったものですから」
私「ちょっと待て。こちらが書類を持って来なかったせいにされても困る。そもそも、そういう方法で通称姓サインの申請ができるなどと、一言も言わなかったじゃないか。あんた拒否したじゃないか」
職員A「いや、拒否ではなくてですね。書面資料と事情説明書がなければ、こちらでは判断しかねるということなんですが」
私「いいや、あなたは『申請を受理できない』と明白に拒否していた。『名前を変えて来い』とまで言ったじゃないか。そもそも、こんな様式があるなど知らなかった。今日初めて見たぞ」
職員A「言わなかったですかね」
私「言ってない、一言も言っていない。もし『書類の整え方次第で申請する方法もある』と説明されていたら、『じゃあ、どんな書類を用意して持ってくればいいか』と相談もできたはずじゃないか。それさえ聞いていれば、私はこれほど苦痛を受けて、他の手段を駆使する必要もなかったはずだ。今さらそんなふうに言い方を変えてくるのは、卑怯だ」

以前の日記に克明に記録したように、先月の窓口の対応は、文字通り「完全なる拒否」であった。抜け道のひとつもありえない、早くあきらめてサインを変えろという指示に他ならなかった。しかし、こちらが証拠と論理をたずさえてこうして真っ正面から抗議に訪れたら、今度は分が悪くなったと見たか、いや実は拒否などしていません、選択肢はあったのだと言い始める。あたかも、それを活かさなかったのは申請者の側の落ち度であるとでも言いたげだ。こんな卑怯な、責任を取らない、二枚舌の役所というものが、世の中にありうるのか。私は耳を疑った。しかも、同一人物が平気な顔をしてそういうことを言うので、驚愕する以外にないではないか。

私「そういう申請方法がありながら、窓口で拒否して、通称姓の使用をあきらめさせようとしたのか。知っていてわざと隠していたのか」
職員A「いえ、そんなことはありません。こちらの説明がもれていましたということですかね」

いやいや、あれだけ激しい交渉をしていて、説明のし忘れなんてあるわけがない。もし窓口職員が本当に真摯に受理できないかと方法を模索していたなら、こういう方法でやってみましょうかという提案もありえたはずである。いっさいの拒絶。あの時は、それしかなかったよ。だから私はこれほども不快感を覚えたのだし、苛烈に批判もしたわけである。今さらそんな抜け道を考えてもち出してきたのは、つまり、かつて拒否したことの責任を取りたくないがための、後付けの言い逃れをしているということだろう。当方には最初から別に不備はなかったんですよ、とでも言うのか。実に姑息である。

■そして「拒否などしていない」と言い始めた
職員A「お客さまは、県に対して改善の要望を書かれていますけれど」
私「当然ですよ。拒否された以上、改善を求める」
職員A「県としては、こういう『事情説明書』で外務省と協議するということなので、拒否していないという立場なんですよ」
私「はあ?」
職員A「県が拒否したから、これから拒否しないようにと要望されましてもね。県としては申請を拒否していない、窓口対応の職員の説明がもれていたという回答になってしまいますが」
私「卑怯だね。県の考え方はどうか知らないが、一切の説明をされていない市民としては、拒否されたのと同じだ。こちらの認識としては『拒否された』で間違っていない。県としては拒否していません、職員による説明がもれていましたという認識なら、それでもかまわないから、必ず1か月以内に文書で回答するように」
職員A「文書ですか」
私「当たり前ですよ。この場で口約束で適当に『これからは拒否しません』などと言ったところで、来年、再来年、似たような申請をする人が来た時に、また適当に断るような対応をする職員が出てくるよ。10年経って、私が次の切り替えの時に来たら、あなただってもう異動になっていて、別の職員が対応するでしょう。その時になって、またああいう対応をされたら迷惑で仕方ない。だから、確認のために文書で回答しなさいと言っている」

私は、この組織の「口約束」をまったく信用していない。先月から今月のこのものの言いようの豹変ぶりを見ていたら、想像もつくだろう。もしここで、私が愛想よく「そうですか、じゃあ今後はそんな感じで対応お願いしますねー」などと言って満足して引き下がってしまったら? やれやれ、うるさいやつがひとり消えた、くらいに思って、窓口はどうせまたすぐに「通称姓サイン拒否」の対応に戻すに決まっている。そしてまた、自分の名乗りを否定されて不快な思いをする市民が、今後とも出続ける状況になってしまうのである。ここは、しつこく、疑い深く、相手の姿勢を問いただし、文書での確約の証拠を出してくるまでねばるしかない。踏ん張りどころである。

■役所に他府県の様式を教える
私「はい、この様式見てください。京都府で用いている申出書をサンプルで置いていくから。これをお手本にして、様式をひとつ作って、通称姓サインを望む人が窓口に来たら、すぐにこれを出して受理できるように用意しなさい」
職員A「これですか」
私「こんな書類、Wordで10分もかからずに作れるよ。通称姓サインを望む人って、年に数人しかいないんでしょ。そんなに仕事が増えるわけでもない。この様式を作って、引き出しに入れておいて、年に数回だけそういう人に対して使ったらよろしい。さあ、すぐに作りなさい」

この組織が同様の様式を用意して、通称姓でのサインを望む市民がやってきた時に、迷うことなく、快適に選択肢を選ぶことができて、それをふたたび拒否に戻さない態勢を作らせる。そこまで見届けないと、この組織はまた同じことをやらかすに違いない。

なんで、市民がそんなことまで役所の公務員の面倒を見てやらないと動かないのだ?と腹も立つけどね。言われないと仕事をしない組織であれば、教えてやるしかないではないか。

■文書による回答期限、1か月
私「ちょうど4週間後の水曜午前中に、回答を受け取りにくるから。文書による回答を準備しておきなさい」
職員A「はい、ではその時に」
私「悪いけど、このことについては、私は重大な権利の侵害だと考えているので、納得いくまで引き下がりませんから。改善が確認できるまで、何度でも要求しに来ますから。そのつもりで、ちゃんと上と相談しておくように」

ちなみに、愛知県の説明によれば、事情説明書を出して外務省と協議した上で、外務省が許可したりしなかったりするらしい。しかし、今さら外務省が拒むわけがないのだ。すでに、京都府で申請して通っていて、現物が目の前にあるのだから。

■他の都府県の状況が垣間見えてくる
断片的なウェブ情報や、知人やついったー経由の情報では。どうやら、宮城、東京、福井、京都、大阪では、どんなサインでも受け付けていて、通称姓でも何でも抵抗なく取れている様子が聞こえてきた。逆に、なんで愛知県ではそんなに苦労するの?びっくりしました、という趣旨のメッセージを受け取ったりもする。

もしや、「通称姓のサインを絶対に受け入れない」などという愛知県のかたくなな対応は、全国的にもレアなケースなのかもしれない?と思い始めた。

だとしたら、なおさらですよ。愛知県は、自らが正しいと信じ込んでいるこだわりが、完全に世の中の趨勢から浮いているという自画像を、早く知るべきではないですか。

他の都道府県の実態については、少し慎重な調査が必要だ。同じ日の夕方、ある大手メディアの社会部の記者さんと懇談し、この経緯の情報と関連資料をすべてお渡しした。全国的に状況がどうなっているのかなど、私ひとりではできない広域的な情報収集も依頼した。

交渉は、これからも続く。とりあえず、次のステップは、2月中旬の回答受け取り日です。さてと、お手並み拝見といきますか。

[20160127付記] 愛知県庁の職員から電話をもらい、この件について改めて話すこととなった。

ひとつ、認識を新たにしたことがある。これまで私が窓口で大げんかしていた愛知県旅券センターの職員は、県の公務員ではなく、愛知県が窓口業務を委託している民間業者の社員であることが、この電話での会話で明らかになった。

もっとも、外務省の業務を委託されている地方自治体の、さらにその委託を受けている立場であり、住民に対する公的なサービスを担当している以上、公務員と同様であると見なすことはできるけれど。これまでの文中で「愛知県の公務員」と書いてきた部分は、「地方自治体の委託を受けた公的な責務を負う立場にある職員」と読み替えてください。


2016年1月17日 (日)

■学内の手話通訳問題(その2): 今後の基本姿勢確認というひとつの達成

週末日記です。

月曜日:休日でした。北九州市立大学でのフィールドワーク教育シンポジウムに参加。300人を超える盛大な開催となって、いちおうこのプロジェクトの主催者としてはホッとしました。

火曜日:学部1-2年生の演習から、大学院生との相談まで。フルグレードで学生対応です。卒論シーズンが終わっても、日がなこんな感じ。わたしはおそらく死ぬまで、学生たちとこうやってしゃべって暮らしていくのかなと思う。ええ、本望ですよ。

水曜日:学生たちとの打ち合わせの後、6時間の会議。イヤになりそうです。

木曜日:学生たちとのゼミの後、4時間の会議。イヤになりそうです。

必要な合意形成のために、みんなで会議をすることは重要ですよ。でも、「全員を拘束するに足る十分な理由があるとは思えない些細な案件、しかも準備不足で意地のぶつかり合い」みたいな件で、長時間縛られるのは、本当に苦痛です…。

午後から日没すぎまでの会議拘束の毎日ですが、午前中から昼ご飯タイムまで、学生たちとワイワイ議論できることが、わたしにとっては何よりの清涼剤。授業って負担のように見えますが、実は、学生たちとの自由な議論を楽しめる得がたい時間帯なんですよ。

土曜と日曜は、センター試験でしたね。土日の主役は、これから大学に入ろうとするみなさんです。

さて。学内の手話通訳の件をめぐっての、その後の大学でのアクションのご報告をします。

学長と話したこと、また大手メディアの取材が舞い込んだことは、すでに過去の日記で報告した。

もうひとつ、政府系のさる方とのコンタクトがあった。内閣府の障害者政策委員会の肩書きをもつ方と話す機会がありましたね。本学の状況についてかいつまんでご報告した。障害者差別解消法のほか、障害者雇用促進法(やはり2016年4月に改正される)にも抵触する事態であることを学ぶ。そうか、学内の小さな部局であっても、こういうずさんな決定をすると、すぐさま政府に話が届くくらい、情報の流通は早いのだなと実感した。

こうした動きに勇気を得たわたしは、さっそく新しい要望書を作成し、新年早々、いくつかの部署で責任ある方がたとぼつぼつ交渉を再開しました。

今回、わたしは落としどころのねらいを定めました。例の手話通訳配置拒否の決定の一件を許容はしないし、これが変な前例となって、今後の大学内の対応における悪しき慣行となることだけは、絶対に避けねばならない。ああいう対応はするべきでなかったということを、当該の部局も含めて大学全体が認識する必要があると。逆に、その基本認識を了承したら、今回の行事に関しては、適宜双方の努力で解決することとし、わたしは苛烈な批判の矛を収めると。

そこで、以下のような確認文書を作り、当該の部局も含め、学長も含め、学内各所で直談判して回った。これまで話し合いも調整もしないまま、手話通訳配置の可否や担当のあり方について勝手に性急に結論を出し、以後の交渉を一切拒絶したことが大きな問題であったということについては、各部署において了解を得られたし、今後はそういったことを繰り返してはならないということも了解を得た。

よかったら、年明けの再交渉で用いた確認の要望書の全文を、見てみてください。

2016年1月6日
(学内各部署の責任ある立場の方の宛名)
愛知県立大学外国語学部国際関係学科
亀井伸孝

本学での手話通訳配置をめぐる問題に対する確認の要望

 今回の学内部局による決定において、以下の問題点があったことを認め、また、今後の大学およ
び学内各部局のあり方として以下の方針を確認することを要望します。

■今回の大学および部局の対応における問題点

・障害をもつ大学構成員(非常勤講師も含む)に対して「合理的配慮を提供する」という原則を確
かめる姿勢が見られず、見方によっては、場合により提供しないこともあるという受け止め方をさ
れるおそれがあること。

・手話通訳の特性(高度な技能を必要とすること、たえまない同時通訳であって他の役割を兼務す
ることができないこと、聴覚障害者に対する情報保障の必要性・切実性という側面)に対する十分
な理解がないこと。

・このような重要な問題を、要望したろう者および結果として手話通訳の役割を期待されている教
員に対して、相談や調整の機会を提供することなく、拙速に結論を出したこと。

 以上の各点について、今回の学内部局の決定には、仮に委員会決定までの手続きの形式に瑕疵が
なかったとしても、学内で良好な形で合意を形成する上で問題があった。

■今後の大学および本学各部局のありかたに関する方針

・本学および本学各部局は、「障害者差別解消法」制定の趣旨に鑑み、障害を理由とした直接的、
間接的な差別を行わない姿勢を堅持する。

・合理的配慮の提供方法については、それぞれの状況に合わせて具体的に検討する。その際には、
要望した当事者およびそれによって直接、間接に影響を受ける関係者と、慎重かつ十分な協議を行
って合意を形成し、決定する。

・2016年4月以降は、障害者差別解消法が施行され、大学の姿勢は学内のみならず、学外からも
強い関心をもって注視されることを念頭に、大学および学内各部局での決定には慎重を期すること
とする。大学としては、予算措置も含めて全学的な課題として取り組む。

 以上を確認することを要望します。

以上

実は、けっこう大事な項目を、随所にさりげなく書いてあります。この文中におけるキモは、「間接的な差別を行わない」と「当事者と合意を形成し、決定する」というところです。

まず、間接的差別。つまり、表向きの形式的平等にこだわって実態としての差別を招くこと(たとえば「通訳は一律付けません、だからろう者にも付けません」といった対応)を、今後はしませんという内容になっている。

次に、当事者との合意形成。当事者をまじえて合意を作ると言っているのだから、当事者が不服と思うかぎり解決にはならないということである。

4月以降、障害者差別解消法が施行され、風向きはこちらを利する方に移っていく。こういった交渉も、少しは楽になっていくだろう。先月、拙速な決定をしたみなさん、よくよく反省しました? 少しは、自らの行いを恥じてください。

理念としてはこの内容を各部署に報告、確認し、今後のことについて教授会でも報告され、了承されたことによって、かめいは溜飲を下げました。油断はできませんけれど、いちおう本学にも自浄作用がそれなりにあったという了解には達しています。

また、このような公然たる表現・要望活動を通じて、君の考え方と行動はまったく正しい、わたしは支持すると言ってくれる同僚たちに恵まれたことは、本当にありがたいことだった。これからも一緒によい大学づくりを目指していくための、心強い同志を見つけたような思いです。

一方で、各所で言われたのは、あなたのあのついったーの発言はね…といった各種の苦言、お小言です。わたしの想像を超えて、かなり多くの教職員や管理職がこのことを聞きつけて、わたしのついとを見守ってくださっていたことを知りました。びっくりするような方がたが、わたしのついとをご覧くださっていたらしいよ。そうですか、こんなことでお時間取らせてすみません…(^^;; 教授会でついったーのことが話題にされたのも、今回が初めてです。

(ついでに言えば。君のあの発言がついったーで炎上しているけれどね、などと、過去の別の件についてもついでにいろいろ指摘されました。当のわたしすら知らない影響があったらしいと教えてもらい、え、そうなんですか?という会話をした。かくもわたしは「いっさい空気を読まぬ放言者」なのだ、と、自画像を知るよいきっかけになりました。)

(構成員のネット発言が炎上したとき、組織にどういう意味をもたらすのかは、わたしはよく分からないのですけれど。炎上教員のひとりやふたりいた方が、大学の個性が見えてよろしいことないですか?と、わたしはあくまで楽観的。(^^;;)

さてと。もちろん、これで全面解決ではありません。残ったのは、オカネの問題です。つまり、手話通訳配置をどの財源でまかなうか。そして、通訳者手配を含む細かい事前準備などの作業をめぐって、詰めの実務的な交渉が残っている。

交渉(理念編)は完了。交渉(実践編)のゴングが鳴りました。といったところです。


2016年1月9日 (土)

■卒業論文指導、最後の1週間: 「苗床」としての研究室の意義

大学の授業再開。新年最初の大仕事は、金曜日までの卒業論文のお世話でした。

月曜日:新年の初出勤。卒論の学生たちが6人ぐらい、どっと相談に訪れる。順番に話をする。

火曜日:卒論6人中、1人あがり。あと5人。

水曜日:卒論6人中、1人あがり。あと4人。手話通訳の件をめぐって、部局の長と話をする。落としどころを探る。

木曜日:卒論6人中、2人あがり。あと2人。手話通訳の件をめぐって、学長と話をする。落としどころを探る。

金曜日:卒論6人中、2人あがり。これにてコンプリート。はあ疲れた。学生たちと教員とは「〆切までの運命共同体」。15時に、解放のひとときが訪れました。

■「人間ドック型」指導と「外来診療型」指導
学生の論文に対する指導のスタイルって、教員によってさまざまでしょうけれど。ご同業のみなさん、「人間ドック型」と「外来診療型」、どちらを採用されていますか?

論文を丸ごと預かって、総点検する「人間ドック型」。または、いま困っている箇所はどこ?と聞いて、そのポイントだけにしぼって助言をする「外来診療型」。

わたしのこれまでの経験で言うと。論文の書き始めは、いろいろと全体的な軌道修正も必要だったりするので、人間ドック型を採用する。早いうちに表記や形式のコメントを入れといて、重篤化する前に手を打っておく。うん、まさに「早期発見・治療」ですね。

一方、〆切が迫ってきて、そろそろ総仕上げという時期になると、わたしは「外来診療型」に移行する。論文を全部預けて、見てください/見ておきましょう、というのを脱却して、問題点については本人の自己申告制にする。

なぜって? だって、論文とは、最終的には本人の責任と決意によって完成させるものですから。教員が最後まで丸抱えっていうのはよくないでしょう。最後に向けて、自立を促していくって、大切ですから。

■完成宣言は本人の口から
それと同じ理由で。わたしは最後の論文の完成宣言を、学生本人にさせるという流儀を採っている。わたしは許可したりしない。

教員「これじゃあ、まだ完成には至っていないでしょう」
学生「わかりました」
教員「よし! これで完成だね」
学生「ありがとうございます」

…などというふうに、教員が提出を止めたり、逆にGOサインを出したりしてしまったら、完成責任は教員の側にきてしまって、学生は他人に責任を転嫁しえてしまう。それでは、自分で完成したことにならない。

教員「最後、どこまでやるつもり?」
学生「はい…これでだいたいやりきったかな…と思います」
教員「満足度は何%?」
学生「わたしとしては、これで十分かな、と」
教員「あと、何か不安なところがあれば聞くけど」
学生「いえ…。これで出します!」

不安の除去の手伝いはどこまでもするけれど、最後、自身の満足度に照らした上での提出の決意は、本人の口から。それが大事だと思う。

もっとも、理想はそう思うけれど。どうしても〆切に間に合わせざるを得なくて、救急搬送、緊急オペで何とか一命を取りとめて〆切に滑り込み、みたいな対応をしたことはありますね(苦笑)。自発性に委ねていたら間に合わない、という時に、ただただ傍観しているというのも、道義的にどうかと思うので。原則、自己申告制でとは思いつつも、ケースによりけりです。

ものすごく手厚くお世話する教員、ものすごく放任する教員。ご同業には、いろいろといらっしゃる模様。どのくらいの手加減がいいのか、わたしも様子を見ている感じですが。「少しずつ手を離し、最後は自分の責任で」というやりかたが、わたしは気に入っている。

■学生どうしの互助を奨励する
あと、わたしがけっこう大事にしているのが、こういう場面での学生どうしの互助的なかかわり合い。

もとより、卒論はたったひとりで書き上げる孤独な作業。しかし、ひとりで考えていても煮詰まるし、教員だけがひとり対応しても知恵と目配りが足りない。ゼミの学生どうしがお互いに読み合い、コメントし合うという機会を、けっこう多く取り入れている。

1月上旬の、卒論提出ウィーク。出し終えた学生が、未提出の作業中の学生たちを手伝い、誤字脱字を指摘し合い、お菓子をもちよって励まし合っている。わたしの研究室が、そういう学生どうしの互助的なつながりを育み受け入れる場となっている。これこそ、ゼミという場の存在意義だと思った。

学生たちが3年次でゼミに入ってきた時、わたしが何よりも強調するのが、「ゼミ生はお客さんではない。ぼんやり待っていてはいけない。自分から動いて、ゼミという場を作るために貢献する人になりなさい」ということ。

毎週、お茶とお菓子を絶やさないゼミだし、宴会も行事も合宿も多いゼミだけれど。学生たちが、それをぼんやりとお客さんとして待っていることは許されない。それらを担い、周りに目配りして、人のために自発的に動く者でありなさいということをいつも言っている。

ゼミ生としての2-3年の年月の最後、全員の卒論の完成と提出までを支え合う風景に、わたしはそのようなゼミの慣行が、いい形で見えるようになってきたなと思い、幸いだと感じている。

最後、完成した!という卒論のファイルとともに、研究室に貼ってある大きなアフリカ地図のパッチワークの前で完成の記念撮影をし、拍手とともに学務課への提出を見送る。そういう、支えて励ましてお祝いする、互助的でメリハリのある研究室になっていることを、とてもうれしく思っている。

いえね、そういうことがあってもなくても、論文は完成するんですけど。でも、そういう相互のつながりがあった方が、前に進むし、楽しいし、完成の思いもまたひとしおでしょう。そういうことを、けっこうマメにやっている。

■「苗床」としての研究室の意義
今年も、その季節が怒濤のようにやってきて、そして去っていった。

ゼミ生のみなさん、おつかれさま。この5階の研究室で、最後の瞬間まで苦闘して、みんなでこの場を共有して、そして、解放されて巣立って行くことを、わたしは楽しんでいるし、そしてそのひとつひとつの風景が記憶に残っていきます(ついでに言えば、論文と苦闘する場面や、最後に完成した時の晴れ晴れとした場面の写真を撮ったりもしているから、記録にも残っています)。

この蓄積ひとつひとつが、大学教員としてのわたしの経験を豊かにしてくれている。この小さな面積の研究室が、こうした有意義な経験と成果とともに人びとが通り過ぎていく場になったのだとすれば、それでこそ「セミナー(seminar, その原義は「苗床」)」となったことの証しであると言えるでしょう。

さて、来年度からゼミに入りたいという学生たちが、ちらほらと訪ねてきてしゃべる季節となった。卒業直前の作業中の学生たちに引き合わせて、あれこれ話し相手になってもらう。ゼミにこれから入ってどうなるだろうという期待をもつ人たちと、これまで2-3年在籍して満喫してそろそろ出ていく人たちのマッチング。経験の違う者どうしの出会いで、これまた適度に話がはずむようなので、おもしろい。

こうして、この小さな面積の研究室は、また人びとの流れを受け止めながら、今後もセミナー(苗床)としての役割を果たしていくことになりそうです。

卒論を完成した人と、これから志願する人を迎え入れた、最近のわたしの5階のろうかの突き当たりの居室の風景を、今回は書いてみました。


2016年1月2日 (土)

■ミニマル・ツールにして「万能の小窓」ツイッターの思想に学ぶ

今週の振り返り日記です。あっという間に、暮れからお正月の休みも終わりゆきます。

月曜日:京都府でパスポート受領。通称姓のサインが入ったものを堂々と受け取りました。

水曜日:通称姓のパスポート入手の報告日記を書く。あと、年内〆の論文の図表を作成。ここにこもるとなぜかはかどる、という秘密のカフェにこもって、雑念を断って静かに勉強していました。

木曜日:大晦日。世界アフリカ言語学会議(WOCAL8)の全体講演の論文化(英語本文+フランス語要旨)、完成。年内の投稿に間に合わせました。晩は紅白をチラ見しつつ、2015年の振り返り日記。年越しにあたっての、ウェブサイトの大掃除。

金曜日:元日。初詣、正月日記ほか。

土曜日:京都から名古屋へ移動。新幹線の初乗りです。ちなみに、2015年はどのくらい新幹線に乗ったんだろうと思い、EX-IC の半券を数えてみたところ、59回でした。この半券の束だけで、トランプ52枚が一式作れるほど。名古屋に暮らしていて、仕事や私用で東へ西へ。ずいぶんと、JR東海に貢いだ1年でした。今年はどのくらいになるだろうね。

■ついとの使い方の変遷
さて、今日の話題は、私のツイッターの使い方、この6年間の変化についてです。

2009年12月25日にツイッターを使い始めて、約6年ほどになります(最初のツイート)。短文で言いたいことを言って、すぐに忘れるという便利さが気に入って、いまもよく使う。反面、Facebook はもう何年開けていないだろう。ぺんぺん草が生えて、そろそろ原生林に戻っている頃かもしれません。

私のこの6年間のツイッター歴を、使い方別に分類して、その変遷を見てみました。

【友人型】(フォロワー100くらいまで)
アカウント開設当初は、友だち関係。リアルに知っている人たちとのやりとりが多く、大学関係者などが中心だった。研究者たちもいたし、学生たちも含まれていたかな。

【友人型の拡張】(フォロワー500くらいまで)
フォロワーが増えてくると、こちらもフォローしないといけないかも、という、リアルな人間関係に準拠した束縛を感じていたため、面識のない人たちも含め、友だち関係の拡張のように増やしていった。レスもこまめに読んでいたような気がする。

【雑誌購読型】(フォロワー2,000くらいまで)
だんだんフォロワー数が増えてきて、1,000か2,000くらいまで増えてくると、「個人単位の付き合い重視」から「タイムライン上の情報収集重視」に移行。日本語の論者、研究者、政治家、組織広報などを中心に読むようになり、そうなると、情報収集の精度を上げたいという気にもなり、申し訳ないが、個人に対するフォローを思い切って削減した。別に交友関係を断つわけじゃない、雑誌の購読を一時停止するようなものだ、と自分に言い聞かせて、フォロー数のスリム化。

【メルマガ配信型】(フォロワー4,000くらいまで)
2015年2月、シノドスにアパルトヘイト批判のウェブ論考を出してから、何千人という単位でフォロワーが増えて、完全に個人どうしのやりとりの機能を停止した。必要に応じて公論的なるものを提起するメディアとして使うようになり、これまた申し訳ないが、新しくフォローしたのはだれか、他の人がどのようなレスを付けているか、ほとんど読まなくなってしまった。

【ジャーナリズム型】(現在進行中)
欲しい情報は、公益性があり、かつ、私の専門分野に近いものを。そう思って、おもにヨーロッパやアフリカを中心とした海外メディア(Le monde, BBC, AFP, Jeune Afrique, New York Times など)の速報を読むニュース閲覧メディアとして使っている。日本語で報道されていない興味深いネタがあれば、ピックアップして紹介。

また、2015年11月から始めたのは、SNSとリンクしていなかったウェブ上の「ジンルイ日記」に、ツイートボタンを作って一体化を図ったこと。日記を書いたらついとで紹介し、ついと読者を誘う。日記の読者が気に入ってくれたら、ボタンひとつでついとに紹介していただけるようにした。日記は、いわば「140字では書けない巨大なついとの倉庫」になった。

■ゆく人、くる人
6年間の間に、タイムライン上にいろんな人が現れては、去って行った。

ある人は、酒を飲んで暴言を吐いて、しゅっと消えてしまった。

ある人は、ぷつりと発言を止めてしまい、事後に病状が聞こえてきた。

ある人は、どういうわけかまったく発言をしなくなり、Facebook にはまっているらしいと後日聞くことがあった。

諸行無常の響きあり。このメディアに合う人と合わない人がいる。それは、いたしかたない。私だって、いつどうなるか分からない。

■私がやったことがない使い方
私がまだ試していない、他の人たちの使い方の例。

【データベース型】
新刊書情報、興味深いサイトやニュース、オピニオンの倉庫として使う。

【アイディアメモ帳型】
自分の着想をついとで表現しておき、いずれ論文や授業などで使うために、公開で保存。

いずれも、「ため込むタイプ」の使用法である。私は、これをやったことがない。私は過去の自分の長い長いついとを遡って見るということを、ほとんどしないからである。

キホン、ついとは言いっ放しが爽快でよいと思っている。即時的な旬のネタを放ち、見てもらい、時どき受けて、やがて飽きられて消えるのがいい。過去ネタを(見たい人が見るのはかまわないが)、自分で見る気にはならない。また、新しい論文も授業も、新しいネタと着想で、一気に執筆、準備する方が得意なので、過去のだらだらついとを見返すこともしない。

(ただし、大反響を得た鮮烈なついとネタは、むしろ脳内に残ることで、やがて長文の原稿などに化けることがある。その最たる例が、シノドスの論考であった。一連のついとによる自分の猛然たる主張が、脳内に蓄積され、臨界点をこえ、一気に1万字強の原稿になった。)

■微妙なのは学生たちへのフォロー
私がどうするかな、と思うのは、学生たちである。

実名で公然とアカウントを開いていて、しかもこちらに対して直についと上でからんでくるような学生については、状況を見て、あるいは本人の了解のもと、フォローした事例もある。そういう学生たちは、今の勤務先でも、また、前の勤務先においても、いる。

ただ、学生たちが試験前の対策なんかをぽろぽろ言っているのが見えるというのは、あんまりモラル的にいいことではないよなあと思うこともしばしば(見えてしまうが、見ないようにしている)。自由な発言を萎縮させてしまってもよくないし。ということで、この1-2年はキホン、学生へのフォローは控えている。

これまでに感じたことがあるメリットがあるとすれば、二つ。まず、留学先などでの安否が見えること。二つ目は、卒業後の社会人たちとしての活躍ぶりがそのまま見えていて、時どき、実際の同窓会などの実現につながったこともあること。

まあ、その時どきで対応、でしょうかね。卒業生として、お互い対等な社会人どうしになったら、気楽に相互フォローとか、いいかもですね。

■ミニマル・ツールにして「万能の小窓」ツイッターの思想に学ぶ
それにしても。「わずか140字の文字を小窓に書いて投げる」というだけの、ことばの最小機能によって、これほどの多機能性(【友人型】【友人型の拡張】【雑誌購読型】【メルマガ配信型】【ジャーナリズム型】【データベース型】【アイディアメモ帳型】)を見せてくれるとは。そこに、このついとの設計のあざやかさがあると思う。最小のツールで、万能ナイフのようにさまざまな場面やニーズに対応できているという、この思想を学びたいと思う。

現実社会において、よくあるのが。何かひとつの課題が生じた時に、それのための膨大な会議と議事録と事務とマニュアルができ、細分化された専門家たちがこぞってぶら下がり、その人びとを養うために財源が必要となり、その財源を守るための利権集団と部局ができ、という「肥大化の連鎖」。ややこしく、めんどうくさくなるばかり。そういう動向を、私は実はあまり好まない。

(政府系の問題解決の思想は、だいたい、指示命令系統の中にあるカネとヒトを動員することを考えるので、このような末路をたどることが多いと私は見ている。縦割りで考えるからそういうことになるのであって、勝手に横に世界につながる時代、こればっかりじゃないでしょ、と私は思う。)

理念とツールは、あくまでもシンプルに。使い方はそれぞれご自由に。使いたい人が勝手に使って、そのつど使い方を適宜ずらしていき、各自にとっての最適のスタイルで満足できていて、かつ、何年も飽きが来ない形で使い続けていられる。そういうのが一番いいと思う。

その意味で、インターネットとはすごいものだし、「文字を書き込む小窓ひとつ」で世界を変えた Google も Twitter も、大したものだ。少なくとも、今の自分はそう思っている。

研究とか、教育とか、社会啓発や出版やその他もろもろのアクティヴィティにおいて(さらには行政なども含めて)、このミニマル・ツール(最小の道具)の思想って活かせないものかな。私は、そのような期待とともに、この「小窓のことば発信ツール」と付き合い続けている。


2016年1月1日 (金)

■謹賀新年2016年

2016年、新年明けましておめでとうございます。

■63年ぶりの三角数年!
2016をとりあえず素因数分解しますと。2016=2^5×3^2×7 となります。7の倍数だということは、一瞬気付きにくいですね。

また、2016は、63番目の「三角数」です。つまり、2016とは「一辺63個でおはじきを正三角形に並べた時の個数」です。このことは、2016=(63×(63+1))/2 という式で確認できます。

前回の三角数の年は、63年前の1953年でした。そして、次回の三角数年は、64年後の2080年になります。つまり、多くの人たちにとって、今年は存命中に経験できる唯一の「三角数年」なのです! 63にちなんで、2016年6月3日に「三角数の日を祝う行事」でもしてみるのはいかがでしょうか。

■初詣の三つの願い
さて、初詣は、京都の北野天満宮へ。学問の神様です。

・科研費の採択
・身の丈に合った(ムリしない)着実な成果公開
・快適な大学環境の回復

をお祈りしてきました。まあ、個人的には、作りかけのあの辞典を完成させてしまいたい、と思っています。

■初夢では学生たちと鍋でワイワイ
正確には「初夢」とは呼ばないのかもしれませんが。元旦の未明に見た、今年最初の夢です。

学生たちと畑の草取りをし、ゴミ拾いをし、その後みんなで鍋パーティをやって、ワイワイしゃべって、最後の片付けまでやりとげたら2単位認定。という、何か農作業実習のような授業の風景を夢に見ました。何か、正月らしくて、でも奇妙に現実感があって、いい夢だと思いませんか。

いろんなことでトラブルがあったりストレスが絶えなかったりする現実ではありますが。「学生たちと手を動かしながらワイワイ議論して楽しむ」というのが、大学人としてのキホンですよね。

この夢を励みに、今年も楽しい大学作りを目指して、ぼつぼつとがんばります。

みなさま、どうぞよろしくお願い申し上げます。

[1/2付記] 元日の晩=1/2の未明に見た、「定義上の正しい初夢」の中身は。

やりたくもないフランス語の語学指導をテキストに沿ってやらなあかんはめになり、まあぶっつけでええかと予習もせずに授業に立ったら、知らない単語が出てきて、でもフランス語やし規則どおりに発音したらええねんとハッタリで適当に読み流して、副詞のみを伴う目的補語を伴わない動詞の文型の解説をして適当に時間をつぶすという、なんだか「手抜き授業の典型」のような夢だった。こちらは、お手本にするまいぞと誓いましたよ。汗



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