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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2016年2月

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最終更新: 2016年2月7日

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■文化人類学と開発実践の対立と和解: 少し理屈っぽい映画評『クロスロード Crossroads』 (2016/02/07)


2016年2月7日 (日)

■文化人類学と開発実践の対立と和解: 少し理屈っぽい映画評『クロスロード Crossroads』

授業や試験がすべて終わりゆく週となりました。

木曜日:今年度最終ゼミで、卒論発表会。7人の最終成果をみんなで聞いて議論しました。

晩は、卒論ゼミ生たちの送別会。サプライズプレゼントは、「寄せ書き地球儀」でした。自分たちが卒論で対象とした地域やフィールドの国ぐににメッセージを書き込んで贈ってくれたもの。ありがとう、大切にします。

その他、今春の新入生歓迎時期の仕込みとして、現1年生たちと簡単な打ち合わせ。学生がキャンパスに来る最終週なので、今だからできるあれこれの用事が立て込む、大変繁忙な一日でした。

金曜と土曜は、アフリカ子ども学の本作りの企画で、わりと詰めていろいろの仕事をしました。

土曜日:映画『クロスロード Crossroads』を観に行きました。今回は、その映画評を以下に書きます。

■作品情報
『クロスロード Crossroads』 (2015年, 日本, 103分, 日本語/英語, 監督: すずきじゅんいち, 配給: フレッシュハーツ).

■協力隊創設50周年の記念映画
本作品は、JICAの青年海外協力隊事業創設(1965年)から50周年を記念して作られた映画である。フィリピン現地で活動する3人の協力隊員の様子を中心に、それぞれの人生や価値観などをちりばめて物語を構成する。フィリピンの美しい田園風景や、都市の雑踏、過酷な労働現場の風景などを背景としつつ、途上国の現場でもがきながら活動し、その過程で変化を遂げていく人びとを描く。

■対立を経てやがて交差する2人の隊員の価値観
物語は、2人の男性隊員の対立を軸に展開する。主人公の沢田は、カメラマンとして成功したいと考える野心的な人物で、そのために協力隊の機会を利用しようとする。ボランティアは偽善だと広言し、援助よりも報道にやりがいを見出そうとする価値観の持ち主である。一方の羽村は、だれかの役に立ちたいという善意にもとづいて、商社を退職して協力隊に参加した人物であり、訓練所の時代から沢田と対立する。

この2人と助産師の志穂の3人が、同じ時期にフィリピンに派遣される。観光省に配属された沢田は、本業が暇であるのをいいことに、個人でカメラマンとしての活動を始める。その中で、偶発的な出会いから人間関係と事件にまきこまれ、人助けをすることの意味を引き受け始める。

一方の羽村は、村落開発普及員として村でドジョウの養殖を始め、コツコツと仕事に打ち込んで成功するが、村人たちの間に溶け込めないことを気にし始め、人びとの中に気楽に飛び込める沢田の性格を嫉妬する。志穂は時どき顔を出して、反目し合う2人の仲を取り持つという役割を果たす。

8年後、3人は東北で再会する。これまで対立していた2人は、それぞれの内面に起きていた変化を相互に認めつつ、ひとつの和解にいたる(これがタイトルの「クロスロード」(交差点)の含意であると見られる)。全編を通じて、2人の対立と和解を中心としつつ、協力隊が現地の人びとにだけでなく「参加する隊員の側」にも変化をもたらす事業であるというメッセージが発せられている。

■2人が体現する「呪われた双子」: 文化人類学と開発実践
本作品は、「文化人類学と開発実践の対立と和解」を戯画的に描いたものである。と評者は受け止めている。

「他者を調査して描く」文化人類学と、「他者を支援して変化させる」開発実践は、いずれも19世紀に西欧による植民地支配の文脈の中で生まれた「呪われた双子」である。同じような地域で、同じような対象の人びとに接しながら、時には対立、時には和解という関係を繰り返してきたふたつの領域である[参考文献 1]

戯画的といっていいほどの極端な価値観をもつ2人は、これらの業界の典型的な姿勢をそれぞれ体現している。

目の前の人助けよりも、写真を撮って世界に発信することの方に価値を置くカメラマン沢田は、明らかに(単純化された)文化人類学者の価値観と重なっている。一方、魚の養殖を導入して現金収入をもたらし、村を豊かに変えていこうとプロジェクトの遂行に打ち込んでいる羽村は、(これまた単純化された)開発実践の世界の代弁者である。両者は、フィールドにおいてどこに軸足を置くか、何を優先するべきか、現地の人たちとどのような関わりをもつかをめぐって、激しく対立する。そう、この作中の2人のケンカは、よく見る論争なのである。

ただし、本作が描くように、頭ではボランティアを否定するガンコな沢田も、実は偶発的な事件をきっかけに、けっこう人助けをする人物になっていく。しかも、結果的にはかなりの成功を収めてしまうという逸話とともに。また、頭でっかちの人助け精神のかたまりである羽村も、仕事だけではうまくいかないと悟り、その立ち位置を自らずらし始める。

どちらかと言えば、沢田=文化人類学の側のぶれの方が大きく描かれているのは、本作がJICA、つまり開発実践側の映画だからそれもご愛嬌かなとは思うが、いずれにせよ「沢田も羽村もフィールドで変化して、相互に接近し、気付いたら同じような地点に立っていた」という作りは、大変興味深い。文化人類学と開発実践がたどった論争の歴史を再現しているように見えるからである。

(さらに言えば、和解した後も小競り合いがぶつぶつと続く、という展開になれば、なお実態に近いと思われる)

「現場で仲良くなって溶け込み、情報を得て帰れ」という業界と、「プロジェクトを実施して支援し、変化をもたらして帰れ」という業界。これらそれぞれの業界を背負って現場に入る人たちが、なぜ本来のあるべき理念の立場をずらし、お互いに相手の要素を取り入れて、結果的に似たようなふるまいをするようになっていくのだろうか。それがフィールドの魔力です!などと適当に文学的表現でごまかすわけにもいかず、フィールドワーク論としてきちんと焦点を当てていくべき論点だと評者は考えている[参考文献 2]

■行って関わる側の視点だけでよいのか
一方、本作の最大の問題は、「行って関わる側の視線」で徹頭徹尾貫かれていることである。行って関わって、相互に接近するという変化を経験して、帰国して、当方では対立から和解へといたりました、というのは、訪れる側の都合にすぎないとも言える。来られた側の論理と視点はどうなるの?というところが終始気になっていた。

極端な例えかもしれないが、アメリカで作られたベトナム戦争映画の中には、米兵として戦場に赴き、殺し殺され、傷つき傷つけられて、私はひとまわり大きく成長して帰ってきました、みたいな都合のよい作品もあったりする。本人としてはそれで満足しているのかも知れないが、武器で攻め込まれた側の現地の視点はどうなってるんだと言いたくなるようなものもある。

訪れて無事に帰るという美談を作るためには、おおむね協力的な人びとに囲まれて感謝されながら2年間を過ごしました、という描き方にならざるをえない。つまり、現地の人びとと言動が、訪れた側の視点によって選ばれているのである。ここにも、JICAという「訪れる側」の視点で作った映画であるという限界があるのかもしれない。真逆の視点から、ある日やってきた闖入者を描いてみるというような作品も、また、あっていいのかもしれないと思う。

日本の慣習や家族の価値、ボランティアの意義などを毀損しないというふうに、物語のメッセージはおおむね安全圏の中に留まっている。また、人間はみな同じという無難なメッセージも、シャープさに欠けていた。いや、むしろ、絶対的な貧困に直面する人びとと出会ってしまう中で、立場が違いすぎるという差異をどうこなしていくのかといった、問題提起的な作り方もできたに違いない。こうした論点、欲を言えばきりがないのかもしれないが。

■途上国あるあるの風景を楽しむ
その他の雑感として、途上国でのフィールドワークあるあるネタが随所に盛り込まれていたのは、見ていて楽しかった。

役所のオフィスのたるい感じとか、仲良くなったらやたらごちそうされるとか、アポなしの突然の訪問を受けるとか、生まれた子どもにフィールドワーカーの名前が付くとか。評者はフィリピンに行ったことがないが、アフリカ諸国でも経験したなつかしい風景に見えた。

また、個人的な趣味を述べれば、主人公がカメラマンであるだけに、フィリピンの美しい風景や生き生きとした人びとの写真が満載で、楽しめた。無数のシャッター音とともに場面が転換し、物語が進んでいくことも、効果としてとても快適に感じられた。

JICAの宣伝みたいな感じの映画ではあるが、論理的には意外に深くておもしろく、描く視点としてはやや問題含みで、その功と罪の両面を議論の素材にしてみたいという意味で、観てみることをお勧めしたいと思う。聴覚障害をもつ人もともに楽しめるように、日本語字幕付きの上映の機会なども用意していただくことがあれば、と望んでいる。

■関連する文献
最後に、本をふたつ。映画鑑賞と並行して勉強してみるとなお有益だと思うので、紹介しておきます。

[参考文献 1]【沢田と羽村の対立について学ぶ】
佐藤寛・藤掛洋子編. 2011. 『開発援助と人類学: 冷戦・蜜月・パートナーシップ』東京: 明石書店.
>文化人類学と開発実践が、どのように対立し、和解し、もつれあいながら相互の関わりを取り結んできたかを概観できます。

[参考文献 2]【沢田と羽村の歩み寄りについて学ぶ】
小國和子・亀井伸孝・飯嶋秀治編. 2011. 『支援のフィールドワーク: 開発と福祉の現場から』京都: 世界思想社
>文化人類学と開発実践、それぞれの業界を背負って行ったはずのフィールドワーカーが、現場で少しずつ立ち位置を変え、結局似たようなふるまいをするようになっていくことの妙味を、アジアやアフリカの事例とともに描いています。



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