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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2017年6月

日本語 / English / Français
最終更新: 2017年7月9日

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■2017年6月のまとめ日記 (2017/06/30)
■アビジャン日記 (12): スイス出発前のひと仕事/マラリア治療、8万円 (2017/06/27)
■アビジャン日記 (11): ビザのための紙また紙/本作りの作業に没頭する (2017/06/24)
■アビジャン日記 (10): 預けた仕事が戻り始める/豪雨の中の帰宅困難 (2017/06/17)
■アビジャン日記 (9): いろいろを人に任せる/新しい日本大使館 (2017/06/10)
■アビジャン日記 (8): マラリア静養の1週間 (2017/06/03)


2017年6月30日 (金)

■2017年6月のまとめ日記

上旬は、マラリアの余波で、自宅でごろごろ。仕事を人に頼みまくった上で、ふだんはできないこと(ハードディスクの大掃除や、データのコピーなど)をのんびりとこなしていた。

中旬は、のんびりしながら、仕事復帰に向けてエンジンをかけ始める。とくに、膨大にたまった動画の書き出しなど。外出が必要なアポをキャンセルした分、かえってデスクワークを招き寄せてしまった感じがする。まあ、それはそれでいいとしよう。

下旬、アメリカ手話(ASL)を使いこなすアメリカ人聴者の牧師がアビジャンを来訪。いろいろと交流の機会をもちながら、かたや、日本語の刊行物の編集校正作業に没頭。これはこれで、よい仕事になった。

そしてあわただしく荷造りをして、月末はスイス出張。第7回欧州アフリカ学会に参加、発表した。

この月末で、アビジャン生活3か月。コートジボワールでの暮らしの半分が過ぎ、今年度の在外研究1年のうちの1/4という時期を迎えた。在外研究の成果については、手応え感はまだかなあという感じだけれど。そうなりますようにと願いつつ、種だけはたくさん撒きました(=仕事を人に頼む手配は大いにしました)という感じです。

7月は、スイスからまたアビジャンに戻ります。マラリア休暇モードの気分を脱して、大学の人たちともいろいろ会って話す機会にしたいと思う。

【20170703追記】
そうそう、今年度は1年間、授業もゼミも論文指導もすべてお休みにして、大学を出てきたのだけれど。まだ会っていない今年度の国際関係学科の1年生対象に、在学生たちがバナナ料理教室を開催したのだとか。

地球の反対側の遠隔地にいながら、いろいろな情報提供など、バナナ料理教室のための準備のお手伝いを少しだけしました。くわしくは、こちらの記事をご覧ください。今年度、私が果たした、唯一の教育関係の仕事です。

愛知県立大学外国語学部国際関係学科公式学生ブログ
「今年も開催!国関バナナ教室」(2017年7月2日)


2017年6月27日 (火)

■アビジャン日記 (12): スイス出発前のひと仕事/マラリア治療、8万円

アビジャンで、出発準備と出かける前の片付け仕事。

■出かける前の大仕事
1週間、アビジャンを留守にする。この間に作業が停滞してはいけないので、いくつか仕事をまとめて人に預け、留守の間に進めてもらうことにした。私がいなくても、その時間を空白状態にはしない。私はケチである。そして、私は容赦ない。

ひとつ目は、動画手話辞典の編集。これまでできた動画を人に預けて、確認の作業を依頼する。何十時間もかかる動画の書き出しは、夜通し PC を稼働して行うこともある。朝起きて、さて、どれくらいできたかな、と見るのが楽しみ。まるで、「ヤシの樹液が器にたまって発酵して酒になるのを待つような気分」である。今週は445語の書き出しを終え、通算計2,611語の動画が完成した。これをスイス出発前にアビジャンのろう者の作業仲間に預けた。さらに、追加撮影するべき語のリストなども、作っておいてと頼んできた。

ふたつ目は、フランス語の校閲。直しを済ませた原稿の最終版を人に預けて、読んでもらうことにした。

三つ目は、先週がむしゃらに取り組んだ、日本語の本のチェック。3万字近い分担執筆者たちへのコメントをまとめ、日本の出版社が日本時間の月曜朝に仕事を始める前に、すべてお届けした。

ふう。これだけ任せれば、アビジャンに戻った後、すぐに次のステップの作業に着手できる。安心して、国際会議の自分の発表の準備に取りかかった。順序が逆ではないかと思うかもしれないが、これでいいのだ。「他人の手を借りる作業こそ先にやる」「人に預けて、自分の時間を作る」「自分の仕事はいつでもできる」というのが、最近の私のポリシーである。

■マラリア治療、しめて8万円
こうした仕事の合間に、書類の作業もした。ちょうどマラリア発病から1か月。ようやく、海外旅行保険の会社に請求をする気になった。嫌な体験を思い出すので、正直言ってこういう書類の整理は憂鬱である。

いずれ保険で出るとは言うものの、一度は自分で立替払いをするので、だいたいこのくらいの出費になるということを記録として書いておく。

治療費・通院交通費計:416,398F

・治療費計:373,398F
(うち入院治療費:262,478F、再診血液検査費:94,800F)

・通院交通費計:43,000F
(うち救急車:25,000F、他はタクシー。豪雨の中のぼったくりタクシー代を含む)

※単位 F は Francs CFA(フランセーファ)。1ユーロ=655.957 F の固定相場。おおむね5F=1円と換算できる。

ざっくり総額8万円。うち治療7万円(入院5万円、血液検査2万円)、交通費1万円(うち救急車5,000円)。といった感じである。私が熱病で意識朦朧となった時、うちのつれあいは文字通り自宅のあり金をすべてかき集めてカバンに詰め、救急車に同乗したという。再診の血液検査費2万円など、それだけでこちらの労働者の月給が吹っ飛ぶレベルの請求が来る。

アフリカで病院に行く時は、病気そのものもさることながら、院内感染が怖いから、ケチケチしてもいられない。そこで得られる最善の環境を選び、請求されただけのものを払うという方針でいる。それにしても、医療は「贅沢な出費」である。いろいろな格差と貧困などについて考えさせられた。

■水道豪雨日記(6/11-27)
前回に続き、6/11-27の自宅の水供給記録を載せておく。水道7日 VS 豪雨7日の、引き分けという結果となった。

6/11日 豪雨
6/12月 豪雨
6/13火 豪雨
6/17土 水道、豪雨
6/18日 水道
6/19月 水道、豪雨
6/20火 豪雨、水道
6/21水 水道
6/22木 水道
6/24土 豪雨
6/25日 水道

■そしてスイス、バーゼルへ
いろいろを片付け終えて、荷造りをして、深夜のエールフランスでアビジャンを後にする。スイスで開催される第7回欧州アフリカ学会(ECAS7)に参加するためである。

では、次の日記はスイスから。


2017年6月24日 (土)

■アビジャン日記 (11): ビザのための紙また紙/本作りの作業に没頭する

photo20170612_mosquee.JPG そろそろ(今日かな?)、ラマダーン明けのお祭りですね。

ショッピングモールに "Promo Spéciale Ramadan"(ラマダーン特売)の看板が出たり、スーパーは果物やお茶、ミルクなどの詰め合わせバスケットをプレゼント用に並べたり、仕立屋さんは新しい服の注文が多くて忙しいと言っていたり。

ラマダーン明けの最初の平日である来週月曜は祝日で休みになるので、3連休の長い週末。それもあってか、ちょっと華やいだ雰囲気のあるここ何日かです。

ラマダーン明けを記念して、プラトーの la Grande Mosquée の写真を掲載。

■ビザのための紙また紙
今週は、出入国と滞在に関する手続きに時間を取られたりした。

今年度は1年間日本を留守にして、あちこちの国ぐにに滞在する。おもにはコートジボワールとフランスに長期滞在の予定、また、国際会議でちょこちょこといくつかの国を訪れる見込みである。そこで必要なのが、ビザ。今週は、必要あって3か国4件くらいの手続きに関わっていた。

ビザというのは、本当にめんどうくさい。書類がやたら要るからである。今年度の長期海外滞在を企画し始めてから集めた書類は、写真、パスポートのコピー、招聘状、航空券、学位証明、保険証明、居住証明、宿泊証明、銀行証明、予防接種証明、ほか、なんだかんだ。いいかげん、こういう「紙類」に飽きてきた。

アフリカに来ても、それから解放されない。ゆるりのんびりと暮らしたい熱帯アフリカで、こういう書類の雑務にちまちまと追われるのは、何とも奇異な感じがする。しかも、しばしば物事が進まない。役所の窓口では、期日通りに書類が出てこない(しかも複数回にわたって)という災厄にも見舞われるからである。

こっちは紙が出てこないと困るから、何度も窓口に押しかけては、まだかまだかとせっつくことになる。せっつかれる役所の職員も、だって上から書類が回ってこないからしょーがないだろと、うんざりした顔。そちらはそちらで板ばさみの立場なのかもしれない。申請する方も申請される方も嫌な思いをするなら、いっそのこと、こんな面倒なことお互いにやめませんか、と提案したくもなる。

あ、いえいえ、ちゃんと書類が整ってこその出入国だし、滞在だし、ゆったりしたアフリカ生活なのだから。ちゃんとやりますとも。はい。

でも、ひとつだけ真顔で人類学的なグチを言うとすれば。

そもそも、ホモ・サピエンスというのは、書類もビザもなんにもないままに、アフリカから歩いて世界各所に移り住んできた動物なんですよね。にも関わらず、各所に移住した後に、それぞれが国家などを作り、国境を引いて、後から来る人たちを選別して、許可を与えたり与えなかったりする。おかしな話ではないか。いったい何の権限があって、そんなことが正当化されるのだ?

「世界大の移動性の高さ」こそ、私たちホモ・サピエンスのたぐいまれなる特色のひとつであるのに。越境するためにいちいち膨大な紙と文字を必要とするという制度自体が、そのルーツに反するあり方ではないだろうか。

…などと、書類のめんどうくささの鬱憤のやり場がなく、人類史を参照しながら八つ当たりをする。

■本作りの作業に没頭する
さて、仕事の方について。今週は、まず日曜日に手話辞典の動画470語の書き出しを終えて人に託した後、アビジャンでするべき仕事を他の人に任せた上で、自宅でデスクワークに没頭した。

火曜日。こちらの知人と共著論文の件で打ち合わせを予定していたが、朝から激しい豪雨で、すべてのアポがキャンセルになった。空を見て、ああ、この雨なら今日はすべての用事が流れるな、という「読み」ができるようになってきた。

大雨のため自宅待機の一日。思い切って大仕事に取りかかる。ある日本語の本作りのお手伝いをしていて、その原稿を精読してコメントを付けるという作業に着手した。

火曜日。終日原稿を読む。
水曜日。朝と夕方に原稿を読む。
木曜日。終日原稿を読む。

これで、本1冊分の原稿(27万字におよぶ)をすべて熟読し、コメントを作成した。やればできるものである。各原稿へのコメントを作成し終えてみたら、コメントだけで2万9000字を数えた。論文1本半ほどの分量に迫る書き仕事を、この数日間で終えたことになる。

いつも思うことだが、「没頭する」ということは、本当に仕事の効率を高めてくれる。「そのことしかやらないまとまった時間」があるのとないのとでは、成果の出方がまるで異なるのだ。今年は、そういうことができる年に当たっている。

他方、細切れの授業と会議と諸連絡が延々と続く日常の大学生活は、そういう「没頭」を許さない、効率の悪い労働形態である(あくまでも「研究の成果」という尺度に照らせば、の話。教育上の成果は多数上がり、それはそれで楽しいものではあるのだが)。

もし私が新しい大学を設計してよいならば。すべての授業を集中講義にして、授業期間はそれだけに没頭してこなした上で、後はすべて研究休暇にする。そういうふうに、時間とアタマを使い分けられる大学だといいなあ、と夢想する。

本に話を戻せば。この本のテーマは、「アフリカの多様性」である。他ならぬアフリカの都市であるアビジャンのアパートの一室にこもりながら、アフリカの多くの地域でコツコツと調査を続けている研究仲間たちの論文を読み、さまざまな姿のアフリカを学ぶ。私の目の前のアビジャンだけがアフリカではない、アフリカはこんなにも広くて多様で、知らないことばかりなんだ、と再認識する。自分の経験だけで代表させてアフリカを語ってはいけない、という謙虚な姿勢を培うことができた。

3日間でアフリカ一周の旅をしたような充足感を味わうとともに、貴重な原稿が世に出る前の「最初の読者」になれたことの幸運をかみしめた。

アフリカ研究仲間たちの貢献で、これはきっといい本になると思う。仕事がもう少し進んだら、また紹介したいと思います。

■お説教モードの女性たち
たまには(いや、初めてか?)、こちらに同行しているうちのつれあいのことを書こうと思う。

いつも私単独で短期調査に来ていたアビジャンだが、今回は妻も仕事を休んで同行、長期滞在するという挑戦をしている。

つれあいは、アメリカ手話の素養があるろう者である。共通語彙の多いこちらの手話言語にもあるていど慣れ始め、ろう者や聴者の女性たちの友人知人も増え、一緒に買い物に行ったり、家を訪れたり、いろいろと交流をしている模様である。いろんな食材や布地を買ってみたり、ろう学校やろう者団体でボランティアをしたり、彼女なりの過ごし方をしている。

で、ある時、ぽろっと聞いたのが、こういうこと。

「こっちの女性って、あれしなさい、これしなさいって、お説教モードが多いんだよね」

たとえば食材や料理法、買い物のしかた、服の選び方、いろいろについて女性たちが善意でアドバイスをくれるのだけれど、どうもちょっと押し付けがましい感じがして、息苦しく感じられるのだとか。

私は男性で、どうしても仕事中心、男友だち中心の交友が多かったから、女性たちの輪に日本から来た女性が入るとどういう経験をするものか、想像が付かなかった。

これまでも、男性から女性に向けられたさまざまな権力の発露については、私もいくつか気付くことがあった。

たとえばパーティなどが催されたりした時、男性は社交と飲食に忙しく、まったく配膳や片付けに参加しない、という傾向には気付いていた。見るに見かねて私が片付けの手伝いを始めると、「そういうことは女たちに任せればいいんだ」と、わざわざ男性から止められたことすらある。私はそういうのは居心地が悪いから、個人として勝手に片付けに参加しているだけなのだが。

また、私たちがアパートで水不足に悩まされている時、男性の来訪者が私のつれあいに対して、「あなたも、水をくんで運ぶのに慣れないといけませんね」と冗談めかして述べていた。水くみなどの重労働は女性がやるべきだという規範を、軽い冗談まじりで述べる感覚に、私はイラッとした(実際のところ、水不足になれば男性たちも水を運んでいる。これは、あくまでも語りに現れた価値観の話)。

今回知ったこととして、女性から女性に対して、ああしろこうしろ、これくらい知っとかなきゃ、そういうのはダメでしょ、こんなもの選んではいけない、こういうことには注意しなさいよ、などという細ごまとしたプレッシャーがかかってくるとは。まるで、家事労働の経験が足りない子どもを叱るような言いぐさではないか。

「国際交流の機会が少ないから、自分たち中心の価値観になるのかな」

つれあいは、そういう見立てをしている。また、もしかしたら、ここの女性たちが常日頃経験し、すっかり内面化してしまっている有形無形の規範による抑圧の、形を変えた現れなのかもしれない、とも私は考えた。

ちょっとした感情のこじれなどが生じたとき、こちらの男性たちが少し優位な立場から間に入って収める、といったこともあった。当座の仲直りの儀式としては、そういう介入はありがたい。しかし、そういう男性が、また余計なことをぽろっと言うんだよね。

「まあ、こうしたことは、女性たちの間ではよくあることだ」

う…む。そうなのか? 根本的な原因を作っているのは、女性に規範を押し付けている男性優位社会ではないのか? 他人事のように論評している場合かよ君たち男性は。などと、男性たちの仲裁には感謝しつつも、少しばかりのいらだちを私は心の中に抱え込む。

つれあいの体験を通じてかいま見る、アビジャンの暮らしと価値観。短期訪問の旅行者にはきっと見えない、長期滞在ゆえに見えてくる世界。私の気付かなかったアフリカが、また少し姿を現した気がする。

(付記:あれこれお節介を焼いてくれるほどに、「縁遠い他者」ではなく「身近な仲間」として認識してくれているのかな、という解釈も成り立つかも。自分たちに気持ちの余裕のある時は、そのように前向きに受け止めておくことにしよう)

■動画でやりとりしようという要望
先週、自宅の WiFi の10GBものチャージがすぐに無くなってしまってぶつくさ、という話を書いた。

その後、WiFi をつないでも使ったらすぐに切る、だらだらネットサーフィンは自粛してピンポイントの調べものだけする、重いデータのダウンロードは自宅ではせずに無料 WiFi があるホテルのレストランで行う、などのケチケチ生活を続けてみたら、WiFi 残量の減り方はゆるやかになった。先進国病と言っていい「WiFi 使い放題の悪癖」が、少しずつ抜けてきている。

でも、やはり日本や欧米からは、「ウェブがつながる=どれだけ大きなデータでも好き放題にやりとりできる」の期待の圧力が、常にかかってくるのだよね。

「Skype で打ち合わせをしましょう」
「動画を撮って送ってください」
「ソフトはウェブからダウンロードできますよ」
「詳しくはこのリンク先の YouTube を見て」

いやいや、そういうのには応じられません。

物理的に不可能ではないが、通信料が高くなり、しかも遅いから待つことになり、なおかつ、途中で回線が切れて通信料も待ち時間もすべてムダになる、といったことを、私は何度も経験した。それらを覚悟してまで、ウェブ浪費国の慣習に合わせる必要はないと私は考える。だから、基本はこういったお誘いはお断りし、わりとガンコに「文字だけのやりとり」を続けている。

アビジャン滞在、そろそろ3か月。ちょうどひとつめのビザが終わりゆくタイミングにて、スイス出張に出かけます。バーゼル大学で開催される欧州アフリカ学会に参加するためです。初めて参加する学会、ヨーロッパにおけるアフリカ研究の潮流を見てきます。日本から参加予定の知人も何人かいる模様。楽しみです。次回は「バーゼル日記」を書こうと思います。

では、また来週。Bon week-end !


2017年6月17日 (土)

■アビジャン日記 (10): 預けた仕事が戻り始める/豪雨の中の帰宅困難

ただいま雨季まっさかりのアビジャン(あ、そういえば日本でも今ごろは雨季(梅雨)かもしれません)。水不足の解消にはいいけれど、自宅に帰れなくなる、道路が川になる、車が泥をはねる、会議やアポの予定が流れる、マラリアを媒介するハマダラ蚊が増えるなど、ちょっと面倒も多い季節です。

■マラリアの後遺症?
体調はすっかりよくなった。しばらく禁酒を命ぜられていて、それもあってか、全般的に調子がよい。

後遺症というか、すこーし残った症状として、「古傷が痛む」というのがある。マラリアの最中は、体中の関節という関節が激しく痛んだ。そのほとんどは消えたが、過去に大きなケガをしたところが痛みを残しているのである。以前捻挫した右足首、4月に打撲した左手首など。

ここは舗装道路でも凸凹が多いから、手話でしゃべりながら道を歩いていると、足元がおろそかになってよろけやすい。足首をひねってヒヤリとしたことが何度もある。足のケガが再燃したら災難だから、道でのおしゃべりはひかえ目にしつつ、そろりそろりと歩いている。

■預けた仕事が早くも戻り始める
今週の仕事。まず、先週いろんな人たちに預けた仕事が、早くも戻り始めた。いやはや…仕事の早い仲間をもつと、快適ではあるが、こちらの身も心も休まらない。のんびりもしていられなくなった。

びっしりと真っ赤に修正された、フランス語の原稿。いやー、やっぱりできる人に見てもらうといいな。かっこよく、しまったフランス語の文章になる。

私が書いた論文はデータ重視なので、事例や数字、固有名詞、図や写真をたっぷり盛り込んでいるという意味で、それなりに価値がある自信はあるが、フランス語の文章表現についてはまったく不勉強。中学生が背伸びして英語の小論文に挑戦しているようなものである。

校閲者から戻ってきた原稿を、さらに目を皿のようにして確認する。時どき、校閲者の方が間違えている箇所を見つけ出しては、心の中で快哉を叫ぶという、「お釈迦さまの手のひらの上でケンカを売る孫悟空」のようなじたばたの修正をした後に、きれいに整った原稿を共著者に回した。これで、また仕事が他人の手元に行ったことになる。

photo20170614_bony.JPG

■動画の作業を加速させる
もうひとつ、今週大いに取り組んだのが、動画の編集を加速させたことである。

ちょうどろう学校が長期の休暇に入ったこともあって、こちらのろう者たちにも時間の余裕ができた。この機会に一気にやってしまおうと、私もなるべく毎日ろう学校の作業部屋に詰めて、一緒にあれこれと問題を解決しながら、膨大な映像データの処理に取り組んでいる。

編集作業全体はチームワークでやっているが、とくに手話動画の切り出し作業をおもに担当しているのが Bony くん。Final Cut Pro での編集技法を習得し、黙々と作業を進めてくれる頼もしい相棒である。何千もの動画をすでに切り出した功労者。

最近、こちらで Compressor のアップグレード(4.2.2 → 4.3.2)をしたところ、急に動画の書き出し速度が遅くなってしまうなど、いくつかの技術的な困難にも直面しているけれど。長期滞在の場合は、ゆっくりしたペースでデータの整理ができるからありがたい。週末に、かりかりと長時間の映像書き出し作業を MacBook Pro にさせながら、他の仕事をしている。

■国際会議前のロジ
他にも、ためていた仕事、たとえばこれから参加する予定の国際会議のロジ作業などもした。

時間の余裕のある今年度は、アフリカ長期調査もさることながら、できる限りの国際学会に出て、これまでの成果の蓄積を世界に発信してやろうと意気込んでいる(目下、今月末に迫ったスイスと、来月末に予定されているガーナの会議の準備中)。

で、複数の国際会議から、発表OKとか、参加費を払ってくれとか、いろいろな連絡がまいこむことになる。いくつもの国際会議に並行してアプライしていると、何をどこまで手続きしたか、自分でも忘れてしまうのである。

そこで作った、備忘録。これだけやれば、おそらく国際会議に行って、ぶじに発表して帰ってくることができる。

===
1 Call for paper
2 Accepted
3 Registration
4 Conference fee
5 Flight
6 Hotel
7 Visa
8 Party
9 Excursion
10 Museum
11 PPT
12 Handout
13 Others (weather, plug type, access, currency)
===

まず (1) 発表募集に応募し、(2) 採否の連絡、ここで採択されたら (3) 参加登録をし、(4) 参加費を払って、(5) 行くことが本決まりとなれば航空券を買い、(6) 宿泊場所を決めて、(7) それらの書類をもとにビザ取得または電子登録(USA、カナダなど)、(8) 学会の懇親会や、(9) 関連視察企画に申し込み、(10) 近くに関連分野の博物館があれば資料収集を計画、(11) 発表スライド準備、(12) 配布資料印刷、(13) 直前に天気と電気のコンセントタイプとアクセス地図と通貨を調べて、出発!

このリスト、いろいろなことを忘れなくていいですよ。忘れっぽい自分に業を煮やしてマニュアル化してみたところ、「あ、今週は会議準備がここまで進んだか」と、すごろくで遊んでいるような気にもなってくる。少しだけ、こういうロジが得意になった。

■アパート入口の鍵の故障
今週は、仕事が平常モードに戻って快適になった一方で、生活の面では何かとトラブルが多かった。

まず、アパートの入口のカギが故障した。自室のドアのほか、共有部分にドアがふたつあって、いずれもカギがかかるというふうに、セキュリティはまあ高い方である。ある晩、その共有部分のカギのひとつが故障していた。

こういう時、どうしますか? 共有部分なので、「カギが故障してますよ」と家主に連絡して、修理してもらう。そういうものだと私は思い、知らせてみた。ところが、家主いわく「壊したのはいったいだれだ」「2世帯の入居者のどちらかだろう?」「壊した人に払わせる」と、いきなり犯人探しモードに入ったのである。善意の通報が、こういう形で返ってくるのは、とても心外に感じられた(家主ではなく、壊した人が共有部分の修理代を負担するというのがこちらでは一般的であるらしいということは、後に知った)。

相手の顔が見えない電話で、家主のいらだちと疑念を受けながら、「私たちが壊したわけではない」と釈明するのに精一杯。疑いが続いたり、いきなり修理代の請求がきたりしたら嫌だなあ、という不安の中を、何日か過ごした。結局、もう1世帯の入居者が故障の責任を認めて、修理代を負担することになった。そのことを三者で顔をあわせながら話し合い、クリアに解決できたのでひとまずよかったけれど。

(ついでに書けば、同じ時期に、アパート3階(現地呼称では 2e étage)の入口に突如新しいカギ付きドアが設置され、地上階のカギの故障との関連が分からずびっくりしたというできごとも重なった。ひとこと説明してくれたらいいのに…などとも思う)

■豪雨の中の帰宅困難
もうひとつのトラブル。月曜日に激しい豪雨に見舞われて、プラトーからの帰路、帰宅困難になった。大雨、渋滞、ビジネス街からの帰宅ラッシュも重なって、タクシーがまったく拾えない。「ヨプゴンまで」という行き先を告げただけで、「NON」「NON」…と乗車拒否の連続である。

夜の闇が次第に迫ってくる。こういう時、私はガボンで強盗犯罪被害に遭った忌まわしい経験が重なって見える。リーブルヴィルで、今回と同じように夕刻にタクシーをつかまえるのに苦慮していた。親切そうな若い男性が、「便利な乗り場があるから教えてあげる」と近づいてきて、うっかり同行してしまった。数分後、その男がいきなり路上強盗に豹変したのであった(幸い、軽いケガをし、紙幣何枚かを投げ捨てて逃げるという程度で済み、命に別状はなかった)。

大雨という状況の中、自分の身を守る交通手段がないまま、路上で夜が更けていく。そのことの深刻さを、私は肌感覚の恐怖とともに理解している。最悪、どこかホテルに泊まろうか、とも考えた。

結局、豪雨の中、1時間ほども乗車拒否にあい続け、スーパーの周辺にいる小遣いねらいの若い連中にも手伝ってもらって、タクシーを探し続けた。ついに見つかった空車1台。いかにも嫌そうな顔をしたドライバーと交渉をした結果、タクシー代5,000F、タクシー探しの手伝いをした若い男にチップ1,000Fの、合計6,000Fで妥結、家路につくことができた。通常の相場の2倍である(それでも足りないと、2人とも文句を言ってきた)。

嫌な話だが、困ったときは、カネで解決して安全を買うしかない。豪雨の中の帰宅困難の人びとを車窓から見やりながら、複雑な感情を抱いた。

■水と WiFi はタダである?
5月末に導入した、自宅の WiFi(MTN 社)。契約の時に、1か月有効の10GBのチャージ(20,000F、前払い)をして、これだけあれば当分はいけるだろうと、朝晩あれこれと連絡や調べものなどをして過ごしていた。

しかし、である。10GB は、わずか17日で消費しつくしてしまった。この早さといったら。ウェブ使い放題の世界に慣れてしまった私たちは、情報は何でもウェブ上に無料で転がっているという感覚になっていて、ウェブを使うたびに実は電力を消費し回線をデータで占有しているということを忘れている。それが具体的な料金として降り掛かってくると、あらためてその事実を認識する。

仕事のために必要だからしょうがない。2回目の10GBのチャージをしに店頭に行って、万札(ただし10,000F)を2枚払い、それからは少し用心深くなった。

ウェブの世界には重い動画やソフトなどのコンテンツがあふれていて、瞬時につながり、あたかも世界が狭くなったかのように錯覚する。しかし、「通信料の高さ」「回線の細さ」「頻繁な停電」などのバリアがアフリカには存在している。経済大国の人びとが重いコンテンツをタダ同然で平気で扱う一方で、アフリカでは高い通信料を気にしながらおそるおそる使う。そういう格差が存在している。

水道もそう。WiFi もそう。いつもふんだんにあって特に感謝もしていないものが、不足し、あるいは刻一刻と課金されてやがて底を付くという経験は、何かに慣れきっている私たちの方が特殊であるという実感を取り戻すのに役に立つ。水と WiFi は、タダではないのである。

「アビジャンは週末に豪雨」との警報があった。いつもより心持ち少し多めに水と食料を買い込み、外出ができない時の備えをする。

この週末は、500語くらいの手話の動画の書き出しをしよう。豪雨は降ってもいいし、ウェブが切れてもあまり困らないけれど。MacBook Pro のスムーズな動画書き出し作業のために、どうか停電だけはきませんように。

では、また来週。Bon week-end !


2017年6月10日 (土)

■アビジャン日記 (9): いろいろを人に任せる/新しい日本大使館

マラリア発症からちょうど2週間。いくつかの仕事を再起動させました。というか、基本は「仕事を自分でかぶらずに人に任せていく」という仕事です。

■久しぶりの外出
マラリアとその後の薬の副作用で、足腰などの全身の筋肉が弱り、3階(現地呼称では 2e étage)の自宅に階段で上るだけで息切れするような暮らしであった。

月曜日が祝日(Pentecôte)だったので、金土日月と4連休の長い週末をおもに自宅でごろごろしながら過ごし、火曜日頃から、そろそろと家を出始めた。いつも作業場、活動場所としてお世話になっている国立ろう学校に出向いて、いろんな仕事の再起動を始めた。

久しぶりに会った知人たちは、みんな胸に拳を当てて回す手話で「Yako」と言ってくれた。フランス語で言えば「Désoré」である。病気など、大変な状況への同情を示すことば。

みんなが口ぐちに/手に手に、自分のマラリア闘病経験を語ったりするのがおもしろかった。

1週目は、治療。
2週目は、静養。
3週目から、働きなさい。
とにかく、水を飲め。

みたいに、格言のようにマラリアとの付き合い方の心得を教えてくれる知人も。そんなわけで、再会を喜びながら、そろそろ仕事に戻ってきたわけである。

■今週のテーマは「仕事を人に頼む」
寝ている間は、本当にすべてをシャットダウンしていて、携帯のメッセージにも返事をしていなかったほどであった。仕事の再開にあたって、自分の身体に過酷な労働をいきなり課すのではなく、「自分のところで止まっている作業を、人に振り始める」というあたりから開始した。

膨大な仕事があれこれ手元にあるとはいえ、少し手はずを整えたら、他人に作業を委ねることができる。他人に任せて、しばらくぼんやりさせてもらい、機が熟していろいろが実ってきた頃に、私がフル稼働に戻っていればよい。

病み上がりの仕事術とは、その実、「うまく人に頼むこと」であるらしいと悟った。

そんなわけで、毎日目標を決めて、今日はだれに何を頼もう、という「to do リスト」ならぬ「to ask リスト」をこなしていった。

・手話動画の対訳確認を「人に頼む」
・フランス語論文の校閲を「人に頼む」
・動画編集作業を「人に頼む」
・今年度後期のビザに関わる手続きを「人に頼む」
・辞書のシステム構築を「人に頼む」
・校正済みの原稿の修正を「人に頼む」

うーん。われながら、ずいぶん多くの仕事を振りまくった。作業の果実が実り始める今月下旬くらいに、順番にアポを入れて成果を取り入れることにしよう。私は、しばしのんびりさせてもらう。

などと言いながらも、ぽっかりと空いた木曜日の1日は、自宅にこもりきり、ある日本語原稿のことで、朝7時から晩の22時まで、一気呵成で大仕事をした。「没頭」と同様、「一気呵成」という作業モードも、日本の雑務のすきま時間には経験できないことである。

■ハードディスクの大掃除
移動も会話もしんどいし、頻繁に人に会って体力を消耗するのは避けたいなあと感じていた、今週の前半。もうひとつちまちまと進めていた作業とは、「ハードディスクの大掃除」である。

常用の MacBook Air 本体のハードディスク(120GB)に、外部記憶装置のハードディスク2個(1TB と 2TB)、そして持ち歩き用の USB メモリ1本(16GB)。

これらの中に、文書やら写真やら映像やら、膨大なデータ類が未整理のまま、乱雑に保管されていた。どこに何がしまってあり、何がコピー保存済みで、何が未保存で、といったことを、本人が把握していない状態のまま、すべてをつかんであわてて日本を出てきたというありさまである。

私のアタマが冷温停止し、創作活動やら授業やらが完全にストップしている今こそ、こうしたデータをゆっくり開けて、大事なものを保存し、不要なものを消去し、といった作業ができる。

体がアクティブに動かない機会に、2-3日かけて、これまでのフィールドの写真やら何やらをすべて分類し、何十ギガもあろうという膨大なデータの全体をカリカリと複写保存した。数時間かけてコピーしたり削除したり、黙々と働く PC の画面をぼんやりと見つめ、作業のなりゆきを見守る、なんて、病気の時くらいにしかできないことである。

おかげで、だいぶ見通しのよいデータベースができた。アタマの中も、現実の調査も、そのアウトプットも、いつも混乱をきわめているけれど。データはすぐに取り出せる態勢ができた。これが、闘病中のもうひとつの成果である。

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■新しい日本大使館
金曜日、マラリア後の再診で病院を訪れた後、プラトーの日本大使館を訪れた。つい先日、5/29月に移転したばかりという新しい事務所である。

これまでは、Alpha 2000 という赤茶けた古いビルの中にあって、エレベータが壊れて動かないなど、かなりの年代を感じさせるオフィスであった。新しいオフィスは、同じプラトーの少し南、Novotel の北側向かいのビル Immeuble la Prévoyance の3階(現地呼称では 2e étage)で、新しく、しかもフロアが広く、開放的でいい感じ。すてきな集会室もあって、いずれ大使館とコラボで楽しい学術行事なんか企画してみたいなあなどと夢も広がった。

新オフィスへのごあいさつがてら、昨今の治安状況について教えてもらい、また、マラリアを経験した直後だけあったため、医務官の方と病気情報なども交換して、おいとました。

ちょうど今は、ラマダーンの最中。大使館の近所の la Grande Mosquée du Plateau では、金曜の午後に集まったムスリムたちが、そろって東を向いて礼拝をしていた。

「アッラーフ・アクバル…」とアザーンが響き渡り、路上駐車と自動車の渋滞で一帯が大混雑する中、礼拝のおじゃまにならないよう、青い美しいタイルのモスクの横の道を静かに通り過ぎた。

そういえば、ちょうどラマダーンが始まった5/27土は、このモスクの隣の病院の3階(現地呼称では 2e étage)の病室で、熱病にうなされていたのだなあ、と思い出す。そろそろ満月で、ラマダーンも山を越え、あと2週間後にはラマダーン明けが訪れる。静かな祈りの街となったプラトーを後にして、家路についた。

■水道より有用な豪雨
相変わらず、水道が役に立たない家である。5/9火から6/10土までの32日間で、水道が出たのはわずか5回であった。それ以外の日は、ためておいた水道水と、豪雨の時の雨水の備蓄で暮らしている。

ためしに、この32日間に「水道が出た日」と「豪雨が降った日」をすべて書き出してみた。ご覧の通りである。

(ここでの「豪雨」とは、ベランダにポリバケツを放置しておけば、いっぱいにたまって1週間は水に不便しないほど、豊かな雨量に恵まれた時を言う。ちょっとしたにわか雨などは含まない。)

5/11木 水道が出る
5/14日 豪雨が降る
5/24水 豪雨が降る
5/24水 水道が出る
5/25木 豪雨が降る
6/3土 豪雨が降る
6/5月 豪雨が降る
6/6火 水道が出る
6/7水 水道が出る
6/8木 水道が出る
6/9金 豪雨が降る
6/10土 豪雨が降る

傾向1:水道が出ない時期に、豪雨が降ってくれて、役に立っている。
傾向2:いや、むしろ水道よりも豪雨の方が頻度が高く、有用度が高い。
傾向3:豪雨の後は、どうやら水道が出やすい。(水の供給が増えるのか?)

アビジャンの水道設備に文句を言うよりも、「雨乞い」をした方が、現実には望みがかなう確率が高いという結果が明らかになった。それに、水道は、豪雨の後追いで出てくるものらしい。本当に乾いて困った時には出ないのである。もう、苦笑するしかない。

そんなこんなで、雨水も有効利用しながら、水不足にも慣れてきた。ないならないで、節約して暮らせばよいのだろう。

それでも、水が来る徴候がまいこむと、うれしくなる。相変わらず、雷鳴が轟いたらバケツを持って雨水を汲みに走り、水洗トイレの水流が復活してシュルシュルと水を供給し始める音がしたら、水道の栓を確認しに走る。水がある間に洗濯と備蓄をして、次の機会に備える。そして、水道が出たら栓を目一杯全開にして、シャワー室とトイレと台所の大掃除をする。そんな暮らしを続けている。

仕事を他人に振って回ったおかげで、6月の中旬は少し時間ができた感じがする。この貴重な時間を、もちろん第一には自分の静養に回すつもりでありながら、せっかくだから、普段できないまとまったデスクワークに振り向けてみようか、などとも考える。

では、また来週。Bon week-end !


2017年6月3日 (土)

■アビジャン日記 (8): マラリア静養の1週間

6月上旬、そろそろ小学校なども学期の終わりに近づいていて、長い長い3か月のバカンスが始まります。よく作業でお世話になっている国立ろう学校も、今週で終業だとか。生徒たちにお別れを告げる機会も逸したまま、私は自宅でゴロゴロと静養の日々でした。

■マラリア入院その後
先週の木曜に発熱、金曜に緊急入院となった熱帯熱マラリア。手当の迅速さもあって、入院は2泊で済んだ。

うちのつれあいはもとより、お世話になった医療スタッフ、救急車、また友人知人の手助けに心から感謝している。森の奥でひとりでテント張って暮らしていたら、きっと今ごろ生きて帰れなかっただろうと思う。

2泊3日の入院生活は、それなりに快適な環境にあった。こんなとき、変に節約して安い病室を選び、体調を悪化させてもしかたない。私立の総合病院の個室を選んだだけあって、冷房が効き、備え付けのパジャマがあり、毎日三食に加えておやつのケーキまで付いてきた。ここの民衆にとっては、最高級の厚遇に映ることであろう。

食事…。吐き気の激しい闘病の最中に、固いステーキやこってり油のチキンやピザを出すってどうなん?と思わないでもなかったが、食事のない病院よりはマシである(一番おいしかったのは、朝食のミルクココアだった)。

病院で熱にうなされながら、私が切望していたことがある。何度か体温を測り、それを記憶していた。それをノートに書き留めたい!ということを、悪夢に苦しみながらもずーっと望んでいたのである。少し意識がハッキリしてきた時に、気がついた。つれあいが、入院手荷物のなかにフィールドノートとペンを入れておいてくれたのだ。大喜びで、これまでの体温その他の病状を記録したことは言うまでもない。うちのつれあいは、「命の次に、記録」みたいな人類学者の挙動をよく知っている。感謝している。

■そして退院
日曜の朝。スタッフは、医師の判断を待ってから退院可能かどうかを決めると言い、早朝6:30から検査採血に来た。昼近くになっても退院の可否が分からず、どうしたのかと医療スタッフに聞いたら、もう退院するものと決まっているという(まず本人に教えてくれ)。

最後に医師が来た。3日間は働かないように。その3日は Quinimax を飲み続けること。あわせて、肝臓をやられているので、これとこれを飲み続けなさい。できれば、その後も安静に。酒は飲まないこと。2週間後に血液検査で再診しなさい。

帰りは一般のタクシーを拾い、薬局で処方された薬を買って、家に着く。ぐったり。あの悪夢のような緊急搬出の朝を思い出した。

■何にもしない1週間
高熱が引いたから終わり、というものではない。マラリアは、他の症状が何日も後を引く。頭痛、吐き気、疲労感、めまい、食欲減退、腹くだし、ほか。マラリアの症状のほか、強い治療薬の副作用も加わって、しばらくは何もできない。

なお、このマラリア治療薬の副作用の嫌な感じ、というのを私は一度だけ経験したことがある。

カメルーンの熱帯雨林で調査中に、マラリアを疑う高熱を発した。病院もない森の集落ゆえに検査もできず、怖くなった私は自分の判断でマラリアの治療薬 Lariam を規定どおり服用したことがある。その時の船酔いのようなめまいと吐き気、そして難聴(本当に一時期耳が聞こえなくなった)の経験は忘れることができない。首都ヤウンデに出て検査したら、結果はシロだった。治療薬で完治したのか、そもそもマラリアではなかったのか、いまだに不明である。

そんなことで、今回も、熱以外の付随的な症状に1週間悩まされた。することと言えば、寝ることばかり。座っていても、トイレに立つだけでも、息切れがするほど疲れるし、手話で少し話すだけで腕が重い。1日3回の薬を欠かせないので、3食のおかゆをのどに入れ、疲れるのでまた横になる。不思議なことに、毎日10数時間、眠るだけはいくらでも眠ることができた。

ようやく、金曜日の午後くらいからだろうか。あんまりに寝すぎてもう退屈でしかたないから、さすがにそろそろ起きるか、少し空腹も感じることだし、という気分になってきたのは。退屈だからちょっと体を動かそう、と思えるのは、元気な人の特権である。

■マラリア予防薬の是非
今回の反省材料としては、前回書いたような「働きすぎによる疲労」が大きかったと思うが、もうひとつ思い当たることがある。それは、今回の滞在ではマラリア予防薬を飲まなかったこと。

これまでの短期滞在では、私は欠かさずマラリアの予防薬を飲んでいた。しかし、服用が何か月にも及ぶとなると、今度は肝臓に負担がかかって副作用の方が心配である。このため、今回はあえて予防薬を飲まず、「熱が出たらすぐに病院に行く」の方針でいくことにした。衛生的な病院がある大都市のアビジャンに住むということを前提に、そのような判断をしたのだ。

そして、滞在2か月で発症。確かに、緊急治療としてはこれでよかった。しかし、この苦しみはやっぱりないほうがいいなあとも思う。何せ、とにかくキツイからである。

しばらくはこのままいくとしても。最後の1か月くらいは、仕事の追い込みで疲れそうでもあるし、肝臓に負担のない程度に、予防薬を少し飲んだ方がいいかなあ、などと考え始めている。

週末の土曜日。1週間ぶりの大雨を窓の外に見やりつつ、久しぶりの外食(魚のピリ辛スープとご飯)。涼しいレストランで、手話の啓発パンフレットの最終原稿をちらちらと読み始める。やっぱり間違いは見つかるもので、赤ペンでちまちまと校正。頭痛を引きずりながらも、このくらいの簡単な仕事から活動に復帰しつつある。

では、また来週。Bon week-end !



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